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2012年11月

2012年11月30日 (金)

今日は歩かずに草津線に乗って次の東海道の道を探って来ました。

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東海道線草津から東海道は右に折れ鈴鹿の峠を越える。JRの路線は草津線しかない。このローカル線も三雲で東海道と離れる。ここから先は唯ひたすらに歩くしかない。今はどうなっているのか?知る為にこの駅迄出かける。予想以上の田舎の駅。

草津の駅で草津線に乗り換えた時、電車は待ち時間は無かったが通学の学生で満員。よく見ると高校生。大阪地下鉄並の混雑。足の踏み場も無い程では無いが通路にガキ達の荷物が置かれ話し声が耳をつく。最悪と思いながらiPodの音量を大きくしても馬鹿笑いが神経を逆なでる。しばらくは辛抱していたが我慢の限度を越える。

注意をしても無視される。それだけでは無くじゃれ合いを止めない。四国宇和島からの電車の中でも同じ思いをする。あの時は電車の中は空いていたが女子高校生が虫除けのスプレーを足に吹きかけていた。都会も田舎も老いも若きもこの国の良さは消え失せる。これからこの国の人々の生き方は人の思いはどうでも良いのだろう?Img_4481

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草津線終点は関西線柘植駅。関西線は大阪と名古屋を結ぶ。

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車両は6両から4両編成。電車は古く路線も良くない。無茶苦茶揺れる。日本各地のローカル線共通。それでも特急が走る路線はスピードが求められるので路線(路盤)は整備され揺れが少ない。この路線には普通しか走ってい無いのだろう?

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ホームの狸は歓迎してくれたが駅の案内は期待外れだった。「東海道」は忘れ去られていた。ここから鈴鹿の峠を越えるには水口と土山の宿を越えなければいけない。この距離は30キロ弱。車なら30分程度の道程を歩き通す覚悟はまだ出来ていない。

それだけでは無い。鈴鹿の峠を越えて関に到着するには更に7キロ弱かかる。今日出かけた目的は何処迄歩いて宿を探すか?鈴鹿の峠を越えて関に到着する迄どれ位掛かるか知りたかったが何も分からなかった。今日の感覚では三雲から関迄2日掛かりの道に成りそう。何処に泊まるか。どんな歩き方が出来るかは歩いて見ないと分からない。

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駅ホーム横のススキ。来週天気を見比べて歩き通して下さいと言われていた。親父の覚悟が問われていた。親父の事だから最悪の場合、この駅で待機していたタクシーで峠下の昔の宿まで乗り付けるかも。(止めて下さい)それは禁じ手です。

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これが鉄路の路盤整備車両? 路盤は砕石を定期的にコンプレッサーで押し込まなければいけない。日本の鉄路は大別してコンクリートで固められている新幹線と砕石で積み上げられている在来線。私鉄の線路に分けられる。地下鉄もコンクリート。

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では明日と明後日は英気を養って又来週です。パソコンのトラブルは解消です。

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今の処パソコンのトラブル解消?LANケーブル恐るべし。親父の感覚恐るべし?(自慢すな)

今日は草津の次を歩かないといけないのだが(別に誰にも強制されていない)肩が痛い。肩の痛みが復活している。予想した通り近くの整形外科が診断した痛みの原因は「ヒアルロン酸」の加齢減少。減少では無く完全枯渇(嫌な言葉)。治療は直接注射しかないと言われ週1回注射で5回セット。結果は痛みが和らいだだけだった。

これは想定内の事だから別に悲観も楽観もなかった。日本の外科治療の現実。体の痛み。体の不調。自己管理不調で多くの痛み、多くのストレスが少なくないがその治療法の殆どが鎮痛。体質を変える事は容易ではない。親父の肩の痛みも同じだろう。

この痛みはこれから激痛を和らげるしか無い。年を取るという事はそう言う事なのかと思うが、それも年寄りだけの問題では無い。若い人でも仕事ができない程体調が良くない人が少なく無い。人間の体。人間の心。それを根本的に変えるには日常の行いを変えるしか無い。親父の場合はもう体を変える事は出来ないかもしれないが、簡単な運動を継続的に続ける事だろう?それは使われていない、無駄に使われている筋肉を鍛え直すしか無い。専門家の意見程、役に立たない。それが今回の教訓です。

これから出かけて来ます。今日は草津からJR草津線で東海道と平行して三雲迄電車で行きます。大阪からここ迄草津の駅乗り換えで約1時間半。ここからは東海道は鈴鹿の峠越え迄20キロ。その道程は2日掛かりとなるか?交通機関(バス)でズルするか?いずれにせよこの難所の峠は歩かないと意味ありません。問題はその道程。

口で考える程簡単ではない。昔の人は健康でないとこの道は歩けなかったに違いありません。伊豆の天城越え。四国遍路道。琵琶湖西の間道(鯖街道)。日本全国に多くの街道がありますが今は道路が整備され車が一気に走り抜ける道も、歩いて見ると違った景色になります。それは一時の感動と多くの徒労の道です。

親父の賢さはそれを噛みしめながら自分の体と相談しながら楽をしている事。(自分で言うな)仕事も同じです。戦略を練り計算しながら前に進む。自分の思い通りにはなりません。それを又噛みしめながら前に進む。その飽くなき探求が自分の道を切り開いて行けるのでしょう?(能書きは良いから早く行かないと遅くなるよ)

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昨日は久し振りに電車の中で汗をかいていました。

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久し振りにお気に入りのきつねうどん。立ち食い。フラッシュで光っているがそれもご愛嬌。毎日食っても飽きない味です。出汁は何なのか?聞いた事は無い。

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大阪駅北口の大型家電ショッピングセンター。とにかくデカイ。開店して11年経過した事が嘘の様です。この場所は昔(親父が大阪に来た半世紀前)は大阪鉄道管理局(今のJR西日本本社?)この土地は入札でこの会社が手にしました。

当時は破格の値段でしたがこの経営判断は正解でした。大阪の電化製品販売はここから叩き壊されてしまいました。流石に今は落ち着いたけれどしばらくは大勢の買い物客でごった返していました。親父はその所為で?余り良い思いをしていないが今日は違いました。それがこれです。

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初めて買いました。パソコンを買った時に付いていたから自分で買ったのは初めて。長さも今迄の物を持参して行ったのでそれをメジャーで測って呉れました。それが無条件に親父を喜ばせてくれました。売り場の案内もしてくれたし何も分からない親父にリクエストを聞きながらこのLANケーブルを紹介してくれました。

これで昨夜迄のトラブルは解消するかな?今はモデムの上から3番目のランプが点滅。1と2と4は点灯したままです。3番目はデータ。これで様子を見ます。このLANケーブルはカテゴリー6e。たかがケーブル。されどケーブルかもしれない。

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地下鉄の吊り広告にフェスティバルプラダの宣伝が踊っている。いよいよオープンです。開演記念の招待は無いが(ある訳が無い)これから期待されている。

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心斎橋のAppleストアーに行く前に駅構内のコーヒーカウンターに立ち寄る。クリスマスの飾りが微笑ましい。親父さんは引退したがオーナーは頑張っている。親父がここに立ち寄るのはゆで卵が口に合う事。今日は(今日も)残念ながら売り切れでした。親父さんはママさんバレーのコーチ。オーナーの女性とは他人でした。

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コーヒーが少ないのもご愛嬌。まだ口を付けていない。もっと液面を上げなさい。

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大阪老舗の百貨店。一時の隆盛は無いけれどこれから生き残りを賭けて厳しい「商い」の戦いが続く。しかし本当の戦いは既に終わっている。この百貨店の横に在ったライバル会社はこの百貨店に吸収されている。

その実態を考えるとこのお店の生き残りは厳しいのかもしれない。それでもこのお店は大阪の老舗中の老舗。昔からの常連さんがどれだけ支えてくれるかだろう?問題はこの会社の経営判断。会社が大きくなり過ぎて決断が遅くなれば生き残れないだろう?(余計なお世話です。何でそんな事が言えるの?)行って見なはれ。

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上ちゃんはお休みでトラブルの診断は出来なかったけれどその分を銀杏が慰めてくれました。今年の秋はこれ迄で最高の紅葉が親父を喜ばせて呉れました。

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帰りはこの名前を見る度に気になっていた看板の下を通り心斎橋筋に出る。マムシ谷では無くうなぎだに通り。何だそのまんまかと自分に言い聞かせていた。この横が百貨店の通用門?見慣れた警備員のユニフォームを見る。

親父もお世話になった警備会社。しかし慣れるとこの会社の保守的なお粗末さが気になっていた。この会社だけでないこの国の多くの会社に共通する事だろう?問題点を改革する?改善する風土が何も無かった。

この国の経済が中国、韓国のコスト競争に負ける?そうではない。経営戦略で負けている事に如何して気づかないのだろう?間違い無く今度の選挙で民主党は壊滅する。3年前の政権交代で公約した事が何も出来なかった(その反論もあるが)その代償を選挙の結果は自民党と日本維新の会に期待するのだろうか?

それだけでは何も変わらない。この国の保守性が息を吹き返しデカイ声で綺麗事を言う政治家と経済家が多くなるだけだろう?この国で否定された郵政民営化が今、どうなっているか?殆どの人が知らない。郵政民営化をあれ程に声高に叫んだ人達は今、何を学んでいるのだろうか?もっと地に足を付けて自分達の未来を語れないのだろうか?

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心斎橋です。この下を流れていた川は埋め立てられて今は大通りと地下駐車場が広がっている。この橋は残されている意味を殆どの人は考えていない。

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心斎橋近くのこのビルは所有者が替わっている。出来た時は電機会社のビルとしてニュースになった。今は全くニュースにならない。その価値も無いのだろうか?

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今は見向きもされない街灯。出来た時はどれだけの感動があったのだろう?川面に映った街灯の光はどれだけ人々の心に希望を与えたのだろう?今、大阪は政治と経済の大きな変化を叫んでいるがそれも一部の人だろう?大阪もこの国も今多くの変革の波が押し寄せているが、ゆっくりと心静かに考える人はどれ位いるのだろう?

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これから始まる年末セール。それにしてはお金の掛け方が足りなくない?安っぽい。今年の師走は選挙でそれどころではないと思いきやそうではない。買い物客の変化が確実に進んでいる。お年寄りが少ない。若者もお金を持っていない。買い物では無くただ通行しているだけ。買い物客を取込む秘策は無くなっているのかもしれない。

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人通りの多い心斎橋筋から御堂筋に出る。少し歩いた角のお店。以前見たF1の車の位置にこのスポーツカーが鎮座している。「乗りたいか」そう問い掛けられていた。もうスカイラインをぶん回したあの勢いは無い。それでも助手席で良いから乗りたい。

そんな情けない気持ちで眺めていた。この車を乗ります経済力が復活するのだろうか?それは無い。そう断言されていた。しかし願えば適う。その力が残っているのだろうか?(苦笑)心を見透かされていた。「覆水盆に帰らず」されど卑屈になる事は無い。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。サミュエルソン。踵(きびす)を返す。

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銀杏の紅葉もこれで見納め?又、来年です。

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大阪梅田阪急の待ち合わせ場所のテレビの電源が落ちている。初めて見る風景。
この国の経済の現状はここまで悪くなっているのでは無く、このテレビの役割が終ったのだろう。右のエスカレーターに並ぶサラリーマンと階段を歩く親父。これも何かの象徴だろう?今日の自分へのお土産は551蓬萊の豚まんと餃子でした。

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この豚まんと餃子は大阪名物。大阪には美味い物は少なく無いけれどこれもその一つです。これから久し振りにズービンメータ指揮交響曲第9番「合唱つき」をテレビの録画で見ながら(聞きながら)「究極の警察小説」完読です。期待通りとは行かなかったけれど「警察組織の実体」も組織とは何かを問われています。

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2012年11月29日 (木)

本日はお休みです。

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今日は昨日歩いた瀬田川の景色を思い出しながら家で休息です。疲れる程歩いてはいないけれど、非日常の歩きは体に負荷を掛けているのでしょう。相棒のカメラには誘惑されますが片方のパソコンがブレーキを掛けています。今は気持ち良く動いていますが夜中になると機嫌が悪くなります。

モデム(親父はその形から文庫本と言っているがパソコンとインターネットの信号を変える物)。良く分からないけれどパソコンを繋ぐケーブルが一部不調?長くパソコンを使っていると回線が劣化するのかな?

モデムに今の状態を示すランプが四つありますがその一番上のパンプが点滅を始めるとインターネットに繋がらなくなる。これから雑用を済ませてお部屋の片付けをしたらケーブルを買いに梅田のヨドバシに出かけます。それからAppleストアーに顔を出します。久々の再会出来るかな。赤ちゃんは王様になっているかな?名前は何だったかな?

昨日草津からの帰りの電車の中で元気のいい赤ちゃんをそれとなく観察していました。泣き叫ぶ赤ちゃんに若いママは顔色一つ買えずにミルクを作ったりあやしていました。流石です。電車を降りる時に赤ちゃんとママに声を掛けました。子育ては本当に大変。頑張って育てて下さい。


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近江の海(み)夕波千鳥 汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしえ)思ほゆ 柿本人麻呂

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石山駅下車(大津駅から2駅ズルする)ここは京阪石山駅と駅舎を共用している。
今日はここからスタート。駅からすぐ瀬田川を渡る。国道は瀬田大橋。有名な瀬田の唐橋はここから約500m上流。その景色も望遠で撮りましたが良く撮れているかは見て見ないと分からない。

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こちらは京阪石山線。この踏切は渡らずに直進する。国道を探すが人に聞く迄もなかった。

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全国何処でもそうだが橋の一般道、堤防と合流部は何処も車で一杯です。ここも例外ではない。

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橋の上から東海道線を見ている。唐橋は反対側。

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唐橋が見える。分かりますか?中州迄行けばもっと綺麗な写真が撮れたかもしれない。望遠で辛抱して下さい。

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奥の橋は名神高速?

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この地の攻防は奈良時代から行われている。壬申の乱。大友皇子と大海人(おおあま)皇子の内乱。反乱軍の大海人皇子が勝つ。この後政権交代の争いで反乱軍が勝つ事は無かった?皇室の醜い争いの歴史を語る人も少ない。今は皆様の皇室とかマスコミがヨイショするが権力争いは今でも多くの組織、会社、政治、経済界で行われている。この景色を見ているとそんな人の愚かさは微塵も感じられない。

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この山は比叡山。もうすぐ比叡降ろしが始まる。関西でスキーが出来るゲレンデがあり親父が初めてスキー靴を履いたのもここです。(スキーが出来るのかって?)勿論。と言いたい処ですが初心者です。もう滑れないかも?ゴルフも車の運転も出来なくなってもこうして歩けるだけで感謝すべきでしょう。

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琵琶湖の遊覧船「ミシガン」は有名だがこれは「一番丸」瀬田川の遊覧船です。

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近くの校舎横の紅葉です。

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琵琶湖の瀬田川流れ込み口。

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草津迄6キロ。今日の目的地迄頑張って歩いている。6キロと言えば親父の足では1時間半。この時3時半だったから5時過ぎの到着を予定していた。

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草津の駅は次の次。近い様で遠かった。それでも最後は旧東海道を歩く。色んな発見がありました。足の疲れよりも心地好い感動があった。

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テレビの紅葉中継は無いけれど日本各地の知られない紅葉ももうすぐ終わりです。

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お江戸日本橋迄477キロ。三条大橋から23キロ?親父が実際に歩いた距離は16キロ位かな?まだまだ先は遠い。それが苦痛でないのも面白い。(そりゃーそうでしょう?大分ズルしているでしょう?)これからもっとズルしないと野次さん喜多さんに申し訳ない?歩いている人は殆どいない。

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右を歩いたり左を歩いたりしているのは野次馬根性?この時は横を写していないので何に興味を示したのか分からない。それでも唯ひたすらに前を向いて歩いている。

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草津市内に入る。しかしここからが遠い。

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琵琶湖の向こうの比叡と蓬萊の山並みの夕映えです。日暮れが迫ると画像も暗くなる。

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実際に歩いて見ると行政のだらしなさが見えて来る。この道を掃除するお金を捻出出来ないのだろうか?ここはマシかもしれない。

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対照的な建物。パチンコ屋さんです。カラオケもやっています。流石です。

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健康ランド。スーパー銭湯がある。「入りたいな」と思うがまだ先がある。

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やっと旧東海道を歩く事が出来ます。辺りはすっかり暗くなったのが残念。

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稲荷神社がある。暗くなっているので由緒はわからない。

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実際はもう真っ暗です。

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街道の旧家です。これだけの庭の手入れがどれだけ大変か?知る術も無い。

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暗い中をフラッシュで綺麗に写しました。残念ながら門限を過ぎていました。

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オンエアー中。アナウンサー綺麗でしたが顔を遠慮しました。残念。FM草津。頑張って下さいね。大阪でも電波キャッチ出来るのかな?

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これも良く撮れました。フラッシュの反射が吸収されている。惜しむらくは文字が小さい。右の道標の記念碑です。ここが東海道と中山道の分岐点。今はこの先トンネルになっているがここを直進すれば中山道、右に曲がれば東海道だった。

東海道をこれから進むけれど東海道がここで右に曲がった一番の理由が分かりました。今のJRの東海道線とは大きく違うのはこれから始まる雪を避けたのでしょう。街道の往来は冬の寒い時でも必要でした。

不破の関、鈴鹿の関は難所の峠越えでしたが米原の豪雪よりマシだったに違いありません。さすがです。現在の政治家と経済人、そして私達が後世の人にどう評価されるのでしょう?頑張ってこの國の形を変えなければいけません?

鈴鹿の関は分かるけど不破の関は何処?お答えしましょう。関ヶ原です。ここの雪は有名だけれどこの地形は新幹線の車窓からよく見える。ここで石田光成が徳川軍を迎え撃った関ヶ原の戦いは豊臣方石田軍が陣形的には圧倒的に勝っていたと言われる。

それが何故負けた。陣形の一角が寝返った事。家康の策略。豊臣方の有力な武将の不満、石田光成の思い上がりを利用したのである。秀吉亡き後その事実上の後継者は光成ではなくて家康だったのである。これは歴史から学ぶ教訓でもある。

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左 中山道の文字が読み取れますか?上の道標はこの右側。右 東海道いせみちとある。

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山科駅到着です。腹も減ったし何か美味い物。そう思っている時、この看板。
「看板に偽り有り」「名物に美味い物なし」嘘でした。美味い物を引き継いで商いを続ける。今、不景気の時代と言われる。それは売れない物を造り出している経営判断の所為だと言われている事だろう?何時迄政治屋さんに無い物ねだりをするのだろう?景気を良くするには自らが変われ。そう言われていた。絶品でした。

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2012年11月28日 (水)

東海道の旅。スタートしました。大津に到着です。

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阪急四条河原町の駅を降りて京阪三条東海道五十三次出発点を目指しています。
秋がこれでもかと存在感を主張していました。今年は本当に素晴らしい秋を愛でる事が出来ました。この国は本当に美しい国です。その美しい景色とは裏腹の人の思いは何時か必ず斬罪される事でしょう。(ホンマかいな)。ではお見せしましょう。

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「行く川の流れは絶えずして元の水にあらず。流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しく留まりたる試しなし。人の世もかくの如し。」鴨 長明 

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これは本日自慢の1枚。もうすぐ師走なのに早春の風情がするのは吉兆の兆し?
(まさか)でもしみじみと見ていると心から暖かくなるから不思議です。

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これが本日の秀逸 秋もまだまだ続きます。

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目的の駅到着。親父が若い頃はここ迄、地上を京阪電鉄が走っていた。今はどうなっているのか?先週夜来た時は分からなかったが今日来て良く見ると、このビルは若い頃には無かった。当然地下に電車も潜っていなかった。今は京阪の終点はこの先出町柳となっている。もっと寂しかったのは親父思い出の天ぷら屋さんも無くなっていた。

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反対側のお店は昔の侭。何も変わっていなかった。変っていた事は山科、大津に向う路面電車も地下に潜っていた。駅の案内所で聞いても良く分からなかった。

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地下に潜ってみると案内標識が又、分かりにくい。駅員に聞いて見る。
「路面電車は無くなりましたがお尋ねの電車は御陵(みささぎ)で浜大津行きに乗り換えて下さい」と言われる。やっぱりそうかと自分を誤摩化しながら地下鉄で目的地を探す。駅のホームが又、分かりにくい。親父の探していた路面電車は今は「京阪電車京津線」で御陵の駅迄。そこ迄は京都地下鉄東西線に乗る。(やっぱり)

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御陵の駅でホームをもう一回下がって乗り換え。3駅先追分で降りる。

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このマップで良く分かるが初めての人は分かりにくい。しかし、追分の駅で降りた時自分の判断に誤りは無かった。京阪御陵と追分の駅員さんに感謝する。正直に語るとこれから先の「逢阪の関」を越えるだけでも大変だった。(嬉しい事も在ったが)
(何が言いたいか?)三条京阪から歩いていたら大津迄は無理だった。(アホか)

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これが乗って来た電車。路面電車では無い。立派な電車だった。浜大津行き。懐かしい。でも大津の駅は手前で右に回る。野次さん喜多さんはガイドブックを見れば浜大津の手前で右に曲がっている。と言う事は江戸時代の道は琵琶湖の浜迄出ていたのだろう?

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追分駅前。この駅名も言われが在るに違いない。駅員に聞いていない。
親父のうんちく。追分とは日本各地にあり街道の分岐点。昔、馬は追い分けた事からこの地名が付けられている。この場所もその一つ。東海道と伏見街道の分岐点。正確には髭茶屋追分と呼ばれ、大阪を目指す旅人は京都に入らずここから伏見を目指した。(なるほど)

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東海道(国道1号線)はこの右側を走っています。この突き当たりに歩行者専用の踏切があります。(車は渡れない)

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上が名神高速。

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もうすぐ国境(くにさかい)です。有名な逢坂の関があります。歴史を知らない人は分からないでしょう?後で看板をお見せします。結構先でした。

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日本一うなぎの看板が眼に入る。「そんなに美味いなら食うか?」期待が膨らむ。

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初めの書き出しでズルしたと思ったでしょう?しっかり歩きましたよ。(ご褒美もありました。)一人で貸し切りで鰻を食ったのは嬉しい様な哀しい様な微妙の気持ちでした。その写真ももう少し先です。
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長い登りももうすぐ終わりです。

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この句は有名な句。知らないでしょう。「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢阪の関」蝉丸

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このマップは良く分かる。「たったこれだけしか歩いていないのか?」しかし、それは昔の人と親父は違うと言う事だろう?この道程がどれだけ大変かは歩いて見ないと分からない。

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逢坂の関は京の都の防衛の東の要でもあった。これから進む不破、鈴鹿の関と共に重要だった意味が良く分かる。しかし、その警備を担当したのは下級武士だった。何時の世も社会の安定を当然の様に享受するのは上流社会。今度の選挙でその事をどれだけの人が改めるのだろうか?それは期待出来ない。

何故なら無知だから?もっと自分で考えなはれ。もっと自分で知りなはれ。もっと自分で探しなはれ。もっと自分で投票行動に参加しなはれ。(それは出来ないかも)出来たとしても阪神タイガースではアキマへん。(コラコラ)

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上マムシ。 うなぎは小粒だったが流石日本一を自認しても看板に偽り無し。丁度平日で大広間は閉館。でも親父は貸し切りの部屋でニンマリとしていました。お吸い物が付いて2400円。お手頃とは言えない贅沢でしたがこれも東海道の旅人が楽しみにしたのでしょう。流石にお客は車利用の人しかいないのかも。疲れた時にはここで鰻を食いながら見つめ合えば元気が出るかも?(手遅れです)がっくし。

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逢阪の関を越えると大津に向って一気に下る。

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大津市内に入ると一気に暗くなる。このアーチは名神高速です。左側は京阪電鉄です。もうすぐ大津市内と思いながら歩いていたが大津駅は遠い。電車に乗っていたらもっと先迄言っていたかもしれないが、それでは東海道を語る事は出来ない。

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只今の気温6℃。しかし寒くは無い。暗くなると親父でも不安が募るのが面白い。

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大津駅到着。国道に駅の案内標識が無かったのは何故だろう?オマケに国道左折の時に追い越したサラリーマンのおっさんが携帯で話をしながらくわえ煙草。むかついていたら駅でそのおっさん券売所の前で一万札を振りながら何か喚いていた。そのお陰?一本電車をやり過ごす。しかし待ち時間は短い。慌てる事は無い。大阪に戻る電車はラッシュ時で満席。それでも次の駅でちゃっかり座る。大阪は遠かった。

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大阪梅田三番街。お土産のきんつばを買う。新たな出合い。新たな挑戦。新たなスタート。祝福の色をしていた。

昨夜おかしくなっていたインターネットのアクセスが夢を見ていたら復帰していた。原因は良く分からないがモデム(インターネット回線とパソコンを繋いでいる箱)の一番上のランプ点滅が復帰している。(点灯のままが正解)何でだろう?

パソコンのクリック(親父はマウスは使わずパソコンのパネルで操作している)も昨夜の様な引っ掛かりが無い。新しくなった気がする。パソコンも親父の体調が乗り移った様に疲れていたのだろうか?今はまだ朝が明け切っていないがこれでケーブルを交換しなくて済む。心斎橋のAppleストアーに行って上ちゃんの手を煩わさないで済む。

原因だけは明確にしておかないと同じトラブルがあった時に困る。takeさん教えて下さい。これで今日は予定通り前に進める。本日の目的地は草津。大津から14キロ。昨日同様(否、それ以上に)ズルしないと目的地到着は不可能でしょう。

昔の人は凄かった(歩く事)。今は歩く人など殆どいない。(自転車の人はチラホラ居たが)だから全てを歩かなくても良い。そう考えている。四国遍路道でもそうだったが歩き方には色々ある。親父の様な歩き方が一番楽な方法かもしれない。(コラコラ)こんなズルもこの先JR東海道線と草津線から離れると出来なくなる。

四国の札所で一番苦しかった鶴林寺の山道を思い出す。先島諸島の波照間でtakeさんからパクったスリッパであの山道を自転車を押しながら良く登った物だと思っている。それでも自転車を下に置いて登っていたら楽だったに違いないが、下りはアルプスのハイジの様に「キャッホー」と言いながら一気に下る事は出来なかった。

あの時怪我をしなかったのは空海様がきっちり守ってくれたのだろう?今度の長旅もそんな気がする。(甘いか?)甘くはありません。本当に凄い事です。それだけの事前の準備?もしています。(さすが?)朝7時になりました。それではもう少し寝ます。(ゲー)

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2012年11月27日 (火)

雨上がりの御堂筋は息を飲む美しさがありました。

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雨上がりの大阪駅東口。今は何故かこういう言い方をしない。御堂筋側?大阪駅はすっかり模様が変わりましたが変わらない物はこの陸橋。そして親父のふてぶてしさかもしれない。しかし、変らなければ行けない事はどんなに多くても自尊心だけは忘れてはならない。

そんな物が何の役にも立たないと言われ続けて、今もそんな人達がのさばっているが何時迄もそんな時代は続かない。先行きが見えない時、その変革を選挙以外に無いと公言する感覚も理解出来ない。選挙で勝つとか負けるとか言った処で貧しい人の生活は何も変わら無い。

この国の一部の豊かな人。本当は豊かではないのだが自分達は底辺の人間では無いと過信している人の思い上がりに過ぎないだけだろう?この國の形は長い間変わら無いと言うのは間違いです。今、音を立ててこれ迄の生活が変わっています。その事に気づかないとその貧しさに耐えられないだろう?

紅白歌合戦。メンバーが決まりました。ここ数年。もっと前からこのバカ番組は見ていません。これがこの国の現状と思えば良いのでしょう。しみじみと年の瀬を過ごす。それはクラッシック音楽を聴きながら今年の生き方を振り返る事でしょう。

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懐かしい看板が残っている。今はこのビルの中で「シネコン」として生き残りを計っているが、親父達が若い頃はここで封切り映画が公開されていた。一度も見た事は無いが今の映画離れは時代の流れと言い切るのは寂しくは無いだろうか?

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大阪の繁華街を知らない人にはこの景色は「何の事」と言われそうですが、この殺風景な景色も夜の帳(とばり)と共にネオンが赤白黄色青色に輝く。どんなに澄ました顔をしていても人の欲望は計り知れない。綺麗事だけでは推し計れない人の哀れさが今夜も渦巻くのだろうか?そんな若い時が懐かしく思える。

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そうです。今日から始まる東海道53次は雨で出足を挫かれて御堂筋のあるき旅に変りました。しかし今回も思いがけない感動の景色が待っていました。大阪御堂筋のライトアップは先日終わりましたが、意外な風景もありました。それは街が綺麗になっていた事でした。その原因?昨日の大阪マラソン?何とセコイ事でしょう?

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水圧でこの大きな石が回転している。難点では無く回転。上手い。親父の肩の痛さもこれだけの滑らかさが求められている?(まだ痛いのか?)近くの整形外科の目立てで打ったヒアルロン酸の注射も痛みが鈍くなっただけです。もうしません。後は自分で直すだけです?どうして?体質改善です。(阿呆か)アホです。難点石にお参りしていました。

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いくら愛しい仲になったとしても適わぬ恋もある事位知りなはれ。人が思いの侭になる事は本当に限られている。その事をこのカップルが教えて呉れている。その事を口にしただけでここでは袋たたきに合うに違いない。それ程に関西人の屈折した思いは大きい。親父はここに立つと何故か六甲おろしが聞こえて来る。阪神タイガースは来年も間違い無く優勝でしょう。(笑い)

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御堂筋梅田新道の銀杏の紅葉が満開。先週の火曜日ここから京都三条目指して出立でした。本当なら今日、東海道53次に出立でした。それが出足を挫かれて(くじかれて)何の因果かスタート地点の銀杏を見上げていました。しかし神様はそんな親父を慰めてくれました。流石でした。

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大江橋到着です。この花壇。こんなに綺麗だったのかな?

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水の都大阪?雨上がりで水量は多かった。この上流に毛馬の水門があるからそれは関係ないかもしれない。この川の流れは水門が出来てから大阪湾の潮の干満で左右されている?

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日銀大阪支店。以前紹介した時とは趣が違う。しかしそれも親父のカメラの変化だけ。この支店の大阪経済に与える圧力は殆ど感じられない。初めからそんな事は政治家も経済界も期待はしていないのかもしれない。それではこの建物の重々しさは一体何だろう?今度の選挙で更なる金融緩和を自民党は口にしているが、日銀だけの問題ではない事を思い知らされなければ分からないのだろうか?

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それではお待たせしました。雨上がりの御堂筋。銀杏の満開です。雨に打たれて地面に落ちても美しい。解説無しで一気にお見せします。

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全体的に写真が暗いのは通りの照明が先日迄のイルミネーションが無くなって居るかもしれない。暗くならなければもう少し色は明るい。しかし幻想的でロマンチックでしたよ?親父は淡々としていたけれど。本当です。この後は少し歩いて飯を食いに行き、いつもの店でコーヒーを飲み本屋に寄り、東海道53次の完全走破ガイドブックを買いました。これで鬼に金棒?そうは行きまへん。これからです。

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何時の日にこの酒が飲めるかな?

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地図は見にくいが親父の再生の道。忘れられない「鯖街道」です。一度朽ち果てた場所。あの時の事を考えると何でも出来る。人の素晴らしさは恵まれている時には分からない。本当に追いつめられなければ分からない。追いつめられても分からないのかもしれない。

人の生と死は紙一重です。再び与えられたチャンスは大事にしなければならない。その意味でもこの地図は親父の宝かもしれない。「京は遠ても十八里」なんと重みのある言葉でしょう。72キロを男女、夫婦が力を合わせて一昼夜で京都ー小浜間を鯖を担いで走破していました。

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明日(今日)は雨上がりで天気は良くなりますが寒くなりそうです。何か路面電車が三条京阪から大津迄は走っているので初日からズルしそうでヤバい。大津ー三条大橋間は11、7キロ。その先の草津ー大津間が14、3キロ。と言う事は大津迄は路面電車で行きその先を少しでも歩くか?そんなズルイ考えが芽生えてきました。でもグッドアイディアかも。(あの路面電車も永年の夢だったし)オイオイ。

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2012年11月26日 (月)

午前中の雨は上がる 今日から長い道程が待っている。

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それでも今日は歩くのを止める。雨上がりの道は歩きたく無い。昨年の夏、四国徳島の遍路道をママチャリと共に巡った時は、雨が降れば合羽(かっぱ)を着ていたが今は大事なカメラを抱いているので、雨が降るとその対応が取れない。

そのうち雨が降ろうと小雪が舞おうと体がずぶ濡れになっても、平気な顔をして歩き始めるに違いないがその時でも、大事にビニールでカメラが濡れない様にしているに違いない。

大切な物。大切な人。大切な生き方。多くの事を見失っていたが、皮肉な事にこれからその一端を手にした処でどんな喜びを感じるのだろう。それは無い気がする。それでも立ち上がり何を求めて歩き始めるのだろう?親父達の反撃?そうではないだろう?

それでも果敢に(そんな気持ちはサラサラないが)歩き出したのは何故だろうか?親父の心を揺さぶった要因は少なく無いが一番の原因はその何とも言えない快感?達成感?満足感?そう自己満足に違いない。

それでも大阪から和歌山、奈良、そして京都迄歩いた人は数少ないに違いない。更に四国遍路道を愛媛明石寺(43番札所)迄巡り山辺の道を1週間掛かりで歩いたアホはいないに違いない。

でもその中で体験した事は現役時代の余裕の無い生活とは大違いの世界。自分の価値観が全否定された気がしていた。自分だけでは無い現在の多くの一方通行の情報が否定された時、これ程に心地好い気分に浸れる事を知らなかった。

今、多くの人が多くの言葉を語りますが多くは虚像で実像ではない。公正とか正義とか社会的責任とかひどい時には「皆様の為」「人々の為」「アンタの為」等平然と使われる言葉も良く考えて見るとそのまやかしが良く分かります。

本当の姿は自分の眼や頭に写る虚像では無く実像(本心、本願、本当、本物、本気)を曝け出せる人は本当に少ない。いくら自分を正当化させた所でそんな物は誤摩化しに過ぎなかった事をこの歳で痛感する。今更手遅れと思いながらそんな自分を知る事は全く意味のない事では無いのかもしれない。

写真は昨夜の親父のスタミナ汁。蛤(蛤)とは名ばかりで実の大きさはしじみ(台湾産)もう2度と買わない。カボチャ、タマネギ、芋。九州の麦味噌。(入れ過ぎて塩っぱい)これで疲労回復とは行かなかった。(そりゃそうさ)もっと肉を食え。

今日はこれから梅田に出てブラブラして来ます。(コースは決まっています)。お分かりでしょう?分からない?では本物の親父を理解していないかも。今夜の報告お楽しみあれ。(そんな物は誰も期待していないてか?)それは無いと思います。

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明日は雨。今日は最高の天気でした。

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駅前の風景。今日は抜ける様な晴天です。朝は今年一番の寒さでしたが日中は暖かい一日でした。明日は天気予報は雨。明日から始まる東海道五十三次は合羽(かっぱ)を持ってお出かけ?明日は大津迄歩けるかな?天気次第?イイエ気分次第です。

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これで紅葉も見納め?桜の葉っぱが落ちると一気に師走の時が始まる。今年の師走は選挙があり慌ただしさが加速するだろうが、体に気を着けて親父は黙々と東海道を東に進みます。鈴鹿の峠を越えられるかな?それとも中山道を進んで関ヶ原を越えるのかな?まだそれは決めていない。東海道は草津の先で大きく右の曲がり鈴鹿の峠に向う。途中迄は草津線が並行して走っているのでそこ迄は日帰りとなる。

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柊(ひいらぎ)南天。見栄えとは裏腹に葉先のトゲは鋭い。しかしこの観賞用植物は静岡掛川の玄関に植えていた。最後は羊歯(しだ)の繁殖力に負けたが一般的には魔除けの力があると言われている。しかし所詮それは人間の思惑。

親父にはそのふてぶてさがなかったのだろう?だからこの植物は愛おしいのかもしれない。名前が中々出て来なかったのは「忘れて下さい」と言われていたのかもしれない。(そうは行かないよ)

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散歩の帰りに宝塚のターミナルに立ち寄る。

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この道は宝塚歌劇ホールに向う道。この時間夕方なので観客は少ないがもう少しすると仕事帰りの人で多くなる。親父が大阪に来て初めて同期と来た遊園地。あの時もこの道を歩いたに違いないが、その記憶は何も無い。あれから多くの歳を重ね経験も積んだが今はその蓄積も何の役にも立っていない。後は老い朽ちるだけだろう?

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武庫川の堰。昔はここに貸しボート乗り場があったが今はその跡形もない。この近くの遊園地が無くなった時、それも必然の結果だったに違いない。

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この地は風光明媚の土地として関西人の憧れの的になって久しい。その感覚が今は無くなっている。その反対に大阪梅田と兵庫県西宮、神戸ですらも通勤圏内となりベッドタウンにもなった。それでも仕事場の環境が厳しくなるとそんな余裕もなくなる。

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ベルサイユのバラ?宝塚歌劇のファンがお目当ての人に歓声を上げる所?
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駅に戻って来ました。ぶらり歩きも終わりです。クリスマスイブも後1月を切りました。今年も残り少なくなりましたが一足早いメリークリスマスです。そんなクリスマスを過ごしましょう。親父がどうでしょう?(無理だな)

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2012年11月24日 (土)

今日は休足日。しかし散歩だけはして来ましたよ。

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近くのお家の庭。主を失って何回目の秋だろう?心持ち哀しい気持ちが感じられる。

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以前この家の番犬から吠えられた事がある。いきなり道上の庭からだったので親父の逆襲?を受ける。「馬鹿犬」人を見て吠えろ。親父のデカイ声に家の奥さんが「止めなさい。怒られているでしょう?」顔を見せなかったが愛犬を叱っていた。

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正面の山が下った所が宝塚。日暮れの前に近くの山裾を歩かなければならない。そう急き立てられていた。この景色に見切りをつけた時先日見た紅葉に勝るとも劣らない秋が待ち構えていた。今週見た銀閣寺、室生寺の景色とは違う輝きがあった。

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季節外れのバラ迄もが言葉を投げ掛けていた。「在りの侭に生きる」今生きている環境を嘆かず全てを受け入れる。何も語らなくても受け止めてくれる人。そんな時代もあったかもしれない。無かったかもしれない。それでも明日を信じて前に進む。さり気なく語り掛けて来る言葉の意味にたじろいでいた。(まだ修行が足りない)

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この街に住んで干支が一回りしたけれど初めて見せてくれた深紅の紅葉。親父は夢中にその景色を切り取っていた。今年の若葉の頃、額に汗しながら約束したこの燃え上がる紅葉。若葉の緑の時を知っているから感じる事の出来る輝きの時。これ迄も多くの仕込みの時はあったがそれが実らなかったのは何だったのか?その事を教えて呉れていた。

「春夏秋冬」親父の大好きな言葉。唯、単純に喜びを爆発させるのも良いけれど現実はそんなに甘く無い。それが理解出来ればこれから始まる寒さも又、愛おしいに違いない。「心に迷い起こらば困窮したる時を思い起こすべし」これは家康遺訓だがそれだけではない事をこの紅葉(モミジ)は教えていた。

これから葉先の色が薄くなり枯葉となり風に舞う。又来年です。来年の輝きが保証されるのは君達の特権です。親父達にはその保証はない。そう考えると謙虚になれるかも?(無理だな)

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椿ではありません。バラです。百万本のバラ?そんな贅沢な事は言いません。

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造花では無い。立派な若いモミジです。親父にもこんな時はあったのだろうか?

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ここも主を失った廃家。寂しさとは裏腹に蔦の葉っぱが秋の深まりを告げている。

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ここも主を失った家。親父の散歩コースももうすぐゴールです。最近はカメラ片手に息切れもしないで歩いている。歩く度に感じる事は少なく無い。

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今夜のスタミナ食?唐揚げと豆腐と野菜炒め。唐揚げは冷凍食品。味は悪く無い。美味いか?美味いと言いたい処だが今イチ。それでもお替わりをしました。昨日迄の歩きで意外に感じたのは足腰に力が残っている事。その反対に肩、首のコリは半端ではない。何でこんなに肩が凝るのだと思うと可笑しくなる。カメラバッグの所為?

そんなアホなと思いながら良く考えて見ると、肩にかけていたバックの重みは体にダメージを与えていた。今日と明日、体にこれでもかと栄養(カロリー)を与えながら回復に期待しなければならない?

昨年の秋の始まりの時、切ない思いで四国遍路道をママチャリで山道を喘ぎながら登っていた事を思い出す。あの先に待っていた物。それは一体何だったのだろう?そろそろ答えを手にしなければいけない。何時迄も輝きを失った生き方をしてはならない?


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見慣れた風景のつもりだったが実際は初めての対面だった。

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東寺の五重塔は新幹線からでも見える。親父は新幹線で東京に向かう時、そして大阪に帰って来る時、進行方向に向かって行きは左側、帰りは右側に座る。そうすると東寺は見えない。何故なら京都駅の南西を見ていないと見落としてしまう。

この位置は京都駅の八条口(南口)を出て大阪方向に戻った所。一番上の鉄路が新幹線。その下が近鉄電車。東海道本線はこの左の建物の更に左。ここからの風景は初めて見る。電車の車窓から何度か見た景色とはすっかり変わっていた。

今日と明日は休足日。何でだろう?首に付け根と肩が凝る。良く考えて見るとカメラの大きめのバックにカメラとレンズ。本を入れて歩いたのが長かったのだろう。来週はリックサックで歩きます。お腹は凹んで来たがそれ以上に食っている。痩せる理由は何も無い?強いてあげるとしたらあれだな?あれって何よ。それは内緒です。

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三条京阪到着です。最後の感動の夜景が待っていました。

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デカイ京都駅。何の為にこれだけ大きいのか分からない。建築家任せのゆったりした空間。でもこの下には多くの観光客で溢れ帰っていた。親父が若い頃楽しみにしていたお茶漬けのお店は何度探しても見つからない。観光案内所で聞いて見れば分かるかもしれない。今度聞いてみますか?それともパソコンで検索しますか?美味いお茶づけを食いたいなら自分でうまい漬け物を漬けるしか無いのかもしれない。

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近鉄京都駅から昨日乗り込んだ駅に引き返す。大阪天満橋から京都京阪三条迄6日掛かりで歩く事が出来たのはこの電車のお陰でした。1日7〜8キロ足らずしか歩かなかったので6日も掛かったが先人はこの道を2日掛かりで歩いている。

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ここから三条大橋迄7〜8キロ。ここ迄来ると多くの思いが胸に迫る。28の時京都駅で見送った人を51の時黄泉の国に見送る事を如何して予測出来ただろう?万感が胸の閊(つか)えを掻き乱しても平然としていた。今更何を考えて見た所で引き返す事は出来ない。引き返しは思いを紡ぐ事では無いと思い知る。

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阪神高速京都線。そんな路線を親父は知らない。

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来週歩く?山科の方向。?マークが付いたのはここ迄で結構疲れたから?(アホ)

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伏見稲荷大社。伏見区の稲荷大社との関係が良く分からなかった。

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京都駅八条口。西南方向。ここから見る京都駅。新たな発見でした。

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京都駅を出た電車。これからこの陸橋の下を潜る。でもその前にこんな窯がありました。

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何処だか分かりましたか?分かった人は偉い人です。分からない人は普通の人です。
心配要りません。後で内緒で教えます。勿体ぶるな?この罰当たり。叱られるよ。

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西本願寺です。この東に東本願寺があります。西と東の本願寺は宗派が違う。詳しくはパソコンで検索して下さい。静岡掛川の大和尚は「宗派は違っても元を同じ」と言われていたが同じ本願寺でも西と東でどう違うのだろう?

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西本願寺でウロウロしている間に夕暮れが迫る。この後一気に暗くなる。

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西本願寺 聞法(もんぽう)の小道 この道で仏法の何を聞くと言うのだろう?
<この歩道は私達が綺麗にしています> この言葉が空しく聞こえてならなかった。
仏法を聞く?この国のどれだけの人が胸襟を開いて仏の心を理解しょうとしているのだろう?それが分からない。どうでも良い事では無い。これからその事が問われる。

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いよいよゴールが近くなったと思っていた。しかしここから遠かった。5条通りを直進する。鴨川を渡れば三条大橋は近い。

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ゴールが見えて来た。嬉しくなってアップでもう一枚。しかし最後が遠い。その思いが最後に爆発する。大阪天満橋から50キロ弱の道は再び歩く事は出来ないだろう。その事を忘れさせる祝福の景色が輝いていました。口先だけで何かが変わると思うな。そう言われていた。その錦絵は最後にお見せします。しかしその前に五条大橋迄の夜景です。
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河原町5条。この先に5条大橋がある。その橋を渡ると川端通りを北上。いよいよフィナーレです。この気持ちは歩かないと分からない。最大のロスは最大のプラスになるのだろうか?なる筈が無い。徒労をしたと思えば間違い無い。でもこのあるき旅は親父に大きな変革を与えるに違いない?

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五条大橋を渡ると鴨川沿いに川端通りを北上。さあ感動の道でした。

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ゴール前。四条通りを越える。もう目の前にゴールが見えていた。

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これが本日の秀逸。紅葉の葉っぱは誰よりも綺麗でした?桜の幹の重なっている。その横の樹に蔦の葉っぱが絡まっている。これからの人生もこうありたい。願えば適うのだろうか?それはアナタ次第と笑われていた。御もっとも。

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ゴールインです。フラッシュも看板にしか当っていない。

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大阪中之島線渡辺橋改札。何度もお世話になりました。この改札を通る事もしばらくはないだろう。本当にお世話になりました。

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水の都大阪。でも水の有り難さをどれだけの人が理解しているのだろう?大阪の水瓶は琵琶湖である事を知らない人も少なく無い。その琵琶湖の水がどれだけ大事にされているかを大阪人は知らない。その事は大阪だけの問題では無い。自分の体の大部分が水であり水分を補給出来なくなると生きていられない事すら知らない人が少なく無い。

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東海道大阪梅田新道から京都京阪三条へのあるき旅。無事ゴールインです。来週からいよいよ三条大橋から東京日本橋の旅。四国遍路道も未だ半分残っているし体調を整えて挑戦です。来週が終わると師走ですが親父の旅はこれからがスタートかもしれません。歩く快感が感じられると前途は洋々かも?どうでしょうか?

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2012年11月23日 (金)

為せば成る。成らぬは人の為さぬ成りけり。オフクロから教えられた言葉を思い出していた。

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競馬場前。競馬をする人ならお分かりだと思うが京都競馬場前。駅が高架になって本当に立派になっていました。その反対に駅前が未整備で惨憺たる有様でした。如何してこんな無様な駅前になってしまったのだろう?これからですと言われていた?

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これが駅前です。誰がこんな駅前整備を求めたのだろう?ひど過ぎる。

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完成予想図があるが何時迄に行われるのか何も書かれていない。お問い合わせ先?誰が問い合わせるのだろう?そうではないでしょう?工事費は京都市は出していないと言いたいのだろうか?立派な駅が出来ても地元の商店街は無視されていた。

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懐かしい商店街。独身の頃入った喫茶店は店を絶たんでいた。一人で聞いたヒットソングは名前を思い出せない。会社のクレーム処理で来た時大勢の面子と飯を食った食堂も何処だったか記憶に無かった。

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さあ行きましょう。今日の目標は決めていないが限りなく前進(北上)。明日京阪三条に辿りつかねかればならない。大阪天満橋から道は遠かった。

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ここから競馬場の広い駐車場が広がっている。これだけの広い用地を国が提供する意味は何だろう?競馬は公営ギャンブルと言われて久しいが管轄は農水省。中央競馬会は農水省高級官僚の天下り先。その実態は建前とは大きく違う。競馬は女、子供が楽しむ所ではない。競馬はお金で博打をする所。その認識を大きく変えたのは一体誰なのだろう?中央競馬会の職員の給与は誰が払っていると思っているのだろう?

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まだまだこの中は競馬場の駐車場。利用されるのは週末だけ。何でこんな広い土地をこんな使い方しか出来ないのか?多くの人は知らないだけです?甲子園球場には駐車場はありません。(そのお陰で周辺の駐車場は困っていますが)京都競馬場はこれだけの駐車場が確保されています。何とオバカのことでしょう。

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駐車料金タイムサービスは10時迄。500円/と思いきや小さい文字で割引の文字がある。そこ迄むしり取りますか?この高架は前を通っている道路のアクセス道路です。ハイ。競馬場の悪口はここ迄。これは親父の個人的な意見です。そして実態です。

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左上の建物はクリーンセンター。(ゴミ焼却場)

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段々疲れて来る。まだいくらも歩いていない。それでも明るい間は元気があった。少し暗くなると空きし意気地が無くなって来る。出かける前に買った地図は「県別マップル25滋賀県版」2500円は高かったが役に立つ。

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13号線をひたすら北上しています。この道は途中で国道1号線と合流するが、この道が昔の大坂街道と言われていた。今はこの先で国道1号線と県道35号線に別れる。その交差点が大手筋。そこ迄進むとやっと4キロ弱歩いた事になる。この時は未だ明るい。

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コンビニでトイレを借用。おにぎり2個食いながら歩いている。

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大津の看板が出る。この道の突き当たりに東寺がありそこから京都市内の南部(京都駅の南)を右に進むとすぐ再び左折。北上する。堀川五条で右折。京阪5条で鴨川に沿って北上するとゴールの三条大橋は近い。明日は間違い無く到着です。

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夕日が輝くと日の入りは早い。「秋の日はつるべ落としの如し」と言われていた事がここで実感する。美しい日の入りは一時です。

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道端のキャベツ?違うな?和歌山に行く途中の泉州の畑でも見た。刈り取りは無いのかな?

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綺麗なお店。足を停めたいけれど一休みすると歩けなくなる?

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ここから右に行けば京阪の駅があるがもう少し頑張る。そうでないと明日が又長くなる。

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陸橋の上からこの先を見ている。結局この視界の先迄歩く。鴨川を越える。正面に微かに見える橋が名神だろう?

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腹がへったか?レストランの前で足を停める。「食いたいか?」食いたくは無いけれで正月に帰省した宮崎延岡のステーキハウスを思い出す。家族で楽しい団欒の時を過ごす事は無くなったけれど、独身の頃に戻ったと思えば良いのかもしれない?

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段々寒くなっている。暗くなって寒くなっている。何の因果で歩いているのか考えると可笑しくなる。「アホや」そう思いながら明日到着する三条大橋の先の道を考えていた。東海道53次は鈴鹿峠を越えるが関ヶ原を東海道は何で通らなかったのか考えていた。どっちにする。それは未だ決めていない。来週はいよいよ53次スタートです。

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城南宮。暗くなって中は窺い知る事は出来ない。興味があればウィキペディアで検索して下さい。ここから竹田の駅は遠く無かったがまだまだ頑張って歩く。

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良く見えないがこの高架歩道が出来たのは新しい。

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暗くなった鴨川を渡る。良く歩きました。ここ迄来るとゴールの目処は着く。この先で最寄りの駅を探す。近鉄上鳥羽口駅。暗くなっていたので近くで信号待ちをしていたサラリーマンのオジさんに声を掛ける。「駅はどちらですか?」何処の駅と聞き返される。「最寄りの駅です」名言。親父さんも電車に乗る処だった。一緒に歩く。

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最後に銀杏の紅葉が本日の歩きを労ってくれた。お疲れさん。色んな景色が見れました。

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フラッシュの光源が分散しているが実際はもっと綺麗でした?

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近鉄京都駅。特別ご開帳。吉野山金峰山寺(きんぷせんじ)。来月九日迄なら行けるかも? ここから伊勢志摩鳥羽行きの特急も出ています。親父の爺ちゃん、婆ちゃんをここから連れて行ったのは大阪万博の年。親父が24の歳でした?

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このホームで結婚前のオカンを見送ったのは28の秋。京阪電車に乗り換えの駅を何度も言っていた事を思い出す。40年前の話。あの頃の優しさを思い出すと胸が痛む。(嘘をつけ)嘘を付いていました。「過ぎたるは及ばざるが如し」何故か淡々としていた。

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2012年11月22日 (木)

大阪は肌寒い天気。季節が一段と進んで週末は更に寒くなる。

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昨日降りた京阪八幡駅前のお店。昭和の面影を感じていた。今は平成24年。昭和の時が過ぎ去って四分の一世紀が過ぎるが、親父が大好きな阪急改札口からエスカレーターで降りた所のお店の雰囲気とは全く違う趣がある。但し人影は少ない。

これが全国何処の地方の駅前でも見られる風景。東京、名古屋、大阪、福岡、札幌、仙台、都市の駅前の景色はこの国の経済発展の象徴でもあるが、それが光だとすれば影は地方にある事を誰がどのように伝えているのだろうか?

明日中には京阪三条に着く。この駅の裏側で天ぷらの値段を天丼程度と勘違いして有り金を叩いても足らずに「残りは後日持参します」と頭を下げたのは今から40数年前の話。あの時の女将さんも今は生きていないに違いないが、これからその面影を探る旅が始まる。

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淀川(宇治川)3川(木津川、宇治川、桂川)合流地点につづく道。堤防には桜並木が続き知る人ぞ知る(多くの人は知らない)桜の名所。この道は1キロ先迄続く。残念な事にその先の雄大な川の流れはこの道が先端部分迄は行って居ない?ので見る事は出来ない?(足を延ばしていないので分からない)来年の桜の季節に来れるかな?

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昨日歩いた夕暮れの道。この先で半袖でリックを背負った若者が軽い足取りで親父を追い越して行った。あれだけの元気があればお江戸日本橋も遠くでは無いに違いない。しかしとぼとぼ歩きながら辺りを眺めながら独り言をつぶやくのも味があるのかもしれない。これからスタートです。今日は700円の地図を買って歩きます。

 

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2012年11月21日 (水)

岩清水八幡宮から淀迄。本当はもう少し前進したかった?

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今日は大阪天満橋を出て5日目。いくら何でもこんなペースで歩いていたら来年の何時頃お江戸日本橋に到着するの?その答えは簡単です。でもその返事をする前に今日は京阪八幡駅の近所の男山岩清水八幡宮の寄り道しました。その場所は左上です。

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男山の竹林。孟宗竹(もうそうちく)この竹のヒゴ(細かく割いたもの)をエジソンが電球のフィラメントに使ったと言われている。

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参道のモミジはまだ色着いていなかったが登り詰めると綺麗な紅葉と立派な八幡宮が広がっていた。

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望遠で撮った比叡山。

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遠くに京都の市街地が見える。

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桜の生命力。本日自慢の一枚。

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八幡駅前のロータリーの花壇。

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美しい花の下で高校生が煙草を吸っていた。張り倒してやりたい思いを飲み込んで通り過ぎる。タバコの害を知るのは自分の命を断った時だろう。高校生はタバコを手にする。この街は何を宣言しているのだろう?

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八幡の駅に着いたのは2時過ぎ。八幡宮に寄り道をしたので遅くなる。でも気になっていた参拝が出来て肩の荷が下りる。三川合流の地が見れなかったのは残念。天王山から見下ろせばよく見えるに違いない。またの機会か?それとも天上界から見下ろすか?

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三川。一番手前の木津川に掛かる御幸橋を渡る。この橋は架け替えられて立派になっていた。この石柱は前の橋の横にあった物。昭和二年建立の文字が読めるかな?

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懐かしい山。天王山。真ん中の桜の紅葉が背割堤として公園になっている。背割りとは淀川(宇治川と桂川がこの先端で木津川の三川が合流する所です)

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ここが三川合流部。一番先が桂川。真ん中が宇治川。そして手前の川が木津川。今は上流にダムが無いのは桂川だけだが明治の始まりの時迄は息を呑む大河の流れだったに違いない。

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男山の先端が淀川に迫っている。今は京阪電車が走っている所が昔の京都と大阪の街道。今は立派な橋でこの川を渡っているがホンの100年前迄は渡し船でこの急流を渡っている。(今は流れが大した事無い?それはダムの所為です。この川の広さからこの川の凄さが理解出来る。)この川は三十石舟は行き来していない。

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ここ川が京都伏見に繋がる宇治川。河川の表示は淀川になっているがそれは河川法で淀川の源は琵琶湖になっているから。狭い意味で淀川とは三川合流以南を言う。ホンマかいな?ほんまです。この川に悠然と行き来した三十石舟が眼を瞑ると見えて来る。(ここで中断します)足が疲れているのでサウナに行って来ます。

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宇治川の表示は無い。淀川は琵琶湖から流れ出て瀬田川、宇治川、淀川と名前を変える。

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堤防の中に農地が出来ている。この地で耕作が始まったのは何時の事だろう?

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東寺。京都市九条にある。この境内にある五重塔を見ると京都市内到着と思うが、そこ迄車で20分。と言う事は17キロ。アチャー。まだここから2日掛かると言う事か?そうは行かない。ここから3キロは歩くので明日で到着しないと。(無理だな)

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ぶつぶつ言いながら歩いていると、工場の2階の外階段で休んでいる従業員の仲間に笑われる。イヤホーンでジャズを聴きながら歩いているので、携帯で話をしている素振りで通り過ぎる。この先はまだまだ遠い。

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今年の春はこの上の堤防の上を歩く。この堤防には立派な歩道がある。ところが堤防に上がれる道が無い?道が無い事は無いと思うでしょう?案内板は無いし分からない。ホンマ何処を歩けとぶつぶつ言いながら道端の大根を見ていた。

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何を造っている会社だろう?パソコンで調べてみた。包装機材の制作?

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暗くなって不気味。カメラも嫌がっていた。明日明るい時にもう一度見ます。

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京阪淀駅前の交差点。訳の分からない名前。ここから新婚の時山崎のアパート迄歩いて帰ったので良く覚えている。(何で歩いたかて?)天王山が見えて近いと思ったから?今歩いている道と同じ。明日はもっと気合いを入れて歩かないとゴールは遠い。

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駅は高架になって綺麗になっていたが駅前の建物と再開発は何も出来ていない。

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明日はここから何処迄行けるだろう?明日三条大橋到着は無理だろう?と言う事は後2日。1週間掛かりました。1日7キロ前後の歩きではこれで精一杯に違いない。しかし昔の人も船に乗らなければ3日は掛かったに違いない。大阪と京都の間はそれ程に遠い。京都ー東京。三条大橋から日本橋迄の53次は500キロ弱。一日16キロ(4里)歩いて31日。3泊4日の旅を重ねて8回で行ける計算は出来る。

 

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思い出の景色の中に時の流れがありました。あの若き日の想いは何も変わっていない?

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東海道あるき旅。大阪梅田から少しずつ歩いてここ迄来ました。牧野の駅は今年の早春、淀川を歩いた時もこの駅から引き返しているので勝手知ったる駅。枚方の宿から電車で2駅目。前回もここから歩いて八幡の駅迄歩く。

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先週末暗闇の中を歩いた堤防。この川は淀川に流れ込む支流。橋は牧野橋。

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京街道13号線を北に歩いている。ここは保育園。少子化対策が求められているが遅々として進まないのは何故だか分かっている人は少ない。少子化対策を進めているお役所仕事がどれだけ利害関係者に振り回されているかが理解されていない。

次の選挙で政権が自民党と公明党に変っても問題は何も変わらない。その事を誰が教えてくれるのだろう?石原?橋下?違います。天の声を聞きなはれ。そんなアホな事を考えていた。お間抜けなマスコミの報道を鵜呑みにしないでこの国の間抜けさは歩いて見ないと分からない。

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大阪天満橋と京都出町柳(三条大橋の北)を結んでいる京阪電車。以前(親父が若い頃)は急なカーブが多くスピードが出さない鉄路として馬鹿にされたが、今は高架部分も多くなり淀川の西岸を走る阪急京都線より揺れが少ない。路線の整備が進んでいる。

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ここ迄は歩道がきちんと整備されているがこの先唖然とする光景を目の当たりにする。この道路は何処が管理しているのだろう?お役人が如何にいい加減な仕事をしているか御覧在れ。奈良の山間の道でもこんな所があったけれど交通量が違う。

道路管理者の言葉を代弁すれば「こんな道を歩かないで下さい」と言われるのだろう。しかしそんな道路行政を誰が求めているのだろう?歩行者の安全確保が出来ない道路行政。そんな道はここだけでない事を知りながら知らされていない。マスコミもそんな報道はしない。事故が起きた時どんな顔をして報道しているか?考えても見たまえ。

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今年の春はこのゴルフ場の中を歩いたからこの堤防の上の道は知らない。ここは河川敷。何でこの下に安心して歩ける道を造らないのだろう?(その必要がない)?本当にこの国は豊かな国でしょうか?どなたかが言っていますよね?そう思います?

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こんな危ない道を歩かないで右を歩きなさい?右はもっと危ない。この草の部分がない?(アチャー)堤防の下。見て下さい。何でここに歩道を造れないのだろう?

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ここ迄来ると右側に安全な歩道があるがこれもこの先迄。樟葉(くずは)の駅の先で見事に歩道は無くなる。この道を日常的に道路管理がされていない事が良く分かる。電車は特急。しかし空いているのは昼間だけ。朝夕は始発近くでないと座れない。この左に淀川が流れているがその西側を走る阪急電車はもっとひどい混雑です。

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振り返ると淀川に雲の間から光が差し込んでいる。「なげくな」「ぼやくな」と言われていた。

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懐かしいショッピイングセンターが見える。樟葉(くずは)モール。多くは語りたく無い。

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樟葉の駅が見える。ここは春歩いた時この駅で降りた。と言う事はこの区間は初めて歩いた事になる。それで理解が出来る。ところがこの先はもっとひどかった。何たる事。歩行者は外の道を歩いて下さいと言われていた。(そんな標識は勿論ない)

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線路際に懐かしい草が見える。幼い頃親父の担当だったニワトリのえさ。ポンポン草。茎が伸びて葉っぱに柔らかさがないのでこれでは包丁で刻んで米ぬかと水で混ぜても餌にはならない。幼い頃の想いがフラッシュバックしていた。

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正面に懐かしい天王山が見える。親父が新婚の時住んだ大山崎町が山裾に広がっている。その山が平野に落ちる所が天下分け目の戦いが行われた。天下分け目の戦いと言われると関ヶ原の戦いと言われるが、この山裾で行われた明智光秀と豊臣秀吉の戦いを知る人は少ない。だからどうしたのと言われても答えに困るがここが歴史を変えたとも言われている。この駅の北口が開ける事はしばらく先の事かもしれない。

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?何かおかしい。歩道が又草で被われている。歩行者は何処に行けと言っているのだろう?責任者は出て来い。親父の怒りがこの先炸裂する。

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この錆びたガードレールは朽ち果てる迄捨て置かれるのか?この分かりにくい道路のペイントはドライバーに道がカーブしている事を伝えているのだろうか?それではこの歩道の草は一体何を現わしているのか?放置されているだけ。この道路管理の間抜けさを問われる事は無い?信じられない現実です。信じられない現実はまだまだ続きます。

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淀川の西側。懐かしい風景が見えて来る?親父の故郷大阪工場が島本町にある?島本町?ウィキペディアで検索出来る。産業の紹介でサントリー山崎工場の紹介の後に親父が現役の時働いた会社名が出て来る。

今その会社に行っても親父の顔パスは通用しない。世代が変わっている。10年一昔と言われるがその歳月が3回も過ぎ去れば当然の事だろう。その事をこの先で思い知る。会社の前に大きな建物が建ち看板が見えなくなっている。

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道路の反対側に渡り河川敷を見ている。これからこの道を前に進む。無鉄砲。後方車の流れが途絶えた時しか前には進めない。

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ガードレールはあった。しかし草は何故か刈られていない。これは明らかに道路管理の怠慢です。(草刈りの予算が無いそんな言い訳を道路管理者は言うのだろうか?)

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堤防の路肩が崩れている。この現実をどう見るのだろう?この程度の管理で良しと思っているのだろう?この道を後ろの車の切れ目を見ながら前進する。アホ。

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これだけの河川敷が広がっていれば堤防の管理はこの程度で充分てか?しかし車が走りこの道が大阪京都の重要な幹線道路にもなっている事を多くの人は知らない。堤防を大事にしないと路肩は崩れる。今年の春宇治川を遡った時にも感じたいい加減な堤防と河川の管理。それが幹線道路にも広がっている。その実態がこれです。

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良く管理されている?この先のゴルフ場はね?しかしここはゴルフ場ではない事をそのうち思い知らされるに違いない。

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この先にこの景色とは対照的な堤防が広がる。そこは春歩いた時には堤防の補強工事中だった。と言う事はこの景色も次歩く時は変っているかもしれない。しかしその時はもう期待出来ないかもしれない。理由?それはそのうち分かるでしょう?

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この景色春にも見たな。ゴルフやりたいか?そう。クラブも手放して干支が一周した。この旗の位置ならバンカーショットはむつかしい?どうでも良いけどね。歩けなくなる前に川根でやりましょう。と言っても3ヶ月位はみっちり練習しないとアカンけど。

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望遠レンズで天王山を捉えている。この右裾の京都と大阪のくびれた所で行われた明智光秀と豊臣秀吉の戦い。歴史的には明智光秀の謀反(織田信長暗殺)を秀吉が叩き潰した戦いとも言われているが多くの偶然が重なっている。(棚からぼた餅。幸運。)黒田勘兵衛の戦略。等。後世の歴史的評価は全てが正解ではない。

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この山がこんなに急に落ちていた事を知らなかった。新婚生活3年を過ごした大山崎はこの山が平野になった所に広がっていた。紅葉した山を見ながら何故かハゲ頭を撫で回していた。(今日は帽子をかぶっていたでしょう?)です。

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又右を歩いている。このガードレール。何の為に放置されているのだろう?無惨と言う言葉をこの道の管理者は知らないのだろう?橋下の駅が近い。

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電車も首を傾げていた。ここはカーブですから右に首を傾げている。(野次さん喜多さん気を付けてねと笑っていた)馬鹿にされていた?イエイエそんな事はありません。橋本の駅は近い。結婚式前にこの先の橋本駅の近くの親戚の家で迎えられた。その家は今年の春伺った時、主を失っていた。

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右側の歩道が狭くなり左を歩く。これが整備されている堤防。歩いていても心地好い。歩いていて土の上を歩ける事がこれ程気持ちが良い事を思い知る。後ろを振り返る。

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道路管理者は大阪府?この道は昔の京都守口線(大阪街道)のバイパスになっている。堤防の上が幹線道路と言うのもおかしいが国道1号線(京阪国道)はおよそ3キロ東側を通っているが、昔はその道では無かったに違いない。理由?淀川から離れている。

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後ろを振り向くと夕暮れが迫っている。後ろを気にする事無く歩ける。

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天王山も紅葉も進んでいるがこの山は水の湧き水が有名。サントリーモルトの味は分からないがそんな親父にもウイスキーを舐める事は出来る。若い頃ハイボールを片手に多いに語り合った友も今はどうしているだろうか?

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三川合流の所が近い。三川?保津川、桂川、宇治川の三川が合流して淀川になる。京阪電車が開通する迄は大阪天満橋と京都伏見間は船が重要な交通路だった。(と言う事は歩く人は居なかったと言う事?)お金の無い人は歩いていました?歩くと一日15キロ歩いて3日。船では上りでも朝出て夕方着いたと言うから凄い。

ただそのお金を出せた人はどんな人だったのだろう。上りが170文。現在の貨幣価値に換算すると5000円?(一文30円)今の約10倍です。そうしてみれば毎日電車に乗っている親父は何と贅沢な旅をしているのだろう?

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疲れた足にご褒美が待っていた。何と心地好い足の感覚。車の心配も無く懐かしい風景を満喫していた。「苦あれば楽有り」本当に天国の雲の上を歩いている様でした。この贅沢な快感。一体これ迄の道は何だったのだろうと喜びをかみしめていた。
正面に見える山は京都東山南の部分です。この左側の凹みを抜けると大津です。

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ここは土盛りをして芝生を貼付けたのだろう?春歩いた時は工事中だった。しかしこの広さは何だ?右の大木の前で終わる。それでも本日のゴールは近い。

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振り返ると暗くなっていた。

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桜の大木は残されていた。しかしいずれ邪魔になるに違いない。

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明日はこの橋を渡って伏見の駅に向います。この橋を渡り少し左に寄り道をすると淀川河川公園。その先に3川合流の場所がありますがその先端部は道が在りません。寄り道は往復2キロ。歩く事はお預けになりそうです。いけば良いのに?無理だな。

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測道に降りる。しかしここから目的の八幡駅迄結構遠い。1キロはあったかもしれない。

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立派なお宅の柿。フラッシュで写している。本日のボヤキ旅を締め括って呉れました。今日は元気に歩けたけれどそして色んな事があったけれど、一番良かった事は狭い道を歩いていても車の運転者が避けて呉れた事でした。親父も運転していた頃、一番気を使ったのは安全運転でした。明日も(今日も)気を付けて楽しく歩きます。

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2012年11月20日 (火)

室生寺の秋 紅葉の盛りは過ぎていたが人の愚かさは今盛りだったのかもしれない

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近鉄鶴橋駅。1番線乗り場と2番線乗り場は同じホーム。この駅で行く先が奈良と名古屋、伊勢、鳥羽と行く先が変る。更に難しいのはローカル、準急、区間急行、特急どの電車に乗れば一番早く目的の駅に着くのか?ガイドがいないと分からない。

何でか分からないがこのホームには駅員が入る。しかしこの案内が又分かりにくい。加えて特急は別料金。本日の目的地。室生口大野。文字が細かくて分かりにくいが2番乗り場。大阪線停車駅のご案内。「ご」の下です。1番速い電車は一番上急行です。(こう説明されると分かるが初めてこの案内板を見ても?です)

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この案内板も良く分からない。車両表示は急行6両。実際は8両?そんなアホな。ホームの表示も8。駅の表示が分からない。駅員に聞いても?仕方がないので電車を持っていると目の前で停車。ラッキーと思いきや横からオバさんが平然と割り込む。

ところが親父はオバさんに注意。「並んで待っている」その返事が凄かった。「まだ乗っていない」何たる言葉。親父は唖然としながら引き下がらせていた。「バカタレ」張り倒すど。(怖ー)近鉄電車のマナーは最低。人種が違う?それはアナタです。

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室生口大野迄電車で1時間弱。遠い。この道は伊勢参りの道。古の人はここ迄3日掛かり位で歩いたのだろうか?ここは駅からバスで20分弱。5キロの道を歩いたらどんな思いをするのだろうと思っていた。おばさんの声が耳に障る。バスはこの時期は00分と20分。シーズンオフは00分のみ。でもタクシーは何時でも乗れる。?

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到着です。女人高野「室生寺」です。紅葉の落ち葉をかき集めていたオバさんの話では今年の紅葉は「早かった」との事。紅葉の葉っぱは綺麗だねと歌われているが、意外に感じたのはモミジの紅葉は深紅だけでない事だった。それだけでは無い。多くの反対の色が重なり合う事で美しさが引き立っていた。人も同じ事をどれだけの人が理解出来るのだろう?決められない政治と言うけれど反対意見をどう集約しどう決断するか?その事を誰が理解しているのだろう?なんだかんだ言いながら人から嫌われる事を先延ばしにしていないか?本当の決められる政治とはそういうものだ。

政治の事なら自分達は関係ないと思えても夫婦、友達、恋人、親子、友人、皆そうだろう?ところが自分と違う意見に言葉を荒げ理解出来ない親父が入る。何と情けない生き方だろう?親父の場合は過去形になっているが未来も大差はないに違いない。

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黄色く色づいているのもモミジです。

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これが本日自慢の一枚。(と言う事は外にもあるの?あります。乞うご期待?)

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三門(山門)です。これだけ鮮やかに見える事も珍しい。親父の情けない生き方を慰めてくれていた。室生山の文字がこれだけはっきり見えるのも珍しい。

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室生川の向こうに看板が見える。無粋な看板だが宿は写真家土門拳も永く利用した老舗の料理旅館。今は外観は古びているが室生寺の早朝と夕暮れを見るにはここに宿泊しなければならない。最近は団体さんの季節料理を味わう日帰りツアーが多い?

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本堂。室生寺の本尊如意輪観音菩薩像が安置されている。真言密教の大事な儀式が行われる。真言寺院の中心ですが建物は古く1308年建立。704年前の建物です。

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金堂。(詳しくはパソコンで検索して下さい)圧倒される仏像は期間限定の公開です。

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もののけ姫が顔を覗かせていた。(まさか)右に居ますよ。(嘘でしょう)

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室生寺五重塔。観光客が多くて中々これだけの景色は撮れません。(自慢すな)。それではしばらくこれでもかとお見せします。これで室生寺のうんちくが語れるでしょう?

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この五重塔が建立されたのは平安に時代と言われているが平成10年、台風の直撃で左後が大破する。杉の大木が倒れて直撃する。それが2年後の平成14年見事に修復され落慶した。その時に外観も綺麗に朱色が塗られて綺麗になっている。

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これが杉の大木が直撃した右後方です。大破した五重塔は見る影も痛々しかったが一度解体されて補修され組み直されているのですっかり綺麗になっている。この国の宮大工の腕の高さが証明されている。

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前デジカメで写した時には読み取れなかった文字が良く読める。何気なく見ている羊歯(しだ)はここが限界だと知る。本当にこれより北にシダは生息していないのだろうか?その説明を聞く。

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たかがシダ。されどシダ。シダは暖地性と寒地性があるのだろうか?そんなオバカな事を考えていました。架設の工事現場で見た和歌山羊歯(しだ)の背の高さと茎のデカサを思い出していた。自分の背丈を越える羊歯の密集地を見ると圧倒されますよ。

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前来た時には上がれなかった階段。帰りに下迄降りてジャンバーを落とした事に気づいてこの上迄上がる。親切なお坊さんが持って降りてくれました。罰当たりな生き方をしているので空海様がお仕置きをしてくれたのだろう。一緒に歩いていた浜松の人は下で母親と待っていた。浜松。親父が20年近く全てを出し尽くした街の人に合えたのも何かの縁だったのだろう。

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見下ろすと結構な階段だけれどゆっくり上がったので汗はかいたが、息苦しさはない。この上が位牌堂。ところがその正面のベンチでイチャついているカップルが入る。カップルと言っても若くは無い。「いい歳をしてこの罰当たり」と軽蔑の眼差しを向けても男は素知らぬ顔。女は男の腹に顔を埋めている。これが本当の間抜けと空海様が御影堂から笑っていた。男と女の関係をこんな処で見せつけられたら流石の空海様も天罰を背中にくくり付けるだろう?それくらいの事も分からないのだろうか?

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「生きるとは何か」しかしその前に人としてどれだけ美しく生きるか?汚い仕草に怒りの眼差しを彼等は何にも感じていなかったに違いない?何を求めてこの坂を登ったのだろう?そんな事はどうでも良い。そんな姿をこんな処で見せるか?怒られていた。

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イチャついていたのでは無い。気分が悪くなったのです。それくらいの事を言いたかったのかもしれない。その姿は左下にあった。当然親父の視野から外れている。当然だろう。初めてこんな馬鹿を見ただけで気分が悪かった。

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親父が一休みした処。流石です。生き方が違う。(自慢すな)秋が停まっていた。

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結構高い。山形の山寺の景色を思い出す。

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天上界から地上界に降りて来ました。この橋を渡ると現世の柵(しがらみ)がまとわり着いて来ます。いつも邪悪な思いを振り払いながら心を穏やかにする。そんな生き方は歩いている時しか求められないのかもしれない。明日から又歩きます。

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次は雪化粧の五重塔を見なければいけない。

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金堂です。

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山門を潜るとこの鎧坂の先に本堂を見る事が出来る。絵はがきの様な景色。これも本日自慢の1枚です。

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武士が己の身を守る為に身に付けたと言われる鎧(よろい)。この真言密教の真理を追い求めた人達の原石は山林修行にあり、その思いを重ねたのがこの石段だったのかもしれない。この石の上を歩くと遠い遠い平安以前の人達の思いが感じられる。

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モミジの紅葉は全て赤く染まると思っていたが赤だけでは無い事を知る。黄色から赤に変わるのではなく黄色は黄色のまま紅葉の時が終わる。その事をこの景色が証明している。赤や黄色に染まる山里の風景も後半月もすると一変するに違いない。

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モミジに負けない銀杏の紅葉。この黄色い葉っぱが落ちてしまうのも遠くは無い。

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これで紅葉も見納めです。奈良山間の地に足を踏み入れたのは永年の思いが適った17年前。本当はもう少し早く来るべきだったと思ったのは大阪に戻って一人で来た時。こんなに綺麗な紅葉を見る術もなかった。今は手放したスカイラインのハンドルを握り締めながら横に居ない人を実感していた。あの時の寂しさ。その思いが感じられなかったのは暖かい汗がにじむ気候だったのかもしれない。

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明日から又歩きます。2、3日歩けば京都三条大橋到着です。

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2012年11月18日 (日)

紅葉の時は短い 明日は最高の紅葉をお伝えします。

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今日は休足日。それでもいつもの散歩だけは忘れずに秋を満喫して来ました。落ち葉の秋を眺めながら暖かい晩秋を感じた迄は良かったけれど、家に帰ってテレビを見ていたらダウンしてしまう。気付いた時はテレビの音が空しく響いていた。喉が痛い。うがい薬(イソジン)が何処かにあると思って探すがない。お片付けが出来ていない。近くのドラッグストアーで買う。これで喉のイガイガは大丈夫です。

今夜のおかずは大好きな「塩チャンコ」味が薄味で野菜たっぷり。元気が出るお手軽鍋。(と言っても200ccの水を入れて沸騰させる)だけで出来上がり。これともう一品で元気もりもり。それがこれです。体に疲れを感じた時、白ネギにこの岐阜県明宝村の「鶏ちゃん」があれば鬼に(親父に)金棒です。

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1皿は明日に残すつもりでしたが完食。見栄えも味も今イチでしたが期待通りの味でした。本当は焼き鳥ネギマの味を狙いましたが、蒸し焼きにしたのが悪かったのかもしれない。料理は奥が深い。簡単にフライパンでうまい料理を作ろうと考えるその根性が間違いです。ネギ味噌鶏焼きは水気を一気に飛ばさなければいけないが、それが出来るのは美味い鶏肉をこんがりと焼いてネギと味噌で焦げ目を付ける事だろう。

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若い頃十和田南の駅で食った瑞々しいりんごは中々口に出来ない。これも久しぶりに期待したが駄目。今年の東北は出来はどうだったのだろう?本当に美味い物。本当の味はこんなもんでは無いと思っても、本物の味を知らなければそれはそれでYoshiなのだろう?飽くなき探求は美食家だけの特権では無い。如何に素朴な味で美味さを感じさせるか?それは歩きを極める事と同じかもしれない。

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秋を探しに出かけて来ました。明日からは又寒くなる。

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紅葉した桜の葉っぱが芝の上に落ちて晩秋の時が間近です。今年はモミジの紅葉は銀閣寺と南禅寺、京都東山でしか見ていないけれど何故か満足しています。

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ケヤキの紅葉も艶やかです。これから色づいた葉っぱが六甲おろしの木枯らしが吹くと一気に寒々しい小枝を晒すのに、そんな気配は何も感じない暖かさは心を豊かにしてくれる。多くの人が多くの思いで豊かさを求めているが、そんな思いも北風が吹き始めるといとも簡単に断ち切られてしまう。秋は景色の美しさとは裏腹に非情です。

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この空間のモミジはまだ緑も少なく無い。秋の夕陽に照る山モミジとはいかないが後半月もするとモミジの葉っぱはどれ位残っているのだろう?御心配なく。その時見上げて下さい。そう言われていた。そうこれから一気に寒くなる。親父の大好きな時が始まる?峠を吹き抜けていく寒風をどれだけ向いて歩けるのだろうか?鈴鹿の山をどれだけの余裕で見れるのだろう?子供達が小学生の時車で走り抜けたのは30年近く前の事です。違います。25年。大差ない。

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これが本日自慢の1枚。紅葉とホワイトローズ。この組み合わせはあまり見れない?

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噴水の水が何故か今日は暖かく見えるが水しぶきは流石に浴びたく無い。無風。日差しは暖かい。明日から又しっかり歩かなければならない。

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「私もバラの仲間」つる薔薇がアッピールしていた。分かっていますよ。

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2012年11月17日 (土)

今夜も元気です。若者達が元気に頑張っていた。親父もね。

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近くのファミレス。多くの家族が楽しい一時を過ごしている。横目で見ながら目的のお店に急いでいた。急ぐ程遠くは無いのにと苦笑いをしながら親父にもあった語らいの時を思い出していたのかもしれない。

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到着です。このアングルでは分からないが暖簾が捲り上げられている。何で?仲良し?店長に聞いて見る。答えは「風が強いから」バカタレ。暖簾は店の顔だろう?親父の説教。顔を笑っているがマジで怒っていた。

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冗談を言いながら娘に注文をしたのはチャーハンと餃子。今日のパサパサ感は最高と思いながら一気に食いました。(笑い)

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お上品な餃子。前に置いているのがタレ。言葉がありません。

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眼鏡は出来ました。早。眼鏡ふき1枚サービスで貰いました。(催促したくせに)。
でもアイルさん。きっちり宣伝しときました。眼鏡ケースかっこいいでしょう?

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今度は落とさない様に大事にして下さい。元気を出して歩きましょう。

今日の朝刊の特集記事に「のどのトラブル 予防と対策」紹介しますね。

但し要約です。詳しくは著作権の問題もある(ない)ので?

これから寒くなるとのどの痛み。不快感。が募る。人間の体は本当に素晴らしい。

のどの入り口でゴミ、細かい異物を体内に取込む事を防いでいる。その細かい線毛と湿った粘膜が頑張ってくれている。その機能が乾燥が進行すると炎症を起こす。それを防ぐ最良の方法も簡単。水を欠かさない。ウガイも積極的に行う。

親父も体に気を着けているがこれから空気が乾燥するのでご自愛下さい。


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大阪は冷たい雨の一日です。雨が上がると京都は近くなる。

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今朝は寒い朝です。と言っても起きたのは10時過ぎ。最近は夜が遅く朝も遅いこんなダラシのない生活が続いています。それでも今週は1日はズルして京都の紅葉を見に行きましたが残りの4日はしっかりと「東海道遡りあるき旅」をしてきました。

凄いと言えば凄いけれど上には上がいます。この道(大阪梅田ー京都三条)間を歩いて見ると自分の歩き方に勢いがない事を痛感します。この親父の行程を見ながら感じると思いますがその日の目的地から京阪電車で引き返す度に思い知らされていました。(歩いていると遠く感じるけれど電車ではナンボも掛からない)

その事は四国遍路道でママチャリで徳島遍路道(一番札所ー二十三番札所)をめぐっていた時も感じました。「この道を歩く人はどんな決意を秘めているのだろう」今は車でも札所の山門迄乗り付けられると言うのに「何で歩くのだろう?」ママチャリで平坦と下りの道は嬉々とし、延々と続く登り坂では溜め息を吐きながら山登りの参道では愚かな行為を嘆いていました。

「人は何故に困難に立ち向かうのか?」困難を日常的に体験していない人には予想も付かない事ですが、その嘆きと苦しみ、屈辱と災難に弄ばれながらその峠を越えた人で無いと分からない快感。達成感でも満足感でもない心の底から沸き上がるさり気ない喜び。「今日も又無事に終える事が出来る」そんな風景が有りました。

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昨夜は夜のラッシュ時を過ぎていたので流石に「若狭」の店内もゆったりとしていましたがお酒を飲んで静かに語り合っている人ばかり。「食事出来ますか?」アホな声をかけながら馴染みのお客になっている。「どうぞ」案内されたのは4人掛けのテーブル。いつもは2人掛けのテーブルだから申し訳なく思いながら腰を降ろす。

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食事の後斜め前のいつものセルフの店でいつものコーヒー。安いけれど味も薄い。それでもこれも今週変わらない夜の行動になっている。来週前半には京都三条大橋に到着出来るがその先はJR東海道線で帰るのだろうか?さすがに彦根を過ぎると毎日は引き返しては来れないだろう?(当たり前です)そうすると名古屋到着は意外に早いかもしれない?(嘘でしょう?)そう来年の事を言えば鬼に笑われるに違いない。

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2012年11月16日 (金)

淀川の流れは絶えずして元の水にあらず。水運の時は遥か彼方に過ぎ去っていた。

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先日引き返した香里園は親父が大阪に来た時から大阪のベッドタウンだった。今でもその様子は変っていないが変った事は高層マンション。当然30年以上のローンを組んで入居するのだが景気の先行き見通しが悪くなると入居率はどうなるのだろう?

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「アンタがそんな事を心配しなくても」と言われている。心配は無用。ケセラセラ。成る様にしかならない。そんな心配をしていたら家は買えないよ。そう言われていた。家を2軒買ったあの勢いが失われても東海道を歩いているその気魄にエールを送られていた。正直を言えば今日は足が思い。まだ大阪と京都の中間だと言うのに情けない。しかしその親父の根性を讃えて余りある黄昏がこの先に広がっていた。

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その景色はもう少し先。その前に足を引き摺りながら大阪梅田で買ったあんぱんを餌に黙々と歩いていた。何の為に歩いているのかを考えてみる事もなくあんぱんの美味さに誤摩化されていた。これから先の道程を考えると歩き方を考え直さなければ成らない。そんな事も考えていなかった。男ならやると決めたらやる。そんな思いもなかった。

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住宅地の狭い路地を抜けると広い通りが待っていた。歩いている人は1人も居ない。珠に自転車に合うけれど見向きもされない。親父も無視していた。黙々と歩いているかと言えばそうではなかった。キョロキョロしながらカメラは抱きかかえていた。

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バイパスに合流。道なりに歩く。昨日ズルしなければこの道を歩いていたに違いない。そう考えて見ると1駅手前で引き返した昨日の判断は正解だったに違いない。

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写真では分からないが汚い排水路。清掃がされていない。悪臭がしていた。

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駅はこの左側にある?しかし標識も何もない。昨夜は暗くなっていたし地図を見ないと分からなかったに違いない。道路標識は全て車の運転手様?歩行者の事は何も考えられていない。車に注意の看板は歩行者に注意だろうと眺めていた。

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枚方バイパスを通らずに枚方大橋に向って歩いている。この道が昔の人が歩いた道。その判断は間違っていなかった。旧街道は淀川の堤防の下をはしっていた。

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直進すると枚方大橋。この左の道はその道の下を潜ります。その先が旧街道でした。

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道の下は小さな公園になっていた。何とも贅沢な公園でした。

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古い建物から不似合いの若い女性が2人出て来る。上品さがない。卑猥な言葉を交わしながら何が可笑しいのか馬鹿笑いをしている。よくみると男性が後から出て来る。いずれ取り壊される建物。それ迄の仮の住処なのだろうか?人が生きる事。その切なさを求めるのはそんなに可笑しいのだろうか?苦々しい思いをしていた。

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シーボルトが語った言葉。「淀川の流域は祖国マインの谷を思い出させる」その言葉をこの後黄昏の景色が教えてくれる。この国のこのような素晴らしい夕陽の時があった事に言葉がなかった。(それはオーバーかも)もう少し歩いてからお見せします。

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ここは個人のお宅です。これだけの立派な菊は自慢している気持ちは良く分かる。こんな生き方を応援したい。

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この上が淀川堤防です。この川が満々と水を讃えて琵琶湖と大阪湾が繋がっていた時代を知る人は本当に少なくなったが、この黄昏の風景はこの国の未来を間違い無く暗示しているに違いない。それでは余計なコメント無しに一気にお見せします。

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淀川に流れ込んでいる支流です。

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正面の山は六甲山です。この川も淀川に流れ込んでいる支流です。

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六甲の夕焼け。この景色はシーボルトも見たに違いない。

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この後一気に暗くなる。目的地の駅は遠かった。この道は明るい時にこの下の河川敷ゴルフ場の中を歩いたが堤防の道は遠かった。昔の旅人が明るいうちに宿を取った意味が良く分かる。暗くなると足元は見えないだけでなく心細くなる。

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目的地到着 今年の早春に歩いた時は次の樟葉(くずは)から歩いたので今回は来週この駅から歩く。ようやく大阪を抜けて京都府に入ります。新婚の時お世話になった叔母さんは今はもう居ない。主を失った小さな家は今年の春、訪ねた時には廃墟になっていた。男が一人で生きると言う事はそれ程に果敢ないと言う事だろう。(アンタも他人事ではない)おっしゃる通り。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)この駅の看板が闇の中に浮かび上がっていた。

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東海道3日目 大阪と京都の中間迄歩いて来ました 今日は色々ありました

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大阪地下鉄谷町線終点の大日駅を出た処。大型ショッピィングセンターと高層マンション。それと工事のクレーンが青い空に突き抜けていた。これが大阪の一面かもしれない。しかしこの現実は格差社会の厳しい一面です。敗者に出る幕が無い。

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京都への道はこの道を正面に進む。この道は拡張されているが寝屋川市内を走り抜ける道。偶々信号の関係で前に車が走っていないが国道1号線はこの道ではない。今はこの道は交通渋滞から解放されている。

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歩き始めている。今日は天気の変化が大きく傘を手にして来た事を苦笑。しかし、それは正解だった。この先で天気は一変する。傘を広げる。その雨は大した事は無かったが日が暮れて来ると流石に不安になり地図を広げる。この時はそんな不安は何も感じてはいなかった。

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出発点が遠くなっているが大型ショッピングセンターは続いている。これだけの勢いが何処迄続くのか?厳しい経済競争に引き摺られながら多くの人が多くの思いの中で汗を流している。その汗が報われる為に何を為すべきか?その厳しさは当事者でなければ分からない。

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個人のお宅です。旧家に違いない。

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今日の自慢の1枚。個人の畑?手入れの様子はないがお構い無し。人の生き方を重ねていた。在るが侭に生きる。それが本当の美しさに違いない。「アンタもそんな生き方が出来るか?」そう言われていた。負けない様に力を与えられていた。

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生駒の山が横に見える様になりあわててレンズを変える。

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新宝町。新宝を手にする事はあるのだろうか?それはお江戸日本橋?遠いなあ。昨日ウィキペディアで東海道53次を検索。非常に面白かった。意外に感じたのは宿場の間隔が意外に近い事。興味があれば見てみると面白い。それよりも東京と京都の距離は500キロ。京都と大阪の距離が45キロ。大雑把に言って550キロの距離が今は3時間を切って結ばれている。(新幹線)

しかし本当のその姿は何も分かっていない事を歩いて見ると痛感する。ねんごくせえ(生意気)な事を言わせてもらえれば(言うな)言います。もっと多くの課題を知らなければならない。知らないから関係ないとうそぶいていられる。最近本当のオバカな人が多くなりました。その代償は自分達が払わされる事に如何して気付かないのだろう?関係ないと思っているからだろう?それでこの国は良くなるのだろうか?

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懐かしい風景 この旗の下にどれだけ侘しい思いを重ねたのだろう?その思いが砂上の楼閣だと思い知った時の絶望感。しかし、足を洗ったのは意外な現実だった。パチンコは健全なレジャーとか賭博は経済の活性化の一つの要因とか、間抜けなことを言う前に地に足を付けて生きる事は「そう言う事では無い」。その事を思い知ったからだろう。

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意外な所で天満宮と綺麗な夕陽が迎えて呉れました。人生変りますか?既に変っています?それでも現実はそう甘くはありませんでした。それでもこの景色とこの先にも親父の心を掻き立てて呉れる景色が待っていました。最後にガックシの暗転がある事も知らないで。でもそれも考え方かもしれません。「調子に乗らないで」そう言われていたのでしょう。

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神社の横には抜け道がありその道を抜けた所に小綺麗なカレー屋さんがあった。美味しいお馴染みなお店。トイレには行きたくなっていたが腹は減っていなかった。お店の中のおばちゃんと目が合うがパス。残念と思ったが先を急ぐ。でも考えて見るとこの判断が間違っていたのかもしれない。

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思わず黒毛和牛の言葉に眼が行っている。

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温泉か。足も疲れたし風呂にも入りたいけれど目的の駅は遠い。

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日が暮れる。先を急ぐ。

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目的の駅はこの先になる。今立っているのは今年の春まだ浅い時に淀川を歩いた時に歩いた陸橋。御覧の様に暗くなって寒い。トイレに行きたい。地図を見てどちらが近いか見比べる。この右手の駅は香里園。河内街道が走っている。直進すると本日の目的地。光善寺駅。迷う事なく右に進む。(コラコラ)この時カバンに入れたつもりの眼鏡をケースのまま落とす。トイレ(小便)が気になってそれどころではなかったのだろうか?寒さを感じていた。アホ。

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突き当たりが京阪香里園。目的変更でニンマリしていたがこの時眼鏡の事は全く気づいていなかった。又近くの眼鏡屋さんで買わなければいけない。最近、怪我をしないのはこんなチョンボをしているからだろう。人間万事塞翁が馬。心してかかれ。アイアイサー?分かっているのか?(分かっています)財布だけはいつも確認しています。これからは眼鏡も指差呼称します。頼みますよ。本当に。

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近くの公園に子供達の声が響いていた。

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久し振り。懐かしい思いを噛みしめていた。勝手知ったる駅。でもこの時もまだ眼鏡がない事に気が付いていなかった。

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大阪に戻って一度食いたかったチャンポン。少し待たされてイライラ。味は期待通りだった。この後いつものお店でセルフのコーヒーを飲みながら本日の画像を確認しょうとして眼鏡がない事に気づく。アホ。又眼鏡屋さんで笑われる。明日は枚方の先迄行けるかな?このペースで行くと京都3条大橋に到着は来週?ご期待あれ。

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2012年11月14日 (水)

東海道2日目のブラ歩き。でも今日は面白く無い。

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京阪京橋駅。京阪は京都出町柳(三条の北)と大阪天満橋を明治の後半に結んだ。親父も若い時、何度も乗った電車。でもこの電車は淀川の西を走る阪急に比べたらその割合も圧倒的に少ない。その路線に数年前、その天満橋から中之島線が開通した。

今日はその電車に京橋から乗り換える。目的の駅は一昨日引き返した野江の駅。ここから東海道のあるき旅2日目が始まる。京都迄44キロ。1週間で3条大橋到着出来るかな。江戸時代の人はこの道を1日で歩いたと言うのだから言葉がありません。

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知らなかった地下鉄の駅がある。地下鉄がここ迄延びているが親父が若い頃のっていた市電は跡形もない。如何してヨーロッパの様にカッコいい電車を残さなかったのだろう?(自家用車が多くなり渋滞が多発したから?)それだけだったのだろうか?その検証はされていない。

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城北運河。1935〜1940に掛けて人工的に掘られた川の目的は寝屋川の排水を一部毛馬の大川に流す大工事だった?しかし今は運河の役目も終わり川の上には阪神高速守口線が開通しているが、この高速道路も大阪市内に出入りする車で朝夕は渋滞する。水質は生活排水が無くなり綺麗になっている。近年この地域の大水害は無い。

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ここ迄来るとようやく人通りが減って来る。しかし電柱と信号のポールが邪魔。如何して地中化の工事を進ませないのだろうか?(工事費が捻出出来ない?)それは違う。この道路の下には地下鉄が走っている。

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何で横断歩道を無くして陸橋にするのだろう?歩行者の安全?国交省のお役人。アンタが歩いて見なはれ。お年寄り。体が不自由な人がこの橋を歩けると思っているのだろうか?そんな事は誰も問題にしていない。歩いてみればその事が良く分かる。

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パナソニックと企業統合した旧SANYO。皮肉な事にSANYOで成果が期待出来なかった白物家電(洗濯機と冷蔵庫)を中国のライバルに売り渡し、これから成果が期待出来ると経営判断された太陽光発電のソーラーパネルと蓄電池の見通しは良く無い。

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ここ迄来ると流石に足が疲れて来る。ここで本日は終わりましょうと弱い心に囁かれるが初志貫徹。大日(だいにち)迄歩く。そこ迄はここから近い。今日の報告は国会解散日程のニュースを見ながら書いていたので中々進まず。ここで中断します。

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左に正門が在るが警備員が監視をしている。監視をされているのはアナタ達と言う事が何時理解されるのだろうか?会社の存在価値が問われている事を何時思い知るのだろうか?この国の物造りが問われていると言われているがそうではない。会社の在り方が問われている。

会社の警備を丸投げして自分達は何様だと思っているのだろう?その事が今問われている。この国の経済が低迷している?その事はこの横柄さから見て当然だろうと思い知らされる。どんな巨像も細菌に蝕まれると脆い事を何時思い知るのだろう?正門をガードマンで固める前に会社の存在感が問われている。このデカイ広さは何を生み出しているのだろう?

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大阪市と府のダブル水道事業。この浄水場の役目はどれだけの評価がされているのだろう?橋下大阪市長の言葉は威勢は良いが口先では何とでも言える。既成政党で全て駄目だとは思わない。その反対に新規の政党にも多くの矛盾はある。その事をしっかりと見据える事は本当に難しい。

政治を馬鹿にする人は少なく無いがそれで喜んでいる人がこの国と地方を食い荒らしている事を少しは考えてみなければいけない。最近のガキ達ばかりでなくいい歳をした人達が本当にお粗末な政治批判しか出来ない。その結果が今の政治と日々の生活と認識するのは何時の事だろう?情けないとは思わないのだろうか?

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広々とした浄水場。しかし中の様子を垣間見る事も出来ない。ここでどれだけの水道水が確保されているのだろう?それは一部の担当部局しか知らない。どれだけの付加価値を生み出しているのだろう?そんな事は殆ど分からない。パナソニックには複式簿記、財務諸表があるがここには損益計算書はない。

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歩道は馬鹿みたいに広い。しかしこの先一気に狭くなる。本日の目的地大日は近い。

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何をしているのか分からない。大阪市交通局。乗務所?馬鹿でかい。

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本日の目的地到着。「大日」です。東海道はここで大きく左折して1キロ弱直進しそこで右折。しばらく淀川と平行して進みます。この道が国道1号線。しかし昔はここを直進したに違いない。そうこの標識の13号線。この道が寝屋川に直進する。

つまり今のルートは寝屋川バイパスとして市内の渋滞緩和の為に造られている。その道を明日は枚方バイパスの手前迄行かなければいけない。予定です。そこ迄行くと河内街道も見えて来る。今日の歩きはボヤキが多かったが最後にオマケの景色をお見せします。引き返した親父大好きの大阪渡辺橋から見た大阪の夜景です。

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もうすぐ完成のフェスティバルホールが入るビルと朝日新聞社。朝日の報道の立ち位置も今問われている。朝日新聞を読まなくなって久しい。週刊朝日に至っては読む価値さえもない。若い頃今は廃刊になった小難しい言葉を一生懸命に理解しょうとしていた「朝日ジャーナル」。あの先鋭な問題意識を今求めるのはアホに違いない。

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京都の紅葉です。朝トースト一枚で頑張って来ました。歩き疲れて腰が痛い?

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京都北山 一乗寺下り松 五月のさつきと十一月の紅葉は有名 昔は静かだったが最近は観光客は多い。平日でも多いから土日はゆっくり見学は出来ない。

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ここ迄下がって庭を見たのは初めてでした。紅葉は盛りの時を過ぎていた。その欲求不満は銀閣寺で解放される。その絶景はしばらくご辛抱を。この後近くの曼殊院迄歩く。行きは近かったが帰りはバス停迄の道が限りなく遠かった。

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久しぶりに感動の紅葉 老いると言う事はこうありたい。何かを嘆き何かを人に問うのではなく自分が輝く。その為に年を重ねる。その事を久し振りに目の当たりにする。これは本日一番の傑作に違いない。

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ここからバス停迄の道は遠かった。北山通りに出て銀閣寺前迄バスで移動。ここは予想以上に錦秋の時を迎えていました。一気に行きましょう。その前にバス停から哲学の道を歩く。哲学の道を一人歩きは親父位で手をつなぐ道になっていた。無視。

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参道。修学旅行生の自由行動と中学生の団体。それとカップル。中高年のおばちゃんと中には親父達。平日でも多かった。それでも歩く邪魔にはならなかった。もう一枚お見せして錦秋の銀閣寺です。御覧あれ。この景色も今週一杯でしょう。

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これで銀閣寺の紅葉見納めです。今日の予定は最近恒例になっていた京都高雄神護寺の紅葉でしたが、今年は思いがけなく銀閣寺の紅葉を見る事が出来ました。庭が山肌に添って少し高い処からの見晴らしもあり。この写真が見納めとなりました。

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又哲学の道を歩いています。この時は流石に適当な食堂を探していた。今日は早く家を出たのでおにぎりも間に合わずお腹は空いていた。考えて見ると朝から口にしていたのはトースト1枚。昨夜遅くに食ったチャンポンのお陰だったのかもしれない?

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南禅門の山門 今回は2回目 高所恐怖の親父が後ずさりをしながら前を見ている。

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石川五右衛門がこの山門の上から「絶景かな」と大見得を切った気分を納得していた。五右衛門は紅葉の時ではなくこの景色を見ていないが、そうでなくてもこの高さから紅葉の境内を見下ろしているだけで満足していた。

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これがその山門。上に登る階段はロープを頼りに階段を上がる。下は見ていなかった。降りる時は蟹の横歩きで降りていた。勿論ロープはしっかり握っていた。

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これも初めて見たインクライン。聞き慣れない言葉だが琵琶湖の水を京都に引き入れた明治の大土木事業。今はその先人の知恵を知らない人が少なく無いが、経済界のリーダー達はまさか知らないことはないだろう?景気の空洞化を口にするだけで先人の知恵に学ぶ事もないのだろうか?時代背景が違う?それだけでは無いだろう。

インクライン。是非パソコンで検索して下さい。この大事業。大阪の明治の経済人の心意気にも重なる。今の財界人の無為無策。政治家に何かを期待するだけでなく自分達に何が出来るか問われている事に何時気が付くのだろうか?エコノミストも能書きだけを口にしないで自分達が何も出来ないならその肩書きは何の意味合いもない。

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平安神宮大鳥居 神宮はここから相当奥にある この景色を見るのも久し振りでした。

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あの東山の近くから歩いて来ている。久し振りに京都を歩いているのでバス通りを探していた。今日も良く歩きました。バス停にたどり着いた時何ともなかったが祇園でバスから降りた時腰を捻って痛い。歩き過ぎて腰を痛めたか?そう言えば何度も足を捻った(ひねった)もんな。お疲れさんでした。明日は東海道あるき旅です。

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京都伝統産業ふれあいメッセ?後の建物は壮大なものだった。京都の伝統産業の支援とは耳触りは良いがこれ程の箱物は時代遅れとは認識しないお役人が多いのだろう?皮肉な事に紅葉の艶やかさは目を引いていたが足を止める人は1人も居ない。

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八坂神社 ここで再会したい多くの人も歳を重ねている。バスを降りてこの交差点を渡る時こしを押さえていた。良く歩いたからでは無く数回、道の段差で足を捻ったからだろう?でも大丈夫。腰の痛みは体を休めれば直る。心の傷はそうはいかない。

最後に祇園花見工事の夕暮れをお見せして京都の紅葉の報告は終わりです。これは外では見れないでしょう?(自慢するだけの事は在ります?)

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2012年11月12日 (月)

東海道。国道1号線。久々に見る景色はきれいになっていました。

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今日から東海道を歩き始める。東海道53次は江戸時代に宿場町は有名だがこれは江戸日本橋から京都の三条大橋迄。実際はその先にあった街道。そして多くの思い。その多くは壮大な歴史の流れに押し流されて私達は知る由もない。その道を辿る。

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18年前に何となく見た道路標識をこれから歩くと思えばワクワクして来る。この道は親父が18の時初めて見た時には市電が走っていた。今の様に綺麗な道では無く砂埃が舞い上がっていた。それでも街は活気に満ちていた。今とは全く正反対。道は綺麗になっているが街には活気がない。何でだろう?大阪の再生?大阪の活力?それを再びとは言わなくても取り戻す為に自分に何が出来るのか?考えて見たい。

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振り返ると区画整理が済んだ後にこのビル群が完成してどれ位の歳月が過ぎたのだろう?親父が大阪に来た時はまだこの地には多くの古い建物と新しいビルが混在していた。それらが全て取り壊されこのビル群が建てられたが、その新しかった建物が今は古くなっている。大阪が今問われている活力。それは経済界や大阪維新の会が声高に叫ぶ事でも無く地道な一歩に違いない。口先でなく行動で示さなければ成らない。

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18年前に語り合いながら降りた歩道橋の階段を一人で降りる様になって何回の紅葉の時を迎えたのだろう?不思議な事にこの紅葉の銀杏を振り返った事は無い。ここからスタートする親父の気侭な一人歩きを応援してくれていた。ここから三条京阪迄50キロ弱?1週間で歩くには1日7キロ。心の準備は出来ているけれど足腰と体力は分からない。乞うご期待?期待していない。そうかもね。

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それでは行きましょう。日差しがあるので寒く無い。汗をかきそうでそうでも無い。秋の風が心地好い。心臓がドキドキ(血圧が高い?)天然水を買って飲んでいない血圧を下げる薬を飲む。(オイオイ大丈夫か?)心配要りません。(過信すな)

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大阪でお菓子の老舗。ここにもお店がありました。

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交差点の雑草。しかしこの逞しさを学ばなければいけない。

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南森町の前にも紹介した案内標識。この辺り相変わらず放置自転車が一杯。大阪人のマナーの悪さが情けない。大阪はひったくりワースト上位。大阪人の品の悪さはそれを追求されないからだろう?「皆やっているだろう?」最低の言葉を口にしても自分達を笑い飛ばす間抜けさは関西の自己表現のつもりだろう?

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造幣局。今は500円硬貨の重さの検定のニュースしか見る事が出来無い割には?見学は厳重。委託された警備会社が態度がデカイ。博物館の展示はサービスだとは思っていないのだろう?この贅沢な敷地に見直しが行われる事は無い。国の財政が危機的状況になっての見直しが進まないのはここに来ると良く分かる。

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造幣局桜の通り抜けが行われる春に公開前日に来た。あの時、見事だった桜の花は今は葉っぱがあかく染まっている。見学者は団体のバスツアー。親父もその中の一人。でも博物館は春に見たので入らなかった。この橋は眼鏡橋。でも名前とは裏腹にただの橋の跡で、明治の時代に引き込まれていた大川の堀は埋め立てられていた。

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今は閉ざされている明治時代の正門。上の機械は明治時代初期にヨーロッパから輸入された硬貨の打ち抜き機。

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桜宮。大川に掛かる立派な橋。この橋は老朽化しこの横に立派な橋が架け替えられているが、この橋も取り外されずにどっこい生きていた。綺麗にお化粧され親父が見た半世紀前の汚さは何処にも無かった。当時この橋の上を路面電車が走っていたのが嘘の様でした。歩道も広くなり贅沢な使われ方をしていた。

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橋の上からの景色も全く様変わりをしていた。これが大阪の風景である事を知る人は少ない。

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この橋が新設された橋。一見すると同じ綺麗な橋が2本あるがこの橋が新しい?

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この公園もこの先にある毛馬水門を見た帰りに歩いた事がある。あれは今年の早春の時だった?

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ここ迄は歩道が広かったがこの先狭くなる。歩き難い。

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この先で国道1号線(東海道)も直角に曲がります。京都から来た道を右折せず直進すれば今里。大阪を知らない人には分からないが大阪の東側です。大阪に住んでいる人でも今里を知る人は少ない。それ程に住んでいない人には馴染みの無い所。興味があればウィキペディアで検索すると良い。この近くでトイレに行きたくなる。足のそろそろ疲れて来た。本日の終点。京阪の駅を探す。

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梅田新道交差点から南森町、桜宮、京橋。歩いた距離は7キロ足らずだったが、京都から来た道がこの先の蒲生(がもう)で右折して大阪市内に向う。それを知ったのは初めてだった。大阪と京都を結ぶ京阪電鉄が開業したのが1910年(明治43年)その歴史をウィッキペディアを読んで見ると本当に面白い。その路線に沿いながら北上する。今日はここ迄。

帰りの普通電車の終点は中之島。この路線は天満橋から淀屋橋とは違う中之島線(最近開通。2008年開業)これも京阪中之島線で検索すると面白い。これからは京阪電車が関西の私鉄。地下鉄の要になるかもしれない。淀屋橋からの乗り換えは京橋。次に野江の駅に行くにはJR環状線京橋駅乗り換えが一番便利かもしれない。

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京阪中之島線渡辺橋駅下車。長いエスカレーターで上がるとオープン間近の建物が眼前に迫っていた。立て替えられたフェスティバルホール。上にはホテルとテナントが入るが、この街の賑わいを一変させるのだろうか?コンサートホールもくたばる前に正装で一回位はオペラを聴きに行きたい。(無理だな)そう言わずにお頼みします。(それではしっかり稼ぎなさい。)そうすれば行けますか?(さあどうだろう?)

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深いエスカレーター。南北に走る地下鉄の下を潜っているので深い。これは地下鉄鶴見緑地線も同じ。京都の地下鉄烏丸線も同じ。この路線の利用者はこれからの増加が期待されている?それは間違い無いに違いない?この路線が延長され尼崎方面に繋がれば京阪と阪神が繋がる。しかしその計画の実現は先の事だろう。

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渡辺橋から西を見ている。この向こうに尼崎はある。但しこのズーと向こうです。

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これから橋を渡ります。橋の上には大勢の人と綺麗な花壇があった。

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本日のご褒美です。しっかり歩いてこのあんぱんが食えたら文句なしでしょう。
「焼きサバ定食」も食えたし、いつものお店でコーヒーも飲めたし、優しい顔を見る事が出来たし、カメラのブロアーとクリーニングクロスも買えたし言う事無し?イエイエ言いたい事もありましたがそれはそれで又ご愛嬌でしょう?

本日のブログ終了。小腹も空いたし冷凍のお気に入りのチャンポン作りますか?


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2012年11月11日 (日)

少年老い易く学成りがたし。一寸の光陰軽んずべからず。(軽んじたなあ)

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今夜も洋食屋のスパゲティ?とデリシャスロコモコ丼?ハワイの定番料理?親父がお気に入りの理由はハンバーグと目玉焼きとライスの調和が何とも言えないから?それに柿が2個。質素な食事です。それでもこの外に加ト吉(今は別の会社に成っている)の冷凍きつねうどんと元気が出る四つ切りの食パン。(オイオイ。そんなに食うのか?)まさか?食うのでしょう?食いません。でもパンは一枚。カナダ産の蜂蜜をつけてニンマリするかも。(食い過ぎです)

今日は大阪は一日中雨で夜になって上がりましたが、少し強い風が出て寒くなりそうです。天気予報では最高気温は17℃。絶好の散策日和に成りそうです。今日は生憎の天気でカメラ片手の散策が出来ずに体がだるい?昨日と今日は休息日の筈が体調が良く無い。だらしのない生活をしていると体もだらしなくなるのだろうか?

明日からは気合いを入れて(入れなくても良いよ)東海道を歩きます。東海道?そう。東海道(国道1号線)は大阪梅田新道の交差点から始まります。第一目標は京都3条大橋迄。この道は大阪と京都を結ぶ幹線道路。淀川沿いの道。今は京阪電車が特急で1時間足らずで結ばれている。今年の春は和歌山迄の道。今年の秋は京都迄歩けるかな?淀川の左岸を枚方の手前迄歩いているのでこのコースは右岸を歩く。

今月末は2年続けて静岡の浜松と大井川鉄道の旅を続けているが、今年は準備が出来ていない。四国遍路道も松山からの再会の旅は来年になりそう。来年の事を言えば鬼に笑われると言われるがそんな感じもする。それでも結願迄の道は見えている。そのステップの踏み方は貪欲でなければならない。まだまだ糊代(のりしろ)は無くなってはいない。

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2012年11月10日 (土)

果報は寝て待て?寝る子は育つ? 明日から寒くなりそう

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先日8日の歯医者の予約をすっかり忘れて気づいたのはその日の夜。ガックシと思いながら翌日予約の取り直し。受付の女性は「今日でも良いですよ」と言ってくれた。それでも先日は予定があったので今日取り直し。その帰りに季節外れのバラにエールを送られる。「寒くなるけど風邪引くな」と言われていた。大丈夫。アホは風邪を引かない。(コラコラ)今年の冬もパンツ一丁で凌げるかな?アホ。

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季節の花が笑っていた。違うでしょう?ピンボケです。今日は季節の変わり目。暖かな一日ですが久し振りに近くの娘に人見知りをされずにポーズを取ってもらいました。(イヤイヤ固まっている)可愛い姿をお見せしたい処ですがアウトです。

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今夜の食事。侘しい?イエイエ親父にとっては久し振りのサラダ巻きです。外にも色んなサラダ巻がありますがこの量が一番美味い。巻寿司の美味さはネタの新鮮度とシャリのつぶれ具合?です。巻具合。締め方がむつかしい。家でも作れるが簡単の様で難しい。その事が分かる人はプロです。(嫌われそう?)いやだね。こんなうんちく。

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これはレンジで温めただけのペペロンチーノ。ニンニクが効いて近くのスパゲッテー屋さん侮るべからず。長い間毎週日曜日に欠かさず通ったお店にもすっかりご無沙汰です。自分では料理も出来無いくせに言いたいことを言っていると、ろくな生き方は出来ないかもしれない。

(これが間違いです)その事を理解出来る人は余りに少ない。しかしその「井の中の蛙(かわず)」も、ある日突然大海を知る事を知る由もない。人はそれ程に移ろいの中で生きている。その考えがこれから変わるのだろうか?

お間抜けなテレビを見ているとそうは思わない?地殻変動。ある日突然生き方が変わる。そのゴールは近いのかもしれない。?お父さん。大丈夫?難しい事を言わないで下さい。大丈夫。親父の戯言です。

明日は雨。そして又寒くなる。寒いのはいやだと言う人もいるけれど明々と燃える暖炉の前で、美味いワインを口に出来れば人生は変わる。そんな寒い夜は歓迎かもしれない。今年も後50日で暮れる。今年は少なくなった年賀状を早く印刷しなければならない。

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ハチミツ キンカン のど飴 何のコマーシャルだったかな?

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はちみつ 買いましたよ。今迄は右側。今回は左側。どう違うの?右が多い。250g。左は200g。値段は右が398。左が498。50g少なくて100円高い。当然お買い得は右でしょう。そうです。でも親父は原材料の表示が気になりました。左のハチミツの産地はカナダ。右は中国、アルゼンチン、ニュージーランド、カナダ、他の国。何だこれ。ハチミツには違いないがこれは看過出来ない。オーバー。

カナダ産のハチミツは確かに味が違う。どう違うの?味が濃い。(嘘でしょう)
ホンマです。因に純国産もあるが何故か倍の値段がする。それ程の味の違いはあるのだろうか?あります。嘘でしょう?阪急地下街のハチミツ売り場の値段。横目でしか見ていないので今度じっくり見て見よう。味もなめさせてくれるのかな?聞いてみよう。

肩の痛み?昨日4回目のヒアルロン酸の注射打ちました。無愛想の医者は「段々マシになっているでしょう?」と言っていたがもう1回痛い思いをしなければならない。親父は辛抱強い男だからそれくらいの辛抱は出来るが、効果の保証は約束出来ないと言われるとそれがホンマの事でも腹が立つ。

1回3割の個人負担で750円。保険負担が1750円。2500円が5回で12500円。それで効き目が無ければ詐欺だろう?(それは違います)どう違う?外に治療の方法はありません?ホンマかいな?人体の神秘。治癒。それは己の信心と重なるのかもしれない。

ストレッチをしながら手足の動きを自在にコントロールしなければいけない?何はともあれ後1回。それで様子を見るしかありません。(トホホ)医者から寝返りが打てるか?と聞かれた。当たり前だろう?そこ迄痛くは無い。

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2012年11月 9日 (金)

今日は感動のショットが多い。(コラコラ)自分で自慢すな。喫茶店の写真はプリント出来そう。

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市役所前の銀杏 大分色づいて来ました。もう少しするとハラハラと黄色い葉が舞う。銀杏は手品師とフランク永井は歌っているがどんな黄色のカードを切るのだろう?

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公園の桜の葉っぱ。シルバーのオジさんが落ち葉の掃除をしているが、風が吹くと折角掃き清めた地面が落ち葉で台無しになる。それでもオジさん。表情も変えないで淡々と作業をしている。それにしても路面の枯葉に顔をしかめる国民は日本人位だろう?掃除が大変だから街路樹を切り倒せ?信じられないクレームを平然と口にする。

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公園から駅前に移動中。花が多いと足が停まる。でもこの花も手入れをしている人がいる。その事が理解出来る余裕のある人はどれ位居るのだろう?

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駅前の連絡通路から久し振りに綾姫?のオブジェと花壇。この花の手入れも市役所公園課が管理している。しかし実際に作業をしているのは職員ではない。

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大阪梅田JR高架下のクラッシックなコーヒー通?のお店。前回は写真を撮れなかったが今回は了解を得て撮影。見事なショットが撮れました。自慢の1枚です。

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「又来て下さい」優しさと心配り。彫刻に負けない言葉を掛けられる。サンキュウです。自慢の3枚。甲乙つけがたい。流石一眼レフ。さすがEOSkissです。

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大阪駅前の花壇。秋たけなわです。もう1枚お見せします。

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大阪駅北口の長距離バス発着場。この場所を利用した事は無い。

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大阪駅北口の初めて通る連絡通路を通っている。今日はこの先親父達が初めて大阪の就職先にタクシーで行った道を歩く。「喜びも悲しみも幾歳月」。半世紀前の思いを噛みしめながら歩いていた。会社は意外に遠かったけれど道を間違える事は無かった。流石です。帰りは新工場が大阪府島本町に完成する迄働いた汚い工場を目指す。しかしこの工場もとっくの昔に立て替えられて綺麗になっていた。

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汚かった歩道が広くなり綺麗になっている。歩いていても気持ちが良い。

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のだふじ。この名前を聞いたのは初めて。この地域は昔、大阪湾に面した湿地帯で温暖な気候に恵まれ辺り一面に藤が咲いていたと書かれている。「吉野の桜。野田の藤。高雄の紅葉。」歌われていた事も初めて知る。全国的に知られていた大阪の名所も大阪空襲で殆ど焼失したと言われている。親父が大阪に来た半世紀前にその跡形はあったのだろうか?あの頃は大阪もようやく戦後の復興から立ち上がっていた。

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段々懐かしい風景が見えて来ました。久し振りの珍客を快く迎えて呉れました。

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到着です。今はバス停になっているが親父が居た頃は路面電車。阪神電鉄北大阪線。路面はレール間は30㎝平方厚さ3㎝位のコンクリートの石板が敷き詰められていたが砂埃も舞い上がっていた。今はその軌道も取り払われ綺麗に舗装されていた。

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今は立て替えられて久しいが親父が高校の仲間と来た時は戦前の建物。とにかく汚かった。その建物を見て仲間は田舎に帰る事を考えたと言っていた。親父は営業に配属されたのでそんな思いは全く無かった。その面影は今は全く無い。しかしこの建物も建て替えられて久しい。相当くたびれていた。ここを立て替える勢いは無いのだろう?

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バス停の時刻表。8時台は10分間隔。今でも通勤の足になっている。

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半世紀前の風情はこんな感じだったに違いない。

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親父が4年近く働いた跡地。当時の面影が何も無い。戦前の空襲を受けながらも外壁はびくともしていなかった2階建ての建物。汚く夏は暑く冬は寒かった。そんな事は何にも苦にはならず新任の工場長には可愛がられた。美味くも無い会社の食堂の飯を敬遠して近くの食堂で食っていたトンカツと味のフライは何よりのご馳走だった。

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もう一度この工場を見る事は無いに違いない。今日は思いがけない再会だったが「過ぎたるは及ばざるが如し」全ては夢の又夢です。

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近くの淀川の堤防に上がる。途中に頃合いの所で立ちション。(コラコラ)その償いにおつりが来る絶景が親父を歓迎して呉れました。コメント無しで行きましょう。

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ここは以前。と言っても明治時代迄遡らなければならないが。運河でした。中津運河。その前は川でした。中津川と言われていました。その川が今はその面影もありません。親父が大阪に来た半世紀前はまだ水がありました。

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その窪地も埋め立てられて今はススキが生い茂っている。

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ここは淀川河川敷です。これ迄の風景は堤防の上からでした。

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手前が大阪市内。対岸は十三(じゅうそう 今日は最後にこの橋を渡る。結構歩きましたなあ。しかし何故か心地好い疲労感は無い。淡々としていた。この橋を歩いて渡る人は多く無いが意外に自転車は多い。道は狭いので歩くには後ろに注意しないとぶつけられる。

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振り返ると大阪梅田の開発地域の高層ビル群と昔の大阪の風情が重なり合っていた。大阪の再生が口にされて久しいが、橋下維新の会が勇ましく「大阪発の改革」を口にするだけで胡散臭い思いがするのは親父だけかもしれない。大阪発の改革?それは口先だけで自分達の正当性をがなり立てるだけでは何も変わらない。その事をどれだけ関西人は理解しているのだろう?その事が今問われている。

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これから淀川を渡ります。後ろを振り返りながら川下を見ながら歩く。

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この橋の上を路面電車が走っていたと聞いて驚く。この頑丈な鉄のアーチはその証と聞いて驚く。確かに大阪市内の桜宮にも架け替えられた同様の橋があった。

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横を走る(それでもこれは望遠レンズ)阪神高速道路。池田線。これも自慢の1枚。

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十三大橋を渡り切って大阪の夜景を振り返る。お疲れ様でした。

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十三は藤田まことの歌で知られているが「十三のネエちゃん」と言ったら叱られるかもしれない。今は大阪に近い住宅地にもなっている。親父が若い頃は怖い街?だったが今は楽しい街に違いない。親父がもう少し若かったら直帰はしなかったに違いない。(アホ)

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家に帰って一人鍋。侘しいー。(笑い)この塩チャンコ。野菜が多くて味は薄い。お試しあれ。アルミの容器が侘しいがこれは近くのお握り屋の親父が処分してくれます。(オイオイ。自分で処分しなはれ。)これって分別で燃えないゴミになるので結構めんどうです。手軽さとの両立。それが本当の調理かもしれない?

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2012年11月 8日 (木)

過ぎたるは及ばざるが如し。何事も程々にと言う意味が誤解されている。

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阪急東通り商店街。この街は夜の帳(とばり)降りると景色の熱気が一変する。この歳になるとそんな思いも全く無くなるが、この商店街の入り口にこのビルがある。「富国生命ビル」このビルも近年立て替えられこれ程の空間が実現している。

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阪神電鉄梅田駅。半世紀前とこのホームは基本的には何も変わっていない。この電車のコンビネーションカラーも変わっていない。この一番手前の電車は普通電車。親父が大阪に来て就職した会社は2駅先の野田駅から路面電車で上海老江下車。今はその路面電車もバスに変り道路もすっかり綺麗になっている。

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大阪地下鉄南北線は御堂筋線と堺筋線。谷町線。そしてこの四つ橋線。この先に堂島地下街がありその途中にJR東西線の「北新地」駅がある。大阪に慣れた人で無いとこの連絡通路を阪急3番街からは歩けない。?

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毎日新聞大阪本社跡地の商業ビル。この門構え?だけは記念で残されている。いつもは地下街からの連絡通路を通るが久し振りのこの門を潜る。親父お気に入りの本屋さん「ジュンク堂」はこのビルの2階と3階にある。

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庭の広場の紅葉も進んでいた。

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本日目的の「四国遍路地図」」はインターネットで取り寄せ可で書店では取り扱いをしていなかった。これは想定内。その替わりこの本を手にする。サイン入り。この作家の人間模様の描写は注目されているが親父は読んだ事が無い。400字原稿用紙で1451枚。書き下ろしの大作はこの書店でも力を入れて宣伝していた。

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親父お気に入りのインディアンカレー。ここのお店で食った事は1回。いつもは阪急3番街の地下。ここはいつも込んでいる。ここはいつも空いている。ゆっくり食べるなら味は何処でも同じ。ルーの色が濃いが実際はこれ程茶色ではない。

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この飲み屋さんにも足を踏み入れた事は無い。順番に食いながら一献と行きたい。

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桜橋。サンケイホール。今はこのビルの一角。会社に慣れた頃、今は無い音楽サークルで定期の公演があった。今はおしゃれなビルに立て替えられコンサートホールも残っている。大阪にも多くのコンサートホールが出来ているが、近くの朝日新聞社前のフェスティバルホールも今月末完成する多目的ビルの4階に開業する。

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ここが親父が飯を食う飲み屋さん。魚とお酒が売り物ですがごはんと味噌汁のお替わりが出来る。ごはんも味噌汁もうまい。しかしお替わりをしたのは最初だけ。

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眼に毒かな?このサラダが又うまい。但しこの定食はお昼限定。親父の様に夕方飯を食う人は殆どいない。夜はサラリーマンが仕事の延長戦をがなり立てている。そんな中でこの飯を注文するのは営業妨害かもしれない。何時かここで酒を飲まなければいけない。それ迄元気で居れるかな?大丈夫です。問題は血圧かもしれない。

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大阪駅中央口出口から桜橋口に掛けて食料品売り場が完成しました。今はオープン間もなく大勢の人出で混雑している。食料品売り場と言えば何と言っても大阪は阪神デパ地下。阪急の増設された地下売り場はしばらくは素早くは歩けない。

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大阪駅伊勢丹三越のショーウインド。このデパートは関東資本。大阪進出は注目されたが売り上げは反対側の専門店の様な勢いが今イチ。この建物はJR西日本の物。売り上げが計画を達成していない。これは大阪人の心意気を現わしているのかもしれない。

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大阪駅北口から後ろを振り向いている。デカイ。

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こちらが反対側の専門店街。人通りが多くてカメラを上に向けているのでその実感は今イチお見せ出来ないが、一度足を踏み入れてみればそれぞれのお店の特徴が良く出ている。それでは最後に綺麗な側壁をお見せしましょう。クリスマスイブには一人では見たく無い夜景でした。

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人それぞれの想いが重なっている。親父が演説をしている訳では無い。今夜は暖かい夕暮れだったけれどもうすぐ寒くなる。風邪を引かない様に元気でお過ごし下さい。親父も新しいお友達が出来ました。ブログ見てくれましたか?(笑い)


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これから冬支度。大阪城内のホームレスの人達は何処に行ったのだろう?

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立冬の静かな午後の一時。大阪にもこんな静かな散策の道があった事を初めて知る。大阪城天守閣の上から見下ろすとこの広い空間は唯単に感嘆の空間だけれど、初めて歩いて見ると素晴らしいデートコースです。もうそんな色恋の時は昔々の話だけれど自分の足腰を労りながらゆっくり季節の移ろいと大阪城の歴史を知る。

絶好の道を見つける事が出来ました。写真を撮りながら歩いているとこの城の上を大阪空港に着陸する国内線が降下して行く。この先梅田の上を通り伊丹に着陸する。関西には大阪泉南沖を埋め立てて関西空港が開港されて久しいが、その時約束された伊丹空港の縮小廃止は実行されていない。

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身を乗り出して石垣の蔦の葉の紅葉を写していると、堀の中に吸い込まれそうな感覚がして来る。「やばい。体が揺れている」高所恐怖症の割には見境も無い。景色にも馬鹿にされていた。

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それではこれではどうだ。ざまあ見ろ。(まだまだ)自慢すな。

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それではこのアングルはどうだ。此処から見ると石工の綿密に計算された石組みの綿密さが良く分かる。300年以上の時の流れと大阪大空襲の戦火に堪えたこの景色はぼんやり眺めているだけで時の流れを忘れさせてくれる。「時の流れに身を任せる」とはこう言うことを言うのだろう。何も語らない石垣は本当はおおくの事を語り掛けていた。「どんな事?」それは言えません。?勿体ぶるな。(笑い)

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そう。陰と陽。こうして見ると陰の美しさが良く分かる。陰気な生き方。否定的な生き方。悲観的な生き方からは何も生まれないと良く言われるが、陽の中に陰があるから明るさが引き立つ。否定的な生き方だけでは哀しいが楽観的だけの生き方も危うい。悲観的な見方を弄り(まさぐり)ながら楽観的に生きる。その事を教えていた。

乳繰り合って間抜けな生き方をしているとその先にあるのは、この国の現実かもしれない。私達は長い間その幻想を追い求めていた。今こそ陰と陽の両面を見ながら悠然と生きる豊かさが求められている。今年ももうすぐ終わるがその前に待ち構えている大いなる変革。その激流に飲み込まれない為にも賢く生きなければならない。

「オバマの再選を否定したくせに偉そうに語るな?」(笑い)甘い。勝負に勝って試合に負けた。アメリカの大統領選挙でオバマの勝利を否定したのは正しかったと思います。アメリカだけでなくヨーロッパも中国もそしてこの国も、指導者が深刻な現実を直視し改善策を断行出来る行動力を持ち合わせていません。

どう考えて見ても世界のどの国も今求められている事は痛みを伴う改革です。美味しい言葉だけを並べて何かが改善出来ると思うのは幻想です。その甘い言葉に乗せられながら何時迄「前進」出来るのでしょうか?仮にそうだったらどう行動すべきか?その事が今求められています。

達者で生きる。ストレスに押しつぶされない。そして賢く生きる。そう親父の様な生き方です。? でもその事も長くは続かないかもしれません。うんちくを語る前に額に汗して働く。何処かのお間抜けな検察が言った様に「額に汗して働かなければならない」のでしょう。あの人は今きっと検察の不当逮捕と不当な取り調べに対して舌を出しています。検察の信頼?この国の法と正義も地に落ちています。

肩の痛みが取れない。明日4回目の注射を打ちますがヒアルロン酸。加齢で無くなっていると言われても為す術も無い。最初に診断された時に言われた5回の注射も効果は期待出来ない。お袋が「騙された」と嘆いていた藁にもすがる思い。この歳で分かって来た。親父は体を鍛えているので痛みには耐えられるが、この不快感だけは打破しなければならない。「喝」気合いだけではアキマへん。

耳も痒くて耳かき棒で掻き過ぎて内耳を傷つけている。掻きむしる。医者から「見えないから掻いているが、見えていたら掻かない」と馬鹿にされる。(注意です)薬をつけてもらうと「気持ち良い」しばらくは掻きたい誘惑に負けない様にしなければならない。何時迄続くかな?

コーヒーを入れて久し振りにトーストパンを口にする。ハチミツもなくなりました。親父お気に入りの「桜印のハチミツ」安くて美味いが国産ハチミツでないのがイマイマしい。原材料は中国、アルゼンチン、ニュージーランド、カナダ、他の国と表示されている。どういうこっちゃ?そういうことです。文句があるか?あったら国産ハチミツを倍の値段で買いなはれ。阪急百貨店地下街に行きますか?行きません。

近くの医者に言われた事と同じ。1時間以上簡単に待たされて正確な待ち時間は答えられない。待ち時間が分かる携帯のブックマークサービスも提供出来ない。「待ち時間に不満があれば他所に行きなはれ」と言われた時にはさすがの親父も怒り爆発。ホンマに医者の見識に説教が出来るのは親父位な者だろう。後2回。辛抱しなはれ。

結果は簡単に予想出来るが仕方が無い。肉体の神秘。原因が分かれば自分でヒアルロン酸の補給をしなければいけない。「注射しか方法は無い」と言い切られたが以前診断された手の痺れも自分で改善した。首の運動で骨が血管を圧迫している部分をマシにする。(しかし久し振りに見た我が首は本当にトドの首になっていた)がっくし。

お気に入りのuccドリップコーヒーで入れたブラックも飲み終えたし、これから相棒と共に歩いて来ます。今月末になると京都北山、東山、洛北。洛西、洛南の紅葉も綺麗になりますが今年は一眼レフで錦秋の景色がゲット出来るに違いありません。問題は行く時間。午前10時を過ぎると何処もバスが満員になります。それ迄に行けるかな?無理だな。それが問題です。

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大阪城の廻りを歩く。此処は大阪女子マラソンのコースでもある。

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正面突き当たリがこの地下街の入り口。(正式には決まっていない)好きな所から入って好きな所から出る。この狭い路地は碁盤の目の様に走っている。一度足を踏み入れると思いがけない発見があると思うのだが親父が行く店は決まっている。そう立ち食いのそば屋のきつねうどん?この正面に見える「スエヒロ」は親父の青春のシンボルです。もう後戻り出来ない禁断のレストランかもしれない。

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半世紀前の香りがするきっちゃ店。一人で入るには気恥ずかしいのも可笑しいが、慣れると皆お友達の気持ちになるのが不思議です。その気になれば何時でも入れるが、余程の事がなければ入ることはない。外から眺めるだけ。情けないとは思わない。

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阪急百貨店。今でも大勢の買い物客と見物人でごった返している。

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知らなかったがこの高架橋。年に3回。塗装が行われている。確かにこの高架が持ち堪えてくれないと東海道線、大動脈が止まる。

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今日の第一目的地。ハラタマ博士顕彰碑。但しこれだけを見ても殆どの人は分からない。我が国の生物化学の礎を築いてくれたオランダ人化学者。もう少し詳しい説明を見なければ分からない。

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まだ分かりにくい?ではウイッキベテアで「せいみ局」で検索して下さい。何でこんな難しい漢字を使ったのか分からなかったがオランダ語のchimie(化学)の当て字とか。今はその偉業を学校でも教えていない。(京大生は知っているのかな?)

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もう一つも目的地は大阪城。この交差点手前でバスを降りて向ったのは半世紀前の事。あの時と廻りの景色は様変わりしていたが、今日は初めてのコースをカメラを抱えて廻り込む。大阪城の初めて見る景色を目にする。この城を作ったのは天下人豊臣秀吉。そしてたたき壊したのは徳川家康。

そこには現在人には思いも寄らぬ戦略が隠されていた。その意味を噛みしめながら城を時計回りとは反対にゆっくりと歩きながら眺めていた。これからのショットは一般の大阪城見学とは違うコースを歩いている。

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大阪城には内堀と外堀がある。これは内堀。ここは満々と水が蓄えられているが大阪夏の陣と冬の陣ではこの堀を埋めさせなければ家康はこの城を落とす事は出来なかった。家康が大阪城落城に賭けた策略は命を賭けた戦いだったのだろう。事実、関ヶ原の戦いで西軍をひねり潰した家康はその後大阪城攻略に10年の歳月をかける。そして大阪城攻略の後半年もしない間に病に倒れる。御歳75歳。隠居の身で何を考えていたのだろう?家康がその華々しい天下取りの影に常に策略が付いて廻るのも面白い。唯、大阪城落城の悲劇は殆ど語り継がれていない。

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日本にもこんな静かな所がある。しかし、大阪に住んでいてもこんな憩いの場は一部の人しか手にする事はできない。ヨーロッパの何処にも負けない公園がある。しかし、散策の人は殆ど無い。ここは桜の並木。しかし樹は古く無い。

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この石垣は徳川時代に築かれたもの。秀吉の時代に作り上がられた大阪城はどれだけたたき壊されたのだろうか?常識的に考えれば大阪城は徳川の権威の象徴でもあったのだろう?

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ようやく天守閣が見えて来る。

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この松の古株が間違いなく歴史的に証明されているかは定かでない。唯、信仰とはそう言うものかもしてない。

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京橋門近く迄廻り込んで来ました。この後此処に掛けられていた橋をお見せするがその橋の名前が極楽橋。大阪城落城の時、戦勝者の徳川方が唯一解放した橋。しかしこの橋からの豊臣方の脱出は橋の名前とは真逆の地獄だった。

対岸からの徳川方の狙い撃ち。運良く橋を渡り終えてもその先は略奪と暴行。この城に女性をろう城させてたたのが戦いの終わりでもあった。女が戦うと言う事。その事は家康に取って戦わずして勝つと言う事とだったのだろう。

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夕日がそんな親父の嘆きをあざ笑っていた。この戦いの無い世を手にしたのは誰のお陰?アンタは何をしたの?そう問い掛けられていた。

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この橋は大阪落城時の物ではないが此処から大阪城内に篭城していた武士だけでなく大勢の女性が落ち延びたと言われる。その末路は言う迄もなく地獄絵だったに違いない。秀吉の間抜けさでは無くその後を継いだ妾がどれだけ先見の明が無かったのか?家康がそのとどめを刺す迄に関ヶ原の戦い以後10年以上の時を割いたのは一体何だったのだろう?

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フムフムフム。成る程。水鳥に馬鹿にされていた。そんな昔の事を語る前に今をどうするのか語れ?そんな事もどうでも良いくせに親父にチャチャをいれていた。今日は知らない大阪城を見る事が出来ました。このコースは結構な道程で良い時を過ごす事が出来ました。帰りは天満橋迄歩く。天満橋の地下鉄の駅は一度降りた事があるので思い出す事が出来ました。初めてなら分からなかったに違いない。

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早く帰らないと暗くなるよ。そう言われていた。

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ネオンが水辺に移り込んで来た。水鳥もねぐらを探していた。そろそろ引き上げましょう。初めて大阪城の内堀をほぼ一周する事が出来ました。

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最後に本日の傑作。この巨石。大阪城内No.2の大きさとか。照明に浮き上がった石は現在人に何を語りかけているのだろう?徳川の始めに時代と言えば今から400年近く前の事。その時代にこれだけの事が為し得た地方の力は一体何だったのだろう?皮肉な事にこの石を此処に引き上げた藩は江戸時代の終わりには対照的になっている。その時代の礎を築いた力はその時には全く芽吹いていない。(上の青色は空の色です。)幻想的。(自慢すな)ではもう一枚。

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この橋が京橋。川は寝屋川。この川はすぐ近くで大川(旧淀川)と合流する。この正面に見える夜景はすっかり変わっている。敗戦前日にこの近くの京橋駅空襲を知る人は殆どいない。この景色をこの地で命を落とした人はどんな思いで見ているのだろう?

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2012年11月 7日 (水)

昨夜の京都の夜景撮影は失敗。近くに居た綺麗な人を撮らなかったからだろう。(コラ)

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鴨川の夜景。四条大橋から。この時間になってもこの橋の上を行き交う人の波は途絶えていない。これから京都は観光シーズンとなるが、そうなると更に人並みは増えるだろう?しかしこの夜景を眺める人は殆どいない。それ程の京都の街の魅力は無くなって居るのだろうか?そうではない。観光客が集まる処。そこは有名な一部に過ぎない。今年は秋の京都の穴場を紹介します。お楽しみに?

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歌舞伎座と手前の柳。うらめしや?何が?生きる事に疲れたら京都に?それは辞めた方が良い。しんどくなったら奈良が是非お薦めです。奈良と言っても奈良公園、東大寺では無い。奈良しないから遠い国境の寺々です?

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四条河原町。四条通りと河原町通りの交差点から少し東の北側。この右側に京都を代表していた先斗町があるが今は往時の面影は無いも無い。最も稀に京都を訪れる観光客にはどうでも良い事だろうが。京都の本当の静けさを知るには少し足を郊外に延ばさなければならない。

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四条河原町。交差点。人通りは多くてアングルを上に向けている。今回の夜景は全て失敗です。流石にカメラに全ての色合いを切り取らせるにはオート設定ではこの夜景を写し取るのは無理?これから勉強です。勉強。何処かで聞いた言葉だな。

それでは昨日の自信作?

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この堀(豪川)は今でもこの十石舟が観光船として運行している。この堀は京都市内迄繋がっていたののだろうか?江戸時代の終わり勤王と佐幕の浪士達が京都市内と上方(大阪)西国(薩摩、長州、土佐、肥後)と往来をした重要な交通路だった。

何時かこの堀を遡らなければならない。この少し先に寺田屋はある。堀はその先迄続いているが何処迄続いているかは歩かないと分からない。(マップを見なはれ)酒蔵の尖った屋根が水面に映っている。今は静かなこの水辺も繁栄の時があった。

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2012年11月 6日 (火)

京都も段々と秋が深まる。しかし本当の紅葉はしばらく先になる。

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忘年会の時も全く関係なくなって久しい。そんな歳になっている。今年はどんな年の瀬を迎えるのだろう?それは空海様でも分からない。

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京都もこれから錦秋の時を迎える。ここは阪急河原町駅の一番先を右に上がった所?
鴨川はすぐ近くです。

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京都歌舞伎座です。鴨川の東側にあります。

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四条大橋から南を見ています。川下に京都駅がありその先に今日の目的地伏見の地があり昔は交通の要衝でした。鉄路が開通する迄は水運が発達していました。

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鴨川です。今は綺麗になっていますが戦乱の世は多くの人の首が晒された。今は平和の世でありがたいと戦争を知る年配者は語るが、今の世も無念の思いを押し殺して生きている人も少なく無い。古来より多くの人の想いを受け止めながら川は流れている。

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歌舞伎座前の建物。親父が初めて見た半世紀前の風景と何も変わっていない。

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中書島駅に到着。ここから宇治線が出ている。この駅は親父が若い頃は「ちゅうしょうじま」と呼ばれて来たが正式には「ちゅうしょじま」が正しい?駅員に聞いたが面倒くさそうに「どちらでも」と言われたが由緒ある名前の解説が出来る人は少ない。

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解説が細かいが興味があればウィキペディアで読んでみて下さい。

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久し振りの長建寺の中国風?の土塀を見上げていた。秋が深まっていた

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本堂。格子戸の左にイケメンの空海様が鎮座しているが、残念ながら和尚が不在で見れなかった。呼び鈴で呼び出せば見せて呉れたに違いないが?次の機会を楽しみにする。以前内緒に撮った写真をお見せしますがこれは特別の例外。親父のお宝です。

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空海様。次は一眼レフで撮らせて下さい。その時迄頑張ります。

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お寺さん前の豪川。この堀を眺めながら歩いていると心の中が透明になっていた。

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酒蔵。今は記念館になっているがここから酒樽を10石舟で積み出してこの先で三十石舟に積み替えて大阪の消費地に運ばれていたのは100年足らず前の事。当時の賑わいが聞こえて来る。この散策の道を知る人は少ない。独り占めでした。

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これが本日一番のショット?

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寺田屋さん。宿は今でも空いていれば泊まれる。しかし旅籠の中は公開されているので泊まる人は余程のマニア?かも。今回は時間が遅かったけれど公開の時間は4時前に終わる。3時半が閉切りの時間だった気がする。前回見る事が出来た。

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今日はここ迄。これからサウナに行きます。


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2012年11月 5日 (月)

先日バッテリー切れで撮れなかった風景は異空間にありました

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大阪梅田JRガード下飲食店街。何でもあります。安くて美味い。安く無い本格的な昔からの洋食店もある。

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大阪駅東口。(今はこの呼称は御堂筋口)JRガード下。先日この右奥でホームレスのおっちゃんがガキに殴り殺される。ホンマ情けない国になりました。この風景は親父が見た半世紀前の景色と何も変わっていない。変った事と言えば無抵抗の弱者を踏みつけても痛みを感じない人の心だろう。強者に立ち向かえ無いガキも哀れです。

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この景色も半世紀前と何も変わっていない。変った事と言えばこの松下幸之助氏が寄付した歩道橋が歩行者の歩道を奪った事だろう。ここでも歩道橋を渡らずに横断していた歩行者を早朝はねた車が、その歩行者を引き摺りながら逃げて捕まっている。

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大阪駅全景もこの阪急前の歩道もすっかり変りました。変わらない物を探すのはむつかしい?天気予報が外れて小雨が上がっている。これから神戸に向います。先日撮れなかった港の景色を切り取って来ます。

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久し振りの阪神電車。親父が若かった時は三宮行きの電車が今は神戸市内の地下は神戸高速、そこから先は山陽電車の相互乗り入れで姫路迄行ける。この電車は山陽電車かな?

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神戸三宮の駅は工事中。この電車は奈良行きになっているが途中の駅(尼崎)で分岐し大阪難波を通り近鉄電車が乗り入れている。山陽電車と阪神電鉄。近畿日本鉄道と阪神の相互乗り入れは大阪と姫路。神戸と奈良を一気に近づけている。その経済効果はどれほどの物だろう。その細かい分析を親父は知らない。

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神戸三宮地下街。(通称サンチカ)案内図と案内標識は出ているが初めて来た人はどこにどう行けば良いのか分からない?観光案内。行き先案内の人が見当たらない。

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歩いても港は遠く無いが先日歩いているので地下鉄に乗る。この地下鉄も建設費用を回収出来ない赤字が続いている。この街の交通アクセスが何で地下鉄でなければなら無かったのか、その責任すら問われていない。神戸の街造りになんで路面電車を生かせなかったのだろう?細長い神戸の街は山の手と海岸線の美しさが分断されている。

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神戸港です。今日はこの船で神戸港のクルージングです。(そんなに大層な物では無い)それでもいい景色が写し取れましたよ。ご期待下さい。

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港の夕暮れと夜景、朝焼けの景色が見れるホテル。このホテルがオープンして久しいが今でも人気スポットに違いない。一度泊まりますか?考えときます。(駄目だな)

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神戸造船所。デカイ船を造っていた。しかし一時期の勢いは中国と韓国に奪われている。

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これがホンマのクルーズ船?食事付で明石と鳴門大橋近く迄の本格クルーズ?

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通り過ぎて灯台横の漢字が読み取りにくいが「神戸港」と書かれている。灯台にこれ程の大きな漢字表示があるのは外に無いとアナウンスされていた。これが本日の傑作かもしれない。暮れなずむ夕焼けの中に白い灯台が映えていた。

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神戸港内の観光船で料金も1000円。親父の場合は高齢者割引で800円。戻って来た時は完全に暗くなっていた。2階の展望デッキに出ていたので今でも体が揺れている。(苦笑)夜景も綺麗に撮れました。流石一眼レフです。(これ位はデジカメでも撮れる?失礼しました)

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右の建物も出来て久しい。複合商業施設。買い物。レジャー、シネマの施設。足を踏み入れなかったが親父的には何で中華街の食堂を入れなかったのかと思う。香港のジャンボような賑わいにはなっては居ない?

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モザイク。まさにその通り。斑模様。斑点。陰と陽が重なり合いながら船上デッキでも若者のカップルが肩を寄せ合いながら夜景を眺めていたが、親父は冷めた思いで見ていた。神戸のこの港を築いた人の想いはこんなに冷めていたのだろうか?そうではなかっただろう?熱気と勢いがなくなるとこれ程に閑散とするのだろうか?そんな思いがしたのは歳(よわい)の所為ばかりではないに違いない。

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感激の一時をありがとう。なんだかんだ言った処で感動の一時でした。

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明後日は立冬。政治のチキンレースは何時迄続けられると思っているのだろう?

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ドウダンツツジ。昨日の夕暮れ間近の公園。殆どの人が見向きもしないが何故か親父の足を止めて語り掛けている。ドウダンツツジ。4月中旬〜5月の上旬に白い花が咲きこの時期にこれ程の艶やかな紅葉をする演技力は他に例を見ない。

大阪は今日は薄ら寒い一日です。こんな日は部屋を片付けながらお気に入りのドリップコーヒーでも入れながら、うまいパンでも食いながら本を読むのが上等な過ごし方だが、よせば良いと躊躇しながらカメラの収まったカバンを手にしている。

それなのに何でこんなお粗末な記録を残しているのか?それは又お間抜けな事にカメラのバッテリーの充電をしていない事に気付いたからです。(只今充電中)。その時間待ちをしながら暇をつぶしています。自分で言うのも烏滸がましいが(おこがましい。こんな漢字は親父も知らない)こんな時でもぼんやりとはしていません。

烏滸がましい?おこがましい。最近こんな言葉を口にしなくなりました。歌舞伎の白波5人男の盗人の口上。「問われて名乗るも烏滸がましいが.....」この名台詞と大見得を切る盗人の言葉を知る人は年寄りの何とかかも知れない。そう年寄りの何とか。

石原新党立ち上げの威勢の良い言葉を効きながら、この人の哀れさを感じて仕方が無い。大見得を切りながら小異を捨てて大同に付けと明治維新の薩長連合を口にするがこの親父の言葉に論理の矛盾だけでなく、年寄りの醜さを感じるのは親父だけだろか?

齢(よわい)80で若者は頼りなら無いとどんなに威勢の良い事を言っても、サラリーマンの定年をまさか知らないとは言わせない。80の爺が憲法破棄だとかこの国の素晴らしさをどんなに口にしても、自分が政治の世界で果たした足跡を忘れてはいけない。

中央政権で引退声明を明らかにしてどれだけの歳月が流れたのか知らない人は少なく無いがアナタの出番は無い。どんなに言葉を誤摩化しても自分の足跡を消す事は出来ない。有権者が手にした国民主権。一票の重みを忘れてはいけない。戦塵に散り戦火に倒れた多くの若者達の購い(あがない)を知らない若者の達を見くびってはいけない。

この国の既成政党の体たらく。期待された政権交代で民主党が見せた体たらくは別にこの国だけのお粗末ではない。政権交代で約束された政権公約を見事に反古にした無責任な政党は間違いなく次の選挙で有権者の鉄槌を受ける。存在感がこれ程に否定された政党はこれ迄には無かったかもしてない大敗を喰らう。

その恐怖感で選挙をどんなに先延ばししょうとしてもその限界は見えている。この大事な時に国会審議も行われずに総理も財務大大臣も国際会議?この国に喝の一声が響き渡る時、その日はこの国が本当に変わる時に違いない。深刻な財政の危機。地方の知事達がどんなに悲鳴の言葉を上げた処で、そんな物は政権与党に取って痛くも痒くもない。見捨てられた政治家に経済界のドン達は引導さえも渡せないのだろうか?

カメラの充電完了。雨が降らないうちにお出掛けです。でも今日は遠出は出来ない。

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2012年11月 4日 (日)

今日は休足日。近くを歩いて来ました。

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親父の散歩コース。柿が見事に色付いている。柿が珍しく輝いていた。柿大好きの親父もにっこりしていた。幼い頃、家の近くのよそん地の柿を弟に取らせていたのを親父とお袋に見られてこってり叱られた事を思い出す。柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。子規。

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今月から城跡公園の閉門が5時になる。先月迄は7時だったのでゆっくりしていると入れなくなる。先日から菊花展。近くでこれだけの展示を見れるのは毎年楽しみです。この赤い実は近くの介護施設のハナミズキ。パチンコの台で同じ名前が在った事を思い出す。新装開店の静岡掛川のお店で大当たりを引いた事を思い出す。今はそのパチンコもどんなに暇でもやる事は無い。毎日しっかり歩いています。

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城跡公園の紅葉。秋がこれから一気に進む。モミジの紅葉はまだ進んでいない。

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この木はヤマボウシ。紅葉の葉っぱを横目に見ながらオラが秋を謳歌していた。

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同じ木を引いて写している。

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これはカエデ。これから風が強くなると一気に葉が落ちて冬支度を完成させる。

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それではこれから菊花展の美しい日本の秋を紹介します。うんざりする程シャッタを切りました。ある意味これも親父の撮影技術の練習です。でも親父はカメラを構えるだけで綺麗な映像はカメラのインテリジェントオート(自動制御)です。素晴らしい。多くのお褒めの言葉を頂きますがこれも日本の物作りの技術です。

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これが本日の自慢の一枚。菊を丹誠込めて手を掛けた人の思いが感じられる。

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この錦木はまだ美しさを輝かせていた。この木の葉っぱがこれだけの美しさを見せて呉れる時はしばらく続く。この葉っぱが勢いを無くすと木枯らしが勢いを増して来る。

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親父の大好きなハクモクレン。むらさき色のモクレンの花とは違う趣がある。開花の時は桜満開の時より少し早い。親父の眼を楽しませてくれた仕事場近くの木はどんな人が見上げているのだろう?そんな情感のある人はもう居ないに違いない。

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しつこいと言われてもこれが最後です。しばらくは人の眼を釘付けする。

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これは錦木の子供では無い。ドウダンツツジ。そうツツジです。ツツジと言えば初夏の頃(5月上旬)眼を楽しませて呉れるが白い花が咲くのは親父も知らない。

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十月桜。十一月になって極まり悪そうに小さな花びらが開いていた。

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シャリンバイです。

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公園事務所前の立派な黒松。少年老い易く学成り難し。光陰矢の如し。この前に立つとそんな事を考える。多くの人が多くの事を語るが自分の本当の姿を知る人は少ない。この先に大手門がある。若いママにてを引かれた男の子がしっかり歩いていた。

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こむらさき。秋が深まっている。

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ここで中断します。この後近くの山辺の道?を歩きました。

お待たせしました。今先日失敗した芋煮のリベンジを横目で見ながら、本日の散歩のオマケです。少し長くなりましたから眺めるだけにして下さい。

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ここが公園入り口。大手門。これから帰ります。

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体育館横の景色。左は駐車場。右は谷。

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山裾の広い道を渡り散策の道を歩く。ここで季節外れのバラが歓迎して呉れる。

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山麓の散策道。紅葉の時は後半月以上先になるのだろう?

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この緑が紅に染まる時、師走の時は始まっているのかもしれない。今年は暑い時が長く、そして一気に寒くなったから今年は期待以上の紅葉が見れるに違いない。遠くに出掛けなくてもこんなに近くで歓迎して呉れる。人の世も同じに違いない。

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上の公園(正式名では無い。グリーンセンター?何回来ても覚えないのは何故?)

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秋の夕暮れ。人影もない。そんな公園に綺麗な花が咲いていました。

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お気に入りの缶コーヒー。でも喉が渇いていなかったからだろうか?喉越しが悪い。

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夕暮れが迫っていた。冬枯れの時が来ると今年も残り少なくなる。今年の冬はどんな雨上がりの道を歩けるのだろうか?年々暖かくなっていると言われるがその実感を出来る人はどれだけいるのだろう?テレビで懐かしい風景が広がっている。「大井川鉄道」電車も客車も良く言えばレトロ。悪く言えば汚い。観光列車と言うには?

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最近はおにぎりにその座を奪われ余り利用していないが、お気に入りの手作りサンドイッチさん。今日も頑張っていた。お疲れ様です。

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先日の芋汁。今夜は豚ひき肉とタマネギ一個を加えて上等の芋汁作りました。味は麦味噌の味が食べる煮干しで出汁を取らなくても上等の味でした。「やれば出来る」。それ程の物でもそれ以下の物でもありません。芋が人に与える力。それを九州の麦味噌で豚のひき肉で喰らう。これ以上の幸せは無いのかもしれない。(笑い)

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しーずかな静かな里の秋。お背戸に木の実の落ちる夜は、アア母さんとタダ1人、栗の実煮てます、 いろり端

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秋深し 隣は何を、する人ぞ。芭蕉。親父は昨夜は芋汁を作りました。と言っても綺麗に皮むき(包丁で?)された里芋を茹でてお気に入りの九州麦味噌(余り塩気が強く無い)で「食べる煮干し」で出汁をとりました。

でもこうして見ると味噌汁と言うより粕汁。本当はこれにタマネギと豚肉のコマギレを入れると立派な芋汁。哀しいかな。これで納得していた。昨日は「石切さん」の帰りに梅田の阪急3番街でインディアンカレーを食っていた。

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静かな朝。鳩がお早うと声を掛けている。カメラを向けると素っ気なく無視される。

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この樹が切り倒されると立派な住宅地になると思われるが。この樹を植えた先人の想いが重くのしかかっている。市の看板?が存在感をさり気なく感じさせる。

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庭の千種も虫の音も?違います。菊のつぼみ。後1週間もすると花開くのだろうか?

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最近は朝食はこのおにぎりと豚汁。お米屋さんのおにぎりです。おにぎりはずっしり大きい。(と言ってもそんなにデカクは無い)具は昆布と高菜。いつも同じ物を食っている。

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駅に向う信号付の横断歩道。表通りの大きな交差点ではないので車の通りは多くは無い。その為?赤信号でも平然と渡る人は少なく無い。その世代もバラバラ。車が来ていても平気な顔をして渡る人も少なく無い。馬鹿正直に青信号で渡る人は多くは無い。これ位のルールが守れなくてどんな生き方をしているのだろう?(と言いながら急ぐ時には親父も右見て左見て素知らぬ顔して渡っている)アホ。

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2012年11月 3日 (土)

大阪人でもこの山の頂上を歩く人は少ない。親父も同じ。

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生駒のテレビ塔が見える。この山の頂上から大阪平野が一望出来る。この山塊が長い間奈良と大阪の交通を遮っていたが、今はこの山の中腹と山頂には住宅地が開けている。それでもこの山の大きさは長い間多くの想いを遮っていた。この線路はこの先トンネルでこの山を抜ける。

近鉄奈良線はこの山裾をしばらく左に登り石切駅の先でトンネルに入る。この工事は朝鮮労働者も過酷な労働を強いられ多くの尊い人命と多額の工事費用を強いられ、その鉄道会社は倒産している。近鉄(近畿日本鉄道)はその後を引き継いでいる。このトンネルは違う。そんな時代があった事も忘れられ近鉄も関西No.ワンの鉄道会社を阪急、阪神ホールディングに明け渡している。しかし営業距離では今でも他を引き離している。

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親父の大好きな室生寺も近鉄沿線。大阪から伊勢に向うその中間にある。今年箱の素晴らしい紅葉が見れるだろうか?その時も後3週間先には訪れる?

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石切神社本殿?石切神社は関西では石切さんとして親しまれている。しかし最近はお参りをする人もお年寄りが多い。(と思いきやお百度参りを若い人が黙々と行っていた)親父自身が信仰心の強い人では無いのでこんな人を見ると感動してしまう。残念ながら顔はアップで映せない。

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これから参道を歩きます。近鉄の石切の駅迄登り坂が続く。今年の夏。汗をかきながら登った先には感動のお寺さんが待っていた。今日は涼しくて汗もかかないが参道の人並みは結構多かった。

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何かを食いたいと思いながらも結局何処にも寄らなかった。

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お寺さん到着です。千手寺(せんじゅうじ)と読みます。お寺さんの解説はパソコンで検索して下さい。大阪再発見で詳しく解説されています。秋の気配と静けさが加わり期待に答えてくれました。

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次は何時来れるかな。ここは石切さんに来た人の多くが知らない穴場です。何時迄も穴場とはいかないだろうが何もありません。それが親父の様な変わり者には至福の時を感じさせてくれるのでしょう。ホント何にもありません。でもこの地がまだ開けていななった役行者の時代には大阪湾に反射する夕日が、どれほどに神秘的だった事でしょう。弘法大師もその景色を見ながらどれほどに感動した事でしょう。

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今は殺風景な景色が広がっていた。それでも空気が澄んでいれば正面の六甲の山塊に沈む夕日は絶景に違いない。空気の澄んだ夕暮れの時ここから大阪平野と日の入りの景色を写し取らなければいけない。又、楽しみが一つ出来ました。

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帰りの電車は前の駅で満席。座れず。しかし大阪市内迄の時間は長くは無かった。慌てて席を探す事も無かった。歩く様になって嬉しい事は電車の中や駅の階段で歩く事が苦にならなくなった。押し合いをしながら電車に乗り込む事もエスカレーターに割り込む事もなくなった。都会人が元気でない訳が解って来た。立ちなはれ。歩きなはれ。譲り合う余裕な心を持ちなはれ。そうすれば間違いなく健康で生きられる。

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港は異国の船も出入りしている。そんな世界も関係ない生き方をしている。

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大阪は最高気温が20℃を切る陽気になりました。この気候は11月末の気温と言われているが、これから始まる錦秋の秋を考えるとこの寒さは、紅葉の鮮やかさを一層引き立てる恵みの寒気に違いない。そう考えるとこの冷え込みは感謝、感激に違いない。久し振りに見た大阪湾も青春の暗い想いは何処にも感じられなかった。

今日は洗濯が終わると「石切神社」を訪ねます。今年の夏。暑い日差しの中をゆっくり登った参道はすっかり涼しくなって、多くの年配者(おばちゃん、おばあちゃん)が多い事でしょう。何故か親父達は少ない。ここに来るとおばちゃん達が何で元気なのか良く分かる。男達は本当にだらしない。歩かなければ長生きは出来無い事が良く分かる。しかし人は何故長生きを幸せと思うか?それも程々が丁度良いのだろう。

何処かの政治家がこの期に及んで「中庸」とか言っているが過大でも過小でも無いその中間とはどんな考えだろう?この国の多くの見識者が尤もらしい事を言いながら何も出来ない。その胡散臭さを考えて見ると人の思いを掻き立てるのは極端な過激な生き方かもしれない。石原新党立ち上げや橋下維新の会の勇ましさは歴史的に見ると明治維新の影、犠牲、暴力を認識しないこの国のオバカさかもしれない。

何かを変えられる人。凡人とは違った生き方。世の中を変えると言う事は「中庸」では出来無い事を50年前とは様変わりしたこの大阪湾の風景が証明していた。この壮大なる税金の無駄遣い。こんな景色はきっと横浜の港でも見れるのだろう。神戸の港でもそうだったが港の景色がこんなに寂れたのは皮肉な事に税金の使い方。お役人の無責任な先の見通し(そんな物は初めから無い)だったに違いない。

その事は今でも続いている。何とか審議会。なんとか00会。多くの訳の分からないメンバーが検討して造った建造物が10年の経たない間に人影がまばらになっている。結局そんな人の未来は誠に哀れである事を誰も思い知らされていない。何故でしょうか?その事はオバカなテレビ。マスコミの報道を見ると良く分かる。

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2012年11月 2日 (金)

青春とは人生のある期間を言うのでは無く心の様相を言うのだ。希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)

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最寄りの駅のホーム。この時間午後の早い時間。電車は急行と各停(ローカル)が10分間隔で来るので待つ時間は少ない。このダイヤは土日、平日を問わず。但し時間は少しずれる。当然急行は停車駅が少ないのでこの時間でも込んでいる。親父は空いていなければ各停でゆっくりのんびり座って行く。それでも時間はいくらも変わらない。

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阪急梅田のデパート迄電車のターミナルから少し歩かなければならないが、今、このデパートの売場が改装、増築され大勢の買い物客で賑わっている。そう言えば聞こえは良いが何処からこれだけの人が出て来るのだろうかと思われる。今、頻り(しきり)に景気は良く無いと尤もらしく言われている。それは嘘です。景気に関係なく物珍しさ、好奇心、そして買い物の魅力を刺激されるとこれだけの人が押し掛ける。

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3枚の写真はいずれも店外。店内は写真を撮るのを憚られる程(はばかられる程)人が多い。但し買い物目当ての人と唯ウロウロしている人の割合は定かではない。

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ここも連絡通路です。でも正確にはビル内の連絡通路です。本当に広くなりすっきりしています。

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体調を崩した中西君のお店に顔を出す。一昨日、電話で様子は聞いていたけれど気になって声を掛ける。お昼時のサラリーマンのお客が居無くなりウロウロ?していた。後ろからいきなり声を掛ける。

久し振りに見る顔(と言っても2ヶ月ぶり)は確かに疲れていた。雑談をしながらそれとなく聞いて見るとゆっくりオフ(休息日)の日を作っていない。休日は週1日。それでも半日。後は仕込みと段取り。

それでは頭も体もリフレッシュしない。若い事を過信してはいけない。安全なオフの日を作らないといい仕事ができない。良い仕事では無くやらねばいけない強迫観念に追いまくられる。共同経営をしている相棒とは良く話し合い、ダウンしない体作りをしなければならない。偉そうなうんちくを並べていた。

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この駅は2つの路線が乗り込んでいるので、出入り口を一つ間違うと方向感覚が全く
変る。今日もこの出口が分からず全く違う出口で地上に上がる。それでも昼間の時間だったので景色を見比べる余裕があった。夜になると余程慣れていないと途方に暮れる。

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中央線に戻り湾岸地域に向う。地下鉄はここ迄。ここから同じ駅でニュトラムに乗り換え。ニュートラム。聞き慣れない交通手段。興味があればパソコンで検索して下さい。しかし、ここで乗り換えをしなければならないのは不便。意外に利用者は多い。

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鉄路はない。車輪では無い。ゴムタイヤ?強化された固いタイヤ?電気で駆動。無人運転。工事費は安いのかもしれないが交通アクセスは首を傾げる。お役所仕事とはこんなもんかもしれない。モノレールより安いのだろうか?無人運転も怖い。

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インテックス大阪?違います。これはホテル。ハイアット、リージェンシー、大阪。
インテック大阪はこの右下にある。インテック大阪もパソコンで検索出来ます。ここで行われた世界金融会議。大阪経済界、日本金融業界が誘致した国際会議は殆どニュースにもなっていない。儲かったのはこのホテルだったのだろう?

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大阪市の第三セクターが建設したワールド、トレーディング、センター。入居率が上がらず多くの空室があり倒産。金融機関に多くの融資を踏み倒し今は大阪府が買い取っているが大阪府庁の一部しか入居していない。

典型的なお役人の税金の無駄使いの象徴/それでもこの埋め立て地の有効利用は何処迄も難しいに違いない。その理由?それはここに来てみれば良く分かる。この壮大な埋め立て地の有効活用は最初から考えては居なかったに違いない。お役所仕事にストップを掛けられなかったのは政治家と関西経済界のどんな思惑があったのだろう?

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大阪南港です。別府に向うサンフラワー?大分別府ではなく鹿児島志布志かもしれない。20年近く前に利用したけれどあの時は親父も若かった。仕事では存在価値を失っていたが会社を辞めるタイミングを失っていた。不平、不満を募らせている間に大事な人を失う。あれから多くの歳月が流れて今は一人で彷徨っている。

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海を見ながら景色を切り取っていても感情の起伏は何も無かった。海を眺めながら心に去来する物は何も無かった。海は本当に広いけれど大海原は親父も知らない。親父の親父。爺ちゃんが見た台湾近くの海を見たのは7年前。あの時の海の美しさはここには無い。それでも間違いなく感じる事は先人達の心意気。この海を見ながらこの国の未来を信じて懸命に生きた人達。今の時代を見据えている人にそんな気骨があるのだろうか?この国の近未来。その時代を切り開く。そんな夢を忘れてはならない。

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何処か外国の港の風景に見えるが大阪南港です。美味しいシーフードランチを食いながら潮の香りを嗅ぐ。そんな夢を見た人も少なく無いと思うが所詮夢だったのだろう。ここでは汚れた海水と潮の香りではなく悪臭しか嗅げなかったのかもしれない。

希望に胸を膨らませてこの施設がオープンした時の熱気は既に無かった。

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今夜のオマケ。(おマケにならない。お粗末です)コラコラそんな罰当たりの事を言っちゃアキマへん。昨日の残りです。でも今日は大阪からの帰り阪急の地下でジャンボ稲荷を買い、近くにスーパーでも総菜を買ったので食い過ぎです。

何を買ったか?それは内緒です。(大好きな鶏の唐揚げと北海道ポテトサラダ少々)それにミソ汁も作ったので完全に食い過ぎです。お腹がパンパン。(コラコラ)好きの物を腹八分にしないと永くは生きられまへんえ。(分かっています)分かっていない。(トホホ)

偉そうな事を言ってもからきし自分の減量管理は出来ていない。今日顔が小さくなったと言われてニンマリしたが、体型はまだトドです。野生のトドのように立派では無い。早くお腹を凹ませて質素な生活をしなければならない。(無理だな)

昨日3回目の肩の痛みを和らげるヒアロンサン注射を打ちました。2回目の時、医者に待つのが不満なら外を探してと言われて親父がぶち切れたが、その所為では無いと思うが痛みは消えては居ない。辛抱出来ない激痛は無いが違和感を伴う鈍痛がある。

唯、この医者との信頼関係が無い事を3回目の注射で痛感する。良く考えて見ると痛みを感じる炎症が一時的に注射で解消されたとしてもそれは自己回復では無い。親父が医者の処置で一番感じる不信感。それは一時しのぎ。左手の痺れの時も言われたが自分の体の衰えを口にされると患者は卑屈になる事をこの医者も知らない。

通販の健康食品では効きません。効果はありませんと断定されたがサメの軟骨の粉末飲んでみますか?そうしないと肩の痛みはくたばる迄の持病になってしまう。自分の体の不具合を薬で補うしかなくなった時、空海様に助けを求める様ではアウトです。



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2012年11月 1日 (木)

懐かしい芦屋川の景色 それよりももっと懐かしい神戸港

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半年間仕事で利用した駅。午後の仕事だったので帰りは10時前の電車だった。

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親父を慰めてくれた松の木としっかり絡み付いたバラの弦。(弦と言うより枝に成っていた)5年ぶりの再会。(実際はその間に何回か合っている)相変わらずの元気さに嬉しくなる。アンタもね。そう言われていた。

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近くの公園。滑り台で子供2人が無邪気に遊んでいた。この近くに若い奥さんが居て何故におかしいのか馬鹿笑いをしている。品がない。最近こんなママが少なく無い。

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この公園の下に立派なトンネルが出来ている。この公園の左を天井川が流れている。

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山陽本線。今は何故か神戸線と呼ばれている。遠くの山は須磨の山並み。義経が「ひよどり越え」の崖を馬で駆け下りて平家の軍勢を奇襲している。戦いの戦術に長けた義経のお陰で平家は壇ノ浦で滅亡するが、京都の朝廷に取込まれて兄頼朝の軍勢に追われる。この静かな景色を見ているとそんな面影は何処にも無い。

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藤原業平の名前が付いている。大正の終わりに完成。アメリカの空襲にも阪神大震災にもびくともしていない。現在改修工事中。

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これが六甲の山並み。ここから有馬温泉に抜ける芦有道路からの景色は素晴らしい。20の頃と十数年前に走り抜けている。もう一度の機会があるとすればバスになるに違いない。(タクシー?)それは贅沢だす。どれ位掛かるのかな?

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親父が働いていたお店の反対側の綺麗なお宅。スイスのツェルマットの景色を思い出す。個人のお宅では無い/花屋さん?よくわからない。

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この街は高級住宅地。最近はこの辺りも整備されているが本当のお金持ちは正面の山裾に住んでいる。眺めが良くて静かだから。しかし最近はその様子も変っている。

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仕事をしていた初めの頃お昼の弁当を食っていた公園。前来た時は整備されていなかったが今回は草が刈られていた。

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クロガネモチが青空に存在感を主張している。「オイ。貧乏人。どうだ」まさかそうは言わないだろう。(笑い)

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昔の侭のガードを潜る。駅は近い。

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これから神戸に向う。久し振りの三宮です。

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三宮の駅裏。ここも戦災にも震災にも焼けていないので凄い。何が?御覧の通り。

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表に出て港に向う。こちらは震災で整備されているので浦島太郎状態。港はどっちかな?右だ。しかし歩くと20分位掛かる。

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年の瀬になると照明で飾られる。ルミナリエってどんな意味なのかな。電飾。飾付け。イルミネーション。イタリア語。?

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この鳥居は震災で立て替えられている?
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神戸港到着です。この石碑を見ながらうな垂れていました。「国史を愛し郷土史を偲ぶ人」情けない事にこの碑を見たのは初めてでした。しょうがないかも。そう。覆水盆に帰らず。過ぎたるは及ばざるが如し。悔い改めるならこれからだろう。

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ポートタワー。親父が22の時新入社員を連れて登った事がある。その新人が親父の後を継ぎ散々苦労したとぼやかれた事がある。親父が営業を自分から辞めた時、道は開けた。しかしその後始末は大変だったのだろう。その後輩も今は定年だろう。

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神戸ルミナス。神戸港の遊覧船。夕日を追い掛けながらのクルージングはこの狭い港内では無理かもしれない。せめて日本海フェリーで北陸敦賀から北海道小樽の船内でないと無理だろう。後ろはホテルです。この手前の堤防でガキが肩を寄せ合っていた。このホテルに泊まるのは無理だな?(コラコラ)

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アメリカ新大陸発見のサンタマリア号。(ただし本物そっくりに造られヨーロッパから神戸迄実際に航海し寄付された船です)

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詳しく解説されているが内容は拡大して見て下さい。マリアは元気かな。幸せですか?

この先断念ながら電池切れ。中突堤のイメージが全く違っていた。震災で大きな被害を受けたのだろう?風景は一転していた。息を呑む景色と言うのはオーバーにしても夕映えの時を切り取れなかったのは、またの機会をリクエストされたのだろう。

久々に?今夜のおかず。でもその前に神戸で神戸牛が食えなくて電車に乗ったので、大阪十三(じゅうそう)で乗り換えの時、構内のコンビニで腹ごなしにドルチュ仕立てのメープルアーモンドを買う。製造者山形のでん六。40g。電車の中で口に放り込むのに丁度良い。しかし、電車の中はそんな余裕は無かった。乗り込む前にホームで放り込む?

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どうですか。自慢の一品。材料はブロッコリー一個。タマネギ一個。親父お気に入りの粗挽きハム2枚。ニンニク一個。味付けは醤油とテンサイ糖。ブロッコリーの表面葉先を包丁で少し削り落として後は適当にスライス。タマネギも4分割して後はフライパンの上で薄くする。ブロッコリーとタマネギ。ハムとニンニクの美味さにニンマリ。お試しあれ。ブロッコリーとニンニクの美味さに食わず嫌いでした。

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二皿目。ニンニクが全く臭く無くホクホクしている。呼吸に臭みが出るかも分からないがこれは親父の得意料理になりそう。(笑い)これにジャガイモのスライスが加われば完璧かもしれない。他にも応用が出来るに違いない。

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霜降の月。1年を振り返る月。新たな一歩を刻む月。

今日から11月。今年も後2ヶ月。早いもんだと思いながらも年を重ねる事は嬉しくは無い。最近、特に感じる事は年老いた事。廻りを見渡しても元気のよい人も少なく無いが、医者に行けば自分の健康をどれだけの人が難儀をしているかが良く分かる。

健康の有り難みは元気な時は分からないと言われも首を傾げていたが、実際に何処かを患うとその回復の難しさを痛感する。高齢者の医療費の増加が問題にされているが、この国の医療の実態はそこのある事を知る人は少ない。(どういう事?)

年たけて体にガタが来て医者の門を潜ったその日から、医者にとって患者はお客さん。亡くなった大阪の天才落語家「桂 枝雀」さんの落語に昔の医者の笑い話がある。「お医者さんとて患者が多くなるのは嬉しい」の前節(ぜんせつ、先に話す言葉)でそう述べていた。

皮肉な事に枝雀師匠は鬱病を克服出来ずに自らの命も絶ってしまう。お医者さんにも例外はあると笑い飛ばしていた本人が自殺してしまっては笑うに笑えない。これが今日の医療と老いの現実です。その深刻な現実を元気な時には窺い知る事は出来ない。

どんな元気な人でもその生涯は哀れです。その事が分かればもう少し違った健康管理が出来るに違いない。反対にそんな事は爪の先にも感じさせない元気な生き方をしている人もいる。そんな人が本当の幸せの伝道者と言えるのかもしれない。

しかし、現実を直視すると本当に厳しい。その厳しさを多くの人が知らないから平然と生きていられるのかもしれない。最近の政治家、多くの人達にそんな気持ちがあれば、この混迷の時を打ち払えるに違いない。11月は間違いなくそんな月になります。寒さに負けず困難に立ち向かいながら雄々しく生きて行きましょう。(例外の人もありますが。。。)

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抜ける様な空と言いたい処ですが薄雲が広がっている。そんな感じがしないのは日差しが暖かいからかもしれない。天気予報では大陸からの寒気が入り込み寒くなる。日本海。北陸は曇天。雪が舞うかもしれない。

大阪のお昼前の最高気温は18℃。しばらくは肌寒く風が強くなる。枯葉が舞い秋は一気に進むのだろうか?週末は寒くなる。(と言っても最高気温は15〜16℃)秋を探しに出かけるには嬉しい季節になる。

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深刻な経済不況が続いているがその認識に欠ける政治家と経済政策の責任者。

何だこの間抜けなお昼のニュース。環境省がクールビズからオームビズ。役所の暖房の温度設定20℃。厚着をして寒さを凌ぐ。今求められているのはそんなパフォマンスでない事を彼等は認識していない。彼等の政策がどれだけこの国の生活環境を改善しているのか?その事を伝える役目は公共放送には無いのだろう。

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