徳島遍路道は一週間の旅でした。次の高知はもっと長い。
徳島遍路道で大変な思いをしたのは10番切幡寺から11番藤井寺の旅。
しかし、この間は道を探しながらも平坦な所が多く、余裕がありました。
距離的に苦労したのは11番から12番の焼山寺(しょうさんじ)迄の道。
この間は歩き遍路でも山の中を歩くので5〜6時間かかる。親父はママチャリで大きく車道を迂回する。この距離何と50キロを超す。しかも後半の鮎喰川(あくいかわ)沿いの右岸の道は狭い所が多く難儀する。しかし、本当に大変だったのは登り坂だった。焼山寺の下の善根宿で接待を受けながら、この日はここ迄だった。
ここで休憩。続きは改めて総括します。
ここからスタート。親父は納経帳と収め札しか求めなかった。多くの人はここで白装束、金剛杖、菅笠等を求める。遍路道を歩く常識として上だけでも白装束を着なさいと、12番焼山寺(賞賛寺)の善根の宿でお母さんに注意される。(親父ではなかったけれど、反論はしなかった。)遍路道を歩く常識も変わりつつある。
親父の様なママチャリで廻る人は見かけなかった。多くの人が歩くか、車かバスの団体。一番楽に廻れる方法は車だと思うが、車では苦難の思いは感じられない。人は様々でもこの道は、山門迄車で乗り付けては空海の想いは伝わらない。それでも歩く人は偉大です。12番焼山寺で出会った慶応ボーイは今、何処を歩いているだろう?
老、病、死などの人間の八つの苦しみから開放され、光明に輝く十の楽しみが得られる様に弘法大師(空海)が開基したと言われる。平成19年に竣工したと言われる宿坊と食堂はバリアフリー。ここで泊まりたかったが一番札所に着いたのが3時過ぎでは無理でした。泊まったのは2番札所で紹介してもらった3番札所近くの宿でした。
2日目の宿。うどん、食堂に宿が併設されていた。宿泊者は少なく昨日同様今日も一番風呂。食事もまあまあでした。
吉野川 2つの沈下橋を渡る。これが1つ目かな?
11番札所藤井寺 ここ迄の道も結構あったがママチャリのお陰で、楽が出来る。それでも小さな街中の坂をキョロキョロしながら、通り抜ける。ここから次の焼山寺(しょうさんじ)迄は歩き遍路で12、3キロ。山道を歩く。親父は車道を大回り。42キロ。今日はここ迄10キロ弱を走って居たので50キロを超える。
本当に2度と経験出来ない体験でした。それでもこの時はまだ元気でした。
この山道が「遍路ころがし」と言われる難所の入り口。この道を歩かなかった罰が当たる。50キロのうち10キロは間違いなく登り坂で歩いた気がする。
ここ迄来ればとニンマリしていた。処がそない甘いもんやおまへん。ここからは余り下りは無い。なだらかな登り坂が続いていた。
静かな山間の村。都会の喧騒を知る由もない。疲れた体を休めて眺めていた。
休憩です。
行く川の水は絶えずして元の水にあらず、流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しく留まり足る試しなし。人の世も又、かくのごとし。鴨 長明
生きとし生ける者、この世に生まれこの世で育ちこの世で朽ち果てる哀れな人生も、心に太陽と宇宙の真理を感じれば、苦しみの道も又楽し。道は途絶えたと思っても必ずその先が無くなる訳ではない。事実、今回の旅もその事を実感する。その事を体験出来た事が、最大の喜びでした。
ゴールは近い。それでもまだ7キロ弱。この緩やかな登りは自転車を押してあがるしか無かった。考えて見ると今迄の人生も同様の道であったが、苦しいと思った事は一度も無かった。自分の可能性が試されている。そう思うだけだった。苦しみを嘆かず喜びに奢らなければ人の生き方は必ず変わる。そう言われていた。
道が狭くなる。それでもこの道は一方通行では無い。大事な地方の村の幹線道路。対向者が来ると退避しなければならない。鉢合わせになるとどちらかが後退しなければならない。譲り合いの心。あいつは言葉使いが悪いから担当を換えろ。そんなことを言っていたら、間違いなく罰が当たる。その事を思い知る。これからも雄々しく生きろ。これからも多くを学べ。そんな時代が必ず来る。声なき声が聞こえて来る。
ここは途中休憩をした神山温泉。山道を1人で歩いていると車の助手席から道を聞かれる。最初は地元の人間ではないと言っていたが、段々、平然として答えている自分がおかしくなる。ここで泊まりたかったけれど、先を急いで正解。夜、善根の宿の親父が連れて来てくれる。天然のねっとり体にまとわりつく立派な温泉。過疎の村は豊です。
ようやく焼山寺麓のお店に到着。店内の青年と目が会う。1人の歩き遍路の親父が靴底を直している。この先の少し広い広場が「駅」になっているのでその意味を聞く。「そこは大型バスの駐車場。この先は登りがきついので大型バスは上がれない。だから乗り換えの駅」成る程。
しかし感心するのは早い。この時3時半。自転車をおいて行くべきか?でもその元気は無かった。接待の飲み物を口にしながら近くで泊まれる処を聞く。「ああ、うちで良かった泊まれますよ。一泊2食おにぎり付4000円」
疲れが一気に取れて行く。一時して出掛けていた宿の親父とおかみさんが戻って来る。長い距離を黙々と走り歩いて来た思いが、嘘の様に思える。しかし、ここで泊まれなければどうしただろう。翌朝、軽トラで下った道を思うと愕然とする。
この距離表示は遍路道。藤井寺からここ迄車道はこの4倍。本当に良く出来ました。そして次はママチャリは止めます。歩きますか?それも出来ないでしょう?ではでは?それが問題です。高知は「修行の道」です。唯々、長い距離を歩きます。電車とバスの乗り継ぎを、きっちり学習して行きましょう。
この先の遍路道迄林道を迂回して宿の親父が「ここだけは見ときなさい。」と案内してくれたのがここです。ここは藤井寺から焼山寺迄の遍路転がしの道を歩かないと見れません。親父さんありがとうございました。
この日の朝は6時起床。この時の時間が7時半位。お寺さんで「早いお参りで、何で着ました?」と聞かれる。かっちりしている。車で来たなら駐車料金と思ったのだろう?」叔父さんとはしたの宿でお別れ。自転車で荷作りをしてお母さん共々お礼を言う。ありがとうございます。次の機会はまず無いでしょう。それでもそれが出会いです。
昨日、黙々と登った道をアルプスの少女「ハイジ」の様に一気に下る。それでもスピードと見通しの悪いカーブは気をつける。昨日来た道を思い出しながら、それでも道を間違える。結果的には正解だったが凄い峠を一気に下る。これが反対だったら死んでいた。しかし、この体験はこの遍路道最後の日にも経験する。ありがとうございます。司馬遼太郎さんが書いた空海の風景にこの道は無かったが、行って見なはれ、歩いて見なはれ、自分の進むべき道が見えて来る。
次は13番札所、この道も歩くと長い。21キロ弱。途中で先に出た歩き遍路の青年に追いつく。暫し休憩。今頃、何処をどんな思いで元気に歩いているかな?帰ったら書き込みして下さいね。この先は又、書きますね。
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