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2012年5月 2日 (水)

四国徳島遍路道 18番から20番迄

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徳島遍路道前の夜 17番札所から徳島市内のビジネスホテルに泊まったので、大廻りになる。徳島で宿を取らなかったならこの正面の民宿が4泊目になったに違いない。恩山寺は女人禁制だった。弘法大師がこの寺に滞在の時母が訪ねて来たが入山出来なかった。その母の為に大師は17日間祈祷し再会を果たしたと言われている。

 

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この草むらの中を遍路道。昔の人は偉かった。本当にそう思っていた。親父はアスファルトの道を自転車。次の札所は遠く無い。それでも近くは無かった。どういう事?そう言う事。近くても遠かった。でもそれはその先の試練に比べると問題にならない程のものだった。

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現在地が分かりますか?小松島市街地詳細図の右側。次の札所は何処だ?

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次の札所迄14キロ。この時まだ今夜の宿を決めていなかった。鶴林寺迄は田んぼの中から緩やかの登りを抜けお寺さんのふもと迄10キロ。そこから地獄の山登りが待っていた。登り口でどれ位掛かるか聞いた中学生は顔を見合わせて「自転車で?」と両手を拡げていた。

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鶴林寺15キロ。増えている。

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実りの秋はもうすぐ。でも収穫の時は近かった。静岡掛川の稲刈りの時を思い出していた。

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鶴林寺11キロ。

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鶴林寺20分でニンマリしていたが車で20分はチャリではドンくらい掛かるのか?その事が分かっていなかった。

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ここは道の駅。何とか辿り着いて一息入れていた。飯も食って闘魂込めて山登りの決意を固めていた。しかし遍路道は自転車を担いでは上がれない。車道を御覧在れ。

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車道5、2キロ。看板を見ながら根性は固まっていた。「さあ行きます」この時この先の難儀を知る由もなかった。

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カーブミラーに親父がきっちり写り込んでいる。これはお見事。プロでも撮れない見事なアングル。凄い。ポールの先に親父が立っている。

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うねうねと山を登る。この先はこれ程のカーブは無かった。良く登りました。もう一度は出来ません。しんどい思いをしながら休みながら先に進んだのは、理屈ではなかった。無我夢中。登り切る事。他には何も無かった。もう一度やれと言われての出来ない。この日の宿の2日泊まる。そして四国徳島の発心の道場は終わる。でもその前に鶴林寺お参り迄。一気に行きましょう。ようやりましたなあ。

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農作業の親父に声を掛ける。元気な親父。お互いに健闘を称え合う。エールの交換。

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大型バスは上がれない。マイクロバスだけ。下りの時を考えながら唯ひたすらに前進。それでも最後は進めなくなる。この坂をサンダル履きで上がったのだから、その事を考えるとこれからの難儀はチョロいものかもしれない。

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昔の人が築いた石組み。その杉林も今は価格が下がり為す術も無い。日本の林業は壊滅の時を迎えている。失われた山林に再生の時は無い事を都会人は知らない。「杉花粉」昔はそんな物は無かった。風呂の焚き付けに杉の枯葉を拾っていた。この石組みをして樹を植えた先人に申し訳ない気持ちで一杯になっていた。

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ようやく山を上り詰める。でもまだゴールではなかった。久し振りに平地を走る。でもその先は又登りだった。

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げーまだ2キロ。しかも又登り。この看板の向こうに少し見える文字が次の札所の案内。

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近い。深呼吸を繰り返しながら歓びを感じていた。

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最後の水分補給。ここ迄来るともう一息です。

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下り坂。ゴールです。やりました。ガッツポーズは無かったけれど。

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本堂に向かう階段。しかしこの前で納経所の叔母さんに紹介してもらった宿で予約を貰う。一息つきながら休んでいるとマイクロバスで上がって来た叔父さんに声を掛けられる。「よう上がって来られましたなあ」「心配していました」見られていました。

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鶴も雄叫びの声をあげていた。鶴のつがいが守ったと言われる地蔵尊は弘法大師が地蔵菩薩を刻みその胎内に納められたと言われている。

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こうしてもう一度思い出して見ても2度と経験の出来ない事が良く分かる。メタボな親父でもこれだけの事が出来た。これからもなんだかんだと言われても揺るぐ事のない確信。それを教えて呉れた。この後、喘ぎながら登った道を一気に下るが21番札所は近くではなかった。那賀川沿いの道をしばらく走る。

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やっとの思いで到着。でもこの宿で2泊。へとへとになっていました。
この後は21番札所。四国徳島遍路道のメーンエベントです。それは明日のお楽しみ。




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