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2013年1月16日 (水)

長楽寺行って来ました。思いがけない因縁に感動。

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京都四条大橋から鴨川。今日は水量がやや多い。上流に雪が降ったからかな?

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京都歌舞伎座。丁度舞台が終わった時かもしれない。観客の御婦人(年配)で狭い歩道が溢れ返っていた。親父は賢いから車道の脇をすり抜ける。(コラコラ)

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久々の八坂神社。本日目的の長楽寺はこの境内を抜け公園を歩く。目的地を決めていたので足取りは軽い。観光客は多い。今が一番観光客が少ないシーズンだが春になるとこの階段もピースなどしてはおれない。親父が結婚前この山門の前でデートした姪っ子は今は立派な奥様?あの時の様子が一瞬甦る。ただそれだけの事。

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八坂神社前の鯖寿司の名店。余程の人で無いと接待は出来ない。(コラコラ)

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本殿。お正月が過ぎていたので鈴は鳴らさない様に括られていた。

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マガモ?が出迎えて呉れる。悠然と岩陰から姿を見せる。静かな一時でした。

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公園を半分過ぎている。この辺りに来ると人の往来も少ない。見向きもしないで直進していた。松と公園の細い道が一体化していた。これが本当の京都です。

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一本の幹から多くが別れている。人の世も同じかもしれない。親父は一直線の道しかなかったが何故かこれも桜木の探索の道。もうすぐ寿命の時を迎える前に今年も多くの花を咲かせるに違いない。今年の桜はきっと見に来ますから。約束です。

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水溜まりでは無い。上から水が垂れている。黒くなっているのは水量が少ないのと生活排水の所為かもしれない?これも環境汚染か?それは確かではない。

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この階段を上がって行くと車道に出ます。その道を右に下がるとすぐ突き当たりを左に。ここが長楽寺の入り口です。初めて来た時は今から40数年前。同期の桜と一緒だった。彼とは仲良しだったがひょんな事で唯の友達になってしまう。次に来たのは新婚の時。春。公園の枝垂桜を見に来た後だった。あれから多くの歳月が流れ親父も歳を取った。それでも久し振りに会った住職から多くの事を教えてもらう。それは感動の一時だった。

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初めて友と来た時に先代の住職に自慢のカメラを褒められた。あの時この庭を好きなだけ写しなさいと言われた言葉を思い出す。この池は銀閣寺の池のモデルになったと言われている。今はその面影を知る由もないが親父渾身の一枚です。

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先代の住職の声が耳元で聞こえる。息子の住職も親父より五つ年上。先代にそっくりの顔形だけでなく声迄もそっくり。一瞬親父の顔がこわばる。話し好きの処迄そっくり。静岡掛川大雲院の大和尚同様口調に淀みが無かった。水がしみ出て来る様に言葉がさり気なく押しつけがない。話に嫌みが無く久し振りに時の流れを忘れる。

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前住職八十の歳を過ぎた時の書。今は使われていない芸の披露舞台?

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ご本堂。御本尊さんが安置されている。

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平安の滝。ここで滝に打たれていた。今は水も枯れていたが水が山に満ちて来ると上からの水はトイから流れ落ちる。

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更に上に上がる。この上には東山の山麓が広がっているが散策出来る道は限られている。フェンスを張り巡らさないと防犯が保てないのは罰当たりの輩が多いからでもある。それでもこの広い山麓を歩く感動は小さくない。

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京都市街(北西)が見える。雲空だけれど快晴の時は絶景が広がる。今年は必ずそんな景色をお見せします。しかし余り期待しないで下さい。この地を愛した頼山陽も1年の内何日も眼にしていないだろうから?この展望台の横に眠っています。

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これは250㎜望遠で写している。ここは山裾の円山公園です。

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もう一度長楽寺の立て札を良く見てほしい。このお寺さんの始まりは最澄(伝教大師)始まりは当然天台宗。天皇家の保護も厚かった。しかしその後勢いは一時衰える。その衰退を国阿上人が中興し時宗に改められる。

法然上人の弟子隆寛がここに住み着いて念仏をを広めたと言われている。親父が今日感激したのは時宗の開祖一遍上人の生まれが四国愛媛。親父と同じ名字の家。祖父の名前が道信。takeさんと違うのは名前の上だけ。この人(一遍上人)の事は何も知らなかった。

しかしこの寺に来て初めて足を踏み入れた収蔵庫で、先祖に導かれてここに来たと実感する。明日から多くの事を歩きながら学ぶだけでは無い事を学習しなければ成らない。鎌倉から室町。戦乱の中で多くの民衆は生きる術を奪われていた。

特権階級が公家から武士に替わりその争いに負けた一族郎党は、老若男女全てが抹殺された。しかし念仏だけを唱えながら、無心に仏の道を歩きながら求めたこの人の偉業は現在では全てが知られていない。

その話をお寺さんを出る時和尚から一部を教えてもらう。これから親父は東海道を歩きながら人生の目標が出来る。箱根駅伝で絶叫されていた藤沢遊行寺は一遍上人を開祖としていますが一遍自身は全国各地を念仏を唱えて廻られ定住はしていない。親父にはそんな生き方が出来るとは思わないが物事に執着しない思いは学習しなければ成らない。

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お寺さん入り口の甘味所。今日はお休みでした。

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来た時と同じ風景。今年は春桜の時に来ます。そう思いながら干支の一刀彫は手にしなかった。その替わり足のお守りは頂きました。これで間違い無く一遍上人に肖れそうです。上人は鎌倉の時代に全国を歩かれています。親父如きの歩きは比べ物に成りません。

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リッチな人で無いと入れない。湯豆腐を食べたいと言われてもお財布を握り締めてからにして下さい。常連さんでないと入れない?そんな事はありません。

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坂本龍馬、中岡慎太郎が西の空を見つめていた。若い。33と29の若さで明治維新直前に暗殺されるがその真相は明らかではない。歴史の事実は尤もらしく語られても彼等も又、時代の流れの中で無視された若者であったに違いない。司馬遼太郎の「竜馬が行く」ですっかり有名人になったが政治家が語る程歴史を変えた評価はされていない。それでも今日の政治家の無策に眼を吊り上げて怒っていた?心安らかにお休み下さい。何時の世も政治家の間抜けさはこんな物ですよ。もう少し知恵を出せんのかね?それでも新政府の支持者は過半数?世論調査が間違っては居ない?

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坂本龍馬と中岡慎太郎の目線の先は夕日が爆発をしていた。この国は間違い無くこれから変る。政治家に何かを期待するのではなく自らが知恵を座し汗をかき、そして頭を使え。そう言われていた。最近、親父は文句ばかり言っているがそれなりに満足した生活をしているのかもしれない。それではいかん。もっと賢く生きろ。そう言われていた。それでも一遍上人の生き方は幸せだったのだろうか?

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本日自慢の一枚。公園の池のツガイのかもは羽を休めて見送りをしてくれる。

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40年前の春。一緒に見た枝垂れ桜は少し寂しげに冬の夕暮れの中にありました。
春になると今でも素晴らしい景色を着せてくれるに違いありません。一昨年見た岐阜の薄墨桜の様に輝いて見せる時も後僅かに違いありません。その時迄東海道どれ位歩けるか応援して下さい。(名古屋迄は行こう。岡崎迄は無理かな?)

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40年前は低かった木も高くなり木に勢いが無くなっている。今年の春一人で見上げる時はどんな表情を見せて呉れるのだろう?今年は必ず来ますよ。その時は泣き言は言いませんよ?東海道の話を何処迄出来るか楽しみにしていて下さい。アテにしないで待ってるよ。そう言われていた。

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祇園のえべっさん。今年もお頼みします。(任しときなはれ)そう言っていました。

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