大阪は生憎の雨 今日はおとなしくしている
明日から連休の後半が始まる。観光地は大勢の観光客で賑わうが何処に行っても人、人、人。折角の楽しみも台無し。それでも子供達が小さく会社が休みとなれば、あっちこっち出掛けていた。一番の思い出?それは何故か武田信玄の故郷甲府への道。
甲府に行って武田神社を訪ねただけの道は浜松から車で3時間弱位掛かった気がする。富士山を前後左右に見ながら助手席の歓声を聞きながら安全運転の合間に、後部座席のカーステレオのボリュームを目一杯上げて、子供達の悲鳴を聞いていた。
あれから多くの年が流れても富士川には第二東名が出来ても、明日からの連休後半の混雑は変わらないだろうけれど、何か溜め息が出て来る。年老いた人はこれから多くなるけれど幸せの想いを噛みしめる人は、どれだけ居るのだろう。
これからはその生き方が問われる。「昨日と同じ今日が来る」その言葉に意味を疑う事も無く生きている日常は何時迄も続く保証は何も無い。その言葉を忘れなければ、この国のまだ見る事の無い多くの精霊が招待してくれるに違いない。
久し振りに見る見るドラマの再放送。岐阜白川村の雪景色。多くの事を教えられていた。これからの激動の時を生きる術は多くの人に問われているけれど、オチャラケの生き方をしているとその大切な事も見失ってしまう。その事を忘れてはならない。
激情的な生き方をしていると忘れている人情と優しさ。思いやりと的確な現状分析。親父達のこれからの生き方はその事に尽きる。親父の場合はその事すらで充分には出来ないが足腰を鍛えて四国遍路道の満願成就の達成と晴耕雨読の田舎暮らしを祈念している。出来るかな?どうだろう?それが生きる証かもしれない。
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