« 五月晴れ。明日は雨です。 | トップページ | 五月の空も良いけれど五月の黄昏も又良ろし。 »

2012年5月15日 (火)

沖縄復帰40周年 その重みを恥じている。

沖縄がアメリカから日本に返還されて40年。その時言われた言葉。「本土並み」しかし、その言葉とは裏腹の基地と経済振興。沖縄にどれだけの振興予算が注ぎ込まれても「一番大切な」基地縮小がなされていない。その原因を明確にしないでどんなに多くの言葉を尤もらしく語っても何も変わらない。

沖縄基地縮小が出来ない一番の原因は「言葉のまやかし」。その典型的な例がお昼の定時ニュースで見て取れる。沖縄のニュースが3分間。その他に高速道防音壁の隙間。そして衆議院の解散権の問題。それから消費税審議の日程。問責で可決された2大臣の罷免が問題にされている。最後に大学生の就職率。もう一つ水飴等でカルテルの問題。ホンマに皆様の000は社会的責任を果たしているのだろうか?

沖縄の実態は本当は良く知られていない。沖縄の基地を縮小しなければいけないと考える人がどんなに多くても、基地がある恩恵を手にしている一部の人達の影響も少なく無い。沖縄の知事は基地の移転を国外に求めているが、一方で基地を固定化してきた責任を政府だけの問題にすり替えている。この不信感はアメリカからも問われている。

本当に沖縄の地域住民の気持ちが基地の縮小にまとまれば、政府もアメリカもその民意を覆す事は出来ない。その機運は何度も高まりそしてしぼんだ。その要因は何だったのか?沖縄に多くの振興政策と利権がばらまかれた。基地反対を口にしながらその利権は手放さない。それが今日の沖縄の実態だろう。マスコミはその現実をどれだけ伝えているのだろう?

沖縄の基地縮小が語られると必ずその対立する言葉として語られる言葉は、「基地の重要性」「軍事戦略としての価値」しかし、この言葉はアメリカとソ連が対立した冷戦時代の言葉をおうむ返しに口にしているだけ。

基地の重要性を口にしているアメリカでさえこのまま沖縄の基地問題を先送りには出来ないと考えている。否考えざるをえないだろう。沖縄の住宅密集地の基地が抱えている問題はそれ程の深刻である事を日本政府、外務、防衛の役人達は理解していない。

あっては成らないが万一の事故が嘉手納の基地で起きた時、深刻な問題になる事を一番理解しているのはアメリカ自身だろう。細心の注意を払いながら事故には万全の配慮をしているが、「想定外」の事が起きていないのはむしろ奇跡とも言える。

その事を日本政府と行政は認識していないのだろう。認識したとしてもその縮小に踏み込めない日本の軍事戦略。小沢外しの思惑はそんな所にもある事をオバカな国民の多くは認識していない。

小沢元民主党代表の政治と金の問題が対立野党、テレビ、マスコミで尤もらしく語られて久しい。法と証拠に基づく司法の判断で起訴出来ないと検察が判断しても、検察審議会とやら訳の分からない人達の判断で起訴され、その裁判で無罪と判決が下されても尚、控訴され国会で説明責任とやらが求められている。

この国の検察、検察審議会の在り方が問われても、民主与党の中からもこの国の裁判は三審制度とか馬鹿な事を言っている。国民はホントもう少し賢く無ければいけない。さすがの親父でも小沢さんがお金に綺麗だとは思わないが、裁判で人を処罰出来る司法制度は「法と証拠」のみであり、人の思惑ではない。

そんな事が許されているこの国の裁判制度は誰が見直さなければいけないか?検察のOBがイオンにどんだけの報酬で再就職しているか知らなければならない。岡田民主党福総理にはホント期待を裏切られました。民主党の次の選挙での大敗間違い無しです。自民党?大勝しますか?

親父達はそれ程に馬鹿にされています。もっと賢く生きないと穴の穴迄コケにされる事でしょう。親父が理解出来なかった事。欧州の金融危機、アメリカ金融資本の横暴それに対してこの国の財政運営のお些末さ。この国の舵取りを任されているエリート達の無為無策。

円高は困ると6兆円もの国の税金を投入しても解決出来ないこの国の財政運営。エリート達が失業する事は無いだろうがその責任も問えない経済解説者達。何時迄もこんな事を続けていたらこの国は失業者で溢れ帰るに違いない。そう成ってもイヤそうなる前に政治生命を賭けてでも不退転の決意で取り組もと言うのだろうか?

リーダーの無策は1日も早く引きずり降ろす事だろう?その事が今、政治の世界ではなく経済の世界で問われている。もっと賢くなんなはれ。もっと先を見通しなはれ。政治は一寸先は闇と言われて久しいが、経済も同じ事を思い知らなければ成らない。

沖縄の現実がその事を語り掛けている。原発再開も地元の同意だけで済ませるのだろうが、そんな安易な方法で再会が出来たとしても、原発に頼り過ぎる電力供給は出来ない事を福島の事故は証明している。この国の原子力発電に関わってきた人の信用が無くなっている事も政府、関係者は理解していない事を痛感する。

原子力発電の放射能廃棄物の最終処分場もない。それでもこの発電方法を何時迄も続けられると思っている人達は地獄を覗かないと分からないのだろう。この国で原子力の父と言われた人がどれだけ幸せを享受出来たのか?その事も知らなければ成らない。

何だこのたどたどしい演説。沖縄復帰の演説。原稿を一生懸命に読んでいるだけでは無いか?沖縄の基地負担の提言の謝意。基地の県外移転。具体的な問題解決についての提言が無いのは沖縄知事として後世の審判に耐えられないだろう。

多くの人達は理解出来ない沖縄の基地問題。日本政府の辺野古沖埋め立て、嘉手納基地の縮小、それよりも何よりも沖縄に集中する基地縮小を認めないアメリカの極東軍事戦略。辺野古の沖を埋め立てて基地機能の拡充が無ければ嘉手納の縮小は無いと言うアメリカの戦略。それが変わるのは何時の事なのだろうか?

自分の国はアメリカの手を借りずに自国で守れ。自衛隊は立派な軍隊です。何処の国が自国の軍隊では足りないからアメリとの同盟で守ると言っているのだろう。これが日本とアメリカの日米軍事同盟の実態です。何と情けない国だろう。

憲法を改正して自衛隊を軍隊として認めよとも言われているが、アメリカとの軍事同盟の見直しも求めているのだろうか?沖縄にアメリカの基地が多いのは日米安保条約で日本が認めているからだろう。その前提として沖縄の復興の為にどんなに予算をつけると言った所で沖縄の人達は同意するのだろうか?今、その事が問われている。

基地は反対だけれど振興策は必要。そんな身勝手な事は原発再開、消費税問題と同様許されない。今、ユーロに危機で揺れているヨーロッパ、ギリシャの問題と全く同じです。選択の問題が違う事に政治家とお役人が気付かないと問題の解決はない。

今その事が問われている。マスコミも尤もらしく問題解決を語る前に、その事を問い掛けなければ成らない。沖縄の基地はアメリカの戦略に組み込まれている。日本政府はその政略に異議を問えない。その代償として振興策を考える。なんと愚かな選択だろう。人間の尊厳をその程度にしか考えていない恥さらしの代償は何時来るのだろうか?

|

« 五月晴れ。明日は雨です。 | トップページ | 五月の空も良いけれど五月の黄昏も又良ろし。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄復帰40周年 その重みを恥じている。:

« 五月晴れ。明日は雨です。 | トップページ | 五月の空も良いけれど五月の黄昏も又良ろし。 »