« 2013年7月 | トップページ | 2014年2月 »

2013年8月

2013年8月 7日 (水)

猛暑復活。どんと来い。暑くても寒い時を忘れるな。

昨日電車に乗った時の話です。以前先頭車両に乗った時、隣の駅で乗り込んで来た女子高生が大きな声で話をして注意をしたが無視され声を荒げ、反対に関係無いガキから威圧された。それ以来携帯電源オフ車両の先頭車両にも乗らないで一番後ろの車両に乗っていたが、最近この車両にもおかしな人種が乗り込んで来る。大半は親父と同年齢の中高年。いい年をしたおっちゃん、おばちゃんにもおかしな類いが少なく無い。

先日もそうだった。ホームで乗車口に整列しているとちゃっかり割り込まれ、次の駅で乗り込んで来た爺さんは気忙しく扇子を動かし、とどめはその次の次で乗り込んで来たおっさんだった。親父は電車に乗るとまず座る。空いている電車を選んでいるので余程の事がない限り立つ事は無い。座席に腰を降ろしてまずやる事はリラックス。

ゆったりとした思いで眼を閉じるか?イヤホーンでお気に入りの音楽を聴く。本を読む事もある。本は読み掛けの本をいつも手にしている。先日はその本を読んでいた。ところがその横に勢いよくおっさんが腰を降ろす。左は割いていたが右は少し狭かった。そのスペースに言葉もかけないで勢いよく腰を降ろす。

そんな時黙ってはいない。横目で「どんなおっさん」と眼を飛ばす。普通の親父。同年代。しかし貧相なおっさん。大概そんな見方をされると普通頭を下げるかなにか言葉を交わすがその親父は強か(したたか)だった。平然としていた。

そんな時殆どの人は黙って体を空いている方向にズラして、何事も無かったかの様に読書を続けるがアホな親父はそうではなかった。「バカやろう。静かに座れないのか?一言無礼を詫びる事は出来ないのか?」低い声でしかし相手にはっきりと伝える。この時点で完全な売り言葉。相手は予想だにしない言葉を返して来る。

「狭い所に座られたら、勢いよく座られたらアンタが動くのが当然だろう?」その言葉に耳を疑う。それでも親父は腰を動かしながら相手を見ずに「この無礼者」人間性の貧しさをあざ笑っていた。いい年をしてその程度の生き方しか出来ないのか?そんな親父の表情を正面に座っている人も注視していた。無視。

生き方がちがう。心も物質的にも貧しい人が本当に多くなって来た。人にぶち当ってもお前が、アンタが、ひどいのは大人がジジイが悪いと反対に食って掛かる。そのくせ自分達の権利は主張する。アンタの権利?人権?生活権?誰に守られていると思っているのだろう?

自分の権利を正当化するには相手を思いやる心。それが大事である事が全く理解されていない。そんな世の中になって何時から変わってしまったのだろう?それでも全てではない。優しい人もいる。そんな生き方をしなければいけない。今年はこれから猛暑と異常気象が待ち構えている。そんな試練を乗り越えて涼しい高原の秋を迎えなければいけない。

昨日1冊の本を手にしました。「里山資本主義」今、高齢化社会の多くの課題が問われているがこれからの高齢者、現役引退者(年金生活者)は都会の生活から田舎の里山生活に変わる事が望まれています。

どんなに政府や賢くない?お役人が社会保障改革を口にしても都市では既に破綻しています。長生きをしても医療施設で生き長らえるだけ。そんな悲惨な社会が目前です。田舎で里山で「晴耕雨読」の生活をして達者に生きる。そしてお迎えの時を待つ。それがこれからの私達の生きる道です。

この事は寂しい事でも哀しい事でもありません。親父達の田舎では当たり前に先祖が行なっていた事。それが繰り返される事だけです。それが出来る体力と経済力が求められている。この本ではその一端が紹介されている。しかしこの事例は氷山の一角。これからは人、物、金のあり方が大きく変わる。

変れない人は生活保護でも生きて行けないに違いない。日本国民は健康で文化的な生活を営む権利を有する。憲法で保証されたこの条文をどう具現化出来るかは個々人の生き方に掛かっている。少なくとも電車の中で無礼な振る舞いをして何とも思わない生き方をしている人には関係無いだろう?今年の猛暑はその事も教えている?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 6日 (火)

久し振りの大阪駅。汗をかきながらボケをかましていた。

Img_4044

Img_4045

Img_4046

久し振りの大阪駅。東口の工事はほぼ終わっているがこちらはこの有様です。こちらは親父が大阪に出て来た時は西口と呼ばれていたが今は桜橋出口?しかし出口は左側。殆どの乗降客はこちらには出て来ない。(理由?)意味が無い。こちらに出て来ても地下街に入るだけ。今回の工事はこの空き地の上にあった2階屋の事務所棟を取壊してバスの待機所にしている。(東口はバスターミナル?)今更バスターミナル?

Img_4047

旧大阪中央郵便局跡。建物が解体されて奥にこじんまりとした大阪中央郵便局の2階屋のプレハブ風?架設(本格的な高層ビルが出来る迄?)の営業スペースが出来ている。(東京駅前と同様の高層オフィスビルが建てられなかった)

その明確な説明は無い。それでも今年4月にオープンしたグランフロント大阪(大阪北ヤード)のオフィスビルの入居率(2割以下?)を考えれば当然だろう。グランフロント大阪の当初の思惑は外れていないと言われている。関西経済界の力はその程度の物です。

それでも金余り。経済界の薄ら笑いが聞こえて来る。関西経済の希望の星だった?パナソニックとシャープの失速。関西経済の再生は物造りにあると言われたのは夢幻だったのだろうか?平成維新の会の橋下市長。大阪都構想。言葉は華々しいが現実は本当に寒々としている。関西人。口先ばかりでは何も変わら無い事を何時思い知るのだろう?今でしょう。

Img_4048

Img_4049

郵便局跡の訳の分からない建物?土地の評価の税金対策?何の説明も無い。向こう側はステージになっているが殆ど使われる事はない。使われたとしても役には立たない?

Img_4050

Img_4051

大阪駅前。左手奥が阪急。手前のビルが増築された大阪駅前大丸百貨店。正面奥が阪神百貨店。親父が大阪に来た半世紀前の面影は全く無い。すっかり綺麗になっている。しかし人の心は何も変わっていない。これが大坂の玄関口の有様で恥ずかしくないのだろうか?道路管理者。大阪駅長。その管理責任が問われていた。

Img_4074

放置自転車。放置バイク。即撤去?看板だけ?橋下大阪市長はこの有様を見ているのか?ここは大阪駅中央出口前。関西人のモラルはこの程度では無いだろう?

Img_4073

Img_4075

警告の紙の上に自転車を置く。このド厚かましさ。毎日回収しないとやめないのか?大体こんな処に自転車を置く人はどんな生活をしているのだろう?

Img_4076

開いた口が塞がらない。ご丁寧に自転車を持ち上げ鍵迄掛けている。自転車は変則付だがボロ。この持ち主は自分の権利を主張するのだろう?ホンマに悪質です。警察は犯罪とは思っていないのだろう?放置自転車は犯罪です。(路上道路交通法。私有地保管場所に即時撤去)その事を確実に分らせなければならない。

Img_4071

Img_4070

Img_4072

大阪駅サウスゲートビル出口。上記の花壇はここにあります。但しこの出口から出て来る人は少ない。右に見えるエスカレーターで地下に抜ける。大阪の地理に慣れていないとこの出口は出れない。初めての人は東口(御堂筋出口)に出てタクシーを利用するのが無難です。

Img_4058

Img_4059

東口。バスターミナルと左がタクシーの待機場所。タクシー乗り場が分かり難いがタクシーを待つ事は無い。タクシーが3列で客待ちをしている。タクシーの運転手もここで客待ちをして近場だと目も当てられない。でも現実は厳しいのだろう?

Img_4060

親父が半世紀前に出て来た東口。あの時ここは広い広場だった。あの当時でもバスの乗り場は無かった。大阪のバス路線は今、赤字で苦しんでいる。その対策は路線の見直し。運行便数の見直し。そしてコストカット。その方針にこの広い場所はそぐわない気がするけれど路線の見直しは出来るのかな?JRもこの土地の有効活用計れるのかな?

Img_4063

ここは何?工事中?工事の残り?表示が無いので分からない。ここは東口出口を進んだ処。この先は広い道路を渡る事は出来ない。地下に入るか高架橋を上がるしか無い。これが駅前の景色?何時迄こんな無様を晒すのだろう?

Img_4064

右が大阪駅サウスゲートビル。下が駅前の通り。しかしこちらに来るにはこの階段を上がるか簡易のエレベーターに乗らないといけない。そのエレベーターは自転車も乗れる。しかしこの通行帯はどう考えてもおかしい?こんな駅前は全国探してもないかもしれない。

何でこんな道が出来たのだろう?車とバス優先に駅前の歩道を無視すればこんな形になるのだろう?こんな道は生活弱者には本当に厳しい。駅前の道。地下の道は歳を取ると足腰達者でないと歩く事は出来ない。(画像では良く見えないが下の道はフェンスで通行止めになっている)

Img_4066

大阪駅前。この陸橋を通り抜ける人は本当に少ない。右側のバス停にも陸橋から降りて来ないと横断歩道は無い。これが馬鹿げた大阪駅前の車優先の道。利用者も完全に慣されて居るのだろうか?最近このバス停は利用する事が無いので親父の間違いかもしれない。

Img_4068

Img_4069

半世紀前に見た阪神百貨店。当時と何も変わっていないが流石にアップに耐えられない。親父が老いた様に否、それ以上に(失礼)内部が手狭になっている。このデパートの1階と地下1階の売り場はよそには負けていない。

近く全面改装の予定。1期工事と2期工事に別れて行なわれる。初めは東南の新阪急ビルを取壊し完成後阪神百貨店の工事に取りかかると言われている。薄汚く狭い地下街も広く綺麗になる。しかしその時には大阪には間違いなく住んでいない?工事はまだ始まっていない。

 

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

携帯を替えました。スマホです。でもまだ殆ど使えません。

久し振りの電話が掛かって来てもモタモタしている間に電話が切れてしまう。今迄の携帯はふたを開けて応答ボタンを押すだけだったが、スマホにはそれが無い。あっちこっち触りまくっている間に切れてしまう。電話が掛かって来た時にロックを解除しないで応答ランプが点灯なぜしないのか?教えてもらわなければいけない。(アホ)

スマホは便利だとは聞いていたが今はタダ仏壇の前に飾られています。来週タケさんんが来て希望の使い方を色々教えてくれます。色んな事を聞いてもすぐ忘れてしまいますが、好奇心の強い親父は自分の使いたい機能はすぐマスターするに違いない。

それがこの親父の凄い処。(同時に嫌な処)程々に使いこなせば楽しい使い方が出来る文明の利器も使い方が役に立たないと「時間」と「労力」の無駄使いに成る事を知る人は少ない。人間関係。人間の生き方が問われても「ゴーイング、マイウエイ」

聞く耳を持たない人が多い。親父が電車の中で一番目障りなのは携帯を一心不乱に見続けている人。彼等には電車の中は他人の事は全く関係のない空間。それはそれで問題ないが真剣に携帯を触り続けるその有様は正常では無い。中毒です。そんな事はどうでも良いと言われたがそうは思わない。

そんな親父がスマホを手してやる事は初めての道で最寄りの駅を探す事。今迄は優しそうな人を見つけて聞いていた。しかし、意外に地元の人でも自分と関係無い人の会話は警戒される。子供と年寄りが意外に優しかった。

それがこれからは聞かなくて済む?それが簡単に出来ればそれ以上他に望むものは無?(嘘をつけ)それが出来ると他の事を望む?それは一体何だろう?まだ分からない。意外に今使っているパソコンのように機能は限定して使っているかもしれない。

これからに生き方は「文明の利器」を生かしてどれだけ年相応の生き方が出来るかだろう?人は何時迄も元気で思いの侭の生き方は出来ない。その事が分かれば人生は変わる。長い間考えても見なかった「未知との遭遇」。その出合いと偶然は意外に自分の生き方に左右されるのかもしれない。

青春とは人生のある期間を言うのでは無いとサミュエルソンは語り掛けているが、青春とは心模様を言うとは思わない。年相応の生き方。それが輝いていればそれが幸せには違いない。そんな生き方を彼は語り掛けている。何事も人の所為にしてはつまらない。自分を変える。自分が変われば何も変わる事は無い。仕事も家庭も国家も同じかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 5日 (月)

松山市内は路面電車の街でした。道後温泉行きましたよ。

Img_9370

JR松山駅。次の四国遍路目的の44番札所「大宝寺は」ここから久万高原行きのバスで行ける。所要時間とダイヤはまだ調べていない。松山駅はホームは大きい。この駅は四国高松、徳島、に次いで大きい。松山には伊予鉄道(私鉄)がありそのターミナルが市の中央部にある。こちらが乗降客は多いと言われていた。

Img_9371

少し(大きく)見難いがJRの駅は左少し上。伊予鉄道の松山市駅がほぼ中央。松山から宇和島に走る高速道路が下の赤い線。高速道路は市の西側を南下している。道後温泉は右上。地図で見ると遠い様だけれど路面電車でそう遠くなかった気がする。

Img_9372

Img_9373

Img_9374

「坊ちゃん電車」夏目漱石が松山に赴任して来た頃は蒸気で動いていたと思うが、今は電気機関車。今でも現役観光電車として頑張った居るが本数が限られている。親父は時間が無くて乗らなかった。停まっているのを見ただけ。

Img_9375

道後温泉入り口の観光時計。時を告げていた。

Img_9376

Img_9377

Img_9378

Img_9381

Img_9382

正面左が温泉入湯料金?売り場。色々コースがある。その違いが休憩場所の差?良く分からなかったが2階の涼しい場所を指定する。こんな温泉の入り方も珍しい。横にドイツ人がいた。彼とは湯船で鉢合わせとなったが日本語は全く話せず。しかし彼女は日本人だった。

好青年の様だったが親父がバカにされていたのかも知らない。彼女が日本人で日本語が全く喋れなければ付き合えないだろう?湯船ではそんな事は全く知らなかった。人間外ズラだけでは分からない、それとも親父の大阪弁が強烈だったのかもしれない。(それは言える)別に気にしてはいなかった。彼女とは出口で偶然出会う。この温泉男女混浴ではないが休憩所は一緒。彼女はそこには居なかった。

Img_9384

休憩場所。2階。流した汗を冷ます事が出来る。その浴衣を私服に着替えるのは帰る時。休憩所はみんな浴衣。汗を冷ましながら二階席から外の景色を見下ろしている。このシステムは昔からの贅沢だったのだろう?スーパー銭湯にはこのサービスはない。温泉地の日帰り入浴でもなかった気がする。座敷で汗を冷まして休憩。

Img_9385

路面電車の乗り場。JRの松山駅の戻るつもりが伊予電の松山市駅で降りる。こちらの方が商店街もあり賑わっていた。ここから大阪行きのバスに乗る。駅前のコンビニでリュックを背負いながらお土産を買っていると、若いアンちゃんに無言で押される。

すみませんも無い。「何やねん?」親父の言葉に一言。「じゃま」オイオイ。親父の怒りの表情にアンちゃん眼つきが変わる。「邪魔」「文句があるのか」顔を突き出して来る。親父は腹を突き出しながら上から目線で「アホか」そこ迄だった。

いい年をした親父がアンちゃんと揉めても仕方が無い。土産物を探すのを他のお店にする。最近こんな若者も少なく無い。彼等はうっとおしいジジイ位にしか考えていないのだろうが何時迄もそんな生き方は出来ない。

世の中で働くと言う常識。何処で誰が教えているのだろう?若者が正社員に成れない?そりゃそうでしょう。世の中そんなに甘くない。アホな大人も少なくはないがその程度の生き方しか出来ない事をいずれ思い知る。そんな時は何時来るのだろうか?(余計なお世話です)

Img_9386

Img_9387

Img_9388

Img_9390

Img_9392

Img_9393

松山観光マップ。これを見ると位置関係が良く分かる。道後温泉は右上(地図から外れている)しかし市内は路面電車で自由に行動出来る。松山城には行かなかった。時間が無かった。次は松山駅前からバスに乗り約1時間30分(久万高原下車)バスは2時間に1本。出来るだけ早く出掛けます。終の住処を探している。

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知の遍路旅も終わり松山で坊ちゃんの湯に入る。ドイツ人と裸の付き合い。大阪弁は少しも通じなかった。

Img_9317

懐かしの宇和島駅。Ⅰ2年ぶり。宇和島で仕事をした平成11年の晩秋以来だった。この近くで仕事をした高速道路はこの駅の近く迄開通していた。この先愛媛から高知の国境を越えると四国一周の高速道路網は完成する。

確かに便利になるが地方は過疎が加速する。高速道路網が出来ると便利になるが地域が活性化しないのは皮肉な話です。ここから次の札所龍光寺のバスの連絡は良くなかった。その間に今夜の宿を予約する。その宿は予土線(四万十グリーンライン)務田の駅近くだった。

Img_9357

Img_9355

民宿は大きな屋敷だった。広い立派な部屋でニンマリしていると隣の部屋に2人組の親父が入って来る。話し声が筒抜け。最悪。屋敷は立派で食事も風呂も良かったが親父的には最悪だった。主は青年で良くやってくれたがプライバシーが守れないと全てが台無し。車で次の札所仏木寺迄迎えに来てくれたが、それだけは最悪だった。

Img_9318

宇和島駅前の商店街。全国何処でも地方の商店街はこの有様。これで街は成り立つのだろうか?シャッター通りと言われながら地方の商店街は生き残りを賭けた戦略が問われている。街が生き残る唯一の戦略。それは周辺の高齢者をどれだけ集めれるかだろう?

田舎のお年寄りは街中に出る足を持たない。その人達をどれだけ集める事が出来るか?それが出来無ければ街に賑わいは戻らないだろう?もう一つは高齢者の住処を造る。生活の場を造る。全国何処でも同じ悩みを抱えているが旗ふりがいない。行政は何をしているのだろう?商店街が何をしているのだろう?いずれ立ち行かなくなる。

Img_9319

食堂で腹ごしらえをする。ここの特産物は「ジャコ天」隣がその販売店。そこで買った物を朝食メニューで食べさせてくれる。ご飯、味噌汁、生卵、味付け海苔、漬け物、そしてジャコ天。文句なしでした。食堂の女将さんも気っぷの良い人でした。このお店も又行きたい。田舎の人達は本当に気さくな方ばかりでした。

Img_9323

Img_9324

松山道後温泉で見た「坊ちゃん鉄道」の機関車と良く似ていた。

Img_9325

Img_9326

バス時刻表。15、29分。仏木寺は次の次の札所。Ⅰ2年前に来た時はこの近くの民宿に泊まったのでそこに泊まりたかったが、年老いた親父は電話に出なかった。親切な親父だったが最近は体調が良くないとこの日泊まった民宿の青年は言っていた。何故か他人事には聞こえなかった。

Img_9327

お寺さんはあの時見た姿より立派に見えた。綺麗に手が加えられたのだろうか?

Img_9328

Img_9330

Img_9333

Img_9337

Img_9343

Img_9344

龍光寺迄4、4キロ。戻る。今夜の宿民宿の青年が迎えに来てくれる。

Img_9349

龍光寺。

Img_9353

稲荷大明神。

Img_9354

Img_9356

翌朝。少し雨は降っていたが少しも気にならない程の小糠雨だった。駅は近かった。松山の医学部の学生と一緒になる。余り賢そうでは無かったが親父の問い掛けに正確に答える。人は見かけに依らない。

親父が桂枝雀の「夏の医者」のお笑いを口にすると結構受ける。医は仁術と言われたのは昔話。今は算術と思った方が良いと偉そうに言っても別に気にしていなかった。事実だからだろう。病気をタダで直せると考えたら大間違いです。生活保護を受けると医療費もタダ。それは違うでしょう?

医師会の医療費削減。薬剤の削減の取り組みは非常にお粗末。医療の診断カルテが今だに電算化出来ない。医者に定年が無い。いまだに老人医師会が医療現場を支配する。そんな現場をこれから若者達が変えなければならない。

高齢者も生活保護を受けている人もそんな医療を変えなければならない。医療費削減。医師会の利権排除。親父達が若い頃から問われていた事が何も変わっていない。何でだろう?人の不幸につけ込んで美味しい思いをする。何たる醜態。何たる浅はかさだろう。

医者になるにはお金が掛かる。まずそこから変えなければならない。開業医の息子が私立の医大に行く。そこから改めなければならない。これからそうなるだろう?医者になっても儲からない。そんな時代が目前に迫っている。

Img_9358

Img_9359

宇和島駅に出て予讃線で「卯之町」駅下車。明石寺に向う。電車の中は空いていたが乗り込んでいた女子高生が虫ささを防ぐスプレー?を撒き散らす。最初は無視していたが一向にやめない。笑い声がけたたましく耳障り。ぶち切れる。

「やめろ」「煩い」それ位の言葉では無視されるだけだった。降りた駅が一緒。駅員に学校に注意しろと捨ぜりふ。駅員も困惑していた。地方の素朴さは失われても仕方ないが都会の間抜けさだけは見習ってほしくない。最近地方でもアホが多いのは大人の所為かもしれない。

Img_9368

田舎の駅。学校もないかもしれない。そうすると彼女らは何もの?そんな事はどうでも良かった。(高校はありました。宇和高校。しかし彼女達がその在学生かどうかは定かでない。)お寺さんは駅から1、7キロ。歩くには手頃な距離。でもタクシーが待機していたので2000円で往復。交渉成立。完全にアホでした。らくちん。

Img_9360_2

Img_9361

Img_9362

Img_9364

Img_9365

Img_9366

Img_9367

このマップでは良く分からないが次の札所迄の遍路道は67、2キロ。この遍路最大山越えの道が待ち構えている。歩き遍路の人はその道を3日掛かりで歩く。親父には到底真似が出来ない。今回の遍路道はここ迄。次は松山市内からバスで次の札所を目差す。バスでは松山市内から出ています。何時行けるかな。今年の秋には行きたいけれど無理かもしれない。この後松山です。それは明日見て下さい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 4日 (日)

37番札所は思い出の地「窪川」岩本寺から。昨年の秋だった。

Img_5464

このバスは四国からの帰り。松山からの高速バスだったのだろうか?高速バスの安全性が昨今問題になっているが、このバスは安全運転だった。松山から瀬戸大橋を渡り山陽自動車道を帰ると思っていたがそうではなかった。松山自動車道か徳島自動車道。この道は感動だった。吉野川沿いの道。徳島遍路道で最初に見た景色がバスの中から見えていた。

Img_5470

Img_5471

淡路島西側。写真は良く撮れていないが車窓からの景色はもっと鮮明に心を揺さぶる。快適な高速道路。この道は30年前には出来ていた。徳島港から室戸に向う途中少し引き返してみた鳴門大橋は既に走り抜けている。

Img_5475

これは明石大橋。今はもっと綺麗に撮れる。それでは岩本寺から再スタートです。

Img_9175

この山門前の旅館に泊まったのは1日だけ。その宿も廃業していた。平成11年。これは昨年の写真だから丁度11年の歳月が流れていた。仕事仲間(先輩)が朝、仕事前にこのお寺さんを参拝していたが、親父にはその当時今の様に自分の生き方を考えていなかった。(それは間違いだな)

日々の生活で精一杯だったのかもしれない。それも少し違うが四国遍路を思い立つ人は何かが違うのかもしれない。今、無宗教な人が多いと言われているがそうではない。自分一人で生きて行けるとでも思っているからだろう?

そんなガキ、大人、おっさん、オバはんがいずれその罰当たりな生き方を問われる。その時どんな思いをしながら仏の裁きを受けるのだろう?地獄も極楽も知らない生き方。そんな人が本当に多くなって来た。空海はどんな思いでそんな社会を見ているのだろう?

「同行二人」徳島、高知、愛媛のそれぞれの札所巡りではその答えを実感する事ななかった。(それは当然でしょう)物見遊山では何も手にする事は出来ない。どんなに悩み苦しんだ所でその答えは無いのだろう?そう感じていた。ならば何故遍路?その答えがありました?(嘘をつけ。こじつけだろう?)

Img_9221

Img_9231

Img_9232

「1200」年前と今は違う」「心の有り様も違う」生きる事の目標も違う。一番大切な事。命懸けの事。決意が違う。それでも何を求めるのか?その事を問われていた。今、何かを成さんとなされているのか?それが無ければ無駄と言い切られていた。

そうです。漠然と何かを求めても無駄です。生き方だと粋がっても何をなさりたいのか?それを明確にしてください。そう言われていた。(嘘です)何も語らずじっと見つめられていました。この後大雨に叩かれる。罰当たりの事を聞いたからだろう?

Img_9236

Img_9238

足摺岬到着です。岩本寺から86、7キロ。歩いてほぼ3日掛かりです。その道を電車とバスを乗り継いで4時間足らずで来ています。それでは何も手に出来なくて当然です。本当にそう感じていました。しかし、その機会も中々手にする事は出来ません。

Img_9241

バスは半島右側の生活道路を走る。前来た時は中央のスカイラインを走る。でも帰りはバスが走った道を通っていた。懐かしさと寂寥(せきりょう)の想いが交錯していた。そして人々の生活があった。バスを利用する多くの人は高齢者の病院が良い。

Img_9242

Img_9239

Img_9244

絵はがきの様な風景。この景色は前来た時には見てい無かった。(まだまだ続きます)携帯をソフトバンクに変えました。携帯を手にして11年。ドコモ一筋?でも時代は変わっています。親父もスマホでテザリング(無線でインターネットが使える)そんな時代になりました。親父達ももっとインターネットを自分のものにしなければいけない?

Img_9245

Img_9246

Img_9250

亀島。空海様が亀に乗って渡ったと言われる島。こうして地平線を見ていると地球が丸いと言う事が良く分かる。この水平線の先には極楽浄土があると信じられた事があるが、それは浅はかな人間の願望。当然それは生きては帰れない自殺行為。

そんな信仰がもっともらしく語られたのは人間の無知につけ込んだ過ちである。今でも宗教に多くの人が疑問を感じるのは同様の言い伝えと教えが少なく無い。小舟に乗って沖に向えば帰っては来れない位自明の論理である。

空海もその事に何の意義も唱えていない。唐から投げた仏具が日本の何処かに到着した?何と間抜けなことを言っているのだろう?真言密教の教えは本当に難しい。生きながら悟りを開く。それは空海だから出来たに違いない。否、空海ですら出来なかった事かもしれない。

そうでなければ仏教がこれほどに堕落する事は無かったに違いない。(こら罰当たり)人が優しく生きる事は本当に難しい事です。泣いて生まれて泣いて死ぬ。喜びも悲しみも分かち合える人は本当に幸せだけど永遠の時は無い。

宗教は理屈では無い事に最近思い当たる事が多いが、空海と最澄の宗派対立は皮肉にも二人が生きている時は空海の勝ち。死んでからは最澄の勝ち。後継者の差。真言密教が今尚その力を誇示しているが、高野山が再評価されたのは近年になってからだと言う事も余り知られていない。

生臭い話になるが寺院、仏閣、宗教団体には税金が掛からない?ご存知か?創価学会にその事を問う事も今は殆ど無い。それがこの国の在り方。税の公平負担。その事が問われる事が無い。仏教とはその程度の物では無いだろう?何様のつもりだろう?理由は簡単です。営利目的の収入は無い。確かに。しかし空海の時代にもその事は問われている。

Img_9251

Img_9252

Img_9257

帰りのバス。生活道路を通るので狭い道も抜ける。行き違いが出来無い所もある。しかしこんな狭い道は限られている。殆どは広い道をゆったりと通り抜ける事が出来る。足摺岬の「金剛福寺」の写真が無いのは何でだろう?きちんとお参りをして来ました。この先バスが土砂降りの中を進む。

Img_9262

雨上がりの中村駅。接続の電車が遅れて暇を持て余していた。

Img_9263

Img_9268

Img_9269

宿毛駅到着です。駅の観光案内所のおばちゃんの今夜の宿を紹介してもらう。宿毛フェリー乗り場はこの高架線路の右前方。30年近く前にそのフェリー乗り場に急いでいた時間はもう少し早かったかもしれない。ここから対岸の九州大分佐伯の港迄どれ位掛かったのだろう?あの頃は子供達も小さかった。

その近くの道は今、反対方向に向かって歩いていた。何たる皮肉。何たる時代の流れ。しかし心は淡々としていた。大阪では全く知られていない人々の生活。11年前に高速道路の測量の重機を運ぶ架設のモノレールの仕事をした時には、全く考えられなかった四国遍路旅。その運命の悪戯に溜め息を吐いていた。

Img_9272

宿毛の街の中心地が駅の近くの左ではなく右側だったのは意外でした。でもこの街も予想外に小さい街でした。ここは完全に郊外。夕方5時前だったと思うけれど黙々と歩きながら宿を探していた。今日手にしたスマホの地図情報でこれからはその不安は無くなるかな?見知らぬ土地で目的地を探すのは本当に大変です。

Img_9275

日本の米づくり。関税の保護が無いと成り立たないと言われて親父もそうだと思うけれど、地方のこれ位の規模の米づくりがこれからも続けられる方法、中央のお役人は考えていない。大事な事は地域で美味しい米を地域で消費する。

農協が一律に買い上げて不味い米を都会の消費者に提供する。それはこれからは続けられない。問題は米の消費が減り(余り)それを政府が高い値段で買い上げる。それが出来なくなった時この田んぼは間違いなく耕作放棄地になる。

その問題をどうするのか?米の生産者保護そのあり方は本当にむつかしい。その事が今問われている。10年後は間違いなくこの田畑は荒れ果てているに違いない。そんな事が本当に出来るのだろうか?その問題の大きさはここだけの話ではない。

全国全ての耕作面積の狭い田畑が突き付けられている課題。この地域の人達は自民党を支持している。自民党はこれ迄そんな農政はしていない。農産物の自由化とはそう言う事です。都市で生きているとそんな現実も知らない。関係無いと思っている。

この国の「瑞穂の国」その言葉も既に死語になっているが米づくりの問題は人々の生活を大きく変えるに違いない。TPP賛成とか反対とか簡単に考えているととんでもない事になる。生産者(農村)も大きく変わらなければならない。

何時迄も政府、中央の役人の保護を期待しないで自活の道を探る。その事が近々の課題である事を彼等も知らない。自民党農政の歴史は減反政策と生産調整。農協倉庫に古米、古々米が積み上げられても税金で食いつぶして行く。そんな農政を何時迄支持出来ると思っているのだろう?国の農政を変える。それがこれから問われる。

Img_9276

Img_9281

Img_9284

翌朝近くの教えられたバス停でバスを待つ。人っ子一人通らない街中の道を見ながら心配になったいた。朝早かったからだろうか?それともこれが日常なのかもしれない。バスは8時過ぎ予定通りやって来る。

Img_9286

Img_9287

Img_9291

39番札所「延光寺」到着です。バス停から田舎の田園地帯?をしばらく歩く。車で走ると大した事が無い道も景色を見ながら歩いていると汗がにじむ。この時、バスの時間を気にしていた。田舎ではバスの時間は正確にチェックしていないと待ち時間が半端でなくなる。遅れない様に早々にお参りを済ませる。

Img_9296

Img_9299

前の札所とつぎの札所で100キロ。高知県の遍路道が「修行の道場」と言われる所以(ゆえん)訳、言われ。理由です。親父はそこ迄の決意は無かった。もっと言えば岩本寺から足摺岬の先端金剛福寺迄が90キロ弱。とても半端な気持ちでは歩く事は出来ません。

親父がズルした?理由がお分かりでしょう?それでも車の参拝は意味が無い。(これは個人的な意見です)車でもバスでも団体でも何でもご利益はあると言われていました。(しかし、それは嘘です)出来るだけ自分の足と相談して歩いて下さい。足にマメが出来て泣きたくなり事でしょう。「同行二人」とんでもありません。

Img_9300

Img_9302

Img_9303

Img_9304_2

Img_9305

ここが休耕地。生産調整地。これで補助金が出ます。生活保護と全く同じ政府、行政の政策。何時迄もそんな税金を垂れ流す事が出来ない事を先延ばしにしている。自民党がどれだけ地方の生産者の支持を集めてもこの有様を何時迄も続けられない。その事を如何して政治家は語らないのか?自分達の当落が掛かっているから。それだけの事です。自民党圧勝?地方の農政の厳しい現実がどれだけ認識されているのだろう?

Img_9312

観自在寺到着。宿毛の駅前からバスで到着。(休憩)

Img_9313

Img_9316

観自在寺前のバス停。平城札所と言われるのは観自在寺の山号が平城山だから。ここでバスを待っている時に近くの郵便局長と最近の景気動向(オイオイ)について話をする。郵政民営化?地元の郵便局でも何も改善していなかった。

小泉郵政改革?あのまやかしが今どう改善されているのか?アベノミクスを信じるなら考えなはれ。何時の日にか晴れやか想いでこの日の事を語り合いたい。無理に違いない?1%の可能性に賭けてみますか?否、可能性だけならもっと高いに違いない。

四国遍路1番札所から一番遠い「裏関所」期待していますよ。ここから宇和島も遠かった。でも快適なバスがここから連絡していた。ここから次の札所は龍光寺。50キロあります。信じられますか?歩くと二日掛かります。バスを乗り継いでどれ位掛かったかな?宇和島の駅で1時間半位のバスの待ち時間があった気がする。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

種間寺から青龍寺迄。もう一度納経帳に宝印を。(納経帳忘れた)

Img_5333

Img_5334

Img_5335

ここ迄はタクシーで来ています。色んな事がありましたが運転手0さんのお陰です。前の札所からここ迄地図では大した距離ではなかったけれど歩いていたら(歩く気はなかったが)この先の清滝寺は無理だったに違いない。田園地帯の中のお寺さんは親父の屁タレを優しく見守っていた。

Img_5336

Img_5337

Img_5340

Img_5341

ここは山の上。清滝寺。楽をして車で廻り始めて何処が何処だったか分かっていない。その様子が画像にも良く出ている。しかしこのお寺は山の上にありその道は車でも大変でした。狭い。地元の慣れた人でも運転、対向車の離合は大変でした。歩いて来ると本当に大変。その景色見れるかな?

Img_5342

Img_5343

Img_5344

Img_5346

藤の大木は本当に見事でした。

Img_5347

Img_5348

Img_5349

前の札所は正面左の方角。この道を歩いて来る人の凄さを感じていた。親父はタクシーで来た事をちっとも後悔はしていませんでした。遍路道は色んな巡り方がある事を痛感していました。歩く遍路はそれだけの労力が求められます。その達成感を求めるならば歩くしか無いでしょう。車ではそんな有難味は何も感じませんでした。しかしこの日は0さんのお陰でつぎの札所迄行く事が出来ました。

Img_5352

Img_5353

Img_5357

Img_5358

Img_5364

本日の宿。0さんのお陰で念願の岬の上の国民宿舎。外観と部屋と食事とフロントの対応も悪くはなかった。感じが悪かったのはマネージャー。親父のインターネットの使い方にクレームを付けられる。親父も恥ずかしながら共用スペースのインターネットの使い方も悪かった。

しかしこっちは客でしょう。その態度が悪かったのだろう?注意をされてその意味を確認すると無視される。それは無いやろう?声を荒げる。良くある事。それが腹立たしかった。それでも綺麗でリーズナブルな公共の宿?。

岬の先端迄の道は車でないとしんどい。翌朝3キロ先のバス停迄感じの悪かったマネージャー運転のマイクロバスで送って貰う。他の常連さんはご機嫌だった。(親父は?)何も喋らなかった。 国民宿舎の考え方。利用の仕方は変えた方が良い。

Img_5367

Img_5369

食事の内容は民宿と変わらない。ビールをフロントの青年がサービスしてくれた。親父の期待外れの態度が気になったのだろう?ニンマリしながら態度が一気に変わる。次、行く事は無いと思うがこれからは君達の時代だから。そんな事を言った気がする。

Img_5374

良く写っていないがこの橋が宇佐大橋。30年前この橋を車で左の先端から右に走り抜けている。昭和48年完成。この漁港も寂れていたがこの橋の奥には横浪3里と呼ばれる風光明媚な横浪半島で太平洋と区切られた中海が広がっている。

ここのバス停で高知駅行きのバスを待つ。近くの叔父さんと話をする。昔の面影は無くなったと寂しげだった。中央官庁のお役人が天下りをして県政をを担当する。口先だけの街おこし、村おこしが活気を失わせていた。

如何してこの素晴らしい自然を生かせないのだろう?土佐のカツオの一本釣りも漁業の活性化に繋がってはいなかった。これから高齢化社会を迎える。元気な年寄りも多くなる。明日の生き方が分からない若者達の増えて来る。この豊かな自然を如何して生かせないのだろう?その模索は何も感じられなかった。

Img_5375

この地域は予想される東南海地震で壊滅的な津波の被害が予想されている。しかしその取り組みは皆無だった。先の参議院選挙で大勝した自民党候補者は声を荒げて防災堤防の建設を口にしていたが、高知の広い海岸線にどれだけのスーパー堤防が造れると思っているのだろう?

そしてその支持をした地元の人。悲惨な結果をどう受け止めるのだろう?地震が来たら逃げる。その避難場所を確保する。それが一番でしょう?そんな言葉がデカイ拡声器の声でかき消されていた。

安倍総理の国土強靭化計画。皮肉にも山口の集中豪雨被害からの復旧。人間の愚かさを思い知らされている。美味しい思いをしている人達。その人達に鉄槌が振り下ろされなければ分からないのだろう?それでも駄目かもしれない。

今回はここ迄。翌日高知駅から徳島駅に出て懐かしい那賀の宿「そわか」で一泊。土佐中街道の懐かしい景色をバスの中から楽しんでいました。

Img_5455

Img_5457

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 2日 (金)

昨年の春。(四月)。待望の高知の遍路旅。竹林寺から青龍寺。

Img_5213

駅前その前の秋泊まったビジネスホテルを出て電車で出立です。すっかり高知の人?

Img_5215

高知市内の郊外西。路面電車の停留所から最初の札所「竹林寺」は近くはなかった。汗をかきながら道を聞きながら小高い丘を登る。「侮っていた」これで次の歩き方が変わる。タクシーでしょう?バレたか?竹林寺から次の札所禅寺峰寺は平坦な道だが7キロは越える。歩くべきか?楽をすべきか?その答えはこの時決まっていた。

Img_5225

Img_5240

小高い丘の上は公園と植物園。この時初めて植物学者牧野富太郎氏の名前を知る。この記念館に紛れ込んで竹林寺の場所を聞く。お前、アホか?そんな顔はされなかったがもっと先のお寺さんですよと冷たくあしらわれる。

それでも知らなかった自分を責める事は無かった。地元の名士で昭和天皇の講義をされた方だとは全く知らなかった。知っていましたか?この五台山に立派な記念館と温室があります。竹林寺はこの先です。整備された公園の道を歩いていました。

Img_5244

Img_5245

この看板を見て待機していたタクシーに眼をやる。車で15分。近い様に思えるでしょう?歩くとどれ位掛かると思います?歩き遍路の方を見ると羨望の眼差しと侮りの思いが交錯していました。ここから問答無用のタクシー遍路。

でもその罰が当る。その話はここお寺さんの庭を見て。住職にあさみちゆきコンサートのお礼と申し入れをしたが体よく断られる。出掛けていますと言われたが「変な親父が来た」と思われたのだろう?そりゃそうだよな。芸能プロダクションの社長でもあるまいし。ここの庭は有名と聞いていたが大した事は無かった。(コラ)

Img_5246

Img_5247

Img_5248

Img_5251

鎌倉末期「夢窓疎石」が造られた庭と言われていた。夢窓疎石の庭園は京都西芳寺(苔寺)天竜寺の庭が有名。それとは違う小ささがあった。当時も今も高知と京都の違いを見せつけられていた。京都の2つの庭も久しく眼にしていない。それでもその迫力の違いを感じ取っていたのかもしれない。それは仕方の無い事かもしれない。

Img_5249

Img_5255

御本尊は文殊菩薩。知恵の神様。四国霊場で文殊菩薩が本尊はここだけ。だから何なのと思っていた。(この罰当たり)そんな事を言っていると死ぬ迄賢くなれないよ。(バカは死ななきゃ直らない)?賢い人が己の醜さを曝け出して生きて行くよりマシだろう?(確かに)

でも親父達が若かった頃はも少しマシだった気がしてならない。それだけジジイになったのだろうか?体を鍛え直さなければならない。今更くーちゃん駄目だよ。そう囁かれていた。これから高齢予備軍の生き方が問われる。

どんなに長生きが出来ても元気でないと駄目だよ。(程々にね)それがむつかしい。みっともない生き方だけはすんなよ。(分かっています)分かっていません。その事が明確になる。これからの年寄りの生き方は脚力が問われる。歩けなくなったらお終いです。

Img_5262

Img_5263

Img_5264

Img_5266

Img_5269

Img_5271

Img_5274

ようこそ 桂浜?空をとんで来たのか?タクシーで来ました。親切なタクシーの運転手0さん。でも今考えて見ると良い鴨?いいかもだったのかもしれない。でも助かりました。この後次の札所迄歩く。これが又大変な歩きでした。行けども行けどもなんとか?でも長宗我部元親の銅像を見る事が出来ました。歩く事はこう言う事です。でもその前に月の名所?桂浜をどうぞ。

Img_5275

Img_5278

Img_5284

Img_5286

Img_5294

Img_5302

Img_5307

桂浜から階段を上がり車道を歩いている。この道は車で走り抜けた時通っていない。その理由はこの先で分かる。この道は桂浜の駐車場に入る道。桂浜は半島の先端です。

Img_5311

桂浜は左正面奥。海岸沿いに走って来た道はここで大きく曲がる。この左先に交差点があり桂浜はそこを大きく右折する。この道を九州からの帰り道に通った時は直進していた。道は既に暗くなり掛けていた。(暗くなっていたかな?)ここから高知市内を抜け室戸岬迄の道は暗くて本当に遠かった。唯、前を見つめてハンドルを握り締めていた。そんな事を思い出していた。

Img_5314

何処迄続くのかシーサイドライン。海を眺める余裕は無かった。4月とは言え南国の日差しは強かった。

Img_5315

次の札所の看板が出て来る。しかし4キロ。(1里じゃねえか?)恨めしげに見上げながらこの先で休憩する。お昼過ぎ。腹は減っていたが食い物は手にしていなかった。飲み物は自販機で買えるがこの近く売店がなかった。後で地図を見てみると少し右側に昔ながらの道があった。こんな時スマホの地図案内は役に立つかも。これから親父の「金剛杖」になってくれるかな。罰当たりだから何とも言えねえ。かも。

Img_5318

歩道も整備されているが歩いている人がいない。マイクロバス(遍路用)おまへんか?そんな言葉をつぶやいていた。乗り降り自由のミニバス。高知の景色の良さと遍路旅の取り込み。高知の宣伝をしている県知事さん。考えて見なはれ。アカンやろう?

Img_5322

Img_5324

ようやくシーサイドラインに別れを告げ右に曲がる。このまま直進するとはりまや橋に戻る。しかし目的の雪渓寺は2キロ足らずだった。この2キロ足らずが長かった。腹は減って来るし結構歩いて来たし。(桂浜からどれ位歩いたのだろう?5キロ足らずの道が体に堪える(こたえる))日差しがきつい。それでもこの藤棚も見上げただけだった。先を急ぐ。流石です。それほどでも。クレヨン進ノ助の真似をしていた。

Img_5325

長宗我部元親の像です。長宗我部。土佐高知の武将です。我が故郷九州大分戸次(へつぎ)の薩摩との戦いで息子を戦死させそれから輝かしい戦績を投げ捨てたと言われていた。秀吉に味方し四国4国の覇者では無くなるが土佐の殿様で病死する。

Img_5326

雪渓寺到着です。この近くで釜揚げうどんの美味い店を近くの交番で聞きました。お巡りさん。道は聞かれるけれどうどんの美味い店は教えられないと眼を白黒させていた。ここでこの先の通行止めを教えてもらう。しかしこの先歩く元気はなかった。

Img_5327

Img_5328

Img_5331

この赤線の道がつぎの札所のルート。しかし途中で崖崩れ通行止めとお巡りさんが教えてもらう。この道は通れずに上の道を迂回。桂浜迄運んでくれたタクシーの0さん。名刺を呉れていたので来てくれるか聞いて見る。OKだった。結局この先36番札所迄歩くしかなかった。歩くと2日掛かりの道程だったに違いない。それだけの脚力はなかった。タクシー代は7000円。安くはなかったがそれだけの価値はあった。そのお話は又明日。

 

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

土佐中街道。今はこの道を知る人は地元でも少ない。理由?山間の厳しい道だから?

Img_9407

徳島と高知の国境のトンネル。このトンネルが完成したのは昭和の後半。(40年)それ迄はこの峠は山越えの細い道しか無かった。今は車で何の苦労も無く越えられるが歩くとなるとそうは行かない。このトンネルには歩道は無い。車の通行も少ないが2000メートル弱の道。トンネル内に祠(ほこら)がありその4本の支柱がこのトンネルの名前になっているらしい。(トンネル内車で送って貰ったので確認はしていない。)

Img_9409

Img_9410

トンネル出口近くに2軒のお家がありご主人は森林組合の職員だった。こんな山奥で日常の生活は大変でしょうと聞いて見ると以前奈良に住んでいたと言われる。「住めば都」四駆の車があれば生活に不自由は無いとも。まだ若かったが子供さんがここから通学していた。バスはその為のダイヤになっていた。

Img_9411

この日はテレビ局と警察の捜索隊の車が来ていたが、年に数回ハイカーの捜索があると言われていた。ここで昨夜の宿の青年とお別れ。歩いて来たら1時間は掛かったに違いない。左のつなぎの作業着を来ている叔父さんが森林組合の職員です。

Img_9412

Img_9417

Img_9419

途中から子供達がどんどん乗り込んで来る。いつの間にか満席になっていた。隣にピカピカの1年生が照れながら座る。言葉は交わさなくても嬉しくなっていた。彼等が大きくなる迄又、何度も来なければならない。?これるかな?分からない。

Img_9423

Img_9420

Img_9428

道路は殆ど整備されていたが一部分工事中。この道も今は綺麗に完成しているに違いない。

Img_9429

Img_9433

那賀川。中流域からダムが多くなる。上流は四国の三大清流と言われているが、この辺りに来るとその面影は全く無い。四国は深い渓谷に恵まれているがこの天然資源が水力発電に貢献した時代は現在には生かされていない。

四国高知の窪川町長が反対した原子力発電所は高知には無いが、愛媛伊方に1号、2号、3号機が住民の反対を押し切り設置されている。この地域には活断層があるがその建設差し止め訴訟も棄却されている。現在福島原発事故の影響で運転停止。

再開を電力会社は要請している。安全再開その声は財界と政界にも強いが、原子力規制委員会は現在その安全性を審査中。東南海大地震が心配されてもその安全性は担保されている?そんな言葉は福島では何の正当性も無かった。

原子力発電は福島の悲劇でアウトです。それでも昨年の夏、関西では大飯原発が2基稼働しました。関西経済の電力需要が高まった高度経済発展の時、電源開発公社が行なった「黒部ダム」建設の情熱が再び燃え上がる時は来るのでしょうか?

原子力発電の輝かしい歴史にいつの間にか官僚と御用学者、インチキ技術者(原子力発電その安全性は担保出来る)に踏みにじられている。そんなに安全性を強調出来るなら電力の大量消費地(東京、大阪、名古屋)のど真ん中に造りなはれ。

これほどの誤摩化に多くの国民は何時気がつくのだろうか?それはありません。そんな生き方をしていたらこの国は破滅するに違いない。福島の原発は廃炉。その目処は今だについていない。未だに住み慣れた自分の家に帰れない。

それでも原子力発電は必要?福島を綺麗にしてからの話でしょう?福島の厳しい夏は今日も続いている。参議院選挙が終わって国会は今何をしているの?自民党と公明党、共産党、タレント議員。彼等が福島の為に何が出来るのだろう?

空海様の激怒の時は近い。もっと祈れ。もっと考えろ。もっと立ち止まれ。そんな親父の言葉を受け止めてくれた神戸のお母さん。「私達は何をすれば良いのでしょうか?」優しい心。花を愛する心。オバカなテレビを見ながら笑わないで心の底から笑える生き方。それだけで充分です。そんな言葉を返していた。親父もアホです。

Img_9434

ここは山から下りて来た小型のバスから大型のバスに乗り換える川口営業所。運転手に降りる停留所を聞くと丁寧に教えてくれた。定年を過ぎた感じの運転手。仕事に誇りと体力に絶対の確信を持っていた。親父に足りない生き方。「肖り(あやかり)たい」素直にそう感じていた。

この叔父さん。停留所に着く前に車内放送で教えてくれる。地方のバスの運転手はみんな優しい。毎週火曜日見ている世界のバス旅の運転手も全く同じでした。カメラが廻っているからだろうか?親父の時はそうではなかった。叔父さん。又行きますね。

Img_9435

Img_9436

Img_9438

Img_9440

Img_9445

Img_9446

懐かしい景色が見えて来る。半年前に1人寂しく人生を振り返っていた川原。あの時朝早く自転車で次の札所に向った道をゆっくりと歩いていた。まだ朝の9時過ぎ。川の流れは少し水かさが増えてはいたが、涼しげだった。

Img_9447

Img_9453

今回は電話番号も宣伝出来ました。遍路の宿だけでなく親父には思い出の宿になりました。

Img_9455

Img_9456

Img_9457

Img_9463

Img_9466

柿がたわわに実っていた。と言う事は秋だったのだな。天高く馬肥ゆる秋。今年の秋もう一度行かないといけない。四国霊場巡りも電車とバスを乗り継いで43番明石寺(めいせきじ)迄は行っているが、31番竹林寺から36番青龍寺の間納経帳を忘れて宝印が抜けている。その間を埋めなければならない。

Img_9470

Img_9472

この道が土佐中街道。最初の時は自転車で張り切っていた。しかしいくらも走らないで長い緩やかな登りになる。その道を今回はバスで走る。ふて腐れながら登った道が愛おしかった。ここから徳島駅前迄1時間前後。結構街中は退屈していた。

Img_9473

バス時刻表。時間にあわせて行動しないといけない。住民の足は車です。

Img_9478

徳島駅前。ここから高速バスで大阪直行。鳴門大橋、明石大橋を通るので結構早い。バス旅も快適です。意外に感じたのは次の機会に松山から高速バスを利用した時、徳島経由だった。もちろん駅前には依らなかったが四国の高速道路網は予想外でした。

四国一周の高速道路網が完成するのは親父が生きている間は無理でも、着実にその時は近づいていた。地方の便利な高速道路。その壮大な土木工事。その財源は有り余っている?自民党のアベノミクスはそんな経済政策を何時迄続けるのだろう?

その利権体質。この国の財政破綻はそう遠くない?そう思わないでしょう。だからオバカな地方公共工事は続けられるのです。最近全く報道がない八ッ場(やん場)ダム。壮大な税金の無駄遣いも地域の思惑で工事が続けられている。(地域の思惑より利権団体の思惑)本当にオバカな国です。

参議院初登頂?こんなニュースを垂れ流して大事な事は知らん顔をして行く。本当にひどい現実を忘れてはならない。最近テレビを見る時間が多くなりましたが、テレビの報道のひどさ(都合の悪いものは見せない。政治批判を許さない。オバカなオチャラケで現実の厳しさを知らせない)テレビで何かを知る時代は終わりました。

Img_9480

Img_9489

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 1日 (木)

高知城を見て待望の「土佐街道」を徳島に抜ける。素晴らしい景色と人情がありました。

Img_9361

Img_9362

Img_9363

Img_9365

Img_9366

Img_9367

Img_9368

Img_9370

Img_9372

Img_9375

Img_9376

天守閣から城下を見下ろしていた。こっちはどっち?分からない。(アホ)高知城の主は山内一豊。静岡掛川城主でもあった。どんな人だったのだろう?戦国末期の武将。家柄は良く親父は城主。しかしその城が攻め落とされ浪人となる。「先見の明」があったと言われている。ただそれだけではこれほどの評価はされないだろう。立派な武将でもあった。

豊臣方の武将であったが石田光成が家康に対峙した時、家康軍に一早く味方している。その功績が認められ家康から土佐9阡石が与えられている。掛川は5万石。しかも当時土佐は豊臣に攻められて平定されていたとは言え長宗我部勢の抵抗は大きかった。

この城がこれほどに強固に造られたのは軍事力の見せ付けだったのだろうか?その後土佐の領地は石見直しで29万石となり幕末には坂本龍馬以下の人材を輩出する。土佐の名産カツオのタタキを考えさせたのも食中毒対策と言われている。(ウィッキペディア)参照。

Img_9378

Img_9380

この方角は南?一番開けているのは西側です?

Img_9381

こちらが西側?

Img_9383

Img_9384

ここから電車に乗って高知駅前迄。途中で乗り換えの電車に乗りました。(休憩)

Img_9387

それでは又あう日迄。高知市電とも暫しのお別れです。「しばし」?どれ位や?あれから高知には行ったが電車乗ったかな?乗りました。(ニンマリ)でももう1年前と違うかな?

Img_9389

高知駅。土讃線時刻表。土佐山田は遠くはなかった。

Img_9390

高知駅は木造の綺麗な駅舎でした。

Img_9391

ホーム上のアーチ。

Img_9393

山田駅。バスに乗り換え。大栃線。右上が終点。そこからべふ温泉は乗り換え。山奥深く土佐街道は延びていました。この道をバスの中から見つめながら感動していました。何時の日か再びこの道を必ず。そんな事は全く考えていませんでした。

こうして思い起こしているとそんな思いが胸を一杯にしています。昔の人は本当に凄かった事を思い知らせてくれました。地図で見るだけで感動します。凄い事にバス路線は国境を越えていません。長いトンネルを抜けると徳島側には人の生活がありました。

Img_9394

大栃線(バス)終点。正面には調整池が広がっていました。

Img_9395

べふ峡到着。ここ迄来たのは親父だけ。素晴らしい静かな別天地。こんな生活が送れる日が来るのだろうか?写真を見ているだけで懐かしい想いが込み上げていた。

Img_9396

Img_9397

Img_9398

山菜うどんとお寿司。これは夕食だったのかな。質素。(確かに)でも満腹でした。

Img_9401

木造の廊下。宿泊施設は古かったけれどコテージ風。静かな部屋でした。

Img_9403

Img_9404

Img_9406

明日は国境のトンネルを宿の好意で青年の車で越える。トンネルの先にはバス停がある。しかし始発のバスの時間は7、00。地元の子供達の通学時間に合わせている。その次のバスの時間は予約しないと来てもらえない。ゲー。そんな山間のバスの時間を教えてもらう。その旅は又明日。

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

高知「修行の道場」は電車とバスを乗り継いで楽をしていました。でも山間僻地の生活の一端。しっかり見ていました。

Img_9316

「野市」駅。次の札所は左正面の山の手前にあった。バス路線が在るが駅前の案内所で聞いたがアクセスは良くなかった。「歩くべきか」どうしょう?一瞬考える。この時3時過ぎ。前の札所で楽な思いと電車を待つロスタイムを経験しているので、真剣に考えていた。そんな親父の表情を見ながら案内所の娘はさり気なく声を掛ける。「タクシーなら2000円で次迄行けますよ」その言葉で狙い撃ちだった。

Img_9317

Img_9318

Img_9319

タクシーの運転手は親切だった。当然の流れとなったのはこの後今夜の宿迄(高知市内)迄タクシーのお世話になる。5000円だった。歩いていたらこの日の宿は近くの民宿になったに違いない。この付近は田園地帯。感じとしては以前住んでいた静岡掛川の感じ。しかし懐かしくも何ともなかった。

地元の人達の生活の足は車。遍路の人の足は全く無視されていた。地方都市の公共交通機関は全く無きに等しい。車を運転出来ないジジババ達はタクシーを利用するしか無いのだろう?そんな事を全く考えないでタクシーらくちんとニンマリしていた。

運転手との会話は弾んだが、日本全国(親父の田舎も)地方はその地域で生きる人達の為だけしか考えられていない。その人達も年老いて死んで行く。後に残るもの?それは立派な道路だけかもしれない。「くたばるな」くたばったら何も無いと言われていた。

しかし、どんなに生きれたとしても後20年です。その歳月をどう生きるか?その事が問われている。その為には歩け。今の様にクーラーの効いた部屋で遊んでいたら長くは生きられない。そう囁かれていた。

この2日後。徳島の山の中で見た子供達の通学バスの様子。彼等が成人する迄あのバスは残っているのだろうか?徳島と高知県境の山間で見た子供達の生活を親父は20年後に知る事は難しいに違いない。

10年後はどうだろう?それは有りかもしれない。多くの人が夢を捨てないで生きて行く。それは中央の官僚が自分達の生活の豊かさを追い求める事では無い。その厳しい現実がこの先にも横たわっていた。その多くの現実を知らない。それが最大の間違いに違いない。そう感じていた。

Img_9321

Img_9322

次の札所です。タクシーが駐車場で待っていた。(コラ)

Img_9323

それでもきちんとお参りはしていた。「土佐国分寺」聖武天皇が全国の各地に建設を命じた仏教に依る国家鎮護の寺院。土佐の国にも残っていた。ここは南国市です。予定ではこの近くに宿を取り土佐中街道をバスを乗り継いで徳島に戻る計画を立てていた。運転手に適当な宿を探してもらうが、親父が手にしていたパンフレット高知駅前の「竜馬の宿」に決める。

Img_9324

Img_9327

四国霊場30番札所「善楽寺」

Img_9328

Img_9329

Img_9331

Img_9332

Img_9333

高知市内。路面電車が広い道を堂々と占領していました。これが以前の大阪、京都、神戸の幹線道路でした。それが今では地下鉄になり道路は車が我が物顔で走り抜けています。どちらが豊かな生活なのでしょうか?その事を問い掛ける生き方が求められている?高知の街中はその事を語りかけていました。

Img_9336

Img_9338

Img_9340

Img_9356

Img_9342

昨夜の食事はカレーの出前でした。味は?折角高知に来たのだから「カツオのタタキ」食えませんでした。この次に来た時食ったけど大した事は無かったな?(コラ)

Img_9353

Img_9357

この道を右に進むと高知の街中を抜ける。車で走り抜けた遠い日を思い出していた。あの時は先を急いでいたのでゆっくりと高知の街中を見学していない。宿毛フェリーの時間に余裕が無かったのかもしれないが、心に余裕が無かったに違いなかったのだろう?遣る瀬ない思いが体を駆け抜けていた。それでも前を向いて歩いて行くしか無い。

Img_9359

高知駅前。これから電車に乗らないで土讃線に乗ります。

Img_9360

でもその前に高知城見学?そう思い直していた。

 

 

 

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2014年2月 »