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2012年9月29日 (土)

久々の京都府立植物園 北門から入ったのは初めてだった

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京都地下鉄の案内板。良く見えないが京都の地下鉄は2路線。烏丸線と東西線。烏丸線が最初に出来る。親父が住んでいた頃は市電が京都市内を碁盤の目の様に走っていたが今は市電は全て廃止され地下鉄トバスのみ。地下鉄烏丸線は近鉄が乗り入れているので、乗り替え無しの急行に乗れば奈良に行ける。しかしその時刻は限られている。普通の時間は京都地下鉄の南の終点竹田で乗り換え。地下鉄の乗降客は結構多い。大阪方面は四条で阪急。京都でJRに乗り換え。この駅の混雑も激しい。案内は在るが初めては戸惑うに違いない。京都の観光は携帯ナビだけでは無理かもしれない。

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この案内標識は烏丸線の全区間。しかし市電の停留所に比べ物にならない位、駅は少ないので移動はめちゃくちゃ早い。その早さが実感出来ない程地下鉄の駅は広い。高齢者と足腰が不自由な障害者は介助者が無いと移動は困難。これから更に年寄りはお呼びで無いかもしれない。駅から地上出口は1カ所エレベーターがある。

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これが出口に上がる階段。行政(市交通局)のこの感覚を京都市民は批判していない。上がるのがしんどい人、無理な人はエレベーターを利用して下さい。これから多くの人が殺到したらどうするのだろう?(しばらくお待ち下さい)ってか?

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大学のキャンパスが新築され来年4月から利用されるという。京都の大学の就職率がどれ位か知らないが、大学が金儲けの対象になる時代は何時迄続くのだろう?大学で学ぶ事と就職は関係ない?そんな事は近いうちに叩き潰されるに違いない。役に立たない学問をどんなに学んでも飯は食えない。その事がこれから問われる事を親も子も理解出来ないのだろうか?親が助けて呉れる?親父は無理だな?でもおっかあが元気な時はしっかり頑張りましたなあ?これからは親知らず子知らずか?(そんな事は無い?)それでも貧すれば貪す(どんす)背に腹は替えられない。厳しい時代の到来が目前に迫っている事が分からないのだろう?(誰が?)同志社大学法人?余計なお世話です。確かに。でもこのスケール驚くな。

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何時の世も不運な人は居る。時代が100年違えば英雄だったに違いない。

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親父が独身最後の下宿が近い。

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烏丸中学前。この向かいの下宿。お世話になった旦那さんは無くなり奥さんは認知症で施設に入っている。しかし建物は弟さんが継いでいるが実質はその奥さんが仕切っている。何処も女性が強い。もう挨拶を交わす事も無い。

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お世話になった食堂。この主人も元気だが達者なのは口だけ。がんねん(体の自由)は効かなくなっている。歳を取ると歩けなくなる。親父の様に口も体も達者なのは例外かもしれない。これから歳よりの生き方が問われる。口先だけも体が達者過ぎても駄目。何事も中庸(程々)が肝心に違いないが、そのバランス感覚が良過ぎても駄目。

夏目漱石が言う様にとかくこの世は窮屈に違いない。我が儘な生き方をしているとそのうち罰が当るに違いない。その時自分の始末を自分で着けられる。そんな生き方がこれから求められるに違いない。惜しまれて辞める。仕事でも出来なかった事がこれからの生き方で為し得れるのだろうか?(それは無理です)親父もそう思う。

店の親父と話をしながら親父の方が物分かりの良い事を言っていた。「もう年寄りの出る幕は無い。何時迄もみっともない様を晒していたらろくな終わり方は出来ない」主人は親父の言葉に1つ1つ反論しながら内心うなずいていた。

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お待ちどうさんでした。京都府立植物園到着。独身の頃は下宿から歩くか市電で北大路車庫前乗り換えで来ていたが今回初めて地下鉄で到着。北山駅。植物園の正門前に駅が在るのかと思いきや北側。しかも到着時間が4時を回る。閉園の看板が出ている。それでも流石は親父。大阪から来たと言いながら入れて貰う。ありがとうございます。5時を過ぎたら出れなくなりますと念を押される。

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南の正門目指して歩いている。昔歩いた場所と違うのだろう記憶がとんでいる。
それでも心が何処かの森を歩いている様に軽くなっている。この木の大きさから見ると親父が京都を離れて植えられたのかもしれない?

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大和路で見た曼珠沙華とは少し感じが違う。写真の撮り方だろうか?

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池溿(いけ沿い)の道を歩いていると亀が歩いている。カメラを近づけるとポーズを取ってくれる。これは吉兆の兆しか?イイエ私は亀です。そう言われていた。

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鴫(しぎ)がえさも捕らずにのんびりと休憩中。近くに望遠レンズを構えている女性がいたがどれだけ観察が出来たのだろう?

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広場に出る。この先に正門が在る。独身の頃、結婚して子供達が近くのお寺に入れなかった時、歩いた道は東側だったのだろう?記憶が甦って来ない。ベビーカーの子供達は見るが飛び回っている子供達は眼には出来なかった。閉園間近だったからだろうか?そうではない。今日は金曜日だったからに違いない。この植物園の北側に深泥池がありその先に円通寺がある。その寺の庭の向こうに見える比叡山は有名です。

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まだ閉門前に少し時間があるので東のバラ園に向う。

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ドイツのバラ。

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親父のポーズも決まっている。(ポーズではありません。写真を撮っている)

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親父が最初に見た時から45、6年が経過している。親父は歳を取ったのと同様このヒマラヤ杉も同じ歳を重ねている。その大木が親父に何かを教えている。久し振りに見た植物園は確実に歳月の流れを親父に教えていた。「親父さん。私達も歳を取りました」「又、来て下さい」晩秋の時に来ます。その時は円通寺迄行けると良いな。

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京都府立植物園全景。今日は北門から入門したが親父の記憶に残っているコースは、下の正面正門から入って直進。突き当たりを右側にその道を辿れば子供達と来た遠き日々の想いが甦るかもしれない。

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北大路大橋からズームして写した比叡山。

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こちらは少し見難いが右大文字。

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これが標準の画像。右上の山が比叡山。この橋の上を市電が走っていたのは昭和53年迄だったと説明されていた。

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鴨川。この川辺の散策路は結構広い公園になっている。歩く人、走る人、いちゃ付く人。様々です。この道を四条河原町を抜け淀川迄繋がっている。しかし流石にそこ迄は歩けない。何で?地図で調べて見なはれ。教えて?駄目です。

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何処迄歩けるかな?高野川と合流の先迄歩けると三条大橋は近い?

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右上が右大文字。大文字焼きでニュースが流れるのはこの東山です。

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鴨川を親父以上に見つめて来た欅の大木。「おぬしまだ若い」

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親父の若き日からの思いが重なる。入店の時女将さんは何故かトイレの掃除をしていて「6時迄ですが良いですか?」と声を掛ける。昔の賑やかな面影は無かったがコーヒーの味は変わっていなかった。10年位前に来た時はもっと活気があったがこれも歳月の流れ、厳しい現実かもしれない。開店以来46年。親父が最初に来た時は開店間もなくだったのかもしれない。

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若い頃夏バテの対策?の為に思い切って口にしたどじょう鍋。ソバ屋さんになっていた。ここ迄で京都植物園の散策は終わりです。ここ迄の路で感じた事はこれ迄の生き方。これからの自分が為すべき事は何も感じられなかった。本当はそれではいけないのだけれどこの先の路は円通寺から国際会議場迄の路を歩かないといけないのかも?

それでも駄目です。どんなに歩いてもどんなに考えて見ても先を見通せる戦略は手に出来無いに違いない。その中でどう生き残るかは生活保護を自分で考えなければならない。その事が見えた時もっと多くの事が語れるのかもしれない。

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