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2012年1月

2012年1月31日 (火)

くしゃみが出る。鼻水が出る。涙目になる。それでも歩いて来ました。

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左に季節の変わり目に来ているお宮さんが見える。空は青く一見春の様だけれど風は冷たい。それでも六甲おろしは無い。いつもはここ迄自転車で来ているが今日は歩いている。どれ位歩けるかな?靴底が凹んで足元は良く無い。

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車では何度も通っている中国自動車道。今から43年前に開通。あの頃は親父も若かった。大阪万博の年。あの時、もう少し賢い生き方をしていたら今の自分は無かったかも知れない。後悔は先に立たず?それも言うなら先見の明?アチャー

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この歩道橋高くないかと思っているとオイオイ堤防に降りる階段は無い。高速道路の橋に平行して川を渡る。そして高い。途中で引き返して他の道を探す。在った

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堤防の下立派なグラウンドを横切って川面が見える所迄進む。

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写真では綺麗に見える水も堰を超える水量は多く無い。それでも長靴でないと今履いている靴では濡れそう。行くべきか行かざるべきか?それは問題外。引き返す。

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昔の人が作った?これで水が田舎の様に綺麗だったら最高だけれど。国交省の役人はそうは思ってもこの堰は果たした役割は決して小さくは無い。その事はここに来てみないと分からない。水の力。命の大きさはこの穏やかな水量から想像も出来ない。

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この前も見た河川敷の大木。一部は枯れているがこれだけ大きくなるのにどれだけの試練があったのだろう?最近は水量が少ないが大雨の時は濁流に揉まれる。この狭い水の流れがどれだけの人の生き方に影響を与えているかは、大雨の時でないと分からないのかも知れない。

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親父が派遣の仕事をしていた頃肝臓を患って入院していた人は今は居ない。親父が仕事の合間に見た人はこの堤防の下を歩いていた。これから高齢者は長生きが出来ると思われている人も少なく無いがそれも役人の考え。これからの年寄りはその保証は何も無い。若者も2人でお手手繋いで何時迄もとは行かないだろう。

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何でここだけ木が切られているのか?その意味が分からない。

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先に見えるのは軍行橋。このポールは飛行機の航空標識。飛行場が近い。

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伊丹の街が見えて来る。猪名川を渡る。ここは何故か工事中。河川管理の情報は地域住民には何も明確にされていない?それは止むを得ないかも知れないが現場のパトロールは何時どんな形で行われているのだろう?そしてどれだけの人がどれだけの予算を管理しているのだろう?魚釣りをしている人は見かけたがどれだけ釣れるのだろう。

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伊丹の街に入りました。この大型ショッピングモールの看板をこの位置から見るのは始めてです。まるで現代の有岡城天守かも。大型ショッピングモールの存在感はデカイ。

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これだけの大きさでどれだけの稼ぎが出来るのだろう?これだけのデカイ店が多くの専門店を抱えてそのテナント料でどれだけ稼ぎが出来るのだろう?これだけのお店で多くの入店者があり買い物が出来るのはどれだけのメリットがあるのだろう?その事は近くに競合店が無いのではなく、客を呼び込む打ち出の小槌を誰かがかかえているのだろう?(マサカ)

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久し振りの「なごみや」のカツカレー。カツもカレーのルーも変わらぬ味。今日はライスの味が新鮮。西君に聞いてみると「お米の炊き方を変えた」との事。カツカレーの味はカツとカレーとライスのどれが味を落としても駄目。カレーライスの味がお袋の味だと言う事が良く分かる。カレーライスの味はカレー作りの情熱度、思い入れで決まる事を忘れてはならない。男と女の関係も意外に引き立て愛かも。うまい。

鼻水を垂らしながら歩いて来ましたが、意外に親父の脚力もしっかりしていました。正確な歩行距離は分からないが8キロは間違い無し。(アー水増し)6キロかな。
それでも色んな事を考えながら歩いていました。雪道で足腰を痛めないで下さいね。

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雪国の雪は雪かきが大変だけれど豪雪地の雪下ろしはこれからどうするのだろう?

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与謝蕪村の句碑が何で毛馬の閘門に在るのか分からなかったが、その時は生誕の句碑がこじつけの様に思えてならなかった。そうではなかった事を司馬遼太郎氏に教えられる。改めて西に沈む夕日の残照を見ていると故郷の景色を思い起す俳人の思いが伝わって来る。蕪村はこの風景を何処の空で見たのだろうか?

「菜の花や月は東に日は西に」
堤の上に立てば月は東の生駒山系に昇り日は西のかたはるか一ノ谷の雲間に沈む。両岸の野は菜の花の黄があるのみ。これは遼太郎氏の解説である。今はそんな景色も見る事は出来ない。それでも満開の菜の花の時はそう遠くは無いのだろう。

今日はこれから近くの河川敷を歩いて伊丹空港の飛行機を見に行きます。
あれはどれ位前の事だったのだろう?派遣会社の人員管理の仕事をしながらまじかに見上げた滑走路近くの公園。少し遠いけれど足腰の鍛錬の成果が出てるかな。

お弁当を買って血圧の薬を忘れずにイソジンでウガイをしていざ出陣です。(それ程でもない。)しかし自転車で行かないと帰りが心配。大丈夫。川の向こうはJRの伊丹駅です。ホンマかいな。では出掛けて来ます。

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2012年1月30日 (月)

大阪中之島の変遷 久し振りの風景は感動でした。そして情けない生き方を噛みしめていました。

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大阪駅北ヤードのビル外壁が着々と取り付けられている。来春春の完成。

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堂島地下センターは途中迄しか来ていないのでここ迄来る事は無かった。
ここで鯖寿司が買える。何故か嬉しくなる。今日はお腹が一杯で買わなかったが楽しみが又増える。

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北陸小浜に上がった新鮮な魚は塩でしめられ女性の手でここ迄運ばれたと言う。この先は滋賀県。ここから男性の手で京都迄運ばれたと言われている。小浜と京都の距離は80キロ。その距離を夫婦の力で次の朝には京都に届けている。大八車のお陰だけではない。

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ここの長崎チャンポンも侮れない。ジュンク堂(本屋)に来る楽しみが増えました。

Img_2631 ここが渡辺橋の出口。懐かしい街並との再開です。カフェの看板が見えるけれどここでお茶する事は無いかも知れない。






Img_2632_2 ここはうどんの杵屋さん。
と言われても分からないかも知れないが、大阪ではうどんの名店です。

1人で食うのは勿体無いかも。
デ−トのお奨めに出来るかな?(アホ)



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中之島の地形の変遷が良く分かる。注目出来るのは室町時代(1417)の川の広さ
江戸前期の大川の広さ。明治の後期でもまだ広いがこの時淀川の改修が進み、流れが変わっている。そしてその頃の中之島の形が今に残っている事が分かる。

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フェスティバルホールの改築が進んでいる。道路標識の先。丸い建物。その上の建物は商業と宿泊施設。来春完成。満室になるのだろうか?

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中之島を歩いてみると堤防がかさ上げされて立派な遊歩道が整備されている。しかし残念な事に手入れは行き届いていない。その原因は管理者が明確にされていない。市役所や歩道管理者でなく生活保護受給者、高齢者、ボランティアの有効活用が問われている。

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半世紀ぶりに図書館に入りました。18の春大阪に来てお袋からの手紙を始めて受け取って何故かこの図書館で読みました。あれから多くの歳月が流れてもこの景色は何も変わっていませんでした。あの時感じた感激の想いをもう一度思い出して生きて行かなければなりません。

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文字が読み取り難いが中央公会堂。明治の代表的な建物。若い頃、ベトナム戦争反対の集会に参加して違和感を感じた事がある。しかし、あの戦争で私達は何を学び何を反省したのだろうか?今、日本はテロとの戦いをしているアメリカを支援していると言われているが、この国に取って国の安全を語るならアメリカの対等な外交が求められて当然だろう。

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50年後の「人口3分の2」が論じられている。
何でこんな馬鹿な事をまともに論議されているのだろう?
50年後の事ではなく3月先の事を語れ。長くても3年先の事を語れ。

尤もらしい事を尤もらしく語る前に親父が今番愕然と思う事は「東北被災地のガレキの受け入れ拒否」。神奈川の若い青年男女が尤もらしく言われる言葉。「行政は信用出来ない。」何とひどい言葉だろう。自分達に取って都合の悪い事、少しでも嫌な事は行政の所為にして反対すれば誰が一番困ると思っているのだろう?

テレビの画面ではその説明集会で「納得出来ない」と声高に叫んでいるが、それでは被災地のガレキの受け入れはどうするのか?放射能被害で苦しんでいる人達の負担軽減を自分達は関係ないと突き放すだけなのだろうか?それでは自分達が困った時、誰に助けて貰うつもりなのだろう?

子供達の為にと言う前にもっと行政を信頼しないと生きて行けない時代になっている事を、全く考えていないのか?こんな放送を見ると本当にやり切れなくなる。親父も経験が在るが、自分達の事しか考えられない若い夫婦に安息の日々は無い。

余計なお世話と思わずに被災地のガレキの受け入れは各地の行政の責任で行わなければならない。大阪都構想。結構毛だらけ猫灰だらけと寅さんに言われている。橋本のおっさん。耳触りのいい事ばかりでなく嫌な事もなんでやらないの?そうでないと大阪都構想なんてチャンチャラおかしい。

親父達は間違いなく余命20年。それ以下でもそれ以上はない。その為にこれからどう生きるかが問われている。そんな思いで久し振りに大阪中之島を歩いて来ました。今、読んでいる司馬遼太郎氏の「歴史のなかの邂逅」は2冊目になりました。

暫くは家康の話しになります。親父の知らなかった家康の生き方は本当に歴史感が替わります。いつも言いますが今、多くの人が多くの言葉を語りますが歴史上の人物は多くの行き様を私達に教えています。その事をもっと知れば間違いなくこれ迄の生き方と見方が変わると思います。

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財政再建 大阪再生 でもその前に

テレビの国会中継 その映像を見ているとこの国の政治が本当に良く分かる。
親父のボヤキで散々書いて来ましたがこれは完全に儀式と言うより、この国の本当に間抜けな実態です。この国会論議がどれだけ意味が在るのか?政治家イイエ政治屋さんでないと分からない。

野田総理が言う「与野党合議」の意味とその実現過程が良く分からない。話し合いと言う事はお互いの主張を尊重して問題の先送りなのだろうか?財政再建の為にお互いの主義主張をどう整理をして合意を目指すと言うのだろう?それも暫くすれば明確になる。その時、その責任を問題の大きさが明確になった時、どう弁解するのだろう。

それよりも打開策を用意しているのだろうか?その戦略が用意されているとは到底思えない。そんな中で元気が良いのは少数野党と地域政党。大阪維新の会は既成政党が協力しなければと散々圧力を掛けているが、大阪で全員当選したとしても全国的な広がりにはならない事が認識されていない。

世の中を変える事は既成政党が変わらなければ無理だと言う事も理解していないのかも知れない。明治維新の坂本龍馬の話も出て来るが、坂本龍馬暗殺の張本人は歴史上明らかにされていない。誰が考えても分かる事だがアメリカのケネディー大統領暗殺の容疑者と同様明らかではない。

(容疑者は逮捕されているが留置場を移動中に暗殺され事件はうやむやになっている)(坂本龍馬も全く同じ。違う事は容疑者が殺されなかっただけ)アメリカも日本もその程度の国です。

綺麗事をどんなに口にしても世の中を変える事は容易な事ではない。今、國の形を本当に変える事が出来る人は政治に全く関心がない無党派の人達です。でもその人達が意思を表明したとしても戦前の軍隊同様、官僚支配の政治を叩き破る事は容易ではない。

多くの事を尤もらしく語るのはそう長くは続かない。その前にやる事。それは何としても生き生きと生きる事だろう。高齢化社会とか財政破綻とか社会保証費とか老人介護とかお金の掛かる事しか言われないが、本当の問題はそんな事ではない。

今、この国の年寄りがどれだけ元気でどれだけ無策な健康管理が行われているか、どれだけ間違った医療と医療費が使われているか、多くの人は知らない。テレビが見向きもされなくなればテレビの前で真剣に暇つぶしをするのは、皮肉な事にお年寄りとオバカなオネエとオニイ、オバはんとおっさんだとしたら政治屋さんの思うつぼに違いない。

今、BS放送でフランスのサルコジ大統領がフランスの付加価値税(日本では消費税)を今年の10月には上げると言っている。その理由は企業の経済活動の促進?税負担の軽減?国際競争力の強化?日本では社会保障費の増加と財政破綻の為とか言われているが結局何処の国でもその程度にしか考えていないのだとすると、問題は深刻です。

これから梅田に出て大阪の中の島の活力を見て来ます。大阪の再生は今、間違いなく進行し構想マンションが建ち並び、オフィスビルが増築されていますが大阪の生き残りの為に何が出来るのでしょう?それは言う迄もなく金儲け?そんなに美味しい話しが転がっているのではなく、それだけ都市の開発が出来るお金が転がっているのでしょう?

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2012年1月29日 (日)

今年は寒いけれど雪国の事を考えると考えが変わる。

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今夜のスタミナ料理?親父にとっては好物ばかり。(信じられない)
ではもう一枚。

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同じ様に見えるが同じではない。ゲー2皿目?そうではない。少しかじっている。
でもその後に豆腐の潰した部分をお替わりしました。(アカン。食い過ぎ。)
又、明日からしっかり歩きます。喉のイガイガはそんな訳で大丈夫です。

少し難しい話をすれば(ちっとも難しく無いけれど)これからの時代は間違いなく(これも違うけれど)格差社会。高齢化社会。(これは本当だけれど本当の厳しさは知られていない)。その事を実感出来れば生き方は変わる。

笑う角には福来ると言って笑いの練習をする人が居るが、そんな事は全く無用。泣きっ面に蜂。情けない事、惨めな事、悲しい事、許せない事、嫌な事は重なる。その事が分からないから同じ事を繰り返しながらド壷にハマっている。

少しだけ見方を変える。考え方を変える。例えば国の財政破綻。(マタマタ大風呂敷)。消費税を5%〜10%上げたとしても(上げれないが)赤字国債の発行は今と左程変わらない。そんな事は財務官僚は先刻承知。当然やらなければいけない事は財政支出の大幅削減。

その事が出来ないのは政治家の責任と言うけれど、そこが間違っている。要らないと言われる公共工事を誰が求めているか?その地域の人だろう。オバカなマスコミも広告収入はスポンサー。そのお馬鹿な番組を見ている人も同じ人。その事が分かれば現実の生き方と考え方が違うに違いない。(変わらない?)そうかも知れない。

親父さん、それでも明日はBS放送再放送のあれですよね。あれ。あれは録画して何度も見ているが寅さんの放送と同じかも。?なんだかんだ言ってみた処でそんなもんです。これから人の生き方が人の為に何が出来るか問われる事をお偉方は理解しているのだろうか?そんな事はどうでも良い。大事な事はどれだけ健康で歩けるかです。

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流石の親父も喉がイガイガ。空気が乾燥しているだけでは無い?

今年は北国に行かなければならない。九州大分の県南部は親父が育った頃は本当に寒かった。鼻水を垂らしながら小学校に通学する下級生が寒さに耐え切れず泣いていた。今はその小学校も統合され歩いて通う事も無いのだろう。跡地は「養老院」今はそんな言い方はしないけど高齢者の生き方は、歩けなくなった時余命との戦いが始まる。それを分った事も昨年の四国遍路道のお陰に違いない。

今、空海の教えを正確に伝えられる人は多くは無い。親父も「司馬遼太郎」の「空海の風景」を読む迄は何も分かっていなかった。四国遍路道を巡ってみても同じだった。その事に気付いた時に感じた事は「歩く事」だった。

人が歩く事。それはどれだけ大変な事かを自分が歩いて見ると良く分かる。それだけなら当たり前だとしても、反対に歩く事が苦にならない人でも何の為に歩いているのかも分かっていない。「同行2人」弘法大師の辿った道を何の為に歩くのか?
それは自分の可能性への挑戦。人は何の為に生きるのか?その答えをやっと見つけられた気がする。

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しめ飾りを掛けられた老木を見る度に無言のときの流れを感じる。どんなに多くの言葉を尤もらしく重ねても人の信頼をかち取る事は出来ない。その事がこれから証明される。日常を無事にこなすには飽くなき探求と言われても、その本当の意味を理解しているのだろうか?そんな事を考えていました。

昨日は調子に乗って喋り過ぎて喉がイガイガ。うがい薬を買って直します。
今日は大阪女子マラソンを見ながらおとなしくしています。これからおにぎりを買って来ます。

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2012年1月28日 (土)

大阪の大阪らしい所 久し振りに歩いて来ました

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摂津の国一宮 海上交通の無事長久を祈念されているが、今日は多くの願いが祈願されている。
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この太鼓橋を見なが三笠饅頭を食うのが親父のお詣りです。若くして亡くなった「さっちゃん」先生はマダーテレサを師と仰ぎ大阪の貧困地帯西成で献身的な医療活動をしていて命を落とす。警察の発表では自殺。何故そんな死に方をしなければならなかったのか多くの謎が解かれていない。その事を考えながらここで今年も三笠を喰らう。「安らかにお眠り下さい。あなたの献身的活動を忘れる事はありません。」

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中央の鳩が見えますか?優しい人の気持ちは永遠です。人の過ちは人には裁けない事を忘れてはならないと、言われています。鳩は勿論一羽です。親父に何かを語り掛けていました。何も語らなくてもあなたが残した痕跡は後世に受け継がれるに違いありません。仮に忘れ去られたとしても親父の記憶の中には永遠です。

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「親父さん。又来て下さい。」そう言われていた。

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阪堺電車 今、この存亡が問われているがこの路線は地域住民の足としても、活用されている。その事を考えると複雑な思いがするが、事業者の乗客の取り組みはこれからも中途半端は許されない。

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しかし、この貸し切りの意味は分からない。この混雑を事業者はどう考えているのだろう?貸し切りにしなければこの混雑は半減される。この車両が定期運行出来ないのなら、多くの乗客に迷惑を掛けている事を忘れてはならない。分からんかな?

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天王寺駅。南の工事中の建物は完成すれば西日本一の建物になる?日本一は横浜のランドマークタワー。あれは高かったなー。(今でも高いよ)余計なお世話だけれど商業ビルの高さはリスクが大き過ぎなく無いだろうか?高さを求められる建物の一番のメリットはこれから無い気がするけれど?防災。防火。防が満たされるのだろうか?

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天王寺から通天閣に向かって歩いています。

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新世界の華やかなお店の看板。通天閣は30分の待ち時間。パス。食事をして散策。

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振り向くと見下ろされていた。

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通天閣下の有名な串カツ屋さん。結構お店の注意は厳しい。それが良いとも言われている。親父は体験していないのでコメント出来ない。

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段々遠くなる。オイオイ、今回も上がらないのか? 又、来ます。待つのは駄目。

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大阪を代表するお店。ここは新世界商店街の入り口(出口)です。

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戎神社。2礼2拍手1礼。きっちりお参りして来ました。今年は吉兆間違い無し。
神殿の神様が動いていると驚いて見直すと神主さんが研修中?でした。

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南海電鉄恵比寿駅。難波駅終点1つ前の駅。トイレに行きたくなる。パソコンを見に来たヤマダ電器のデカイお店が近い。

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大阪難波のターミナルホテル。稼働率はどうなのだろう?関空に来た小金持の宿泊が期待されている。赤字のニュースは殆ど聞かない。地の利を生かしているのだろうか?

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法善寺横町 水掛け不動です。 でもこの時期たゆまなく掛けられる水は寒そう。

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それでは皆さん今年もお元気で。良縁祈願。合縁奇縁。しっかりお頼み。

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大阪名物数あれ度 一番のおすすめはこのお店。でもこのお店には足を踏み入れていない。何時の日かくたばる前に、親父が若い頃大阪曽根崎のお店で食ったあの味を噛みしめなければいけない。そんな日が来るのだろうか?それはあなたの生き方次第かも。

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2012年1月27日 (金)

里山にも人影は無い 国会中継も寒々として見向きもされない

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山ニッケの木。小さい時(と言っても小学校高学年)この木の根っこを掘り起こし細い根をかじった記憶が甦る。ニッケの味を知らない人も多くなった。
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散策道は整備されているから道に迷う事は無いが、一歩道を踏み外すと様子は一変する。親父が若い頃近江舞子のスキー場でコースから外れてうろついた時の事を思い出す。スキー板を外して片足で雪上を踏んだ時、一気に体が埋まる。

あの時、片足はスキー板を履いていたから埋まらなかったが、そうでなければどうなっていたかは分からない。今ではスキーブームも一段落しているが雪山の楽しさもルールを守らないとその保証は無い。

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オナラでない。コナラの木が指し示している先は何処だろう?
親父達の時代は終わったと言われるがそれは間違い。いくら現役世代が頑張っても、これからのリタイヤ−世代(高齢化社会)を支える事は出来ない。

政治家、高級官僚の一番の間違いはその事を明確に出来ない。東大法学部でいくら頭が良かったとしても、この国の社会構造の変化を読み取る事は出来ないのだろう。そうではない?組織の中でリーダー達が己を犠牲にして迄の精錬潔白が無い事を知れ。

天下り。私欲。不正。この国のリーダー達がどれほど汚いかを親父は知らない。マスコミのオバカはどんな顔をして「政治とお金」の事を口に出来るのだろう?この国がそんなに清廉潔白で政治が行えるとしたらどうして、これ程に薄汚れた現実が多いのだろう?親父は全国紙も地方紙もお間抜けな国営放送も民放も見ない。

「嘘をつけ」バレましたか。お気に入りの番組は録画して何度も何度も見直しています。「結婚出来ない男」?殆どがBS放送だけれど。ケーブルTVです。その料金は払っているけれどその会社は国営放送にその一部を払っている?いないだろう。

国会は立法府と言われて久しいが、この間抜けな総理大臣は官僚が作った原稿を読むしか出来ないのか?官僚の作文を読んでいるだけで何がどう変わるのか?さっぱり分からない。国会論議とはこんな物だと思われて久しい。チャンネルを切る。

TVが果たして来た役目が終わる。奇怪中継(失礼国会中継)こんな物を誰が見聞きしていると思っているのだろう。自分の言葉で喋れ。それが出来ないのなら総理の資格は無い。棒読みしている言葉の意味が官僚の作文。そんな言葉を聞きたい人が誰もいない。時間の無駄。審議時間の無駄。答弁が意味が無い。これこそ税金の無駄です。

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近くの商店街入り口の食堂。お寿司だけでなく何でも出来ます。それでもお店の前を通るだけ。中に入ったのは大阪に戻って来た時だけ。これから1人で生きて行く思いが一杯で悲しい思いをしていた。あの頃のけなげさは今は無い。

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この商店街も段々息の根を止められている。しかし、商いの要点は一限さんやおまへんえ。いかにして常連さんを引き止められるか、又来てもらえるか、ひいきにしてもらえるかに限る。その事も難しくなって店終いのお店も少なく無い。

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落語で街興し(おこし)それにしては芸人の名前が売れていない。わんさか(大勢)お客を引っ張り込むには金かけなはれ。枝雀さんのでDVDの方が面白いかも。客寄せの知恵が感じられない。この看板位のテレビを置いて宣伝しなはれ。

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道はお金をかければ整備される。人の賑わいはそうはいかない。

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狭い道(路地)に介護の車が入っている。この土塀はお寺さん。夕日が輝いていた。

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大通りに出て夕日を見上げながら久しぶりの川沿いの道を歩く。考えて見るとこの川辺の近くを歩いたのは本当に久し振り。理由は汚いから。人の世を写している様な川は見たく無い。その川沿いの道を歩いていると立派な河川敷に出る。

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この看板を見て驚く。こんな処に芝居小屋が在ったのだろうか。これ程に川の近くで大水に見舞われる事も無かったのだろうか?先人の知恵でその心配も無かったのだろう?そう出なければ昭和の44年迄この地でこれだけの構えを成す事は出来なかっただろう。今この貴重な文化財は愛知の明治村に移築されている。明治村に今でもあるのだろうか?

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昨日は山の上から。今日は川に掛かる阪神高速の向こうに夕日を見る事が出来ました。ラストの写真は木が川の中に在り今にも枯れそうです。この汚い川の中でこれだけの大きさになるには何度も濁流に揉まれた事でしょう。

その事を考えるとこの木の偉大さに感激です。親父の様にそのしなやかな生命力に陰りが出ても、朽ち果てる迄の時間はもう暫くかも知れません。その時迄頑張れ。春の芽吹きの時、又、来ます。この国の困難に立ち向かう姿は多様です。

悲観的になり過ぎてもその反対でも正確ではないでしょう。ましてや「絆」とか助け合う心とか言う前に現実の厳しさを現認する事も大事な事でしょう。スイスのダボス会議で誰が何と言ったかも大事ですが、今、その現実を知る事がもっと大切です。

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2012年1月26日 (木)

寒中お見舞い申し上げます。大阪は寒いと言ってもレベルが違う。

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流石の親父も鼻水を垂らしながら歩いてはいません。昨日同様近くを歩いて誤摩化しています。と言うのは嘘で「寒中読書」です。司馬遼太郎氏のエッセー目から鱗(うろこ)です。知らない事が多過ぎる。知らない言葉が多過ぎる。読めない漢字に仮名をふってくれているのは本当に嬉しい。これは枝垂れ梅です。もうすぐほころんで来ます。寒い寒いと言っても敦賀の土方仕事を思うと比べ物にならない。

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五月山少年の家 研修センターに向かう階段。

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この道迄歩いて来ると寒さは無い。冬枯れの景色を見ていると心が洗われて来る。
本当は心が寒々として震えるのだろうが、風がないので寒さも気にならない。
「空元気」?いえいえ。そうでない事を春を思わせる温室の花がそう語りかけて呉れました。

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苦しい事も悲しい事もみんな忘れて歌っている。温室を出ると世間の風は冷たいけれど、下を向かずに心を開いて前を向いて歩きなさいと語りかけている。世の中は本当に最低の政治家と企業家も少なく無いが、それが当たり前と考えれば自分の進むべき道は見えてくる。人が変わる事を期待せずに自分が変われ。そう言われている。

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肩を落として相手が変わる事を求めるな。肩を落としていくら多くの言葉を重ねても相手は弁解するだけでなく、自分の所為にされる事を何としても認めない。その事もこの花は教えている。木枯らし小僧の寒太郎。今年は何時迄威張るのかな?

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「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじ無しとて春な忘れそ」菅原道真
東風が吹くには暫くは寒い日が続くが、後一月もすれば少しは暖かくなる。
辛い事も少なく無いが何より求められている事は辛抱ではない。明るく希望を持って生きる事。その為には相手が変わる事を求めるのではなく自分が変わるしかない。

政治家の国会論議を聞いていて一番情けないと思う事は自己の正当化です。大阪は既成政党に地域政党が「ノ−」を突きつけているけれど、いくら橋本大阪市長が声高に改革を叫んでも大阪だけでは何とも出来ない事を何時、思い知るのだろう?

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久し振りに展望台に立つ。大阪平野が見える。正面遠くに梅田のビル群が見える。
この画像では鮮明でないが澄み切った空気はこの時期期待出来ない。木枯らしの吹き出しが弱くなりビジネス街、住宅地上空の空気が汚れている。環境が改善されたと実感出来る事は少なく無いけれど、この事はこれからの都市に問われている。
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近くにこれだけの景色が見れる所が少なく無い。これは大阪だけの話ではない。
日本全国、何処でも見れる景色が以外に紹介されないのは誰の責任でもない。素晴らしい景色を眼にする為には、それなりの努力が必要だと言う当たり前の事が、これから証明されるのだろう。その事を最近痛感する。

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寒さの中で暑さを忘れるな。

原子力発電の安全が確保されている?
ストレステストが確実に実施されている? 冗談を言っては困る。
原子力発電をどうしても再開すると言うのなら、その前に福島の避難している人の補償をして下さい。それも出来なくて他人事の様に「安全性が確保されている」などの言葉は許される事は無い。電力不足?その言葉を口にされても犠牲者の生活保障も出来なくては説得力は何も無い。

福島の原発事故の時、言われた言葉「想定外」。そして何よりも許せないのは国の原子力安全神話のインチキ。その責任はどんなに言葉を尽くしても償われる事はない。電力不足で私達の生活が今迄と同じ贅沢が出来なくても、協力している現実を当たり前の様に考えている電力会社の間抜けさが許される事は無い。

それでは値上げをします。この会社は電力の安定供給と社会的使命をその程度にしか考えていないのだろう?こんな会社にこれからの生活と産業のエネルギーを任せる訳にはイカンだろう?

原子力発電に頼らない世界が無理だと言われるなら、東京湾の埋め立て地に発電所を作りなはれ。環境の大切さを口にしながら「原子力発電の放射能廃棄物の処分地」が東北の過疎地で積み上げられている事は、今日の豊かさのツケを過疎地と子や孫の世代に付け回している事とどう違うのか?馬鹿野郎。

その東京電力に1兆円の税金の投入。それでもこの間抜けな会社は「国の経営介入」は避けたいとか?何処迄なめているのだろう?(親父、言葉が汚い。)しかし、福島に行って見なはれ。先祖代々の土地に住めなくなり、これから先もどれだけ不自由な生活をしなければならない人達に、責任者は補償がどれだけ出来たのだろう?

責任者は居ない? 何と間抜けな原子力発電事業だろう?被害を受けた人達に東電の出来る限りの生活保障。原子力発電の再開はそれからだろう。親父個人の意見はそれは無理。その認識が多くの人に欠けるのは電気の力がそれ程に大きいのだろう?

しかし間違いない。これから私達の生活はこれ迄の延長線上では生きられない。
その事は今、論議されている「税と社会保障」の問題でも同じだろう。社会保障の充実を税で行う合意は誰が与えたのだろう?この国が福祉国家となり消費税30%てか? 

馬鹿も休み休みに言いたまえ。この国の政治家と官僚の頭はどうなっているのだろう?マニュフェストとなる言葉もいい加減だが、選挙で尤もらしく口にしてそれであなた達は国会議員になったのではないのか?今、論議されている様な政策の実行は経済界は歓迎しているかの報道もおかしい。消費税を上げる前に無駄な財政支出は止めなさい。そんな物は無い? ああ、この国は革命しか無いのだろうか?

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2012年1月25日 (水)

風誘う、花よりも尚、我は又 春の名残を いかにとうせん 浅野内匠頭

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寒いけれど風邪を引かずに生きています。これから1月は1年で一番寒い時。
それでも積雪の凄さを知らない日々にどれだけ感謝しているのだろう?
この寒さに不似合いな花が顔をしかめながら眺めている。お主、修行が足らん。

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それでも寒い日がどんなに続いても暖かい春は息を潜めている。
「ふふ」と笑いながら肩をすくめて小走りに道を急ぐ人を眺めている。
流石の大阪も風は冷たい。首元にマフラーを巻かなくなって久しいがこの親父、寒さも暑さも余り気にならない。今日も鼻水を垂らしながら歩いて来ました。近くだけれど。

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久々の城址公園の日の入りの幻影。仕事をしていた頃、休みの日でもこれだけの感激を持って夕日を見る事はなかった。夕日、日の入りは美しい。しかしその廻りの景色を見つける心はなかなか出来ない。青年よ大志を抱け。親父はお金を抱け。(コラコラ)生き残る事は口先で何とか出来ると思っているのだろう?

春闘がスタートとか言われて経済連と連合の話し合いが始まったと尤もらしい報道をされている。これ迄もこれからも同じ事が繰り返されるのか?間違いなく言える事はこれからは政治家が何と言おうと非正規労働者に生活の改善はない。

それで景気は良くなるのか?消費税増税など出来る訳がない。それでも政治家は出来ると思っているのだろう?自民党や野党は反対?しかし、彼等は政権与党の時、増税を押し進めている。共産党なら出来る?この国は共産国家ではない。ではどうすれば良いのか?その事もいずれ分かる。その事をこの夕日は教えている。

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桜が咲いている?そう桜です。しかし八重ではない。10月桜。寒い寒いと小さくならないで上を向いて眺めていると景色は変わる。この世の中は本当に弱い物に優しく無い。本当に負けない気持ちは生き方を変えなければならない。生きる事は人に何かを求めても何も変わる事は無い。その事をこの桜は教えている。

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お金持ちになれば札束でなびかせる事が出来る。親父が期待した民主党の政治家達はそう思っているのだろう?政治家としての資質に欠けると無い物ねだりをしないで司馬遼太郎氏の「歴史のなかの邂逅」歴史上の人物の魅力を見つけて下さい。

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冬枯れの閉園間際の池は夕暮れの時とは思えない。池の鯉も流石にひっそりと池底を泳いでいるのだろう?今はそんな時かもしれない。生き残る事その事がどれだけ大変な事かその事も今問われている。雪景色の白い明るさはここには無いが明るさは負けていない。

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猿の惑星?違います。親父そっくりの幹が小猿を肩に乗せて何か見上げています?
親父さん、何をそんなに難しい顔をして見ているの?天罰が見える。まさか?

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やっぱし。青春の言葉を思い出す。「希望在る限り若く、失望と共に老い朽ちる」

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城跡公園を跡にして坂道を下っています。夕日が建物の間から輝いている。

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寒さ厳しき折心暖かくして生きて行きましょう。
そして賢くなりましょう。若い頃言われた「馬鹿になる事」とは反対と言われてもこれからは、自分の事だけでなく世の中の間違いを口にする。そんな生き方が問われています。今年の春は間違いなく「桜咲く」でしょう。


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大河ドラマ「平清盛」何故盛り上がらないのか? タイトルが悪い

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昨日は南河内の「司馬遼太郎」記念館に2年ぶりに行って来ました。
親父が司馬遼太郎氏の「街道を行く」を知ったのは20前。週刊朝日の連載を見てからだった。あれからもうすぐ半世紀。司馬遼太郎氏は亡くなり立派な記念館は出来たが「歴史の中の邂逅(かいこう)」を意識する人は殆どいない。

「歴史の中の邂逅」司馬遼太郎氏も難しい言葉を使っているが何の事はない。
歴史の中の偶然な出会い。私達は日々多くの出会いと別れを繰り返しているが、歴史が未来を暗示している事を実感する事も少ない。

現実の喜怒哀楽。毎日の断片的なニュースでも尤もらしく語られる多くの事が、一面的、意識的な報道であり何もその事に捕われるべきでもなんでもない事を、最近になって痛感する。「税と社会保障の一体化」?先の選挙で有権者に公約した事が何も出来なくても、約束のしない事を尤もらしく語る。その政治姿勢がどれだけ間抜けであるか、その事を言って聞かせる人も居なければその結果は歴史が証明している。

その事が分からなければ間違いなくリーダーたる資格も有権者の付託もない。
お昼のニュースを見ながらこの国は間違いなく「先行きの見えない不透明な雪景色」を進んでいる。今年の寒さはこの一週間が山だと言われているが、そうではないだろう。1年で一番寒いときは2月。暖かさが実感出来るのは関西では春の選抜からだけれど、政治と経済とそして何よりの私達の生活が来るのは何時の事だろう?

それはアンタ自身の生き方で決まる。この本を記念館の喫茶室で手に取った時、難しそうで一度本棚に戻す。「その人の生の輝きが時代の扉をおしあけた」とはどういう事だろう。司馬遼太郎氏は多くの難しい言葉でその事を解説してくれるが理解が伴わない。それでもコーヒーを口にしながらお菓子を口にしながら決断する。

「面白そう」。難しい事を理解するには諦める事なく、安易な道を辿り同じレベルを求めて馬鹿笑いをしたり、自己満足をして乳くり合うのではない事を実感しなければならない。この世の中、たが為に鐘を鳴らすのか?そんな事も考えていない輩には、読書の喜びはないのかも知れない。

司馬遼太郎記念館。今回も素晴らしい本との出会いがありました。帰りに色々長話をした人との出会いも在りました。「菜の花が咲く頃、又お出掛け下さい」遼太郎氏がそう囁いていたのかもしれません。春の楽しみが又、一つ増えました。

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2012年1月24日 (火)

この口先大臣に退陣を求めよう。

口先大臣がどんなに尤もらしい事を言っても信用されない事を分かっていない。
「消費税の増税分は国民に還元」?如何してこんな馬鹿な事を言うのだろう?
消費税を上げなければ国の財政再建が出来ないと思っているのは誰だろう?

そんな人は何処にも居ない。本当に国家財政が破綻するなら税金の使い方を考えろ?無駄と言われている財政支出を止めないで消費税を5%、10%上げた位では財政破綻は防げない事を財務当局自身が分かっているだろう?馬鹿にするのもいい加減にして下さい。

これからは待った無しです。このインチキ大臣を首にしなければならない。
この世の中、本当に卑劣な奴が少なく無い。強い物には何も出来ない。(当然の事)
弱い物には平然なつらをして己の正当性を口にする。こんな輩の言葉を聞くだけ不快になる。ホンマに自分を守るにはもっと賢くならないとアカン。

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久し振りに「暖家」の浅井君に合って来ました。仕事をしていた頃は隔週で顔を出して中西の「かれーうどん」食っていたが、そのお店も店長が変わり本家本物はここだけになる。確定申告の源泉徴収書の手続きで久し振りに顔を出す。味は完食。元気でガンバレ。おい。この国の零細企業は懸命に頑張っている。分かっているのか?

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この道路行政。災害は他人事でない。耐震設計は「想定外」?地震が来たらひとたまりもない?

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大阪は水の都。その多くの川も今は無用の長物?この長堀川も埋め立てられて地下は立派な駐車場と商店街となっているがその運営会社が大阪市の外郭団体。民間に払い下げられても利益も出ない役立たず?有効利用は難しい。
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公園部分が昔の川。今は地下がどれだけ有効に使われているのだろう?

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白髪橋 名前は昔のままだが白髪の先は何になるのだろう?

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通りは本当に綺麗になりました。街はどれだけ活性化されたのだろう?

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正面の建物は難波の高級ホテル。ここもお正月。泊まりました。

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心斎橋 老舗百貨店 生き残り策は功を奏しているのだろうか?
最近、ニュースにもならない。親父が若い頃買ったスマートなスーツは今でも売られている。「アランドロンのトロージャン」知らん?宣伝しときます。

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難波から電車に乗って本日の目的地。近鉄河内小阪駅。急行は停車しない。

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目的地はこの商店街を抜けて公園の左手を進むと道なりにある。前来たのは2年前。
その時の記憶を辿りながら進むと道を間違えてウロウロする。原因は公園迄進まず少し手前で左折した為。略図をカメラに収める。
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公園は右。この看板の所迄来ると道に迷う事はない。Img_2403

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司馬遼太郎書斎 

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この先は撮影禁止

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コーヒーを飲みながらぱちり。奥の書棚は販売用。館内の本棚は壁一杯に積み上げられている。
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目的の記念館の北にこの地蔵尊がある。四国遍路道19番札所とどんな関わりがあるのかは分からず。四国19番札所は田んぼの外れ。平坦地に在った。

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現代は一見平和に見えるけれど実際はそうではない。その事を忘れてはいけない。

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今年は春から縁起がいいかも? アホか。

何時もは難しい事を(難しくは無いと思うけど)ぼやいているので、今日は面白い話を?(興味ない?)ではこの先は読まないで下さい。馬鹿にされるから。

地上波。つまらない放送が多くて音声を消して映像をちらりと見る。最近、そんな生活をしている親父が久々にニンマリしてBSの再放送「結婚しない(出来ない?)男」

これで月曜日PM11,00の楽しみ?が出来ました。親父は結構アホです。
だからどんなにぼやいてもけろりとお間抜けな生き方が出来るのでしょう。

しかし、オマヌケ言えばEUのイラン原油の輸入禁止制限もそうだろう。
自分達の核開発は許せてイランは駄目とどんな顔をして言えるのだろう?
アメリカもテロとの戦いと言いながら無差別攻撃。

沖縄の基地が日米安保の要?その為には沖縄の人達にその負担を押しつけ?
明日から国会論議が始まるが少しは耳を傾けて見なはれ?本当にこの国の政治家は人の事を批判出来るのか?金権政治を口にしながら誰の為の政治を目指しているのだろう? その事が問われているけどその事を実感する人は殆ど居ない。

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2012年1月23日 (月)

安井の天神さん (恋しくば尋ね来てみよ南なる天神山の森の中まで)

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きつねうどん320円。病み付きになりました。立ち食い店内は狭い。

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ダシ汁も残さず頂ける。しかし、最近は残している。何でだろう?少しお腹一杯になる。おにぎりを2個欠かさず持っているからだろうか?

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中之島の水上バス乗り場のオブジェ。制作者の意図は分からないが大阪地下鉄淀屋橋駅の薄暗い無機質な壁の近くで待っていた人の事を思い出す。淀川を遡る堤防歩きの時、この駅を何度も利用したので記憶がタイムスリップしたのだろう。

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中之島中央公会堂。今日は大阪南河内にある「司馬遼太郎」記念館を久し振りに訪問する予定でした。念の為に休館日を確認すると月曜日。ガーン。アカン。予定変更。何処にするか?足の向く侭。気の向く侭。桂枝雀さんの落語のネタ。大阪南の天神さんを目差す。

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ところが休み明け?体調も良くない。気合いとは裏腹に歩き始めて間もなく一服。
親父はタバコが手放せなかったが今は完全に禁煙。首筋がこった時、タバコが恋しくなるがニコチン中毒の悲劇を考えると、それだけで決意が覆る事はない。偉い。

コーヒーは濃く不味い。親父はコーヒー党だが濃いのは駄目。残す事はなかったがレジでクッキーを手にする。3個入り。1つ60円。シナモン、レーズン、クッキー。製造者 大阪中央区、丸福商店。又、お気に入りのお店を見つけました。

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大阪市内も見上げるターワーズマンションが多くなっている。見上げると首が痛い。
しかし、停電したら階段を使えるのだろうか?それは無理だよね。親父にはとても真似は出来ないだろう?大阪は変わっている。変わら無いのは政治家と経済界、労働団体かも知れない。いいえ、親父自身です。(それは言い得て妙かも)

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横堀川が綺麗になっていた。水質はまだまだだろうが悪臭はしていない。この川がもっと綺麗になるにはどうすればいいのか?その事が問われている。大阪都構想ばかりでない水の都大阪。その事が問われている事もわすれてはいけない。

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正面の建築中の高層ビルは大阪天王寺近鉄百貨店タワーズビル。西日本一の高層建築物となる。完成は来年?大阪都構想と言うには大阪市の小ささ、狭さ、行政の一極集中が変わらなければならない。その事が本当に出来なければ大阪は所詮大阪です。

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一心寺と安井の天神さん。枝雀さんの「天神山」の落語を聞きながら鳥居をくぐる。

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大阪夏の陣 豊臣方の武将も武運つたなく戦死。強者どもの夢の跡です。

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この地下も電車が走る。地下鉄谷町線。大阪の街は歩く度に新しい発見がある。
数年前に泊まったシェラトンが近い。あの時は良く分からなかったが今こうして元気に歩けるのは、ボケていないからに違いない。これからの最大の勝者は元気に歩ける事。その事が実感出来なければこれから始まる感動の時を体感出来ないだろう。

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2012年1月22日 (日)

冬来たりなば春遠からず?今週は寒さの底?

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淀川改修工事と三十石舟の乗船場。昔の面影は無かったけれどこのデカイ目の中に治める事が出来ました。明日から東海道53次は無理だけれど、初心を返り見る為に南河内の「司馬遼太郎記念館」からスタートです。親父の能書きは結構司馬さんの受け売りです。その事はこれから良く分かる事でしょう。

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2012年1月21日 (土)

久々に今夜のオカズ。イイエ食事です。侘しいなあ?ちっとも。

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いつもスーパーで手を出していたのは昨年迄。今年はなかなか手を出せなかった。
右の大玉は何と500円。昨日総代店の女将に貰って食った時、心を掴まれる。
今日は雨も降っていたので出歩かず、部屋で休足していたので一大決心。(それ程でも無いだろう)。いいえありました。夜7時過ぎ、店じまいをしていた近くの八百屋の兄ちゃんにオマケで合わせて990円。本当は市田の柿は半分は明日のつもりが完食。胸焼けがする。(オイオイ)ミカンは明日に残さなければならない。残すかな?

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これも久し振り。久し振りにスーパーのお寿司にするつもりが冷凍うどんと白和え。
何たる組み合わせ?これは親父の好物です。保証付き。

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菜の花のおひたし。これも絶品。カボチャはサービスしてくれました。
写していませんがカキフライ。これが冷たいので冷凍うどんに入れる。
お試しあれ。いけまっせ。(気持ち悪い)イエイエカキ鍋味の冷凍うどんも乙な物?
そう言われても分からないかも?お試しあれ。

今夜のおかずでした。

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消費税増税に経済界が賛成する理由?

消費税増税案、財政破綻、税と社会保障の一体化?
最近、親父のボケが進んだのか?さっぱりわからん。
そう思って少し勉強してみても、株の損失隠しを長年続けて財務諸表迄も誤摩化しても株式の上場廃止にならない。そればかりでなく馬鹿息子がカジノで会社の金を子会社から振り込ませても何の制裁も無し?(個人的にはそうはいかないが)

今、景気が良くない?会社の利益がでない?国の財政が破綻する?
冗談言っては行けない?その原因は税金が足りないから?そうではないだろう?
国の予算管理の破綻を納税者に押し付けて、無駄な予算の削減も出来ない政治家と官僚はどれだけ厳しい思いをしているのだろう?

誰かいうてましたなあ?政治家は昨年300万、国庫に返しましたと。そのお金も税金でしょう?今、政治家は消費税増税反対とか賛成とか言っているけれど、アンタ達は完全に国民から見放されている事を全く認識していない。

その事はこれから証明される。口先ばかりの政治家が財務省とグルになり、いくら財政が破綻すると叫んでも銀行、信用金庫、金融機関が国債を買う。これほどうまい商売は変わらない。ただで集めた様なお金を国が保証して僅かでも利子を付けてくれれば国家財政が破綻する訳が無い。国債は国内の金融機関が喜んで買っている。

この国のリーダー達もも少し賢くなりなはれ。そうでないと首です。会社なら倒産。今は会社でもそれも無いか?税金も払えなくても利益が出せなくても恥ずかしい事も何にも無いから。それでも新卒者の人気は高い。そこから変えなさい。

そんな事を考えていたら財務大臣。増税の全国行脚?ところが各地の経済界の会員企業に?この大臣、何処迄間抜けなのだろう?来週の国会論議でどれだけ本音が聞けるのだろう?とぼけた説明しか出来ない気がしてならない。景気もこれで決まりです。

株価が上昇している?ヨーロッパの金融危機が一段落する?アメリカ経済が回復する?中国の成長率が改善?良い事ばかり材料にしても悪い事に眼を瞑る事にはならない。好事魔多し。格言を忘れるな。今の株価は外国投資家に左右されているだけ。

電気代も上がり?いい加減にしなはれ。原子力発電?まだまだ出来るとでも思っているのだろう?本当にこの国に未来は期待出来るのだろうか?昨日、親父にぶっきらぼうに言っていた和尚の言葉が重い。本当にこのままではクーデターが起きてもおかしくない。そうならないのはそんな事はどうでもいいと思っているからだろう。

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行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず、流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて、久しく留まりたる試しなし。人の世もかくのごとし。鴨 長明

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今から40年前に見た風景。一緒に見た人はいない。
親父がこの景色を見れるのも長くはないだろう?
それでもしぶとい親父の事だから、あれから過ぎ去った栄枯盛衰の半分位は、生きれると思うがそれもこれからの生き方次第?イイエ、もう手遅れかも知れない。

それはそれで良しとしなければいけないが、今回の歩きで一番感じた事は歩く事の大切さ。歩ける事の偉大さ。歩く事がこれ程に軽視されていたからメタボになった事を思い知る。昔は貧しく交通機関の発達は無く、道も整備されていなかった。

それでも人は生活の為、生き延びる為、信仰の為、忠義の為、色んな理由で行き来を繰り返し歴史を重ねていた。今年の大河ドラマは「平清盛」だが親父は全く興味がない。何を今更と思うと同時にこの最低の指導者がこれ程にもてはやされる思惑が何ともやり切れない。しかし、よく考えて見るとこれが見るべき価値もない娯楽にもならない現実かもしてない。

先日、伏見の思い掛けない長建寺の和尚との出会い。これは嬉しかった。
伏見の街はこの歳になる迄、足を踏み入れていなかった事が悔やまれる。
それでもこのお寺さんで偏屈の住職と出合得た事は空海様のお導きだろう。

親父の罰当たりの生き方がこれから間違いなく変わる予感がする。
空海の生き方も壮絶だったに違いない。天才の遣唐使が持ち帰った壮大な真言密教の教えは、四国遍路道を巡る旅でも理解する事は出来なかった。(当然です。これから巡る31番札所からも行くだけでは同じです。)その知識を深めよと言われていた。

今日多くの哲学者、宗教家が多くても他を非難するだけで、百花繚乱とならないのは他を認めるおおらかさ(こせこせしない様)が無いからだろう? しかし、その事は空海にも言える。真言宗空海とと天台宗最澄の対立。空海がこの国に伝えた壮大な教えが空海没後弟子達にどんな形で伝えられたのか、和尚に教えて貰わなければならない。又、春の楽しみが増えました。高知遍路旅とどちらが先になるかな?

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2012年1月20日 (金)

淀川を遡る旅の終わりに感じた事。

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京阪電車樟葉(くずは)駅。南口は開けているが北口は昔のまんま。こちら側が淀川。堤防が見えるがこの上を主要地方道京都−守口13号線が走る。交通量は多い。
しかし、それだけ。この土地が生かされないのは行政と電鉄の所為かもしれない。

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寂しい景色が広がっていた。思い出の家が廃屋となっていた。生きている人が居なくなるとこんなに寂れるのだろうか?親父が結婚の時お世話になった主は親父と同じ様に大切な人を失ってどんな生き方をしていたのだろうか?それでも親父には悲しみも寂しさも無かった。何たる無常。何たる悲哀。しかし、考えてみればそれ故に必死な生き方をしているのかも知れない。親しく語らいの時はタイムスリップする事は無い。

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予想された事とはいえ余りに厳しい現実の前にただ、立ち竦む事も無かった。
この家で楽しい日々があった事も今は昔。人は何時かは老い朽ちる。家も例外ではない。この土地が整備されて新しくなる前に見れて心の支えが一つ消える。

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結婚前、上級職試験の事前研修でしごかれこの駅で降りた時、田舎から親と出て来ていた人は親父のビジネススーツ姿を見つける事が出来なかった。若かった初々しさが過去の話になったが、その立ち会い者は一つ、一つ消えこれで最後になるのだろう。

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伏見の港は今はその面影すら窺う事は出来ないが、最寄りの駅は「中書島」
伏見の城は秀吉が築き家康が受け継ぎ、関ヶ原戦いの直前に攻め落とされる。
しかし、西軍の勢いは天下分け目の戦いで家康の策略に石田光成の豊臣忠誠が叩き潰される。この石碑を見ると元禄時代伏見奉行が再開発している。

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今は住宅地に埋め立てられてその面影は一部にしか見る事が出来ない。

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京都伏見長建寺 弁天さんのおみくじ。 親父がおみくじを引かなくなって久しい。
何故か今日はその気になる。ところが正面に100の引き出しが在るが、どれを取れば良いのか解らない。(オイオイ、おみくじの引き方も解らない程ボケたのか?)

近くに来た住職に聞いて馬鹿にされる。そばにあった木箱を取り上げながら「全国何処でも同じ」とガチャガチャさせる。思い出しましたとニンマリするともう一度馬鹿にされる。おみくじは「吉」。望みが叶うのはもう暫く。がんばりやと言われていた。

住職は見かけに寄らず優しかった。真言宗醍醐寺派。空海様の木造をお詣りさせてもらう。本当は写真も撮れない。実物は写真以上に美男子だった。最近、ふらつきが在るので頭を垂れて無心になる。木造の前で座布団に座れた事も嬉しかった。

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お堂の中は親父だけ。空海さんフラッシュで瞬いて(まばたいて)いました。

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こんなにまじかにズームアップして睨まれていた。「お主、まだまだ考えが甘い」
こんなにまじかで拝顔出来たのは和尚さんのお陰だった。「ありがとうございます」
首筋が太り過ぎで狭くなっていますが、又、会いに来ます。愛に満ち満ちた極楽浄土の世界が実現する様お導く下さい。そうお願いしました。よろこびごと近し。喝。

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中も公開されているが遅くなると見れない。3時半閉館は早いと思うが中は見れなくても良ければ何時でも見れる。坂本龍馬が新撰組の襲撃にあった面影は全く無い平凡な薩摩の船宿でした。

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次の駅伏見桃山駅が近い。商店街にも活気がある。

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この先が鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争の跡地。この先に近鉄京都線。その先にJR奈良線。ここが交通の要衝であった事も今は昔の話です。戊辰戦争は16ヶ月続き鳥羽伏見の戦いはその中の一つの戦い。戦いは新政府軍の勝利に終わるが幕府軍の指揮系統がお粗末でなければ歴史は変わったかも知れない。武士の時代が終わっても錦の御旗は天皇だった事は、その後の歴史に汚点を残した事を今の若者は知らない。

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京阪電車で京都四条に戻る。途中で乗り込んで来たカップルの声が煩い。今、若者達の仕事探しが難しいと言われているが、ある意味当然だろう。自分の思う様にならないのは当たり前。人の事を全く気にしない無神経。そんな生き方が通じる訳が無い。

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高瀬川に夕暮れが迫り雨も落ちている。この堀が伏見迄繋がっていた時代があったその意味を今日の若者は知らない。親父達も叔母はん達もそうだった様に。今、京の街は本当に情けない姿になっている。信じられないと思うが夜の繁華街は大阪南もそうだが安心して遊べない。その闇の世界も安っぽいオチャラケの風俗店が多いだけ。いずれ廃る。関係ないけどね。京都も面白くない街です。その街が何故か人気が高い。

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伏見、桃山時代 学校では余り学んでいなかったなあ。秀吉が拓いた街。

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秀吉の大阪城築城は有名だけれど伏見城築城とその為のこの地の干拓の歴史は知られていない。京都と大阪の交通の要衝としてこの地に注目し城を築くと共に大池に堤(つつみ)を大阪と奈良の街道を整備した先見の明は現代人の多くは知らない。

親父もそうだった。伏見は歴史上重要な地位を占めているが明治10年(1877)東海道本線が神戸迄開通。翌年京都−伏見間が鉄道で結ばれると水運は衰退して行く。文明開化のテクノロジーは川から陸上に替わり三十石舟も衰退して行く。

親父はその水運がどれだけ江戸時代の人々の生活に貢献していたのか分からないが、淀川を遡る旅は多くの先人の知恵と苦難の歴史を垣間みる事が出来た。淀川は今でも関西上水道の殆どを賄っている。

淀川は琵琶湖が大きな水源だけれどそれは宇治川。この川の水量が一番豊富だけれど、天王山の山裾、山崎で3川が合流している事も知らない。淀川が何処からそう呼ばれるのか宇治川の堤防にも淀川の石碑もあった。そんな事はどうでもいいかも知れないが、関西の水道事業は大阪府と大阪市に別れその無駄を橋本大阪市長は自論にしているが、別々に事業体が存続している歴史とお役所仕事を知る人も少ない。

若い頃、可愛がってもらった上司からいわれた言葉。「もっとアホになれ」
その言葉の意味がやっと分かった気がする。この世の中、現実の社会は小賢しい考え知識、批判は必要ない。大事な事は己、我(われ)を抱かず大義に生きる。

大義とは何ぞや。これも難しい言葉だけれど「事を為すその正当性の根拠」と言われて来たが今はそんな物は何も無い。余計なことを言わず(たてつかず)我を主張せず
ただ黙々と会社の為、家庭の為に生きる。そんな馬鹿な事と思われる事が平然と行われている。しかし、その馬鹿な事に立ち向かうには個人の力は余りに弱い。

その事が分かればこれからの生き方は間違いなく変わる。その体勢の中で生きるか?その体勢を飛び出すか?人の悪口を言った時、そんなに大阪が嫌いなら大阪に住む事は無いと言われた事がある。アンタにいわれる筋合いは無いと思ってから、そのお店には一度も行って居ないが、これが現実です。

足を踏み入れなければどうって事はない。本当に自分を生かしたい。楽に生きたいと思えば出直さなければならない。その事がこの旅で良く分かりました。本当に悠久の時、歴史に学べば今の自分の存在が余りに小さい。そして繁栄の時も短い。テレビが本当につまらなくなりました。本を読みましょう。

そして疲れた時は悶々とせずに悠久の時が流れる野原、川に出掛けましょう。山や海は命がけでも川にはそれはありません。(そんな事も無かったけれど)狭い道。ゴルフボールが飛んで来る道。横断歩道の無い道もあったけど。親父、次は何処に行く?暫し休憩です? 御心配なく。親父の自分探しの旅は不滅です。

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2012年1月19日 (木)

三十石舟の時代が終わり今日の物流はトラック。高速道路は車の流れが絶える事が無い。

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関西は久し振りの雨。お湿り程度と思いきや結構その時間が長い。天気予報では関東地方明日朝の積雪を予想しているが、今日の関西の雨に寒気が降りてくれば気をつけなければいけない。今日の雨は冷たかった。

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四条大橋から下流を眺める。雨がそぼ降る鴨川。流石に歩いている人はいない。

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ここから京阪電車に乗る。ここ迄は眼を瞑っても歩ける。

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中書島 漢字はこれで正解。ひらがなはちゅしょじま?ちゅうしょうじま?どっち?
ロ−マ字はchushojima. 駅員に聞かなかったがちゅうしょうじまと思っていたが?

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色んな思い出がある駅。この電車は宇治線の電車。左手のホーム左側が京都出町柳から大阪淀屋橋の京阪本線。この駅で始めて下車。目的の伏見の港は跡形も無かった。
それでも立派な資料館は残っていた。ここに来る人は殆どいない。その訳も分かる。

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駅前に散策広場はあった。しかし、伏見みなと広場のデカイ看板が無いから右側に入らなかった。それが間違いだったが堤防は左に見えた。その先の信号で唖然とする。

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堤防に上がれない。信号で横断歩道が無い。堤防にはガードレールの切れ目がない。
この道を横切る歩道は無い。歩行者通路が無いと言う事はどういう事ですか?堤防に上がる案内図は何処にも無い。この堤防の先に宇治川がある事は無視されている。

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竹田街道外環状線。親父は信号の切れ目を見てこの車道を横断し、ガードレールを乗り越えて怒りのショットをゲット。ベストアングル。ここはT字路。交差点と違うのか? 単純細胞の親父は伏見の港そっちのけにして怒っていた。ここは進入禁止と思いきや、正面から訳の分からない親父が傘を差さずに、肩をゆらしながら歩いて来る

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これが宇治川。水量が意外に多い。しかし、三十石舟が行き交ったその面影は無い。
(流石親父さん)その原因も分かる。この上流にダムが出来水量を調整。川底を掘り下げている。それはこの川が交通の要衝としての役目を終えてから、治水対策として行われている。そうだよな。この川が果たして来た歴史をこの先の資料館で知る。

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何故か堤防の道が下に降りて左に続く。桂川でも見たが堤防を通れない所がある。

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成る程水道橋が在るから下に降りるのか。

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まだ怒っている。この交差点。歩道が無いのは横断禁止かも。しかしその案内も無い

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ここが三十石舟が出入りした伏見港跡。これだけ水面が下がっているのが良く分かる。それ以上に驚いた事はこの正面に見える辺り一面が大池だった事。平安の昔は湖の様に大きな水辺だったと解説されていた。家康が江戸を干拓したその手本は秀吉がここに城を築き大規模な治水工事を行い、伏見の港を開いている。

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赤線が秀吉の土木工事と言われている。秀吉の知恵は家康に受け継がれている。
皮肉な事にこの大干拓で巨椋(おぐら)池は汚染が進んだと言われている。今でも各地の土木干拓工事で海、川が汚されているがその歴史は古い。その大池は干拓されて農地、住宅地となっている。環境破壊。その対応が今程間抜けではない。

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三栖(みす)閘門(こうもん)昭和4年完成。宇治川の水位とこの川の水位調整の為に作られた。今回紹介した資料は右手奥の資料館の展示物からです。この船着き場はその模型。昔はこの川と宇治川の水面は繋がっていた。今はその面影を知る事は出来ない。

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帰りは堤防を直進して淀競馬場の裏を通り淀駅江から帰る事も考えたが、この公園の中を引き返し降りた駅から来たルートを戻る。立派な公園だけれど始めて来た人に親切な案内看板は無い。地元の公園だからだろうか?伏見の街の駅が中書島。伏見の繁栄は過去の遺物となっていた。

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お役所仕事とぼやく前にこれが現実です。歴史を知らないで多くを語るな。この国の歴史と先人の知恵。今、私達は多くの困難に直面している。その一番は仕事の確保。消費税の値上げではない。仕事が無くて生活保護者が増えて財政の切り詰めも出来なくて財政改革など出来る訳が無い。

独立行政法人の削減?岡田さん、アンタは本当に消費税を国民が上げてもしゃーないと思っているとでも思っているのか?
あなたが選挙に弱い原因が良く分かりました。そんな綺麗事を言っていると政治家としての立場さえ無くなる事を思い知らなければならない。幻滅です。

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悠久の時 この景色を忘れない 今の生き方も見直さなければならない

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関西は昨日迄空気が乾燥しカラカラ天気が続いていたが今日は雨模様。
昨年師走から続けて来た「歩き旅」も一段落。今日は傘を持って出掛けなければ行けないので少し考えたが、左程の雨でもない予想を信じてこれから出掛けます。

考えて見ると昨年8月お盆休みの後から仕事が無くなり、長年の想いがいきなり実現した四国遍路道。歩き遍路は無理でもママチャリなら出来るだろうと思ったのがあさはか。それでも徳島遍路旅は思い掛けない出会いもあり無事終了。

その後、2ヶ月足らずで高知30番札所迄。バスと電車を乗り継いでお気楽な遍路旅だったが、結構しんどい道も歩いた。自分が経験してみて分かる事、自分の価値観だけで何かを考える無知、大した事も出来ないくせに我が物顔に振る舞う間抜けさ。
色んな事を体験しました。

春には高知編路旅を31番札所から始めますが、四国八十八ヶ所巡りの大事な事は歩く事。そして適当に文明の利器を活用する事。歩き遍路の人に歩く事の大事さを学びましたが、彼等の間違いはその事を自慢する事。確かに長い道程を歩ける事は凄い事ですが過信はいけない。今の政治家と経済界、解説者、口が達者な人、要領のいいイエスマン、学者、医者、知識人、多くの人に欠けているのがその事でしょう。

この国、地方、会社、個人の利益は一つと今は居ない会社の創業者は、親父達に多くの事を教えて呉れました。今のサラリーマン経営者、政治家、学者、知識人にそれだけの人は少ない。何でだろう?挫折を知らない。首になっていない。

大体、税と財政再建の話を聞く度に絶望感しかない。頭の良い空海がこの国の多くの人に指し示した生き方は「お大師さん」とどんなに慕われても、その生き方は分からない。四国の道を歩いた前総理のお間抜けがその代表だろう。

人は喜怒哀楽、多くの煩悩を抱えているが人として一番大切な事。それは何だろう?その事を見失えばいくら多くの言葉を重ねても、相手は信用しない事をこの国のリーダー達は考えないのだろう?その末路は目前に迫っても「不退転の決意」とか解散総選挙、お間抜けなお題目しか唱える事が出来ないのだろう。

関西で東北被災地のゴミの受け入れが各市町村に問われている、一方、大阪府には受け入れ反対の意見が寄せられていると言う。この罰当たりな人達の意見を行政の長はどう見ているのだろう?大阪湾の埋め立ては今でも続いている。それでもお間抜けなマスコミは被災地のニュースを尤もらしく絆とか助け合いとかコメントしている。

被災地の大量のゴミを震災から10ヶ月も経っても受け入れられない間抜けさは、大阪都構想の口先だけの問題提起、関西人のオチャラケとしか思えない。東電の電気代値上げ?原発のストレスチェック?沖縄辺野古の埋め立て?この国はこれだけおかしいのは誰の所為?何一つ問題解決の糸口すら手に出来ない事を理解していない。

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2012年1月18日 (水)

淀川を遡る道もゴールが見えて来ました。ゴールインです。

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昨日下に降りた堤防。この信号の先に木津川があり大橋が架かる。昨日はこの堤防の歩ける道が狭く危険だった。下に降りたのは正解。更にこの先を歩かなくて正解だった。それ程にここから目的の淀は遠かった。更に三十石船の乗船場は淀ではなく伏見だった。伏見は一駅先の中書島(チョッと漢字が違うけど明日はっきり写します)。
そこに秀吉が港を開く。今では川に港も珍しいが秀吉以前でも京都−大阪間の交通の要衝だったに違いない。それでも一応ゴールには到着。色んな景色が見れました。

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こちらは橋を渡らず堤防を直進。木津川上流に向かう。親父は橋を渡る。立派な橋に立て替えられている。

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この石碑は建て替えられる以前の物。昭和2年の刻印がある。

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立派な橋です。歩道も広く嬉しくなる。左に旧橋の橋桁が見える。これが昭和の初めに出来た橋桁でその前は渡し船があったのだろう。京都と大阪の境は本当に寂しい所だったのだろう。この橋を渡り次の宇治川を渡ると左に桂川が見えて来る。しかしその堤防は遠い。明智光秀と豊臣秀吉の天王山の戦いは山崎の狭い河川敷で行われている。

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ここは木津川。天王山の戦いは正面の山裾で行われたと言われている。明智光秀の信長への謀反は3日天下と後世の物笑いにされているが、秀吉の天下統一後の愚かさは知らない人が少ない。

自分を支えた家臣を大事に出来ず、一番大事な弟に切腹させて戦を知らない淀(妾)幼い妾の子秀頼を跡継ぎにした間抜けさは、この国だけでなく朝鮮迄多くの災いを残す。家康は長生きをして豊臣の世を完全に抹殺する。この橋からの眺めは今日を生きるヒントを与えている。

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この川が宇治川。親父が目標にしていた三十石舟の乗船場はこの川の上流にある。その事をうかつにも知らなかった。この川の水量はここでは分からないが多い。

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水面をおっかなびっくり覗き込むと泡が流れている。この橋を渡り対岸から見ると橋の右岸に堰があり水が流れ込んでいる。

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この川の上流に伏見がありそこに当時の港があった。明日はそこに行きます。

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山崎の名神高速道路と繋がっている?京滋バイパス。バイパスの意味は迂回路?京都の街中を避けて瀬田東で名神に合流。この有料道路が出来ても京都市内に入る車は今でも渋滞する。何で?インター出口の国道の交通量とインターから出る車が多いから。単純明快な理由も国交省の役人は道路工事が仕事。

この南に新名神高速道路を工事中。(新名神高速道路は大津の先草津から先は完成済み)財政破綻は消費税を上げても焼け石に水です。公共工事が削減されていると言われるが何に比べているのだろう?財政再建の一丁目一番地は公共工事の削減です。

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やっと桂川に出ました。この川は嵐山の渡月橋を流れる川と、京都のデートスポット鴨川が名神高速京都南インターの南で合流している。その事は親父も知らない事でした。この川の河川敷もいい砂が取れている。ここにも大きな利権がある。(親父、洪水対策です。)

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3川合流から1キロ?の石碑がある。

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ここは河川敷には降りれない。サイクリングロードは堤防の上を走り橋の下だけ河川敷を走る。

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懐かしい草滑り。段ボールを尻に敷いて良く滑る。仲良し3人組。勉強は嫌いではないと言っていたが、得意科目は体育と言っていたから元気で大きくなれよ。

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振り返ると天王山が遠くになっている。もうすぐゴールです。この道を歩く事は2度と無い事だろう。しかし、多くの景色を眼にして多くの出来事を涙も流さず淡々と思いを重ねていました。この対岸の道を歩いた時は新婚の春だった。正面の山を見て侮っていた。うぐいすの声を聞きながら堤防を降りて畑のあぜ道を歩いていた。
山崎のアパートに着いた時、おっかあに笑われるながら背中の汗を拭いてもらっていた。

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この交差点は親父が若い頃と何も変わっていない。山崎から対岸の堤防上を走りここ迄来る。土日の競馬開催日は今でもピストン運転をしているのだろう。これも新婚の時、上級職試験に一度落っこちておっかあを相手に2度目のテスト勉強をした事を思い出す。何でそんな事を思い出したのだろう?

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京阪淀駅。この先に淀競馬場がある。親父が若い頃と静岡から大勢で検品の仕事に来た時は高架になっていなかったのでこの景色は感動です。しかし、駅前周辺は用地買収がスムーズに行われていない。街造りはお役所仕事の様に簡単ではない。

仕事の検品に来た時は今から26年位前。親父もバリバリの時。しかし、あの時から
冷や飯を食っていたのだろう。考えて見ると長い長い時が流れている。これからの時はそれだけの時間はない。そろそろ元気な時に乾坤一擲(けんこんいってき)の一歩を踏み出さなければならない。あの時、眼鏡ケースより大きかった携帯電話が今は名刺大のサイズになっている。お前はどうだと言われていた。

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正面に見えるのが京都競馬場。この駅から雨に濡れないで歩ける連絡通路がある。

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明日はこの旅のオマケです。伏見に行きます。親父は関西に詳しいが京都のこの地域だけは何故か不慣れです。伏見は秀吉が大事にした街。この地は京都の南部にあり今より重要な拠点だったのかも知れない。その街を知ると親父の歴史感も少しは変わるかも知れない。(これ以上雑学を身に付けても何の足しにもならないかも知れないが)。

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穏やかな景色の中に過ぎし日の思いが重なっていました。

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振り返ると今日歩いて来た道が見える。ここは木津川の堤防。堤防の養生工事中。
正面の山は高槻(たかつき)郊外の山。山の名前は知らないが親父が働いていた水無瀬(みなせ)の大阪工場はこの堤防からは見えなくなっていた。

おっかあの叔母さんが親父の身辺調査に会社に来た事は知らなかったが、その時、偶々この堤防の左側の橋本駅近くに住んでいて、この堤防に上がると会社がよく見えたと言われた。その工場も今は子供達の世代となりその礎を築いた親父達の事は何も知らない。

工場が出来た時、影も形も無かった世代が大部分になっているのだから、それも当然の事だろう。おっかあと最後に来た時は叔母さんは痴呆が進み、会う事はなかった。今、皆で手に手を取り合って仲良く暮らしているだろうか?

今日はこの先の橋を左に折れ淀に向かう。今日は歩く距離が4キロ足らずだが淀川に流れ込んでいる桂川の三十石舟の乘船場跡が見れるだろうか?桂川の上流は嵐山。京都市内を流れている加茂川は何処で合流しているのだろう? それは京都の地図を見て下さい。それでは淀のゴールの景色をお楽しみに。行ってきます。

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2012年1月17日 (火)

淀川三川合流地点迄は到着 目的の淀は明日のお楽しみ

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京阪電車樟葉(くずは)駅 今日はここからスタート。昨日引き返した駅は一つ手前。今日はゴールの淀迄行くつもりで一駅ズルしたが駄目だった。その原因は河川敷の民間ゴルフコースと堤防上の歩道の狭さ。昨日引き返した牧野の駅からは河川敷に出れたが、樟葉の駅からは河川敷どころか堤防の道にも簡単に出れなかった。

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駅の出口は反対側のみ。堤防の歩行者の行く案内板が無い。近くのゴルフコースの案内はあるが歩行者用の通路は無い。この近くの車の案内と駐車しているのはゴルフコース利用の車だけ。ここから堤防に上がり河川敷を歩く人の事は行政も考えていない。その事をこの先思い知る。

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ここは車の駐車場の中の通路。歩行者用ではない。この道を歩いたのは突き当たりに横断歩道があったから。左手はすぐ駆け上がれる堤防の道だけれど車の通行量は多い。ここから堤防を横切って河川敷に降りるのは簡単ではない。

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この道は遊歩道ではない。ゴルフコースの車の道。歩行者は降りては行けない。その事はこの看板を見る迄にこの河川敷のゴルフコースを見ただけで分かった。歩行者はここから河川敷を歩く事は出来ない。何故ならここはゴルフコースだから。しかし、国有地だから全てを払い下げてはイカンだろう。親父のつぶやきを無視するかの様に立派な看板が在った。

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この立派な道はカート道。しかし子供は通行禁止。大人は自己責任で歩け位の配慮は出来ないのか?そうすると自転車が通る?じゃあ自転車も通行禁止にすれば良い。その事はこの道の突き当たりで証明出来る。(親父さんこの道を歩いたの?)そう、ご遠慮しませんでした。堤防の上の歩道が狭く引き返す気持ちは全く無かった。

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ここは本当は歩いては行けない。左はゴルフコースだけれど何故か利用されていない。冬枯れの芝生の養生をしていたのかも知れない。競馬場の青々とした芝生はここにはない。利用客は殆ど居ないとタカをくくるが、それは間違いだった。

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こちらはゴルフコースではない。堤防の下に遊歩道位の整地をしても良いだろう。中流域の左岸(上流に向かって)はそれは綺麗に整備されていた。

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久し振りに近くで見るバンカー。これだけ近いと一般歩行者は通行禁止もありかも。
それなら堤防の下に歩行者用の道が作られて良い。そんな事はこの道を歩いて見て分かる。歩行者通路は左のコースの外にあった。しかし、そこ迄の通り抜けは出来ない。

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そう、このネットがあれば左からボールの直撃は無い。しかし、右もコース。こちらから飛んで来るボールは要注意。親父はゴルフの知識があるからプレーヤーのスイングを見れば分かる。流石にここは身構える。ありがたい事に危険は無かった。

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上流に向かって右岸の堤防です。堤防の下に歩行者用の通路はない。

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淀川岸に出る。この正面の山が天王山です。遡って来た淀川もこの先で木津川と合流する。正面の山の麓で新婚時代を過ごす。3年足らずの短い期間だったけれどこの景色は始めて眼にする。何故だったのだろう?それはここに来る迄の道程が遠かったのだろう。そしてこの景色を2度と見る事は無い。それが人の果敢ない運命です。

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この先が淀川の始まり。3川(木津川、宇治川、桂川)合流地点です。感無量?

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これが河川敷の道。舗装されているから正確には河川敷の工事車両も通る。それでも両端の道は安心して歩けるのだろう。しかし、歩行者は殆ど居ない。歩くにはコンクリートの道は疲れる。

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何の手入れのされていない河川敷。左手奥に見える柵の向こうが淀川です。

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堤防のすぐ下を京阪電車が走っている。この堤防の上の交通量も多く歩くのは危険。

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もうすぐ2川合流地点。土の上を歩いているが全く整備されていない。ここは歩道ではないと役人が言っている。中流域との河川敷の整備の差は右岸と左岸で違うのかも知れない。それ以上に感じた事は淀川の大きさとその実態が知られていない。

河川敷はめちゃくちゃに広いがその活用は国交省淀河川局に任されている。誰も丸投げしたと思っては居ないけれど見てみなければ分からない。一度歩いて見て下さい。(歩けないだろうが)そうすると本当に多くの事が分かります。この川は本当に偉大でした。

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ここが淀川と木津川の合流地点です。意外にあっさりとしているが川はめちゃくちゃ広い。水は意外に綺麗で木津川の流れの方が勢いで勝る。堤防はこの川沿いに進む。そしてこの先の橋本駅近くの橋を左折すると宇治川。と言う事はこの手前で淀川はお終い?。30石船の乗船口は桂川だったのだろうか?そうです。(ホンマかいな)

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正真正銘の天王山。懐かしいウイスキーの工場が見える。山崎です。しかし、こちらから見るのは始めて。堤防も養生中。河川敷にダンプカーが多く行き来している。しかし、時速20キロ以下。ハザードランプを付けているが携帯で話をしながらの運転は頂けない。

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段々歩道幅が狭くなる。後ろから来る車に注意しながら景色を移している。正面の山はほんのり雪化粧。風が冷たい。おにぎりを取り出して頂きます。腹がへったら歩くのが嫌になる。この時迄は戦意は失われてはいなかった。

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何だこの看板。歩道は無いってか。ええ加減にしなはれ。堤防のノリ面を歩く。

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堤防の先に橋が見えて来たが道は狭く堤防の下に降りて橋に繋がる道を探していると駅が見えて来る。目的の淀迄3キロ足らず。今日一気にゴールインを考えたが駅が見えると足はそちらに向いていた。今日は堤防の道も河川敷の道も疲れたので無理をせずに諦める。

足はにっこりしていたが淀は思い出の土地。この旅の終わりに若い頃言っていた喫茶店を覗いてみますか?淀競馬場前の駅前は高架になり街の景色は一変しているに違いない。街も人も変わる。何時迄も変わらない物は何一つ無い。その事が実感出来たとしても今の親父には次の目標が決まらない。次は未定だけれど宇治迄は電車で行きます。

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京阪電車もカッコ良くなりました。写し方が巧いのかな?

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大阪淀屋橋に戻り地下鉄で梅田。そこから阪急で戻る。出掛ける時にこのルートを通ったがお気に入りの「きつねうどん」を食っていなかったので口にする。今日は近くの美味いパンも買う。今夜は夕食の簡単な食材も買っていたがまだ食っていない。
これからサウナに行って夜食にします。

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何を言うてまんのや?

ホンマによう分からん。(親父さんが分からんでもどうでも良い?)
ホンマに消費税を上げなければ財政破綻?
国の財政破綻を口にしながら消費税のアップが不可欠とテレビの経済解説者がシャーシャーの顔をして言っている。大手証券会社のアナリスト?何じゃそれ?

シニアアナリストか何か知らないけれどこのおまぬけな経済ニュース。見るたんびに音を消す。他に見る番組が無いとは言え民放の経済ニュースの現実が見えて来る。この尤もらしい経済解説。証券会社の在り方が問われて久しいがこれ程のもんか?

国の財政が赤字の割に贅沢三昧をしているのは誰じゃい。
それくらいの事が分からんと思っているのだろう?
「なめたらあかん」低い視聴率をこれ以上なめたら、見てくれる人無くなりまっせ。

親父は最近本当にテレビのニュースの音声を消してテレビを見ています。昨年の夏。あの華々しいデジタル放送の移行は何だったのでしょうか?この安っぽいテレビの番組作りはデジタル放送の意味無いでしょう。スポンサーの商品迄もが売れなくなると思いきやそうでも無いらしい。本当にヨーロッパの金融危機は人事では無い。

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目的地の三十石舟の乘船場跡は見れるのでしょうか? 明日は橋本から八幡、それから木津川、宇治川を渡って淀へ。そこがゴールです。今日引き返した駅が牧野。明日は次の駅樟葉(くずは)で降りて歩きます。38年ぶりの思い出の地はすっかり変わっている事でしょう。ここは河川敷に立派な関西を代表するゴルフ場があります。

河川敷に名門ゴルフ場とはおかしな話しですが、淀川改修工事が進み余程の豪雨でない限りコースが濁流に飲み込まれる事は無いのでしょう?(見てみないと分からないけれど)今年の景気も政局もその程度にしか思われていないのかも?

なめたらアカン。その事はフランスの何とか大統領の経済顧問ジャック、アタリ氏も痛感しているに違いない。フランスの影響力も所詮砂上の楼閣です。(絵に描いた餅)他人事ではない。この国の財政は半分は借金。それに見合う財政の無駄をなくせ

親父が次に歩くコースは東海道53次ではありません。なんで?昨日教えて貰ったウオーキングマップで600キロ。一日10キロ歩いて60日。この街道は途中ズルが出来ないので親父には無理でしょう。昔の人の脚力でも半月。凄いもんです。

それでも上には上がいる。鎌倉時代の始め。西行法師は東大寺の再建の為に奈良から東北平泉迄藤原氏に金の寄進を求めて旅をしている。彼自身の生き方は賛否両論があるが空海(弘法大師)の様に華々しい生き方でなくても、そんな人が居たなと言われる様な生き方をしなければならない。

「年たけて又越ゆベきと思いきや命なりけり小夜の中山」西行

「命なり僅かのかさの下涼み」芭蕉

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2012年1月16日 (月)

淀川を遡る道もゴールが見えて来ました。

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枚方(ひらかた)淀川の交通路の要衝だけれど今はその面影も無い。しかし、今日でも尚京都と大阪の重要拠点である事は間違いない。新幹線、名神高速道路から見えない街になっても、この街が今日果たしている役割は小さくない。

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三十石船が往来した時代、食事を売る船が横付けしている。今は電車に乗ると1時間足らずの道も昔はどれ位掛かったのだろう?お酒と食べ物を頂きながら優雅に旅が出来た人は身分の高い人と金持ちだった。何時の世もお金がなければアカンだったのだろう?イヤイヤ三十石舟にも乗れなかった?かもしれない。

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枚方大橋 この橋は下流(大阪方面)に向かって写している。正面に見える山は六甲の山並み。この橋が果たしている役割は大きいが、淀川の広さがここに立つと良く分かる。これから反対方向(京都方面)に向かって歩く。

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正面に見える山は天王山と思っていたがそうではなかった。この山は高槻市東の山並み。天王山は明日しっかりと見えます。その手前に親父が5年働いた工場が見えます。当時は自慢の工場だったが今はその面影も無い。それでもいまでも元気?です

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河川敷を歩いて淀川を見る。後ろの橋が枚方大橋です。交通量は多い。

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河川敷の屋外演芸場?これだけの税金が何の為に使われているのか分からない。
ここも立派な河川敷です。洪水対策は今は昔の事なのでしょうか?(イエイエ、これも立派な洪水対策と河川を管理しているお役人は言うのでしょう?)

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右奥にやっと天王山が見えて来ました。ここから4キロ位と侮るがナカナカです。

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訳の分からない案内板があるが水は貯められていない。夏は水遊びが出来るのだろうか?しかし淀川本流とは繋がっていない。滝の案内があるから水が流れ落ちるのだろうか?それでも汚い。ここで水遊びをするには上水道を循環させるのだろうか?

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暫く歩くと河川敷が一時的に無くなる。川が流れ込んでいる。

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「流れが早いので泳ぐな」標識は無いが水鳥が頭だけ出している石にとまっている。

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大雨の時はここ迄水が流れるのだろうか?洪水対策?今はその心配はない。その事はこの川幅を見ると分かる。それでも天災を侮ってはいけない。淀川は何度も昔、氾濫を繰り返している。それでも防災対策はホンマに出来ているのだろうか?

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堤防の上を歩くとアスファルトの道。足が疲れる。2日休んだので足が文句を言っている。折角8キロ近くは平気に歩ける様になったのに今日は意気地がない。それでもこの正面迄歩く。最近は女性の体型とか容姿を口にしただけでセクハラとか言われるそうだが、その反対はどうなのだろう?親父は現役の時、思いやりの気持が無いとか言われたが、本当の思いやりの表現は難しい。口先だけの人が多くなるのも当然だろう。?

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ここも立派な河川敷。ゴルフコースも見える。せこいコースと思いきや堤防の外に立派とは言えないクラブハウスがある。

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突き当たりで堤防が右に曲がる。川が流れ込んでいる。

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堤防の上で送電線を見上げる。電気事業が独占されているが発電と送電の分離。色んな人が色んな事を言っているが、この送電線網を全国に張り巡らした電力会社の利権はそう簡単には手放さないだろう。それでも良い。

それでも原子力発電以外の自然エネルギーの活用が求められる。その覚悟があるのだろうか?節電に協力だけでは日本経済に活力は生まれない。企業にも民間にも積極的な行動が求められる? その事をこれから問われている。

そうでなければこの国に明日はない。技術開発、技術革新。今こそ先人の知恵を生かさなければならない。消費税値上げを馬鹿の一つ覚えの様に喚かずに今成す事はそれしか無い。行政の見直しも議員歳費の見直しも出来ない政治家に先人は「喝」と言っている。その事に気付かなければ自爆しかない。間違いなく信頼されていない。

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今日はここ迄。明日はここからゴールの淀迄。辿り着けるかな。

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天王山 天下分け目の戦い その歴史を知る人も少ない

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正面の山並が天王山山系。今日は電車で梅田に出て地下鉄で淀屋橋。そこから京阪電車で枚方に向かう。大阪の交通網がこの淀川から左右に鉄道と国道に別れて久しいが左にJR、阪急、新幹線。右側に国道一号線、京阪電鉄が走っている。

親父が市場の仕事をしていた頃、何度も走ったこの橋も何の因果か見えない手に導かれる様に歩いて渡るとは夢にも思わず、この橋の下の水量に驚いていました。それだけでなくこのデカイ橋が大型貨物車、タンクローリーが走ると揺れる。

これも驚きでした。歩道は3メートル近くありましたが水面を見下ろすには足が竦み(すくみ)、車道側に寄ると車の風圧でよろめいて、道の真ん中を小走りに歩いていました。(そのわりには夕日の写真は撮ったけど)今日はこの右奥から歩きます。

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2012年1月15日 (日)

米は昔の様にその価値が評価されていないがそれはその価値を知らないからだろう。

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近くでおにぎりを2つ同じ物を買う様になって久しい。お米屋さんでおにぎりも並べている。親父が大阪迄歩き大阪北浜から堺筋を南下し、泉州を縦断して和歌山JR紀伊迄歩けたのもこのおにぎりのお陰でした。今は淀川を十三から北上し一昨日は枚方の手前迄行く事が出来ました。後数日で目標の淀に到着。その後は未定ですが冗談で「東海道53次」と言っていますがこれは無理でしょう?理由?弥次喜多道中は1人では出来ない。それは本当の理由ではないでしょう?バレたか?

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昨日と今日は人並みに休み(休足日)を頂戴して明日から又歩きます。でもこの左上の枚方公園駅からスタートするので白状すると3キロ位ズルします。京阪の駅はこの橋を渡って2キロ近く東でしたから、おけいはんも笑って認めてくれるでしょう。

それでも淀川のクライマックスはここから8キロ前後(良く分からないが大体それ位)先で3川が合流する。正確にはそこからが淀川。そこから先は木津川、宇治川、桂川に別れる。親父が辿る道は京都から大阪天満橋への乗船場?淀がゴールです。

明日歩きをスタートすると懐かしい風景が見えて来る。左手に天王山。正面に樟葉(くずは)のデカイ建物。新婚生活がスタートした時に今は居ない義父母が、おっかあと親父の為に色々婚礼用品を買ってくれた街。そんな事をどんなに思い出しても昔の話だけれど感慨が胸を過る(よぎる)。

そう、この道を歩いて来たのも淀川改修工事の偉業を体感する事が目的だったけれど、これから先の風景はこれ迄何となく生きて来た親父への鉄槌(てっつい)かも知れない。その事は明日歩けば分かる。行きて行く事は口先だけで語られる程、安易ではない。そしてもう一度人生を建て直せと言われている気がする。

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2012年1月14日 (土)

この道は何時か来た道 ああ無情 レミゼラブルです。

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大阪モノレールの摂津駅を降りて久し振りの大阪府営茨木卸売市場を見て、淀川に向かっている。この道は市場配達のバイトをしていた時、白菜と漬け物、スーパーの弁当野菜を2tトラックで配達していた。今では考えられない朝4時からの仕事。

お昼前には終了していたが、時には不慣れな仕事で少し離れた得意先への配達があり遅くなる事もあった。荷物の積み込みは先輩がしてくれたが段取りがなかなか分からず、若い事務所のアンちゃんにあごで指図されていた。

あの時の体験を思い出す度に屈辱と不屈の思いが重なる。仕事に慣れた頃青年3人が仲間入りをして親父の仕事が無くなる。最後は漬け物瓜の大きさの小、中、大の選別だった。瓜は大好きな漬け物だがあの仕事をしてからは口に入れたくない。キムチも美味い食べ物だけれど白菜の取り扱いを知ると、安物はそれだけの価値しか無い。

この道はこのまま進むと淀川を渡る。車で走ると遠くはないが配達を終えて帰って来る頃は朝日が輝いていた。今は夕方だけれど当時の一息ついた安らぎの思いは無い。
この看板は寝屋川だけれど淀川を渡ると枚方市は近い。昨日は香里園の駅迄歩いたが来週は枚方公園駅からスタートです。

Img_1967_4大分疲れましたか?何の何の。
今日は左程寒くはなかったが、風防がきっちり決まっているので頭は暖かい。

それでも堤防を吹き抜ける風は頬を刺す。
ここ迄歩いて来ると自画像を写す余裕?

淀川もここ迄来ると狭いかと思いきや甘い

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河川敷のゴルフ場。意外に広い。これだけあれば充分です。ただしドローボールは怖い。右の土手が気になる。プロの飛ばし屋がドライバーをなかなか手に出来ない理由がこの狭いコースを見ると良く分かる。左からのフェードボール。

この意味はゴルフが出来ないと分からないがかく言う親父も口先だけ。ゴルフで実践が伴うにはティアップしないボールの真横を叩けるドライバーのテクニックとボールの真下の芝生を薄く取れるアイアンショットが出来なければならない。(分からんか)そうでしょう。

政治の世界でも口先だけで何とか出来ると考えているご時世だから。ゴルフ熱も一段落だけれどお金の掛からないゴルフは接待ゴルフしかおまへんえ。接待ゴルフと言われても分からんか?会社や組合、お医者、役人のお偉いさん、エコノミストに学識経験者。ゴルフもハマらないとその面白さは分からない。親父は今、何の因果か歩きにハマっています。

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これは昨日お見せした夕日。この時はまだ淀川を越えていなかった。近くで天然温泉の看板を見る。対向車線の向こうだったが一瞬その気になる。下着は替えられないが温泉でゆっくりしたい程に足と心が疲れていた。しかし、そんな思いも叶わぬ。

大廻りをしないと近くに横断歩道はなく諦め先を急ぐ。車でもそうだが見知らぬ地を巡る時は一瞬の判断が求められる。何時迄も躊躇は許されない。歩いていると先の風景が期待される。どんな景色が待っているのかと思うと心が動かされる。

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横目で眺めると歩いて来る人は流石にいない。車で来る人が常連さんだとしたら大体感じが分かる。スーパー銭湯かと思いきやそうでもない。狭苦しい銭湯には興味もない。淀川京都の昔の三十石舟の乗船場の目的地も近いし、その暁には有馬の太閤の湯にでも行きますか?あの乗車券と温泉に入れるセットはお得だったけれど、今年は何故か1000円アップの3000円。お得感が無くなるとどうかな?

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昨日お見せした夕日の中でこれが一番お気に入りです。

この輝きの空を見て堤防右岸(上流に向かって)を暫く歩いて河川敷に降りる。

堤防は車の通行禁止だけれど何故かアスファルトで舗装されている。足に突き上げが強く一気に疲れが加速する。暫く河川敷を歩いて堤防に上がり舗装路を歩いていると5時を数分過ぎている。見下ろすと正門から車が並んで出ている。役所の何とか施設。

お役所仕事。これからその在り方も問われる。無理か?税金が足りないと言われて消費税の増税をどんなに懇切丁寧に説明したとしても、有権者の理解は難しい。出来ない。何でですか?簡単な事です。税金が足りなければそれに見合う歳出の削減を先行させなければならない。自分達と税金も払えない企業を温存して取れる所から取る。

それは淀川の水を琵琶湖に戻すのと同じだろう?そんな事が出来る筈も無い事がこの間抜けな政治家達は分かっていない。来週今回の目的地、淀に行くとその事も分る。豊臣の世に印籠を渡した関ヶ原の戦いは、秀吉の側室淀と跡継ぎの秀頼の自決に続いた事を知る人は少ない。

どんなに多くの徒党を組んでも家康の策略には勝てなかった歴史もこれから証明されるかも知れない。今日の家康は何処にいるのだろう? 居ないかも知れない。その時は惨憺たる姿が目に浮かぶ。お間抜けな情報に惑わされながら「金権体質」など言っていたらこの国は完全におかしな国になるに違いない。その事が今問われている。

橋下大阪市長が徳川家康?器が違う。彼は世の中の政治に仕組みを変えると言っているがそれは革命でしょう?そんな事を簡単にマスコミにチャラチャラ喋れば実現する?そんな事が民主党ですら出来なかった事を思い知れ。

世の中の仕組みをどう変えるのか?口先だけで喋るな。大阪都構想とか馬鹿の一つ覚えの様に言うけれどそんな事を大阪府民は本当に期待しているのだろうか?国の仕組みをそんな形に変える事を中央の官僚が許す訳が無い。

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2012年1月13日 (金)

過ぎたるは及ばざるが如し

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大阪モノレール。阪急宝塚線蛍池から大阪伊丹空港に行く時には利用するけれど、反対方向に利用したのは始めて。大阪東部を走るこのモノレールは南河内迄の路線は無く中途半端と思っていたが、途中の駅舎は立派。乗降客もそれなりに多い。

今日は南摂津から歩くつもりが南茨城で下りる。駅前の連絡通路を通りながら阪急京都線茨城駅と近い事に驚く。それでもこの時降りた駅を間違えた事にまだ気付いていなかった。駅前に出て立派な通りを見てようやく間違いに気付く。目的の駅は南は南出も茨木ではなく摂津。「アチャー」降りる駅は3つも手前。駅舎に戻り手にしている地図で場所を確認する。一昨日戻った駅の一つ手前の摂津で降りる。

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この川は淀川に流れ込んでいる淀川はこの川の西2キロ弱の所を流れている。
今日この川の堤防を歩いた目的はこの正面3キロ強先に親父が13年前にバイトした卸売市場がある。正面の建物はそれとは違う。水道事業関係と思われたが良く分からない。

この川の流れはこの程度だが淀川の流れは本当に凄い。市場を通り越して渡った大橋は水面から高く高所恐怖症の親父は橋の欄干から後ずさりをしていた。最後にお見せします。夕焼けの絶景と共に。

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市場は干支が一回転しても大きくは変わっていなかった。この市場はこれ迄気付かなかったが新幹線が大阪を出て暫くすると左手によく見える。親父が働いていた頃はこの堤防に上がる事も無かったので分からなかったが丸見え。親父が配達で半年お世話になった2トン車も前のまま。

違った事と言えば以前の雑然とした景色がきれいに無いフェンスから下には降りられない。この市場が果たす役割が同程度の物か分からないが時代は大きく様変わりをしても、卸売り市場が果たす役割はいまだに良く分からない。

これからは消費者の求める物は地産地消。美味い物は安売りのスーパーで買うのではなく目利きされたお店で買われる。そんな時代が目の前でもキムチの白菜を大量に買い付けそれで商売をして行く。そんな商売も成り立つのだろう。漬け物屋さんの野菜の配達。あの日々は今でも忘れてはいない。この風景にそんな思いも今は無い。

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新幹線を写したつもりが遠くて良く見えない。

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後ろを振り返る事は無い。前に進むのみ。何時迄も元気で偉そうに出来るのは何よりの幸せです。そして不幸せ(反省が無い)何時かは老いサラバエルとはこれからの夕日を見ても分かる。

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美しい?こんなもんやおまへんえ。

Img_1954 親父さん。真一文字のデカイ口にチャックですか?

この時は今日の歩きの半分位はこなしていたが元気一杯。しかしこの先、夕日の輝きに足を取られて遅くなり何度も地図を開く。でも道に迷う事無く淀川の本流に再開。橋の上から下の水面は見下ろせなかった。

これから渡る橋は市場の配達で何度も渡った橋。あの頃はわだちの凹みが途中にあり白菜を満載した車は左右に揺れていた。必死の思いでハンドルにしがみついていた事を思い出していた。

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橋の上から下流の西日。右後方の山が六甲山。でも本当の美しい夕日は橋を渡ってから目を見張る。昨日の雪景色と言い今日の夕日と言い感動物です。

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これは橋の上流。左前方の山は天王山。ここで大阪平野が一気に狭まる。

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これは橋の上。橋を渡り切り堤防に出た所で後ろを振り返る。その景色がこれです。

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やっと辿り着いたのは京阪香里園駅。正面のタワーズマンションの景色は淀川、北摂六甲の山並みが一望出来る。そんなロケーションを手に出来る人もいる。この駅は大阪に来た18の時、先輩が住んでいた県人寮がこの街に在った。

淀川ウオーキングも後数日でゴールです。エー残念? 淀川は天王山の山麓山崎で三川(桂川、宇治川、木津川)が合流する。昔の三十石舟が何処から出ていたのか分からないが親父の目的地は一応京阪淀駅です。

淀は今ではJRAの競馬場で有名ですが昔はここが船着場だったに違いありません。淀城祉もありますがそれは関係ありません。淀木津の地名の所が最終目的地。明日と明後日はお休みで来週そうそう到着です。次の目的地?東海道です。まさか?

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昨日の三千院の残りの写真です。

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昨日は1年ぶりの京都大原三千院でした。昨年見た雪の大原とは趣に差があり、今年は昨年の様な出会いはありませんでしたが、その分、幻想的な景色で親父を迎えてくれました。この寒暖計は1℃を下回っていましたが、この看板の言葉を今年も見れて幸せな気分になっていました。

大事な人とは子供達が幼い頃2回、2人で来たのは一回でしたがそれが最後の別れになりました。その後、数回。1人で来ると本当に寂しい気持ちで一杯ですが、今年は何故か春の息吹を感じていました。まだまだ寒い日が続きますが体に気を付けてこれから旅を元気に続けて下さい。そう言われていました。

親父の本当に好きな場所はこの先です。「鯖街道」昔からの京都と北陸小浜を結ぶ魚と文化、生活の交流の道。この80キロ足らずの道をどれだけ多くの行商人が汗と涙を流しながら行き来したのだろう。

昔の人は足が達者だったとは言え流石に全行程を1人で魚を運ぶ事は無理で、この先の途中越えと朽木の村、その先の峠を越えて福井の宿迄が男衆の役目だった。女衆は朝水揚げされた新鮮な魚を塩でしめ男衆に引き渡す為にその日のうちに国境の宿迄運んだのだろう。

今は道も整備され車で走ると容易な道も歩き通すには二日がかり。親父なら一週間でないと歩き通せない。先日、帰りのバスを待つ間に聞いた話では朽木行きのバスは暖かくなる3月迄は運休だとか。そうだよな。その先の峠で朽木から帰る時、正月だったが雪でタイヤがスリップして走れずレッカーのお世話になる。

春になった時、自分の足で歩くのは無理だろう。それでも途中(地名)越えは出来るかも知れない。最初に車で越えたときは工事中だったが今は快適な道になっている。その道ではなく旧道は草が生い茂り昔の面影は無いのかも知れない。


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2012年1月12日 (木)

京都大原三千院行って来ました。

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人の心理はこの線があるだけで何故か2列には並ばない。この線を無くすと2列に並ぶ。オモロいもんやなあ。もう一つ。快速と新快速の並ぶ位置が違うのは何でだろう?それは久し振りに並んでみて分かりました。別に並ばせないと停車駅と到着時間が違うから。成る程。でも快速と新快速はごちゃついて分かり難い。

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京都駅到着。このデラックスな駅舎。完成して15年前後?いまだに綺麗な建物だけれど始めても観光客にはその意味が分からない。大阪駅もそうだが建物がどんなに立派になっても、もてなしの心は座っていては育たない。人目で観光案内が出来るのは難しいのではなく必要とされていないと勝手に思っているのだろう?

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親父は何度か来ているのでトイレの場所も分かりました。でも万博の時、今は居ない親父とお袋と食った親父のお気に入りのお茶漬けの美味いお店はまだ分からない。もう無くなったのだろうか?でも今日発見したこのお店を見ていると、何処かに親父を待っている気がして来た。一度、ゆっくり探して見ますか?心当たりの場所を。

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京都の空は快晴でした。おかんとデートした展望台が迎えてくれました。

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バスの中は空いていましたが四条通りはこの通り。今は一番観光客が少ないがそれでもこの通り。この道が込むのは道が狭い(片側2車線)のと観光客を拾うタクシーが多いから。いずれタクシーの乗り入れが禁止されるだろう。親父が若い頃、この道を路面電車が走っていた。路面電車は廃止されても客のマナーとタクシーの商魂は何も変わらない。しかしそれも長くは続かないだろう。京都観光の案内お任せ下さい。

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この道も路面電車が走っていた。京都を代表する河原町通り。車が少ないのは北に向かって走っているから。何で北に向かうと空いているの?お寺さん、観光地が東西に偏っているから?それも違うが人通りの所為かも知れない。親父も拍子抜け。

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三条大橋。下を流れている川は鴨川。戦乱の世にこの川原でどれだけの人の首が切られたのだろう。京都の街が戦火に明け暮れた時、この川の流れはどれほどに汚れていたのだろう?今は寒いけれど暖かくなって来るとカップルが等間隔に並ぶデートスポットです。正面の山並みが北山。微かに白い。

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北大路通り。ここ迄来ると道も空いている。植物園もこの近くです。親父がこの近くに住んでいた頃はこんなに綺麗ではなかった気がする。この近くは歩いてはいないが。橋は昔のままです。

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正面に比叡の山裾が見える。この山は借景にした庭園があるお寺さんは左前方にある。子供達が小さかった頃、子供は駄目と言われても子供達を待たせておっかあと庭を見たのは30年は前の事だったに違いない。あれから何度もこの道を通る。

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大原到着です。意外に雪は少ないとおもいきやお寺の中は絶景でした。

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「親父さん良く来て呉れました」赤い実が親父を歓迎して呉れる。
「こりゃ春から縁起がいいわい」親父も見栄を切っていた。

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観光シーズンは満杯の道も流石に今日は人影がない。貸し切り。転けない様に足元に注意をしないでゆっくり歩く。去年来た時よりも雪が少ないと思っていたが、見事にその思いを破られる。三千院の庭は雪景色でした。

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国宝 阿弥陀三尊像は写真は撮れませんでしたが、正面に座り見上げていると優しい微笑みの中に一時の静寂がありました。これ程の近くで阿弥陀様が見られた事は殆どありません。カップルが来る短い時間は親父の至福の時でした。

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それではいつも見て頂いているお礼に弁天様の池と愛らしい仏像を紹介しましょう。

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これだけの静かな池を見たのは始めてです。今年はきっと良い事がある事でしょう。

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紅葉の時はこの静寂は無い。今年は雪が思った程、積もってませんでしたが親父を優しく歓迎して呉れました。今年は弁天池が本当に生き返っていました。親父も苦節の時を重ねましたが今年は多いにあやかりたいものです。そんな親父の願いを暖かく見守っている様でした。最後の写真は自慢の一枚です。

気分転換が出来たので明日から又、淀川を歩きます。何処迄行けるかな。明日は少し寄り道をして半年努めた卸売市場をのどいてきます。不審者に間違えられないかな?大丈夫。大丈夫。勝手知り足る庭だから?

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どんなに姑息な手を使っても駄目な物は駄目。

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姑息なやり方と言われてもしょうがない。
姑息なやり方と言われてもその意味が分からない。

姑息なやり方。辞書を引いてみると「その場凌ぎ」「ごまかし」と手厳しいが
世の中のニュースを聞いているとこの大臣は失格、首でしょう。

アメリカがどんなにイランの核拡散政策を批判しょうとしても勝手だが、日本のイランからの原油の輸入量を段階的に減らす?その代わりをアメリカは補填してくれるのか?そんなことをしてくれる訳は無い。そんな事は分かって言っている。

そうすると原油価格は間違いなく上がる。原油が上がれば石油の価格が上がる。原油の価格は投機的な価格で乱高下する。それくらいの事が分からないのだろうか?この大臣は円高対策の為には単独介入を進めると公言して来た。事実、その成果は出ているがその税金は誰が負担しているのか分かっているのか? 

景気回復は曲がりなりにも進んでいるとしゃーしゃーとした顔をしてコメントする日銀総裁。閣僚を交代させて内閣改造で消費税の値上げを計る野田総理。そしてこのお間抜けな経産大臣。誰の為にどんな国益を追求しているのだろう?この国の在り方が良く分かる。

何でこんな姑息な事が繰り返されるのだろう?
世の中の出来事を正確に伝える事は難しいけれど。

世の中の出来事にこれ程間抜けに生きていると、この国は本当に最悪の状態になるかも。夜のゴールデンタイムのお間抜けな番組を消して、心と向き合う時間が多くなりました。親父達の老い先は短いけれど、この国の輝ける明日をオチャラケで誤摩化して、それでも飯が食えれば良いのだろうか?それが素晴らしい国と言えるのだろうか?

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2012年1月11日 (水)

淀川を遡っています。今日は疲れました。サウナでのんびり、足裏マッサージが必要です。

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今日も歩いて来ました。毎日このおにぎり同じ物を2個持って歩いています。色んなおにぎりがありますが基本的には野沢菜と料亭の昆布。いつも同じ物を食っているとそれが生活の一部になって来るのが何とも不思議ですが、それ程に満足出来るおにぎりです。

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今日はここから。淡路の駅前の再開発が進められているが、これだけ住宅が密集すると区画整理は難しい事が良く分かる。駅前は雑然としていました。地域の名誉もあるので一日も早い改善を期待しました。

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細い住宅地の路地を抜け堤防に出る。昨日降りた堤防の位置は相当行き過ぎていた。

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堤防を降りて河川敷を歩く。この堤防は淀川改修工事当初の物ではない。その後何度も改修工事が続けられてこの形に成ったのは今からそんなに前の事でもないだろう。
それでも多くの人と重機を使いこの形が整えられている。明治の時代は右側の石組みが精一杯だったに違いない。それでもこれだけの広い土地を確保した先人の知恵。この河川敷にはその痕跡がそこ彼処に見て取れる。

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ここも河川敷です。ただ大きな木が目立つのは良く分からない。

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水辺の風景 この岸辺は明治の改修工事のままかも知れない。しかし、向こう岸の建物は現代。こちらから眺めているとそして向こう岸の建物を見なければ、時が停まったかの様に見える。これが現実。水辺の波紋はその事を教えていた。

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河口からの距離を表示しているが何故これが必要かも分からない。

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川の上を雪雲が流れて行く。箕面(みのう)関西の高級住宅地(今はその面影も少なくなって入るが)大手百貨店系列のスーパーで駐車場の交通誘導の仕事をした時に、寒かった事を思い出す。生きる事に懸命だったあの頃、優しい人も少なく無かったがひどい輩も少なく無かった。

人を馬鹿にして店長に苦情の申し立てもされたが、今はろくな生き方をしていないだろう。尤もらしい事を言っていた店長すら今は見る影も無い。お店も閑古鳥が鳴いて近くの安売りスーパーに客を取られている。この雪雲を見ていると人の哀れを痛感する。

どんなに尤もらしい事を言っていても立場が変われば、自分の愚かさを思い知るのだろう。その時になってどんなに痛感しても遅い。優しくしてくれたベンツのママと子供達は元気だろうか?親父を慕ってくれたお店の前の子供達は専門学校生と中学生になっている。親父もそのうち忘れ去られる。それで充分です。

あの年は阪神タイガースが優勝した。大阪のトラキチの思いは変わらないが気持ちだけで何とか成る程、勝負の世界は甘くない。仕事も勝負事も生きる事自体がその程度かも知れない。この雪雲が通り過ぎて風が強くなり小雨がハゲ頭と頬に吹き付ける。

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橋の下で雨宿りをする程の雨ではないが、コートの風防を被り前に進む。今日の目的地鳥飼大橋はまだ遠い?この橋は豊島?車で渡った事も無いので思いは何も無かった
この橋は新しい。橋のデザインが見て取れる。

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堤防の上を歩くと風が強い。歩く人も結構いる。キョロキョロしてデジカメを構えていると首輪はしているが汚い野犬に睨まれる。親父も負けてはいない。逃げ出せば追われる事が分かっているので睨み返す。飛びかかって来たらたたき落す構えで身構える。当然、親父の勝ち。野良に負ける訳が無い。よく見ると飼い犬。河川敷に住んでいる人がいる。看板で禁止をしているなら何で排除をしないのだろう?

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寒くなったので土手を降りてした道を歩く。冬枯れの道は足に心地良い。正面の山は昨日は良く分からなかったが生駒の山だった。山頂にテレビ塔が見える。遠くに見える橋が目的の橋?そうではなかった。今日も良く歩く。

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ここは河川敷の道。昔の堤防?が柵の外に見える。

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目的の橋が見える前にデジカメの電池切れ。映像はここ迄。鳥飼大橋は結構遠かった。正面の白い煙突のまだ先。ここは近畿自動車道が走り何故か堤防の道は柵で途絶える。歩道が無くなる。一瞬戸惑うけれどその案内は何も無い。堤防の道は歩道とは思っていないのだろう?お役人のお間抜けな考え。まさかこんな所を歩く人の事は考えていないてか。歩道の無い路肩を車の通行を見ながら通行する。

この高速道路は何度も通った事はあるが、この近くを歩いた事が無いので平行して走っているモノレールの駅が分からない。標識を見ると1、2キロ。そんなにあるのか。堤防の上では気にならなかった距離が一気に恨めしくなる。駅の表示も道の反対側を歩いていたので通り過ぎる。南茨城駅。明日はこの駅から何処迄歩けるかな。




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知らぬ事は及ばざるが如し?

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日本の大河と言えばそれぞれの想いが違うだろうが淀川のこの場所は河口から10キロ弱の所。この流れは明治の42年淀川大改修工事が終わる迄は、大阪市内を流れていた。今日の整備された大川の流れを見ているとその面影は何も無い。

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この河川敷に昔の面影をチョッとだけ見る事が出来るが、この川を遡ってみると今迄知らなかった大阪の姿が見えて来る。今、大阪だけでなく日本各地の地域再生が問われている。今日のJR尼崎大事故の判決を聞いても感じるが、人の生き方をこれだけ踏みにじる司法に親父は愕然とする。

マスコミの報道の在り方、親父は自分の感覚をこの歳になってやっと分かった気がする。この国の三権分立(行政、立法、司法)とはこの程度の事かも知れない。7年前に失われた尊い命と未だに癒す事の出来ない傷跡の責任を何処に問えば良いのだろう?この裁判、司法の常識が次の大事故に繋がる事をこの裁判官は意識していないのだろうか?

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淀川から大阪市民の水道水取り入れ口。当然、近くに浄水場があるが水質検査は万全に行われている?

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帰りは阪急京都線淡路の駅から直帰。電車は丁度通勤ラッシュの時だったが京都線は逆方向。宝塚線は意外に空いていた。京都線淡路の駅は親父が警備の仕事で短い間乗り換えた駅。半月足らずの短い間だったが当時の懐かしさを思い出す。

最寄りの駅でお気に入りの食事。餃子も焼き飯も何処の中華のお店でもありますが、自分の口に合う味はここが一番。何時来てもお客が少ないが若い店長は「御心配なく」と威勢が良い。親父の行く時間帯がずれて居るのかも知れない。
いつも完食です。接客も良くは無いがそれにも常連は慣れている。

これから出掛けます。今日は夕方寒くなる気がする。堤防の上を歩いていると寒いかもしれなうが昨日は河川敷を歩いたので汗をかきました。コートを小脇に抱えて歩いているといきなり犬に出会ったり、見知らぬ人にも出くわしました。素知らぬ顔をしてそのまま歩いていると、大概の人も犬も素知らぬ顔をしていました。(そりゃあそうでしょう)親父も不審者に見えたのだろうか?

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2012年1月10日 (火)

恵比寿さんは今年の景気をどう見ているのだろうか?それはワシに聞くなと言われていた。

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十日恵比寿 関西では西宮神社が有名ですが十三の神津神社に始めて行って来ました。商店街を抜けるとすぐ左側にある事を始めて知りました。親父の知り合いの神主さんに冷やかしをと思っていましたが、そのもくろみは見事に外れました。伝統のある大きなお宮さんでここの神主さんかも自信が無くなり、声も掛けずに引き上げました。さあ淀川を歩きます。

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歩道橋が綺麗に掃除されている。誰かが掃除しているのだろう?

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ここは河川敷です。畑の様に整地されているのは春を待つ花壇?ここは国交省が管理している。

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以前は釣りが行われていたのだろう?監督官庁?からしめ出されて今はその面影も無い。淀川は一般市民には開放されていない。そしてその実態は自分の眼で確認する迄は分からなかった。親父は釣りには興味が無いからどうでも良いが、お役所任せではイカンだろう?そんな思いを強くする。

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向こう岸(東岸)に比べてこちら側は河川敷が広い。その為に水辺には葦原が広がっている。その中を歩いていると流石の親父も身辺の不安を感じる。それでも後ろを振り返ってみても誰も歩いてはいない。

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ここは河川敷。一見野原かと錯覚される。

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整備された河川公園。殆ど人っけなし。何の為の誰の為の公園なのか分からない。
仮設のトイレも男性でないと利用出来ない程のお粗末。この公園の利用がこの程度でもこの公園を管理する国交省は痛くも痒くもないのだろう?この整備は税金で行われている事は考えなければいけない。

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JRの淀川鉄橋この歴史は古い。淀川の改修より早かったに違いない。

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ここも河川敷です。これだけ木を伸ばしていいのかな?

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十三の淀川西岸から広い広い淀川の河川敷を歩いて来たがこの辺りに来ると川幅が一杯の広がる。それでもコンクリ−トの厚い堤防迄は少しの距離がある。

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先週この反対側で毛馬の水門を見る。この橋の近くに建設当時の石碑がある。

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淀川改修工事で広くなった川幅に架かった橋を見て、当時の人は何を考えたのだろうか?今の様に多くの車が通る訳でもなく人も疎らで今日の繁栄は想像出来たのだろうか?

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これが淀川の堰。ここ迄は海水が入っている。川の流れの影響で塩分濃度は薄まり塩気は殆ど無いに等しい?(なめてみないから分からないが)この堰は淀川の流れを変えた明治の面影は無い。何度か改修工事をしたのだろうか?どう見てもこれが当時のままとは思えない。それではよく見て下さい。これが明治の大偉業です。

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この画像ではよく見えないがこの水面は堰の上。堰の上と下では水面の高さが違う。今日は50センチ位だったがこれは大雨の時には当然違うのだろう?川の流れを変えただけでなくここに堰を設けて下流に流す水量を調整する。昭和の終わりに長良川に堰が作られたが、明治の終わりに淀川の流れを変えたこの堰は大阪市内の大川の洪水を無くした。明治の先人が私財を投げ売って政府を動かした偉業に拍手です。

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魚の通り道はきちんと確保されている。

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この正面が毛馬の水門。何でこうもんというのだろう? お役人の感覚は分からない
大川の流れは正面。そこにも水門はある。こうもん?黄門ちゃまではないだろう?

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昔の面影を見る。建設当時の河川敷はこうだったのだろう?しかしこの広い川幅を決めた根拠は何だったのだろう?そして当時の川幅がこれ程に広かったのかは親父にも分からない。明治の時代は今日の様に立派なコンクリートの堤防は無かったに違いない。その事はこの先で淡路の駅に向かった時、堤防の高さで分かる。土手の道。それも無かったに違いない。

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何故かこんな所に船着き場がある。この淀川を三十石舟が行き来した江戸の昔ならいざ知らず今でもここに接岸される船はどんな船だろう?それは種明かしをしない方が良いのかもしれない。(知らない癖に?)大体分かる気がするけどこの水面を見ていると川の流れの意外な一面を見る事が出来る。

川底は見えないが綺麗にドブさらいがされている。政界も経済界もマスコミも親父達の生活もそしてあなたの生き方も、今、その事が求められている事を川は教えて呉れている。穏やかな日々は決して偶然の産物ではない。淀川は意外に無臭でした。

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ここも河川敷 日没まではまだ余裕があるけど少し疲れが出て来る。

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ここは水道の取り入れ口。浄水場で殺菌、洗浄され大阪の水は美味くなっているが今この水道事業が岐途に立たされている。大阪府営と市営。何で別々にやらなければいけないのか?問われている。そんな事は簡単だろう?そんな事が分からなくて大阪都構想も無い。世の中そない甘いもんやおまへんえ。エー? 信じられない。

そう、信じられない事が今平然と行われている。その事に気付かなければならない。
今日は多くの意外な発見がありました。足も疲れましたが明日はこの先を歩きます。最後に淀川堤防淡路の夕暮れをお見せします。

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明日はどんな出会いがあるのだろうか? 親父の写真の撮り方が良くないが正面に微かに山々が見える。生駒、葛城の山系に続く枚方、交野の山々。この川を遡って行くと親父が新婚の頃に過ごした天王山と対岸の八幡の山に挟まれた山崎の地に辿り着く

でもその時はまだまだ遠い。

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何処を探しても分からなかった眼鏡が出て来る。

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先週行った淀川毛馬の水門。後ろの建物はこの水門を管理している国交省の管理事務所。左のアスファルトの道も車の通行は禁止されている。その外(左側)に心地好いゆったりとした歩道が在り更にその外に少し下がった狭い道が在るが、流石にそこは歩けない。淀川を隔てる柵には「危険」「注意」の標識がある。今日はこの左岸を歩く。

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このアングルで見るとその感じが良く分かる。この場所は水門に向かう土手の上。
左側のアスファルトの地面が水門近くは無くなっているがその道は工事関係者用なのかも知れない。今日はこの対岸迄歩きこちらに戻って来る。正面に見える橋は水門を管理しているお役所用。一般人は左にある長柄橋を通らなければならない。

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これから出掛けます。テレビで今、仙台のホームレスの報道をしています。何で生活弱者に行政の優しさが手を差し伸べられ無いのだろうか?マスコミのオバカは手が回らないとか本人達もその気になって行動しなければならないとか言っているがその通り。その通りの事が如何して改善されないのかその追求が無い。

現実は本当に厳しい。東北の復旧が遅々として進まないのは人々の勘違いも少なく無い。政府、行政は私達が思っている程、被災地の見方ではない。その事は沖縄の基地問題、福島の原発問題を見ると良く分かる。

この国の歴史の中で政府、行政が国家、国民の為を思って行動出来た時は本当に少ない。その事が分かれば反対に自分達の事は自分達でやる。だから選挙の時はそのおつもりで腹をくくるしか無い。

大阪の地域政党も威勢の良い事を言っているが、自分達の考えが全てを変えられると思うな。自分達に出来る事は些細な事であると開き直った時、道は開けるのだろう。
昨年の暮れ12月の初めから歩き始めて今、その事をしみじみと思います。

「腹をくくれ」その本当の意味は良く分からないが、親父なりに解釈すれば色んな感情を整理して一括りにする。決心、決意。不退転。人を頼りにしない。そんな思いかもしれない。生活が豊かになり物には不自由はしないと思われている常識が突然覆った時、人はどう生きるのかその事が問われている。

他人事見たいのお間抜けな解説しているテレビのコメンテーターも政治家も経済界のリーダー達も人事では無い。「商売繁盛で笹持て来い」アンタに言われる前にいつものお店でおにぎり2個買って歩いて来ます。

昨年師走の初めどんなに探しても見つけられなかった眼鏡は何故か整理ダンスの一番下に入っていました。おっかあがタンスの引き出し位、閉めときなさいと言っていたのかもしれません。親父の狭い部屋もも少し片付けないと又、探し物が見つからないかも。その時は又買う?アキマせんなあ?枝雀さんに笑われている。葛根湯?この話は枝雀さんの「夏の医者」落語 昭和の名人CDを聞いて下さい。

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2012年1月 9日 (月)

豆腐の雷炒めにハマっている。材料は固い豆腐と白ネギがメイン。

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冬の山枯れとは思えない静かな大木。いつも山に上がるとき見上げるが何も語る事は無い。それでも何時見てもその大きさに圧倒される。今年は寒さに強い親父も流石に寄る年波に勝てないのか(まだそんな年ではない)遠赤外のセラミックヒーターを手放さない。10ねん近く前に通販で買ったこの相棒は故障もせず、安い電気代で親父を温めている。

そんな情けない親父も食い物には煩い。不味い物は2度と口にしないし美味い物は毎日でも文句はない。そんな親父の扱いに手を焼いたおっかあが居なくなって一番困ったのは買い物。買い物をしなくても飯は食えると思っていたが、外食だけでは生きて行けない。結婚前の時は自分で食材を買うと言えば寿司位だったが、それも適当なお店を知らず阪急梅田の地下総菜売り場でマス寿司を買うのが何よりの楽しみだった。

そんな親父が今平気に買い物をして外食の機会は殆ど無いのは何とも皮肉。「哀れな者よ」とどれだけ情けない思いをしたか事か?そんな生活を15年も続ければ全く気にもせず「今日は何にしますか」と少ないレパートリーにも不満は無い。

今ハマっている献立はフライパンに食用油を多めに落として(大さじ3杯位?)充分に温めて(煙が出る寸前)硬めの木綿豆腐(これも決まっている)をコマギレに包丁を入れ一気に入れる。(油の飛び散り注意)続いて白ネギ2本を5センチ前後に切ってまな板から滑り落とす。

これに白身の魚、安いコマギレの肉、厚いハム。お好みの物を一つ放り込めば味付けは塩こしょうのみ。最近はプライベート商品の安いダシを多めに入れている。これに卵を2個を落とし込めば出来上がり。誰でも簡単にお安く栄養満点のオカズが出来る。これが親父は今一番ハマっている豆腐と白ネギの雷料理?です。

今BS放送で山田監督が「寅さん」の時代を語っているが親父達が懸命に生きた時代。
親父が若かった頃職場の馬鹿が仕事場で良く真似をしていた事を思い出す。あの人を馬鹿にした生き方を軽蔑していたが、この映画がテレビ放送される様になってその思いが変わる。おっかあがこの映画が好きだったからだけでは無かったに違いない。

その事は今、一番理解出来る。この国の繁栄とその歴史。高度成長の時が過ぎただけでなく国も地方も親父達も変わった。映画の時代も変わりテレビも変わり人の生き方も変わる。その事はこの国の歴史のほんの一コマだったに違いないが、あの時の教訓はどう生かされるのだろう?その事も今問われている。

これから豆腐と白ネギを買いに行きます。昔の事はその内笑いながら語れる事が在るのだろうか?その事も今、問われている。賠償千恵子の「サクラ」も歳を取ったけれどその事だけは忘れてはならない。黄色いハンカチ。武田鉄矢、桃井かおりも若い。

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峠うどん物語(下)巻読み終わりました。お勧めです。

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途方にくれたとき、背中を押してくれる一杯のうどん。
あたたかくて、涙がとまらない。そんな帯カバーに目が止まり「でもそれが生きるってことだから」その殺し文句に手を取った本。

パラパラとめくった内容に心が惹かれ一気に読める喜びを感じていました。その(下巻)も読みました。上下の区分けが何だったのか良く分からなかったけれど、峠の祭礼場前うどん屋の主人頑固親父とおかみさん、その様子を中学生孫の眼で描写をしている作者の想いは久々の感動を親父に与えてくれました。

高校生になった孫と年老いて行く爺ちゃんと婆ちゃん。うどん物語のその後を是非期待したい。下巻の第六章〜第十章まで話が50ページ前後で完結し、程よいペースで読む事が出来ました。お勧めです。人の生き方、老い方、人の支え合い、思いやりの心。何時迄も変わらぬ生き方が出来る事は本当は最高の喜びなのでしょう。

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今日の大阪は寒々として太陽の光はありませんが、どんなに明かりが無いと思ってみてもこの道は変わらず、その反対に嬉々として歩いてみても同じでしょう。この道を歩いた時にいつも感じていた体調は今でも変わらないが、何時迄も元気な体力が在ると過信してはならない。希望在る限り若く、失望と共に老い朽ちる。サミュエルソンの言葉を忘れては行けない。

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華やぎの時は終わり今はすっかり艶やかな紅葉の装いを落としても、今年の秋も夕日に輝いてくれるに違いない。東北十和田と八甲田の紅葉には勝てないが、昨年も見せて呉れた五月山山麓の公園の姿。多くの人に見向きもされなくてもそれで良いのだろう。美しく輝いている人は今年も元気です。

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エコカー減税?そんな事をしているからこの国の財政はおかしくなる?

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今日からエベスさん。関西では親しみを込めて恵比寿大黒をこう呼ぶ。
明日はこの服部天満宮からではなく、大阪淀川十三の神津神社から淀川西側を上流に向かって進む。何の為に?淀川の流れを変えた明治の先人の偉業を探る為です。

「馬鹿げている」と言われても昨夜ネットで調べてみると凄い人が居る。親父と全く変わらぬ思いで、いえそれ以上の思いを重ねて「淀」の手前迄行っている。淀は今日京都競馬場があるが淀の城址を知る人は少ない。親父も行った事は無い。

十三から長柄橋、この先は京都と大阪の交通の要衝だった「館舟」が行き来した。この道は今日(こんにち)淀川の西岸からは遠いが阪急京都線。東岸は京阪電車が通り親父とおっかあが淀の手前、八幡の親戚の家で義父母とお世話になった。

今はみんな居なくなったがあの時は40年弱前の話。あれから色んな事が在ったがこれも何かの因縁です。多くの思いを重ねながら多くの発見があることでしょう。
歩く事は疲れますが車では眼にする事が出来ない些細な出来事に出会う事が出来ます。昨年の12月からハマったこの喜びと感動は足の疲れを克服した時、次の舞台に奨めるのでしょう。今日もう一日休養をして明日から又歩き始めます。

君の行く道は果てしなく遠い。
だのに何故歯を食いしばり君は行くのか、そんなにして迄。

君の行く道は希望へと続く。
空に又日が昇る時君は又、歩き始める。  若者達より。

親父、そんな歌も知らないけれど親父は若者ではない。程々にしなはれ。

長い長い混迷の時を、重い思いを重ねて生きて来た証しは、これから明らかになる。
喜びも哀しみも幾歳月。この言葉も知らんやろ。今は居ない灯台守。日本各地の僻地灯台を訪れる人も少ないが、これからの道標は体力と精神力が決める事を思い知らなければならない。ボヤキや嘆き、迷いの気持は何の収穫にもならない。その事も忘れなければ積年の怨念は必ず晴らすに違いない。


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2012年1月 8日 (日)

明日に架ける橋 

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1970年代と言えば今から40年以上前の話。と言う事は親父も若かったし希望に溢れていた?挫折していた?でも迷いは無く淡々と生きていた。男だから泣き叫ぶ事も無く今の様にボヤキの言葉を重ねる事も無く、唯、淡々と生きていた。

20代半ばを過ぎても同期の桜達の結婚にも感動は無かった。何でだったのだろう?人を愛する気持ちが無かった訳ではなく、すれ違いの想いも少なくはなかったが、自分の生き方がまだ固まっていなかったのかも知れない。仕事に慣れて会社は順調に発展していたが明日に架ける思いはこの歌を聴いてもまだ固まっていなかった。

今、この歌を聴いている若者達が、現実の自分達の荒波に自分の思いを重ねている。
困難な時、生きる事に歓びが感じられない時にこの歌を聴いてみると、心の荒波が穏やかになって来る。大川に掛かる毛馬の橋は歩道橋だけれど、その上を南北に突き抜けている阪神高速の守口線は車の通行量は多い。この橋が明日に架かるレインボーと成る時は何時の日だろう?今でも渋滞が少なく無いからその時はないのかも知れない。

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大阪にこれ程の静かな日の入りが在る事を知らなかった。親父が見ていた六甲の山並に沈む夕日とは趣が違う。荒波(troubed water)はここにはない。それでもこの街で生きている多くの人が明るい未来を探し求めている事を忘れてはならない。

今日は歩く事はお休み。何で?(日曜日だから)毎日が日曜日のくせに。

少し歩き疲れて足の裏の皮がめくれてはいないけど浮きかけている。足の裏を擦りながら誤摩化しながら歩く為には、お休みも必要です。次の目標は淀川を遡る事。

10日恵比寿に十三の神津神社に顔を出してそれから東に向いて淀川を遡ります。何処迄と言われても気持が変わらなければ昨日歩いた長柄橋の北詰め(北端)迄は間違いない事でしょう。どれ位あるのかな?6〜7キロ。そんなもんでしょう。そこを歩けば新淀川の工事がどれだけ大変だったかが分かる?無理かな。

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2012年1月 7日 (土)

明治の偉業 平成の大事業は何だろう?

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10日は西宮恵比寿が有名だが関西ではこれだけの恵比寿祭りがある。昨年の恵比寿祭りで「商売繁盛で笹もてこい」と紹介した時にその笹は酒と訂正を求められたが、実際は商売繁盛を祈念して笹を持って行く風習に変わっている。

実際はそれも掛け声だけで飾りの付いた笹より竹で編み上げられた篭の中に恵比寿大黒が鎮座している。それを買い求めて新年の商売繁盛を祈念する。それが実態です。解説を聞くと実も蓋もない。そんなつもりでも無いのだろうがこの大黒様の顔も少し貧相。

今年の景気を心配しているのだろうか?今年は東日本大震災からの復興元年とか言われているが、そない甘いもんやないでしょう? 今年はこれまでの国の常識、経済界の常識が覆されるに違いない。これ迄信じられていた事が、いとも簡単に変わる。

何時迄も出鱈目な事(国の予算執行、お金の使い方に無駄が無い)そんなオバカな官僚と天下り役人の言葉が通じる訳が無い。税金を上げる前にやるべき事が逆になっている。言葉を尽くせば理解されるとはどんな感覚なのだろう?

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親父が18の5月の時から7年間この階段を利用していた。その頃と何も変わっていない。この道は10年先も変わらないだろう?しかし親父は間違いなく再びこの道を歩く事は無いだろう?そんな気がしていた。意外に分からないけれど。

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阪急電車のガード下。この先阪急梅田駅。阪急三番街のターミナルです。東京、四国、山陰行きの高速バスもこの先のバスターミナルから出ています。

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天神橋6丁目は梅田の東北にある。このビルは昔はなくてこの辺りはこんなに綺麗だはなかった。道も広くなっているがその道がまだ綺麗になっていないのも、大阪らしい。(大阪だけの事ではないのかも知れない。何時迄も何処迄も変わらないこの半端な道路の整備)

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JRのガード。ここは昔のままです。しかし右側の車道は綺麗になっている。

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この中途半端な道路の改修。電柱の地下埋設は関電の仕事ですか?発電と送電の分離はこんな処にも影響している?街造りは誰が管理しているのだろう?

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懐かしい街。天神橋筋6丁目交差点。何十年振りだろう?この地下を走っている地下鉄工事でガス爆発の事故が在りとうとう人命を失った面影は何処にも無い。この右側の有名な商店街がある。親父が若い頃先輩と通った飲み屋さんはどうなったのだろう?美人の娘も今はその面影もないだろう?(人の事が言えるかハゲ)

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右側に商店街のアーチが見える。今日はこの門を左に折れ淀川の堰に向かう。明治時代の30年位迄この地域は水害の被害を受けていた。その天災に立ち向かった明治の大事業はこの先にある。今はその事を知る人も少ない。

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この街も今急速に変身中。しかしその計画的な街造りは感じられない。淀川の流れを私財を投げ打って明治政府に陳情しようやくその思いを成し遂げた先人はどんな想いでこの街の変貌を眺めているのだろう?

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大橋はこの先にある。

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敗戦間際、この橋も爆撃されて犠牲者を出している。この爆撃の後を良く見て下さい。日米安保。この言葉はアメリカの空襲で無くなった、戦争とは全く関係のない民間人と住宅を焼き払った愚かな戦いの何処を反省しているのだろう?平和な時代を生きた親父達はもっとその悲惨な歴史を後世に語り継がなければならない。

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阪急千里−天六線

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淀川の堰 明治の後半。外人(オランダ)の土木技師を招いて右に流れていた大川の流れを左に流す。この堰の説明看板を見るとその偉業の解説は無い。明治の時代にこの国の人達が成した事業は少なく無いが、この堰の存在を知る人も少ない。

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こちらが大阪市内を流れていた(今も流れている)大川。この右側に堰が在るがそれよりも川の流れを直進させた偉業を知らなければならない。

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これから暫く大川沿いの道を歩く。一度も歩いた事の無い道。意外に綺麗な川沿いの道。しかしトイレが無い。公園にはなっていない広い広い水辺の道。間違いなく綺麗に整備されているがジョギングとサイクリングだけの道では勿体無い。歩け。歩け。

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宵闇迫る上空をジャンボが降りて来る。昔の様な金属音がしないのはエンジンの改良がなされたからだろうか?これくらいの騒音ならば住民も気にしないで住むのだろうか?それでもここは大都市の真上。伊丹空港の廃止を前提に作られた関西空港の一元化がされないのは、地域行政の約束違反だろう?既成事実の積み重ねは今も続けられている。(大阪湾の埋め立ては今なお続けられている事を知る人は少ない)

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都島橋を渡り大阪駅雪のバス停を探すが反対側。天神橋筋6丁目迄歩く。途中で暗くなり方向が分からなくなるが大阪府道路地図25000分の1で確認する。若い頃営業で利用した路面電車は無くなりその下を地下鉄が走っているが、年寄りには全く無用の長物。

何でオシヤレな路面電車を残さなかったのだろう?バスはアカン。ノンステップのバスは少ないしどれも満員。それに比べると電車は良かった。地下鉄?あの信じられない深い階段と長い通路。この達者な親父でも閉口する。

都市も田舎も年老いて人が住める所では無くなっている。達者に歩け。最近股関節と膝に笑われている。そのうち歩く事をズルするに違いない。東海道を歩く?その前に四国の遍路道どないなりました?御心配なく。

31番札所からの道。春になるとぼちぼち(でなく一気に)走り抜けます。(嘘をつけ)イイエ必ず電車とバスで。それはアカンで。(高知の道はそうでなければとてもとても)今の親父には歩き遍路は無理です。そのつもりもありません。

 

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オリンパスの社会的責任の罪と罰

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昨日歩いた「服部天満宮」。近くにこんな立派なお宮さんが在ったのかと思いました。12月最初に歩いた時分からなかった、このお宮さんが如何して「足の天神さん」と言われる意味も分かりました。昨日のブログでその解説をしている絵馬を並べましたが、見難くて分かり難かったでしょう。

簡単に解説すれば京都から九州に左遷された菅原道真が足を痛めこの地で静養している時に、自分より100年も前に同じ様に足を痛めこの地で無くなった先人の供養をする。そのお陰で道真公の足の痛みは急速に回復し九州に旅立つ事は出来たと。その後、この能勢街道は人の往来が激しくなり人々の足への思いは深まったと言われている。(これは後の世の人の都合の良い伝承かも知れないが)

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現在人は本当に歩けなくなりました。アスリート、プロ野球の足を殆どの人はまじかで見た事は無いと思うが、あの足とお尻のラインは年老いても大事でしょう。今年は歩きますよ。歩いて歩いて足の裏が違和感を感じなくなった時、親父の体重は80を切る事でしょう。親父が大阪に来た18の時の体重に戻る事は無理としても。

ゴルフで80を切るとシングルプレヤーですが親父の場合、体重を減らす為の歩きだとすれば容易ではないかも。昨夜、サウナに入り体重計に乗った時、その甘い思いをはじき飛ばされる。体重計の針が舌を出して笑っていた。「まだまだ。そない甘いもんやおまへんえ」そう言われていた。がっくしでした。

オリンパスの医療機器。内視鏡の絶対的品質と性能が他の追従を許さないと言われている。親父はその恩恵にあやかっていないし46の若さで旅立ったおっかあもそうだった。その性能の高さは検査と外科的手術が容易になっただけの事。

しかしその高い技術に反比例した企業のコーポレートガバナンス。(難しい言葉やのう。なんで企業の内部統治とか企業を経営者は私物化してはならないとか言わないのだろう?)それは日本だけでなく多くの会社の経営者、労働組合、その国のリーダーと呼ばれる人達ににそんな気持ちが無いからだろう。?

会社の経営状態の報告書(財務諸表、貸借対照表、損益計算書)を長年にわたり誤摩化していた企業の責任が明確にされない。この国の資本市場の在り方が問われても尚この体たらくは一体何事だろう?反社会的勢力の追放?検察と警察にその真価が問われて久しい。もっともらしい事を言いながらこの国は国家としてのガバナンスを失っている。

その事を痛感すれば歩け。歩け。歩いて己の体は己で管理せよ。医者は医療機器では直せない摩訶不思議な人の体は歩く事で保たれている事を知らなければならない。しっかりと腕を振り背筋を伸ばして歩けなくなったら、その時は無駄な延命治療をせずにおさらばです。今世と来世その生き方は今も昔も変わらない。

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2012年1月 6日 (金)

歩いて来ました。大阪迄。十三大橋を越えて来ました。おっさんにぶつかるけれど。

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このレジャービルは古い。親父が若い頃から目にしていた。しかし当時の面影は無い
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豊中が台地になっている事をこの場所で実感する。車では良く分からないが歩いて見るとその段差が良く分かる。大通りは緩やかにカーブして登って(下って)いる。
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この木何の木気になる樹。幼稚園内の千両、万両、一杯の赤い実を下げている。

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服部天満宮 足の守り神様と言われる意味が分かりました。

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この近くは昨年十二月歩いた時に足の疲れを感じていた所。今日は歩き始めて間も無いと言うのに足の股関節と指の付け根の皮に違和感を感じる。それでも今日は何としても大阪迄歩く。その気持ちは変わらんかった。男が一度決意したら歯を食いしばっても歩く。そんな気持ちも無く唯淡々としていた。不安な気持ちも有ったけれど。

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昔懐かしいブリキの看板。

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大阪に来て始めて電車で越えた鉄橋。あれから半世紀の時が流れても何も変わっていない。「大阪の再生」この言葉を親父も簡単に使っているが大阪をどんな街にするのかはそう簡単な事ではない。最後にお見せする大阪北ヤードの建設も何をどうするのか何も明確にはされていない。都市も地方も変わらなければならないが、どう変わるのかは口で言う程簡単ではない。この近くで畳屋のお店を構えていた昔の友も今はその跡形も無い。結局人のふんどしで調子の良い事を言っていれば「再生」とでも思っているのだろうか?(又、ボヤキが始まっている。)

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大手電化量販店の前は電気洗濯器の工場でした。このお店がオープンして数年が経っている。賑わいはどうなのだろう?電化製品だけでなく色んな物を売らないと生き残りは難しいのだろう?このお店が繁盛している大きな要因は近くに大きなマンションが在るからかも知れない。

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左から夕陽が当たり少し露出が飛んでいる。神崎橋を渡ると大阪市。向こうが豊中市
少し風が出て来たがここ迄来るとゴールは近い?(まだまだ、ここから4キロ長い)

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懐かしい結婚式場も大分くたびれていた。市場の2トン車でこの前を通って始めてのお店に野菜の配達をしたのは今から10年も前の事になる。車の配達で見知らぬ所迄配達していたが事故を起こさなかったのは何よりの事だった。

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阪急神戸線踏切。左奥に見えるのが十三の駅です。

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十三駅前のオバはんパワー。これが大阪の勢い。品が良いとか悪いとか。そんな事は全く気にしていません、それでも自分達は人に何も迷惑を掛けているとは思わない。
この街が綺麗になるにはそれなりの覚悟が必要です。しかし、その認識は何も無い。
それが大阪です。その事をこの先の十三大橋で体験する。

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大阪の街が見える。この川が人工的に改修された事を知る人も少ない。大阪市内に流れ込んで大阪城の守りでもあった淀川は氾濫を繰り返し、市民の生活を脅かしてた。
その大川の流れを変えたのは明治の壮大な河川改修工事でした。今年はその偉大な先人の足跡をたどる。(親父、と言う事は琵琶湖迄行くのか?アンビリバブルです。)

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車も歩道の自転車も見えないがこれはタマタマ。そのタイミングを見計らっている。

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ここは橋の出っ張りの所。橋の歩道を歩いているとその左を結構多くの自転車がすり抜けて行く。この先で後ろを見ないで左に寄って川を覗き込もうとしたら、後ろから自転車にぶつかる。「ごめん」と顔も見ないで謝るとサングラスを掛けたおっさんに睨まれる。サングラスを掛けたまま睨みつけるその気持ちも分からないではないが。

そんな事で怯む親父では無い。「謝っているだろう。文句があんのか。」声を荒げる
その言葉を待っていたかの様におっさん顔を突き出しながら「俺が何か言ったか?」
何も言わなくても怒っていた。だから謝っただろう。同じ言葉を繰り返す。

親父もすごんでいた。取っ組み合いになって川に放り込まれたらどうする?その心配は無い。その言葉を親父が口にしていた。おっさんもその威勢に負けて動き出す。「馬鹿やろう」悪たれをつぶやいている親父を無視して自転車に乗る。それだけ。何事も無かった様に時間が流れる。親父も歩き出す。

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中津の駅です。親父が7年間乗り降りした頃と何も変わっていない。この狭いホームを通過する電車に巻き込めれた事故も無いのは、利用者がその事を注意しているからだろうか?電車もスピードを落としているのだろう。

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北ヤードの一番北側の住宅ブロックの建設も順調に進んでいる。この大阪の一等地に住める人は意外に日本人は少ないかも知れない。しかしそれ程の多くの外国人がこのビジネス街に住むのだろうか?そんな事は全く関係無しに工事は進行している。

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今日もここ迄歩いて来ました。ここ迄です。この先は大阪の繁華街。雑踏の先にこんな静かな景色が在る事を多くの人は知らない。この先はガード下を潜り右に行くと梅田。明日はこの先を左に進むと天六への道です。この道も北大阪線の道。しかし今はすっかり綺麗になっている事でしょう。その先は淀川改修の毛馬の水門です。大阪に来て一度も見ていないこの水門が出来たお陰で、大阪の今日の発展がある。

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このお店も一回暖簾を潜らなければならない。

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阪急電車梅田駅の地下飲食街。親父はここに足を踏み入れる事は殆ど無い。訳はこの街で食事をするお店はカレー屋さんと反対方向だから。これから探検しますか?しないだろう。この道を歩く事は当分無いだろう。

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一月一日の歌 そんな歌は知らないでしょう?

昨夜(と言っても今日になっていたが)床に入り(この床もすっかり敷きも掛けも毛布すらもくたびれたが)深夜放送のタイマーをセットしてFM放送を聞いていると、懐かしい歌が紹介されている。一月一日の歌。親父達が正学校の時、一月元旦の日は学校に行って、校長先生と来賓の名士の話を聞いて紅白の薄饅頭(まんじゅう)をもらって、この一月元旦の替え歌を歌いながら意気揚々と帰っていた。

今のガキ達の様にお年玉なんか貰わなかったがこの饅頭を家迄持って帰るのが、何とも嬉しかった。それに比べて今の正月の味気なさ。これから歳を重ねる度にその寂しさは今以上になる事は間違いない。その事を胆に銘じて今年も又、同世代の人達とは違う生き方をしなければならない。親父が同世代の生き方に全く関心がないのはぼやくだけでは何も変わら無い事が分かっているからかも知れない。?

今年の正月はつまらない箱根駅伝とJRAの金杯を見たが、一番良い正月が出来たと思った事は近くの一番険しい散策のコースを息切れしながら登った事。それと昨年2日掛かりで歩いた道を2駅足りなかったが小雪の舞う中を歩けた事。何と言っても懐かしい電車から見ていた道を自分の足で歩ける事は最高の喜びでした。

さあ、今日も歩いて来ます。昨日の続きで今日大阪迄歩ければ一日に歩いた距離は8キロになります。歩いて見ると多くの景色を見る事が出来ますが、一番の喜びは達成感。山登りをする人の気持ちが少しは分かる気がしますが、楽をしてスリムになれる。それは通販の健康食品、健康器具、健康飲料を手にする事とは全く違います。暇と気力と決意が無ければ出来る物ではありません。

年の初めの試しとて、終わりなき世の目出たさを、松竹たてて門毎に祝う今日こそ楽しけれ。2番は流石の親父も忘れたけれど替え歌の最後は「雑煮食うこそ楽しけれ」それだけは覚えている。貧しかったけれどあんこ餅が食えた喜び。あの餅つきの杵の音と親父とお袋の無言の所作は忘れる事は無いだろう。Img_0623

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この先ガードを潜ると大阪梅田の繁華街は右側。今回目標の天神橋六丁目は直進。マップで距離を測ると2キロ前後だが、北大阪線の路面電車がはしっていた道はすっかり綺麗になっているに違いない。しかし、今日はここ迄が関の山だろう。ここ迄歩ければご褒美です。お気に入りの「峠うどん」下巻を買ってカレーを食って帰ります。

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2012年1月 5日 (木)

ぼやいていないで珠には面白い話をして下さい。

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昨年の師走。年も押し詰まった時、メタボな見難いお腹を擦りながら、これではいけないと一念発起して歩き始めた道。この天神さんの前の表札を見ながら「足の神様」と崇められていたその意味に首を傾げていた。良く分からない解説に余り気にもしなかったが、明日はきちんとお参りして多くの奉納されている絵馬と建物に、往時の人の思いを感じ取らなければ成らない。

面白い話はミカンの話。ミカンは死んだカミさんも好きだったが、昨年から親父も近くの八百屋の298円大盛りにハマっている。正月休み明けのいつもの店を覗いて見ると有る在る。大きめのミカン16個でこの値段なら文句は無い。

そろそろミカンも取れ立てで無くなるから皮も柔らかくなるが、実はソコソコにジューシー(果汁が豊かで喉越しが良い)でないと親父の口には合わない。その親父がハマるのだから文句は無い。時々ジャンボサイズが出て来るがその時は15個。それでも外れはない。

今日、そのお店の歩道に迄突き出した篭の廻りに、珍しく親父お気に入りの青年は居なかった。大分前この狭くなった歩道を歩いているといきなり耳元で大声を出した親父も今日は居ない。この親父お店の古株で常連の顔を見誤る事は無いが、時々そんな無礼もしでかす。だから親父は嫌いだが若い青年とは目で会話が出来る様になった。

この八百屋は親父が市場の配達をしていた頃、知り合いになったが当時の事を知る青年は今は居ない。だから若い青年も親父が何処の誰かは分からない。今日は表に出ていないので居ないのかと思いきや店内で仕事をしていた。

しかも昨年の髪型ではない。坊主頭になっていた。忙しそうにしていたので目線だけ会わせると勘定をして外に出る。ミカンを入れた袋は何故か透明。「これではスーパーで買い物は出来ないな」と思っていると後ろから声を掛けられる。

大将と言われて振り返ると青年が追い掛けて来た。「今年もよろしくお願いします」「おっ髪を切ったな」それだけの会話だったが清々しい気持ちになっていた。
近くのラーメン屋の店長にしても大阪西区の簾屋のオーナー浅井、中西にしても、親父のお友達は何故か若者が多い。それだけ年寄りには魅力が無いのだろうか?それは違う。若者でも阿吽の呼吸が通わなければ見捨てられている。

昨年末から歩き始めて少しずつ体重が減り始めているが、お腹の凹みは何故か下腹部から進行している。親父的には上腹部から凹んでほしいがそうはいかない。おへその下から凹んで何が困るかと言うとパンツとズボンが下がる事。

ズボンは下がると持ち上げてベルトを締め直せば良いがパンツはそうはいかない。ゴムひもがボクサー用でないとずり落ちてしょうがない。しっかり歩いてヘソから上の出っ張りを凹ませなければならない。

幸いにもお腹を突き出さずに歩けるのでその時は遠い事ではないかも知れないが、まだまだサウナでお腹を見下ろすと太鼓腹の凹みは大きくはない。人の体型は目に着いても自分の事は意外に分からない。人の批判はそこそこに自分の生き方を変える。
その事が今、求められている。親父は暇だから多くのニュースを見ているが、その一つ一つに反応する事は止めて大らかに生きる。その事も忘れてはならない。

それでも今年は激動の年になる事は間違いない。その為にはオバカなテレビばかり見ていないで、大好きな本とジャズを聴きながら至福の時を重ねなければならない。それが出来るかどうかは空海様のみぞ知るのだろう。

明日から又、歩きます。淀川の十三大橋越えられるかな。

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先日何気なく大阪のデカイ本屋で手にしたこの本は本当に面白い本でした。

作者の名前も経歴も知らず別の詩集を探している時に何気なく手にした本。

親父が本を買う動機は大概決まっているが、この本は全くこれ迄の買い方と違っていた。中味をパラパラと読んだ時長編小説なのに序章が有った事。そして多くの話が大体50ページ位で終わる。それよりも登場人物の中学女性の目線で話が進むのが面白い。

ハードカバーで最新版。親父の好きなパターン。文字もソコソコの大きさで難しい漢字にルビ(ふりがな)が打たれているのが良い。話が難しくない。しかし、その話がいま、届けたい物語と言われると噺家さんの人情話を思い出す。

この訳の分からない時代に単純明快は話は何とも読んでいてニンマリとさせられる。そんな人の繋がりが何ともたまらない。本は手にした時の重みが何とも言えないが中味はそれ以上に期待を満させられる。

作者は知らなかったが10年以上のキャリアが在る。一気に下巻も読めそう。面白い事に書き下ろしは序章だけ。第一章は2006年一月に小説現代で発表されている。最後の話は2008年七月。今から3年と半年前の作品。

多くの作品の中からこれだけの作品が何故上巻に収録されたのかは下巻を読んでみないと分からない。その時はそう遠くでない事は間違いない。ハードカバーだから1500円は安くはないが文庫本と違って読み易い。親父は下巻を読むと他の作品を読み続ける気がする。最近、こんな本が読めるとは感動です。楽しみです。

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沖縄の人の声を真摯に聞く?何だこのふだけたコメント。

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師走の穏やかなこの景色は今は無い。今日は大阪も寒い一日です。でも近くのおにぎり屋さんんも総菜のお店も今日から仕事始め。天気予報を見ても山陰松江も寒そう。
10年前の今頃、寒い寒い仮設モノレールの仕事で雪山の中で仕事をした寒い日を思い出す。その事を考えて見るとこの寒さは比べ物にならないかも知れない。

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阪急電車宝塚線この区間だけ何故か高架になっていない。この近くを歩いた昨年の12月。近くの古くからの喫茶店の親父にその経緯を聞いた時、ふだけたコメントを聞いた。親父はその話を黙って聞いていたがその先の話を聞いた時、声を荒げる。

「地元の反対が有ったのか、無かったのかそんな事は知らない。この線路自体も何回も反対された」そんな事はどうでも良い。親父が聞きたかったのは高架に何故成らなかったかと言う事。知らないのなら余計なことを言うな。親父は美味い珈琲を飲みながら不快な思いを口にしていた。

「沖縄の人の意見を真摯な思いで聞く」年末の慌ただしい時に姑息な手を使って運び込まれた政府の環境調査表は7000ページにのぼると言われる。沖縄の嘉手納の基地を縮小する為に、辺野古の綺麗な海を埋め立ててV字型の滑走路を2本作る。そのアメリカとの日米合意をどうしても守る事が出来ないと何故言えないのだろうか?

その事はお間抜けな政治家だけでなくアメリカ政府、アメリカの議会も理解できないに違いない。そればかりかもっともらしいコメントを繰り返すマスコミ、多くの日本国内の有権者もその事が分からない。間違いなく言える事はこれからもその認識の違いは変わら無いのだろう。

それでもこの反対運動は10年以上続けられ測量の為の工事すら出来ない事をどう認識しているのだろうか?これから環境評価の事務手続きをして3月に沖縄県知事が工事の許可を仮に出せたとしても、工事は出来ない事をマスコミは何故報道しないのだろうか?

それは日本は法治国家だから?これ迄はそんな言葉が看過されて来たが同じ轍を本当に踏めるのだろうか?成田の基地反対闘争は学生が主体だったがそれとは違う戦いとは認識しないのだろうか? 沖縄の基地問題は日本人が一番避けて通って来た道。
その事がもう許されなくなった事が今でも認識されていない。反対すれば問題の先送りには出来ない事をどれだけの人が認識しているのだろう?

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このガードの音は親父が18の時に聞いたときと何も変わっていない。あれから半世紀の時が流れてこの国も地域も親父自体も大きく変わり、親父は次の半世紀の時を知らないがこのガードも沖縄の辺野古の海も、何も変わっていない事を誰が証明出来るのだろう?人は本当に愚かです。

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明日この道を歩く予定です。新年早々の装いは寒々としてこの景色の様に、歩く人は疎らでもこの近くの名神高速豊中インターへの道は忘れてはいません。名神が兵庫県西宮と愛知県小牧間が開通したのが親父19の時。あれからこの高速道路が果たした役割は計り知れないが、人の心の進化はどれだけの物が有ったのだろう?

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この先は十三。阪急神戸線、宝塚線、京都線の分岐点。その先に淀川を渡る大きな橋がある。明日はこの橋も渡り一気に大阪到着が出来るだろうか?それが出来ると前回の行程を2日で到着。16キロ足らずの道を2日掛かりで歩けても何の自慢にも成らないが、親父にとっては大きな大きな前進でしょう。

その先は大阪市内を東に歩きます。東は親父が25の時迄乗り馴れた路面電車の北大阪線。天六(天神橋筋六丁目)のターミナルがある。地下鉄の工事でガス爆発が有り多くの野次馬が吹き飛ばされた悲惨な歴史を知る人は殆ど無い。

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2012年1月 4日 (水)

失われた信頼の回復 それは出来ない事を知らないのだろうか?

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季節外れの向日葵もどき。原子力保安院は組織を経産省から独立させて今年4月から失われた信頼の回復に努めると言われている。失われた安全神話のメッキがはがれても尚、こう言う事を平然と口にする官僚の現状認識はいずれ裁かれるに違いない?

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親父の今日から仕事始め?(仕事もしていないくせに) 大阪は小雪が舞って歩きには良いコンデションではなかったが、気にせず帽子をかぶりプレゼントしてもらった手袋を始めてはめて歩速を速める。小雪が首に落ちるとひんやりする。コートの襟を立てて先月歩いた大阪への道をどれ位歩けるか挑戦する。やりました。8キロ。

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前回は3日掛かりで歩いたがこのペースで歩けば2日で行けるかなと思うと嬉しくなる。ナンダカンダ言った処で人の生き方はどれだけ歩けるかで決まる。走る事は出来なくても誰でも歩く事は出来る。歩く事が出来ない人は他の方法で自分の体調を管理するしか無いが、一日に歩ける距離は意外に短い事をあなたは知っていますか?

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先月はここで1日目は終了。今日はまだまだ元気。左の足の親指が少し違和感を感じるのは歩き方が悪いのだろうか?夕方が近づいているが実際はこれ程暗くない。ここは親父が若い時1人で住んだ街。すっかり街並は変わっても人の思いに大差はない?

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今日迄正月休みの生保のショールーム。久し振りにやっこ凧を見る。今年の景気回復を景気良く占う人も少なく無いが、その前に乗り越えなければならないアゲンストの風を知らなければならない。そうでなければ単なる希望的観測に叩きのめされる。
最近凧揚げをする機会もないが田舎の冬景色の中でも凧を揚げる人は少ないに違いない。

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今日は前回歩いた2日目迄の庄内迄を目標にしたが、あえなく2駅手前の曽根でダウン。無理をすればもう一駅は歩けたがその先迄は無理。靴の凹みを理由にした引き返す。無理をする事は無い。前回より明らかに歩く力は増している。

それが実感出来た事で満足です。一日歩ける距離がこの程度では話にならないがメタボな親父がこれ程に歩けたら感謝の思い出一杯です。親父の屁タレをお笑い下さい。でもあなたはどれだけ歩けますか?口先だけでなく歩いてみて下さい。そうすれば自分の屁タレが良く分かります。

今年の先行きの見通しを語る前に、失われた信頼は回復出来ない事を思い知らなければならない。原子力発電の安全神話。それはこの国の原子力発電をたたき壊した最大の原因です。電気は産業の米といくら尤もらしい言葉を聞かされてもこの国の政府と経済界、電力会社、御用学者と監督官庁が犯した原発事故の責任は免れる事は出来ない。その事がこれから問われる事をどれだけの人が認識しているのだろう?

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ネバーギブアップをどんなに重ねてもレッドカードを突きつけられた歴史を知らない

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アンタに言われたくない。総理の記者会見を聞きながらこの人のリーダーとしての感覚に絶望する。イギリスのチャーチルの言葉を引用して「絶対、絶対、絶対に諦めてはいけない」と言われても反対に「諦めろ」と言われている多くの人の言葉は耳に届かないのだろうか?そうではないだろう。そうではないからチャーチルの格言通り、弁解の言葉を考えているのかも知れない。しかし、この国の賢い人達は(アホな人でも。御免なさい)今、選挙を行えば(行わなくても)民主党の政権は瓦解するとは思わないのだろうか?

どんなに言葉を尽くしても「本末転倒」国民が納得出来ない増税案が支持される訳が無い。それだけではなくて政権交代に期待した多くの人を欺いて言葉を尽くしても、耳すら傾けてくれない事を全く認識しなければレッドカードしか無い。

何時迄も何処迄も人の優しさと心配りを期待しても現実は厳しい。ニュースにもならない日本各地の多くの人の懸命な生き方をもう一度、下野(政権を明け渡す)してこの厳しい現実を官僚の言いなりにならずに見て下さい。それが国民が一番期待した事です。

それではどうすれば良いのか?多くの人が尤もらしい顔で「対案」とか聞いて来ます。「対案」は昨年のブログにも書きましたが(親父の意見などどうでも良い?)なら聞くな。

財政再建、沖縄の辺野古沖埋め立て、基地の縮小、貿易の自由化、景気対策その他多くの課題を政府の御用会議、調査会の意見だけでなく人々の声を聞いて優先順位を付けてやる事です。何時迄に、誰が、何処で、どうする。問題を先送りしても課題が山積するだけ。オバカな官僚にはその事が分かっていない。

上の写真は大阪南の西成(貧困、生活保護、再生、失業、高齢化)と堺を結ぶ阪堺電車です。この電車は住吉大社前で阿倍野天王寺にも分岐している。この路線の沿線は大阪を代表する高級住宅地と公立、私立の学校も多い。大阪を代表する2つの顔。2つの街と堺の街を結ぶこの路面電車も最近は赤字路線となっている。

これは何も大阪だけの話ではない。それでも関係者は懸命に再生の努力をしている。運賃は上げられず最低料金でも時代の流れには勝てない。そんな日本各地の悲鳴の声が政治と経済のリーダー達には届かないのだろう。

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「恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで?』
大阪で通天閣、動物園前の場所を知る人は多いが桂枝雀さんの一心寺を知る人は少ない。(大好きだった落語のお噺でした。)

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2012年1月 3日 (火)

お正月も終わる お仕事頑張って下さい。

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お正月三日目。明日から仕事始めの人も少なく無いが、親父の場合は暫くは毎日が日曜日の日が続く。それでもニュースなどを見聞きしているといよいよ今年も動き始める。今年はどんな年になるのか流石の空海様でも推し量る事は出来ないが、間違いの無い事は誰しもが生き方を問われる。その事を人事みたいに考えているととんでもない誤算となるに違いない。今年こそ歳入の範囲内での生き方が問われている。

このきつねうどんが親父の原点です。18の時大阪で口にしたあの味とは少し違うがそれは親父の味覚が変わっただけだろう?大阪駅を東京方向に過ぎたガード下の立ち食いのお店。きつねの味が甘いがダシ汁は残せない。320円の味は余程の人で無いと奨められない。(何で?)うどんの腰とダシ汁の美味さ。揚げの甘さが絶妙。

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大阪駅前の宝くじ売り場 恵比寿大黒がショーケースの中で鯛を抱えて不安げな顔をして見つめている。今年の前半は世界経済も日本経済も私達の生活も厳しい。その事を暗示している。それにしても大福帳の中身はどんな事が書かれているのだろうか?

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阪急百貨店の増築工事は地下の地盤工事に手こずり遅れたが今は一気に上に伸びている。完成は今年中は無理かも知れない。この工事のお陰で連絡通路の混雑は半端ではない。その狭い道を急ぐのがいる。急いだ所でいくらも変わらぬ時間でも無駄だと思っているのだろう。急がば廻れ。その格言は知らないのだろう?人の哀れが見える

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大阪は増殖中?それでも何処か抜けているのはどうした事だろう?大阪北ヤードの工事は完成した時にその事が問われる事を多くの人は語らない。大阪人の勢いは徳川家康に叩き潰されて東京に首都が移転した時、地方の旗頭になったのかも知れない。
「大阪都構想」その言葉の意味がどれだけの人に理解されているのだろう?

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これも大阪駅前の植え込みです。仕事場の山茶花は見れなくなったけれどそれ以上の景色とステージを用意してくれた思い出の地に乾杯です。今年は本当に良い一歩を踏み出す事が出来ました。その事を忘れずに元気で歩かなければならない。

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大阪市内のマップです。少し見難いが上が南(下が北)真ん中左が大阪城公園。

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大阪駅南出口。ここから出て大通りを渡る人は少ない。多くの人は地下を移動する。

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今日は閑散としていたが明日からは大勢の人の往来がある。しかし、多くの人波は地下に吸い込まれるのでここを行き来する人は観光客か?ここが人波で埋まる事は無い

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大阪駅の東口(御堂筋出口)タクシー乗り場 これも大阪の顔。タクシー乗り場は北口にも在るが、タクシーで移動しなければならない旅行者の案内は充分なのだろうか?その声を何処が収拾し改善しているかは明確にされていない。外人旅行者は自分達が外国に行かないと分からないのだろう?

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大阪駅構内を眼を瞑っても歩けるのは親父位かもしれない。高知の駅で見た観光案内の女性の様なサービスは総合案内所に行かないと無理。親父もデジカメの映像記憶メディアを買った時、そのケースの開け方が分からず聞いた事がある?(親父それは違うだろう)でも丁寧に教えて呉れたよ。(それは教えてくれるだろうが)

しかし、このマップを見て行き先が分かる人はどれだけ居るのだろう?
これからそんな都会の道先案内が求められている。大阪の玄関口でそんな商売が求められている。大阪は怖いイメージを与えている事にどれだけの人が理解しているのだろう?(親父さんには負けますが?)

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大阪駅前の歩道橋。この道には何故か途中でエレベーター。どういう事?
何で人を歩道橋で歩かせるのだろう?止むを得ず歩かせるとしてもこれは無いでしょう。親父は当然このエレベーターは利用せず階段を歩く。最近駅のコンコースでも軽々と歩ける様になりました。流石に長い階段は無理だけど。

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大阪駅のベランダから。ここは連絡通路から離れているが建物脇の綺麗な階段に何故か若者カップルが腰を降ろして話をしている。折角のお楽しみ中ですが大阪にはもっと素晴らしいデートスポットがある。手頃な階段で間に合わせないでそれくらいの感覚を持ち合わせていないのだろうか?情けない。(余計なお世話です)

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今日は夕方梅田に出て本屋に行きました。本屋さんで本を探すのは苦痛ですが親父の場合、店員さんに探してもらう。しかし、本を探してもらう時、本の題名は言う迄もなく作者、出版社を言えないとなかなか探せない。今日もそうだった。

先日中之島デートで見つめられた白鳥の関連で「若山牧水」の詩集を探したがお気に入りは無かった。ただ詩を読むのではなくその解説、作者の想いを知りたかった。これからは本屋でお気に入りの本を探さずにパソコンで検索、中味を検索してお取り寄せの方が確実かも知れない。その替わり面白そうな本を手にする事が出来た。

「峠うどん物語」重松清著 うどん大好きの(そばは匂いを嗅いだだけで駄目)親父にぴったりの本。何故だか主人公は中学生。親父さんとお母さんが教師。祖父母がうどん屋さん。その親父が頑固者でおかみさんが口達者の商売上手。その設定が何とも面白い。旅と本とジャズと人の情けが大好きな親父の琴線(物事に感動、感激しやすい感情)に触れるに違いない。

帰りにお気に入りのカレーは食わず近くのコンビニで「冷凍うどん」。それ何処で買えますと市役所のマドンナに聞かれたが駅近くのコンビニ 山崎のデイリーで買えます。騙されたと思って買って下さい。親父が言うのだから間違いない。

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2012年1月 2日 (月)

新年の決意 真円の法則

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松と山茶花の合唱 ベートーベンの合唱の様に多くを語らないが何時迄見ていても飽きない。それよりも長くの寿と短い華やぎの時を交錯させながら、今年も春を待っているのだろうか?誰もが祈念する幸せの春。しかし、その時は厳しい試練の冬を乗り越えたものだけが手に出来る事も知る人は少ない。

親父も寄る年波に勝てず足のすね(ノミが食っても三年痛いと言われる所)の左側、そう足のふくらはぎと左側の筋が痛い。愕然としたのは足の甲の皮がむくんで、それがマシになったと思ったら皮が筋肉と完全に剥離(離れている)。

今迄何とも気にもしていなかった足の老化現象。昨年の夏から年の瀬に掛けて歩いた結果でそうなったのではなく、これ迄の不摂生が信じられない所に脂肪(脂身)が付いていた。スポーツマン、駅伝選手、プロサッカー、野球選手の足を見て見ると無駄な脂肪が無いと思っていたが、そうではなくて脂肪が必要なアスリート(競技者)は居ない。親父が筋肉痛、足の甲の皮が気になるのは歩いた成果?なのかもしれない。

大阪浜寺公園の松の老木に負けない様に今日も歩いて来ます。歩いて感じた事は自分が感じている以上に自分の体はだらし無い。自分で自分の体がだらし無いとは殆どの人は病床か老の時しか感じないけれど、成人の時から肉体は老化を始めている事も多くの人は知らない。テレビの健康サプリの宣伝で「何時迄も若さを保つ」とか言われてもそれは違う。体型は保てても体様は誤摩化せない事を知らなければ恥ずかしい。

クレオパトラ、楊貴妃に代表される迄もなく不老不死の薬はどんなにお金持ちでも、権力者でも高貴なお方でも手にする事は出来ない。何時かは老い朽ちる。その事を思い知らされる前に歩いて歩いて歩き疲れなければならない。ばあちゃんが長生きが出来たのも質素な生活で歩く事が生きる術だったにちがいない。

人はどんなに節制をしても親から貰った肉体を変える事は出来ないと言われる事も多くの人は知らない。親父が数年前にふらついて吐き気がした時、近くの脳外科で頭のCT写真を撮って脳血管を診断された。その時に医者から言われた言葉。「親に感謝しなさい。血管は何とも在りません。血液はあなたの生活習慣、食事で決まります。食事に注意しなさい。」あの時の感謝の気持ちを忘れてはならない。

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大阪を歩き通して堺に入って阪堺電車の大通りにこの公園はある。「ザビエル公園」この国にキリスト教を布教したフランシスコ ザビエルの冠公園。昔の面影は何も無い。以前堺の刃物記念館を見に来た時、そのショールームに落胆した事を思い出す。

この国の信心深い人達の想いは国内統一に反比例して弾圧される。今でこそ宗教の思いは自由だがその歴史は意外に深くない。その事も関心無い。そう言う人も少なくない。

当時の為政者は政経分離を徹底出来なかったが、今日はその反対に政治と宗教を混同している人も少なく無い。宗教にこの国程、甘い国も少ない。親父もアメリカ人にその事を問われた事がある。反対に宗教対立は日本人には理解出来ないのかも知れない。

咳が気になって「キンカン」を近くのスーパーの食品売り場で買う。安くはなかったが躊躇は無かった。お正月料理でお袋やカミさんが作ってくれたキンカンの甘露。1人になって口にする事は無いが、あれは喉の癒しの食べ物であった事を痛感する。

近くの総菜屋さんで年の瀬に「おせち料理」を7000円で買えなかったが、梅田の阪急や京都の有名料理割烹ではその5倍位の値段を出してもあの味は口には出来ない。テレビで昨年放送されたこの国の美しい原風景を再放送しているが、失われた時と人はどんな思いで生き延びた人を見ているのだろう?



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2012年1月 1日 (日)

今年一発目のぼやき 今年の課題が分かっているのだろうか?

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お役目は終わっている手前の建物は戦前からの建物。後ろの建物は近代的な高層建築。政治家さんの世代交代。総理大臣も若くなっているが言っている事は、少しも若々しさが無い。何でだろう。昨年のブログにも書いたが日常、懸命に生きている多くの人は政治家や経済界のリーダーが考えている以上に賢い。

その人達が普通に考えている事は、足らない収入の補填を考える前に、無駄な歳出を無くす。その事はそのままにして歳入の事を(消費税を)いくら口にしても支持される訳が無い。如何してそんな単純な事が理解出来ないのだろう?信じられません。

沖縄の辺野古沖の埋め立て、貿易の自由化、原発の再開。全てが共通軸で一旦失われた信頼感はどんなに言葉を尽くしても不可能だと言う事が分からなければ、国家権力で押しつぶすしかありません。その決意も無い政治家と経済界のリーダーにレッドカードが突きつけられるのは、そう遠く無いのかもしれません。

新年早々の経済界リーダーの言葉を聞きながら唖然とする。「政府の増税案を支持する」?そうではないでしょう。増税分は経済界が知恵を絞り少しでも税金をかき集めます。税金の無駄使いを無くします。医療費レセプトの電算化に努めます。ですから景気を冷す増税だけは止めて下さい。そんな事が言えない経済連は不用でしょう。あなた達は年老いても尚、既得権益しか守れない事が良く分かりました。

今年の経済は経済、労働界、政界、多くのエコノミストが予測する以上に荒波に翻弄される。その舵取りをしなければならないリ−ダー達のこの体たらく。その批判も出来ないマスコミに今年こそ情報操作をされてはならない。今年こそこのインチキを叩き潰さなければならない。新年早々、親父の怒りです。

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新年早々の傑作。白鳥は哀しからずや空の青、海の青にも染まず漂よう 若山牧水
水鳥が首を傾げながら親父の顔を覗き込んでいる。「親父さん、新年早々、変わりませんなあ」皮肉を込めて言われている。

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穏やかな年の始まり

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あけましておめでとうございます。大阪北浜のお店の門松です。親父のお店ではありません。正月は1人で迎える事に慣れていたが今年は久し振りの初詣も出来ました。大阪道修町薬の神様にお招きを頂きました。これからは好むと好まざるとに関わらず薬の神様にもお世話になります。今年1年健康で見知らぬ土地を元気で歩けます様に手を合わせて来ました。皆様も今年1年元気であります様に祈念しています。

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親父は何処も撫でなかったけれど本当はハグをして心臓を守ってもらわなければいけなかったのかも知れない。御神虎が嫌がっていた。今年は血圧を下げて下さい。そう言っていたのではなく「アカンで」と言われていた。見捨てないでお願いします。
「なんや−新年早々 心にも無い事を」今年は辰年 「タツノオトシゴにお願いしなはれ。」御神虎はそんな顔をしていた。大丈夫。今年も体に気を付けて歩きます。

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穏やかな年の始まり。大切な人と同じ景色を見てあれからどれだけの年月を重ねたのだろう?昨年、多くの人が尤もらしく語った「想定外」。責任ある人が想定外では話にならないけれどこの景色を見ていると、その言葉さえ空しく響く。失われた歳月はこれからの自分の生き方にどんな形で降り掛かって来るのだろう?それはあなたの生き方次第です。大阪の街はそんな言葉を投げかけていた。

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旧淀川。大阪のデートスポット(今は違う?)大阪市役所南側の大川。17年前に乗った水上バスの乗り場が見える?(正面の建物下)今でも運行しているがセーヌの流れの様な賑わいは無い。(行った事も無いくせに)テレビでは見ているよ。(自慢すな)水はこちらの方が綺麗かも知れない。

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ホームレスの人達が居て大阪の恥部、都市の格差をさらけ出していたのは昔の話?綺麗な水辺は戻っても都会で生きる事は容易ではない。(田舎でも同じです)今年はその事が大きな社会問題になる?親父達の生き方も他人事では無い。

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昨年淀屋橋の南側(正面の左側)から見上げた建設中の建物の高さが良く分かる。
フェスティバルホールが完成した時、どんな舞台が用意されどんな歌手と楽団が歌と演奏を聴かせてくれるのだろう?昨夜の紅白は見なかったがこの舞台を満席に出来るエンターティナーはどれだけいるのだろう?(アンタが心配する事はない。)

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親父と息子。久々の親父節を水鳥に聞かれている。御免なさい。あげる物が無い。

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御堂筋のベンチ。小さなプレートの文字が何とも皮肉。

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タワーズマンション。どんな人がどんな生活をしているのだろう? 色んな人が色んな生活をしている。今年を予言している景色がする。今年の景気は?今年の政治は?今年の生活は?色々言われるが一括りで語られる程簡単ではない。楽観的に、悲観的に課題を語らずに着実な事を成し遂げた人が笑うのかも知れない。

息子と歩いた道は短かったが今年の健闘を称え合う。近くの駅に戻り駅前のスーパーで中華&おつまみのオードブルを買う。ビールで一杯ではなく大山の天然水2ℓ。親父がこれ程にお酒が飲めなくなっても哀しさは何処にも無い。(オードブル完食です)ゲー? 半分残していたのだけれど。食い気だけは衰えていない。(アホ)

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