伏見長建寺行って来ました。和尚には会えず。残念。でもそのご褒美はありました。
今年も鴨川の川床舞台が出来ていました。綺麗どころ?がサービスをしてくれるので料理とお酒は安くは無い。それでも接待に使われるのでシーズンになると連日満員。ここで料理が食えて酒が飲めるのが京都人の自慢どす。いい加減にしなはれ。
ようこそ京都伏見へ。300年前は日本一の街も今はその面影も無い?
ところが違うんですよ。観光客の知らない風景を紹介しましょう。
本堂。御本尊は弁財天。秘宝。元旦から15日間公開。その横に先日公開したイケメンの空海様が鎮座している。今日は和尚に合ってお堂の中に入りたかったが合えず。和尚の草履しか見えなかった。残念。その替わりおみくじは大吉。ニンマリ。
自慢している。イイエ萎えた気持ちをむげねえ(大分の方言)可哀想と空海様が慰めてくれたのでしょう? 九天に羽かがやかせ鳳凰の高くのぼるを心にぞみる。万事急がず自信を持て。ありがとうございます。
大倉酒造記念館。
フラッシュでよく見えないが刀瑕(かたなきず)が残っている。寺田屋さんの見学は夕方4時迄。前来た時には見れなかったが感じは中々のものです。しかし、団体が居ると狭くてうるさい。今でも予約すれば宿泊可。でも泊まる程の物でもない?
これは良く撮れている。意味は分からないけれどここから龍馬は逃げたの?
時間があったので中書島の駅から宇治線で黄檗山万福寺に向かう。初めてでしたが大きなお寺さんでした。意外にも歴史は浅く江戸時代創建。でも凄い写真が撮れましたよ。解説無しで一気にお見せします。
勝手に叩くなと明示。時を知らせている。
食事の合図に使われている。
帰りに京都市内を歩いて独身時代食事をしていた食堂に行って来ました。あれから40年の歳月が流れている。残りの人生はその半分あるのだろうか?あるとしても無いとしてもその生き方が今問われているのは親父だけでは無い。人の事をこれ迄色々つぶやいて来たが、人のことを言う前に自分に厳しく無ければ行けない。
京阪電鉄京都終点は出町柳。ここから烏丸通り相国寺西門前町寺の内上ルの食堂を目指す。
近くの御所北門。親父の親父は職業軍人で青年将校の時、軍馬でこの門を潜ったのだろうか?皇室の在り方を多くの人が語るが皇室が利用された歴史を忘れてはならない。今でもその教訓を忘れてこの国の戦争責任をうやむやにしているが、親父達はその事を明確に語り継いでいるのだろうか?
御所の一番北の土塀。今出川通り。親父が若かった頃は市電が走っていたが今はバスのみ。非常に不便。京都の市電が廃止されて久しいが京都の活性化は出来ていない。
左が同志社大学。薩摩屋敷跡。この道が今出川通り。市電がはしっていました。右が御所。正面からブラブラ歩いて来ました。突き当たりが百万遍だったかな。
今出川烏丸の交差点。ここは市電の交差点でもあった。烏丸通り(南北)は地下鉄が建設され北は国際会館。南は竹田。近鉄が乗り入れているので地下鉄で奈良に行ける。
ここにも弾圧の記録がある。江戸幕府。100年後に大政奉還に追い込まれる。それでも新政府軍の武力攻勢は止まず幕府を支えた会津藩を叩き潰す。徳川御三家は攻撃されず京都で尊王攘夷(薩長土肥)を弾圧した会津藩が徹底的に叩かれる。新撰組の近藤勇は投降するが首を切られて鴨川に晒される。
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