お盆休みも後一日 何もしないで昼寝をしていると電話で起こされる
終戦記念日。違うでしょう?無条件降伏の日。
その屈辱と尊い命が失われた戦争責任は誰にあったのか?その検証は自らの手で行われていない。戦勝国が(アメリカ)この国を占領して戦争犯罪人として軍部指導者、政治家、捕虜虐待軍人、民間人を裁いただけ。
戦争の惨禍の原因は色々あるが、この狭い国土で他国を侵略せずに東亜の覇者になる事が出来なかった事を、歴史が証明している。秀吉の朝鮮の役。日清、日露、第一次世界大戦で負けなかった事が軍人参謀の奢り(おごり)過信を生む。
大正デモクラシー、昭和初期の不作、不況、産業の低迷、そんな時代の明るいニュースと言えば帝国陸海軍の躍進だった。国土の差はアメリカや中国、ロシアに負けてもこの国の人達は自分達の生き方に誇りを持っていた。殆どの人がそうだったに違いない。ところが何処の世界にも居る間抜けなおとぼけ。
この国は神国。この国は武士道の国。鬼畜米英に負けるはずが無い。信じられない事にそんな勢いがマスコミの新聞にも踊りだす。今でこそ尤もらしい平和とか繁栄とかを口にするこの国の新聞が戦争犯罪人とならなかった理由は何も無い。
今日は薄曇りで生暖かくこれほどの入道雲はないが、この画像よく見て下さい。近くの飛行場を飛び立った小型飛行機が見える。実物はもう少し大きく見えたけど、これだけの大きさにしか見えないのは、今がそれだけ平和だからだろう。
しかし、雑踏の中を肩を寄せ合い手をつなぎ合って、愛する思いを重ねる人達もその幸せも一時の事と知る輩(やから)は少ない。何もしないで手をつなぎ合っても命をかけてこの国の今日の繁栄の礎(いしずえ)を築いた人達の思いも「関係ない」と思えば間違いなく破滅の時は近い。暑い暑い日差しを受けながら今日の平和を失った人も少なくない事を知らなければならない。
樹にもエゴノキがあれば人の想い程、気まぐれな物は無い。そう考えてみれば戦争の責任を戦勝国が問うのはおかしい。しかし、300万を超える人が国の為に戦った事が全て問われない事もおかしい。今その事が問われている事を理解出来る人は少ない。
終戦記念日ではない。無駄で無謀、無策な戦いが終わった日。この国が先の大戦で亡くなった多くの人達に本当の意味で「黙祷」が出来る日は来る事は無い。この国でただ一カ所地上戦が行われた沖縄は今、アメリカの基地が集中している。その基地の縮小、グァム移転を口にした鳩山政権は退陣に追い込まれ、管総理は見直しを口にしている。
アメリカの極東軍事戦略とはその程度の事でしょう。
次の総理に期待される事は勝手に廻りの人達が口にしているだけで、国民の思いは無視されている。マスコミが尤もらしく語るなんとかのあるべき姿。その放送局が今、夕食時のゴールデンタイム(今は恥じさらしタイム)にどんな番組を放送しているか見て見なはれ。もすこし賢くならんとホンマにもう一回無条件降伏でっせ。
そんな事を考えもしないで昼寝をしていると、明日会社に呼び出される。あまり良い感じはしない。電話で言われない事だから?それでもこの年になると腹をくくるしか無い。いつまでもそんな事をぼやいてないで、遍路道を歩きなさいとお呼びが掛かっているのかもしれない。
管総理もようやく退陣です。マスコミは勝手な後継者を予測しているが。この党は政権交代の意味を勘違いしています。有権者が託した清き一票は今迄の政治のあり方を変える事でした。今の総理立候補者がその事を理解しないで何を成そうとするのでしょうか?指示を失った代償を簡単には取り返せない事をこれから痛感して下さい。
涼しさを海に入れたり最上川 芭蕉が読んだ酒田の海は今はどうなっているのだろう?親父が20年前に見た酒田の街は静かだったけれど、今は共に多くの感慨を込めて見れる海は無い。
それでもこの空が続く酒田の海は、今日も静かな夕日を見せているに違いない。見れない海が再び親父を呼んでくれるのは何時の事だろう?そしてその時満身の毛穴は感動の息吹をどう呼び起こすのだろう?
堺の民間マンションで高齢者、認知症患者のみが入居し、民間の介護業者が市と連絡を取りながら、出入りを制限してサービスを提供して問題になっている。何が問題化と言えば、要介護者のみが同じマンションに入れられ、一階の部屋で業者が管理している事。
その管理の仕方が一部の部屋に鍵をかけたり、出入り口にロープを張ったりしている事。郵便受けを粘着テープで目張りしている事。それよりも驚いた事にそのやり方を市の介護の窓口に報告していた事。その市の責任者は「法的には問題ない」とのコメント。
この街の福祉はどうなっているのだろう。そして担当者の教育はどうなっているのだろう?福祉にお金が掛かると言われるけれども、この話しを聞いて暗澹たる思いをするのは人事では無いからだろう。大阪都構想を口にする市長の街の出来事は、これからの都市に生きる人達の末路かもしれない。心して掛かりなはれ。
先日、紹介した京都五山の送り火。大文字の送り火は有名だけれど、京都五山送り火の鎮魂の想いは無惨に踏みにじられる。そんな無神経な判断をしたのは価値観の共有?口先だけでどんなに「頑張ろう」と言った処でやれる事はこの程度の事です。
結局被災地から送られた松の皮にはセシウムが含まれていた。しかし、そんなもん燃やせばどうって事ないと学者さん言えないのか?京大の先生はその程度の判断しか出来ないのか?京都の見識はその程度のもんでした。お粗末。
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