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2012年9月 8日 (土)

豊かな社会を生きて行く当然の夢と現実。

インド生まれの世界的指揮者ズービンメータ。その人の名前を知って感動の涙を流したのは東日本大震災の被災者に鎮魂のベートーベン「第九」合唱付をN響で演奏指揮をしてくれた昨年の4月か5月だった。3、11の大震災から間も無い時、彼は被災地の事を思いながら本当に優しい気持でベートーベンの想いの丈をぶつけてくれた。あれから何度も彼の演奏を録画で聞き直しながら勇気をもらっている。

その彼が指揮しているベエルリオーズの「幻想交響曲」を聞いている。このシンフォニー(交響曲)は4部で構成されているがメロディの美しさととは対照的な作曲者の人並み外れた女性への思い込みと感情の異常な高揚に人の哀れさを感じる。

親父にももう少し時を巻き戻せる事が出来たなら、同じ位の想いの丈を現せたかもしてないがそれはちと無理に違いない。それ程に日本人は愛する人の為に心を投げ出す事は出来無いに違いない。事実この愛のドラマは悲劇で終わる。愛と言うには余りにベルリオーズの思い込みが強く理想と現実の差が大きかったのだろう?

この作曲家のオバカな所はピアノが弾けなかったと伝えられているが、それは余りに指揮者としての能力が高くてこれだけの曲を作れたからだろう。ベートーベンの後継者として高く評価をされても彼が生きている時の評価は殆ど無かったと言われている。

それはこの曲を聞けば良く分かるかもしれない。それ程にこの曲は美しくそして哀しい。悲劇のオペレッタの哀しみが伝わる。人が人を愛する意味はベートーベンもベルリオーズに伝えられなかったのだろう。そしてズービンメーター氏が教えて呉れた第九の運命の意味が感動となって甦らなければならない。被災地の復興はまだまだでも人々に伝えたかったメータ氏の想いを忘れる事は無い。

政治の世界は期待された政権交代は色褪せて公約は大幅に後退して、大幅に躍進した議席は果敢なき夏の世の夢となっている。選挙はこの有様ではとても出来ないがそれも国の財政を支える国債を発行する「特例法案」が成立しなければどうにもならない。まさか政府財務省は選挙先延ばしの秘策を持っているとは思われない。

選挙が行われると台風の目は既成政党(自民、民主、公明)ではなくて新興勢力。橋下維新の会に振り回されて政界は一気に変革の気運が高まる。しかしそれは利権者が変わった明治維新と何も変わらない。平民。国民。有権者の生活は何も変わらない。

その政界秋の陣が音も無くこれから突き進んで行くのだろう。橋下維新の会がこれからの政界の台風の目になったとしても、下々(多くの庶民。一般人。有権者)の生活は何も変わら無いに違いない。その事がどれだけの人が理解しているのだろう。

ベルリオーズの悲劇はその事を最終楽章で歌い上げているが、この国の豊かな生活は誰が歌い上げてくれるのだろう?それは一人一人の生き方に違いない。今、目にする多くのオバカな生き方は無視したとしても、自分の生き方は誰も否定出来無いに違いない。それでも親父は生きたくても生きれなかった人の思いは忘れていない。

昨日はそんな1日でした。そしてベルリオーズの「幻想交響曲」ももうすぐ終わりです。この最終章を歌い上げながらピアノも引け無かったお間抜けは何を感じていたのでしょうか?親父は彼はピアノが弾けなかったのではなく引かなかったのだと思います。

それが大好きだったオペレッタを幸せに出来なかったせめてもの償いと感じていたのでしょう?これは親父の独断と偏見です。幸せになって下さいね。その為には親父達ももっと元気に力強く明日の歓びを指し示さなければいけない事でしょう

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