山茶花山茶花咲いた道。焚き火だ焚火だ落ち葉焚き。当ろうか当ろうよ。
山茶花咲いたか今年は運気はどうかいな?それはうんだー(私)には分からない。
山茶花は背が低いと思っていたがそうでも無い。この木の背は親父の背を大きく越える。一昨年の今頃低い植え込みの山茶花の手入れをするのが日課だったが、今はこうして見るだけで撫で回す事も無い。久し振りに夢中でシャッターを切っていた。
冬枯れの時。枝葉をすっかり落として春を待っている。今は静かに息を潜めていると思っていたが夕陽に輝いていた。今は年の初め。後2月もすると一気に春めいて3月もすると桜花の装いを重ねる。その時に歓喜の声を上げる事は誰にでも出来る。
この時期それでも生きている。息を潜めている様でも着実に開花の準備を怠らない。準備運動をしている。親父も今出来る事。それは歩く事。ぼやく事。ボヤキの中に喜びの鼓動が聞こえ始めた時、一気に走り出さなければ成らない。(それは無理だな)
走り出さなくても良い。空海が1200年前に道なき道を切開いた様な歩きは出来ないが物質的には豊かなこの国もそれは表向き。表の華やかな部分しか見ていないか人は困難に立ち向かえないのだろう?その壁の大きさと高さにたじろぎながら後ずさりしか出来なかったのかもしれない。これから一時の寒さを乗り越えれば歓喜の桜花の時が迎えてくれるに違いない。桜の3本の大きな幹がその事を教えていた。
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