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2012年5月 8日 (火)

伊勢街道 近鉄大阪線 長谷寺 牡丹の見頃の時は過ぎていた

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長谷寺3回目。一回目は車。2回目はTAKE さん。3回目は1人。今日は牡丹の時期で平日と言えども参道は人、人、人。この景色は本堂前の舞台からの景色。牡丹見物の団体客と御婦人が多いが花のシーズンは満開の時期を過ぎている。

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左上に少しだけ山門が見えるが団体客が多過ぎて写真は撮れず。カメラを構えても平然として動かない。諦める。ここは帰り道。1回目と2回目に来た時パスした蛇羅尼堂に立ち寄る。ここに「長谷寺本尊十一面観世音菩薩御影大画軸」が公開されていた。

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帰り道。来る時は左を歩く人と鉢合わせになり、眼で威圧するだけでなく口で悪口を言っていた。暑くてかばんに挟んでいたジャンバーを落とす。気が付いてすぐ引き返すが大分先に落ちていた。罰が当たったのだろう?帰りはおとなしくしていた。

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一回目に来た時はこの狭い道を車で奥突き当たり迄いく。その先もっと狭い参道も車は通れるが県外車はその様子が分からない。観光地の狭い道は行政が観光シーズンだけでも観光客の誘導をしなければあかんやろう。観光客のマナーも悪い。右を歩け。

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初瀬街道 奈良県桜井初瀬(はせ)から三重県松阪六軒迄の道 今では国道165号がそう呼ばれているがこの道は奈良時代以前からのこの国の古道。江戸時代はお伊勢参りの道として有名。この造りを見ても江戸時代の参勤交代がこの道を通った事が分かる。

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2回目にTAKEさんと来た時は秋。この駅迄の道も登りで汗をかきながらあごを突き出していたが、今日は淡々と歩いていた。季節も違うけれど脚力も付いたのかもしれない。これから問われる事は足腰。メタボなお腹も鍛えればまだまだだろう。

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通過列車 急行?この駅は準急か普通しか停まらない。夕方の3時半。乗客は結構居た。

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連結車両が予想以上に多い。2人掛けのロマンスシート(古い)が新しい。この電車で終点の上本町迄いくので正解だったが途中で急行に乗り換える。待ち合いの時間が長い。この電車は貸し切り同様で空いていた。車内もピカピカだった。

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これは急行待ち合わせの桜井駅で通過した近鉄自慢の特急。これが近鉄の自慢の特急カラー。通過電車でピントが今イチもご愛嬌。(自分で言うな)桜井駅は親父が若い頃彷徨(さまよ)っていた駅。この駅のホームの下にJRの路線が見える。駅の様子が一変している。親父もすっかり年老いた。あの頃の迷いは無いが勢いも無い。






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