今日はどんよりとした天気 爽やかな五月はおあずけ?
昨日中山観音様お参りの後、最寄りの駅から山麓の公園めざして歩く。
少し疲れていたが目的の散策?があったので黙々と歩く。駅から1キロ足らずの道も一気に歩くと楽ではない。それ程に歩く力を衰えている?体力が無ければ気力で補え?最近は根性とか精神力は自分に求めず人に求めるもの?
軍事行動が平和主義?積極的平和主義は軍事力ではない事をこのオバカな総理は理解出来ないのだろう?そんな事よりそんな政府を支持する人が圧倒的に多い?嘘だと思っていたがそうなのかも知れない。
アメリカの艦船が攻撃されたら日本も加勢する。この論理。アメリカとの軍事同盟で不可欠?これはこれ迄の憲法解釈を変えると言う事。その責任を誰が取れるのだろう?「私が取ります」この総理の発言。どんな人が認めるのだろう?
国の平和と安全を守る事は軍隊ではない事をもう一度体感しなければ分からないのだろうか?アメリカが世界の警察に成れない事をそろそろ理解して下さい。
アメリカは中国と軍事衝突は出来ない。経済的に日本と同じ位大切な国。その国が中国だとは知らないのだろうか?
北朝鮮がアメリカ艦船を攻撃する?それも出来ない。それ位の事を理解しなければ国の安全は語れない。北朝鮮の軍事力とアメリカの軍事力比べて見なはれ。日本とアメリが戦ってアメリカに焼け野が原にされた70年前を知らない軍事専門家がどんなに尤もらしい事を口にしてもそれ位の事は考えなはれ。
北朝鮮がアメリカの艦船を攻撃してもアメリカから一気に叩き潰される。それ位の事は北朝鮮の指導者は充分理解している。アメリカの加勢を日本がする余地は全く無い。それ位の事が分からんか?北朝鮮は韓国と日本の援助無しに生き残る事は出来ない。それ位の事を政府は充分認識している。与党の公明党が何で反対しているのか?それ位の事も考えなはれ?維新の会とみんなの党はその代わりの期待している?
大阪維新の会と東京石原爺集団は公明党に叩き潰される。橋下大阪維新の会代表がどんなに威勢の良い事を行っても単独では保守と民主党には勝てない。自民保守はこれを機会に永年の懸案事項を一気に解決出来ると計算している?既成政党、野党のみならず保守の面々もそれ程に政権の旨味が否定出来ないのだろうか?
そんな政治屋さんの思惑、尤もらしい憲法解釈で国の大事な法律を変えて行く。これでは憲法改正論議も盛り上がる事は無いだろう?多くの人は知らないが、若い人達に是非知ってもらいたい明治から大正、昭和の歴史。
そんなものは関係無いと多くの人から言われるが、親父は岐阜の山奥で見た特攻で死んで行った若者の手紙を忘れる事が出来ない。「何故私達は国の為に死んで行くのか?自分達はどうしょうも無いが、その替わり弟達にはその事は分かる教育を受けさせて下さい」あの言葉は死ぬ迄忘れてはならない。
この国の指導者が戦争責任を問われても、状況の変化でその正当性が大きく変わる。靖国神社に戦争責任を問われた戦争犯罪人が奉られている。その事を中国、韓国から批判されても頭を下げる事が出来ない政治家。ところがこの国はそれを間違いだと平然と口にしている。そんな問題を自分達は関係無いとは言えない。
そんなバカバカしい?政治の話は全く関係無いと5月のバラが言っている?この国の人がこれほどにオバカとは気が付かない「あなたがオバカ」と笑われていた?親父達はこの国の為に銃を手にする事は無かった。それでもそれは戦後を生きた偶々の偶然。後20年早く生まれていたらそうは行かなかっただけ。
この国の憲法はアメリカに押しつけられたと言う評論家、政治屋さん、学者さんも少なく無いが、戦争に負けた事実をどう説明するのか?アメリカの軍事力は工業力の差を神風で叩き潰せると宣伝したマスコミもその事を全く忘れている。そのうち見向きもされなくなるだろう?
今一番求められている事。その事は少なくとも集団的自衛権を手にする事ではなく日中、日韓の友好だろう?ところがその議員連盟の会長がこの集団的自衛権について盛んに賛成の意見を述べている?どう言う事?中国と暗黙の了解が成立している?そんな解説をどの報道を見ても無い。どないなってまんねん。
もうすぐ満開を迎えるバラのアーチ。これが満開になるのは来週?今年も手入れをしたその成果が出る。美しい物。美味しい物。愉快な事。「それを追え」と言ウ人も少なく無い。しかし考えて見るとそれは誰よりも追い求めている?(イエイエまだまだ上には上が居る)それでもそれだけでは人は人らしく生きる事は出来ない。
これからの人に求められる絶対的な条件。それは間違いは改める。(間違いは無い?)かもしれない。そして大きな問題が起きれば慟哭の涙を流すだけ?それも「想定外」の言葉で切り捨てて、何も無かったかの様に同じ事を繰り返すのだろう?死んだら閻魔大王の面接お忘れ無く。
椅子に座ってコーヒーでも飲みながら雑談を交わす。それもアリかなと思いながら手にして来た本を広げる事を考えていると後ろの椅子に親父に座られる。言葉を交わす事も出来ないのかと思いながら移動する。そこは何時もは座らないベンチ。鯉が悠然と泳いでいた。五月の爽やかな夕暮れでした。雨が降りそうで雨にも遭わずゆったりとした気分で歩いて来ました。「まだまだ歩けるドー」流石に足は悲鳴を上げていた。
家に帰ると隣のセキスイのアパート。外側の鉄パイプの足場と防音のシートが取り外されていた。煩かったのはパイプの足場の取り外し。今は架設パイプで便利だがこの取り付けと取り外し。10年前と進歩無し。住宅地の隣近所の迷惑お構い無し。
積水さん。テレビのコマーショルも良いけれど企業の社会的責任を自覚しないと仕事は難しくなる?お間抜けな行政は工事の騒音規制は無い?早く人里離れた所で生活しなはれ?言うは易し行うは難し。仙人の生活が段々遠のいている。この国は法治国家?それも見極めなければいけない。静岡掛川の13年間もトラウマになっている?
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