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2012年10月

2012年10月31日 (水)

大阪駅中食品、総菜売り場がオープン。狭い。人の流れも多い。

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大阪駅桜橋口。大阪駅で乗降した事の無い人は分からないが、大阪で住んでいる人もこの乗降口でJRを利用する人は多く無い。その訳はこの場所にある。大阪駅南(表)出口を利用する多くの人はこの反対側(東出口)御堂筋側が多い。

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長い間。この出口の乗降客は多くは無く薄汚れていたが、最近はこちら側におしゃれな外資系のお店も多くなり、ビジネス街として綺麗になっている。それに比例して人の流れも多くなっている。今日はこの奥に駅中の食品売り場がオープン。少しのどいたが狭くて見物客も少なく無かった。

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大阪駅西口(桜橋口)を出て直進し左に動いて正面を見ている。右の高い建物とその左の円筒形の建物はホテル。この建物も古い。今外壁を蔦で被う計画がある。

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大阪駅ホームをカバーしている屋根。この工事が完成して1年。人の流れも大きく変わっている。この場所からの大阪駅の景色は大阪人でも多くは知らない。

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大阪駅前の広場は無くなりこの馬鹿でかい建物が出来て久しい。ここは大丸の売り場とレストラン街があるが狭い。ここでビル火災の避難訓練が行われた事は無い?その手前の建物は最近増設されている。右奥の白い建物が阪急オフィスフロアー。

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少し歩き出している。大阪駅西南のオフィス街。一階で入り口の外の女性が談笑していた。気品が無い。(コラ)

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桜橋交差点。これからこの交差点を右折しこの四ツ橋筋を南下する。

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毎日新聞社跡のオフィスビル。1階にこじんまりとした食堂街がある。2階は高い吹き上げ。3階と4階は親父お気に入りの大手のブックストアーが入っている。

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完成したフェステバルホール。

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中之島に掛かる渡辺橋、肥後橋を渡る。この橋の上を市電が走っていた時を知る人は少なくなっている。あの頃に比べるとこの南北の通りも本当に綺麗になっている。

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上のオフィスビルには関係ないが、下にはコンサートホールが旧のホールに負けない音響効果が期待されている。日本だけでなく世界の名演奏家が素晴らしい演奏を聴かせてくれるに違いない。

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懐かしい景色が見えて来る。靭(うつぼ)公園の紅葉もまだ進んでいない。

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靭公園。珍しい名前の言われはここに江戸時代干し物の海産物市場があったから?

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懐かしい。八兵衛さん。良くここでたこ焼きを買いました。開店前。声を掛けるとすぐ焼きますよと支度をしてくれる。

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安い。常連さんはいるが商売は楽ではないと言われる。そうだよな。今美味しい思いをしているのは国会議員と言い訳ばかりしている経営者とお役人だろう?景気回復策を日銀の金融緩和に期待する?切れ目の無い経済対策を政府が取る?冗談も辞めろコールも裸の大将には届かないのだろう?山下清でももっとマシな事が出来るだろう。八兵衛が怒っていた。

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たこ焼きを手にして近くで休憩一人で口にする事を考えていた。近くで3時迄頑張っているカレーのお店ジョニーに電話をしたが出ない。しばらく時間を空けて電話をしても出ない。それでも躊躇する事は無かった。3時から顔を出しているモツ屋さんを覗く。当然準備中の看板。無視して中を覗き込む。休憩していた。しかし顔が違う。親分だ。事情を話すと体調が悪く医者に行っていると説明される。

ボスも相棒の体調を心配していたが店を飛び出して鉄砲玉。連絡が無い。「しょうがないな」親父はボスの心配を慰めながらぶつぶつ言いながらたこ焼きを分けていた。本日はここ迄。地下鉄を乗り継いで梅田に戻る。

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店内改装が終わった阪急の地下1階でお気に入りのジャンボいなり2個と豆(小)3個買うつもりが駄目。通路が一杯。お店の位置も変って分からない。一廻りをして分からず案内所で聞く。それでも見つけられずに諦める。たかが稲荷。されど稲荷。
いまいましくも思いながら次の機会にする。買い物客よりも見物客が多い。

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大阪駅のフラワーショウは予想通り。仮設では感激もその場限り?

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大阪梅田北ヤード工事中の商業棟?(コンベンションホール、モデルルーム、ショウルーム、ビジネスフロアー、研究設備)来春オープン。研究開発の拠点にすると言われているがそれ程勢いのある民間企業は多くは無い?

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大阪駅時空(時)の広場で開催されたフラワーフェスティバル。大阪を花一杯にしょう。その切なる思いは残念ながら今イチ感じられなかった。理由は何だろう?仮設のフラワーポットではそれも求めるのは無理だろう?では御覧在れ。残念ながら花の解説は出来ない。ご自分で勝手にお楽しみ下さい。

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観客は年配者ばかり。親父の写真に人を入れるのはこの祭事の賑わいを感じてもらう為。この後は出来るだけ少なくしている。オバカな親父は十月の誕生花を探していた。手入れをしていた女性に聞いて見ると「色々あります」と断定してくれなかった。この質問は花屋さんの方が詳しく解説してくれるかもしれない。

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左の影は親父です。ゲー。花と親父。ナイスな彩りとそうでない親父さん。これが本日一番のショットです。(嘘でしょう?)それでは見て下さい。

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これが10月の花?親父の花です。この歳でこれだけの想いがあればまだまだ凹んではいられない。100万本のバラは手には出来ないけれどこれ位の花は手に出来るかもしれない。(笑い)

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デジタルカメラできれいに撮れなかった大阪駅の中央改札口に近い銅板の壁画。
ここから地下鉄の乗り場に移動し次の住吉大社に移動。地下鉄御堂筋線動物園前下車路面電車阪堺線住吉下車。(覚えていますか?)阪堺線。大阪南と堺浜寺公園を結んでいます。しかし経営的には厳しく堺市の財政支援を受けている。頑張れ。

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停留所。名物どら焼きは美味い。名物に美味い物あり。一度口にするとどら焼きのイメージが変わる。嘘ではありません。定休日は無しと言われたがこの前来た時は休みだった。それは年に数日との事でした。

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いよいよ住吉大社です。ここから境内に入る人は電車で大阪から来た人です。

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境内に入りました。左で安産のお守りと夫婦円満の土人形買いましたよ。(以前)

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住吉大社の本宮は第一〜第四迄あります。神様が4人。心強いと思うかそうでないかは人それぞれ。このお宮の左右の隅で二人の女性が懸命に何かを祈願していた。中々終わらない。懸命の思いが通じるといいな。他人事の様には感じられなかった。

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無病息災祈願のウサギちゃん。しっかり撫でて来ました。頼みますよ。(親父さん。自己管理して下さい。)それではこの門を潜って境内を後にしましょう。

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長い間本当に苦労をしたけれどそれも長くは続かない。それでもこれは朝日ではない。サンライズ、サンセットと言われるけれどその言葉の本当の意味は大きくは無い。大事な事は同じ所に留まらないで動き出す事。そうすれば必ず何かが変わるに違いない。一番いけない事は口先ばかりで動かない事。動いていれば必ず何かを手にするに違いない。夕日がそう囁いて(ささやいて)いた。

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これぞ住吉大社の参道の太鼓橋です。多くの善男善女はこの橋を渡ってお参りをする。正月の初詣は大勢の人で大変な混雑をする。階段も急で毎年事故が無いのは雑踏警備のお陰です。その実態は親父も知らない。親父はこの橋を見ると西成の貧しい人を支えて若い命を犠牲にした「さっちゃん」先生の事を思い出す。

今、生活保護者が大阪で一番多い西成の地で懸命に生活困窮者を支えて呉れた人は今は居ない。今日多くの人が多くの事を語るけれど生活保護を受けている人の医療費は無料。多くの無駄な医療と生活の実態を若い日本のマザーテレサはどう考えていたのだろうか?その事を考えながらこの太鼓橋を見ながら毎回どら焼き2個を食う。

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多くの人の生き方は様々だけれど志し半ばにして無念の一生。その事は何時か風化するだろうが決して忘れる事は無い。人の生き方は色々だけれど優しい心だけでは生きてはいけない。関西のそしてこの国の一番忘れてはならない事。その重みをこの太鼓橋はいつも指し示して呉れる。勇気と不屈の心。それを支えるのは強さも必要です。

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又来ます。後ろを振り返らないでお別れです。路面電車で天王寺にもどる。終点の道のすぐ横に日本一の建物が再来年の完成を目指して工事中でした。

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近鉄阿倍野ハルカス。高所恐怖症の親父でも完成したら最上階の展望室に登るのかな?思っただけで身震いがして来る。こんなガラス張りの建物で地震や強風、火災に堪えられるのだろうか?考えて見ただけで怖くなる。スイスのゴンドラで手すりにしがみついて座り込んでいた情けない姿を思い出す。

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地下鉄御堂筋線大国町四ツ橋線乗り換え西梅田下車。堂島の地下街で一人お疲れ様の焼きサバ定食。今日は仕事帰りのサラリーマンの賑わいも無く板場の話し声が耳触り。店長が古くなったのに私語が止まない。注文が遅い。感じ悪い。味は悪くはなかった。仕事の仕方は何処で誰にチェックされているか考えなければアカン。

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魚を焼くだけだから待たせる事は無いだろうと思いながら無心に食っていた。勘定を済ませる時冗談が言えなくなったのは寂しい。(店長が替わった)「毎度」と威勢の良い掛け声を掛けられても親父の口には楊枝が刺さったままだった。又行く癖に。

その替わり食後のコーヒーを口にしたセルフのお店では上機嫌だった。ようやく顔を覚えてくれたレジの女性に声を掛ける。(コラコラ)住吉大社の話をするとその近くに住んでいた。それでも幸福門は知らなかった。親父から写真を見せられて眼を輝かしていた。小児の如く求めて止まぬ探究心。幾つになっても輝ける人は美しい。

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2012年10月30日 (火)

静かな午後です。右肩は前に突き出すと骨がコキコキと鳴っている?

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昨日歩いた猪名川。対岸の堤防の更に向こうに生駒山に繋がる山塊がうっすらと見える。しかし水辺の鳥が意外に少ない。川に魚が少ないのだろう?

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写りが良く無いが河口迄7、8キロ。堤防の補強はしっかり行われている?

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懐かしいカフェ。でもこのお店には一歩も足を踏み入れていない。伊丹の音楽ホールで「あさみちゆき」コンサートが行われた1昨年のⅠ2月。開園前にコーヒーを飲んだのがこのお店の系列店だった。その後半年間通ったのは一時の休息を求めてだった。コーヒーマイスター?の優しい人に安らぎの片思いだった。

あれから1年と数ヶ月が過ぎたが、思いが冷めれば潔かった。考え方が違うと言われたが親父の本当の思いを理解出来る人は限られている。「阿吽」の呼吸。同じ場所で同じ空気を吸いながら同等の価値観を共有出来る人は無い。(例外も無くは無いが)

それが分からないからいやだと言われた事はどれだけあっただろう?その度に哀しい思いをしたがそれも考えてみればお互い様。その事を考えれば去る者は追わず。最近本当に女々しいだけでなくアホな男と女が少なく無いが、それも若さ故の愚かさかもしれない。

そんな事を考えながら手にしていた望遠レンズを向ける。この画像には左にベランダがある。若く無いカップル(コラコラ)が下を覗き込みながら何かを語り合っている。アングルをズラしているので映り込んでいないがそれも正解。人の諍い(いさかい)は許し合う事から始まる事を親父はこの歳になっての理解していない。

それで良いのだと信じ込んで生きて来た歳月もこれからは間違いなくジ、エンドのカウントダウンが始まっている。それでも光明を見出せる生き方。そんな生き方が許される我が儘(わがまま)を貫き通す気骨(きこつ)は何時迄続けられるのだろう?
(それは誰にも分かりません)人は自分の生き方にどれだけ在るが侭に生きられるかでしょう?

これから洗濯物を干して大阪駅と住吉さんにお出かけです。(結構なお身分)イエイエ情けないお身分です。(自虐な笑いを浮かべています)昨日からジャンバーを着て歩く様になりました。大阪もこれから寒くなります。肩の注射はおっくうになっているが後3回残っています。痛いけれど週1回。欠かしたらアキマヘンえ。そう言われている。

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2012年10月29日 (月)

近くの猪名川は秋の気配が漂っていた。久し振りに伊丹迄歩く。

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駅反対側の人口の流れ。この水のモニュメントは大阪府知事賞を獲得しているが、この流れに足を止める人は殆どいない。街の景観を作る事は本当に難しい。今日は久し振りに近くの猪名川の堤防を歩く。色んな発見がありました。河川管理の実態を知る人は殆どいない。それを良い事に?役人の認識は本当に首を傾げていました。

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でもその前に近くの呉服神社に参拝。この神社の言い伝えは古い。古代。中国から伝来した機織りの技術。その恩恵を語れる人は少なくこの神社も地域の人で支えられている。説明文は小さいが詳しくはwikipediaで検索すると良く分かる。

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堤防に出ました。阪急電車が近い。遠くに五月山の展望台が見える。ここは一番低い展望台です。

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前方に阪神高速の高架が見える。但しこの道を一般の車が利用するする事は殆ど無い?折角の立派な道も有料では毎日の通勤に利用出来ないのだろう?加えてこの先に空港があり更に大阪に向う商用車の合流で朝の南行きは長い渋滞を覚悟しなければならない。ここから大阪市内に向う車は商用車、トラック、バスばかりでなく電車通勤をしない会社経営者、役員、部長?(このクラスになると電車か?)役所の高級官僚の車も少なく無い。

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?通行禁止。国土交通省猪名川河川事務所。通行禁止にするなら何でこんな堰を税金で造ったの?安全を確認しているので無視して渡る。(コラコラ)

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安全は保証出来ないなら何で渡れない様にしないのだろう?(間隔を空ける)

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確か前来た時にはこの鎖はなかった。お役人の考える事はこの程度の事です。

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河川敷の雑草?しかしこの草花がどれだけ美しいかも理解出来ない人は少なく無い。

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本流から人工的に小川を流している。この粋な計らいも何の為に行われているのかも見失われつつある。蛍が飛ぶには人間の心の垢を落とさなければ無理です。蛍の餌は何かを理解しているのだろうか?誰が?河川管理をしている国土省のお役人です。

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この木の細い橋を渡りながら苦笑していた。ぐらぐらしていた。

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堤防の上の歩道が無くなる。堤防の下を歩いてくださいの標識はない。この道を歩く人は流石にいない。道路管理者の見解を聞いてみたい。そんな人は居ない。

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?ここは河川敷です。ボランティアが皆でお掃除をする所では無いでしょう?そんな河川管理を誰が許しているのでしょう?国土交通書のお役人は何時からこんなに出鱈目を許されたのでしょう?その一部分を見ながら怒りが込み上げていました。(笑い)

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ここは自然の堰となっている。この川が増水した時に怒濤の如く流れ下る激流を知る人は殆どいない。親父も見た事は無い。向こうが池田側。

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ここは原則として通行禁止かと思いきやその標識は何処にも無く、スキップ?しながらこの用水路を越える。確か以前歩いた時には手前に厚い木の板があったよなと自分に言い聞かせていた。

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堤防の上に上がると大阪北のビル群がみえる。しかし望遠レンズ250㎜でないとこれ位には写し取れない。流石です。ここ迄4キロ近くを黙々と歩いていた。これからは飛行場が近くなります。結構な写真が撮れました。

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ここも自然の堰。但しここは手を加えられている。しかしご丁寧な工事の意味は今イチ素人には良く分からない。増水したらこんな堰はどれほど役に立つのだろう?

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ここ迄しか草刈が出来なかったのはまさか予算の所為では無いだろう?

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ここは堤防の上。これでも管理は出来ていると言うのだろう?

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懐かしい橋。戦前に造られている。空襲の被害を受けなかったのだろうか?この橋は昔の西国街道?大阪畿内と山陽西国を結んだ道は戦前軍行橋と名付けられていた。軍行橋。それは飛行場に向う道でもあった。その名前は今でも変わらない。橋の高さは意外に低い。只今は外装の工事中でした。

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飛行場の誘導灯が見えて来ました。

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望遠レンズで捉えた飛行場北のダイハツ本社工場。この工場の組み立てラインも古くここで物造りをする意味も無くなって居る。それでも大量消費地に近くこの地の生産拠点は失われていないが、トヨタの資本が入りその影響力は小さく無い。ここで2年間。派遣労働者のアパート(会社借り上げ)の管理と出勤管理をしていた。車のラインの稼働率が下がり派遣の仕事も減小。親父の仕事も無くなる。今はどうなのかな?

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本日のベストショット。猪名川は大きな川では無いが周辺の住宅開発が進み。水質は良く無い。それでも河川管理はもう少しきめ細かい取り組みが必要だと感じる。川の流れは絶えずして元の水にあらずと言われて久しいが、河川工事だけでは無く川をきれいにする取り組みを役所が業務としてやらなけれならない。草刈り。ゴミの回集。河川敷の木の伐採。きめ細かい管理は誰が行っているのだろうか?今年の初め淀川を遡った時もその事を痛感していた。

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振り返ると六甲の夕暮れ。アングルが良く無いが雲の下。その空の下が六甲の山波です。もう一枚お見せしましょう。これを見ると六甲山がよく見えます。

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お腹が空いたので手にして来たおにぎりのお弁当を食っていたら、頭上をANAが離陸して行く。伊丹は国内線しか運行していないが西に向っている。東に行くには大きく左に機体を傾かせて旋回して水平軌道に移る。この位置ではどちらに向うかは分からない。

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飛行場の機体。デジカメではこれだけの景色は撮れない。望遠レンズのお陰です。

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満月が飛行場の上に輝いていた。

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伊丹迄歩いて来ました。前来た時はやっと辿り着いた感じでしたが、今回は意外に近かった感じがしました。池田から7〜8キロ。2時間半位の時間でゆっくりと歩いて来ました。最後の親父お気に入りの「なごみや」のトンカツカレーの紹介です。

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シンプルだけどトンカツは四国愛媛のこだわりの肉。ルーは何処にも負けないとマスター自慢のもの。久々のカレーにニンマリだったがトンカツが固い。噛めば噛む程に肉汁は出て来なかった。その分カレーの味がカバーしてくれました。今イチ。(点が辛い)カレーは辛く無かったよ。

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帰りは電車で帰る。2駅先で乗り換え。連絡通路を歩くと阪急電車の駅に着く。ここからは猪名川を渡ると一駅目。歩いた時間を考えるとアホらしくなるが全く感じは違う。最近歩く事に慣れて歩かないと体が催促して来る。「歩きましょう」この誘惑は悪く無い。この歳になると予定が無いとからきしダラシがない。それが無くなっただけでも大きな喜びかもしれない。それに一眼レフをプレゼントされ誘惑は加速しています。秋の深まりと共に親父のウオーキングは加速するでしょう。

明日(と言っても今日になりました)またまた大阪駅の凄い景色をお見せします。百万本のバラに負けない小鉢の花壇はどんな景色を見せてくれるのだろう。大阪を花で一杯にしましょうと言われてもね?そんな気持ちだけにはなりたく無い。


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大阪は涼しくなりました。多くの関西人は全く興味を示さない世界の金融界最大の国際会議が開催される。

経済新聞の全面広告を読む迄は全く知らなかった言葉。賢い親父(?)でもこの有様だから、アホな関西人は一部の関係者しか知らなかったのだろうと思いきや、そうでも無かった事を知る。経済効果100億円とも言われている。

今回の開催誘致で世界各国の金融関係者6000人前後の人が参加し、大阪は展示会場、宿泊施設、国際空港交通インフラ等の条件を見たし、国際組織から会議を受け入れる能力のある都市として認証されると言われている。

そりゃそうでしょう。この会議が行われる会場。インテックス大阪のある場所。一回行って見なはれ。オリンピックを招致して失敗した大阪の広大な埋め立て地。今は立派なインフラが整備され有効には使われていない。

会議は4日間に渡り世界の経済、金融界を代表するスピーカー200人が登場し08年のリーマンショック(アメリカ金融界の暴走。インチキ。ごまかし。詐欺。)を教訓に欧米で検討されている金融機関の規制強化策や新興成長市場の影響力、国際金融犯罪等と討議すると言われているが所謂、基調講演に終わりお祭り、イベントに過ぎない。

それでも日本の金融界、関係者の意気込みは相当な物に違いない。しかしあくまで日本の世界に知られていない実態の宣伝に過ぎない。日本の金融機関の格付けは信じられない程に低い。アフリカのあまり知られていない国と同等の評価をしているアメリカの格付け会社が如何にオバカであるかを証明する機会としては絶好のチャンスに違いない。

しかし親父達もそして多くのオバカな経済と金融の実態を知らないこの国のリーダー達もこれからは世界のこの国を見る眼を意識しなければならない。ジャパン、イズ、No.ワンと言われたこの国の目覚しい経済発展の時代はバブル崩壊と共にその後始末に終われ、あれから20年の歳月を重ねても展望が開けていない。

国内の経済成長の伸びが鈍化してもその対策を打ち出せない経済界のリーダー達。国内では物造りが出来ないと口にして海外の安い労働力をアテにした経営能力。稼げない多くの社員を首に出来なくても自分達は多くの報酬を手にして会社の利益を向上出来ない。

成果主義とか能力主義とか言いながら実態は権威と自分達の無能を曝け出している。過激な発言と言われて当然だがこの国の経済が今、韓国、中国、台湾の汚いコスト競争に叩き潰されようとしている事も多くの人は知らない。

オバカな国民は自分達の生活を豊かに出来なくても為す術を知らない。これから何処迄続くのか知らないけれどこの国は間違いなくアメリカの後追いをしている事は間違いない。アメリカは豊かで憧れの国。それは幻想です。

アメリカはオバマが口にする様な夢の国ではない事がこれから証明されるに違いない。テロとの戦い?それ以上に貧困の戦いが続いている。そんな事はこの国際会議で誰も口にはしない。見たく無い世界が目前に迫っていると誰も思っていないからだろう?

サイボスは1978年スイフト(後で説明します)の本部があるベルギーで開催され毎年秋に開催されている世界の金融業界最大国際会議?ヨーロッパの経済危機に何の役にも立たなかった?(それは言い過ぎ)仲良しクラブです。今年で35回目。開催都市は殆どが英語圏。アジアでは2009年の香港以来。欧州の経済大国ドイツでの開催は最近ではない?

スイフト。欧州の金融機関が中心になって1973年ベルギーに設立した協同組合組織。国際的に発生した金融取引のインフラ(基盤、システム、制度)海外との商取引の代金決済を自国と相手国の銀行を経由して行う。その時銀行間でスイフトの通信網を使い支払い、決済の処理を行う。日本のスイフト利用件数は世界9位。日本は日銀ネットや全銀システムの利用も少なく無い。

(資料)日本経済新聞 全面広告より抜粋。コメントは親父の個人的見解です。また一つ賢くなりました?これから近くを歩きます。(お弁当を持って)近くの飛行場で望遠レンズを使ってどれだけの迫力ある写真?が撮れるかな?その後は伊丹のカレーやさん迄歩きます。久し振りに猪名川の堤防を歩きます。ナイスショットゲットお楽しみ?

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2012年10月28日 (日)

雨が上がると親父の散歩コースが待っていた。

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城跡公園裏門下の登り口。

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後ろの天守閣を隠している桜木。昨日に続いて菊花展の準備中。これからお見せします。

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秋の花。リョウビです。秋がこれから始まっている。

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昨日歓迎された錦木が盛りの時を迎えていた。しばらくこの華やぎの時を見せてくれる。

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雨上がりの雫がどうにか写し取れている。

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これが本日一番のショット。アングルが良い。(自慢すな)

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街灯の光をフラッシュ無しで写している。流石です。(自分で言うな)イエイエカメラの事です。芸術祭参加作品?秋の日はつるべ落とし?辺りは薄暗くなっている。

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駅前に戻って来ました。一旦上がっていた雨が又ポツポツと落ちて来る。カメラを濡らさない様に慌てて抱え込む。これからどれ位大事に出来るのかな?御心配なく。親父が歩き回れる間は大丈夫です。

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焼き魚とモヤシ炒め。親父さんやりますな。自分で言うな。サラダ巻を買っていたのでおかずはこれだけで充分。魚は赤魚もどき。本物の美味さは無く淡白。白身の魚の期待が外れる。醤油だけで味付けをしたモヤシ炒めは文句なしでした。

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美味そうな焼き魚だったが味は薄い。焼き魚は何と言ってもアジが一番かも知れない。大阪堂島の若狭の魚には勝てないのはプロと親父の料理の差かもしれない。それでもフライパン一つで色々な調理が出来るのは流石です。(笑い)

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2012年10月27日 (土)

今日もいい天気。夕方迄グズグズしていたので歩けて最高でした。

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体に催促されて散歩コースを歩き出しました。お気に入りのラーメン屋さんを横目に見ながら足を止めない。「帰りに寄りましょう」苦笑いをしながら歩き始める。「親父さん。今夜のメニューはシチュウとチャウと茶々を入れられても平然としていた。

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金木犀の香りと思いながら当たりを見渡すと通りの反対側にありました。今迄気が付かなかったけれど流石に秋です。仄かな匂いが漂っていました。親父が大阪に出て来る前に家の階段の横にあった大きさに似ていた。樹は若かったが枝葉の繁り方は勢いが在った。親父がもう一度この勢いを手にする事はあるのだろうか?(有りません)きっぱりと言い切られていた。気は心と言われても空元気だけでは如何ともし難い。

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柿の樹にデカイ瓜が垂れ下がっている。食用では無いのかもしれない。

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親父の大好きな鬼瓦。この眼が良い。今の政治家と経済界のリーダー達に喝を入れてくれる事を期待はしていない。せめてこの閉塞感を打破してもらいたい。(それも駄目です)それは私の役目でもアナタの役目ではありません。そう言われていた。

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その通り。でも短気な親父には無理だな。自転車に乗っていて対向車が右を走って来るだけで怒っている。近くの狭い交差点で車が来ないと赤信号を無視する歩行者にも怒っている。この言葉にも「おこらせるまい」ではなく「おこらせまい」だろうとぶつぶつ言っていた。親父の短気が収まる時は精気が衰える時に違いない。笑顔は腹の底から沸き上がらなければ行けない。(アキマせん)笑う角には福来る。お忘れ無く。

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小林一三美術館です。新しくなって足を踏み入れていない。

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城跡公園では菊花展の準備をしていた。

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錦木の葉っぱが奇麗に色づいていました。

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池の鯉も冬支度?元気が無い。その分を亀石?がカバーしてくれている。

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夕暮れの大手門を後にする。フラッシュを焚かなくてもこれだけの写真が撮れたら上等です。この城跡公園も来月から閉門時間が5時になる。そうなると中々こんな景色は見れないかもしれない。これから日の入りが早くなる。親父も体内時計を冬時間に変えなければ行けない?(どういう事)早寝早起きです。無理だな。分からんどー。

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お月さんが写し取れている。嬉しいな。250㎜ならもっときれいに撮れているかも?

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公園の入り口の華観月?これから寒くなるよと囁いていた。

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お待たせしました。帰って来ました。でもその前に。

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毎週金曜日はこれで180円。上がタレ。右が醤油と酢が調合され真ん中がラー油。左が味噌仕立て。これはごはんを一緒に頼んだ人が付けると言われている。

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このタレは自慢です。良く撮れている。(自慢すな)久々のクリーンヒット(笑い)

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お待たせしました。キャベツ塩味。鶏ガラスープが絶妙。麺は細い。チャーシュウ2枚はさっぱりしている。半熟卵は半分は中に埋まっているのが嬉しい?親父は本当にゆで卵が好きだね。

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それでは初志貫徹。これからクリームシチュー頂きます。但しお湯で暖めるだけのお一人様専用のレトルトパウチ食品。なっとくのクリームシチューと袋に宣伝文句が印刷されているがこれが98円なら文句はないかも?食ってみないと分からない。




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メープルキャラメルセット。デニッシュパンやっと頂きました。

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先日のお目出度い感動の結婚式で頂いたメープルキャラメルセットの箱をテーブルに飾っていたら賞味期限が気になる。今日は今週も結構歩いたのでお休み。本当は少し歩きましょうと体が催促しているが、シニアゴルフとお気に入りの井森の競馬中継を見ている。ふたを開けながら中のデニッシュパンを取り上げ、賞味期限を確認すると分からない。?と思いながら良く読むと箱の裏側に書いていると表示されている。

今日は27日。そう言えば先週の今日は新幹線の中。長い間住んでいた静岡の景色を横目で見ながら翌日の戦略を考えていた。(うそです。センチメンタルな思いで遠い日々を思い出していた)天気は良くても新幹線のスピードに流石の景色も一気に後方に押し流されていた。

外箱の賞味期限は26日。「エー」と思いながらパンは密封されているかと思いながらキッチリ包装されているビニールをハサミで切り取る。パンをナイフで一口大に切り取ると良い匂い。久し振りに嗅ぐメープルの匂い。懐かしき若き日の匂い。思わずニンマリとする。「大丈夫」

セットのメープルシロップを掛けなくても良いかなと思いながらも掛ける。甘い。良い匂い。コーヒーもセットのドリップで入れる。これは甘くは無かったがパンとの相性は良かった。一口大のパンを口にしながら素晴らしい門出の日を思い出していた。

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半分残っているしカスタードミックス(バニラビーンズ入り)も2袋残り。これは親父苦手の牛乳30〜40ccを加えよく混ぜると説明されているが、そのクリームをパンに付けると作り方の説明がある。どんな味がするのかな?これも今夜のお楽しみ。

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2012年10月26日 (金)

秋を探しに近くのお寺さんに行って来ました。空海様が迎えて呉れました。

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近くにこんな散歩道がある事を初めて知る。右側に車道が走っているとは信じられない。天気は良くてバスに乗らなくて正解。

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昔はここ迄唐からの船が入っていたのだろうか?史実に基づいては居ないがそう語り継がれている。

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この向こうが車道とは信じられない。こんな近くで秋を感じられるとは全く思っていなかった。

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何処かの高原を思わせるススキがこんな近くで見れて感激でした。

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この近くは園芸の街。庭木の販売を昔から生業にしている。しかし最近は自宅の庭を手入れ出来る人も少なくなっている。しばらくそんな家の近くを歩きます。
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これはオマケ?お店で客寄せに使えるかも知れないが手入れは難しいかも。バナナの樹。垂れ下がっている実は花が開くのかな?

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田舎の景色を見ている様でした。人影は全く無い。静けさの中に秋が忍び寄っていました。

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これは個人のお宅です。手入れされた松の木が存在感を示していました。これ程の贅沢が出来る生活は都会では中々むつかしい。

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これも個人の庭です。

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昔は稲刈りの後こうして米を乾燥させた。今は稲刈りと同時にモミ(米)だけを収穫している。(表現が難しいが分かる人は分かる。分からない人は分からない。)しばらく呆然としながら佇んで(たたずんで)いた。今は農村でもこのような手間の掛かる事はしない。自家用の米だろうか?

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何気なく花が開いているのではない。支柱を入れてしっかり固定されている。

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前回来た時はここ迄バスで来る。バスだと10分弱の所。のんびりと歩いて来ると1時間を過ぎている。電光掲示板の温度を見ると20℃。少し汗がにじむ程度。足も疲れるけれどそれだけの価値はありました。歩きながらの発見は心地好い物でした。

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この先で歩道は一気に狭くなり歩く人は殆どいない。道路管理者もこれで充分と思っているのだろう。この先の部落ではこのガードレルさえ無くなる。それでも歩行者用通路の案内は無い。親父は大型車は通行出来ない部落の中の道を歩く。

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到着です。でもこの山門は潜れない。右横に通用門がある。でもその前にお弁当。

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この潜り穴を抜けるとベンチのある広場に出る。そこは親父専用の広場?いつも誰も居ない。持って来たおにぎりを広げる。ほうばりながらニンマリとしていた。外はダンプの通りも多いが土塀の内迄その音は飛び込んで来ない。

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昨年は紅葉の盛りを過ぎて来たが今年はどうだろう?11月18日。大勢の人で賑わうから親父は来たとしても間違いなくその前後になるに違いない。それでも紅葉のシーズンは朝早くでないときれいな写真は撮れない。早起き出来るかな?

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この紅葉が木々を染める頃、朝夕の冷え込みは厳しくなっている。この前迄汗を拭き拭き歩いていた事が懐かしく思えるに違いない。秋が過ぎると厳しい寒さが体を揺する。しかし関西の本当の寒さは兵庫や滋賀、奈良吉野や高野に行かないと実感は出来ない。それでも人間は勝手な者。寒い、寒いと体を竦める(すくめる)しか無いのだろう?

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楼門前の水路。きれいな水が流れていた。

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流石250m望遠です。菅笠(すげがさ)を深くかぶっているので顔の表情を窺い知る術もないが、これだけの拡大した姿はこれが初めてです。この修行僧の姿は若かりし頃の姿と思われるが近くに真言密教の道場がある事は本当に嬉しい。

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秀吉が月見の宴を催した時、腰を掛けたと言われる石の近くの大木。このような伝承は何の根拠も無いが天下を手にした秀吉がこの山奥で何を感じたのだろうか?自分の足ではなくてカゴに乗って来たとしても1日では来れなかったに違いない。

秀吉がここに来て何を感じたのかは分からない。調べてみると分かるかもしれないがここで月を見た事自体は何かをつかみ取りたかったに違いない。秀吉は武士の生まれでは無い。身分制度の厳しかった時代に水飲み百姓にもなれなかった男が天下を手にしたその自慢をしたかったのかもしれない。それでも秀吉の生き方は晩年地に落ちる。

高野山には大勢の武将の廟(墓)があるが秀吉の墓は無い。その訳を高野山で聞いていないが天下を取る迄の秀吉の人の扱いが大きく変わり過ぎたのが人の浅ましさかもしれない。秀吉程の天下人が天下を手にして妾(淀君)の子供秀頼誕生と共に疑心暗鬼の畜生に成り下がる。そんな秀吉の死後、忠義を尽くした武将達が家康の見方をしたのは当然の成り行きだったのだろう。

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久安寺の境内は見事な庭園があります。今日は4時を廻っていたのでここ迄。でも親父の散策の道はここ迄で充分でした。案内のおばちゃんに11月の第3週においでなさいと言われる。それでもその時は大勢賑わいだろう。自分だけで独占出来る風景と時間。我が儘な親父はそんな時を求めるに違いない。そう思いながら引き返す。

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我 唯 足るを知る心。不足感捨てて、不満を口にしないで。まん丸い池から溢れる水が言うと言われている。空海は本当のそう思ったのだろうか?天台宗最澄伝教大師との確執は明確にされていない。

空海は天才だったが後世の人が語る様に優しい人では無かったに違いない。その事を語る人が少ないのもこの宗教の間違いに違いない。しかし親父ゴトキがその様な罰当たりの事を語る資格は無い。これからもっと勉強をして悟りの心を開かなければならない。

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おぬしはまだまだ修行が足りない。又、おいでなさい。そう言われていた。

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ここは若和尚のお宅?一度話をした事がある。今日は偶然和尚に会う。忙しそうで足を止める事も無く挨拶を交わしただけだった。これだけの立派なお寺の維持管理は難しいだろう?それでもこれから忙しくなる。「元気そうですね」と声をかけたが元気ではなかった。人間さり気ない応対の中に人柄が出る。感じは今イチだった。(コラコラ)

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久安寺は右上。池田の駅は左下。少し見にくいので拡大して見て下さい。

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帰りはバスで帰る。歩いて1時間半近く掛かった道はバスでは15分足らずだった。バスは結構満席だったが途中で訳の分からない年寄りが喚く。近くの人は何も注意をしない。親父は一番前の席でiPodを聞いていたが運転手が路肩に車を止め用件を聞く。親父も何事かとイヤホーンを外し後ろを向くと一気に声が小さくなる。

アホな人も少なく無い。この前は整形外科で待たされその対応の拙さにクレームを付けると医者に逆切れされる。そのとたん親父に説教をされる。人間、相手を見てタンカを切らなければならない。文句があれば他所に行って下さいと言われた。

「アンタは腕の良い医者です」「しかし、そう言う言い方をしたら喧嘩になる」「患者はお客さん」「お客を怒らせたら商売は成り立たない」「患者が多いからと言って物事の本質を見誤っては行けない」親父から説教をされていた。親父もアホです。

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今日もいい天気。お昼前の天気予報で「お出かけ日和」と言っている。

何を言っているのだろう?経済対策に4000億円の支出。財源は予備費の取り崩しとシャアシャアとした顔をしながら政府の責任者はコメントを出している。難しい事は分からない。政治の事は分からない。なんだかんだ言った処で何も変わらないと言われるが、これ程にひどい政治を何食わない顔をして政治が出来る理由は唯一つ。

来年度の国家予算を組めない現実を多くの有権者は知らない。その理由は赤字国債法案が成立していない。国の予算の4割を国債で賄わなければならない現実も知らない人が多い。国の予算は90兆円弱と言われているがその4割と言えば40兆円弱。その財源が無ければこの国の予算を組めない事もどれだけの人が知っているのだろうか?

今、政府も自民公明も橋下維新の会さえも威勢の良い事を言っているが、オバカな国民はそんな事も知らないで政治家の発言に一喜一憂していると思っていたら、石原新党立ち上げ?何でそんな事がマスコミで持ち上げられるのだろうか?

おやじでももうすぐ70。その遥か上を行く80の歳でこの国を変えられるとでも思っているのだろうか?思っているに違いない。この人は親父が若い時から散々自民党を批判し、自民党を変えると言いながら変えられず議員を辞職した。その人が4年も立たずに都知事に立候補し東京都民は圧倒的に支持をした。

しかし、この知事のやった事は何だったのか?本当に東京都民は豊かな生活をしているのか?その的確な評価は無い。中小企業支援の為に立ち上げた東京都民銀行の失敗にどれだけの都民の税金が失われたのかの評価はマスコミを追求していない。

3年前の民主党の政権誕生で多くの有権者が期待した選挙公約が果たされていたならこの人の政治生命は完全に終わっていた。今は石原新党立ち上げとか橋下維新の会の政界進出なんてどうでも良い事。既成政党が身動きが取れないからと言って橋本や石原がどんなに喚いた処でこの国は何も変わらない。

この国が変わる事。それは政治家に何かを求めるのではなくて自分達に何が出来るかだろう?一人一人の力は小さくても真っ当にこの国の現実を見据えて自分に出来る事は何なのか考える。何も自分で意見を言ったり(言っている)行動を起こす事は何も無い。この國の形はもの言わぬ多くの人に支えられ多くの声なき声が築いて来た事を忘れてはならない。

これから近くのお寺さんに行ってきます。オバカな親父はどんなお寺さんに言っても唯、お参りをするだけです。空海様が修行を重ねながら考えた事は「仏教の真理」仏の絶対的な教えだったのでしょう。最近は科学と生活様式の進歩で全く顧みられなくなった人としてのあるべき姿。仏の道とは何かを求める心の優しさ。それを忘れても何も関係ないと考える罰当たり。そんな人になってはいけない。

田舎の道を歩きながら心と体を鍛えて来ます。(それ程の事ではない。唯季節の映ろいを眺めながらのったりと歩いて来るだけです。)近くのおにぎりやさん。サケの味噌漬けと小振りのおにぎり3個のお弁当残っているかな?

親父は元気です。一眼レフの写真夕方アップします。お楽しみに。

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今日もしっかり歩いて来ました。と言っても4キロ足らずです。

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市役所前の銀杏が久し振りの再会を祝福してくれた。親父が近くのスーパーで警備の仕事をしていた時、一番優しかったマドンナ。そしてその後偶然知り合った同じ職場のおっかあ(失礼)。二人とも元気でした。親父も相変わらずでした。

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親父の住んでいる街の幹線道路。しかし朝夕のラッシュ時には大渋滞。

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こちらは大阪駅東側の高架下食堂街。常連さんで繁昌している。親父はいつも利用する立ち食いのうどんとそばのお店もこの一角にある。

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数年前から店内改装中だったが本日オープン。店内は大勢の人で賑わっていた。

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此処はお店の外。連絡通路。中にはとても入れない。

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百貨店の外。この交差点の先に夜の繁華街?「阪急東通商店街」がある。非理迄もこの人通りだが宵闇が迫るとこんな物では無い。若い頃、お金もないのにアテも無く歩い足り食事をしたのが懐かしい。今はそんな元気も無い。(当たり前です)

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大阪の地名は梅田の隣は曾根崎。お初天神は曾根崎心中で有名になったが露の天神社が正式名?創建は西暦700年と言われているから空海様の時代です。それ程に古い。

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実物は写真程きれいではない。

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梅田新道交差点。東京日本橋からここ迄が国道1号線。ここから福岡門司迄が国道2号線となる日本の大動脈です。ここにも市電が走っていた時を知る人は少ない。

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水の都と言われた時は今は昔。右側が大阪市役所。左の高架は阪神高速。

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日銀大阪支店。しかし、存在感は失われている。彼等はそうは考えては居ないだろうが?

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生駒の山のテレビ電波搭が見える。肉眼ではここ迄は見れない。250㎜望遠レンズのお陰です。実際に見える風景はこんな感じです。今日は御堂筋を上ちゃんのお店がある心斎橋迄歩くつもりです。

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親父が半世紀前に見た瓦斯ビルは外観は何も変わっていないが、内部は分からないしこれからの瓦斯需要も良く分からない。瓦斯と言えば大阪人は今でも忘れられない地下鉄工事の天六の大事故。あれも40年前後、前の事だから多くの人は知らない。

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南御堂です。この近くに北御堂があります。御堂とは親鸞の教えを伝えている。

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心斎橋Appleのショールームは2階に上がるガラスのループの階段途中迄先客が並んでいた。上ちゃんに声を掛ける事を諦める。パソコンでtakeさんから教えてもらった画像の色合いの修正法は確認出来なかった。パソコンがインターネットに繋がらないトラブルは先日ジェイコムに確認してもらいました。

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今夜は1年ぶり?に甘いみかんを298円でゲット。3個食っているので10個入り。大玉になると498円。でも甘さは小さい方が良い。これからはみかんが大将になる。

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今夜のおかずは肉はおまけ?398円では固い。メインは小タマネギ2個とぶなしめじ1個。味付けはすき焼き用醤油適量。てんさい糖小さじ2杯。水を適量。これが最高。栄養満点。砂糖はこれ迄知らなかったてんさい糖。これはビート、砂糖大根とも呼ばれ北海道産。オリゴ糖が含まれ甘さも上品でお腹には最適です。お試しあれ。

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これが親父風ライス。味はてんさいの分量さえ間違わなければ(多過ぎなければ)最高です。親父に作れるのだから簡単に出来ますよ。米でなくても親父お好みのパンでも行けそう。でも米の方がサジで食えるのでこの方が楽。肉は味が抜け出ていました。


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2012年10月24日 (水)

秋を求めて川西能勢から能勢電で妙見山を訪ねる。

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久し振りにパソコン教室に顔を出す。親父が教わったのは近くの駅前。この教室は本日の目的地妙見山の途中の駅で下車。アポを取らずに突然の訪問で3人の方が勉強中でした。商売繁昌の様子。何よりです。親父が教えてもらったのはプライベートレッスン。それでもあれから3年近くの歳月が流れています。親父の進化は眼を見張る?

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乗り換えた駅。直通の電車も走っている。この路線。一時採算が悪化して阪急の傘下に下るが電車の間隔が10分間隔で利便性は良い。4両と2両のワンマン運転。運転手は大変だろうが地域の足として充分貢献している。

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こちらが妙見山に向う路線。天気は非常によい。気温は一気に下がり長袖シャツ一枚では肌寒い。今秋初めてジャンバーを手にして出かける。

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自販機を見ながら思わず「高知産」に眼が行く。「ゆずれもん」青森りんご、復刻版フルーツオレ。どれにしょうかな?答えは決まっていました。ゆずれもん。ゆずれんもんと親父ギャグをつぶやきながら手にしていました。

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こちらは日生中央駅(阪急不動産の大型分譲住宅地。街が出来ている。)行き。

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再び電車に乗り込む。来た時は気付かなかったが車内の飾り付けが凄い。

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4両の電車内は貸し切り状態。これからは戻る人が多くなるのだろう。

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駅前の風景。トイレに向っている。いくら田舎道でも立ちションは出来ない。

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改札駅前のお店。栗に眼が行くが料は多い。値段も2000円から。せめて半分にしてほしい。

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駅から妙見山のケーブルカー乗り場迄約20分歩く。今日は素晴らしい歓迎を受けました。

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レンズを交換してズームアップしています。レンズ交換も素早く出来る様になりました。(流石です)自分で言わないで下さい。

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これは以前デジカメで紹介したお宅です。流石レンズの差は大きい。(親父の腕の差ではありません。)分かってます。

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廃校になった小学校?今は某教育集団?が利用している?そうは見えない。

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実験農場の花作り。おばちゃんが草取りをしていた。

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田舎道をキョロキョロしながら歩いている。田舎では珍しくも何ともないが都会では中々眼に出来ない秋の風景。最高の贅沢です。

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親父の原風景です。

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空の青さと鈴なりの柿。秋は田舎に来ないと眼にする事が出来ない。

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ケーブルの乗り場の手前で山に入る。このコースは初めてで様子は分からなかった。親父の飽くなき好奇心。無鉄砲。その代償は小さく無かった。

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オイ此処は何処を歩きマンネン。正解は左端。

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此処は左下の道を歩いている。木と木の間は通路ではありません。

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四国遍路道を思い出す。覚悟を決めて呼吸を整えながら歩いていた。しんどい。息苦しい。(オイオイ。大丈夫か)休みながら歩いていました。

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呼吸を整えながら立ち止まると稜線が近い。もうすぐ登り切る。しかしその思いは無惨にも打ち砕かれる。

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視界が開けて来た。苦しい思いももう少し。ところがそうは問屋が下ろしてくれなかった。

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道が平らになる。もう少しと思っていた。

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この先で上から降りて来た青年に会う。もうすぐ上の広場に出ますか?親父の問い掛けに首を傾げながら「まだまだ」と平然な顔をしていた。この時3時過ぎ。このまま登り続ければ4時前には着けると思ったが、汗まみれの体が引き返す事を要求していた。青年と一緒に引き返す。この判断は正解だった。親父の疲れ具合を見て山の神様がささやいてくれたのだろう。青年は40そこそこ。結婚はしていなかった。多くの事を話をしながら来た道を戻る。警備の仕事をしていた。今日は休日だった。

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此処が山に入る取り付け道路。此処迄降りて来ると一安心。手にして来たおにぎりを此処で立ち食い。腰を降ろしかったが適当な座り場所がなかった。この時4時前。流石に腹が減っていた。青年に礼を言いながら別れる。

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分かりますか?凄い実が声を掛けていた。残念ながら手が届かない。(オイ。手が届けば口にするのか?)分かりません。でも口は付けるかも。美味そうなアケビでした。

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駅迄の道。舗装はされているが道は狭い。軽の車が結構走るが運転しているのは年配者が多い。これから進む高齢化社会。公共交通機関の少ない田舎で生きる人は車が手放せない。車が運転出来ない事は田舎では生活が出来ない事かもしれない。

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駅前の山側の景色。駅の看板が無ければ此処が駅前とは誰も感じないだろう。今日は秋の景色を求めて足を伸ばしたが、柿の実を一杯撮りながら期待通りの景色にニンマリとしていた。妙見山は江戸時代迄は険しい山間の道を歩いてお参りしていた。

今は車で上の駐車場迄乗り付ける事が出来るし、反対側はケーブルとリフトを乗り継いで簡単に登る事が出来るが、この山頂に日蓮宗霊場「能勢妙見山」妙見大菩薩は星の王と言われる北極星の守護神と言われている。開運新たかと言われて多くの先人がこの山に登った思いは意外に希望的観測だったのかもしれない。

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最後はオマケです。今夜のおかず。でもこの前に空腹を満たしていたのでこの野菜炒めはおまけです。(オイオイオマケの今夜のおかず?)親父さん食い過ぎぜす。何のこれしき。フライパンで味付けの醤油に加えたてんさい糖が多過ぎて更に醤油を加えたこってり味。これが中々でした。一眼レフの画像恐るべしです。これで材料費350円なら上等でしょう。デジカメではこれだけの色はでなかった。

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これだけの食事が出来れば今日の疲れも取れるでしょう。フラッシュをたいてレンジでチンした親父お気に入りの熱い魚沼産こしひかりをスプーンで野菜炒めの肉汁に押しつけている。これに卵を落として最高の卵掛けごはんでした。(大丈夫では無い)明日もしっかり歩きなさい。了解です。

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2012年10月23日 (火)

一眼レフ素晴らしい。大阪駅の広場で「仮名手本忠臣蔵」の宣伝見て来ました。

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夕方の大阪駅北口です。今日はカメラのケース。少し大きめの物を買い求めました。少し高めの6000円。(高くない?2日掛かりで決めましたよ「笑い」)
今日は最上階の時空(時)の広場で「文楽」のPRイベントがありました。

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此処がホームの最上階の時空(時)の広場。駅といこいの広場。真ん中にベンチが遠慮勝ちに置かれているが、イチャ付いているカップルを見ると眼を背けている親父が居る。公衆の面前で人の眼を気にせずに戯れる風景はどう見てもスマートでない。

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振り返ると来春開業の工事現場が見える。外観はほぼ完成しているが内装と連絡通路一回と地下の工事が急ピッチで進んでいる。後半年もしないで人の流れも大きく変わる。親父世代も嘆きの言葉を重ねないで若き日の思いを完成させなければいけない。

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大阪駅のホームで見上げた空は希望と可能性に溢れていた。「可能性の挑戦」大それた事を考えた物だとこの歳になると首をうな垂れるしかない。それでも此処からホームをホームを見下ろしながら憧れのカメラでシャッターが切れる。他に勝る喜びが在るだろうか?哀しい事。辛い事を背負いながら生きて来たその先に見える喜びはこれからかもしれない。もうすぐ素晴らしい文楽のショットをお見せします。

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懐かしい大阪環状線。今はぐるぐる回る環状線のダイヤはすくなくなって居るが、この古株は生きている。車両はどんどん新しくなり快適、省エネになっているがそれだけではない事も学ばなければならない。東京も昔からの電車の色が消えていたが大阪のこのオレンジ色ももう少し頑張りなはれ。

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足を踏み入れた事のなかった阪神地下街の食堂街。マッタケ炊き込みの宣伝文句に足を止めるが、店の入り口に置かれている自動食券発券機の食券の買い方が分からない。近くで忙しく立ち振る舞っているお店のオネエさんに声を掛ける。優しく教えてくれる。値段を聞いてドングリ眼がつり上がる。おにぎり100円。ごはん180円。殆どの人がうどんとセットで注文の様でした。お椀は小振りでしたが味は文句なしでした。又、大阪の美味い所を見つける事が出来ました。このお店も昔からのお店です。

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大坂駅前の花壇。大阪駅はすっかり様変わりしています。

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阪急百貨店。屋上にこれだけの事務棟を重ねると土台から補強しなければいけない。この国の土木、建設技術の高さを見せつけられる。それでもこれだけの高さを見せつけられると親父は倒壊や火災の事を心配する。しかもこれが全てビジネスフロアーとは信じられない。展望食堂はないのだろうか?

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阪神百貨店。この外観は半世紀前と少しも変わっていない。そろそろ立て替えが叫ばれるに違いないが阪神エリアの根強い支持が衰えていない。ライバルだった阪急と資本提携が成立して関西人を驚かせる。阪急の立て替えが終わるとこの懐かしい景色も見納めになるかもしれない。

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夕日が建物に反射している。高い建物は外資系ホテル。ヒルトンです。

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これも大阪駅前の花壇です。このきめ細やかさは流石に一眼レフです。それではお待たせしました。文楽のプレゼンテーション。本番は劇場でと宣伝していたが親父は250㎜レンズで撮りました。出来映えを一気に見てみましょう。

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文楽の説明は良く分からなかったけれど大阪の伝統的な古典芸能もこれからは、積極的な宣伝が求められ幅広い年代の支援が求められている。何時迄も国や行政の補助金で伝統が守れる訳でもない。親父も初めて眼にした古典芸能。最後に赤穂義士のミスが紹介されていたがこれか文楽の演し物が今回は関係している。文楽と人形浄瑠璃の違いも分からない親父も此処で席を立つ。

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大阪駅北側のツインタワー。この最上階の展望台から見える夜景を見る事はあるのだろうか?(何時でも見れるよ)ただし一人でね。それは余りに哀しい。この画像はデジカメでは無理かもしれない。標準レンズでオート撮影です。どうですか?立派な物でしょう?後ろの夕暮れの黒雲もいいね。(自分で言わないで)Img_0114

大阪駅東口の遠景です。煌煌と光り輝いている商業ビルはこの反対側に関東系のおしゃれなデパートに負けない専門店街。苦戦が予想されたが健闘している。空海が自ら志願して唐に渡ったのは命懸けでもあった。当時の玄界灘を乗り切る日本の航海技術は無きに等しかった。その歴史を知る人は殆どいない。

そして天才。風雲児が残した密教の教えは今一部の別世界でしか生きていない。人の生き方はそれ程に愚かなのだろうか?それとも空海がこの国に伝えた教えが難しかったのだろうか?その答えは四国遍路道を歩いて見ると良く分かる。苦しさと悲しみ。絶望の時は終わる。これからは楽しさと喜びとは行かないだろうが、元気で力強く歩いて行かなければいけない。綺麗な画像がその事を伝えている。

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2012年10月22日 (月)

一眼レフデビュー。これから見果てぬ世界が広がる?

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西梅田地下街。一眼レフ。コンセルジュルームのサービスを受け操作方法を教えて頂きました。その前にショールームに行きましたが親父のお願いはストラップの掛け方。当然「何しに来たの?」って感じ。「暇のくせに」と思いながら反対側のメンテナンス。修理のカウンターに向う。先客が多い。「何しに来たの?」今度はお客にそんな顔をされる。しかしそんな事で凹む親父では無い。整理券を受け取る。

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順番はすぐ来た。対応して呉れたのは若い女性。彼女は親父の用件を聞きながら嫌な顔もせず笑いながらストラップを掛けてくれた。簡単な操作の説明はこれから出来ますと言いながら淡々と手続きをしてくれる。タイミングも良かった。年配の男性管理者が分かり易い説明をしてくれる。それでもこの写真を撮る前は親父の操作は充分ではなかった。この後はカメラが自動的に処理して画像です。流石一眼レフかな?

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堂島の若狭のお店。親父サバ定食しか食わないがこの時間は仕事帰りのサラリーマンが多い。今日はまだ座敷に人影は無かった。右端にお客は2名だけ。何か陰気な感じ。仕事が途切れた時の不安を語り合っている。カメラはそんなお話しは完全に関わりがない。

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ボトルのキープも焼酎のみ。ビジネスマンの財布ではこれ位が関の山だろう?(コラコラ)仕事の憂さ晴らし。ここは殆どホワイトカラー。(今はこんな言い方はしないのかな?)汗にまみれて作業着で仕事をしていた親父にとって印象は悪い。(こら)

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でもこの狭いお座敷でも上下関係は厳しい。「サラリーマンは気楽な家業」と言われたのは過去の話。今はどれだけ仕事仲間とコミュニケーションが取れるかで仕事の出来不出来が決まる。ハンガーに上着を掛けて今夜も本音と建前が交錯するのだろうか?クダラナイ?そうも言えるしそうも言えない。渡る世間はアホばかりかも。?

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流石一眼レフです。室内でこれだけ綺麗に撮れたら上等です。ありがとうございます。

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昨日夜遅く到着した大阪駅。ここでも一眼レフは流石の仕事をしてくれました。

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中央下と左端の数字は在来線のホームの番号。このフロアーからホームにエスカレーターで乗り降りできます。右のエスカレーターは時空(時)の広場(待ち合わせ、連絡通路)への上り下りです。階段を歩く人は殆ど居ません。

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このフロアーがホームに昇降出来るフロアー。しかし何故か改札口は中央にしかない。慣れていないと出口が分からない。この仕切り板の意味が分からない。この方向に出ようとすると出口はない。これは意識的に人の流れをコントロールしているのだろうか?

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来春開業の大阪北ヤード。この建物が一番手前のビジネス、研究棟?開業時の空室率が心配されているが、共同開発のⅠ2社にとっては痛くも痒くもないのかもしれない。それ程にこの一等地の使われ方は皆でリスクを分散すれば何とも無いのかもしれない。いずれこの場所の価値が分かると考えられている。実際は誰にも分からない。

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振り返ると此処は大阪駅の北側通路。時計は7時前。ラッシュ時は終わっている。この連絡通路も来春になると現代の東京八重洲口の様に賑わうに違いない。その時大阪人は何に共鳴するのだろう?東京と大阪では求めている物が違う。その事を明確に語れる人は出て来るのだろうか?松下政経塾がこの国の政治と経済に果たした役割をこの塾を立ち上げた幸之助氏は苦々しい思いで見ているに違いない。橋下維新の会が既成政党の体たらくを打破すると口先で叫んでも、現実の厳しさはそんなに甘く無い。

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今週木曜日(25日)リニューアルオープンの阪急。暗闇に浮かび上がる外観から推し計れる姿は明確ではないが関西人、特に北摂、神戸、京都のお金持ちにとってこのお店が果たす役割は小さく無い。そのお店の売り場が大きく変わる。親父も今日は一眼レフレビューの日だったけれどこれから綺麗な写真を学習します。(と言ってもしばらくはカメラが自動で全てをやってくれます。)親父に出来る事はシャッターを押すだけです。(半押しで焦点だけ赤点で教えてくれる)その現実を親父がこれからレポートします?今年の秋は楽しみです。自己点検もお忘れ無く。

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東京は抜ける様な晴天。生きていれば哀しい事ばかりではない。

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天気に恵まれ親父も一生一代の大見得を切る事が出来ました。色々考えていたつもりが実際は思いがけない幸運に左右されていました。どんなに頭で考えて見ても実践は真逆の事が少なく無かったがこの歳になって嬉しい事が重なりました。

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JR新宿駅近くの甲州街道。久し振りの新宿駅。多くの想いが重なった雑踏の中を重い荷物を提げながら、額の汗が爽やかだった。デジカメでははっきり切り取れない画像が思いがけなく一眼レフをプレゼントされ、これからは幻想的な景色が切り取れるに違いない。この写真は撮って貰ったがこれからもっと美しい景色がお見せ出来るに違いない。ありがとうございます。そしてお幸せに。

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多くの人が多くの思いを重ねながら大都会東京の新宿で信号待ちをしている。喜びも悲しみも希望も絶望もその先に広がる景色を誰も予測は出来ない。涙を流しながら歩いた事はないけれど、心をときめかせながら歩いた事もなかった大都会。生きている事は悲しみや苦しみだけでは無い事を多くの人が願っているに違いない。

東京は大阪とは違った人の生き方があった。大阪と東京の新幹線は2時間と20分足らずで結ばれているが近い様で遠い。本当に汗をかきながら懸命に生きている人達が心の底から感謝出来る。そんな生き方をしなければならない。親父も又大阪で明日から頑張ります。体に気を付けて仲良くお過ごし下さい。

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2012年10月20日 (土)

花の東京に着きました。東京もよい天気です。

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東京駅のドームがこんなにきれいになりました。親父も無事東京駅到着です。

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文化遺産の保護が問題になった東京中央郵便もいつの間にか完成していました。
ニュースにならなかったのはニュース価値にもならなくなったのだろうか?大阪中央郵便局も今は完全に取り壊されしばらくは空き地として放置?されると言われている。東京と大阪の駅前一等地の戦前の建物の有効活用がどうなったかを知る人は少ない。

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新マルビル。この左前方に皇居があります。

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大勢の人だかり。東京駅の化粧直しが終わり大勢の人がカメラを構えていました。

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東京も快晴。結婚式も天気がよいと皆が喜ぶね。

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大阪堂島の親父お気に入りの食事がおいしいお店と同じ名前の部屋でした。

食事は歩いて近くのステーキハウスで親父お気に入りのハンバーグ。味は悪くは無かったが1時間近く待たされる。大阪ではこんなお店で食事をする事は無い。お店の感じは可も無し。不可も無し。でもぐるなび登録店でした。これも思い出です。

明日は肩の力を抜いてニコニコしてスピーチをこなしたいと思っています。

 

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2012年10月19日 (金)

いよいよ明日は上京です。それにしても巨人は弱い。株価が上がる?

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大阪は(と言うより日本各地)すっかり秋めいて来ました。一月前の暑さが嘘の様な気候が続いています。今日は最高気温も20℃前後。近くのマンションの大きなヤマボウシの赤い実が喜びの思いを祝福している様です。穏やかな時が流れていました。

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昨夜来の雨が上がり爽やかな陽気の中を千切れ雲が流れています。大勢の人が空を見上げる余裕も無く何かに追われながら気忙しく日々を過ごしていますが、この千切れ雲も今日はのんびりと親父の顔色を窺っている様です。「親父。スピーチの準備は出来たか?」大丈夫。大丈夫。この親父。やる時はやります。

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近くの床屋で久し振りに待たされる。ぼんやりと外の景色を見ていると何かが違う。(何だろう)と考えて見ると右側の回転広告灯。レッドが抜けている。赤い血潮。燃え上がる情熱。この静かな風景がこれから一転する。しかし体の調子は自分でコントロールしなければならない。

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奈良山辺の道スタートの天理、石上神宮(いそのかみじんぐう)のオナガドリ。親父の体調を心配していた。「親父さん、この時間から歩くのか?」心配されたのも無理はない。歩き出したのは夕方だった。普通の人は午前中に歩き出す道。心配されて当然。この日は少ししか歩けなかった。それでも次の日は引き返した駅から歩いた。

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内山永久寺跡の池。桜の時に芭蕉が訪れて句を読んでいるが親父はここで道を間違う。ひどい勘違いをする。国道の歩道の雑草に愕然としていた。もう一度この道を歩くかと言われればオブコース。勿論です。次は芭蕉が訪れた春に来れるかな?

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ここは歩道ではないの?誰がこんな道路管理を許しているのだろう?分からなければ良いとでも思っているこの国の役所のお間抜けです。最もこんな所を歩く人は居ないと思い込んでいるのだろう?その程度の道です。ススキが風に揺れていた。

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ぶつぶつ言いながら歩いていたら歩道が無くなる。ここから先は歩道はない。和歌山でもこんな道は在ったな。都会では考えられない道路管理。それが許される田舎の道。今、多くの人が懸命に生きているがこれも又現実。政界も一歩先は闇と言われて久しいが今の体たらくは何時迄続けられる思っているのだろう?

その原因も考えて見ると長い間続いて来たこの国の利権体質。政治がどんなにお間抜けでもそれを支えている人は少なく無い。政策やこの国の在り方を普通に考える基礎的条件がなくても選挙権は与えられる。その投票率がいつも問われる。これが今の現実。これを変えない限り綺麗ごとは言えない。

今日与党と野党の話し合いは当然物分かれ。このまま進めば完全に国の財政は破綻する。破綻すればどうなるのか?大丈夫。そうならない。考えても見たまえ。この国の国家予算は赤字国債(次世代に送り継がれる負債。借金。)を40兆円(億円では無い)前後発行しないと成り立たなくなっている。それでもその切迫感は何もない。

それはその国債を国内の金融機関(銀行、信用金庫、国内投資ファンド、投資家)が引き受け利益を得ているからである。何にも心配する事はない。タダ同然の金利で預金を獲得しその100倍、1000倍の利益を得る。これ程美味しいお話はない。

その美味しいお話も国の借金です。これは国内の金融機関が殆ど引き受けているとは言え利子は雪だるまの様に増えて総額では天文学的借金(1000兆円とも言われている)になっている。その金額に当然歯止めを掛ける為にこの国では毎年国会で承認されなければならない。

その承認が見通しが立たなくなっている。その事も知らない人が多い。その理由はいずれ与野党の合意が成立すると思われているからです。その時が何時来るのか?それが分からなくなっている。そんな馬鹿なと思われますがそれが現実です。

でも心配はありません。野田総理大臣、政府与党は完全に追いつめられてこのまま突き進むと総辞職しかありません。解散をして選挙になれば壊滅的な大敗が決定的。先にも進めず後戻りも出来なくなる時をそう遠く無い。唯、国の財政的混乱は景気回復にはプラスにならない。その批判の機運が高まるのは来週になりました。何たる事でしょう。(親父が嘆く事ではない)その通り。

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2012年10月18日 (木)

大阪は小雨。でも目的は達成。着々と準備は出来ています。

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大阪駅のホームの上に連絡通路が完成して1年経ちました。丁度通勤ラッシュが始まっているがどんな人がどんな思いで帰宅しているのだろう?この写真は綺麗に撮れているからきっと安らぎの時が待っているに違いない。今日は久し振りに親父も堂島の女神に会う事が出来ました。お仕事と家庭の両立は大変ですが頑張って下さいね。

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ホームの上の時空(とき)の広場。大勢の人が行きかい大勢のカップルが出会う広場。今日は閑散としている。デジカメの画像は暗いが実際はもっと明るい。

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この場所は駅のホームの上5階相当。左のエスカレーターは上の食堂街に上がる。上のレストラン。食堂。喫茶のお店はいつも満員。やはりこの高さと珍しさは出合いの場所として何かを主張しているのだろう?一度は登ってみる価値はあるかも?

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ここは大阪駅北口の連絡通路。両側のエスカレーターで上り下りすると時空の広場。下のフロアーもホームの上。この階からホームに上り下りが出来る。しかしエスカレーターが各ホームに1本ずつで混雑している。慣れた人はホーム東西両端の階段か中央階段を利用する。しかしこの階段は慣れていないと行き先が分からなくなる。

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大阪駅北口。阪急に向う連絡通路。左から中央に見える建物が今建設中の大阪北ヤード。外観はほぼ完成。出来上がると大阪駅北開発プロゼクトの1期工事が完成する。このアングルセは良く見えないが1番手前が商業、研究開発、ショールーム。2番目が外資系のホテル?3番目が分譲高層住宅。1Kと馬鹿にされたがなめたらアカン。

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今日は梅田阪急3番街のインディアンカレー。これは昨日のおでん。大好きな卵と大根が2個。でも味は今イチ。おでんは関西風の味付けが最高と言われていた。今夜は冷蔵庫の卵でゆで卵作りますか?卵の賞味期限も28日だし。(何個作るの?)それは内緒です。

今日は靴下とカッターシャツを買い求めてこれで衣装はオッケー。後はスピーチだけ。(これは冗談です)現役の時、本当に喋りはへたくそで現場の底力を見せつける事は出来ませんでしたが、今はその反対です。?喋りは訓練です。下手か上手かは自分で決める者ではなく、聞いている人がどれだけリラックスして聞けるかでしょう。

最近、その事が良く分かる様になりました。(遅い)確かに。しかしこれからの親父達の生き方はどれだけ人に喜びと感動を与えられるかでしょう。今日大阪に出かける時最寄りの駅で電車の昇降口でじゃれている子供に乗り込んだ電車の中で説教しました。(又かよ)涙ぐんで弁解している子供に「言い訳をするな」「叱られて涙で誤摩化すな」「人の同情を買うな。男だろう」久々に親父節を口にしていました。

明日は眼医者(定期検診)床屋でさっぱりすれば明後日はいよいよ花の東京です。体調は万全。新幹線の時刻も確認しました。親父はケチだからみどりの窓口で「こだまの料金は?」と聞いたら「400円安いだけ」と馬鹿にされる。新幹線はJRのドル箱です。イヤな感じと思いながら切符は当日買いますとさり気なく交す。

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ゆで卵出来ました。画像はボケて何ともお見せ出来る物ではないが味は久々の出来上がり。少し斑で何とも不気味なのは塩をふりかけているから。デジカメのピントが合っていないのはカメラをくっつけ過ぎからか・takeさんに笑われそう。

失敗は成功の素(もと)と言われるがそれは間違いです。失敗には必ず原因があり、それを排除しなければ同じ事を繰り返す。単純明快です。唯、それは言うは易く行うは難し(かたし)。人は尤もらしく人を批判は出来るけれど自分はどうかの判断は中々出来ない。滑稽というには余りに哀れかもしれない。

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何・これも食ったの?親父好い加減にしなはれ。食い過ぎです。カメラがむくれている。(いや単なるピンボケです)これは簡単に出来て美味さが保証出来ます。(ホンマかいな)ホンマです。でもこれも見栄えは悪いから人には見せられない。(見せている)タマネギのみじん切り(みじんでなくてもこの程度で結構)食用油をひいて炒める。卵は掻き混ぜるだけ。お上品に言えばスクランブルオニオンエッグ?

タマネギを完全に炒めて卵を落とす。タマネギ1個で卵2個。味付けは塩こしょうか醤油。(今回色合いが良く無いのは味付けが醤油)。という事は今夜卵を5個食ったて事?いただきました。これで後は寝るだけ。(アカン。食い過ぎです。親父さん)折角腹回りが5センチ詰まったのにすぐリバウンドしますよ。(笑っている)。

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これからお気に入りの道を歩いて来ます。

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大坂駅前阪急百貨店3年前から店内改装、増築工事をしていましたが今月末にようやく完成。この画像では旧屋上に増築された右のオフィススペースと正面左奥の建物が目立つがこれも別棟。百貨店は手前のチョコレート色の部分。どれだけかわっているかは25日からのお楽しみ。

親父が18の時、眼にした風景は変わら無い様で激変しているに違いない。この建物の中まで阪急電車が乗り込んでいた時を知る人は少なくなっている。あの頃は手をつなぎながら邪魔な歩き方をする人や、我が者顔で人通りの多い中を平然と歩く感覚は無かった。

肩が触れただけで呼び止められていた。今はそんな野蛮な暴力沙汰は無いとでも思っているのだろう?そのくせ少しでも自分な災いが降り掛かれば声を荒げて文句を言うのだろう?こんな人は叩きのめされなければ分からない。(コラコラ)。そんな時代が嘆かわしい。

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それでも日本の各地にはこんな素晴らしい景色もある。少し足を伸ばして地方を巡れば心が潤って来る。現代社会の慌ただしい人の思いの中で生きていると忘れてしまう風景。そんな川の流れがここにはあった。見上げれば山形の山寺の景色を思い起させる。この正面の橋はお寺の関係者だけで観光客はその先の漆の太鼓橋を渡る。

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おっかあや子供達と来た時は親父自慢の足(スカイライン)だったが、今は最寄りの近鉄の駅から1時間に約1本のバスで来るしかない。そのバスの停留所がここ。これから観光シーズンになれば臨時バスも出るのかもしれないが、それは余り期待出来ない。タクシーもあるが有料案内の時でないと利用は出来ない。歩くと?1時間チョッとかな。4キロ近くあるけれど道が整備されているのでそれは余りお薦めは出来ない。

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バス停から室生寺迄の狭い昔からの道は両側にお店があるので車の通行は要注意。運転に不慣れな県外車は手前のバス停横の駐車場に車を止めてゆったり歩くのがお薦め。それでも道は狭くて車には気を付けなければならない。赤い薬の名前読み取れますか?だらにすけ。腹痛、下痢、整腸の昔からの飲み薬だったかな?

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この前お見せした大阪中之島の淀屋橋から見た風景。この橋のたもとに(右側)今年の初め寒さを避けて休憩したコーヒーショップがある。正面の山がこれも以前説明した生駒山。この山脈が大阪平野と奈良平野を分ける。奈良盆地はその先です。「山辺の道」は天理から桜井に続く散策の道。一週間良く通いましたなあ。

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大阪御堂筋。この道も親父が大阪に出て来た時は南北通行の大動脈だった。今は南行きの一方通行。折角通行規制を行っても大阪府警の交通取り締まりは殆ど無い。違法駐車の取り締まりは民間委託。彼等は見なし公務員で警察官と同様の駐車違反の取り締まりの権限はあるが、警察官ではないので悪質(モラルに欠ける)ドライバーには遠慮がある。

この写真には駐車違反を写していないが全てがこうではない。警察は何をしているのでしょうか?大阪人だけでは無い都会人のマナーの悪さ。大好きな街を歩きながら悪たれを言っている。一方通行の白線の引き方もおかしい。一番端は狭く無いか。ここは駐車可と指し示しているのだろうか?はっきりしなはれ。

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歩道も広い。しかしここにも違法駐輪がある。この写真にも写していないが何で徹底した事が出来ないのだろう?綺麗で快適な街造りは口先だけでは何も改善しない。「皆で渡れば怖く無い」昔そんなブラックジョークを言っていたお笑いも今は歳を取った。何時迄も若くは無い。自分に生き方が問われている。

そんな生き方は都会では出来ないのかもしれない。都会人の豊かさはこれから自分が問われる事を思い知らなければならない。この御堂筋も昨日は大雨に打たれていました。今朝も雨で車で渋滞。

(通勤も車があれば濡れないから楽とでも思っているのだろうか)大渋滞で時間の遅れを考えていないと仕事にアナを開けるよ。余計なお世話です。そう。そんな事も関係なくなりました。雨が上がると大阪は一気に秋が進みます。御堂筋のギンナンが色づく時も近い。

お陰様で肩の痛みはマシになりました。流石ヒアルロン酸に注射です。これから歳を重ねる度に足腰が弱って来ますが、腕、肩、首、手、指先の事は余り考えていませんでした。整形外科(近くの開業医)も年配者で一杯でした。他人事ではありません。

親父が今歩く目的はこの歳になって暇が出来たからです。その暇の使い方は色々ありますが親父の賢い処は(自分で言うな)自分の精神と肉体のアンバランスを実感出来る事でしょう。人間はどんなに若くても働き盛りでも歳を重ねても、一番大切な事は賢さと強靭な肉体です。賢さは読書と好奇心。健全な身体は節制と強化です。

その事を忘れなければ伊能忠敬に負けない偉業は為し得なくても、未知の世界に足を踏み入れられると信じています。何時迄も健康で居られる保証は何もありません。肩の痛みを受け入れながら優しく手当をする。

それしかありません。焦る事は何もない。肩の力を抜いてリラックスする。そう言う親父でも眠れぬ夜はiPodは手放せません。お気に入りのゆったりした音楽を聴いていると何時かは夢の中です。「睡眠は充分に健康な体で仕事に当たろう」現役の時、朝の朝礼で唱和していました。安全10か条。覚えているのはこれだけです。

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2012年10月17日 (水)

雨が上がると枯葉を踏みしめながらシャンソンが聴けるのだろうか?

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この坂を越えたなら幸せが待っている。これは都はるみの夫婦坂。この坂は鎧坂。(よろいさか)カクンカクンとする足腰。雨に濡れた石段を下りて行くと、その先に平らな心地の良い道が待っている。

心にストレスが溜まっても心静かに、ゆっくりと足を踏みしめながら慎重に降りるしかない。山登りでも登る時より下りがむつかしいと言われる。心に迷い起こらば困窮したる時を思い起すべし。これは徳川家康遺訓です。親父の遺訓は何になるのかな?(まだまだ先の事でしょう)そう伊能忠敬の日本全国行脚の旅は忘れていない。

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少しアングルが悪い。右に傾いている。この傾きを支えるのは君達若者です。(何の為に)戯言を繰り返していたあの代償は余りに大きい。ここで中断。セントラルクライマックス戦をパソコンで見ます。終わったら又つぶやきます。

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少し白飛びが出ているがそれでも美しい。クライマックスセントラルは3−1で中日先勝。パシフィックは3−2で日ハム。盛り上がりの少ない試合と言ったら叱られるかな。大体BSで試合終了迄放送出来ないスポンサー。オバカなオチャラケの放送に見向きをしている人はどんな人だろう?(コラコラ)負けたからと言って嘆く事は無い。その程度の事だと思えば良い。これで面白くなったとどれだけ思えるかだろう。

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多くの人の想いを忘れてはならない。この道を色んな人がどれだけの思いで通り過ぎたのだろう?残念ながらこの言葉の意味を教えてもらっていない。なにげなく通り過ぎて何気なくこの石柱も見逃していたが、前回一人で歩いてこの先の階段を上がれなかった穴埋めをしなければならない。

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写真がボケているのはこの急な階段に心が萎えたからではない。帰りのバスの時間が迫っていた。その言い訳を笑われている。確かにこの階段は今生界と天上界を分ける架け橋かもしれない。毎日の生活に追われていると昔の人が信じていた言葉を忘れている。自分の生き方が自分の力では及ばない。その事も忘れてはならない。

親父の肩の鈍痛はヒアルロン酸の注射でマシになっています。体調との戦いは耐える事では無い。如何に軽く出来るか?その知恵を求められている。あの時ここで引き返せたのもその決断だったに違いない。無理をして急いで往復出来る石段では無かったのだろう。

野田総理が緊急経済対策?何と間抜けなことを言っているのだろう。政府が今出来る事は即刻退場。アメリカのオバマもそうだったが政権交代で何が出来て何が出来なかったのか?その事が問われている事がこのオバカな政治家は分からないのだろうか?

最高裁判所が1票の格差は違憲?だから何なのさ?自衛隊を違憲と言えない司法の判断は今でもおおくの国民に信頼されていると思っているのだろうか?この国は法治国家と言われて久しい。しかし、実態はそないに甘いもんやおまへん。

検察と警察の実態と同様に司法も裁かれなければならない。司法と言えば裁判官。この裁判官にも弾劾裁判がある事は忘れてはならない。司法から突きつけられた政治の責任。マスコミも尤もらしく口にするオチャラケをそろそろ終わらせなければならない。

 

 

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大阪は雨。雨が上がると季節は一気に秋めいて来る。

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奈良室生寺。山門を潜るとこの池がある。どうですか?傑作のアングルでしょう?前にも紹介した自慢の一枚。このお寺さんは「女人高野」と呼ばれて久しい。今は高野山にも女性も参拝が出来るが昔はそうではなかった時代もある。その事も知らなければ本当の女性解放、地位向上は無いに違いない。(それは偏見です)と言われてもこれは紛れも無い事実でした。(過去形です)誤解しないで下さい。

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雨に濡れた鎧坂(よろいざか)鎧の様に強く頑丈に人を寄せ付けないと言われて来たが、少し息は切れるがゆっくり登ればどうって事は無い。昔の人はこの石段の美しさを鎧の美しさに重ねたのだろう?そう考えるとこれから秋の深まりと共に輝きを増すに違いない。心を開いてこの地に佇めば(たたずめば)この階段を黙々と上がって人の姿が浮き上がって来る。この石段を登り詰めれば「金堂」があります。

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ここが金堂です。親父が説明する迄もなく平安初期の重要文化財を見る事が出来ます。興味があればwikipedia室生寺で検索してみて下さい。難しいけれど暇つぶしに少しずつ読めばアナタも立派なガイドになれるでしょう。(しかしここにはそんなプロは居ない)

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この地を訪れた時はそんなに前の事ではないが、この青々とした苔と木々の緑は紅葉の衣を重ねる。人の命も同じだろう。何時迄もこのような活力は無い。何時かは枯れて土に帰ってもその営みは永遠の時を越える事を知る人は少ない。この横に台風被害で大破した五重塔が再建されている。実際に眼にすると圧倒される。wikipediaでも見れますが何時の日か必ず自分の眼で見て下さい。

では近況です。最近(と言っても異常を感じて長い)肩の痛みが取れない。右肩。まだ腕が上がらないとか横に伸ばせないとかそこ迄は悪化していないが、夜寝ていても鈍い痛みが気になって来た。近くの整形外科の診断を受ける。

5年前に左手の診断を受けて首の骨が血管を圧迫していると言われる。その時は数回首の引き延ばし器具の治療を受けたが治療室の私語がうっとうしくて自分でリハビリを行い今は何ともない。そんな訳であんまり印象は良く無かったが背に腹は変えられない。

診断結果?さすが医者です。レントゲンを撮って原因を明確にする。右横に伸ばすと痛いのは腕を動かす筋がスムーズに動いていない。筋が動かないと筋肉に炎症が起きる。その炎症が既に見て取れると言われる。最近良く聞く言葉。「ヒアルロン酸」。

それが親父の肩から少なくなり飲み薬や健康食品では補えないと言われる。その可能な処置は注射。痛いけれど辛抱出来るかと問われる。オブ、コース。勿論。老いたりとは言え九州男児を見損なってはいけない。それではと早速注入。

後4回。週に一回と言われる。説明も分かり易いがこの医者(他の医者も同じだが)呼吸が合わない。年寄りの看護婦も余計な事を言う。医者でもないのに偉そうに言うな。(それは誤解です)だから医者は嫌いです。でもこれで良くなれば文句は言えない。(良くなると思いますか?)どうだろう?それは今月末になれば分かる。今は首筋が思い。リハビリの体操を教えてもらう。



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2012年10月16日 (火)

冬が来る前に。紙風船の歌を聴きながら「あさみちゆき」を応援していた。

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昨日はまだ早い秋の香りを求めて久し振りに近くの山裾を歩いて来ました。現在は本当に豊かな平和な時代となりましたがそれは表面的です。多くのストレスに直面しても心を開いて語り合える人も少なくありません。

偉そうにうんちくを語る親父も不快な事をあると、心を掻き乱して声を荒げて挑みかかり何をも恐れるかと思いきや、実際は心の何処かに相手の腕力と力関係を値踏みしています。何と哀れな心でしょう。

親父が今四国の遍路道を辿るのもその罪滅ぼしと考えた事もありましたが、それも電車やバス、ママチャリに頼っていては空海様に相手にもされない事でしょう。それでも豊かな自然と風に吹かれながら残りの道を辿らなければなりません。

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43番札所明石寺。このお寺さんは近くのJRの駅前からタクシーで往復したのでご利益は少ないと思う。それでもこの時タクシー運転手さんと交わした心の交流は忘れていない。親父達がこれから我が子や若者達に残せる事。それは生きる喜びと苦しさを乗り越える糧を語り続ける事に違いない。

空海は天才だったが後継者が凡才だった事は何とも皮肉な事実かもしれない。その反対の同世代の最澄は後継者に恵まれたのは現代に何を教えているのだろうか?親父が現役の時、盛んに揶揄された「天才必ずしも指導者ならず」あの時「俺は天才ではない」とふて腐れていたがレベルが違うが同じ事かもしてない。

久し振りに吉幾三の「山野ブルース」を聞きながらそんな事を考えていた。未完成交響曲を完成出来なかったベートーベンの宇宙の真理を問うている事も同じ事かもしれない。空海が求めた「生きる証」「神、仏のあるべき姿」「宇宙の真理」その事をベートーベンも合唱曲付きの第九で問い掛けている事を語る人は親父位かもしれない。

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本当は撮影禁止。画像に納めずに心に納めて下さいと言う教えに背いている。御免なさい。でもこの仏像は御本尊様ではない。本尊の千手観音像は秘仏。年一回8月9日に御開帳される。源頼朝が自分の命を助けて呉れた、平清盛の継母池禅尼(いけのぜんに)の菩提を弔う為に堂を建てたと伝承されていた。(正確には調べてね)

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無人駅ではなかったが田舎の駅。松山駅には特急でここから1時間前後。急ぐ旅ではなかったがローカル電車は便数が限られて、特急券を買い求めるしか無かった。親父の田舎大分日豊線も同じパタナーン。イイエもっとひどい。特急の通過駅。冗談では無い。

単線だから特急優先は分かるけれど地方の良さは利便性と効率(採算)の流れに簡単に潰されている。地方の活性化の言葉が完全に過疎の裏返しになっている。地方発の盛り上がりが無いのもそれなりに美味しい思いをしている人がいるのだろう?

次は松山からバスで70分。歩くとこの間は四国遍路道の最大難関とも言われている。札所は43番明石寺から44番大宝寺。札所間の距離は85キロ。歩いて3日掛かりの道と言われている。この距離より長い足摺岬に向う95キロには及ばないが、実際は山間部を通り幾つもの峠越えがある事から「遍路泣かせ」の道と言われている。

親父は前回はここから松山に出て「坊ちゃん」の湯に入る。湯船の中で1人静かにしていたドイツの青年に声を掛ける。話し掛けて見ると好青年。但し親父の片言英語は通じなかった。彼も日本語は地名と目的位しか喋れなかった。それでもこれが裸の付き合い。親父の大阪弁に閉口していた。温泉の建物を出ると彼女が待っていた。彼女もドイツ人。しかし日本語は話せる。そうでないと彼の日本語では駄目だな。自分の事は棚に上げてニンマリとしていた。

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2012年10月15日 (月)

秋を求めて。大銀杏とバラの花が歓迎して呉れました。

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久し振りに対面です。近くの神社の大銀杏。大きく高くそびえていました。大阪は今日は半袖でも汗ばむ陽気、その中を大阪梅田で写真立てを求めてすぐとんぼ返り。近くの緑のセンターに行き用事を済ませる。目的の花の名前は分からず花言葉を知る事は出来無かった。残念。それでも心のこもった(自分で言うな)プレゼントが出来そう。

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お賽銭を入れ正しいお参りをする。健康とお二人の前途(そして親父の無事長久も)お詣りして来ました。日本人は古の昔から神の存在を信じて生きて来た。アメリカにもヨーロッパにもイスラムの国々にもインドでも人々の信仰の対象は変ってもその心は変わらない。現在人に失われている神仏にすがる心。その気持ちを持ち続ければ必ず心安らかに生きる事が出来るに違いない。

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確かに。うんちくを重ねても行いが伴わなければ甲斐はない。それでもそれで良いのだろう。自分を追いつめる事は何も無い。それで何が悪いと開き直る心。それも大切だろう。それが出来れば素直な気持ちで手を合わせられるに違いない。

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実りの秋です。街中でこれだけのゆずを見れれば感嘆の言葉しかない。

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お寺さんの鬼瓦に睨まれていた。今、自分に問われている事。それは無為の日を重ねる事では無い。それでも思いのままに生きられる人は限られている。自分に出来る事は本当に限られている。生きたくても生きられなかった人の思いを忘れてはならない。

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季節外れの深紅のバラが歓迎して呉れる。造花ではない。(どうかな?)シャレか?

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親父とどちらが長生きしているのかな?この人影のない道を歩く時、いつも立ち止まる所。呼吸を整えながら見ていると話し掛けて来る気がする。これから歩く道を考えると元気が出て来る。

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温室に到着。水を掛けられた直後で水滴が滴り落ちている。花の名前は分からない。

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緑のセンター温室を出て近くの住宅地の坂をゆっくりと登る。柿が鈴なり。

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右の階段を歩くと五月山の展望台に行ける。でも今日はここ迄。この階段を上がる元気は無い。近くの広場で持って来たおにぎりの食える所を探す。生憎ベンチはない。

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右下迄歩いて来ている。現在地矢印が見にくい。ここから上に登る道が一番しんどい。今年はもう歩く事はないかも知れない。親父が自分の体調を確認する道。この道を歩く時はこの道を開いた人の労苦も考えている。人は自分の力だけで出来る事は限られている。その力をどう結集出来るか?リーダーにはその事が求められている。

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人の生き方が暗示されている。これから秋が進み寒さが身に沁みる様になる。それでも愛嬌さえも感じさせるこの八重桜。再びの輝きは親父には期待出来ないが、これ迄学んだ事を少しは教訓にしなさいと言われているのかもしれない。

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遠くに大阪北の高層ビル群が蜃気楼の様に見える。

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結局山裾を走っているバスにも乗らず歩いて来ました。久し振りに会った人から「おや」と体型を見つめられる。自分では前とそんなに変わら無いと思ってもお腹は間違いなく凹んでいるのだろう。それでも街中を歩きながらお店のウインドウに映る体型は昔の面影は無い。それで良いんだよと言われても少しイマイマしい。


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2012年10月14日 (日)

秋を探して。思い出の地を久し振りに歩く。この道はおっかあも歩いたのかな?

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日産の電気自動車。でも残念ながら親父の者ではない。近くのお友達翔と結衣のパパの物。電気自動車。急速充電器も用意してバッテリの充電で走行可。嬉しそうな顔を見ていると親父が初めて新車を手にした時の事を思い出す。あれからどれだけの歳月が流れたのだろうか?車の運転大好きだった親父も車を手放して10年。今はレンターカーにも手が出せない。情けないと思うけれど車の怖さを痛感しているからだろう?

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公園の木々も紅葉が始まっていました。後1月もすると六甲おろしが一気に木の葉を美しくそして果敢なく染め上げて行くのかな?遠くにカップルが歩いている。離れて歩いているから違うのかな?今は手をつないで歩くのが普通になっているし。(コラコラ)

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どうだこの生命力。今年もこれから始まる秋の季節を待ちわびている。人の同じです。生命力は今だけでなく親から子に受け継がれている。親父も何時迄も我が儘な生き方をしているけど、自業自得、自戒の思いをそろそろ手にしなければならない。

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セントウル像。ギリシャの神話。空想上の伝説。力強く弓を引く姿は下半身を逞しい馬に変えている。ここは阪神競馬場のいこいの広場です。静岡掛川にもそんな名前の広場があったね。昔々の話です。あの遠い日の一緒に歩いた道は今でも忘れていない。

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不撓不屈。弦を引き絞り放つ矢は眼には見えないが心の中にはハッキリと映し出されている。心に迷いが生じた時、眼を閉じて心穏やかに呼吸を整えると見えて来る。心に迷いが起きた時見えて来るもの。それは天空のペガサスと言うのはキザかも。でも3国志の諸葛孔明の賢さを忘れてはいけない。

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藤棚の緑がこれ程青々としている景色は見ているだけで嬉しくなる。藤棚のあの花の盛りは五月の初夏の頃。家族で見た静岡藤枝の公園を思い出す。来年歓喜の思いで見なければいけない。心の高まりを押さえながら来年の事を語っていると鬼に笑われる。

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ソメイヨシノ。漢字で書くと染井吉野?昨年見た吉野の山の中の千本。あの時、語りかけて呉れた和歌山のカップルは幸せな時を過ごしているだろうか?

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サインはVです。V。V。右の樹の眼(?)が不気味だけれど睨まれていた。人の事より自分の事を心配しなさい。そう言われていたのだろうか?

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処変ってここは宝塚の劇場に向う花の道。花が見えない?それではお見せしましょう。すみれの花咲く丘?すみれは春でしょう?

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近くのロータリー。でも看板に偽り有り?花はスミレではありません?

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結婚おめでとうございます。(まだ早いかな)エンゲージリング2輪。何もあげる物は無いけれどこの写真を拡大して真珠飾り(イミテーション)の写真立てを用意しています。この花言葉分からないけれど大丈夫かな?不味かったら替えて下さい。

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女の園には裏からの侵入は出来ません。表からは入場料を払えば入れます。(当然です)それが甘い。当日券の保証は出来ません。今はおばちゃんパワーが凄い。(失礼)この反対側は武庫川です。向こうが川。シャレか。イイエ本当です。

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宝塚歌劇場は今でもやっていますが、併設されていた遊園地は時代の流れに押されて今は住宅展示場に衣替え。その一角にペット同伴可のレストランもありますが、ペット嫌いの親父には考えられない事です。この大木も親父の嘆きにうなずいていました。

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歳を重ねても何も変わらない。何も成長が無い。その事を思い知らされていた。

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綺麗な夕焼け。68回目の誕生日を祝福してくれたのは黄昏の輝きだった。
18の時に初めて見た大阪の夕暮れ。29の時新婚の輝きに溢れていた大阪と京都の境山崎の地で見えた淀川の夕暮れ。あれから40年の時は流れたが喜びと悲しみが交錯した日々は今でも変っていない。

この歳になっても精神的には何も進歩の無い事を痛感していた。それでもこれからも毒舌と我が道を踏みしめる為には自分に厳しく、人にも厳しく生きて行くしか無いのだろう。いずれ老い朽ちるとしてもそれは自業自得として受け止めるしか無い。(がっくし)

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1人すき焼き。写真はピンボケ。一人でこれだけ食うのかと言われていた。
一人で自分の誕生祝いをするのも悪くは無い。皿一杯のすき焼きも本当は小皿に取り分けて卵を割って上品に食べるのがこの歳の常識だけれど、1人だと面倒でそれもやらなかった。感想?上出来でした。見栄えは悪いけれど久し振りにうまいすき焼きを口にしてニンマリでした。

食べ物で美味い物を口にした時はイヤな事は忘れる事が出来る。どんなに辛い事も哀しい事も絶望の淵に立たされたとしてもその事を教えて呉れた人が笑っている。これだけのすき焼きを一気に食える事はそれだけ健康なのだろう。その健康に感謝して箸を置かなければならない。

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2012年10月12日 (金)

予定変更。大阪梅田から地下鉄で南森町に出て大川沿いの整備された道を歩く

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大阪駅前の大型家電販売店。ここは国鉄の跡地。正確には大阪鉄道管理局(大鉄)跡地。国鉄民営化の後、長い間遊休地となり仮設テントのゴルフ打ちっ放しになった事もあった。その跡地が入札でこの大型家電販売会社が競り落とし、関西人をあっと言わせた。今はこの家電販売会社関西資本のライバルは居ない。この道路に掛かる陸橋は東海道本線。この先はすぐ山陽本線となる。でも今は愛称で呼ばれている。

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これが新装なった大阪駅。何処がどう変わったのか説明するのは外観で難しいが、内部はすっかり様変わりしている。ではお見せしましょう。

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ここは来年春完成の大阪北ヤードの玄関。ここが大阪駅北側の開発地。

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大阪駅ホームの上に完成した連絡通路。ホームに乗り降り出来るエスカレーターがある。ホームの上にこれだけの通路かと思いきや、この上に屋根がある。

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すっかり綺麗に整地されて多くの歳が流れている。親父が大阪に来た時はこれが大阪かと思ったドヤ街の面影は区画整理が済み高いビルが建ち並び、道は整理されていた。ここはそのひと区画です。

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今日は野暮用が重なり奈良橿原市畝傍町の橿原考古学研究所に行くには遅くなる。「山辺の道」について学術的解説の本を紹介してくれた今尾さんに、自分で時間を掛けて探したガイドブックを自慢したかったが今回は電話で済ませる。どれだけ気持が通じたかな?名前を覚えて感謝の思いが通じ合えたのは間違いない。親父の独断と偏見でも嬉しさはこみ上げていた。これは大阪天満宮の境内から見た秋の空です。

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大阪天満宮。前来たのは何時だったかな。夏の暑い日だった気がする。その前は桜の盛りが済んだ時。今日も静かな時が流れていた。

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アナタの干支は何処に見えますか?山門の方位盤です。親父の干支は10時の方向に見える。

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次は年末か年始に来れるかな?

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天神橋の上から上流を見ている。左の先端は中之島。この公園もすっかりきれいになっている。正面の橋は天満橋。京阪電車の大阪始発駅でした。今はこの下流迄乗り入れています。

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上の景色はこの天神橋からの風景です。

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ここは明治の後半に京阪電車が京都と大阪天満橋間が開通する迄、水運の要所だった渡辺の津。ここから熊野詣での長い道が続いていた。

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ここで一休み。ここは今年の暑い夏、ここで一休憩した事を思い出す。

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18年?前に乗った水上バス。淀屋橋の近くの発着場から大川の上流を遡る。唯、高い乗船料が安いと思える時は桜の満開の時。後ろの緑が全て春爛漫の桜花に変る。この時期、親父が期待する事はこの川の流れを変えた毛馬の水門を抜けて淀川を遡る事。その期間限定の運行が来月からⅠ2月の下旬迄8日間行われる。片道弁当か寿司が着いて4800円。これも高いが価値はあるかもしれない。しかし予約が必要です。

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船から見える風景は今年の初め親父が歩いた淀川の景色が見える。この大阪市内が水害から解放されたのは、明治の終わりに淀川の流れを毛馬の水門で変えてから。その偉業も知らない若者が多くなっている。それで良いのだろうが先人の多くの苦労で現代がある事を知らない生き方をしているとアキマヘンえ。

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川の駅がある事を知る。ウッドデッキで整備されオシヤレなテーブルが用意されている。もうこの道を語り合いながら歩く事はない気がするが、下流に広がる暮れなずむ景色はそれはアナタ次第と慰めていた。

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この乗り場は相当?のお金を掛けて作られているが今は何故か使われていない?使われない理由?それは利用者がコストに見合う程いないからです。お役所仕事?運営会社は民間ですが税金は使われていないのだろうか?これが大阪観光の掛け声の実体?

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天満橋。この橋の右が谷町筋。ここから気合いを入れて歩かなければいけないが、ここ迄結構歩いているので何処迄歩けるかな?大阪城の見える所までだな。

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旧淀川。大雨で水害、氾濫を繰り返していた淀川を、長柄橋下流毛馬の水門で新淀川の整備をした。明治の大工事は大阪市内の淀川の流れを変え水量をコントロール出来る様になった旧淀川は大川と名前を変えている。

今日はここ迄。この先久し振りの谷町筋を足を引き摺りながら歩く。先日買い替えたウオーキングシューズがしっくりなじまない。歩きながら足にストレスが掛かると気分が冴えない。前に歩いた時は大阪南の天王寺の近く迄歩いたが、今日は地下鉄2駅先の谷町4丁目で終了。情けないと言う思いは無く満足感もなく淡々としていた。




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2012年10月11日 (木)

日本最初の巨大古墳「箸墓(はしはか)」その外周を廻って来ました

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JR桜井線巻向駅前の看板。しかしこの看板は偽り。実際の遺跡は発掘も出来ないで殆ど何も分かっていない。この古墳がこの国最初の巨大古墳と言われているが、誰の墳墓なのか?どんな形をしているのか?その学術的調査は行われていない。宮内庁の発表では伝承されている00姫の命(みこと)大市の墓と発表されているが考古学者の中には卑弥呼の墓と呼ぶ人もいる。しかしいずれも学術的には証明されていない。

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上の黄色と茶色の線が山辺の道と言われているが、古代の山辺の道は親父が感じた様にこれよりも少し下だったと橿原考古学研究員清水眞一氏は解説している。驚く事にこの時代(古墳時代3世紀)には天理と桜井を結ぶ幹線道路は3本あったと清水氏は述べている。この国の始まりは縄文、弥生時代と言われているがこの古墳時代の人達の生活を想像するだけでワクワクして来る。(信じられない?それではお見せしましょう)

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今日で2回目の巻向駅。ダイヤは1時間に平均2本。1本の時も在る。通勤通学の時間は利用者が多い。何故か高校生のモラルが低い。彼等にこの国の未来を託せるのだろうか?無理です。その事を思い知らされるのは何時の事だろう?

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手前の右奥の小山が巻向遺跡。しかし迂回としないと直進出来ない。田んぼのあぜ道を歩く。

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正面の山裾を山辺の道と定められたのは古い話ではない。環境庁が環境整備?の一環として歩道を整備したと言われている。しかし実際に歩いて見ると古代人の生活道路でない事が良く分かる。いくら何でもあんな山道を歩いて行き来している訳が無い。

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この貯め池は古墳の横にあるがその目的は定かでない。この古墳は平野に作られているが近くに川が流れている。その川の流れをコントロールする。治水の目的もあったに違いない。この巻向の地が当時(古墳が作られた時)湿地帯だったのかもしれない。

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正面の山が三輪山。古代古墳時代。神の宿る聖域と言われた事は現代でも変わっていない。

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この土手は最近改修されている。古墳が出来た時からこんな立派な堤があった訳ではない。この道も突き当たると古墳への立ち入りは一切認められていない。細い汚い道で下に下ろされる。

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正面が箸墓(はしはか)古墳。建物が無ければ古代の景色と何も変わらない。古墳時代にこれだけの稲穂の実りは無かったと思うがこれがこの国の原風景だろう?本日の自慢の一枚です。夕暮れが迫っていた。

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この農道は山に上がる道。古代の山辺は右から左に走っているが、その感じはこんな風景だったにちがいない。その生活は今よりずーと豊かだったに違いない?

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今日はこの古墳しか見れませんでしたがそれだけで充分でした。この遺跡の西側(この正面の反対側)で横浜の年配のカップルに質問を受けました。昨日読んだばかりのシリーズ「遺跡に学ぶ」清水眞一氏の受け売りをしながら、その本の宣伝をしていました。このアングルから見た景色が今日の見納めでした。


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昨日は図書館のハシゴ。親父の知らない世界がありました。

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JR桜井線(愛称万葉まほろば鉄道)巻向(まきむく)駅前の歴史街道の案内板。この標識には書かれていないが近くに日本最初の巨大古墳と言われる「箸墓(はしはか)」古墳が在る。先週山辺を歩いた時立ち寄れなかったが昨日買い求めたシリーズ「遺跡を学ぶ」で詳しく解説されている。

しかしこの古墳は考古学関係者と一部の考古学オタク?しか知られていない。親父も名前だけしか聞いたことはなかった。これ程に貴重な古代の遺跡も管轄は宮内庁。文化庁と言えども発掘の権限は無い。古代の学術的に解明されない壮大なロマンは非公開の権威の中で押しつぶされている。

親父が山辺の道を歩きながら感じた疑問。そして奈良橿原考古学研究所参事のIさんに投げ掛けた疑問は「当たり」だった。この国の古代の歴史は学術的に解明されていない所が多い。この国の成り立ちは学校では「古墳時代」「大和朝廷」と一括りに教えられるけれど昨日お気に入りの本屋で探し当てたこのガイドブックはしばらくの間親父を虜にするに違いありません。

何かじわじわと沸き上がる古代。まほろばの人々のざわめきが聞こえて来る様です。
この箸墓古墳は邪馬台国卑弥呼の墓とも言われていますが、それを証明出来る発掘調査はほんの一部で現在考古学研究者の中でも意見は別れています。親父の山辺の道で感じた当時の人々の生活も意外に現代と変わらないのかもしれません?


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2012年10月10日 (水)

紹介された本は専門過ぎて諦めたけれど、行きつけの本屋で良い本を見つける事が出来ました。

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大阪中之島淀屋橋の上から生駒の山をズームアップ。日差しは強く無いが実際の景色はもう少し鮮明。久し振りに中之島の図書館を目指して歩いていた。

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大勢の人が行き交っていたがその人の流れの切れ間を写す。

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セーヌの流れに比べると(比べないで下さい)川幅は狭い。水は綺麗になっている。

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正面の建物が大阪中之島図書館。親父が大阪に来て初めて来てから半世紀が過ぎている。あの時読んだお袋の手紙の内容は今でもキッチリ覚えている。唯、無念に思う事は有終の美を飾れなかった事。あれから17年の歳月が過ぎるがどれだけの力が充ちたのだろう?

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この建物は住友財閥の寄付によるもの。今日多くの事が問われているが、政府に多くの事は求めても自分達がどれだけ寄付が出来るかを問うリーダーは少ない。経済団体のリーダー達に今一番求められている事。それは奉仕の心意気だろう。その事がこれから問われるに違いない。それでもこの国は変わら無いに違いない。

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正面玄関。今はここからは入館出来ない。

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奈良橿原考古学研究所博物館の今尾さんから紹介してもらった「古代を考える山辺の道」阿部あつむ(草冠に卒)著は無かった。しかし中央図書館に行けば見れると言う。中央図書館?何処に在るの?地下鉄中央線乗り入れ近鉄けいはんな線荒本駅下車400m。?生駒石切さんの近く?東大阪市?何でそこが大阪府立中央図書館?
2日待てば取り寄せてくれると言ってくれたが乗りかけた船。足を伸ばす。

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奥の微かに見える山が生駒の山容。その近くに中央図書館はある。

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さあ行きましよう。地下て地御堂筋線。次の本町乗り換え。この乗り換え連絡通路がとても長い。足が達者でないと乗り換えは無理。何を考えていたのだろう?なんにも。

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この出口の階段も長い。足が達者でないと歩けない。それよりも2度と来る事は無い。

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何だこの建物。こんな立派な建物が?これが行政の税金の使い方。信じられない。後は市民ホール?東大阪市って財政破綻の指定都市では無かった?違います。立派な建物でした。驚きです。これがお役所仕事と言うのだろう?

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図書館の利用者は限られている。これだけの建物を建てていたらどんなに税金を取り立てても足りないだろう?目的の本を探しながら対応の遅さに愕然としていた。良く言えば丁寧。悪く言えば認識が足りない。職員の指導がお粗末。管理者が窓口に居ない。最悪でした。探していた本はあったけれど専門的で役に立たず。(コラコラ)

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道路は整備されても街に活気がない。この街は物造りの街としての面影はもう少し探索しないと見つける事は出来なかった。もう少し街中を探せば見つける事は出来たに違いない。

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市役所も高層マンションと見間違える。この建物に合う仕事をしているのだろうか?していません。その評価を誰がしているのか?それはこの街の活力でしょう。財政の負担に悩まされなが何時迄も物造りの泣き言を言っていたら、財政再建団体の指定も目前です。(余計なお世話と言われていた)

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この高速道路は奈良に続く道。生駒の山中を抜ける有料道路は快適です。この先トンネルを抜けて少し走るとそこは西の京。(奈良東大寺の西)唐招提寺と薬師寺がある街です。昔の人はここから生駒の山を越すか、迂回した北か南の険しい峠道を越えるしか無かった。その歴史を知る人も少ない。

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本は借りずに帰る。何しに来たのか分からない?イエイエ貴重な社会勉強になりました。シャリンバイと遠くの女性が見送ってくれました。(知らない人です)分かってます。

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お土産。豚まん一個は哀しいね。せめてもう一つ。

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夕食は西梅田の酒と魚処「若狭」で親父の定食。しかし夜の7時を回っていたので近くの席は勤め帰りのサラリーマンとウーマンで大盛り上がり。飯など食っているのは1人も居ない。横目で見られても素知らぬ顔。iPodの音量を上げさっさと平らげる。店長から来週の月曜迄と耳打ちされる。お疲れ様でした。又、行きますよ。

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奈良橿原考古学博物館に出かける前に電話で聞きました。

奈良橿原考古学研究所。名前は古墳発掘調査のニュースで聞いた事が在るが何処にあるか?山辺の道の解説をしてくれるか分からない。電話で聞いて見る。案の定受付の女性のおばちゃんの話では「観光案内は出来ない」と断られる。観光案内ではない。学術的な時代考証。古代の地形。生活の中心。そんな事を聞きたいと食い下がる。

「それではお待ち下さい」と学術研究今尾さんを紹介してくれる。さすがは管理者。親父の突っ込みを軽く交わしながらそれではこの本をお読み下さいと作者を紹介される。和田あつむ(草冠に卒)先生著「古代を考える山辺の道」吉川弘文館出版。

「近くの図書館で読めますよ」と紹介されたが出版社で検索して見ると、お取り寄せ可能。3000円。微妙な価格と内容が良く分からないので今日は予定変更して大阪市立図書館(大阪中之島)に出かけます。ここの職員も親切。古代の大和時代の地図も見れるかもしれない。では今夜結果を報告します。大阪中之島もお気に入りの場所です。

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今年は枚方菊人形が見れるかな。菊で人形を飾る。その美しさと贅沢さも分かる人が少なくなっている。

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先日紹介した近くの五月山散歩コース。この下のコースが近くの保育園のチビさん御用達。途中で出会うと大変です。「コンニチワ」「コンニチワ」それでもこれは昨年の画像。今日は疲れが出て殆ど寝てばかり。疲れが出たのかな?(やる気が失せている)

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左が大阪梅田の高層ビル。手前が待兼山。昔。マチカネフクキタルと言う名のオープン馬がいたが、この景色を見ているとそんな気がして来る。これから天高く空気が澄んで来ると奥の山並み迄もがくっきり見えて来る。山辺の道はこの山を越した盆地にあります。その場所は古代大阪湾と繋がっていたと言うから驚きです。その時代の事をこれから少しお勉強します。(親父。歳を取ってもおかしな好奇心だけは失せていないね。)

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天高く親父肥ゆる秋?雲がおにぎりマークを作ってチャチャを入れている。(はやし立てている)健康な体は日々の生活の反映です。歳を取ると体もへたってくるが幼子を見ているとその事を思い知らされる。幾つになっても希望ある限り若い?それは精神的にはそうかも知れないが肉体的には如何ともし難い。その事を秋の空は教えてくれる。

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これも昨年見た神戸長田の「鉄人28号」です。と言われても親父世代でないと分からない鉄腕アトムのライバル?ちがいます。親父世代が子供の頃の漫画のヒーローです。神戸の街が震災の被害からここ迄立ち直ったと言われているが、東北と福島の大震災。津波。原発。災害からの復興はまだまだ程遠い。政治家と行政の体たらくに鉄槌が落とされる時は来ないのだろうか?

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長田の夕焼け。右側が山陽本線。震災復興の政府の取り組みは誰が評価をしているのだろうか?政治家と高級官僚の頭の中は次のこの国の政治と行政しか頭に無いのだろう?神戸の復興は10年以上掛かったが東北、福島の復興は20年以上掛かる事をオバカな政治家は理解しているのだろうか?原子力に頼るこの国のエネルギー政策。それが経済界と自民党が言う様に本当に変えられないのなら、福島被災地の故郷を破壊した原発の保証位は早急に行わなければならない。一向に進まない除染と保証。その実態を彼等は何と考えているのだろう?そんな国に黄金の日々は輝くのだろうか?

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京都高雄神護寺の石です。言われは思い出せません。今年左の立て札を良く写して来ます。

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京都高雄の紅葉の見頃は一月先です。正確には11月の下旬。その時は錦の燃え上がる姿を写し取らなければならない。去年は少し早かった気がする。神護寺の上に高山寺があるが紅葉の美しさはこちらの方が勝るに違いない。しかし、そこ迄足を伸ばした時は相当前。あの時は若かったのだろう?情けないが仕方が無い。

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この階段を子供達と難なく上がった時は親父も元気があった。今は息を整えながら休みながらゆっくりと上がる事しか出来ない。上で見知らぬ人が立ち止まって見下ろしているが、優しい人と声を交わしながら多くの人がこの石段を踏みしめたに違いない。今年ももうすぐそんな季節がやって来る。今年はどんな秋を愛でる事が出来るのだろう?


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2012年10月 8日 (月)

久々に今夜のお食事 

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カレー好きの親父が何を考えたのか自分で作ってみました。

出来具合?それは見ての通り。少しピンボケ。味も同じく。量も多い?

それは折角の傑作だから。(親父。飯もチンするサトウのごはんだろう?)違います。ダイエーのプライベート食品。アチャー。やっぱし安い(3個で298円)味も魚沼産こしひかりに勝てない。

野菜はカレー用のカット野菜。これが気を引きつけた。今日はカレーだ。

いつもは袋入りの湯煎するお気に入りの辛口があるが、今日の手作りそれに負ける。残念。それでも肉も近くのスーパーではお気に入りが無く、少し足を伸ばして肉屋さん迄行ったのに。カレーのルーの分量と水加減、それとカレー作りの鍋が手抜きだった。

美味い物を作るには仕事と同様、戦略が必要?。行き当たりばったりでは美味い物を作る事は出来ない。久し振りのその事を感じました。仕事をしている時は何度も感じた達成感。今は気侭な親父歩きしかしていないので感じる事が無かった。

その事を思い知らされる。固いカレーシチュー用の角切り肉を噛みしめながら苦笑していた。戦略無き挑戦は必然的に偶然の成果しか手にする事は出来ない。親父が現役の時、偉そうに口にしていた言葉。久し振りに思い出す。

今、多くの事が問われている。もう為す事は無いと思っていたけれどまだまだです。たかがカレー。されどカレー。次はもう少し美味しく作ります。カレーの漬け物はゆず白菜は合わない。家で口にするなら何と言っても福神漬。これも実感しました。

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日差しはきついけれどすっかり秋めいて来ました。これから一気に秋が深まります。

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空は真っ青と言う程では無いけれど晴天。日差しが眩しい。takeさんから譲ってもらったサングラスがまだ必要。一月前は蒸し風呂の様だった熱波も嘘の様に涼しくなりました。でもまだ日差しはきつい。しばらくはサングラスの出番有りかも?

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桜の木の葉が紅葉しハラハラと風に吹かれて舞っている。後2ヶ月もすると全ての葉っぱを落として六甲おろしを耐え凌ぐ。親父の冬眠の時も長いがこのまま老いさらばえて行くのだろうか?(それはありません。有ったとしても間違いなく来年も又再会出来に違いありません)(でもそれも貴方の生き方次第です。)優しい姿で厳しい言葉を投げ掛けていた。その通りです。これから乾坤一擲(けんこんいってき)大勝負をしなければいけない。

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桜の葉っぱに笑われていた。そんなに世の中甘くは無い。ミッドウエーの戦いでアメリカの反転攻勢は始まったと言われている先の太平洋の戦いは偶然の重なり。それまでの帝国陸海空軍は敵の隙(油断、過信、まさか)を突いただけだった。

冷静に考えれば先制攻撃は出来ても戦いを左右する最大の条件は圧倒的な兵器。それを生産出来る工業力の差をこの国の軍隊参謀達は、精神力で補う事が出来ると考えていた。彼等だけでは無い。新聞、ラジオはその軍部のお粗末な考えを批判するどころか勇ましい事を宣伝しただけだった。その反省もなく戦争の悲惨な歴史を知らない若者達が今又勇ましい事を言っている。

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阪神競馬場ゴール前の花壇。この上に優勝騎手インタビューフロアーがある。

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開催されていない阪神競馬場。今週から来月一杯は関西は京都競馬場で開催。
今は誰も居ない海ではない競馬場。兵(つわもの)どもの夢の跡と言いたい処ですがおっさんが一人ターフビジョンを眺めている。左の山が川西の山。右が親父が住んでいる五月山。(そんな所で遊んでいないでおいでなさい)と呼び掛けられていた。

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ゴール板の先が第一コーナー。左奥の山が六甲山。その右裾が宝塚。中国自動車道はこの山裾を走り抜けているが急なカーブと登り下りが多くトンネルもあり、運転不慣れなドライバーには難所です。それを知らない県外車の高齢者、若者達の事故は日常茶飯事です。この区間を走る時には充分車間距離を取り安全運転に心掛けて下さい。

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この正面の山並みが五月山。この山並みが大阪平野の北限。この山は標高は800m足らずだが歩くには絶好のコースがあります。右奥には関西の高級住宅地箕面(みのう)があり、その先は滝道があります。お見せしましょう。

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今年は紅葉の時に行けるかな?でもめちゃくちゃ行楽客が多い。この若葉が紅葉している景色は想像しただけでゾクゾクします。天気のよい朝早くが狙い時です。朝、7時頃に行けば間違い無し?(無理だな)イヤイヤやる時にはやりますよ。?

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ここは高級料亭。宿泊も結婚披露宴会場もあります。しかし庶民はお呼びではない?

この道は最近若葉の時しか歩いていないが今年は紅葉の時に歩けるかな?大勢の人を気にしなければそれは可能だが難しい親父はそれはしない。しかし今年は少し早く起きて賑わいの前に出かけなければならない。出来るかな?やる時はやりますよ。(2回言いましたよ。笑って誤摩化さないでね。)了解です。


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2012年10月 7日 (日)

おお。訳の分からない絵文字が挿入出来たよ。大和路雑感。

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(○`・ェ・)ノ【こ】【ん】【に】【ち】【ゎ】
大阪は静かな昼前。遅い朝食(と言っても近くの手作りのおにぎり2個と豚汁。最近はこれが定食)。絵文字がブログに入れられる様になりました。
この美しい風景は先日歩いた山辺の道。人工池。何の為に作られたのか?それは古墳の為?それとも農業用水溜め池の為?近くの古墳の改修を江戸時代に行いその時にこの溜め池も作られた?それも何とも怪しいな。自分で勉強しなければならない。

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説明文が読み難い。宮内庁が管理し誰の為に何の為に作られた古墳かは、エジプトのピラミッドの様に考古学博士が学問的に発掘調査をしていない。この国の宮内庁の権威を今でもこれほどの物なのだろうか?考古学的な国民の合意は誰が客観的に評価しているのだろうか?

そうではなくてこの古墳にそれ程の価値は無いと思われているのだろうか?どちらでもない。知らないだけ。知らされていないだけ。この国は国民主権と憲法に定められているが、その憲法すらも否定されている。

今(といっても親父が若い頃からも言われて来たが)憲法改正論議が起きているが、この程度の事が変えられなくて、自主憲法論議は無いだろう?国の法律は為政者、御用法律学者の憲法解釈で軍隊を自衛隊と言い替えている。日本国憲法を良く読んでみたまえ。この憲法を誰が戦勝国から押しつけられたと言えるのだろう?

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この古墳に納められている人。この古墳に死後の魂を安置された「崇神天皇」も実態は定かでない。その発掘調査をキッチリ行い古代の歴史を正確に伝える事が、この古墳を建設した多くの人の想いに答える事だろう。現代の人達はそれを放棄し見失っている。そんな生き方をしながら本当の幸せを手に出来るのだろうか?「本当の幸せ」そんな物は無い。本当の事を知らないで唯、崇め奉る事が幸せだと思っているのだろうか?中央の小さな池がその寂しさを語りかけていた。

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この先の道を下る。この見晴らしの良い所で景色を見ながら何も考えていなかった。古代の人も中世の人も現代人も、それから100年後にこの丘で景色を眺める人も、同じ思いで感嘆の声をあげているに違いない。その思いはここに立たなければ分からないのかもしれない。

多くの人が多くの言葉を尤もらしく語る。その全ての言葉が薄っぺらく空しい物である事を思い知らされていた。そんな場所はこの国の至る所に在るけれど、ここもその一カ所にちがいない。これからその事が証明される。

政治の空白。00と00の対立。そんなガキみたいな対立はこの国の古代から数限りなく行われて来た。今の様に口先だけの対立にになったのは戦争に負けてアメリカの同盟国になってからだけど。この国の在り方を命を賭けて争った時代の復活は無いのだろうか?こんなオバカな国はこの国だけかもしれない。

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今日は世間一般では3連休。しかしそんなお気楽な人達は官公庁と民間の大企業。休みも無く命懸けの仕事をしている人もいればそうでない人もいる。世の中は様々。
人の生き方も様々です。親父如きが多くを語る必要は何も無い。この拙いブログも多くの人が見て頂いていますが、最近は不快な書き込みも少なくなりました。

親父は若い時から人とは違う価値基準で生きて来ましたが、これでも最近は大きく変わったと言われています。それでも阿吽(あうん)の呼吸で話が出来る人は限られています。その程度の事です。どうかそんな思いで眺めて下さい。ご意見は無用です。

この事は子供達からも勝手過ぎると言われて来ましたが、親子でもどうにもならない意見や行動の対立は在ります。大事な事はそんな時でも親は親。子供は親を選べません。(親はどうやかて?)親も同じだがそこは少し違う。

親になってみないと分からないが子供を育てる事は容易な事では無い。その事を小さい時から教える事がどれだけ大変だか。今に自分に感謝し親に感謝しなはれ。ゲー。
今の世の中で最大の間違いは子供達の可能性を否定する事。この親父でも一杯恨まれましたが子供達に何が出来るのか親達はもっと考えないと痛い目に合うよ。

今日はお出掛けの予定でしたがスポーツの秋。パン食い競争と親子探し、部落対抗リレー。懐かしい思い出です。会社の障害物競走で4コーナー迄トップで直線で抜かれて無念の3着。子供達にもサジを投げられてゴールインの後近くの草むらで吐いていたのも哀しい思い出です。あの時の一着の浜松の同期生。今は哀れな生き方をしているに違いない。(コラコラ)子供が居ると居ないの違いはそれ程に大きい。

これからキヤノンオープン。(ゴルフ)毎日王冠。(競馬)F−1日本グランプリ(鈴鹿)(オイオイ。この放送は夜9時からの録画放送)。世の中変わりました。テレビ番組もよく見てみると(見なくても)本当にスポンサー企業の良識が問われる。

物が売れない時代と言われて久しい。その一因は消費者に在るが売る側の戦略に余りに策が無い。オチャラケ、食い物、旅番組、クイズ番組。視聴率が取れれば何でもありの番組を暇つぶしに見る生活に印籠が渡される事は無いのだろうか?

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なんだかんだ言いながら今日はテレビの前に座り大型画面に向ってつぶやいている。

そんなオバカな親父に近くのパン屋さんで買ったブドウパンがアカンベーをしている。「親父さん。アンタは短銃です。」それも言うなら単純でしょう。単純不明快。親父を反面教師にすれば間違いない。それでもそろそろ一発逆転が適うかもしれない。(ありません)在るとしたらその不確かな論理でしょう。?

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このブドウパン。時々ハズレがあるが今日は大当たり。ブドウが一杯。生地も意外に柔らかい。一斤は多過ぎていつも半分に切って貰っているが、それをせずに正解。
でも皆一度に食ったら駄目だぞ。半分は夜だぞ。(分かっている)

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どうだ。存在を主張している。これで丁度残り半分。干しぶどうが固く無いのも嬉しい。親父はパンを焼けないので分からないがこれだけ多くのレーズンを入れてうまいパンを焼ける技術は素晴らしいのかも。耳かきとうまいパンが焼ける人はハードルが高い。日本の競馬関係者が今夜のパリ凱旋門賞で日本馬「オルフェーブル」に期待する以上にその願いは難しい。(笑い)親父も完全にアホです。これから歩いて来ます。

と考えていましたがチョッとだけと横になり、ベッドで横になりながら足をあげながらストレッチをしていると案の定、寝ていました。それも想定内でしたがBSテレビで特番の「東海道本線」東京から神戸迄のダイジェストをしていたので見とれていたのは熱海の手前迄。あわてて起きた時は大垣でした。ここは樽見鉄道で薄墨桜を見に行って感動した所。そこから神戸迄。それはしっかり見ていました。

今は夕食を済ませ8時からヨーロッパの絶景を見ています。ドイツのノイシュバイン、スタイン城。そしてパリの凱旋門、セーヌの夜の遊覧船。感想は今イチでした。ノイシュバインスタインの城の内部と位置を初めて知る事が出来ました。2年前に見たスイスの絶景と共にもう一度見たいけれど。無理かも。夢は叶うと言われるけれど夢は偶然が重ならないと無理だと思います。偶然の重なりに期待しますか?

さあこれからF−1グランプリです。録画放送だから結果は出ている。それを知らないから親父でも手に汗をかきながら注目のスタートと回周を見る事が出来る。そして10時からはフランスロンシャン競馬場から「凱旋門賞」の実況中継です。(実際のレーススタート時間は日本時間23時25分)そこ迄引っ張るのか?

間もなくスタートです。(もう結果は出ているけどね)

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2012年10月 6日 (土)

とろろ芋、山芋、じねんじょ、そして今日食った大和芋。皆同じかな?

田舎で幼い頃おふくろがすり鉢で擦り下ろしてくれた山芋。静岡丸子の宿で口にした麦飯ととろろ芋。あのさらりとした喉越しの味が忘れられない。最近腹の調子が悪く便秘と下痢を繰り返しているのであの食感を求めて、近くのスーパーで同じ食材を求める。在りました。しかし、チョッと違う。そして値段も安く無い。近くの山で弦(つる)を探して長い山芋を折らない様に少し手前から掘り下げていたあの山芋の味は、畑では作れないだろうと思いながらそれでも買って来て、大根おろしで擦り下ろす。案の定駄目でした。でも久し振りの味にアジの焼き魚の身を解して(ほぐして)入れると見栄えは悪くても完食でした。これでしばらくはお腹の悪玉菌もおとなしくしてくれるかと思いきや一食位では焼け石に水。食事に少し気を配れば体質を変える事位朝飯前かも。(イイエ、夕飯後の心地好さ)最近そんな食事をしていない。

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これからお湯を沸かしてお好みの塩ラーメンを作ります。(こらこら)尤もらしいうんちくを聞いていた?でもtakeさんから叱られますがインスタントラーメン侮るなかれ。これを食っていたら青春の貧乏な時代が思い出されます。幾つになっても忘れてはならないあの粗末な味。しかしあの時空腹を満たしてくれた味は分からない事でしょう。この黄金色に反射している山辺の路肩の曼珠沙華もその事を教えていた。

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秋を愛でる為に君は何を為すべきか 人を愛する前に自分を大切にしなはれ

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街中の草木も色づいて来ました。昨日迄見た奈良山辺の道の草木の色とは違うが季節は秋です。爽やかな季節とは裏腹に今日は朝から耳鼻科と歯医者を掛け持ちしました。他にも腕の付け根の外?の筋肉痛は収まらないし(バンテリンの塗ったその時だけ)最悪です。

歯医者の先生と歯と歯槽膿漏の話はした時、歯も手入れが肝心。生まれもって歯が弱い人もいるが大概は不摂生。手入れが悪い。痛みを感じた時の対応が悪いと言われる。「おっしゃる通り」これからは体のあちこちが賞味期限を越える。

口にするもの。手にするもの。身につけるもの。付き合いをする人。愛する人。色んな人に色んなリクエストはしても、自分の体の変調に心を配る人は意外に少ない。その事を忘れたら取り返しがつかなくなる事も分からないオバカも少なく無い。何時迄も頭が痛い。体調が良く無いと言いながら仕事を口実にしていたら二人の新生活も危うくなる。それくらいの事を考えないとアカン。

偉そうな事を言っている親父も昨夜は耳の中が腫れて左の耳下のリンパ線が痛くて、夜目が覚める。今は仕事をしていないので夜は遅く寝るのも2時を過ぎてから。時々3時と言う時も少なく無い。流石に昨夜は疲れていたので休むのは早かったが、4時過ぎに目覚める。窓の外はまだ暗い。こんな時目が覚めるのは耳の痛みを体が主張していたのだろうか?「オイオイ。まだ早い。今日間違いなく医者に見せるから」

近くの掛り付けの耳鼻科は多かった。9時半にいくと整理券を貰う。「オイオイ。昔のパチンコ屋の新台入れ替えかよ」と思いながらよく見ると10、35と鉛筆書き。「何だ出直しじゃあねーか」と思いながらおにぎりの橋本さんでいつものおにぎり2個と豚汁を買いに行く。そのまま家に帰り経済誌とスポーツ新聞を見て出直す。

再び耳鼻科の待合室で30分待たされる。「オイオイ。30分もサバを読んでいるのか」と思いながら手にして来た司馬遼太郎の「空海」上巻に目を通す。もう何度も読んでいるが、まだ理解出来ない言葉の表現が少なく無い。空海が唐に渡る迄の無名の時の話は作者の創り話でも心打たれる。

空海は天才だったが余りにも全てが人並み外れで、その後継者も空海の教えを超越していない。そんなオバカな事を考えていると隣の幼子が親爺の顔をじっと見ている。「お前は賢くなる」そう眼で合図するとそれでも見つめられる。それだけだった。やっと名前を呼ばれる。

担当医は親爺を見るなり「どうしました?」と声を掛ける。知ってるくせに。耳かきで内耳の柔らかい皮膚を掻きむしり、血が出て腫れて痛い。言う迄もない。痛い方はどっちと聞きながら何故か反対側の耳から診断。薬を塗りながら「内耳が腫れると耳の聞こえが悪くなる。痒い時、痛い時、不快な時、耳あかが気になる時、耳かきで掻かないで私の所に来て下さい」何回言ったら分かるのかと突き放される。

「おっしゃる通り」と思いながら「偉そうに」と思っていた。薬も無し。「大丈夫か」と思いながらその程度のかすり傷だったのだろう。しかし、痒い時は膝枕でそっと心地好く耳掃除をしてくれる人はほしい。耳の痛みとかゆみを堪えながらそんなオバカな事を考えていた。

そんな想定外の事があり歯医者の予約時間を30分遅らせていたのは正解だった。歯医者の先生は色々教えて呉れた。歯は大事にしなさい。歯は入れ歯で違和感を取り去る事は出来ない。自分の歯をしっかり手入れをして大事にして下さいと言われる。これからの高齢者の医療費は人に負担してもらう事ではない。自分の体は自分で守る。これからはその事が問われる。今週歩いた「山辺の道」はその事を教えていた。

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山辺の道5日目 ゴールインしました しかしゴールは三輪 本当はこの先の桜井迄

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今日は巻向の駅から。これで天理から長柄、柳本、巻向、三輪と桜井間の駅を全て下車。山辺の道を歩く為に体験した人は少ないに違いない。天理から桜井迄の山辺の道はおよそ14キロ。普通の山歩きをする人ならおよそ半日の行程。親父の様な屁タレな歩きをした人はこれ迄に無いに違いない。それでも他の人に味わえない歩き方が出来ました。それでは一気に行きましょう。

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山辺の道迄の距離表示が無いのはここから歩く人がほぼ居ないのかもしてない。先日少し暗くなった道を不安な気持ちで歩いていた事を思い出しながら苦笑していた。

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山辺の道は前方の山裾。その道が古代の道の様に言われているけれど歩いて見ると首を傾げる所が多かった。いくら大昔の事とは言え奈良と桜井を行き来する道がこれ程難儀な道だったのだろうか?如何して平野部の平らな道を行き来しなかったのだろうか?そんな罰当たりな事を考えていた。この先村落を抜けた所で農作業をしていた叔父さんに聞いて見る。答え?昔からの道は山の近くでした。それでも不思議に思っていた。

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まだまだ山辺の道は遠い。でも一度歩いているので気分的には楽。この先で時が止まって見える。その景色がこれだ。

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案内標識分かり難い。どっちだ。こっちだ。この路地も歩いていた。

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これから待望の道を歩きます。万葉の歌人も見た景色です。

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この舗装された道の先に案内板在る。しかし途中に無いので思案しながら通りがかりの車の運転手に聞く。地元の人では無かったが「多分こっち」と教えられる。肝心な処は全て舗装道路。ガイドが居ないと今イチ道に迷う。

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まだこの先直進かと思い気や右折の標識がある。

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ほっとする道。分かり易い。しかしこんな道ばかりではない。

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これが生駒山系に続く二上山(にじょうさん)何時の日か(多分今年は無理)この山も走破します。近鉄南大阪線当麻寺駅から一つ手前の二上山駅迄9キロ。今年この山には登らず麓を歩いた事があります。あの時はそれでも汗をかいていました。

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ここからしばらく暗く寂しい道が続く。親父は関係ないけどね。

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参拝客は居なかった。これだけのお寺さんでも檀家がしっかりしていないと維持して行くのは大変だろう?(余計なお世話です)

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この時5時前。まだ開店していた。500円わらび餅。黒蜜ときな粉が絶妙。

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ここから三輪駅は近い。10分と言われたが最後に道を間違える。でも方向は間違っていなかった。最後の登り坂が余りに不気味でズル(ショートカット)する。

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きな粉は大豆を擦りおろしてくれました。飲み物は暖かいお茶でした。ほっと一息。これで5日間の「山の辺の道」の親父歩きは終わりました。この道は天理から桜井迄の古の道。歩き通した感想は一日で歩ける人は健脚の人です。2〜3日で歩いた方がこの道の厳しさが良く分かるに違いありません。この道は古代人の生活道路ではなかったと親父の独断と偏見でお終いです。

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この看板で迷う。山辺の道はこの坂を右に上がる。しかしどう見ても山の中に入って行く感じがして標識を無視する。結果的には間違っていなかったが間違いは間違い?

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下の道に出る。古の生活道路はこの道でなかったのかと思いながら歩いていた。

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これが三輪山。大神神社(おおみわじんじゃ)には本殿が無くこの山をご神体としている。拝殿は徳川4代将軍家綱が再建している。道を間違えたので境内はパス。

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暗くなりました。昔の人はこの時間。夕げの一時を過ごしていたのかな?

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これは近鉄大阪線の桜井駅の時刻表。17、38分の準急より18、11分の快速急行が大阪難波には先着。先日この待ち時間を嫌っておよそ30分早い準急に乗ったが大阪が遠かったので今日は快速急行を待つ。ところが前に座った若いカップルの話が止まらない。iPodのお陰で眠る事が出来たがこんな輩が少なく無い。電車は1時間近く座っていた。この路線は伊勢、鳥羽と名古屋に続いているのでこんなダイヤになっている。(特急が通過するから)近鉄電車にも詳しくなりました。
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この駅の東(左側)に親父の大好きな長谷寺と室生口大野がある。ここは大和時代からここ国の成り立ちと関係している。大和、飛鳥の昔から多くの人達がこの国の歴史を築いてきた。今はそんな事も何も知らないで生きているが、考えて見ると今日の私達の生活も1000年も先になれば忘れ去られてしまうのだろう。今を生きる。その事は古の時代とどう向き合うかでもある事を感じていました。


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2012年10月 5日 (金)

金融緩和でデフレ脱却?それを日銀に求めるの?この国の経済政策はこの程度しか出来なくなっている

政治、経済、この国の在り方を多くの人が多くの事を語っているが、実態は一部のエリート(実際はエリートでもなんでもないが)経済産業省?利権を手にしている政治家が尤もらしい事を言っている。「金融緩和をすれば経済が上向く」そう言い続けながらこの国の金利は0金利に限りなく近づいているが、一向にその気配は無い。

何故こんなお間抜けな政策を続けても多くの有権者に政治家は退場を求められないのだろうか?それも単純明快。多くの国民は自分達の代表が自分達のためにならない事をしているとは思わないのだろう?そうでも無いのかもしれない。アホだから分からない。良く居るよね。

『難しい事は分からない」難しい事を考えようともしないで何を喜びに生きているのか分からない人達が。その典型的な現象は街中を歩いて見ると良く分かる。街中を歩いてみなくても自分の廻りでも少なく無い。

自分の事しか考えない人。親父も長い間自分勝手な生き方をして来たが自分が一人で生きて行けるとは思った事は無かった。それが愚直であった為、誤解されても自らを正しはしなかった。何時かは分かっても貰えると思っていたのだろう。今一番無念に思う事はその一点かもしれない。

しかし、覆水盆に帰らずと言われる。過ぎた事はどんなに後悔しても時を元に巻き戻す事は出来ない。それならば同じ過ちを繰り返す事は無い。政治家や高級官僚、経済界のリーダーにはそんな思いは爪の先にも無いのだろう。

経済を悪くしたのは誰だ。経済政策で金融緩和を繰り返していたら、ニンマリするのは金融機関だけ。今、求められている事は需要の喚起であってもそれは金融緩和ではない事を何時理解出来るのだろう。それは中央官庁にいけばすぐ分かる。

官庁の立派な建物と警備の物々しさ。彼等は民主党を完全に解体したと思っているのだろうが、次は自分達だとは夢にも思っていないに違いない。お役所日の丸は国鉄や郵政だけでは無い。古墳時代の遺跡を見ればその事が良く分かる。

今の役人天国が始まったのは皮肉にもたかだか100年足らず。一度叩き潰された先の大戦。あの時は全てが焼け野が原だったが今はそうではないとでも言いたいのだろう?これからは自分の事は自分で考えなはれ。

その事を自分の身の上に突きつけられた時、どれだけの人がニンマリ出来るのだろう?日銀がどれだけ金融機関に万札を垂れ流しても今のデフレはインフレには変わらない。今、求められている事は金融機関の貸し渋り、貸し剥がしでしかない事をオバカな人達は何も理解をしていない。悪い奴は誰なのか?それくらいの事は考えなければならない。

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2012年10月 4日 (木)

明日はいい天気 秋の爽やかな空が見れるかな?

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山辺の道端の柿 歩きながら田舎の柿の事を考えていた。柿の美味さと栄養が認知されなくなって久しい。栗の美味い食べ方も出来なくなって久しいが、栗や芋の季節の味が口に出来なくなって寂しい思いをするのは親父だけかもしれない。

今日は爽やかな天気だったがどこにも行かずに家の中でおとなしくしていた。おとなしくしていたと言えば聞こえが良いが、本も読まず音楽も聴かずテレビを付けっ放しにしながらぶつぶつ言っているといつの間にかお昼寝をしていた。

こんな日も在りかと思うけれど明日は必ず山辺の道を歩きます。明日ゴールイン出来る可能性が低いがこれだけの時間とお金を掛けて歩いた空間は、親父だけでなく多くの人に「山辺の道」のガイドになるに違いない。(それはありません。興味がありません。)それは正解かも。

それでもこれから必ずこの国は古代の人の生き方が見直されるに違いありません。電車の中で化粧をする高校生や降りる人を無視して乗り込んで来る子供達に、鉄槌が下されるに違いありません。その為には大人が見本にならなければならない。

その大人達の生き方も見事に哀れです。その事に気付かされた時、この悠久の時を越えたロマンの道は心を癒して呉れるに違いありません。(それも手遅れかもしれない。)この道を歩き通せる脚力は中々手には出来ない。折角手にしてもネコに小判の様な歩き方をしている人も少なく無い。歩く事はそれだけ凄い事を実感出来ないのだろう?もうすぐ8時。親父の大好きな伊能忠敬のお話しが始まります。

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大阪は爽やかな風が流れています さすがの親父も今日は休足日です

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山辺の道 昨日一番のビューポイント この先目的地の三輪迄およそ5キロ?
ここでおにぎりを食ったのが4時過ぎ。昨日綺麗な夕焼けを見たのでこの日は先を急ぐ。ここ迄は分かり易い道だった。この先で道が分かり難くなる。嘘だろうと思う道を歩いたかと思うと心が和らぐ道も在る。今日の多くの人が知らない「山辺の道」。一部の人達がこの道が万葉の道と思っている「山辺の道」それはそれぞれの人が多くの思いを重ねながら歩く道に違いない。

しっかり歩くにはトレッキングシューズと山歩きの服装、リックが必要に違いない。親父の様ないい加減な歩きをする人は居なかった。でもそれはそれで多くの出合いと感動がありました。後1日でゴール出来るかな?JRの駅からここ迄登るのに2キロは歩かなければならない。

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この手前でカップルとすれ違う。何故かキャパキャパして浮かれていたが無視。その罰が当る。カメラのバッテリーが切れそれでも無人販売機の柿を100円で買う。
大阪に戻って初めての秋、親父の事を心配して宮崎から出て来た姉夫婦と京都大原の里で食った柿を思い出す。あの時の美味さは無い。100円だもんな。仕方が無い。

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この道は空海様も歩いたに違いない。心が廻りの景色に溶け込んでいた。この先で右に折れたのだろう。左には行って居ない気がする。その先で立派な道路に出て道に迷う。次はこの先からだな。駅は巻向。同じ名前の卑弥呼の墓と言われる古墳を見てこの道に戻る。山辺の道と言ってもこんな立派な道が続いている分けれは無い。

信じられない道が在る。その村落の人達は長い間(イイエ今でも)変わる事の無い生活を続けている。その風景を知らなくても私達は生きて行ける。そしてその狭い価値観の中で尤もらしい事を言っている。その景色を次の機会に写し取らなければいけない。何時になりますか?その日は遠く無い気がする。ご期待下さい。

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2012年10月 3日 (水)

山辺の道パート4 たかが13キロ されど13キロ

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JR桜井線 しかし今は愛称で呼ばれている。「万葉まほろば鉄道」ここは駅だから鉄路は2本あるがその先は単線。田舎の鉄路。利用者は結構多いが電車は2両編成。ワンマン運転。地方ではこのパターンが多い。実際に利用して痛感する事はマナーが最低。座席をガキがふんどり返って占領しているし高校生が化粧をしている。この国はホンマに叩き直さなければならない。子供達だけでは無い。大人も悪い。

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今日はここから歩きます。山辺の道はこれからが後半です。案内標識は多いが肝心なところで道に迷う。今日も1駅分しか歩けず。それでもこの歩き方では当然かもしれない。この道はよく見ると古代の道と現代の道が交錯している。そう思いながら見てみると聖徳太子や空海や多くの先人の息づかいが聞こえて来る。多くの古墳も宮内庁が管理していると言われているがそのお金は国家予算です。これだけの古墳を作った古代人の念い(思い)は多くが闇の中に埋まっています。何故徹底的な発掘調査を行わないのでしょう?宮内庁が管理している?宮内庁は国の一つの機関です。

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本日は景行天皇陵迄。もう少し先に進みたかったが最後で道を間違える。

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今日は駅前の道を東に直進。山辺の道はこの長岳寺の下にある。

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横目に遺跡を見ながら歩いている。黒塚古墳。展示館があるが立ち寄らず。

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山辺の道は近い。

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参道入り口に立派な建物が在る。天理市トレイルセンター青垣 休憩室にしては立派な建物。景色の良い小高い丘にこんな箱者を作らなければいけないのか?何処から国の予算はついているのだろう?むかついて建物は写さず。

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境内は覗いただけ。紅葉の時ゆっくりと来てみたい。

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山門横の大木 桜の時も良いかもしれない。来年4月。予約しますか?

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再び歩き始める。この道は狭いが本当に古代人がこんな狭い道を行き来していたのだろうか?歩きながら首を傾げていた。この国の始まりは大和朝廷以前からあった事を知る人は少ない。大和の時代も宮内庁管轄の時代では本当の事は良く分からない。それが目的ではない。伝説の人を崇め奉る。もうそんな時代では無い。

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池田の近くのおにぎりやさんのお弁当。ペットのお茶も買ったし絶景を見ながら至福の時です。ここ迄は元気だった。

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さあ行こう。何時迄もウジウジしていたら日が暮れる。人生の終わりは日の暮れよりは間違いなく長いが日が落ちた暗闇の中で目的の駅を探すのはしんどい。今日はここ迄は順調だったがこの先で無理はするなと引導を渡される。山辺の道完走?違う。歩き通すにはもう一日必要です。それではのんびり珍道中。コメント無しで行きます。

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懐かしい農機具 手回しでモミとワラを風力で選別していた。(と言われても分からんに違いない)

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気持ちの良い古の道 この道は聖徳太子も空海さんも歩いたに違いない。聖徳太子は奈良と桜井の道を愛馬で駆け抜けていたと言うから一日で行き来出来ただろうが、空海様は歩きだったので2日か3日がかりだったのだろう?親父はその3分の一足らずの道を4日がかりでまだその途中です。この道は山辺の道。JRの駅に出るには2キロ近く西に歩かなければならない。自慢ではないがこんな贅沢な歩き方は親父以外はしていないだろう。山辺の道もうんちくを語れるかな?

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これか完全に田舎の山里の景色と重なっています。空海様もきっとこの景色を見ながら四国讃岐の秋を思い出していたに違いありません。当時既に稲作はここでも行われていたのかな?讃岐の満濃池近くでは行われていた?間違いありません。だから空海の実家は裕福だったのです。四国讃岐のうんちくは又の機会にします。

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この先でカメラの電池が無くなる。昨日充電を全く気にしなかった。この先で巻向駅の案内が出るが無人販売所の柿を100円で買いもう一つ先の駅を目指す。でもそれは無理だった。柿を食い終わらない内に3差路で道を間違う。ここだけ何故か案内板が無し。今日はここ迄。又明日。(オイオイ明日は無理だろう?そうかもね)



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夕暮れの山辺の道 悠久の時を越えて行って来ました 

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近鉄電車奈良手前の西大寺。大阪から来た電車はここで3方向に別れる。(京都。奈良。橿原神宮。)京都、奈良は分かるけれど橿原神宮って何処?ここから南に下がる。天理はその途中郡山の先平端(ひらはた)で乗り換え。何時来てもこの駅の乗り換えは分かり難い。山辺の道を大阪から来てホイホイと歩くのはそれ程に難儀です。

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これは大阪鶴橋駅の奈良線と大阪線の停車駅ご案内。いくら見ても良く分からない。しかも近鉄は特急料金が別に要るので他の私鉄の感覚では乗れない。今日やっとこの下の停車駅案内図が理解出来ました。分からないのは鳥羽や名古屋迄の特急料金は当然だとしてもその手前の駅でも取られる意味が?この案内図ホント理解するのが?

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橿原神宮行きの電車で平端駅乗り換え。そのホームの外は田園地帯。向こうに見える山裾が奈良から平城京、藤原京に延びる「山辺の道」全長40キロを超える。今日健脚の人が歩く道は天理から桜井に続くおよそ14キロ弱の道。馬鹿にされた天理の近鉄駅員の説明では、中高年の山歩きの人達は午前10時前後に出発し夕方4時過ぎには目的地到着とか。親父の様にその夕方を過ぎて来る人は当然いないとか?しかし、今日の日の入りは最高でした。こんな景色は中々お目にかかれない。

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到着です。しかし今日は次の駅から。ここで乗り換えです。

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ホームから初めて来た時通り抜けた商店街を見る。この商店街天理教本部に続いているのですごい。何が?長さとお店の繁昌です。1キロ弱はあった?それ程に長い。

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2両のワンマンカーしか走らない寂れた駅。これが国鉄民営化。親方日の丸と散々こき下ろした人達が今は新幹線の延長でニンマリとしている。そのしわ寄せでこの駅も全国の地方の現実を曝け出している。本当にこんな日本の姿で良いんですか?

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先日、夜暗くなって引き返した駅。大阪弁ではながらのイントネーションは特に無いが、車内放送ではながらの最後が上がって別の地名を聞いているようだった。

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今日はもう少し早く来て赤線の道を上に上がり、それから右にどんどん進むつもりがこの時時刻は既に4時半を廻っていた。「仕方が無い。大和神社から次の駅迄」と思いながら歩き出す。大和神社はな、なんと大和神社(おおやまと)でした。戦艦大和のゆかりの神社でした。15年前に広島呉の旧兵学校のグランドの片隅で見た一発も射てなかった大砲弾を思い出す。

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お参りのご利益はすぐ出ました。ではお見せしましょう。でも神社の境内をもう少し見て下さい。大和君の健勝もしっかりお詣りしましたよ。

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この先の国道は新しく出来た道。当然車の通行量は多い。山辺の道はまだその上。今日はそこ迄歩けない。そんな事を考えながら歩いていると後に素晴らしい景色が広がっていた。

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これが古の人が見た山辺の日の入りだったのだろう?オーバー?それではどーんと行きまひょう。

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夕日を追い掛けてこの土手の上を歩いていました。草刈りをしたばかりで足元を気にせずに歩く事は出来ましたが、しっかり足を踏みしめて歩いていました。

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農業水路。土地改良事業が進んでも人と農地の信仰の想いは変わらない。今日の人の生き方をあざ笑っている。でも見ていて下さい。何時迄もこんな愚かな生き方は出来ない。

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この後一気に日が暮れる。駅への道はこの先の信号を右の曲がると考えていたが、駅は遠い。心配になって信号の右にある大型ショッピングセンターから駐車場に戻る奥さんに聞いて見る。親切。丁寧に教えてもらう。坂道をどんどん下りオジさんと子供に確認しながら目的の駅にたどり着く。次はこの駅から。柳本駅は次のお楽しみ。

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2012年10月 2日 (火)

関西は爽やかな季節になりました 洗濯が済んだら大和路に行けるかな?

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この看板は漆黒の闇の中でJR長柄駅でフラッシュで写したもの。中央の光の反射が気になるが「山辺の道」が良く分かる。この区間が天理から歩くとおよそ5キロ。終点の桜井迄後8キロは在る。残りを一日では歩けないのは親父は4−5キロ歩くのが関の山だから。(あんぐり。開いた口が塞がらない。)

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それでもここ迄電車で来るのが遠い。乗り換えの時間があるので結果的には私鉄が便利。私鉄なら梅田から難波に出て近鉄奈良線に乗り換え。大和西大寺と平端(ひらはた)乗り換えで天理に到着。長柄の駅は天理の一駅南です。(何でそこ迄して歩きまんねん)そう聞かれた時にそれはロマン散歩ですと答えたら馬鹿にされる。

その程度の道ではありません。万葉の歴史を語れる人は少なくなりましたが、のんびりと歩いて見ると今生きている事が偶然の積み重ねである事を感じます。歴史には興味が無くても今生きている自分達は一時の空間を彷徨っているだけの事が良く分かります。(関係ないか?)そんな人には唯の田舎道?山道?農道?かも知れません。

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それでは出発進行です。長柄の駅から巻向駅の上の「山辺の道」を歩いて来ます。その次の三輪迄歩けると桜井の駅は近い。今日頑張れば三輪の駅迄歩けるかもしれないが、親父の歩きのペースでは無理かも。天気はいいしのんびりと歩けば最高のレポートが出来るかも?(期待していません)ハッハッハ。人の為ではありません。

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天高く馬肥ゆる秋 親父は越えたらアカン 了解しました

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お気に入りのチキンカツ丼。(そんな物を食っているから太る?)余計なお世話です。着実に減量中です。脇腹の贅肉がハーモニカの幅?デジカメの幅になるのはもうすぐかも?(それは無理でしょう?)そのうちにナイスボディを見せれるかも?(見たく無い)ところで体調大丈夫?万全の状態にならないとイギリス行けないよ。

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秋刀魚の塩焼き 掛川で隣のおっさん七輪で煙を立てて庭で我が者顔をしていたな。今でもあの姿をしているのだろうか?人間万事塞翁が馬 その言葉の意味も分からないかもしれない。アンタもそろそろ立ち上がれ。何時迄も転けているんじゃねえよ。やせ細った秋刀魚の塩焼きに言われていた。丸々と太って引き締った脂の乗った秋刀魚に大分のカボスをたっぷり掛けながら黙々と飯を食う。そんな贅沢な生活をしなければいけない。(無理だな)田舎暮らしも楽じゃーねえどー。

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サケカマ塩焼きをフライパンで醤油で軽く味付け。これは肉厚もあり結構火加減も良く上等でした。惜しい事に野菜のカットが細かくて味付けをしなかった事。キャベツのカットは生の侭が美味いけれどそんなキャベツは産地でないと手に出来ない?

Img_0421_2 最後にチーズトーストを一枚。(オイオイ そんなに食うのか?)
これ位の食欲が無ければタフにガキの相手は出来ない。自慢じゃないが喧嘩じゃ負けないよ。(おっさん、格闘技やってんじゃねえよ)と言われてもね。この国と同じで武力の行使はしていません。(当たり前)


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あちゃー。それを食ったの?頂きました。それから横になってしばらく寝ていました。(最悪)相撲取りでは無いのだから食っても横にならないで下さい。最近、ベッドから起き上がるとしばらく座っていないと動けなくなりました。(嘘でしょう?)

嘘です。でも廊下を歩いていると意識的に腕を振っている自分に苦笑しています。そのうち手すりが無いと歩けなくなるかもしれません。そうならない様に自分の体は自分で管理しないといけない。口先だけでなく腹八分目に気をつける。(無理です)

昨年の8月仕事をリタイアして13ヶ月が経ちました。体重は6キロ減りましたがまだ平均体重迄は20キロオーバーです。そこ迄は無理ですが後10キロ減量出来れば肉体的には目標達成でしょう。その為にはもっと歩いてもっと活動的に生きて行かなければなりません。今年の秋はそんな秋にしたいと思っています。

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