暑い夏、息を切らして池田の難所を征服?心筋梗塞を意識する。
友は暑き日にどうしてそこ迄して歩くのか冷ややかに問う。「心配して呉れてありがとう。」と何気なく反応を伺うと「いやいや」と馬鹿にしている。そう、この暑い時に息を切らせながらこのささやかな天上への道を歩くと、心臓が悲鳴を上げている。
少し涼しい日が続いていましたが、暦の上では立秋でもそれは旧暦の話。実際に秋を感じるのは早朝だとしても、日中は夏です。家に帰って鏡に顔を映すと、少しだけ赤くなっていました。これを続けると顔の皮が剥け黒くなる。そんな夏の終わりに徳島の遍路道を歩けるのだろうか?この時はまだ飲み物があり元気でした。
遠くに大阪梅田の高層ビル群が見える。その向こうに微かに見える山が生駒、葛城山系。こうして見ると人々の生活の営みが無言の伝承として迫って来る。人が生きている。人が生きる事は今、多くの人が尤もらしく語る奇麗事ばかりではない。
今はプロの野球選手を辞めた清原が言った言葉。「泥水をすすっても這い上がってみせる」彼は出来なかったが太平洋戦争の末期、祖国を遠く離れた南方のジャングルで、どれだけ多くの人が無念の涙を流した事だろう。その人達の遺骨集収は未だに出来ていない。今日、レベルは違うが同じ事が繰り返されている。
今は平和の時代。六甲山の向こうに神戸の街がある。この阪神工業地帯が空襲で焼き払われた時は、そんなの昔の話ではない。親父の生まれた翌年の話。これから何れくらい生きられるか、その事も問われている。
この展望台への道は失業対策として造られている。多くの人の思いと汗がしみ込んでいる道を歩いていると、息苦しくなる。この暑い時、汗をかきながら思い足を引きずりながら歩いて来た代償。この位の暑さにへこたれていたら遍路道は歩けない。
四国にはこの程度の道が延々と続く。「遍路ころがし」と言われている。
信仰心と信仰の体が問われる。心は誰でも分かるが体。今は遍路道を歩かずにバスや車で廻る人が多いが、空海が歩いた道は真理探究の道と思うのは親父だけに違いない。それでも四国巡礼の道は「歩き」でなければならない理由は何も無い。
汗をしたらせながら、心臓をぱくつかせながらどうにか登り詰めた展望台の先には、大阪平野が拡がっていた。今年の夏、初めて見た夏の風景。画像ではよく分からないが、スモッグの上に積乱雲が盛り上がっている。一見平和の静寂。今年の夏はもうすぐ終わる。
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