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2011年8月 2日 (火)

夏の日差しはイマイチ。しっかり歩いて来ました。

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最寄りの駅近くの裏通り。親父が失意の時何度か足を踏み入れたお好み焼き、焼きそばのお店が見える。あれから多くの年が流れてもお店は潰れてはいない。美味しい焼きそば、値段も手頃。なんで行かなくなったのかな?お店の感じかな?

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汗かきながら黙々と歩いて来たのに休園日。忘れていました。土日開園しているのでついうっかり。お気に入りの草履をつっかけて歩いて来た罰が当たる。来る時に保険のお店で彼女を口説いたのがイカンかったのかな?それもない。電話番号聞いてないし。(コラコラ)

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公園の入り口。のびた枝葉が電話線に掛かり、見事に切られていた。これでさっぱり。しかし、この大木、そんな事にへこたれる事は無い。我が道を行く。この国のうっとおしい政治の世界はこうはいかない。何でだろう?余程一度手にした権限は手放せないのだろう。ならば取り返せ。それが王道だろう。

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蝉の鳴いている姿を始めてアップで写す。見えるかな?幹の左上。日差しが邪魔をしている。それではこれでどうだ。
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ああこれで分かる。それでもデジタルカメラの悲しさ。一眼レフの圧倒される接近感はない。夏の日差しの中で鳴き声が今年は何故か弱い。つかの間の夏の日差しの中で思いっきり体を震わせて鳴いて下さい。

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静岡掛川の家の庭に植えていた数少なかった芙蓉の花。掛川でこんなに立派な花びらを見る事は少なかったから、品種が違うのかな。花びらは一日でしぼむと言われているから、蝉より果敢ない命なのだろうか?そんな花びらが見れたのはラッキーです。
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イヤー親父が照れる。人の美しさもこうありたい。人前で化粧したり大きな声でおしゃべりするのが恥ずかしいと言っている。大丈夫。人の生き方も様々です。どんなに傍若無人に振る舞っても、その程度の生き方しか出来ないのですから。

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イヤー最後はこれですか?親父の最大の不幸は君を失った事です。それでも一人で長い間生きているとなんとかかんとか出来るものです。叶う事ならもう一度つぼみの時からと思っても、それも果敢ない夏の夜の夢に終わりそうです。(イヤイヤ、とっくの昔から終わっています)あちゃー。どんこん(どうにもこうにも)なりません。

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池田文庫(阪急電鉄操業者小林一三氏私設文庫)の石垣と灯籠。
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今はもう誰もいない庭。こんな庭で野点(のだて)の一杯。どうでしょう?しかし、しばらくはそんな機会も無いでしょう。京都東山長楽寺入り口の茶店で今年の秋は無理だとしても、来年の一番寒い時なら叶うかもしれない。(ホンマかいな)

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汗を拭きながら帰る。お寺の屋根のてっぺんの鬼瓦が眼を剥いて親父を見ていた。
親父さん。人の世は果敢ない。その事忘れずに生きていたら後、10年は保証します。ホンマでっかいな。必ずその言葉を忘れずに歩いて来ます。

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