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2012年5月 2日 (水)

四国遍路道21番札所 ここは空海100日修行の霊場

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鶴林寺から太龍寺の道。この道は少し登っているが傾斜はそうないので自転車を押して喘ぐ事は無い。前の札所鶴林寺の登りが余りにも過酷だったから下りを楽しみにしていたが途中から太龍寺の道は別れていて、快適な下りは一時だった。

でもそれで正解だったに違いない。喘ぎながら登った道の下りは前も後ろもブレーキレバーを握り締め、体を前に倒して転倒とブレーキが効かなくなる事を用心していた。空海様も見た事も無い2輪車で奇声をあげながら疾走する親父に呆れていたのだろう?電話で確認した宿は意外に遠かった。でも何故か安心していた。体を休める宿がある。その思いだけで元気が出ていた。

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翌朝、ここからロープウエイで一気に登る。これが出来る迄は反対側に遍路道があり3キロの急な参道は焼山寺、鶴林寺と並んで「阿波の3難所」と言われていた。平成4年このロープウエイが完成する。スイスの下を見れなかったロープウエイを思い出す。どっちが怖かった?それは比べ様が無い。それ程に高い。どっちが?どっちも。

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この階段が本堂登り口。昨年8月の時は本堂台風の被害で修復中。殆ど完成していたがこの時はまだ通行禁止だった。横の階段から仮本殿を参拝する。

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山門の奥に仮本殿はあった。

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次の札所迄13キロ。チョロいと思っていた。ところがこの日も昨日同様同じ宿で休養したにもかかわらず大変でした。理由は峠越え。なだらかな登りをダラダラと歩く。このマップで確認した時には気付かなかったが方向としては戻る。途中で鶴林寺の案内が見えた時にはぞーとしていた。

しかし登りの後には下りあり。その傾斜に驚く。反対に来ていたなら悲鳴を上げていたに違いない。この道は土佐中街道。数ヶ月の後、この道をバスで通り抜ける。あの時の感動。その思いを今度の旅ではバスで往復出来る。これで思い出の宿「そわか」には四国の定宿に出来る。JR牟岐線桑野駅下車徳島バス河口行きバス和食東下車徒歩15分です。

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仮本堂。

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ここが本堂。修復工事は今は完成しているに違いない。

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大きな杉木立の境内。人のざわめきが聞こえないと時が止まっている。しかし、お喋りのカップル、団体さんも皆無ではない。この日は同じ宿の泊まったので参拝はここだけ。午前中一人でのんびりと散策していた。この道は弘法大師がこのお寺に籠り修行された時に何度も行き来した道に違いない。そう思っていた。

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大師堂。弘法大師はここでは修行はされていない?

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大師堂の庭を支えている木の大木。樹根が土と石を抱え込んでいる。人の生き方を教えて呉れていた。

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前日ママチャリと喘ぎながら登った山が見える。鶴林寺の位置を探していた。一番奥の正面の尾根から少し下がった中腹。良くあんな所迄と思いながらも今から1200年の昔、山岳道場と言われここ太龍寺と肩を並べていた様子が良く分かる。親父はその道を自転車で走破した。大変の事です。(自慢すな。大した事ではない。でも凄い)

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持仏堂の廊下の上に龍の絵が描かれている。

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お見事。竹村画博の絵がこれだけきれいに写し撮れれれば立派です。

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虚しく往きて実ちて帰る。この言葉は空海が遣唐使船に志願し、多くの仏典、仏具を手にして帰国した時の言葉。その当時の玄界灘を乗り切れる造船技術はこの国にはなく、現在人が考える遣唐船とは大違いだった。命がけではなく別れの杯を交わしての唐への求道の思い。その話しは司馬遼太郎氏の「空海の風景」に書かれている。

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予想以上にくぼみは深い。足元のスリッパを脱ぎ捨てて躊躇している。

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高所恐怖症の親父が岩山を廻り込んで室戸方面を見ている空海修行像を見上げる。
右側は絶壁。左の崖を廻り込みながら歩いていた姿は2度はしたく無い。これも立派な修行だったのだろうか?この日は好天。青い空に白い雲が流れていた。

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お昼過ぎに山から下りて来る。宿には当然入れない。近くの川原で暑い日差しを受けながら魚釣りの叔父さんを眺めていた。「こんな所で何をしているのだろう?」そう思いながら昼寝をしていた。近くの食堂で山菜力うどんを食って自分を慰めていた。空海様も同じ思いをしたのだろうか?それはない。力うどんを食いながら自分に言い聞かせていた。何を?それも内緒です。でもそっとなら言えるかも。生きる事はそう言う事です。

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