四国遍路道 これから13番札所に向かいます。
昨日、難儀して登って来た道を今日は一気に下る。
なんか難しい顔をしているが、この時は休憩中。
朝、頂いたおにぎりをもう食っている。
この時、10時半頃。下りの道が平坦に変わり少し低い峠を越えている。少し前、昨夜同じ善根の宿に野宿していた慶応ボーイと別れて寂しくなったのだろうか?
そうではない。疲れた体を休めながらおにぎりを食っているだけです。(カメラが近過ぎる。もっと笑え)
遍路道はそれ程甘くない。これは緊張かな?
そうこの景色を見ながら若くして亡くなった大切な人の事を思い出していた。
この道が改良されたのがその歳の1月。(記念のプレートがあった)
そしてこの景色は親父の原風景。どうしてもっと違った生き方が出来なかったのだろう? (そんな事は遠い過去の話になりました。でも今でも忘れてはいません。)
ここが青年と休んだ所でした。今頃、どこらへんを歩いているかな?
13番、14番、15番札所は近い。それでも道は注意しないと間違う。
このお寺さんは大きな岩盤の上にある。空海がここで17日間修行したと言われているが、その時はもっと低い所にあったがため池を作る必要があって、この岩山を整備したと言われている。この石段を上がると本堂は正面。
その前には空海が植えたと言われるアララギの大木がある。親父は知らなかったがその木の葉を煎じて飲むと、糖尿病に効くと空海は教えている。何でそんな事を知っていたのだろう?そして糖尿病は贅沢病とも言われているが、その当時の農民達は贅沢をしていたのだろうか?そんな事はあるまい。
(親父に糖尿の薬を勧めた担当医に聞いてみよう)コラコラ。
これがアララギの大木。ガイドブックには気の股に祀られた石像「アララギ大師」があると書かれていたが、それは見当たらなかった。何故か聞いても見なかった。
15番札所薬王山国分寺。ここは空海の修行の痕跡は無い? 江戸時代初期には荒れ果てるが1741年に藩の命令で再建。宗派は高野山真言宗ではなく曹洞宗。ご本尊様は薬師如来、行基の作と言われている。本堂横の庭園は桃山時代の枯山水で力強い石組みは見応えがあると言われているが、残念ながら見逃す。この頃から雲行きが怪しい。
16番札所観音寺 正面から写していないのは仲々参拝の親父が動かなかったから。
ここに来る迄雨に叩かれる。それでも平坦な徳島郊外の田舎道は結構古い街並の中に稲穂の香りが広がる。もうすぐ実りの秋です。この遍路道で何度も感動した稲穂の道は空海も見たに違いない。その感動を語り継がれる言葉は無い。
この山門の中に駐車場がある。車は右側に車道が続いているが親父の個人的な意見としては、車の横着け参拝は止めてもらいたい。この山門で雨宿りをしていると短い休暇を利用して参拝の男性に声を掛けられる。雨が小降りになる迄ここで休憩しました。
翌朝は雨も上がり徳島の市街地を後にして南下する。この道は懐かしい道。2人の子供達が幼い頃、今は無い和歌山と大阪の県境の港、深日から徳島迄フェリーで渡り南下した道。あの時はこの道を戻っているが、その時の面影は全くない。それ程に長い時が流れたのだろう。広い国道55号線の車道をマイペースで走っていた。しかし、平坦な登りは自転車を押していた。
この看板を通り過ぎて近くのコンビニで買い物に着たお兄さんに目的地の入り口を聞く。いきなり声を掛けて地元の人か確認すると怪訝な顔をされる。それでも流石大阪の親父、お寺の場所を聞く。「ああ。戻るとこの看板が在るから、すぐ分かる。」
意外だったのは義経の軍勢がこの港に上陸した事。今は義経伝説も当時の勢いを知る人は少ない。18番札所は少し山を上がる。少し息切れ。お寺の名前の由来は意外に今日的。(そうでも無いか?今、親子の情愛はそれ程深く無い。)
空海がこの寺に滞在していた時、母(玉依)御前が訪ねて来るが、当時この寺は女人禁制で合えなかった。空海は山門近くで17日間祈祷しその禁を解き対面を果たす。母はここで髪を下ろしたと言われ山門上に、それを記念した大師お手植えのビランジュ(唐木)がある。
次の19番迄は4キロ足らず。楽勝と思っていた。
次の札所鶴林寺迄14キロ。車で35分。歩き遍路で4時間30分。親父のママチャリで2時間位だった気がする。しかしそれは鶴林寺の麓迄。山道の登り5時間。オーマイ、空海様でした。おぬし、考えが甘い。と笑われていた。鶴林寺の登りの苦しさはこれからの生き方に必ず生きるでしょう。いや、生かさぬ訳は有りません。その事を痛感していました。息切れ、動悸、めまいがしていたらどうしていた事でしょう。
でもこの時も唯々、前を向いて最後は尺取り虫の様に歩きながら、息を整えながら歩いていました。それだからこそ、空海様は助けてくれたのでしょう。「捨てる人あれば助けてくれる人ある。今日を嘆かず明日を信じよ。その通りになる。
ここから暫く登りが続く。汗を拭きながら一服しています。
峠を越えて川沿いの道に出る。ひなのさと勝浦は鶴林寺麓の道の駅。
鶴林寺車道を進む。ここは急な登りが一旦緩やかになっているが、まだまだこれは序の口。苦しかった登りの道御覧在れ。
チャリは勿論押すだけ。まだこの辺は苦しいと言っても余裕があった。
苦しい登りをここ迄上がって来ると眺望が開ける。目的の鶴林寺はこの正面の山。
やっとの思いで山門到着。嬉しかった。久し振りの歓び。殆ど乗れなかったママチャリに何故か感謝する。その意味を痛感したのは下りだった。前と後ろのブレーキレバーを一杯に握りしめても勢いが止まらない。その歓喜の想いを共有する。
山門をもう一枚。こちらが綺麗に撮れている。それだけ嬉しかったのだろう。
嬉しい事はそれだけでなかった。今夜の宿が予約出来る。納経所のお姉さんにオープン間もない宿を紹介される。電話で宿が決まった時はホットしていた。しかし、登り道の途中に右折した道は意外に短かった。そして宿への道は意外に遠い。
那珂(なか)川沿いの道は暫くは広かった。その道が一気に狭くなる。それでも宿が決まっていたので、慌てる事は無かった。最後は小雨になる。嘆きの雨が歓びの雨に変わる。しかし、体もママチャリも悲鳴を上げていた。なんとか導いてくれたのは空海のお陰でした。最後は感動の宿(2泊)と優しいミーちゃんとママとの出会いでした。21番札所大龍寺は空海が自ら自慢した修行の霊場で西の高野とも言われている。2泊の価値は充分ありました。道の宿「そわか」又、行きますね。
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