やっと十番札所 切幡寺 十一番迄行くつもりだったけれど・
本日一番目三番札所 金泉寺 お寺を開いたのは空海ではない。行基 寺の始まりは7世紀 白鳳時代に遡ると可能性あり。空海が日照りの苦しみ村人の為、井戸を掘ったら水が出る。「黄金の泉水」 お寺の由来はそこから出ている。
親父の興味を引いたのは義経が屋島の平家を攻める時、徳島に上陸して屋島を背後から攻めた事。戦略家だった義経は阿波のこの寺に入り、この先の峠を越え高松の屋島を攻めている。義経は下関の壇之浦で平家を滅亡させるが、その時は皮肉にも自分の滅亡の時だった。源氏の頭領に成れなかった悲劇は皮肉にも、戦いに強すぎたから。
誰よりも「兄貴」の為に、源氏の世を作る為に戦った代償は余りに哀れとしか言いようが無い。鎌倉の時代は武士の下克上のはじまりだったのだろう。
延々と上りが続く。考えてみるとお寺さんは平地には無い。下りのルンルン気分で上り道を黙々と歩く。この高速道路、昨夜泊まった民宿の横を走っていた高速道路。義経が越えた大坂峠を今は高速道路が簡単にトンネルで抜けて行く。
汗びっしょり。笑いでごまかしているがしんどい。
先が思いやられる。しかし、焦る事は何も無い・
生きている事に感謝する事は少なくなっても。
君に遍路道を巡る理由が分からないと言われたが、親父は久しぶりに感動しています。これは贅沢な心の洗濯だと感じています。久しぶりに見る実りの秋。
久しぶりの香り。田舎の匂い。田舎の風景。
それでもそない甘いもんではない事を、本日ラストの切幡寺で思い知る。息苦しい。それでも池田の山で訓練していたので、息を整えながら目的を達する。
3番から4番迄5キロの登り坂。しんどい。それでもそれだけの価値はあった。空海が見た山間の寺。空海が吸った空気がそこに在った。このお寺は空海が来た時から在った。空海はここで何を考え何を学んだのだろうか?そんな事を考えていた。
人影のない本堂。この景色も空海が見たのだろうか?無言でお寺さんを後にしながら蓮の花とほうずきに見送られる。息を飲む美しさです。ホンマです。汗かきながら来た甲斐が在りました。
大銀杏の実が鈴なり。この樹の樹齢800年。それでもこの若々しさは何だろう?
昨夜泊まった宿の奥さんに教えてもらったお店。カッパを買っていなかった。欲しかったのは水をはじいてムレないカッパ。大阪でそんなカッパはゴルフ様しかない。当然値段も高い。それで買えなかった。しかし、ここのお店では2980円。安い。安すぎる。それでも生地は当然違う。違って当然。それでもニンマリでした。
本日ラストの10番札所。本日の目標は一つ先の11番藤井寺だったが、この階段を見て得心する。空海がこの寺で見た物は機(はた)を織る村内の貧しい娘だったと言う。その貧しい生活の中で心は少しも貧しくなかったと言われている。
実りの秋です。長い間見失っていた風景。この国の豊かさは瑞穂の国である事を見失って農産物の自由化?政権交代に託した国民の思いは、様々である事を与党となると忘れてしまうのだろうか?間違いなく次の選挙は負ける。負ける選挙は先延ばしをするだけ。情けない国になりました。稲穂が豊作の歌を歌っている。
本日の宿 今は遍路の団体が少ない。車で廻る遍路が多くなっているからホテルが多くなっているのだろうか?今夜も一番風呂。明日は11番から12番の難所。歩きで13キロ弱。ママチャリだから車道でどれくらい掛かるのだろう。行ける処迄行きます。親父は偉大です。(自分で言うな。)12番から13番も21キロ弱。
遍路道はママチャリだから歩けない。車に気を付けて行きます。ではお休みです。
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