« 雨上がりの山麓は蒸し暑かったけれどそれ以上の歓びがあった? | トップページ | 大阪は今日は今にも雨が降り出しそう。秋が加速している。 »

2012年9月 5日 (水)

若い力 老いたる力 そしてその変化について行けない無能の生き方

Img_9428

「世界は日の出を待っている」そんな映画を若い頃見た気がする。最近は映画館でロードショー(新作映画の封切り)を見る事は全く無くなり、テレビでもリバイバル(最上映)に涙する事も無くなった。レンタルのCD、ビデオを借りれば映画も見れるが、昨年手にしたデジタル放送受信のテレビのその機能はない。

それでも新作、旧作の映画を見たいと言う欲望にかられないのは如何してだろう?昨年買ったテレビにその機能が無いと言うのは大きな理由では無くて、その価値を見出せないからだろう?

今、テレビ業界はテレビの製造会社は業績不振。テレビ局は安くて安易なテレビ番組の垂れ流しでそれなりに美味しい思いをしているが、それも長くは続かないだろう。視聴率を争いそのお間抜けな数字の為なら何でもありのテレビ局の安っぽい製作方針は、そのうちそっぽを向かれて見向きもされなくなるだろう?

それは無いか?アホな芸能人がお間抜けな事を知名度を上げるため(売れる為に)頑張ればアホなガキやおばはん達とええ年をこいたおっさんも息抜きとか言いながら息を抜きっ放しにしながら(アホそのものになりながら)テレビのチャンネルを切り替えるのだろう?

テレビが公共の電波と言われた半世紀足らずであるが、テレビ業界の倫理観の無さは自分達の未来に何の展望も無い事を、テレビの販売不振の現実に重ね合わせていない。テレビはそのうち自分達が見たい番組しか見ない視聴者が多くなる事を何も実感していないのだろう?その事はを映画を見なくなった事に共通点は無いのだろうか?

そんな事はどうでも良い。これからカレーの美味い新装開店のお店に出かけて来る。その話と久し振りにサウナで出会った福島の青年ともう一つの面白いは話は又後で。糞をして出かけます。(コラコラ)血圧の薬も飲んでね。了解。

Img_9655

Img_9656

Img_9657

茄子の上に店内の光が反射しているが色は不気味でも御心配ない。辛口のビーフカレーは丹念に辛みとペーストが練り込まれて玄人(カレー好き)向き。親父の様なカレー好きには昔懐かしい味だけれど、最近のガキ(失礼)インパクトが強いかもしれない。茄子の下にはトンカツが一枚入っている。これも絶品。うんちくを言いながら完食。近くのサラリーマンの人気の店になれる様に頑張りなはれ。

Img_9662

Img_9663

大阪地下鉄千日前線、中央線9番出口。この出口はこの駅が大きいので慣れた人で無いとこの出口に辿り着く事はむつかしい。大都市の地下鉄は出口を間違うと目的地に到着する事はむつかしい。年寄りはとてもではないが(イイエ年寄りでなくても)目的地に辿り着く事はむつかしい。その易しい方法は地上を歩く事。地上を歩くとその目的地がどれだけ遠いか良く分かる。地方はマップ。都会は携帯ナビ?。

Img_9664

食事が済んで何処に行くかを考える。3時半を廻っているしこれから山辺の道を歩くには少し遅い。ここから千日前線で難波に出て近鉄奈良線で奈良駅終点の手前、大和西大寺下車。それから橿原神宮行きに乗り換え天理の駅に降り立てば目的の道は近い。夕暮れの道を歩くのも悪く無いと思いながら気持ちは引いている。野田阪神に行こう。(何でや)

野田阪神は親父が大阪に来て8年間、電車を乗り降りした思い出の街。新人の4年間は営業で。後の4年は現場の仕事だったので余り利用しなかったがそれでも梅田に出る時は良く利用していた。あの頃は路面電車だったがそれもバス路線となり今は当時の面影は無い。その道を歩く。汗をかきながら歩いていると懐かしい風景が見えて来る。

Img_9665

地下鉄の便数は多い。よく見ると通勤時間帯の便数は4〜5分間隔。その中間でも7分間隔。大阪地下鉄は黒字と言われているがこの路線はどうなのだろう?親父がこれからお見せする会社に通勤していた頃は路面電車だった。

Img_9666

路面電車は今里迄?その先はトロリーバス(ご存知かな?)だった気がする。新米の営業の時、商品の修理代を呉れた得意先の社長と事務員さんの「もらっときなさい」と言われた優しさは今でも忘れていない。あの時の1000円。今の1万5000円位の価値に違いない。何時か必ずお返しをしなければならない。この世で出来なくても。

Img_9667

Img_9668

駅前に昔の面影は無い。最近見ているので感動は少ないが今から半世紀前の事を考えると感慨は深い。後どれ位この景色を元気に見れるのだろう?大阪に来て初めて眼にした風景はすっかり変わっていたが、忘れられない青春の面影は今でも何も変わっていないのかもしれない。その時は死ぬ迄変わら無いのかもしれない。

Img_9669

Img_9670

バスは路面電車に変わっていたが便数は激変していた。この沿線の人達の足は何に変わったのだろう?歩いている?まさか?でも30分に一本のバスでは歩かないと駄目かもしれない?住宅地は予想以上に増えていた?一戸建ては少なくても高層マンションはこれからも増えるに違いない。そうなった時、足はどうなるのだろう?(余計な心配です)

Img_9671

Img_9672

親父が高校の仲間と3名で入社試験を受け2名合格。親父と落ちこぼれの1名(失礼)その相棒も薄汚れた現場の重労働に耐え切れずに数年で退社。親父は営業を4年。薄汚れた現場で4年。その後工場が大阪と京都の境の桜井に完成し、そこで5年。結婚は入社後10年。その3年後に静岡浜松に転勤。波瀾万丈の人生の始まりだった。

Img_9673

Img_9674

Img_9675

凄いな。近くにパチンコ屋が出来ている。後ろがその駐車場。こんな処にどんな人が来るのだろう?

Img_9676

懐かしいな。戦前の建物が取り壊されてすっかり綺麗になっていた。この門を乗り越えて深夜の勤務に澄ました顔で取りかかっていた時、作業長に厳重注意をされた事を思い出す。勤務態度が悪く退職届を書けと言われて時、止めてくれた女性は今でも大阪の何処かで生きているに違いない。美人ではなかったけれど優しい人だった。

Img_9677

路面電車が走っていた道は綺麗に舗装され当時の面影は無い。大阪駅が近いこの右奥には淀川がゆったりと流れているが、大雨の時は排水が侭ならず下水が溢れていた。正面の良く見えない倉庫は当時の侭。その向こうに関西を代表する塗料会社のデカイ建物がある。それも当時は無く平屋の建物が続いていた。親父が久し振りに見る景色は若い時が重なっていた。

Img_9678

おお。マンション建設中。でも大阪駅迄のアクセスはどうなるのだろう?歩くには遠い。ここは大阪市役所の水道設備の跡地?これから建物が完成して多くの人の生活が始まる。バスの便数も多くなるのだろうか?(余計なお世話です)

Img_9679

中津に到着。ここから大阪北ヤードの開発中のビル群がよく見える。手前のビルは高層マンション。どんなビジネスマンが入居するのだろう?エリート達。これからのビジネスマンは何を糧に飯が食えるのだろう?それは貴方には無理でしょう?そうかな?

Img_9680

近代的な建物と非近代的な建物。この建物も今でも利用されている。タクシー会社の運転手更衣室?が外から見て取れる。大阪北ヤードの開発は着実に進んでいるが、この現実をどう見るか?いずれその事が問われる。その時行政はどんな対応を取れるのだろう?その厳しさの認識は誰がどのように説明するのだろう?

Img_9681

Img_9682

Img_9688

Img_9683

梅田貨物駅は縮小されているがまだ使われている。役目を終えてもまだ使われなければならない理由は何処にあるのだろう?その説明は明確ではない。大阪梅田の貨物ターミナルは取扱量が減り、その役目は終わったと説明はされても残された土地とその役割は小さく無い。これから次の世代に引き継がれる梅田の再開発は明確ではない。

Img_9685

親父が若い頃、この木の前を電車の中から眺めていた。うつろな眼で見ながら見ていた街路樹がこんなに大きくなっていた。これ以上は邪魔だと言われるかも知れないが幸いに人通りが少ない。だからこれだけ大きくなっても見逃されているのかもしれないが、その終わりの時も遠くは無い。終わりの時、その時は必ず来る。その時、どんな生き方が出来ているか?その事を教えられていた。

Img_9686

Img_9691

Img_9692

阪神北大阪線路面電車が走っていた交差点。広く感じられるが当時と何も変わっていない。変わった事と言えば路面電車が無くなった事。しかし、それでこの地域で生きる人達はどれだけ便利になったのだろう。この駅を降りてこの場所で電車に乗り込んでいた大勢の人は今なんで通勤しているのだろう?それともそんな人はいなくなったのかもしれない?まさか?

Img_9694

このホームの幅は阪急沿線でも最高に狭い。それでも長い間事故は無かったが今年、会社の仲間が押されて怪我をする。押したアホは故意。その責任が問われている。この一番前の女性は、何故か2番目の鉄柱を廻りながら携帯電話中。顔が分からないタイミングでパチリ。この国のこれからの姿を端的に現している?端的にとはどういう事?舵取り歩き方は問われている?そうは思わない人が少なく無いのかもしれない。

最近新しい友達が出来た。友達と言っても親子程歳は違うし親父の一方的な義侠心に違いない。そう。うっとうしいと大勢の人から思われる思い込み。その情報の価値に偏りが在ると言われてもこの思いは変わら無いに違いない。

彼は偶然にも福島の原発事故で住む場所を奪われていた。正確に言えばその場所を東京で働いていた親父が引き受け、彼は住み慣れた故郷から大阪に幼い子供と妻と避難していた。大阪の理髪店で働き場所を得てもう1年近く不自由な生活再建をしていると言う。

その事情をサウナで偶然耳にする。2人きりでサウナに入りながらくらい眼つきの彼に話かけた言葉は意外な言葉だった。狭いサウナのテレビのチャンネルを親父が手にしながら「チャンネル買えて良い?」と聞いていた。それから会話が繋がり彼の故郷が分かる。福島の現状は知らない。しかし彼の様に住み慣れた故郷を追われ、何時帰れるアテも無く不安な思いで全国に散らばっている人は少なく無いのだろう?

「福島に残り今尚避難生活をしている人の事を考えると私達は恵まれています。」彼の親父の若い頃を思わせる?言葉に怒りを覚えていた。原子力発電0はむつかしい。何たる言葉だろう?原子力発電の安全神話の上に成り立っていたこの国の経済。

その経済が砂上の楼閣であった事を思い知らされての尚、原発は必要?何たる無慈悲な言葉だろう?経済団体のリーダー達にこの国の未来を語る資格は無い事をこれから突きつけられる。

電気代が上がる。物造りが成り立たない。それでは彼等の犠牲は誰があがなえると言うのだろう?そうではないだろう?あなた方はリーダーとしては退場です。原子力発電0でこの国が豊かになれる。その施作を見出せる人。どうしても見出せなければこの國の形を変えてでもやれる人。その事が求められている。

彼の訥々たる語りは浪花節ではない事がこれから証明されるに違いない。その証拠にこの国の原発で発生している放射能のゴミは過疎地でも受け入れては呉れない。親父達は老い先は短い。(アンタは長生きが出来る)そうではなくて国のエネルギー革命はどう在るべきか?それは決して貴方も部外者では無い。彼とこれから話をする機会は多くは無いがそれくらいの気持ちは大事にしなければならない。

|

« 雨上がりの山麓は蒸し暑かったけれどそれ以上の歓びがあった? | トップページ | 大阪は今日は今にも雨が降り出しそう。秋が加速している。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 若い力 老いたる力 そしてその変化について行けない無能の生き方:

« 雨上がりの山麓は蒸し暑かったけれどそれ以上の歓びがあった? | トップページ | 大阪は今日は今にも雨が降り出しそう。秋が加速している。 »