五月の風 猪名川制覇?途中で道に迷う(アホ)もっと歩け
10分感覚で急行と各停が来る。ホームに入っている電車に駆け込まなくても待ち時間は最大9分。最近はホームの一番端。電車の最後尾が指定席で電車に乗ると終点迄大体寝ている。ところが最近はそんな静けさを平然と叩き破るオバカが居る。
どんな顔をしているのかチラ見をしても完全に無視される?そうでは無く「煩い」と言っても「ハー?」とか言われるのが関の山。最近はそんな時Ipodを取り出しイヤホーンを耳に差し込む。これで自分の領域を邪魔される事は無い。
情けない世の中になりました?「全く気にならない」と言われるけれど。オバカな生き方が何時迄も出来ると思っているのだろう?ハイハイ。行きましょう。今夜も又負けです。広島独走?来週から始まる交流戦で転けなければね?
十三(じゅうそう)駅は乗降口が西口と東口があるがいつも利用するのはこちら。この西口改札口は親父が若い頃と何も変わっていない。この駅前に集合して会社の仲間達とレンターカーで天橋立をめざし、途中で仲間の車に追突され引き返した事。
その時結婚の意思を聞かれて「無い」と断言して相手にされなくなった事。乗り換え?この前に来るとその事を思い出す。人の一生は多くの出合いと別れを繰り返す。「悔いは在るか?」と聞かれた時、無いと言い切れる人は幸せに違いない?(そうは思わないけれど)。
今この改札口は利用出来ない。駅前(ホーム間際)の火事で狭い横町は全焼。その後片付けがようやく始まっている。暫くは使えない。人生も同じか?今に見ておれ。
今日の目的地。阪急神戸線神崎川駅前。降りたのは今日が初めて。駅前は広い敷地の建物が取り壊されてマンションが予定されている。大阪梅田から各停で2駅。立地条件文句無し。売り出しと同時に完売?前を流れる神崎川は悪臭漂う汚染された川だったが今は水質は改善されている。ただ清流とは言えない。それでも正面に六甲の山並みが夕陽に映える。関西の新しい住宅地の幕開けかもしれない。
ホームの一番端(大阪側)にバラの花が咲いていた。良く見ると花の盛りを過ぎている。それでもこれだけの美しさ。人の盛りも一時だけれど盛りを過ぎてもこれだけのアッピールが出来る人は限られている。
その為には心と体に何時迄も変らぬ「探究心」と「行動力」が必要かも?親父的に一言で言えば「かいらしさ」。可愛さが必要に違いない。昨日近くのサウナで若者と意気投合?親父ももっと謙虚に生きないといけないのかも知れない?(無理だな)確かに。
神崎川を渡り川沿いに旧猪名川の水門をめざす。この対岸を歩いてこの川の少し上流阪急宝塚線三国駅から帰った事はある。この橋を渡ったのは今日で2回目。前回は猪名川沿いに歩いて最寄りの駅を探した時、この橋を向こう側に渡る。あの時はこの橋を渡りながら安堵の思いで六甲の山並みを眺めていた。
対岸を歩いたのは昨年の年の初めだった気がする。ここは当然神崎川の堤防の下。河川敷を風に吹かれて歩く。この上流を歩きたくなる。ウィキペディアで調べてみるとこの川の歴史は面白い。明治の時代に淀川の分水路として開かれているが親分(主流)は京都府亀岡を源流とする安威川(あいがわ)。源流は近くて遠い?
正面の山は六甲山。手前の橋は分からない。県道10号。高速池田線?この橋の下を歩いたので良く確認をしていない。この先に旧猪名川の水門がある。その川沿いに先日歩いた道迄歩く。道に迷った原因は分かるがその間抜けさを語っていたら、最終目的地の駅が分からなくなる。携帯ナビを手にしていなかったので完全な勘違いをする。でも親切でかいらしい人に道を聞く。逆方向を歩いていた。この先は改めて。
多くの事を語りながら尤もらしい顔をしているが遠くに梅田のツインタワーが見える。初めてこのタワーに登ったのは何時の事だったのだろうか?あれから多くの歳月が流れ今こうしてここに立っている。同じ歳月を生きる可能性はあるのだろうか?10年一昔と言うからその2倍は容易かも知れない。でもその時90の大台。生きていたとしても今の様に元気に歩く事は出来ない?それも努力次第です。
この橋は建て替えられているが初代は民間の会社が自分の会社の便宜の為に自費で造っている。モスリン大橋。漢字で当て字を付けているがれっきとした繊維製品。その会社も今は無い。それでもこうして橋は残っている。この下流で神崎川と猪名川は合流している。
この川は旧猪名川。今は猪名川の流れは改修されてこの川は役目を終えている。ところがこの川も江戸時代はどえらい川だった。その川沿いに遡る。途中で道が分からなく無く地元の叔父さんに聞いた処でこの川の栄光の時を知る。
レジャーボートが放置され沈んでいる。この看板も日付が平成15年。何時迄こんな無様を晒すのだろう?行政の恥だと考えないのだろう?管理されている様でこの様です。この川がこの地域に今は全く役に立ってない?大雨になればそうでない事が良く分かる?
この道が先週引き返した道。駅は遠かった。その意味がこの先で分かる。立派な広い道が無くなったいた。立派な広い橋が広い道が橋を渡ってその先で無くなる?何たる事だろう?その写真をバッチリ撮りました。その消えた道を行くら探しても見つける事が出来なかったのは当然です。その恥さらしの看板は何処にも無し。当然です。それは又明日。これから少し本を読んでお休みです。
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