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2012年4月15日 (日)

朽木は最高の天気でした。京都大原、琵琶湖周航の歌も聴けたし最高でした。

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京都高野川の水の流れ。桜は満開の時を過ぎて花吹雪になっていた。大原に向かっています。この時期このコースは車の渋滞と思いきや、新幹線八条口から丸太町通りを抜ける迄は道は混んでいたが、ナビを無視して北上すると道は空いていた。

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この堤防沿いの桜も老木です。長い間どれだけの人に強い想いを与えたのでしょう。桜の樹には精が宿ると言われる意味が、ここでも分かります。楽しい事、嬉しい事、愉快な事ばかりではなく、苦しく生きる生気さえも消え失せそうになっても、微かな運気を辿り寄せれば今日の喜びを手に出来るかもしれない。そんな思いを重ねていました。これから鯖街道を北上し大原三千院に向かいます。

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大原三千院の参道です。呂律(ろれつ)が廻らない。その語源の川。うんちくが語れるかな?

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大原の里。志ば漬 志ば久さんの畑からの景色。前、来た時は春近い冬。姫路の娘は雪を見て感激していた。これから一気に大原の里も春です。幸せ噛みしめていますか?昔と変わらない風景。建礼門院の寂光院は山と山が重なる所位かな?

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10月桜は不断桜とも言われるのだろうか?人の生き方にも通じるけれど実践は本当にむつかしい。呂律が廻らない人は少なく無いけれど廻る人は多いのだろうか?言葉を立て板に水の様に喋れる人も少なくなったが、博学を語れる人も少なくなりました?(親父はもう少し知識を増やして多くの事を語って下さい)

では今日のうんちくを一つ。車の中で語った事はこう言う事でした。親父も全く同感です。反対の人は多いけれどこんな生き方は今では出来ません。今、政治、経済、社会人のリーダー達に全く出来ない言葉です。

「生とは天の我を労するなり。死とは天の乃ち(すなわち)我を安んずるなり」
これは高杉晋作の言葉。生きるとは天がその生に目的を与え、その目的の為に労(苦労)する課程に過ぎない。死とは天が彼に(あなたに)休息を与えるに過ぎない。
(司馬遼太郎)世に棲む日々より。

大した事は無い。それではこの言葉はいかがでしょう。
「人間と言うものは艱難(かんなん)は共に出来る。富貴は共に出来ない。」
これも司馬遼太郎氏が書いている高杉晋作の言葉。その反対の生き方は本当に醜い事を今は政治家も忘れている。あの政権交代は一体何だったのだろうか?

自分達だけの力で政治家先生になったと思っているのだろう?官僚の言いなりにしか出来ない政治家?政治家の暴走を止められない高級官僚(反対か?)この言葉を噛みしめてみないとその反撃は半端でない。その事は歴史に学べ。無理か?その現実は自分が実感しなければ痛感できないのかもしれない。ああ無情です。

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生と死。ベートーベンも空海も哲学的な思いを口にしている事を私達は知らない。

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大原三千院山門下高級料亭。お足を気にしないで寛ぐ事はまだまだ先の事です。親父頑張れ。でももうその可能性は断たれているのかもしれない。ああ。

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綺麗な石碑。惜しい事は少しアングルが低い。上の字が欠けている。残念。

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三千院中庭。前来た時は雪が残っていた。これからは一雨毎にコケが成長します。

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お待ちしていました。笑顔と泣き顔で迎えてくれました。山高ければ谷深し。喜びも哀しみも幾歳月。今迄は悲しい事が少なく無かったけれど、これからはそれ以上の喜びが手に出来る。そう信じる事にしましょう。

苔の生す迄と歌われる国歌も歌詞の意味は強制されるものなのだろうか?君が代は千代に八千代に苔の生す迄?それは無いでしょう。戦前の現人神は現憲法では否定されている事も正しく伝えなければならない。

この国の指導者は戦前の教訓。軍国主義、天皇支配の過ちを正しく伝えているだろうか?国民主権、基本的人権の尊重、平和憲法。憲法を正しく伝えられる人も少ない。
国民主権の重みを蔑ろにしていると先の大戦で失われた多くの尊い人命から、鉄槌を喰らわされるに違いない。

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鶴は千年。かめは万年。人の一生はたかだか100年。しかもそのゴールに辿り着けるのは極僅かであり、その人達ですら金さん銀さんの様に達者ではない。生き永らえたとしてもベットでチューブに繋がれている人も少なく無い。達者で生きる事は本当に容易な事ではない。人は命の果敢なさを殆ど知らない。親父も同じだろう。

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又、いらっしゃい。穏やかな顔をしていた。

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今日は先を急いだけれどここではゆっくり食事が出来る。改めて来た時乞うご期待。

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綺麗なお花が迎えて呉れました。久し振りです。何年ぶりかな?

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山里の空は意外に低く見える。見上げる様に感じていた空が近い。それだけ親父が高くなったのだろうか?それはない。でも背の高い兄貴と肩を並べて歩いていた。本気でイヤな事も言われたが、さり気なく交わしていた自分が愛おしかった。(自分で言うな)

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前来た時は満開の時だったが今年はこの里も雪解けが遅れたのだろうか?満開の時はまだまだ先。この木本当に桜の樹だったかなあ?

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間違いない。桜です。今年は満開の時は見れないが懐かしいお店が繁昌している姿は本当に嬉しい思いでした。又来ます。本当は半月先の満開の桜の時に来たいけれど。それは無理。高知の遍路道が呼んでいる。そろそろ重い腰が上がるかな?

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親父さん。大丈夫。足腰鍛えたし後は出掛けるタイミング。朽木の空は春でした。

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川原で石投げも出来たし。でも風は冷たかった。桜がつぼみの理由が分かる。

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川原が整備された感じがする。五月になると山肌が一気に緑が深まる。

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琵琶湖に出て近江舞子の月見浜を始めて訪ねる。絶景を見せてくれました。宿泊施設もありここはのんびり出来そう。琵琶湖周航の歌を聴いていると車が来る。親父が乗り込むのが遅く迷惑をかける。でも思いがけない景色を見る事が出来ました。

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我は海の子さすらいの旅にしあればしみじみと、のぼるさぎりやさざ波の今日は今津か長浜か だったかな/カラオケだったらお任せ下さい。そろそろ殻を破って1人カラオケに行きますか?それはありません。楽しいお酒を飲みながら楽しい歌を歌える時は最高の幸せでしょう。

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琵琶湖を始めて見たのは18の夏。あの時はこの先の会社の保養所に砂浜を歩いて行ったが、今度はこの前に在った宿泊施設に泊まりますか?泊まれますか?波の音を聞きながら眠れる事は最高の贅沢です。又、楽しみが出来ました。?親父1人では泊まれない。お任せあれ。(ゲー)冗談でした。

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松は緑に砂白き 雄松が里の乙女子は 赤い椿の森陰に、果敢ない恋に泣くとかや
そんな乙女は居なくなりました。(親父に言われたく無い)。そうかもね。

楽しい朽木の旅をセッティングして頂き、有り難く感謝しています。次の機会は期待に答えられる様に体に気を付けて頑張ります。これから春の季節が一気に駆け抜けて行きますが季節の変わり目、ご自愛下さい。それではおまけです。

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これは朽木の川に降りた土手。この時期なのにキャンピングカーも多くなっていたが川面はまだ風が冷たい。天気は最高でした。誰の行いが良かったのかな?

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これは朽木のオマケ。ログハウスが人の生き方を指し示していた。雪が溶けると里の春は早い。日本の林業と田舎暮らしが変わるのは間違いない。しかし、全てが成功する可能性も少ない。それも当然の事に違いない。親父の田舎暮らし。晴耕雨読の日はまだ遠い。このログハウス、手作りとは信じられない。

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