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2012年5月 3日 (木)

高知遍路道(修行の道)アンタに一番欠ける事。そう言い聞かせていた。

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高知遍路道は徳島23番札所から90キロの所にある最御崎寺(ほつみさきじ)から始まる。そのアクセスは歩き遍路で3日。1200年前に空海が室戸の洞窟で悟りを開いた時にどれ位掛かったのだろう?道なき道を切り開いて辿り着いた時は何を考えていたのだろう?そのとき見た空と海。その道を辿る。

秋が始まった10月の中旬。この駅はJR牟岐線。徳島からどれ位掛かったのかな?乗り継いで1時間半。そしてここから第三セクター。(阿波、室戸シーサイドライン)しかしこの路線は長くは無かった。立派な鉄路は長くは続かなかった。甲浦(こうのうら)で終点。でもこの路線も赤字路線。子供達の車内ポスターが愛おしかった。

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ここからバスが室戸岬を通る。連絡時間は少しあったので駅舎内で近くのおばちゃんがボランティアで働いていた。グループで数人。何でこんな立派な鉄路がここ迄と聞いて見ると言葉を濁す。「利用客が少ない」と言いながら実際は地域の反対があったとか。先見の明が無いと地域の活性化はむつかしい。有ったとしても親父の様な人間は少ないのかもしれない。この先の風景を紹介をすれば必ず考えが変わるに違いない

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バス車内からの風景。親父が30年前に車の中から見た景色は何も変わっていなかった。運転手の言葉に依ると以前と比べて砂浜が減り波打ち際が近くに迫っていると言われていた。青い海、白い砂浜。この景色も段々見れなくなるのだろうか?

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空海様が室戸の海を見ていた。

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空海が見た風景?今はその洞窟前の道が出来て波打ち際も隆起しているので、この景色は洞窟前では見れない。整備された道を降りて遊歩道を歩くと見れる。

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この景色も荒波が打ち寄せると感動の景色になるに違いない。空海は近くの洞窟で19歳の時、虚空求聞持法を修法したと言われている。

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室戸岬の先端海に沈む岩礁は現在心配されている東南海地震の過去の地殻変動を現している。室戸の岬に来るとその事が良く分かる。人は短いスパンでも危機管理が出来ないと言われるがこの国の天変地異を目の当たりにする事は殆ど無い。

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30年前に2泊した宿。廃業していた。利用客の減少。ここだけでなく地方の岬はアッピールする観光施設が少ない。しかし、人を呼ぶ工夫はそんな物ではないだろう?これからは元気な高齢者。小金持の退職者。自然を満喫出来る観光客が多くなる。その取り込みがこれから求められている。

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ここから次の札所迄はバスで移動。(ここ迄も室戸のバス停から移動)この札所は海岸寄り。港に近く場所が分かり難く通り掛かりの奥さんに聞く。丁寧に教えて呉れたが住宅地の中を歩くので道を間違える。バスの時間に焦りながら道を探していた。

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バス停から2キロ。ニンマリしていたが良く考えて見ると片道の遍路道。甘くは無かった。しかし、この時の道は次の札所で生きる。どういう事?内緒です。

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遠くに室戸の岬が見える。汗を拭きながら頭の中を空にして海を見ていた。時折歩き遍路の人が降りて来る。殆どの人が無愛想。お互い様。気にしない。心に何か思う事が無ければこんな山道を歩く事は無い。アンタは?親父は好奇心だけで歩いていた様な気がする。

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(ここで休憩です。今日はいい天気。でも休息日です。嘘をつけ。では何の日。?)

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バスは高齢者の乗客のみ。一番後ろの席でデカイ態度で座っていた。バスの中は快適。外の景色は龍馬も見た太平洋。明るい日差しの中を遮るものは何も無い。車内の会話は方言は少なく親父の未来の姿があった。年たけて颯爽に歩いていた親父の様な生活が出来るだろうか?(親父...爺ちゃん。)

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日本一の鮎が棲む。どんな鮎だろう?大分田舎の久留須川のうなぎと鮎もめっきりと減り昔の面影は無い。この川を遡ると馬路の村に行ける。村おこしの柚子の加工品は関西でも知られている。日本全国田舎の村は限界集落の波が押し寄せている。

東京霞ヶ関のお役人が進めた政策は市町村広域合併。都会人の多くが知らない地方の活性化策。大分が以前に進めた一村一品運動。この馬路の村は過疎が止まっていると言われる現金収入の柚子の加工。その取り組みを見たかったけれど次の機会に譲る。

ここは事前に予約した営業所の女性に勧められた食事のお店はあった。お店の前は海。おしゃれなお店に感嘆の声をあげていた。注文したのはハンバーグ定食。ニコニコしながら食っていた。タクシーはこのお店の横の広場に来て呉れる。

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食事の後、コーヒーを飲みながら安岐の海を見ていた。お店のガラスに姿が映り込んでいるが顔は見えない。海岸の波消しブロックが顔に重なっている。

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神峰寺(こうのみねじ)このお寺は下のバス停から5キロ。しかし登りの坂はきつくて普通の歩き遍路で1日掛かりとなる。その事はガイドブックで学習していたので前の夜、室戸の宿でタクシー予約。担当の女性は丁寧な対応をしてくれた。

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タクシーが待っていたので行かなかった。

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正面の本堂に上がる階段も杉の大木が倒れ掛かって通行禁止。右から廻り込む。

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28番札所大日寺前の野市駅。ここから札所迄はバスで行こうと思っていたが適当な路線は無かった。案内所でどれ位かかるのか聞いて見ると歩くと30分と言われる。地図を見ると29番、30番と少し歩かなければならない。この日の宿はこの近所でいいかと思いながらも予約無し。タクシーで行くかと決める。

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大日寺本堂

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魔尼山(まにさん)国分寺 山門 741年創建 土佐の国の一宮

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善楽寺30番札所。28番札所から30番札所は田園地帯と国分川沿いの道をゆったりと歩ける。しかし、タクシー以外の足が無く最後は優しい運転手に頼っていた。タクシーは高知市内の宿迄探してくれた。タクシー代7000円。安くは無かったけれどお陰で今回の目標達成。明日は高知市内を観光して土佐中街道を戻る。

宿題。土佐中街道をパソコンで検索してどんな道か調べる事。今夜出来たら紹介します。

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