連休明け 親父の連休は何時迄続くのだろう?
毎年見慣れていた近くの通りの植え込みのつつじが今年は何故か美しい。
世の中の関心は決して楽観的には見えないがその分をこの時期の花々は慰めているのだろうか?連休が終わり気合いを入れ直して仕事をしていた「五月の時」は、夢の又夢になっている。
昨年親父に見事な水滴の落ちる寸前の姿を見せて呉れたあの人はもう居ない。そう言えば何かロマンチックに聞こえるけれどあれも一時の夢幻(ゆめまぼろし)だったに違いない。年たけて嬉しい事は若い頃の様に執着心が消え、簡単に多くの事を忘れられると教えられた事があるが、それも又嘘に違いない。思い出を断ち切る方法は非情だとしたらそれはそれとして人の生き方として愛おしいのかもしれない。
後一月もすると雨が多くなる。雨の日はイヤだと言われる人は多いが、親父の場合は大好きです。大好きと言うより幼心に摺り込まれた原風景が、田植えの頃と重なるからかもしてない。小糠雨、五月雨、早乙女(田植えをする女性)。そんな情景を語れる人も少なくなっている。田植えの邪魔をしながら手伝いをさせてもらった頃も、天空の彼方に飛んでいる。トゲのある柊南天(ひいらぎなんてん)の緑が眼に染みる。
去年の今頃、親父に優しい表情を見せていた深紅のバラ。今年も艶やかな姿を見せているのだろうか?しかし親父の様にこれだけカメラを近づけて覗き込む人はいないだろう。注目された連休明けの株式市場は大きく下げている。
円高気配にお間抜けな財務大臣は介入の気配を見せているが、何時迄こんな財政運営が許されると思っているのだろう?今一番求められている事?歳入の大幅減に歯止めをかける。その事が出来なければ史上最低の大臣になる事が認識されていない。
会社にもこんなタイプが少なく無い。何も出来ないくせに、口先だけは勇ましい。その事を問われるのは何時になるのだろう?ヨーロッパの選挙でサルコジフランス大統領が落選している。口先だけの経済再建。何処かの総理大臣も同じ様なことを言っている。
そんな中韓国で行われる国際博覧会で東北の震災からの復興をアニメで紹介している。この国の官僚達は何たる恥さらしだろうか?そんな事を韓国の博物館で紹介する為にどれだけの税金を無駄にしているのだろう?東北被災地の復興が進んでいる?どんな顔をしてそんな事が言えるのだろう?天災と言うには余りに厳しい現実。私達はこんな政府を認めていると後世のの笑い者になるだろう。
近くの公園に足を延ばしてみると新緑の時は進んでいる。しかしこの景色は昨年の様子。久しくこの神社にも足を延ばしていないが近いうちに顔を出さないといけない。全く関係ないと不遜(思い上がり、謙虚な気持ちが無い)な生き方をしていると天罰を喰らうに違いない。
木漏れ日のベンチに座りぼんやりとこれからの行く末を考えてみる事も求められているのかもしれない。心穏やかに過ごせる人は幸せです。誰もが当然の様に求めている日常は結構波瀾万丈である事を体験してみると、今日的穏やかな日々は特異日なのかもしれない。
これも1年前の散歩コースのバラ。花を愛でる人の思いが感じられる。
この花の何と言う名前か昨年は知らなかった。今年は偶然その名前を知る。
1年前の景色。今年も同じ風景が広がっていた。5年前に起きた大阪での高速バスの居眠り運転事故の教訓は全く生かされていない。それ以上に尊い人命が失われる。その原因は規制緩和と言う価格破壊。値段が安ければそれは良い事です。
この何とも愚かな発想。そのしわ寄せが下請けのバス会社と日雇いの運転手。その実態を全く伝えずに事故が発生したらその悲惨さを口にするマスコミ。深夜の高速道路の怖さを知らない人が多い。
東名、名神、中央高速、東北自動車道、中国自動車道をバスの運転手だけでなくトラックの運転手は命をその時は既に捨てている事をどれだけの人が理解しているのだろう?ブラックユーモアとして笑えない怖さはその運転手本人がその事を知らない事だろう。
どんなに安くても深夜バスには乗るな。深夜に高速道路を走るには休憩を充分とって安全運転に心掛ける。それでも咄嗟の事故には対応出来ない。日中、四国高知迄の5時間弱の高速バスも運転手は1人。彼等が一番心掛けている事はその一点にある事を忘れてはならない。
そんな怒りの思いが込み上げていたらピンクローズが甘い言葉を耳元で囁いている。親父さんは固い人間だけれどこの世の中はそない甘いもんやおまへん。安ければ安い方がいい。そんな人も少なく無い。それ故にこの商売も成り立つ。
しかし、母の日にその美しい成長した姿を見れなかった人の嘆きはいかほどであろう。胸が張り裂ける思い。絶望の涙を流しても帰っては来ない。その事を考えて見ると人の愚かさがどれだけ甘いか?その悪魔のささやきを叩き潰さなければならない。
お間抜けな大学教授の先生が「規制を強化して2人乗車」にして安全運転を確保しなければならないとコメントしていた。しかし、今夜も何も変わらない深夜バスの運行実態。規制を強化出来る権限を手にしているのは役人ではなく、私達である事を自覚しなければならない。本当に悲しい事です。
これから残された歳月は多くは無い。この階段を数えてみてもこの先の歳月を見通す事はむつかしい。その事を考えればこの階段の登り方は決まっている。今迄は先の見通しよりも今をどう生きるかを考えていた。そろそろその生き方も変えなければならない。変えられるかな?それは分からないけれどこの親父の散歩コースの階段がその事を教えている。「もチョッと賢く生きなさい」そう言われても何の違和感もない。
今日は奈良伊勢街道長谷寺に行く予定でしたが、何か気合いの乗らず。人の忠告を聞かない親父でも咳がひどくなった自覚があったのだろうか?苦笑をしながらぐずぐずしていると体の緊張感が解けて行く。こうなるとイカンともし難い。
その替わりいい事もあった。この街はゴミ袋が有料。つまり分別をして有料の袋に入れなければ清掃車はゴミ回収をしてくれない。その燃えるゴミの回収日が週2回。その時迄放り込んでいる入れ物が汚れていた。それを綺麗なペタルの付いたゴミ箱に変える。1980円。今迄何気なく放り込んでいたゴミが違って来るかもしれない。
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