国家、企業、地域、そして自分の未来。それを問われていた。
今日は寒い一日でした。駅のホームから見える商店街も寒そう。今日は先日見た大阪の街。大きく変わった大阪難波の街。そして大阪のいまだに変れない街並。その両方を見て来ました。自分達の住んでいる街の問題が良く分からないのに軽々に判断する事は難しいが、大阪都構想の前に大阪の街造りに首を傾げていた。
心斎橋でAppleのショールームを覗く。前回に引き続いて上ちゃん本日も不在。本日の目的は先日の続きを歩く事だったから何の衒い(てらい)気取りも無く踵(きびす)を返す。(引き返す)ここからもう一度地下鉄に乗る事も考えたが思い切って歩く。
地下鉄では目的地は3つ目の駅。久し振りに御堂筋を難波迄歩きそれから難波パークの横、阪神高速の高架の下を歩く。初めての道。それでもこの反対側の道を何度か歩いている。同じ道でも北行きと南行きでは風景が全く変わる。引き寄せられる様に前歩いた道を反対方向に歩いていた。
御堂筋から見た戎橋方向の道頓堀。グリコのネオンが見えるが昼間見る姿は何とも地味です。この景色が夜になると一変する。人も同じだろう。どんなに紳士、淑女の様な振る舞いをしても昼と夜の顔は別人に違いない。だからといって下品な振る舞いは許せないが同様に不自然な気取りも無用に違いない。自然体。疲れない生き方が一番です。その事を教えていた。
ネオンがついていない昼間の景色は美しさも何も無い。しかしどんなに華やいだとしてもそれも偽りの姿に変わりない。素顔で勝負しろとは思わないけれで眼に映る景色が若い頃と何も変わらないのは何とも情けない。歳を取ればそれなりの景色を見なければいけないのだろうが眼に映る景色は全く同じです。(アホか?)(大笑い)
先日梅田の横断歩道では一人のお巡りさんも見なかったがここでは何故がお巡りさんが多い。総勢6〜7名。この多さも何故か不自然。2名位で交代に警備が出来ないのだろうか?この駅の下で阪神と近鉄電車が相互?乗り入れをしている。
この手前にお巡りさんが多かった。何を警備していたのだろう?お巡りさんが居ても違法駐車、駐車違反の取り締まりはしていなかった。駐車違反の取り締まりは民間に丸投げして警察は関係ないとでも思っているのだろう?その証拠に警察車両はアメリカ、中国、韓国関係の建物前には駐車している。何様だと思っているのだろう?国家権力様です。(笑い)
大阪歌舞伎座。現在は開演していない。この建物が取り壊される時は何時になるのだろうか?2009年に閉館。これだけの建物を取り壊すのは大変に違いない。今は新歌舞伎座として上本町六丁目で開演している。
大阪南の殿堂。南海電鉄のターミナル。親父の若い頃あった南海ホークスの大阪球場は取り壊され大きく変貌していた。それでは御覧下さい。これはデパートの西側から南に向って歩いています。
よく見ると以前南海球場の外側で売られていた場外馬券が、おしゃれな建物の中に収まっていた。これなら馬券売り場の苦情が廻りから出ないだろう。これは名前同様本当の公園(パーク)です。kenとmaiと歩いた道が真ん中に見える。
歩道は確保されているが広くはない。右側が阪神高速。立派なフェンスの中は全く利用されていない。何で利用されないのか?高速道路が民営化されたと言っても知恵の出し方はこの程度の事だろう?親方日の丸ではいけないと言うのは簡単です。民で出来る事を官でやる事は無いと言ったのは誰ですか?その検証は出来ているのですか?
よく見るとここは横断歩道が無い。この先(向こうからこちら)は歩くな。どうしても歩くのなら左に歩いてその先の信号をこちらに渡りなさいととでも言いたいのだろう?(親父はどうしたの?)右に渡りコの字に歩いて来ました。こんな所を歩く人は無いとでも思っているのだろう?
思いがけない所に出る。ここもkenとmaiと歩いた今宮戎の裏門です。
10日戎(えびす)は終わったが「商売繁昌で笹(酒)持て来い」?今年は春から縁起が良い?この門を出た時に小雪が激しくなる。画像に写り込んでいるかな?
写っていました。お分かりか?実際はこんなに大きくはなかった。
お見事。しかし逆光で空の色が飛んでいる。そう曇り空。まだ絞りのマニュアル操作が出来ない。でもそのうちに攻略します。その時迄お笑い下さい。(涙それとも汗)
阪堺線始発の恵比須町駅。親会社は南海電鉄。
記念碑前の旅館も廃業していた。この地域の開発と整備を行政はどうするのか?その前途は何ともむつかしい。その現実が広がっていた。
写真を撮れたのはここ迄。本当にこの地に足を踏み入れて写真を撮るにはこの地域に溶け込まなければ失礼だろう。この商店街は鶴橋のキムチと在日朝鮮人のパワーはなかった。多くの店がシャッターを下ろしているがそれでもこれだけのお店が頑張っている。この商店街を活性化させる秘策は行政も持ち合わせていないに違いない。、
最寄りの駅迄、黙々と帰る。多くの思いを飲み込みながら何も考えていなかった。今日は出かける前にいつものお店でうどんを食いコーヒーを飲んだ。そのお店で久し振りの再会があった。優しい人は心が和む。それでも帰りの時は肩を落として、唯、前を向いてしっかりと歩いていた。電車の中は空いていたが座る所は無い。さり気なく一遍上人の買い求めた「遊行聖」(ゆぎょうひじり)の系譜を読んでいた。
最寄りの駅を降りるとラーメンと餃子が食いたくなる。
どんなに親父如きが何かを喚いても何も変わらない現実。その事を自分自身で良く得心していたのかもしれない。餃子もネギキャベツラーメンも完食でした。これからの親父に出来る事。そして誰にも自慢が出来る事。それが求められていた。それは何であるか?明確になっています。後はどれだけ実行出来るかだけでしょう。
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