« 何だ今頃(午前1時と言うのに)ジャンボもなかが食いたくなる | トップページ | 近くの棚田は写し取れなかったけれど、新たな発見は小さくは無かった »

2012年9月20日 (木)

柑橘の美味さは都会では中々口には出来ないのかもしれない。

Img_9962

懐かしい、九州の青みかん。しかし親父達が小学校の時口にした皮がも少し厚くて甘いみかんとは大違い。収穫の時期が早過ぎるからだろうか?それでも毎年この時期に懐かしさの余り買い求めて、毎年味の悪さががっかりさせられる。こうしてみても如何にも不味そう。(コラコラ)今年は一工夫して喰って見る。

考えて見るとこんな経験は人間社会でも政治の世界でも少なく無い。しかし食い物と違い処は見向きもされなくなる事に気付かない事だろう。他に自分を大事にしてくれる人がいるからである。その時は長くは続かないがそれでも諦めるしか無いのだろう。

Img_9964

どうです?美味そうでしょう?しかしそれも見た目だけ。駄目な物は駄目と断定する人もいたが、自分の見る目の無さをどれだけ自覚したのだろう?親父達が何度も苦い思いをした思い違いは今でも忘れていない。

色んな人から色んなことを言われたが、これから間違いなく幸せな思いに浸れるのは不味さを気にしない鈍感な性質の持ち主に違いない?そうではない。心優しく何時迄も小児の如く求めて止まない探求心。

サミュエルソンの言葉を忘れない心の若さに違いないと親父は思うけれど。ああ、人生とはそない甘いものではなくこのみかんの様に唯、時の流れを苦々しく噛みしめて房を吐き出すだけなのかもしれない。(親父さん)秋の景色を見に行きましょう。
近くの山間の棚田は刈り取りの時を終えているかもしれない。

|

« 何だ今頃(午前1時と言うのに)ジャンボもなかが食いたくなる | トップページ | 近くの棚田は写し取れなかったけれど、新たな発見は小さくは無かった »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 柑橘の美味さは都会では中々口には出来ないのかもしれない。:

« 何だ今頃(午前1時と言うのに)ジャンボもなかが食いたくなる | トップページ | 近くの棚田は写し取れなかったけれど、新たな発見は小さくは無かった »