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2011年8月

2011年8月31日 (水)

藤井寺から焼山寺迄の苦難の道。苦しみの先に喜びがありました

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徳島分県地図 15万分の一 改めて見直してみても徳島遍路道が「発心の道場」と言われる意味が良く分かる。信じられない事だが親父はその道を、ママチャリでサンダル履きで走り抜ける。足は2日目、カッパを買う前に足が熱を持つ。

その罰は3日目、藤井寺から焼山寺に向かう時に一発目を喰らう。この道は歩き遍路の山道で「遍路転がし」と言われる難所。その道を眺めただけで車道を遠回りをする。その道が何と40キロを超す。その道の苦しみは忘れる事は出来ない。

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歩き遍路で平均6時間。親父が仮に歩いていたら(歩ける訳も無いが)8時間掛かり宿坊にも泊まれたかどうか?そう考えて見ると長い距離をママチャリで、遠回りをしても麓の善根の宿にたどり着いたのが、ラッキーだったのかもしれない。

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ここ迄は平坦地。雨が降り始めてカッパを着て右折の看板を見て、改めて決意を固めていた。ここから27キロと言われてもその実感は全くなく、登りの坂道を見つめていた。

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長い登り坂。チャリを押しながらボヤキの声を上げていた。

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やっとトンネル。中は平坦。処が中は暗く足元がよく見えない。車の音は煩い。恐怖感すら覚える。それでも親父は前を見据えていた。トンネルはおよそ600メートル。車で走るとどうって事ない事が、始めての歩きの体験。歩いて見なはれ。

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鮎喰川(あくい川)右岸。清流。まだまだ遠い。

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まだ10キロしか来ていないの?

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ここは川を見ながら歩いていました。

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前の標識から10キロ。良く歩いて来ました。どれ位掛かったのだろう?
それでも黙々と歩いている姿を空海様は見ていたに違いない。後少しです。

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そうか。ここが神山温泉。ここには道の駅もあり遅い昼食。2時頃。ここ迄前の札所から4時間位で来ている。本当にお疲れ様でした。ここで泊まりたかったけれど。温泉入りたかったけれど。まだまだ行ける。先を急ぐ。ここから焼山寺の麓迄1、5時間。本当に頑張りました。その褒美もありました。

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やっと到着です。夕方の3時半。ここで接待を受け宿も決める。外出から帰って来た親父が明朝、車で焼山寺に連れて行ってくれる。夜は泊まりたかった神山の温泉迄送ってくれる。

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正面左に慶応ボーイが野宿した建物が見える。雨露が凌げて朝飯を接待されて感謝していた。今頃、何処を歩いているだろうか?途中でダウンしていないかな?歩けているかな?帰ったら連絡下さい。

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そう。歩き遍路の佐々木さんが進んでいる。親父と違って逆打ち。逆廻り。順廻りより価値があると言われる。お遍路駅の意味を聞いたのが幸運を引き込む。

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宿の親父が送ってくれた車。

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次の札所迄22キロ。でも下りが待っている。

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次この本堂への階段を元気に登れる事はあるのだろうか?何としても88番札所迄行きたくなっていました。

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親父さんが下で待っててくれました。ありがとうございました。お元気で。

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戦闘帽。やる気満々。ここ迄一気に下って来ました。親父。わ、か、い。

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親父さんとおかみさんが作った祠(ほこら)。親父さん、体調に気を付けて。(アンタもな)。心と体を清めてまだまだ余生を安穏と過ごす時ではない。常に自分との戦いです。その事が問われている。その事を忘れなければ次のステップを踏めるに違いない。石碑に手を合わせてお別れです。アディオス。又、合う日迄。

上ちゃん。写真だけでなくノーネームに入っている画像も引き出しながら、今日はここ迄。上手く行きました。ありがとうございます。

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実りの秋 でも一本は寂しいな 親父も元気な内に立ち上がれ

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おぬし 立派になりましたなあ。イヤイヤ、親父さんには負けます。(何がジャー)
暑い暑いと嘆いている間に季節はもうすぐ秋です。大阪の秋はまだ暫く先ですが中秋の名月(懐かしい言葉)は後、半月。今年の月はどんな顔を見せてくれますか?

田舎の縁側に唐ミイ(豆の実と皮を振るいに掛ける。竹ひごを縦横に編み前が空いている)を置き、秋に収穫したサツマイモ、野菜、栗、団子などを入れて15夜お月さんに収穫の歓びを現していた。今でも素朴な習慣は地方にはあるのだろう。

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近くの保育園の子供からお土産をもらう。ママの心配りだろう。親父は四国のお土産も無かったのに。このおかきは兵庫県豊岡のお土産。豊岡はお米がうまい。だからおかきもおいしいのだろう。人の心も同じです。優しい心はお互い様です。又、お土産持って行くね。

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完食です。これから洗濯物を取り込んで暫しのお昼寝(コラコラ)です。

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大阪の夜はまだ寝汗をかく 暑いと思って目覚めるとまだ深夜(笑い)

笑い事では有りません。四国の街中でも夜、エアコン切っても海からと山からの涼風を感じていたが、あの時は雨も降っていたから偶々だったのだろうか?それでも山間の焼山寺、太龍寺の下は涼しかった。田舎暮らし。今より10キロ体重を減らして、今より空海の生き方に近づければ、それも夢ではないかもしれない。それでも一人では無理かも。(がっくし)これから洗濯機を廻して食事です。

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上ちゃん この写真はノーネイムの中に取り込まれていました。(写真の中には入っていなかつた。)それを言われた手順で写真の中に取り込み、アップが出来ました。takeさんから言われた様に「何故そうなるのか?』が分かれば本当に楽しくなります。

これからもっと飽くなく探究心を持ち続けて、高見を目指します。(それ程の物でもない)しかし、この世の中の現象はその程度の事です。それが分かれば生きて行く事は飽くなき挑戦です。尤もらしい事を尤もらしくこなす。言うは易し、行うは難しです。所詮、人はどんなにあがいてもその程度の生き方しか出来ません。

親父が20の頃、アメリカの大統領が暗殺された時、アメリカの国はその程度の国でした。今、世界の超大国として多くの事を語りますが、今はどうなのでしょう?この国が何時迄もアメリカの核の傘の下で、尤もらしい事を言ってもその程度の国です。

これからこの国もアメリカも大きく変わるでしょう。変化しなければ生き延びられない社会が目前です。その事を四国の遍路道で痛切に感じました。今、私達は国や会社や地域や家族、愛する人に何かを求めるならば、自分からその相手の為に何が出来るかを考え、行動する時が来ました。何時迄も人を批判しないで自らが変わる。その事が出来た人だけに空海様は歓喜の時を与えてくれるのでしょう。

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心配は取り越し苦労でした。上ちゃん、ゆっくり休養して下さい

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上ちゃんの体調が気になり心斎橋のお店に顔を出す。「入院でもしていたら」そう思うと泣きたい気分だった。Macbook proの故障で顔を出してクレーム対応で顔を合わしてあれから、色んな事がありエアーを買って四国遍路道でどうにか、拙いブログと画像の挿入が出来た。それもこれも息子のtakeと上ちゃんのお陰でした。

お店でコンシェルジュのりえさんから様子を聞いて安心する。「休養ではなく休暇です。」明日からの休暇ですが今夜は8時から別の用事で出勤するとの事。一安心。
今日はプロの画像挿入のやり方に不味さが多く、基本的手順を書いてもらう。

8時からの出直しの間に一度帰って、サウナに行って汗を流す。今日は散髪にも行ったし体重を量ってみると何と4キロ減。仕事をしていた頃の不摂生を無くせば、担当医から言われている5キロ減も夢ではない。

りえさんにもプレッシャーをかけたが、結果的に良かったと思っています。親父のブログも見るだけでなくこれからは忌憚(きたん)の無いコメント待ってます。暫く残暑が続きますがお仕事同様、減量にも精を出して下さい。親父もお陰様で街中に出ても歩くのが苦にならなくなりました。出来るだけエスカレーターに乗らないで階段を歩きます。上ちゃん、ゆっくりリフレッシュして又、教えて下さい。

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今、今日教えて頂いたやり方繰り返しています。暫く続けます。

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これは親父得意の白菜を加えるだけの八宝菜。廻りをキュウリの漬け物で囲んでいます。(数日前のメニューです。)どうですか?美味そうでしょう?料理はどれだけ心を込めて作れるかでしょう。例えそれが寂しい一人前の食事でも。

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四国徳島遍路道23番札所薬王寺。「発心の道場」最後の札所は22番札所平等寺からママチャリで来るとお昼には着かなかった。平等寺近くのJR四国の新野駅前の喫茶店に自転車を置いて電車に乗って正解でした。

この山門近くでお迎えを待っていました。本当にありがとうです。次はここから高知室戸の最御崎(ほつみさき)寺まで75、4キロ(歩き遍路道)3日掛かりの旅です。(親父には無理です)次の高知(修行の道場)は電車とバスを乗り継いで行きます。何時頃行けるかな?それはあなたの生き方次第です。(ごもっとも)

それでは最後にもう一枚。これで今夜はお休みです。
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このお寺さんは司馬遼太郎さん著「空海の風景」上巻に紹介されています。

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2011年8月30日 (火)

大阪お出掛け 暑い でも遍路道を考えると苦にならず。

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何時もお昼のお弁当と時々夜の総菜を買うお店。四国遍路の旅で伸びたヒゲをさっぱりそり落として、今日は久し振りの大阪お出掛けです。でも暫くは仕事の日当をもらう半月に一回のお出掛けもなくなり、新たな日々が始まります。その記念のスナップです。徳島の旅で2キロ痩せましたが、次にお合い出来る時はお腹を完全に凹まして置きます。このシャツも今迄は腹が出て着れませんでしたが、なんとか着れるかな?

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長い間通ったこの交差点、そして得正のカレーうどんのお店ともお別れです。でも浅井のお店『暖家」さんと中西とコーさんには時々、ふらりと出掛けます。お元気で。

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地下鉄中央線阿波座駅東の交差点。この上の阪神高速を始めて走ったのは、今からどれ位前だったのだろう?そしてこの地下鉄に乗って「海遊館」のジンベエザメを見たのは何時の事だったのだろう?間違いの無い事は全て昔々の出来事です。過ぎ去りし過去の思いは胸に秘めても、これからは前進あるのみです。そして不屈の精神を抱き続ける事です。その事を四国の遍路道で教えられました。

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大阪はまだ暑い。この道も街もすっかり綺麗になって入るが、エアコン無しの生活は出来ない。その電力需要を賄う為の原子力発電。無限の可能性を信じていた人の生き方が今、危機を迎えても都市生活者のエネルギー感覚は、何故か鈍感です。
『節電」のお願いではなくてこの在り余る自然エネルギー(暑さ)の活用が求められている事の、意識改革は少ない。遠くに生駒の山並みが見える。

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懐かしい地名。杭全(くまた)と読みます。大阪市内の東部。親父が若い頃、この道が長堀川沿いに走って居た頃、トロリーバスが土煙を上げて行き来していた。今はこの下を地下鉄鶴見緑地線が走り、バスも走っていないのだろうか?

川を埋め立てて上を拡張された道路が走り、地下は立派な駐車場とおしゃれな商店街もありますが、経営的には破綻している。大阪市営だからなんとか運営出来ても、民間では成り立たない。何でだろう?松下幸之助が嘆いている。

関西の底力、関西のど根性、そんなもんでは商いは成り立たない。それでも借金まみれの大阪府と市政。今、大阪都構想とか言われても何のことやらさっぱりわからない。関西は商いの街、ど根性の街と言われて久しい。今は財政再建の街として身の丈にあった行政を行わなければならない。(口先だけなら何とでも言える。)

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今日もここ迄暑い日差しの中を歩いて来ました。御堂筋です。

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日航ホテル前。

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博多 華味鳥 心斎橋店 お昼のサービスメニュー 「親子丼ぶりセット」850円
最高の味です。但し、お昼のみ。夜はコースメニューとなります。華コース4900円
上ちゃん、元気になったら食べましょう。

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今日は徳島の分県地図22万分の一 昭文社製を買います

親父が徳島遍路道を歩きではなくママチャリで巡ったのは半分正解。しかし、半分は駄目でした。確かに歩くよりは完全に楽と思うでしょう?親父もそう思ってスタートしました。景色を眺めながら満足していたのは平地を走る時、そして一番嬉しかったのは下りの時。焼山寺と鶴林寺からの下りは登りがきつかっただけに、最高でした。

しかし、それ以上に苦しかったのは登り。その洗礼はスタートして間も無い2番札所から最初の宿迄の登り。この宿はとてもアットホームな宿で値段も手頃、リピーターも多い感じでしたが、最初の登り坂が親父を迎えてくれました。

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お風呂は一番風呂。夕食は間に合わずコンビニで買った。でも美味かった。

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宿の下を義経が屋島を攻めた大坂峠を抜ける高速道路が通る。この道は宿に向かう短い下り。ここ迄上がって来る迄の道がダラダラとした登り。車ならなんて事はない。

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3番札所から4番に向かう道。ここも長い登り。札所は正面の山の麓。

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銀杏の大木 銀杏がびっしり。あやかりたい。衰えが全く感じられない。樹齢800年。そう見えないでしょう?そう思いながら見上げていた。

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このお店でカッパを買う。この後、このカッパのお世話になる。カッパは必需品。出来るだけ風透しの良い物が良い。暑いこの時期はゴムのカッパは汗がこもる。
このお店、宿のおかみさんの説明が悪く手前の田んぼの中を探しまわる。見つからず諦めて元来た道に戻り、消防署でこの店を教えて貰う。親切だったなあ。嬉しかったなあ。

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登り坂だけど、雲行きも怪しくなったけど、カッパが買えたし、靴下を掃いていない足の、サンダルに突っかけている部分が熱くなったけど、水を掛けてやり10番札所を目出して黙々と歩いていた。

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げー。333段。パチンコなら確変(次の大当たり確定)大当たりだけれど。
自転車は手前に於いて黙々とリックを背負い、かばんを首に掛けて歩く。途中、女人高野の奈良室生寺の奥の院への階段を思い出す。

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下り坂。疲れた体を実りの秋が癒して呉れる。

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今夜の宿。(2泊目)早めの予約したので夕食OK。(早めでなくてもOK?)
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3日目は11番札所から12番札所の麓迄。この距離。車道で楽勝と思いきや何と50キロを超える。ママチャリで50キロ走って見なはれ。お尻がむける?それが10キロは歩いていた。(登り)これは想定外。距離感を軽視していた。高知は必ず分県地図22万分の一 昭文社を手にして足を考えて行きます。

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2011年8月29日 (月)

実りの秋がスタート サンマと瓜 親父の実りは何時だ?

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これは瓜?南京かも?
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マクワ?
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柿。でもこれは渋柿?今年は柿狩り。栗狩り。ぶどう狩り。ミカン狩り。松茸狩りに行きたいな。今夜、舞茸と椎茸の牛乳汁と秋刀魚、ニラ、椎茸のバター炒め作りました。今夜は何を食べましたか?夏の疲れを取る食事をしましょう。

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秋刀魚は何と言っても焼き魚。フライパンのバター炒めの味は今イチ。しかし、親父の徳島遍路道の疲れは取れたかも? それは無理。それ程に疲れが蓄積して寝てばかり。情けない。流石にお腹廻りが凹んで担当医と約束した5キロの減量も間近か?

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オイオイ、粕汁か?イイエ、牛乳500。それは多過ぎる。この半分でお願いします。

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それではお口直しに匠 ベッチン瓜 始めて口にしました。兵庫の特産です。
まだまだ、大阪は暑い日が続いています。美味しい物を食べて心豊かに、力強く行きて行きましょう。遍路道の書き起こしまだまだ続きますが、これはオマケです。

うえちゃん、明日行きますよ。都合はどうでしょう? 悪ければ出直します。
りえさん、ブログ見てますか?明日、楽しみにしてますよ。

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大阪に戻って4日目 先週は焼山寺から苦労して登った道を一気に走り降りていた

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親父の田舎九州大分佐伯直川と何も変わらぬ風景。川幅も大差ない。山は緑。空は青く空気に汚れが無い。人の心は温かく全てがゆったりとして静寂。残念な事と言えば過疎。人口が減ると言う事はその地域が消えると言う事。その厳しさにこの国の多くの村が直面している。その最大の原因は地域の振興策が無い事。一刻も早いその施策を求められても、この国の政治家と役人、都市で生きる人達に、その認識が無い。

過疎の村が消えて行く現実はこの国の多くの地方で進行している。その歯止めをかけるには優れた政治と経済のリーダーが求められているが、その旗ふり役に勢いが無い。親父達は18の時、大阪に自分の可能性を求めて田舎を飛び出した。

年たけて今こそ田舎の為に何かをしなければならない。多くの事を語る事は無い。多くの事を伝える事も無い。唯、この国が豊かな国であり続けるには都市がどんなに活性化したとしても、大きな建物やショッピングセンターが出来たとしても、それでは豊かになれない。今、地方に車で出掛けて見なはれ。本当に立派な道が出来ている。

しかし、その道がどんなに立派になったとしても、高速道路が出来たとしても、そこで暮らしている人と都会の息苦しい生活をしている人との交流がなければ、地方だけでなく都市の人の生活と環境が壊れて行く。その事は間違いない。

よく考えてみたまえ。自然破壊、環境破壊、異常気象、温暖化対策、多くの人が多くの事を語るけれど、今のお間抜けなテレビを見ると本当に良く分かる。今、TV離れが進んでいると言われるが、親父達が若い頃は新聞離れと言われた。

マスコミの売り手目線が語られる事は無いが、公共放送、民間放送の社会的責任を放棄した番組が、視聴者の支持を受ける事は無い。テレビ局のコメンテーター、アナウンサーが尤もらしく多くの問題を語ったとしても、何時迄もその事が続く保証は何も無い。そのうちテレビの前から真剣に放送を見る人は、子供と年寄りと失業者、病気療養者以外にどれ位、居るのだろう?暇な人?趣味の無い人?遊びを知らない人/

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徳島駅前近くのビジネスホテルを探したのも1週間前の今夜。あの日は17番札所で雨宿りをして一旦上がった雨が徳島市内で再び降り始める。この日はお昼前に食ったおにぎり2個でお腹を空かしていなかったが、市内目前で吉野家の看板を見つける。

店内にはお客は疎ら(まばら)だった。夕方5時前の時間帯も影響していたのだろう?カウンターと厨房を1人で切り盛りしていた娘に、駅前の行き方を聞く。「この道なりに行けば良い。そごうのお店が見えたらその交差点を左。」分かり易い。

ハキハキとしてテンポの良い娘だった。親父ギャグに嫌みの無い笑いを声にしながら、徳島に何しに来たのと問い掛ける。遍路と答えると又、笑われる。そうだよなあ。白装束のユニフォーム着ていないし、白いシャツは着ているけれどママチャリに乗っているし。変な親父と思われたのかな。それでもそんな素振りは見せなかった。

この画像は翌朝の徳島城旧大手門。今でも大手門に変わりはないが城址は公園となっていた?行ってないので分からないが。ここから暫く手前下に走れば室戸への55号線は近い。広く市内を南下する道。海は近いが汐の香りは少ない。港は少し離れていたからだろう。

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この道が室戸への道。左の歩道を走る。横目で車道の車を見ながら30数年前に走った時の記憶を探る。何も覚えていない。あの当時もこれ位の立派な道だったのだろうが、違う様な気がしていた。でもこの先は18番札所迄一本道。迷う事は無い。

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ここ迄徳島市内から10キロ弱?マップの距離表示が大まかで良く分からない。携帯ナビか正確な距離表示のマップが必要。車と歩き遍路の標識はあるが当然チャリの標識は無い。これからは親父型遍路が増えると思うけれど?それはない。義経騎馬軍団がこの地に上陸して一気に駆け抜けた往時を知る時、栄光と悲劇の歴史に思いが交錯する。義経の悲劇は兄への忠誠心が余りに強く、警戒の思いが足らずに誤解と妬み(ねたみ)を招いた事だろう。今の世でも勢いがありすぎると必ず足元を救われる。

今、29日のお昼です。これから暫くは毎日が日曜日です。今迄仕事をしながら間抜けなブログを書いて来ましたが、これからは今済んでいる自分のホームタウンだけでなく、出来るだけ地方の現実を書いてみたいと思っています。

親父のブログはこれ迄人にお見せする物ではなく、2人の息子への日々の報告と親父のぼやきでしたが、これからは一人でも多くの人に共感してもらえる様な内容に変えてゆきます。人の行き方は様々ですが人の生き方を批判するだけでは、マスコミのコメンテーターの見苦しさと何も変わりません。人の生き方を見て自分はどう生きるか?人の足取ではなく、自分の土俵入りがこれから問われる事でしょう。

今、TVでは定時のニュースを放り出し新総理候補者の演説を、中継しています。
公共放送としての使命は何処に行ったのでしょう?これでは自ら社会的責任を放棄していると言われても弁解の余地は有りません。

今、多くの人が求めている事は暮らし易い社会、生活の基盤が安定している社会、社会的弱者の救済、そして何よりも急がなければならない事は東日本震災と津波からの復興、福島原発の1日も早い沈静化と避難、被災者の損害賠償でしょう。

この間抜けな議員(選挙で選ばれた主権者の思いを思い出せ)がどんなに神妙な面持ちで投票しても信頼と支持の低い総理。マスコミはこれ迄同様自らの体たらくは棚に上げて、批判と駄目押ししか出来ないでしょう。それで良い筈は有りません。

何と言われても毅然としてマスコミ受けのパフォーマンスだけは取らないリーダーは海江田氏しか居ません。(親父の個人的意見です。)一人一人が自分の思いが託せる人を応援すれば良いのです。そして1日も早く胸を張ってこの国の政治を誇れる、そんな生き方をしましょう。政治と金の問題を長い間、最大の今日的政治課題として政治と経済を停滞させた責任がマスコミの報道にもある事を忘れてはならない。

親父は新総理にその事を期待しています。自分の国の政治リーダーをののしるこの国のマスコミに何時迄も振り回される事はありません。彼らがこの国の為に何をして来たのか?その事も今、問われています。拳を突き上げる候補者の見識の無さにも愕然としています。これから飯です。食事は済みましたか?

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徳島市内からこの18番札所迄はおおよそ12キロ。17番札所からは17キロ弱。前日、徳島の市内に入らなければ7時前にここに到着していただろう。しかし、前日吉野家でお新香付の牛丼を食って娘に徳島駅前の道を聞いたのは正解だった。

この辺りは前は国道の広い道が田んぼの中を走り、お寺さんは山。その入り口に民宿があったが、到着した時間が遅く泊まれたかどうか分からない。それよりも辿り着けたどうか?遍路道を廻るポイントは山登りと同じです。自分の体調と相談しながら無理をしない事。早めに休む。その事無痛感しました。

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民主党新代表決まる。親父の予想とは違う。野田財務大臣。民主党議員の思惑は自己保身。誰でも自分を捨てる事は難しいが、今の混乱を招いた管政権の後継者では政権交代の意味が無い。これからの政治は財務省の思惑が強くなる。自民、公明との3党合意、連立と進むのであれば、国民の信頼は薄まるに違いない。これで景気の回復、政治の信頼は難しくなるだろう。(親父の個人的な意見です)気にしないで下さい。

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この先に見える建物が遍路の宿です。親父が旅した時は丁度タイミング的には良くて、何処も空いていました。恐らくここも昨日遅く到着しても泊まれた事でしょう。それでもお寺さんの納経帳に記入してもらえるのは午後5時迄。夕食の準備は大体午後4時迄の予約が必要でしょう。素泊まりだけなら近くのコンビニ利用でしょう。

この画像は翌朝、徳島からここ迄たどり着いた時の写真。時間的には10時前後。この日はこの後、19番、そして地獄を見た鶴林寺の5キロの山道、女神の居た太龍寺下の道の宿「そわか」まで行ったのだから、本当に凄い。行ってみないと分からない。

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この草むらの中が遍路道。恐らく空海も母御前もこの道を通っただろう?今は狭い谷川の道も護岸が整備されている。それでも今は夏草が生茂る。

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ここは山の入り口。ここの手前に道の駅があり遅いお昼をする。しっかり腹ごしらえをして元気を出す。ここで休憩。用事と買い物です。

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2011年8月28日 (日)

徳島遍路道 苦しかったその先には優しい人と美しい景色があった

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鶴林寺本堂への長い階段。でもこの時は今夜の宿の予約が出来ていたので、足取りは軽かった。この石段の前でお水を飲みながら休憩していると、車で上がって来た団体の叔父さんが声を掛けて呉れる。チャリを押しながら喘ぎながら歩いていた親父を見て呉れていたのだろう?

「よう上がれましたなあ」声は優しかったが内心笑われていた。そうだよなあ。この5キロの山道をチャリを押して参拝したのは、親父の他にどれだけ居たのだろうう?その事を思えばこれ位の階段は朝飯前と変な自信を持っていた。暫くは間違いなく大阪の階段をエスカレーターを選ばずに歩ける。

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立派な三重の搭。全部を近くでカメラに収められず。県指定の文化財。
ガイドブックに依ると徒歩で登る参道は12番札所焼山寺に勝ると言われている。
親父はその焼山寺の参道を宿の車で下る。その罰が当たりました。

この鶴林寺と次の太龍寺は曼荼羅の金剛界と胎蔵界に比べられている。この言葉は難しい。まだ簡単に説明出来ないがもし興味があれば辞書を引いて下さい。それでも分からなければ親父がも少し空海の教えを勉強します。

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この道は21番札所への道。川の流れは鮎喰(あくい)川ほど綺麗ではない。しかし、この川の流れは深い。この川が今夜の宿「そわか」の前を流れ、源流は徳島と高知の県境に始まる。水の流れが透き通って居なくても流れは速い。

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道の駅横の道の宿到着した翌朝、ロープウェーで太龍寺に上がる。このゴンドラはスイス製。昨年、スイスのマッターホルンを見に上がった恐怖のゴンドラを思い出す。

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ただ高さだけではスイスに負けるが、太龍寺には西の高野がある。怖さでは同じだった。違う事と言えば遍路道。一人旅。すがる物は何も無かった。ではもう一枚。

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このスイスの画像は「そわか」でお世話になったみーちゃんとママへのお礼です。スイスの素晴らしい景色に負けないおもてなしと優しさ、忘れられないでしょう。

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太龍寺本堂は台風の強風で杉の大木が倒れ破損。修理中。ここは仮本堂。

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修理中の本堂。一見被害は殆ど回復したかに見える。但し、まだ立ち入りは出来ないので現状は分からない。

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ここが仮本堂。空海も見たのかな?登りの板の階段には日の光が射していた。「よう来た」と明るく迎えて呉れる。何故かこの時、他の参拝の人が途切れていた。親父の様にのんびりと歩く人は少なかったのかもしれない。ここは空海が特別の想いで「虚空蔵求聞持法」を修行したと言われる。このの言葉も難しけれど興味があれば辞書で調べて下さい。その修行の場がここです。

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ロープウェーの始発駅迄降りて来ました。山を2つ越えるロープウェーの鉄塔は2つしかない。山の上で鉄塔を越える時ガイド嬢が「下に川と村が見える」とアナウンスされるが親父は正面の山を見ているだけだった。「下なんか見れる訳が無い」

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今日は昨夜と同じ宿「そわか」に泊まる。昨日の疲れが取れていない。しかし、この時はまだ正午過ぎ。流石にチェックインは出来ない。3時から。暫く時間をつぶす。この力うどん。シンプルだけど美味い。廻りを見渡すと団体の参拝客、もっといい物を食っている。でも食べ物はおいしい物ならうどんも負けない。人生も男も女も健康も同じです。出汁を残さず頂きました。

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ここの鯉の元気さと生命力に圧倒される。餌を投げると飛び跳ねて他を圧倒する。そこ迄飢えてはないだろう?そう思いながら親父の淡白な生き方?を顧みる。(外見そうは見えないけれど?)そう九州男児だから。眼つきと声と体格で誤解される。

でもそんな親父も心根は優しい。それを分って呉れたのはミーちゃんでした。

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翌朝、22番札所を目出す。徳島遍路道もあと2つ。23番で終わり。お昼には付ける。22番から23番札所の峠越えの道も知らず、能天気にそんな事を考えていた。その甘い心が打ち砕かれたのは、そう遠くは無かった。

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早生の米は道中刈り取られていたが、これが田舎と同じ品種の稲。実りの秋が近い。

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車では容易な峠を約2時間掛けてクリアー。ここから22番札所は遠く無い。

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雨になる。かっぱを脱いだり着たり忙しかったな。

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正面が22番札所本堂。真ん中の石畳の参道が雨で滑る。右が納経場。ここで次の札所迄の距離を聞く。おおよそ22キロ。峠道がきついので自転車ではおおよそ6時間雨も降って来たので、電車で行きたい。最寄りの駅迄の道を聞く。

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流石JR四国。10時40分。最寄りの駅、新野(あらたの)駅から30分弱で到着。

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次は高知室戸岬。高知修行の道。この距離を2日がかりで歩ける健脚は親父には有りません。電車で行ける所迄行ってその先はバスです。バスは24番札所のどれ位近く迄行っているのかな?それが分かれば新しい目標が出来て来ます。

親父の徳島遍路道の総括もこれでおしまい。一番苦しい時に助けて呉れた空海様に感謝です。そして叶う事なら焼山寺の善根の宿と太龍寺の道の宿「そわか」にはもう一度行きたい。想いは叶うかな?それはこれからの生き方次第です。

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四国遍路道 これから13番札所に向かいます。

Img_8200昨日、難儀して登って来た道を今日は一気に下る。
なんか難しい顔をしているが、この時は休憩中。
朝、頂いたおにぎりをもう食っている。

この時、10時半頃。下りの道が平坦に変わり少し低い峠を越えている。少し前、昨夜同じ善根の宿に野宿していた慶応ボーイと別れて寂しくなったのだろうか?
そうではない。疲れた体を休めながらおにぎりを食っているだけです。(カメラが近過ぎる。もっと笑え)
遍路道はそれ程甘くない。これは緊張かな?

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そうこの景色を見ながら若くして亡くなった大切な人の事を思い出していた。
この道が改良されたのがその歳の1月。(記念のプレートがあった)
そしてこの景色は親父の原風景。どうしてもっと違った生き方が出来なかったのだろう? (そんな事は遠い過去の話になりました。でも今でも忘れてはいません。)

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ここが青年と休んだ所でした。今頃、どこらへんを歩いているかな?

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13番、14番、15番札所は近い。それでも道は注意しないと間違う。

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このお寺さんは大きな岩盤の上にある。空海がここで17日間修行したと言われているが、その時はもっと低い所にあったがため池を作る必要があって、この岩山を整備したと言われている。この石段を上がると本堂は正面。

その前には空海が植えたと言われるアララギの大木がある。親父は知らなかったがその木の葉を煎じて飲むと、糖尿病に効くと空海は教えている。何でそんな事を知っていたのだろう?そして糖尿病は贅沢病とも言われているが、その当時の農民達は贅沢をしていたのだろうか?そんな事はあるまい。
(親父に糖尿の薬を勧めた担当医に聞いてみよう)コラコラ。

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これがアララギの大木。ガイドブックには気の股に祀られた石像「アララギ大師」があると書かれていたが、それは見当たらなかった。何故か聞いても見なかった。

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15番札所薬王山国分寺。ここは空海の修行の痕跡は無い? 江戸時代初期には荒れ果てるが1741年に藩の命令で再建。宗派は高野山真言宗ではなく曹洞宗。ご本尊様は薬師如来、行基の作と言われている。本堂横の庭園は桃山時代の枯山水で力強い石組みは見応えがあると言われているが、残念ながら見逃す。この頃から雲行きが怪しい。
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16番札所観音寺 正面から写していないのは仲々参拝の親父が動かなかったから。

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ここに来る迄雨に叩かれる。それでも平坦な徳島郊外の田舎道は結構古い街並の中に稲穂の香りが広がる。もうすぐ実りの秋です。この遍路道で何度も感動した稲穂の道は空海も見たに違いない。その感動を語り継がれる言葉は無い。

この山門の中に駐車場がある。車は右側に車道が続いているが親父の個人的な意見としては、車の横着け参拝は止めてもらいたい。この山門で雨宿りをしていると短い休暇を利用して参拝の男性に声を掛けられる。雨が小降りになる迄ここで休憩しました。

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翌朝は雨も上がり徳島の市街地を後にして南下する。この道は懐かしい道。2人の子供達が幼い頃、今は無い和歌山と大阪の県境の港、深日から徳島迄フェリーで渡り南下した道。あの時はこの道を戻っているが、その時の面影は全くない。それ程に長い時が流れたのだろう。広い国道55号線の車道をマイペースで走っていた。しかし、平坦な登りは自転車を押していた。

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この看板を通り過ぎて近くのコンビニで買い物に着たお兄さんに目的地の入り口を聞く。いきなり声を掛けて地元の人か確認すると怪訝な顔をされる。それでも流石大阪の親父、お寺の場所を聞く。「ああ。戻るとこの看板が在るから、すぐ分かる。」

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意外だったのは義経の軍勢がこの港に上陸した事。今は義経伝説も当時の勢いを知る人は少ない。18番札所は少し山を上がる。少し息切れ。お寺の名前の由来は意外に今日的。(そうでも無いか?今、親子の情愛はそれ程深く無い。)

空海がこの寺に滞在していた時、母(玉依)御前が訪ねて来るが、当時この寺は女人禁制で合えなかった。空海は山門近くで17日間祈祷しその禁を解き対面を果たす。母はここで髪を下ろしたと言われ山門上に、それを記念した大師お手植えのビランジュ(唐木)がある。

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次の19番迄は4キロ足らず。楽勝と思っていた。

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次の札所鶴林寺迄14キロ。車で35分。歩き遍路で4時間30分。親父のママチャリで2時間位だった気がする。しかしそれは鶴林寺の麓迄。山道の登り5時間。オーマイ、空海様でした。おぬし、考えが甘い。と笑われていた。鶴林寺の登りの苦しさはこれからの生き方に必ず生きるでしょう。いや、生かさぬ訳は有りません。その事を痛感していました。息切れ、動悸、めまいがしていたらどうしていた事でしょう。

でもこの時も唯々、前を向いて最後は尺取り虫の様に歩きながら、息を整えながら歩いていました。それだからこそ、空海様は助けてくれたのでしょう。「捨てる人あれば助けてくれる人ある。今日を嘆かず明日を信じよ。その通りになる。

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ここから暫く登りが続く。汗を拭きながら一服しています。

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峠を越えて川沿いの道に出る。ひなのさと勝浦は鶴林寺麓の道の駅。

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鶴林寺車道を進む。ここは急な登りが一旦緩やかになっているが、まだまだこれは序の口。苦しかった登りの道御覧在れ。

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チャリは勿論押すだけ。まだこの辺は苦しいと言っても余裕があった。

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苦しい登りをここ迄上がって来ると眺望が開ける。目的の鶴林寺はこの正面の山。

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Img_8304 やっとの思いで山門到着。嬉しかった。久し振りの歓び。殆ど乗れなかったママチャリに何故か感謝する。その意味を痛感したのは下りだった。前と後ろのブレーキレバーを一杯に握りしめても勢いが止まらない。その歓喜の想いを共有する。

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Img_8318 山門をもう一枚。こちらが綺麗に撮れている。それだけ嬉しかったのだろう。

嬉しい事はそれだけでなかった。今夜の宿が予約出来る。納経所のお姉さんにオープン間もない宿を紹介される。電話で宿が決まった時はホットしていた。しかし、登り道の途中に右折した道は意外に短かった。そして宿への道は意外に遠い。

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那珂(なか)川沿いの道は暫くは広かった。その道が一気に狭くなる。それでも宿が決まっていたので、慌てる事は無かった。最後は小雨になる。嘆きの雨が歓びの雨に変わる。しかし、体もママチャリも悲鳴を上げていた。なんとか導いてくれたのは空海のお陰でした。最後は感動の宿(2泊)と優しいミーちゃんとママとの出会いでした。21番札所大龍寺は空海が自ら自慢した修行の霊場で西の高野とも言われている。2泊の価値は充分ありました。道の宿「そわか」又、行きますね。

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2011年8月27日 (土)

徳島遍路道は一週間の旅でした。次の高知はもっと長い。

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徳島遍路道で大変な思いをしたのは10番切幡寺から11番藤井寺の旅。
しかし、この間は道を探しながらも平坦な所が多く、余裕がありました。
距離的に苦労したのは11番から12番の焼山寺(しょうさんじ)迄の道。

この間は歩き遍路でも山の中を歩くので5〜6時間かかる。親父はママチャリで大きく車道を迂回する。この距離何と50キロを超す。しかも後半の鮎喰川(あくいかわ)沿いの右岸の道は狭い所が多く難儀する。しかし、本当に大変だったのは登り坂だった。焼山寺の下の善根宿で接待を受けながら、この日はここ迄だった。

ここで休憩。続きは改めて総括します。

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ここからスタート。親父は納経帳と収め札しか求めなかった。多くの人はここで白装束、金剛杖、菅笠等を求める。遍路道を歩く常識として上だけでも白装束を着なさいと、12番焼山寺(賞賛寺)の善根の宿でお母さんに注意される。(親父ではなかったけれど、反論はしなかった。)遍路道を歩く常識も変わりつつある。

親父の様なママチャリで廻る人は見かけなかった。多くの人が歩くか、車かバスの団体。一番楽に廻れる方法は車だと思うが、車では苦難の思いは感じられない。人は様々でもこの道は、山門迄車で乗り付けては空海の想いは伝わらない。それでも歩く人は偉大です。12番焼山寺で出会った慶応ボーイは今、何処を歩いているだろう?

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老、病、死などの人間の八つの苦しみから開放され、光明に輝く十の楽しみが得られる様に弘法大師(空海)が開基したと言われる。平成19年に竣工したと言われる宿坊と食堂はバリアフリー。ここで泊まりたかったが一番札所に着いたのが3時過ぎでは無理でした。泊まったのは2番札所で紹介してもらった3番札所近くの宿でした。

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2日目の宿。うどん、食堂に宿が併設されていた。宿泊者は少なく昨日同様今日も一番風呂。食事もまあまあでした。

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吉野川 2つの沈下橋を渡る。これが1つ目かな?

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11番札所藤井寺 ここ迄の道も結構あったがママチャリのお陰で、楽が出来る。それでも小さな街中の坂をキョロキョロしながら、通り抜ける。ここから次の焼山寺(しょうさんじ)迄は歩き遍路で12、3キロ。山道を歩く。親父は車道を大回り。42キロ。今日はここ迄10キロ弱を走って居たので50キロを超える。

本当に2度と経験出来ない体験でした。それでもこの時はまだ元気でした。

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この山道が「遍路ころがし」と言われる難所の入り口。この道を歩かなかった罰が当たる。50キロのうち10キロは間違いなく登り坂で歩いた気がする。

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ここ迄来ればとニンマリしていた。処がそない甘いもんやおまへん。ここからは余り下りは無い。なだらかな登り坂が続いていた。

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静かな山間の村。都会の喧騒を知る由もない。疲れた体を休めて眺めていた。

休憩です。

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行く川の水は絶えずして元の水にあらず、流れに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しく留まり足る試しなし。人の世も又、かくのごとし。鴨 長明

生きとし生ける者、この世に生まれこの世で育ちこの世で朽ち果てる哀れな人生も、心に太陽と宇宙の真理を感じれば、苦しみの道も又楽し。道は途絶えたと思っても必ずその先が無くなる訳ではない。事実、今回の旅もその事を実感する。その事を体験出来た事が、最大の喜びでした。

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ゴールは近い。それでもまだ7キロ弱。この緩やかな登りは自転車を押してあがるしか無かった。考えて見ると今迄の人生も同様の道であったが、苦しいと思った事は一度も無かった。自分の可能性が試されている。そう思うだけだった。苦しみを嘆かず喜びに奢らなければ人の生き方は必ず変わる。そう言われていた。

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道が狭くなる。それでもこの道は一方通行では無い。大事な地方の村の幹線道路。対向者が来ると退避しなければならない。鉢合わせになるとどちらかが後退しなければならない。譲り合いの心。あいつは言葉使いが悪いから担当を換えろ。そんなことを言っていたら、間違いなく罰が当たる。その事を思い知る。これからも雄々しく生きろ。これからも多くを学べ。そんな時代が必ず来る。声なき声が聞こえて来る。

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ここは途中休憩をした神山温泉。山道を1人で歩いていると車の助手席から道を聞かれる。最初は地元の人間ではないと言っていたが、段々、平然として答えている自分がおかしくなる。ここで泊まりたかったけれど、先を急いで正解。夜、善根の宿の親父が連れて来てくれる。天然のねっとり体にまとわりつく立派な温泉。過疎の村は豊です。

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ようやく焼山寺麓のお店に到着。店内の青年と目が会う。1人の歩き遍路の親父が靴底を直している。この先の少し広い広場が「駅」になっているのでその意味を聞く。「そこは大型バスの駐車場。この先は登りがきついので大型バスは上がれない。だから乗り換えの駅」成る程。

しかし感心するのは早い。この時3時半。自転車をおいて行くべきか?でもその元気は無かった。接待の飲み物を口にしながら近くで泊まれる処を聞く。「ああ、うちで良かった泊まれますよ。一泊2食おにぎり付4000円」

疲れが一気に取れて行く。一時して出掛けていた宿の親父とおかみさんが戻って来る。長い距離を黙々と走り歩いて来た思いが、嘘の様に思える。しかし、ここで泊まれなければどうしただろう。翌朝、軽トラで下った道を思うと愕然とする。

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この距離表示は遍路道。藤井寺からここ迄車道はこの4倍。本当に良く出来ました。そして次はママチャリは止めます。歩きますか?それも出来ないでしょう?ではでは?それが問題です。高知は「修行の道」です。唯々、長い距離を歩きます。電車とバスの乗り継ぎを、きっちり学習して行きましょう。

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この先の遍路道迄林道を迂回して宿の親父が「ここだけは見ときなさい。」と案内してくれたのがここです。ここは藤井寺から焼山寺迄の遍路転がしの道を歩かないと見れません。親父さんありがとうございました。

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この日の朝は6時起床。この時の時間が7時半位。お寺さんで「早いお参りで、何で着ました?」と聞かれる。かっちりしている。車で来たなら駐車料金と思ったのだろう?」叔父さんとはしたの宿でお別れ。自転車で荷作りをしてお母さん共々お礼を言う。ありがとうございます。次の機会はまず無いでしょう。それでもそれが出会いです。

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昨日、黙々と登った道をアルプスの少女「ハイジ」の様に一気に下る。それでもスピードと見通しの悪いカーブは気をつける。昨日来た道を思い出しながら、それでも道を間違える。結果的には正解だったが凄い峠を一気に下る。これが反対だったら死んでいた。しかし、この体験はこの遍路道最後の日にも経験する。ありがとうございます。司馬遼太郎さんが書いた空海の風景にこの道は無かったが、行って見なはれ、歩いて見なはれ、自分の進むべき道が見えて来る。

次は13番札所、この道も歩くと長い。21キロ弱。途中で先に出た歩き遍路の青年に追いつく。暫し休憩。今頃、何処をどんな思いで元気に歩いているかな?帰ったら書き込みして下さいね。この先は又、書きますね。

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2011年8月26日 (金)

お昼前にいきなりにわか雨 一気に温度が3℃下がる

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スコールの後は夏の日差しに戻る。もうすぐ8月も終わるけれど大阪の夏は、暫く続く。久しぶりに大阪に戻ると大阪人の声のデカさに圧倒される。親父も声はデカいが何でこんなに馬鹿笑いをするのだろう?人の生き方がホンマ軽薄。

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阪急で梅田に出て心斎橋Apple店の上ちゃんに今回の旅のトラブル報告。
takeさんに言われた「操作だけで無く機能の学習」をする。上ちゃん忙しい時、手を煩わせてありがとうございます。足腰難儀回復お守りありがとうございます。

時間待ちの間、何時もお世話になっているりーさんの名刺迄頂き、感謝です。
お仕事、体調気を付けて頑張って下さい。人生は出会いの旅です。一期一会、一時の出会いを感じられる人は幸せです。何時も優しい笑顔ありがとうございます。四国遍路の親父の珍道中記、見て下さい。

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大阪心斎橋Apple前の大丸のお店。長い間ライバルだったそごうを買収したが、この奥の心斎橋商店街の生き残り作戦とは対照的に、北と南のターミナルのデパートに押されて、苦戦している。このデカい売り場の再構築は、老舗デパートの再生が問われている。(余計なお世話です。)アップルの心斎橋店はこの正面です。

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この大通りが名高い御堂筋。このカメラの先が難波です。親父が若い頃は車は一方通行ではなかったが、今は全て南行通行です。しかし、右左折の時は事前に車線変更をしていないと曲がれない。東西方向も一方通行が多いので、土地勘の無い車は走れない。

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このビルの少し北で地下鉄入り口。(次にお見せします)このビルは前にもお見せしましたが、10年前面接に来て即決した。その時面接した課長は今はどうしているのだろう?人の世の無情を感じる。なんだかんだ言った処で最後に笑うのは体力です。

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この先が地下鉄の入り口です。暑い夏、クールダウンのミストが出ている。

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アップルのお店で上ちゃんのレクチャーを受け、今日は意気揚々と帰る。いつも通りの優しさで親父の質問に答えて呉れた。takeさんに言わせると親父の使い方は、まだまだと言われて当然だが、親父の歳になるとこの程度の事しか出来ない。

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阪急梅田ターミナル。神戸線、宝塚線、京都線がここから発車、到着する。関西私鉄で営業路線で近鉄、歴史的には南海に譲っても、今1番経営が安定しているのは阪急だろう。それは車両の新しさを見ると分かる。一両の車両価格は高い。その10両編成価格は軽く数億。それも5億近くとなればそう容易く設備投資も出来ない。

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今夜の食事。この他にもそうめんと稲荷がもう一人分。食い過ぎです。

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2011年8月25日 (木)

徳島遍路道(発心の道場)体験して来ました。知らない人が多くを語りますが、行って見なはれ。嘆きの吐息をつぶやいて下さい。

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昨夜はまだ帰るなと言われている様な土砂降りの雨でした。
それでも今日は別れの時、短い間親父の足になり命となってくれたママチャリともお別れ。1番札所の近くで買った時は徳島最後の札所薬王寺近くで、誰かに譲るつもりでしたが、2泊した道の駅「そわか」の娘が引き取ってくれる。本当にありがとう。
これでお別れです。雨上がりの山もまだまだ降りそうです。

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今日は22番札所、23番薬王寺迄。ここからの距離侮っていた。ママチャリも別れの時を感じたのだろう。親父の軽い気持ちを打ち砕く。峠越えの道。車で走ると容易な道もなだらかな登りは一気に汗をかく。途中で道を間違えていないか?不安になる。最後の登り坂で1昨日反対側から廻り込んだ21番札所の標識が見えてくる。
しかし、この道で正解だった。この先峠を登り詰めると一気の下りになる。

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これは昨日遊んだ河原。

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峠の登りの始まり。この時はまだ余裕しゃくしゃく。ただ意外に遠い事を実感し始める。親父の田舎の風景を思い出す。

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長い長い登り。でもまだまだ元気。携帯に不在着信有り。前の職場の同僚。「今、何してマンネン」と言われる。「四国徳島の旅」仕事は終わりました。これからは生き方が変わります。司馬遼太郎さんが書いた空海の風景は、今を生きる人達の心の指針です。口先だけでなく歩いて見なはれ。人生が変わる。生き方が変わる。考え方が変わる。(車でお寺さん山門乗り付けは駄目。しかし、親父もここで考えが変わる)

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峠の頂上でようやく22番札所の看板が見えてくる。下りは結構一気に下る。これが登りならと思うと空海様に感謝する。車で走れば難なく越える峠道がこれだけ大変だとは実感しないと分からない。この先は楽だった。

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峠の下り道。雨が降っていた。

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後3キロ。地図を拡げて確認していると学生に声を掛けられる。でもここ迄来ればもう大丈夫。カッパを脱いでもう少し頑張って。

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昨夜来の雨で川の流れは早い。しかし水は綺麗。水草がよく見える。

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ようやく到着。予想以上の時間が掛かる。考えの甘さを思い知らされる。しかし、この教訓が生きる。ここ迄1時間以上。次の薬王寺迄20キロ。ここで空海が助けてくれる。「雨が降り始める。次迄の道は半日掛かる。電車にしなはれ。」ありがとうございます。

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今朝は実質この表示以上これ以上走って居るが、後、20キロはしんどい。後で迎えに来てくれたミーちゃんの車で戻る時、昔の国境の峠道。本当にありがとう。忙しい合間を親父の為に感謝の気持ちで一杯でした。ママチャリは近くの駅前の喫茶店で預かってもらう。帰りは雨になっていた。

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ここは乗車した新野(あらたの)駅の先の停車駅。電車はワンマン。しかし、けっこう、学生と歩き遍路の乗車がある。本日の目的23番札者はここから20分足らず。それでも長いトンネルで峠を越える。鉄路の偉大さを痛感する。

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日和佐の駅から歩いて600メートル。それよりも近くに感じました。
徳島遍路 1週間の旅 無事終了 最後に嬉しい事と楽しい別れの時を空海様は用意をしてくれていました。新装オープンの綺麗な宿、そして自然で飾らない優しい心のおもてなし。何故か苦しさと楽しさ。思いがけない感動がフィナーレを飾ってくれました。

家族皆で力を合わせ仕事と愛を両立させて下さい。又の日を楽しみにしています。本当にありがとうを繰り返しながら、送って頂いた阿南の駅から徳島駅、徳島駅から大阪梅田のバスターミナル迄無事帰って来ました。では最後に23番札所のオンパレードです。耳の中で蝉の声が、瞼の中に多くの優しさが染み込んでいます。
来阪を楽しみにしています。お元気で。車に気を付けて。ママチャリ大事にして下さい。

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前の札所迄43キロ?本当に電車で正解でした。電車に乗らなければ助けを呼んだでしょう。次の札所24番は高知県室戸岬 最御崎寺(ほつみさきじ)は途中迄はJR。歩くと3日掛かり。(それでも歩いている人は居る)只々凄いとしか言いようが無い。この道が白装束を着て歩く意味が良く分かる。

本当にこの道は口先では歩けない。都会で生きる人達もそれなりの覚悟が必要です。空海が教えて呉れた「今を生きる意味」それは歩かないと分からない。それでも90キロは無理。次は高知の遍路(修行の道場)です。親父は次は電車とバス、そして歩きの遍路です。

何時、行けるかな? 暫く減量をしないと歩けない。折りたたみの自転車どうでしょうか?それなら何時の事か分からんな。しっかりお金を貯めないと。

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これはもう帰りの電車から撮った駅です。阿南の駅迄送ってくれて感謝しています。お陰様で阿南駅折り返しの電車に乗れました。徳島駅でもバスの待ち時間は少なく
大阪到着は6時前でした。お仕事頑張って下さい。

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徳島駅前のバスの広告が池田。大阪池田到着は6時半位。大阪梅田でバスを降りて何時ものお店でカレーを食いました。このお店のカレーも最近お客が少なくなりました。お客さんは本当に正直です。これから仕事は難しくなりますが、初心忘れず輝いて下さい。応援しています。

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2011年8月24日 (水)

太龍寺ロープウェイで登る。宿も2泊する。明日は22番と23番札所  

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四国21番札所 太龍寺 空海はこの上で百日間に渡り「虚空蔵求聞持法」を修法されたと言われる。ここ太龍寺と室戸岬は青年期の思想形成、悟りの道を開いたと言われている。この右側は断崖絶壁。高所恐怖症の親父が左側の木立から回り込みました。ここで2泊したのは本当に親父の今後の生き方に、生かされるでしょう。

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草履と靴下を脱ぎ捨てこのヒモと、画像には無いが鎖を手がかりに這い上がる。

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下を見下ろすと少し高い。しばらく逡巡(しゅんじゅん)して決心する。先客一人が見守っていた。ありがとうございます。こんな所を裸足で越えたのはあまり居ないに違いない。空海様は何も語らず何も教えてくれる事は無かったが、静かに見守っていた。

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近くの川。久しぶりに河原で大きい石を押しのけて一時、川風を受けながら横になっていました。この川は透き通る水の流れは無かったが魚が釣れていた。

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フロントの栗のイガ。ここ迄どうにか画像挿入出来ました。takeさん、忙しい処ありがとうございます。この後、もう少し宿の宣伝が出来ると良いけれどどうかな。

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まだリニューアルオープン間もないので、とてもきれいで感じの良い宿でした。

明日は名残惜しいけれどお別れです。でも1番札所の近くで買った愛車(ママチャリ)を23番札所で引き取ってもらえるので、ありがとうです。処分の方法心配でしたがこれで助かります。大事にして下さいね。

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一泊2食付トイレ付きは7600円 お部屋がきれいで食事が美味いので、それだけの価値はあり。遍路の宿 民宿で6500円(2食付き)でも部屋は新しい所は少ない。何事もお金が大事です。安くてきれいな所は難しい。遍路道の一日あたりの予算は1万円前後です。安くはありません。それだけの覚悟も求められます。

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親父がガラス戸の外に立っている。山から下りて来たのは12時。河原で少し寝ていたのでこの時1時過ぎ。流石に留守番のお母さんもまだ来ていなかった。しばらく時間をつぶす。(おやじさん、減量はどないなってまんねん。)すみません。

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こちらはロープウェイ乗り場。建物の上にゴンドラが見える。

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おいおい、山を越えるの?ハイ。2つ。山頂に見える鉄塔は一本目。世界一の大きさがある。(ホンマ、ですか?ホンマです。)

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下の河原で見上げている。結構、団体さんが乗っている。開業以来無事故。これからも続けて下さいね。点検整備は大変だろうけれど。(ああ、身震いがする。)

 


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今日は太龍寺のみ 昨夜と同じ宿で休憩しています。

親父と同様、MacBook、Airも言う事を効かなくなりました。疲れたのかな?
今夜教えて下さい。デジカメの画像をそのままではアップ出来ず、サイズを縮小していますが、画像を取り込んでいる位置が変わり、目的の画像が全て取り込めない。
昨夜の少しおかしかったが、なんとかごまかしてやったのが悪かったのかな?

今夜、takeさん、スカイプで教えて下さい。これからお風呂に行って仮眠します。
今日の画像は凄い。高所恐怖症の親父が山を越えるロープウェイの中で、固まっていました。鉄塔のスパン(間隔)が長いので少し揺れる。案内の景色を見ようと外を見ると、震えていた。その親父が空海が修行をした岩山を登る。信じられません。

その画像もしっかり取りました。

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2011年8月23日 (火)

今日は20番札所迄 鶴林寺は550メートル山野の上

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徳山市内から小松島に入る。恩山寺は少し山道を歩く・これくらいの坂でもしんどい。しかしこれは予兆の始まりでしかなかった。この後、鶴林寺(20番所)はこんなもんではなかった。5キロの山道。しかも急な登り坂。

昔、歌っていた「若者達」の歌詞を噛み締めていた。「君の行く道は果てしなく遠い。だのに何故歯を食いしばり(息絶え絶えに)君は行くのか、そんなにして迄」後でお見せします。それ程に苦しい550メートルの登りでした。

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空海が晩年母親をここで孝行しました。

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19番札所 立江寺 りっこうではない。たつえ寺 ここから20番迄が遠い。しかし、本当にしんどい(息絶え絶え)の思いをしたのは山の登り始めてだった。覚悟はしていたが、自転車を押して上がるのは無謀です。ほとんどが車。歩き遍路も少ない。それ程の難所でした。焼山寺(しょうさんじ)より長くて苦しい?

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ここ迄田んぼの中の道を3キロ位漕いでいる。ここから上り坂。休憩です。

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静岡掛川で見た風景に似ている。今も変わらない日本の原風景。空海が見た風景はビニールハウスは無く田んぼの区画整理、放水路の整備もされていなかっただろうが。

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この時点で親父は疲れていた。難しい顔をしている。しかし、これはホンの序の口。山登りの苦しさはこんなもんではなかった。その難行を知る由もなかった。

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やっと見えて来ました鶴林寺20分 そして一息入れたい道の駅10分 
しかし、この表示の時間は車での時間。鶴林寺の下に辿り着いたのは小一時間の後。
鶴林寺は登りが5キロ。3時間かかる。車がどれだけ便利か?そしてどれだけ遍路道を嘗めていたかを思い知らされる。これから山道の様子ご覧あれ。本当に2度と出来ない体験となりました。解説無しで一気に行きます。

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立江寺は19番札所 なんかこの看板よく見なかったがおかしい。しかし、鶴林寺は間違いなく5キロ。山野の。遍路道が近いの直線的に上がるから。当然、自転車は通れない。(道幅はあっても階段が多い)

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上のガードレールの道を行く?嘘でしょう。嘘ではありません。

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汗が滴り落ちる。それでもここはまだ始まり。2、3キロ先で「すだち」の手入れをしていた親父と話をする。年寄りの手間賃にはなるが生活の支えにはならない。若い世代は給料が生活の糧となっている。

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親父が大阪に来て2番目にやった仕事のモノレールがすだちのの急斜面を走っている。親父さんは姉貴と同世代。日本の地方の老人達は全く元気です。

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先人が石垣を組んで平地を造り、杉の苗を植え手塩に掛けて植林した杉林がこの有様です。日本の農地も山林も漁村も過疎で、生産物の価格は下がり山が荒れ、農地が放置されている。それでもこの国は生きて行けるのだろう。四国山地の過疎の村で豊かな村がある。いずれも共通している事は優れたリーダーが居て、生きる術、現金収入の農産物を生み出している。お役人は何を考えてこの国の豊かさを築こうとしているのだろうか?この喘ぎながら歩いて来た道で、山が荒れている事が1番悲しい。
空海はこの現実をどう見ているのだろう?中央集権の利権集団、叩き壊される事は無い。そろそろ、生き方を変えないと間違いなく多くの過疎地は消滅する。

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こちらはきれいに植林された杉林。今、個人でこのような手入れは難しい。
何故?杉の価格が安くてお金を掛けられない。お金を掛けないと杉の値打ちは更に落ちて売り物にもならない。その対策、ヒントは共同経営だろう。それでも都会人にはこの現実が分からない。原発の光と陰も安全神話だけが繁栄の礎となっている。
親父達はその事をもっと若い世代に語らなければならない。空海も弘法大師と言われるより、一人一人のこの国の形を案じているに違いない。それとも「やっぱり」とせせらぎの笑いを噛み締めているのだろうか?意外にそんな処かもしれない。
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やっとの思いでどうにか到着。本当の最後は尺取り虫のゴールでした。この気持ちを忘れずに生きて下さいと空海が笑っていた。しかし、どんなに苦しくても車では来ないで下さい。それ程のお寺さんでした。大泉洋さん、それくらいの事を語らなければダメです。心臓もパンク寸前。しかし、親父さん。良かったね。やる時はやりましょう。

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明日はロープウェイに乗ります。西日本最大の高さ。スイスの悪夢は大丈夫?

この看板もよく見ないと勘違いする。徒歩1、5キロは間違いではない。

しかし、歩いて登る所迄12キロ。今日よりきつい登りが待っている。

どうしたかって?決まってる。ロープウェイ乗り場に直行です。鶴林寺で紹介された宿は道の駅に併設されたリニューアルオープンしたばかりのきれいな宿。ここから川沿いに予想以上に遠い。地図で見ると太龍寺の丁度反対側。那珂(なか)川は親父のチャリ姿を見ていた。(まだ?遠いなあ。そんな感じ。川は無視していた。)

道の駅、道の宿 到着 写真明日公開します。

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では遅くなりました。明日は7時起床。少しはゆっくり出来そうです。とてもいい宿でもう一泊するかも分かりません。それ程に疲れました。空海(弘法大師)が修行した現場をゆっくり見ながら、今回の徳島(発心の道場)の遍路道を終わりたくなりました

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2011年8月22日 (月)

今日は17番札所迄進みました。後2日で帰れそう。

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12番札所 焼山寺の麓 昨日ここの善根宿に泊まりました。TVはなし。ヤブ蚊は多し。エアコンもなし。でも山が近くて空気が澄んでいる。ここからお寺迄は6キロの道のり。昨夜、ここで泊まれなかったら野宿しか無かっただろう。一泊2食おにぎり付きで4000円。お金の大切さと人の心の優しさを痛感しました。

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一本杉が大きく枝葉を伸ばして空海修行の加護をしている。この場所は11番札所から12番迄を歩いた人だけが眼に出来る。親父は特別に宿の親父さんが軽トラで山道を上り案内してくれました。ありがとうございます。

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親父さん、スマートになりました?昨日は50キロ移動したし?元に戻るなよ。

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杉の大木は多くの歩き遍路を見て来たのだろう?親父の様に親父さんの軽トラで登って来たのは居ないだろう。さすがの空海も顔を隠している。この罰当たり。(親父の事です。)でもしっかり瞑目合掌。一礼だけは忘れませんでした。何も語らず何も祈らず唯、これからの生き方を教えられていました。どんな事?無です。

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昨夜、一緒になった千葉の佐伯さんとここの本堂で一緒になる。佐伯さんは正真正銘の歩き遍路2回目。今回は通しの逆打ち(88番から1番へ)罰当たりと思いきや宿の兄さんの説明では順廻りより大変と言う。それだけの値打ちありとか。真似が出来ない。それでも佐伯さん 道を間違えていた。弘法も道の誤り?コラコラ。

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ここ迄来ると霧も近い。この山道を歩いて11番に向かう佐伯さんに「お気を付けて」と声を掛けて分かれる。親父は参拝が済むと親父さんが待っていた。

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親父さんとおかみさんが建てたお地蔵さん。親父さんはそのお陰で大怪我から奇跡の回復をしている。親父さんとお別れの時、がっちりと握手。親父も信心深い生き方をしなければならない。唯、自分の生き方は自分で決めなければならない。

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昨日喘ぎながらチャリを押しながら登った道を一気に下る。アルプスの少女「ハイジ」の気分。それでもこれからは上り坂が結構ある。昨日、「ハイジ」だった所?

まだまだ続きます。食事に行って来ます。

外が徳島の駅前ですがホテルから出るのがおっくうになり、ホテル内の食堂でビール飲んでいます。家に居るときは余程の事が無いと飲まなかったビールを欠かさないのは何で?それほどの開放感も無いのに?自分に対する感謝の気持ち?かもね。

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親父、空海に似て来たな?まさか。得意満面の顔で何を自慢しているのかな?

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川の水がきれい。鮎喰川。左岸を走っているが右岸は旧道。地元の子供達が挨拶をしてくれる。田舎は子供達の気持ちも素朴です・

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昨夜の宿で慶応ボーイと一緒になる。但し、彼は寝袋で野宿。昨夜の宿はそんな歩き遍路の為に雨露が凌げる場所がある。食事は接待。折角の学生生活にも迷いを感じているという。もう一度進むべき道を考えていると言われて親父節炸裂。自分の道だから自分で選択すれば良いが、自分だけの考えではなく親の気持ちも考えてと、余計な事を口にする。大学に合格した感動と余計な回り道を忘れるなと。アホやなあ。

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ここは峠です。昨日は下りで先を急いでいたのだろう。日本の原風景を見る感じでポカンとしていた。この山越えの低い峠が出来たのは平成8年の1月。まだ元気だった。でも苦しかっただろう。1番苦しかった時に優しい言葉をかけてやれなかった断腸の思いも、今は昔の様に感じられる。そんな事も考えていた。遅い。そう言うだろうな?

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半分かけた親父のこれからを暗示している。「親父さん」大丈夫。これ迄も。これからも。体重を減らして眼を輝かして生きて下さい。出来るかな?出来るとも。

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ここで先を歩いていた慶応ボーイに追いつく。一緒に接待を受ける。

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14番、15番近い。それでも道は注意しないと近くで間違う。

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アララギの木の股に石の大師像があると、ガイドブックに書かれていたが見えなかった。このアララギの樹は空海が糖尿病に苦しむ老人の為に植えたと言われている。アララギの葉っぱが糖尿病に効くのは今でも同じだろうか?太師像が見えなかったのは何かの暗示かもしれない。

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左におやじの愛車ママチャリが見える。今日も雨が降ったりやんだりで、カッパのお世話になる。それでも長くは続かない。今日はここで打ち止め。次の18番迄行く事を一瞬考える。それでも又、明日。無理をする事は無い。今夜は徳島駅近くのビジネスホテル。素泊まり5000円。夕食2000円。昨夜、節約したから良しとする。

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明日は街中から南下するので交通量が多い。子供達が小さい頃、帰省した道。見覚えはあるかな。あれからどれくらいの歳月が流れたのだろう?

「月日は百代の過客にして行き交う人も又、旅人なり」芭蕉。

最後のこれはオマケ。長い間住み慣れた静岡掛川の隣の街と同名の橋。

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2011年8月21日 (日)

今日は11番札所のみ 12番焼山寺迄行けず それでも自転車で50キロ以上移動 凄い

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11番札所藤井寺に向かっています。吉野川中州に掛かる沈み橋。
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中州が広い。しかし、高齢化は進み手入れが行き届いていない農地もある。
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これが中州。しばらく吉野川に平行に走る。稲穂が実っている。

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吉野川本流。この橋が流される事は無いのだろうか?

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ここ迄結構掛かる。それでも坂道は少なかった。

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この道が12番札所迄の遍路道。これを歩かない罰が当たる。車道は41キロの遠廻り。平坦な道は始めだけ。登りの山道を黙々と歩く。ホンマに自分の気力、体力に感謝です。雨にもたたられカッパのお陰で、ずぶネズミには成りませんでしたが、2度と出来ない経験でしょう。それでも最後にご褒美が待っていました。

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遍路転がしの異名をとる最大の難所。これを遠回りなら良しとしたのが大間違い。41キロの道。車なら1時間の道のり。親父は喘ぎながら3時間では着かず。休憩を取りながら5時間。楽ではありませんでした。

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まだ27キロ?信じられない。

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長い上り阪。正面の山をトンネルで抜ける。トンネル内は車の音が非常に大きい。

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車で走る時は全く気にならないがトンネル内は暗く車道の音が異常に煩い。

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トンネルを出ると大雨。その後何れくらい来たのだろうか?雨は上がり川が透きとおる様にきれい。自販機の前で飲み物を買いながら出て来た若夫婦と声を交わす。お出かけの様子。親父の行き先迄の時間を聞くと笑いながら首をすくめる。(そんなに遠いの?)そう。そんなに遠かったです。登りはチャリに乗れないし。

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車ならとっとと行けるけどママチャリを押してではどもならん。しかし、悲壮感は全くなかった。何も考えずにただひたすら歩いていた。

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このとき何時頃だったのだろう?まだ飯を食っていなかった。それでも腹は減っていなかったから1時過ぎだったのだろう?

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こんな山奥(失礼)でも人々の生活はある。都会で我が物顔で生きている人も居ればこんな山村で生きている人も居る。それでも道路が整備され人々の生活は都会人より豊かに違いない。

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だんだん山は深くなる。分水嶺はもうすぐかな?

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ようやく目的地が見えて来ました。なんか嬉しくなる。この頃は道の駅で休憩しばら寿司を食っていたので元気でした。それでもまだまだ遠い。

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何も考えずに歩いていました。まだ登りが続いているのに下りの感覚がして来る。それでも大地は正直です。自転車に乗ってもペタルをこいでも前には進まない。もう少し頑張れ。

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この道は11番札所の叔父さんに勧められたが自転車は登りが続くと言われて、右から大きく回り込む。それでも登りが多かったからこのピンクの道で正解だったかも。この道なら今日歩いた道の半分で来れた。でも今日の宿の叔父さんがマップの上、一本杉庵迄明日車で連れて行ってくれる。善根宿の叔父さんです。

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このお店は12番札所の手前。ここから山道がきつくなり自転車は無理。接待を受けながら納経は明日にして、来た時食事だけして素通りをした温泉に連れて行ってもらう。一泊2食お弁当付きで温泉に迄連れて行ってもらって4000円感謝です。

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明日も良い出会いがあります様に。近くで好青年が野宿しています。それでは又明日。温泉で汗は流す事は出来ましたが、何故か首筋と腰がばりばりです。明日は6時起床。なかなかの物です。

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天然温泉健康ランド 結構一杯でした。 6歳と5歳の兄と妹に水鉄砲のやり方を教えました。かわいい子供でした。

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2011年8月20日 (土)

やっと十番札所 切幡寺 十一番迄行くつもりだったけれど・

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本日一番目三番札所 金泉寺 お寺を開いたのは空海ではない。行基 寺の始まりは7世紀 白鳳時代に遡ると可能性あり。空海が日照りの苦しみ村人の為、井戸を掘ったら水が出る。「黄金の泉水」 お寺の由来はそこから出ている。

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親父の興味を引いたのは義経が屋島の平家を攻める時、徳島に上陸して屋島を背後から攻めた事。戦略家だった義経は阿波のこの寺に入り、この先の峠を越え高松の屋島を攻めている。義経は下関の壇之浦で平家を滅亡させるが、その時は皮肉にも自分の滅亡の時だった。源氏の頭領に成れなかった悲劇は皮肉にも、戦いに強すぎたから。
誰よりも「兄貴」の為に、源氏の世を作る為に戦った代償は余りに哀れとしか言いようが無い。鎌倉の時代は武士の下克上のはじまりだったのだろう。

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延々と上りが続く。考えてみるとお寺さんは平地には無い。下りのルンルン気分で上り道を黙々と歩く。この高速道路、昨夜泊まった民宿の横を走っていた高速道路。義経が越えた大坂峠を今は高速道路が簡単にトンネルで抜けて行く。

Img_8100 汗びっしょり。笑いでごまかしているがしんどい。
先が思いやられる。しかし、焦る事は何も無い・
生きている事に感謝する事は少なくなっても。

君に遍路道を巡る理由が分からないと言われたが、親父は久しぶりに感動しています。これは贅沢な心の洗濯だと感じています。久しぶりに見る実りの秋。
久しぶりの香り。田舎の匂い。田舎の風景。

それでもそない甘いもんではない事を、本日ラストの切幡寺で思い知る。息苦しい。それでも池田の山で訓練していたので、息を整えながら目的を達する。

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3番から4番迄5キロの登り坂。しんどい。それでもそれだけの価値はあった。空海が見た山間の寺。空海が吸った空気がそこに在った。このお寺は空海が来た時から在った。空海はここで何を考え何を学んだのだろうか?そんな事を考えていた。

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人影のない本堂。この景色も空海が見たのだろうか?無言でお寺さんを後にしながら蓮の花とほうずきに見送られる。息を飲む美しさです。ホンマです。汗かきながら来た甲斐が在りました。

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大銀杏の実が鈴なり。この樹の樹齢800年。それでもこの若々しさは何だろう?

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昨夜泊まった宿の奥さんに教えてもらったお店。カッパを買っていなかった。欲しかったのは水をはじいてムレないカッパ。大阪でそんなカッパはゴルフ様しかない。当然値段も高い。それで買えなかった。しかし、ここのお店では2980円。安い。安すぎる。それでも生地は当然違う。違って当然。それでもニンマリでした。

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本日ラストの10番札所。本日の目標は一つ先の11番藤井寺だったが、この階段を見て得心する。空海がこの寺で見た物は機(はた)を織る村内の貧しい娘だったと言う。その貧しい生活の中で心は少しも貧しくなかったと言われている。

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実りの秋です。長い間見失っていた風景。この国の豊かさは瑞穂の国である事を見失って農産物の自由化?政権交代に託した国民の思いは、様々である事を与党となると忘れてしまうのだろうか?間違いなく次の選挙は負ける。負ける選挙は先延ばしをするだけ。情けない国になりました。稲穂が豊作の歌を歌っている。

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本日の宿 今は遍路の団体が少ない。車で廻る遍路が多くなっているからホテルが多くなっているのだろうか?今夜も一番風呂。明日は11番から12番の難所。歩きで13キロ弱。ママチャリだから車道でどれくらい掛かるのだろう。行ける処迄行きます。親父は偉大です。(自分で言うな。)12番から13番も21キロ弱。

遍路道はママチャリだから歩けない。車に気を付けて行きます。ではお休みです。

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2011年8月19日 (金)

大阪を11時半に出て、徳島には14、00到着

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一番札所霊山寺。大阪を出たのが遅くなり到着したのは3時過ぎ。
ここで遍路衣装と用具を揃えられるが、親父が買い求めたのは納経帳とお札のみ。他にも一杯あったが買うのは辞めて、自転車のお店に急ぐ。

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ママチャリ新車です。この得意げな顔。しかし今回おぬしその格好で廻るのか?
途中で歩く遍路の人と行き違う。親父スタイルの遍路は居ない。次の札所迄全く快調。ママチャリ正解。しかし、本日はここ迄。予定では7番札所迄考えていたが、それほど甘くはない。3番札所の前で長い上り阪。四国遍路の洗礼を受ける。

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一番札所霊山寺の本堂。さすがに平日の夕方。閑散としていた。
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2番札所。極楽寺。ここで今夜の宿を予約。予約に時間が午後4時を廻っていたので夕食は間に合わず。朝食付き個室で4220円。お風呂は一番風呂。部屋は6畳だが意外に広い。(何も無いからだろう)外を高速道路が走っているが煩くは無い。

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杉の大木。弘法大師お手植の表札はそれほどの大木だと言う事だろう。

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親戚の物造りの工場。(名前だけの親戚)この地で根着いた物造りの現場はどうなんだろう?5時を過ぎていたので人影は無かった。

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親父が今回辿る道は徳島県。阿波(発心の道場)まだママチャリで走り出したばかりですが、ふくらはぎと腰が悲鳴を上げています。あぐらがかけない。まだ8時過ぎですが、横になりたい。一寝入りしますか?

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コンビニの弁当と野菜たっぷりのスープでした。宿の夕食が食えなかったのは残念だけれど、明日からのお楽しみです。では又、明日。お楽しみに。明日は3番から何処迄行けるかな?今日泊まる予定だった7番では楽のし過ぎかな?

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2011年8月18日 (木)

まだ居まんのか?へえまだでんねん。しかし、明日の夜は間違いなく徳島です。

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少し凹んでいた気持ちを、この親父の顔に似た大盛りの八宝菜が、癒してくれます。
この量をぺろりと平らげて明日はお出かけです。今日、近くのスーパーで買い物をした。自分の惨めな体型をショーウインドーのガラスが笑っていた。

「今に見てろ」「今に見てろ」と思いながら成し得た事は、何も変わらぬ日常だった。その事を多くの人から問われた時、あざ笑われた時、拳を握りしめるしか無かった。もし、自己防衛をアメリカの様に銃OKなら、今は生きていないに違いない。

上ちゃん 人の体は日々生きている。毎日毎日の生き方が自分の体を形作る。そして忘れ去られている事は、その生き方が自分を壊しても居る。その事が分かれば人は元気になれる。親父との出会いは全くの偶然だったけれど、見てて下さい。必ず親父は変わる。今、BS放送で元格闘家の須藤元気がアメリカのルート1(ONE)を走っている。単なる格闘家ではない生き方。感激している。親父は明日からどんな出会いがあるのだろうか?

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門出のお祝いは桃です。福島の2個590円の桃。これは紛れも無い傑作です。
桃の本当のうまさは他の果物でもそうですが、穫り立て。本当に美味しい物が食いたければ産地の木の下に行く事ですが、それも叶わぬ事でしょう。

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でもこれくらい薄皮が剥ければ味は保証付きです。スーパーで買う時、見ただけでは分からなくて果肉を手で押して凹みを見るおババが居ますが、これは最悪です。
眼で見ただけで甘さをはかる事は難しいが、これは見ただけで期待通りです。

それでは今度こそ間違いなく遍路道でお会いしましょう。人生はゲームではありません。ゲームがビジネスの市場を開くのは一部分で、本当は厳しい現実に晒されている事に気づかなければ、敗者は必然です。その厳しさを感じずに生きていられる人も、その内、叩き潰されるに違いありません。アメリカと日本の株式市場がその事を警告しています。

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大分、元気になりました。着々と準備を整えています。明日は徳島?間違い無し。

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玄関近くの雑草?違います。可憐な桜?それも違う。でも親父の旅立ちを優しく見守っている。帰って来た時には枯れていても、一時の優しさは忘れないで元気に歩いて来ます。普通の人。普通のお遍路姿には慣れなくても、空海が辿った道を親父が山下清とは違った味を出しながら、ママチャリで辿って来ます。

これからの親父達が見る景色は間違いなく、この庭の千草の様に涼しくはないでしょう。己の至らなさを棚に上げて年寄りの言葉遣いが如何だ、こうだと言える程生易しくはないでしょう。人の生き方は自分が考えている以上に偶然ではありません。合縁奇縁。懐かしい言葉も死語になりつつありますが、自分にとって耳障りの良い事ばかり出来る保証は何処にもありません。その常識を実現させる為に行って来ます。

これ迄多くの優しさと非情、非道の試練を受けて来ましたが、そろそろそのお返しをしなければなりません。人は強い人には弱く、弱い人には強いその過ちを思い知る、その時が来ました。空海は「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を教えられ仏教の教えとは違う密教的断片に接して、人間の効利性に応える自然科学を知ったと作家司馬遼太郎は解説する。本当にそうだったのだろうか・

今日、科学も生活手段もすっかり変わって人の上に立つ人は、そんな精神風土も消え失せているが、一般庶民の考え方迄もがそんな罰知らずの生き方をしていて、良い訳は何も無い。福沢諭吉は「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言ったがそん言葉も知らない人達にその生き方の誤りを思い知らせてやらなければならない。

(親父、元気が出て来ましたな。それでもそんなおばかな事は考えるな。山下清の様な「僕は美味しいおにぎりがあればそれで良い」そんな生き方を学んで来て下さい)

追記
空海は徳島の21番札所太龍寺で修行をしている。21番札所から22番迄10キロ。22番札所から23番徳島最後の札所迄24、4キロ ここ迄どれくらいの日数でたどり着けるかな?水遊びが出来る様に海パン持って行くけれど、川泳ぎ出来るかな? 好奇心旺盛の親父の事だからきっと愉快な旅になるに違いない。(そない甘いもんやおまえんえ。心して掛かりなはれ。)

これからエースコックのお気に入りわかめラーメン食って雨具を買いに出掛けて来ます。それで準備万端?ホンマですか?ホンマです。メンマかな。(うまい)そう、このインスタントラーメン、いけまっせ。takeさんに叱られるけれど。(親父、正露丸と目薬忘れたらあかんえ。)

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お見送りありがとうございます。それでは徳島からの報告、お楽しみに。

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2011年8月17日 (水)

明日は旅立ちの時 準備が整わない。この期に及んで気持ちが萎えている

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北摂の山塊に沈む夕日に輝きが無い。昨年スイスに行った時、手にして喜んだ靴が今日は手に出来なかった。最寄りの駅から電車とバスを乗り継いで、気合いを入れて出かけたお店の様子はすっかり様変わりをしていた。何が?感じです。感じ。
さりげなく声を掛けてくれた青年が居ない。商品の陳列は変わって居なかったが、割安感が無い。遍路道で歩くウオーキングシューズが、山登りの靴が重く感じられて諦める。

それでも昨夜言われた事を思い出し、一度ホーキングの登山靴を買ってもらった、別の靴屋を目指して歩く。暑くはなく汗もそんなにかかないで、山下清スタイルで下駄ではなくお気に入りのサンダルで、リックサックではないサイドバックを首に掛けながら幹線道路の歩道をノタノタと歩く。これが悪かった。後ろから来た自転車の叔父さんにまっすぐ歩いてと声を掛けられる。「ばかやろう」と言いながらお前の事だろうと思い直す。

結局途中でパトカーのスピーカーの声の後ろを見ながら、目的地を目前にして諦める。パトカーが声を掛けたのは小型のオートバイ。親父ではなかったが反対側のバス停留所から引き返す。足が思いの外、土踏まずが疲れている。アカン。歩けない。情けない。無情の悲壮感が胸を突き上げる。年を取りすぎたのだろうか?そうではない。準備が足りない。徳島に行けば何とかなると思っていたが甘い。甘すぎる。

体がそう言いながら馬鹿にしている。一日、遅らしても良いけど情けない。

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2011年8月16日 (火)

又、合う日迄 暫しのお別れです。お元気で

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大阪地下鉄中央線阿波座駅の階段から見上げた景色。大阪に来て始めて面接に来た時もこの階段を上がった。あの時から干支が一回廻っているが、景色は何も変わっていない。次のウサギを見る時はあるのだろうか?その事がこれからの生き方で問われる。

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白髪橋。水の都大阪は昔八百八橋と言われる程に多くの橋があった。この地名も当時の物。長堀橋を埋め立てられて今はない。この地下は何故か大阪なんとかセクター?の地下駐車場。どれだけの駐車スペースがあるのか分からないが、有効活用は難しい。理由?大阪人は全ての人がそうではないけれど、ケチです。

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今日も阿波座から心斎橋迄歩く。精々4キロ未満の道を今日は暑さも気にならず、ブラブラと歩く。今後死ぬ迄この道を歩く事は無い。それでもなんの未練も無かった。
これから始まる四国遍路の道。帰り道、梅田の3番街で徳島迄の時間を探る。2,5時間。君が東京からここ迄帰った時間を考えると、万感胸に迫る。

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歩きながら御堂筋に出て来る。看板がよく見えないが御堂筋大丸前です。何度も通いましたが暫くはお別れかも。

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心斎橋地下鉄駅ドーム側面の腕時計。今はカシオの電波時計だけれどこの時計を買ったのは今日終了した仕事を始めた時でした。あの時感じた時計店長の無礼、それに輪を掛けた先輩の怒鳴り声。次に高級時計を手にする事はあるのだろうか?空海が後世に伝えた四国巡礼の道はそんな物欲を、叩き潰してくれるのだろうか?それはあなた次第です。明日は仕事が無くなり遍路道の準備です。

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年貢の収め時?いやいやふてぶてしく生きてこそナンボです。

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今年の夏は昨年程の暑さは無い。去年は焼け付く様な暑さが続いたけれど、今年はその勢いが無い。その分親父はふてぶてしい生き方をしているが、その生き方もそろそろ「年貢の収め時」?なのかもしれない。己の感情を剥き出しにして人の気持ちを不快にする。それでも自分に正直に生きる。年老いたりと言えども死ぬ迄その思いは変化しないのだろう。色んな人に嫌われたが必ず心が重なる人が現れるに違いない。

「甘い」今迄何度も味わった「徒労感」。なんの為に何の為にと自問自答を繰り返したあの惨めさは無いが、肉体は老いても心は生まれつき心臓に穴が空いている様に、何時迄も変わら無い。空海が四国徳島から高知室戸の道で感じた難儀な思いを体感しなければ、この難儀な思いは変わら無いのかもしれない。

否、それでも次の高知(修行)の道を歩かなければ無理かもしれない。この道は長いよ。お主、歩けるか?電車に乗ります。アホやのう。それでは修行にならない。イエイエ、それも立派な修行です。人の心は人を批判出来る程立派ではない。

Img_7949 戦力外通告?

先日提出の健康診断書を見れば誰でも、そんな気持ちになっても不思議ではないが、自分でもこの体型でよく頑張っていると思っているが、仕事で倒れる前に空海様が呼んでいるのかもしれない。

「人の一生は重荷をおいて遠き道を行くが如し」と家康は言っているが、親父にとってそんな事はどうでも良い。大事な事はこれからの生き方だろう。

どんなにその生き方が否定されたとしても、親父やお袋達の生きた時代を忘れてはならない。

サウナに行って汗を流して「本日で終了」の通告を受けて来ました。親父の口調、態度を変えるのではなく担当を外してくれと言われたら、他に手だては無い事は言う迄もありません。今日迄の3年間面倒を見てくれた担当に感謝しています。

御陰様で明日からいつでも四国徳島遍路道を歩ける様になりました。とは言っても歩きながら汗をかきながらおふくろや親父達が歩いた道は、並大抵ではなかった事を思い知らされて涙と共に深いため息をつかされる事でしょう。

御陰様で四国徳島歩き遍路のブログ中継が出来ます。これもアップルで上ちゃんとの出会いが合ったからでしょう。親父の訳の分からない質問にも本当に丁寧な対応ありがとうございました。遍路道でどれだけの事が書き綴れるか分かりませんが、毎日見守って下さい。親父は結構いい加減な男ですが、やる時はやります。

お店を出て近くのお店で一人でお茶しながらの報告です。

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2011年8月15日 (月)

お盆休みも後一日 何もしないで昼寝をしていると電話で起こされる

終戦記念日。違うでしょう?無条件降伏の日。
その屈辱と尊い命が失われた戦争責任は誰にあったのか?その検証は自らの手で行われていない。戦勝国が(アメリカ)この国を占領して戦争犯罪人として軍部指導者、政治家、捕虜虐待軍人、民間人を裁いただけ。
戦争の惨禍の原因は色々あるが、この狭い国土で他国を侵略せずに東亜の覇者になる事が出来なかった事を、歴史が証明している。秀吉の朝鮮の役。日清、日露、第一次世界大戦で負けなかった事が軍人参謀の奢り(おごり)過信を生む。

大正デモクラシー、昭和初期の不作、不況、産業の低迷、そんな時代の明るいニュースと言えば帝国陸海軍の躍進だった。国土の差はアメリカや中国、ロシアに負けてもこの国の人達は自分達の生き方に誇りを持っていた。殆どの人がそうだったに違いない。ところが何処の世界にも居る間抜けなおとぼけ。

この国は神国。この国は武士道の国。鬼畜米英に負けるはずが無い。信じられない事にそんな勢いがマスコミの新聞にも踊りだす。今でこそ尤もらしい平和とか繁栄とかを口にするこの国の新聞が戦争犯罪人とならなかった理由は何も無い。

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今日は薄曇りで生暖かくこれほどの入道雲はないが、この画像よく見て下さい。近くの飛行場を飛び立った小型飛行機が見える。実物はもう少し大きく見えたけど、これだけの大きさにしか見えないのは、今がそれだけ平和だからだろう。

しかし、雑踏の中を肩を寄せ合い手をつなぎ合って、愛する思いを重ねる人達もその幸せも一時の事と知る輩(やから)は少ない。何もしないで手をつなぎ合っても命をかけてこの国の今日の繁栄の礎(いしずえ)を築いた人達の思いも「関係ない」と思えば間違いなく破滅の時は近い。暑い暑い日差しを受けながら今日の平和を失った人も少なくない事を知らなければならない。

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樹にもエゴノキがあれば人の想い程、気まぐれな物は無い。そう考えてみれば戦争の責任を戦勝国が問うのはおかしい。しかし、300万を超える人が国の為に戦った事が全て問われない事もおかしい。今その事が問われている事を理解出来る人は少ない。

終戦記念日ではない。無駄で無謀、無策な戦いが終わった日。この国が先の大戦で亡くなった多くの人達に本当の意味で「黙祷」が出来る日は来る事は無い。この国でただ一カ所地上戦が行われた沖縄は今、アメリカの基地が集中している。その基地の縮小、グァム移転を口にした鳩山政権は退陣に追い込まれ、管総理は見直しを口にしている。

アメリカの極東軍事戦略とはその程度の事でしょう。

次の総理に期待される事は勝手に廻りの人達が口にしているだけで、国民の思いは無視されている。マスコミが尤もらしく語るなんとかのあるべき姿。その放送局が今、夕食時のゴールデンタイム(今は恥じさらしタイム)にどんな番組を放送しているか見て見なはれ。もすこし賢くならんとホンマにもう一回無条件降伏でっせ。

そんな事を考えもしないで昼寝をしていると、明日会社に呼び出される。あまり良い感じはしない。電話で言われない事だから?それでもこの年になると腹をくくるしか無い。いつまでもそんな事をぼやいてないで、遍路道を歩きなさいとお呼びが掛かっているのかもしれない。

管総理もようやく退陣です。マスコミは勝手な後継者を予測しているが。この党は政権交代の意味を勘違いしています。有権者が託した清き一票は今迄の政治のあり方を変える事でした。今の総理立候補者がその事を理解しないで何を成そうとするのでしょうか?指示を失った代償を簡単には取り返せない事をこれから痛感して下さい。

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涼しさを海に入れたり最上川 芭蕉が読んだ酒田の海は今はどうなっているのだろう?親父が20年前に見た酒田の街は静かだったけれど、今は共に多くの感慨を込めて見れる海は無い。

それでもこの空が続く酒田の海は、今日も静かな夕日を見せているに違いない。見れない海が再び親父を呼んでくれるのは何時の事だろう?そしてその時満身の毛穴は感動の息吹をどう呼び起こすのだろう?

堺の民間マンションで高齢者、認知症患者のみが入居し、民間の介護業者が市と連絡を取りながら、出入りを制限してサービスを提供して問題になっている。何が問題化と言えば、要介護者のみが同じマンションに入れられ、一階の部屋で業者が管理している事。

その管理の仕方が一部の部屋に鍵をかけたり、出入り口にロープを張ったりしている事。郵便受けを粘着テープで目張りしている事。それよりも驚いた事にそのやり方を市の介護の窓口に報告していた事。その市の責任者は「法的には問題ない」とのコメント。

この街の福祉はどうなっているのだろう。そして担当者の教育はどうなっているのだろう?福祉にお金が掛かると言われるけれども、この話しを聞いて暗澹たる思いをするのは人事では無いからだろう。大阪都構想を口にする市長の街の出来事は、これからの都市に生きる人達の末路かもしれない。心して掛かりなはれ。

先日、紹介した京都五山の送り火。大文字の送り火は有名だけれど、京都五山送り火の鎮魂の想いは無惨に踏みにじられる。そんな無神経な判断をしたのは価値観の共有?口先だけでどんなに「頑張ろう」と言った処でやれる事はこの程度の事です。

結局被災地から送られた松の皮にはセシウムが含まれていた。しかし、そんなもん燃やせばどうって事ないと学者さん言えないのか?京大の先生はその程度の判断しか出来ないのか?京都の見識はその程度のもんでした。お粗末。

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2011年8月14日 (日)

室内温度34℃。室外(外の)温度は水を呼んでいる。

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子の暑い日差しの中を滴る汗をタオルで拭っていると、その体臭を嗅ぎ付けブヨ(小虫)が顔の廻りを飛び回る。タオルではたいてもすぐ近寄ってうっとおしい。
時が止まった様な午後の一番暑い時、何れだけの思いで遍路道を歩けるのだろう。

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ここは先週、遍路道のリハーサルで歩いた道。この時は帰り道。喘ぎながら歩いた道を何事も無かったかの様に歩いていました。「遍路転がし」の道は間違いなくメタボな親父の根性を叩き直してくれる事でしょう。どこかの総理が退陣したら残りの道を歩くとか言っていましたが、議員を辞めて歩いて下さい。

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この画像はAirで取り込みました。まだあっちこっち手探りで画像取り込みの方法を苦労していますが、プロで出来る簡単なやり方を学習します。この画像は心斎橋某有名靴メーカーのショウルーム。「勝つ為には訳がある」教えてもらいましょう。

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夏の日差しを受けながら人気(ひとけ)の無い境内を見下ろしている。

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この花の正式名称は分からないけれど田舎の菜園で葉ケイトウと言っていた。夏の暑さが感じられるが元気になる華です。花ではない花らしさは何を主張しているのだろう。国難と言うには余りに共通の価値感と現実が無いが、これからの私達の生活は間違いなく困難が山積している。その事を思い知らされなければ分からないのだろうか?

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暑い夏。今日の日差しは柔らかいが暑さの厳しさは変わらない。明日は終戦記念日。正午の黙祷の時を、田舎の風通しの良い座敷で親父と聞いた天皇陛下の言葉は、今は当時の皇太子が天皇陛下の言葉で、重々しい言葉を語られるが、いまだに戦争責任は語られる事は無い。そしてその時の勝者は今なお戦いを続けている。

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大阪長居公園の広い植物園。これだけの広い公園が大阪市民の為に必要な財政力は大阪市には無い。それでも見直される事はないだろう。これは大阪市だけの問題ではない。日本各地の地方自治体の実態であり、増税を口にする国の姿でもある。

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大阪はしばらく暑い日が続きます。親父はどんなに暑くても平気ですが、静岡森の奥気田川で水遊びをした懐かしい思いは、遠い日の思いとなる事でしょう。これからは何処でどんな景色が見れたとしても、あの頃に勝る感慨はないかもしれない。Img_7971

藪椿もどきの枝にリンゴ玉が下がっている。親父の心臓を思い出す。(見た事も無いくせに)。そう、見た事も無いけれど苦しい時、悲しい時に親父の原動力となってくれました。叩き潰したい怒りの思いを鎮めてくれたのも、この一握りの赤い結晶でした。四国の遍路道も頼みますよ。(何時、行きますか?)今月末?

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昨日、TVでエベレスト頂上から景色が流れていました。親父には真似の出来ないこの景色を遥かに越える映像に足が竦ん(すくん)でいました。この登山電車終点にもホテルはありましたが、こんな高い所で何を観るのでしょうか?昨年の6月。2度と観れない絶景は少しも寒くは無く、優しく微笑んでいました。

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こんな高い所迄登山電車を引き上げてスイスの先人達は何を見せようとしたのでしょう。世界にはこの国では考えられ無い事が昔から行われていたのだろう。井の中の蛙。この狭い国土の中で尤もらしい事を口にして、リーダーたる素振りは真に滑稽そのものです。少年よ、大志を抱け。クラーク博士の言葉も知らない人も少なく無い。

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新田次郎氏のプレートが置かれている駅前の丘から見るアイガー北壁。久し振りに画像を眺めていると涙が出て来る。山を愛し家族の事を思ってなくなった作家の想いが藤原ていさんの優しさでひっそりと輝いていた。この時は本当に最高の天気でした。

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最後の宿泊地グリンデルワルドの駅舎が奥に見える。ここはホーム。この後ろの山懐にスカイダイビングの飛び立つ場所がある。世界の果てから行ってキュウのロケもここで行われている。

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ホテルのベランダの下は車道。流石にベランダにはおっかなびっくりでないと立てない。車道は近いが車の量が少ないし騒音が殆ど気にならない。その先に広がるスイスの原風景。再びの時は無くても充分に満喫出来た旅でした。何も替わる事の無い風景は誰を待っているのだろうか?


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2011年8月13日 (土)

お盆の墓参り 今年は出来ずに申し訳ありません。

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近くの歯医者で処置を済ませてママチャリで帰る時、目に止まった薄緑の袋。中身は何だろう。空洞で小さい実が一杯?ほうせんかにしては真ん丸だし、ほうずきにしては袋がしっかりしているし、本当は何と言う花なのかな?気になりました。

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近くに咲いていた花です。暑い暑いお昼前の誰もいない公園。いつもは禁止されているボール投げやボール蹴り、草野球をしている子供達の歓声も無い。これだけ花心に接近されると分からないかもしれないが、芙蓉の花です。不用とは言わせない。

暑い夏、14:00からBS放送でプロの野球を観ていると選手も夏バテ。観ていてエキサイトしない。それでもドーム球場はファンで立ち見席迄が一杯。高速道路も帰省の車で渋滞。こんな時は涼しい部屋でアイスでと思いきや、甘過ぎる。昔のアイスキャンデーは何処に行きました?どこにも行っていません。探しなはれ。(ご免)

関西の暑い夏はお盆開けも続きそう。親父は夏の暑さも冬の寒さも我慢が出来るから、嘆きの言葉は小さいが、涼しいクーラーの効いた部屋で競馬中継を観ていると懐かしい言葉を耳にする。エクセル浜松。何じゃそれと耳を澄ますと遠州初の場外馬券発売所らしい。場外馬券の売り場が何でエクセル?ウインズと違うのか?どうでも良いけれど。(良ければ言うな)遠州初と言う事は静岡初。

パソコンで調べてみると指定席が2500円、2000円、1000円。オイオイ。どんな人に馬券を売りたいのか?その真意が分からない。テレビの画面を見るだけで阪神競馬場で馬を観るより高い?遠州森の石松も完全に嘗められている。

大体エクセルって適当な日本語訳があるの?エクセルギー(外に取り出すエネルギー)因にウインズとは? 日本中央競馬会が競馬場外(別の離れた場所で馬券を売る)の愛称。正しくは馬券の正式名称は勝ち馬投票劵。サラブレッドの保護、育成が目的。

馬券を売る事は主ではないがそれはあくまで建前。馬券の寺銭で成り立っている。美味しい公営ギャンブル。ボート、オート、競輪もケタは違うが同じ。寺銭とは所場代。場所の借り賃。今は場所を借りずに自ら作っている。利益の分配方法は明らかに間違っている。

自分達の生き方、自分達の幸せは自分で考えなければならない。お粗末、期待外れ(期待は全くしなかったけれど)口先ばかり、無策の総理がようやく交代。他の人がやっても同じとひどい言葉を平然と口にしていた人も、流石にここ迄外堀を埋められれば大阪夏の陣と同じです。それだけでなく自分自身の政治生命を問われる。

そんな事もどうでも良いが次の総理も財務官僚に振り回されるのか?増税しなければ国の財政が破綻すると言われても、無駄なお金の使い方をして来た責任は踏み倒しか?「なめたらアカン」お金が足りなければやるべき事はただ一つ。節約。脱税検挙。

スリムな体質しか無いだろう。野田新総理。ふざけるな。円高介入をする金は何処から都合しているの?も少し賢くならないと本当にこの国は豊かさは山河だけとなる。地方の時代と大阪府知事や愛知の知事が叫んでも、大阪や名古屋は所詮メジャーではありません。大阪都構想?結構毛だらけ猫灰だらけ。寅さんの名台詞が聞こえて来る。

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2011年8月12日 (金)

明日からお盆休み 仲間は働いているけれど親父は休み

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これがお世話になった上ちゃんに御馳走を予定している博多水たき。御陰様で我が侭な親父の面倒を見ていただいて感謝です。早く体調不良を解消してこのシャキシャキ野菜と鳥のぶつ切り、レバーと肉団子、コラーゲンたっぷりの雑炊。思いの外、女性的な献立、しかし、味は合格点でした。精力アップを考えればたまには此れくらいの食事も有り?

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コラーゲンたっぷりの小降りの肉団子とレバー。上品な味。一人で食うのは似合わない。それでも賄いの女性は気さくに声を掛けて呉れる。親父の様な武骨客の会釈も(あしらいも)慣れている。次回は2人で来れますか?

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鳥のぶつ切り。意外に上品です。白菜と水菜も少ない。それでもタレがカバーしている。嫌みの無いさっぱりした味。シャキシャキ感のある水菜が少ないのはその味のこだわりだろうか?

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〆は雑炊。これを2杯。熱いから気を付けてと声を掛けられる。親父は猫舌だけどそれくらいは待てる。雑炊とは言い得て妙。少し冷ませばゆっくりと喉に流し込める。こんなにうまいメシは久しぶり。しかし、本当にうまいメシは楽しい人と食う時かもしれない。そんな時は来るのかな? 

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一昨日買って昨日半分食ったぶどう。でも今日食っても全然問題無し。買った時、新しかったからだろう。今、物が売れない時代と言われている。そして利益が出せない経営者が税金も払えずに、政府に法人税の削減を求めている。それはおかしくない?

色々景気と財政再建策を尤もらしい施策を口にしても、一番肝心な事をやろうとしない官僚と政治家達。その事を口にするのもばかばかしいが今一番やるべき事は、歳出の削減、行政のスリム化、税金の無駄使いの排除。それが出来なければ経営者、政治家を辞めて下さい。

国際協調?そんな事は過去の話です。Gー7とかG−20とか言われても全く機能不全に陥っている事に気づかなければ、更にドル安、ユーロ安は続くに違いない。

大阪は今日も暑い暑い一日でした。仕事場の窓の外に久しぶりに元気な入道雲が拡がっていました。元気な空は嫌な思いを吹き飛ばして呉れます。時を少しずらしながらデジタル拡大で切り取った画像見て下さい。期待できるかな?

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大阪はしばらくは夏空が本格化するのだろうか?近くの宝塚インターは37キロの渋滞。親父が家族揃って帰省してから干支が2周している。あの時は愛知県豊田のインターで降りて、半分諦めていた。その気持にハッパが掛かったのは予約した船に乗船しないとチケットは無効と、問い合わせの乗船センターから言われた時。24年前か。若かりし夏の思い出でした。

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昨夜は失礼しました。親父は何時迄経っても激情家です。

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昨夜迄出来なかったNOnameの画像取り込み。出来る様になりました。
原因?昨夜言われた様に画像の取り込みが別のところになっていました。
この画像挿入はそれを確認して挿入したものです。

今イチ、使い勝手が悪いので今日、心斎橋のお店で上ちゃんに良く聞いて学習します。親父は御陰様でドンドン成長しています。言われる様に知らない事が多くなりましたが、それでも同世代に比べるとズービンメーターさん知ってるし、これからも色々、教えて下さい。(笑い)これはAirで作成しました。

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2011年8月11日 (木)

この暑さも明日迄?親父の感じではそうはイカのなんとか・

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今日はデジカメもゼロ。この画像は以前お見せした親父のお気に入り。
梢の上に夕焼け雲が茜色に染まっている。ここは兵庫県伊丹市有岡城址。戦国時代この城の城主荒木村重も奇才織田信長に絶対服従を疑われる。謀反を起こすしか無かった。歴史に少しでも思いやりの心があれば信長の忠実な武将になれたかもしれない村重は、命より大切な身内と部下を見殺しにして迄城を捨てる。

しかし、命は惜しむ。信長の敵を頼り毛利の領地に逃げ込む。その時、手にしていた物は茶器だったと言われているが、それは定かでない。主を失った城は脆く(もろく)信長方の圧倒的な攻勢にひとたまりも無く落城する。

その時、この城の牢獄には黒田勘兵衛が捕われていた。勘兵衛は密かに村重の真意を探り謀反の意無き事を信長に報告しようとするが、村重の疑念は晴らせず反対に囚われの身となっていた。後、半年この城が持ちこたえていたら勘兵衛のその後の繁栄は無かったと言われている。

黒田勘兵衛。今の歴史を知らない多くの人もこの後、信長が天下統一を目前に京都本能寺で明智光秀の謀反に倒れ、秀吉が天下人となる事は知っているだろう。その秀吉が何故か無様な生き方を安岐の国でしていた村重を、お伽衆(話し相手)に加える。

秀吉も天下統一迄は黒田勘兵衛、竹中半兵衛の優秀な戦略家に恵まれるが、天下人となってからの評価は最悪となる。朝鮮出兵(侵略)この戦いの教訓を家康は学ぶが日清、日露の戦いで帝国陸軍は同じ誤りを中国大陸で繰り返す。

今日の国会の討論で何故か自民党の女性委員が、総理が靖国参拝をしない事を質問していた。その中で先の大戦の戦争犯罪人はアメリカの勝者の裁きで、戦犯は名誉が回復されていると明言していた。それならば国民の裁きは無いのか?戦争犯罪人は居ないのか?そんな馬鹿なことはないだろう。

そんなことを言うから選挙に負けた事が分からないのだろう?戦争責任を明確にしないまま、中国侵略の責任も問われないのだとしたら、そんな政党に国際協調を語る資格は無いだろう。

民主党も自民党も政権担当能力が無いとしたら、国会を解散せずにグズグズするしか無いのだろう。ホンマにそれでいいのだろうか?茜の空が心配して呉れている・それはない。これだけはどうしょうも無いのだろう。景気対策を誰に託せば良いのだろう。Img_7923

大阪南の大和川近くの長い公園。大阪市立植物園で見た蓮の花。

お釈迦様は蓮の花を見ながら何を考えたのだろう?親父は眼を見張りながらデジカメのピントを合わせていた。向日葵の花は刈り取られていたが、蓮の花は夏の厳しい日差しに負けていなかった。雨は少ないが池の水は少なくなかった。

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これから大好きな白菜を入れるだけの八宝菜を作ります。フライパンで4分の一の白菜をざく切りにして食用油で炒める。それに冷凍の食材とタレを絡ませる。今日はミニトマトが無いので彩りが今イチだけれど、味は保証付き。お試しあれ。

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白菜がうまい。海鮮八宝菜。タレが又、うまい。これからサウナに行って来ます。

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2011年8月10日 (水)

暑い夏 シャワー派?湯船派?サウナ派です。

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阪急梅田のターミナルが新装されたのは、親父達が若かりし頃。その時出来たこの水が流れる地下街は一気に盛り上がりを見せた。右側は飲食店。カップルが居たのでデジタルカメラの画面は川中心だが、お店を入れるとこの画面の華やかさが分かる。

一時この川の流れが途絶えたが、久々に見る川の流れに勢いがあった。この水を見ながらお店の中でコーヒーを飲んだのは、今から40ウン年前の事?あの頃と何がどう変わったのか・考えてみる事も無かった。

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夕焼けの西の空は茜色に染まっていた。明日も暑い夏空が拡がるのだろう。電力会社は節電要請をしているが、他になす術は無いのだろうか?これ迄の安全神話が叩き壊された原子力発電に替わる電気エネルギーが求められている。

放射能廃棄物の処理が出来なければ次世代のエネルギー開発が求められる。その必然性を長い間否定したアトムの神話は、皮肉にもこの国の電源開発の栄光迄も否定する。福島の原発事故の収束が見えなくても、他の原発再開が出来るとでも考えているのだろうか?それほどに追いつめられてもこの国の政治家と官僚に出来る事は、節電のお願いなのだろうか?

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暑き日を千切れ雲が笑っている。お盆が過ぎる迄、この暑さが続くのかと思うとうんざりもするけれど、夏は暑くなければならない。暑い、暑いと顔をしかめているとお天道様に笑われる。無様な姿を晒しながらこの苦難の時を誰に託せるのだろう?

それは自分自身です。人に何かを期待する時代は終わる。これからは(いいえこれ迄も)自分のケツは自分で拭け。(失礼)今迄生きて来た証は何も変わらない。人の生き方は知力、体力、時の運と言われる。その事を忘れないで下さい。

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健康診断の結果が出ました。担当医から言われた事は?

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健康診断の結果は予想通り。全ての通知が改善されていない。担当医から言われた事は「体重を減らす事」取合えず3−5キロ減で良いと言われる。それくらいなら簡単と思うけれど、無理無く痩せる事はそれ程簡単な事ではない。

それは喰う、寝る、歩かない親父にしてみると並大抵ではない。それでもお腹に食い込むパンツのゴム跡を見ると、情けない他に言葉が無い。1人で気ままな生活をするとはこんな無様な姿ではない。その事も今回の歩き遍路の大きな目的の一つです。

ただ救いは血液検査は左程悪く無い。その理由を聞くと血液検査が悪くなると最悪。血液は全身を巡る。その大切な血液が悪くなる前に高脂血症値を下げて下さいと言われる。中性脂肪 324−基準149以下 太り過ぎ。脂肪過多。

その他総合判定を見ると要治療が軒並み。血圧、心臓、糖尿、肝臓。しかし薬を飲むのは血圧だけ。後は痩せるだけ。体重を減らすだけ。しかし、その事がどれだけ大変かは『言うは易し、行うは難し」これから体重変化をアップします。?

体重は90キロ。食事の早さを自慢していましたが、これからは遅さを自慢しなければなりません。桑の葉抹茶も血圧の薬もやめていましたが、これからは再開です。それよりも何よりもお腹にベルトの後を付けない事でしょう。(笑わないで下さい。)

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2011年8月 9日 (火)

熱波 汗が吹き出して来る。節電と熱闘甲子園?

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有頭天然エビカレー。先日のシシャモの頭が食えないママのTV番組「探偵ナイトスクープ」の話を西君にすると、「その番組見ましたよ」と会話が繋がる。エビも有頭は珍しく頭から食って下さいと勧められる。「頭はどうも」と言いながら噛り付く(かぶりつく)。味は悪くないが残念ながら殻が堅い。さすが天然物です。

「も少し頭だけでもカリカリにした方が良いかも」贅沢な注文を出す。それでも嫌な顔もせずに西君聞いている。さすがプロです。今週末(金曜日)ハンバーグのリクエストをする。(ハンバーグは手間が掛かり何時もは食えない)

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ようやく夏の空が広がっている。親父の仕事場はエアコンと扇風機があり、それなりに快適。肘宛(ひじあて)の椅子に座っていると眠くなる。そんな時は窓の外に広がる景色を見ていると、幼き日々の夏の日が甦って来る。夏の盛りは息苦しい程に暑いが、思いっきり汗をかきながらカレーが食えれば最高です。

今年は柔らかい鰻(うなぎ)を口にしていないが、カレーは西君のお陰で今年の親父の夏バテ対策に貢献している。カレーと侮るなかれ。親父がいつも口にしていた3番街のインディアンカレーを越えています。

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有岡城址前のプランタン。花の勢いは弱って来たがその分、勢いを増した青葉がカバーしている。水やりだけでなく花の入れ替えの手入れが出来ている。このたゆまぬ努力は暑さ厳しき折の清涼感。でも殆どの人は見向きもしていない。

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2011年8月 8日 (月)

暑い夏、息を切らして池田の難所を征服?心筋梗塞を意識する。

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友は暑き日にどうしてそこ迄して歩くのか冷ややかに問う。「心配して呉れてありがとう。」と何気なく反応を伺うと「いやいや」と馬鹿にしている。そう、この暑い時に息を切らせながらこのささやかな天上への道を歩くと、心臓が悲鳴を上げている。

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少し涼しい日が続いていましたが、暦の上では立秋でもそれは旧暦の話。実際に秋を感じるのは早朝だとしても、日中は夏です。家に帰って鏡に顔を映すと、少しだけ赤くなっていました。これを続けると顔の皮が剥け黒くなる。そんな夏の終わりに徳島の遍路道を歩けるのだろうか?この時はまだ飲み物があり元気でした。

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遠くに大阪梅田の高層ビル群が見える。その向こうに微かに見える山が生駒、葛城山系。こうして見ると人々の生活の営みが無言の伝承として迫って来る。人が生きている。人が生きる事は今、多くの人が尤もらしく語る奇麗事ばかりではない。

今はプロの野球選手を辞めた清原が言った言葉。「泥水をすすっても這い上がってみせる」彼は出来なかったが太平洋戦争の末期、祖国を遠く離れた南方のジャングルで、どれだけ多くの人が無念の涙を流した事だろう。その人達の遺骨集収は未だに出来ていない。今日、レベルは違うが同じ事が繰り返されている。

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今は平和の時代。六甲山の向こうに神戸の街がある。この阪神工業地帯が空襲で焼き払われた時は、そんなの昔の話ではない。親父の生まれた翌年の話。これから何れくらい生きられるか、その事も問われている。

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この展望台への道は失業対策として造られている。多くの人の思いと汗がしみ込んでいる道を歩いていると、息苦しくなる。この暑い時、汗をかきながら思い足を引きずりながら歩いて来た代償。この位の暑さにへこたれていたら遍路道は歩けない。

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四国にはこの程度の道が延々と続く。「遍路ころがし」と言われている。
信仰心と信仰の体が問われる。心は誰でも分かるが体。今は遍路道を歩かずにバスや車で廻る人が多いが、空海が歩いた道は真理探究の道と思うのは親父だけに違いない。それでも四国巡礼の道は「歩き」でなければならない理由は何も無い。

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汗をしたらせながら、心臓をぱくつかせながらどうにか登り詰めた展望台の先には、大阪平野が拡がっていた。今年の夏、初めて見た夏の風景。画像ではよく分からないが、スモッグの上に積乱雲が盛り上がっている。一見平和の静寂。今年の夏はもうすぐ終わる。


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陽は又、昇る?

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昨夜、城跡公園の帰りに見た近くの盆踊り。賑わいの中に関係者の盛り上がりが感じられた。公園の盆踊りの櫓の前を堂々と突っ切りながら、何故か踊りの輪に繋がりが感じられなかったが、それが今思えば地域の連帯だったのかもしれない。

なんだかんだ言いながら本当のこの国の良さを失っている事を強く感じる事がありました。酷い話ですがそれがこの国の実態です。「頑張ろう日本」この言葉とは全く反対の事が平然と口にされる現実。本当に悲しい事です。関係者の怒りの声をどんな思いで耳にするのでしょう。

親父の怒りの原因は京都大文字の送り火に燃やされる松のかがり火。その木に書かれた多くの大震災被災地の人の思い。その松が津波でなぎ倒された三陸海岸の物で放射能汚染の恐れがあるから燃やすのをやめて下さいと言われてやめざるを得ないと言う。

放射能の風評被害もここ間で来るかと思うと、被災地の人の思いを踏みにじるこの感覚が誰にもあると感じて愕然とする。しかも誰が言ったの分からない。反対した人の思いは分かるけれど、その事を科学的に検証して問題が無くてもやめざるを得ない愚かさ。京都五山の送り火の伝承を知らないこの間抜けさ。本当に京の都の鎮魂が心ない人の思いで叩き潰されている。

それでも大文字送り火実行委員会の人達は、そんな間抜けさには負けずに被災地から送られた松に書き込まれた人々の言葉を、被災地の樹ではない安全?な樹に出来るだけ書き写して被災地の人の思いに答えると聞いて、その事は違うだろうと思う。

その書き写しの労力に敬意を表し、間抜けな反対意見に怒りの思いがこみ上げる。今行われている国会の議論にも同じ事を感じる。君から言われた多くの言葉の中に「知らない事が元凶」と言われたが同じ言葉を官僚、警察、国家権力は口にする。

しかし、世の中はそんなに役人、政治家の思うがままにすべて回る訳ではない。この国は今深刻な分岐点に立たされている。どう問題を明確にして如何乗り切る事が出来るのか?その事が語れない政治家が訳の分からない政策論議をしても、何も改善はできない。その事を長い間思い知らされて来た。これからもその事が続く訳が無い。

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人は何を求めて生きていくのか?人の嘆き、怒り、喜び、悲しみは心を鎮めて(しずめて)ただ自分の無力さを思い知る。奢り、高ぶり、人を見上げる優しい慈悲の思いが欠けたリーダーは不要です。何時の世もその常識が覆されてはいません。

長い長い江戸の時代でも末路はあまりに哀れでした。その封建的で絶対的な君主も黒船と鉄砲の前には武士道とやらもなす術もありませんでした。明治の時代も同様です。当時の世界の列強が目を疑った脅威的発展も、間抜けな参謀達の精神論でたたき壊されてこの国は敗戦国となったのです。

この国の常識が世界の中で通用しなければならない理由はありませんが、世界のどの国もこれからの生き方が問われている事は、間違いありません、仏教の国日本と言われてもその国の人々がこれほどに間抜けになれば、政治は言うまでもなく経済的にも親父達の生活も2流以下と言われる事でしょう。

明日は長崎原爆の日ですが国の安全を守る為に、これからどんな施策が求められるのは誰が如何説明するのでしょう。その事が親父達の世代は問われていました。親父達が戦火を潜らなかったのは、親父達の前の世代を生きた尊い命の代償です。

その事を考えた時、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。それでも親父達世代は日本経済発展の為、会社の発展の為、自分の幸せの為、頑張りました。人生の後半、全ては暗転しましたが生きていれば又、陽の目を見る事もあるでしょう。

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2011年8月 7日 (日)

暑いです。それでもクーラーの効いた部屋で寝ていました。

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先日お見せした鬼瓦。先日より眼の色が明瞭になっているのに、何故か怒りの色が無い。嘆きの表情を浮かべている。「鬼が泣くな。」世の中がどんなに情けない状況になってもお前は泣くな。お前は(コラ、お前、お前と簡単に呼ぶな)鬼だろう。

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大阪長居公園の植物園のひまわりは刈り取られていたので、これはプランタンのオマケ。オマケのついでにもう一枚。
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久しぶりの城跡公園。大手門がアップで立派ですが実物は寂しい建物です。

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静岡浜岡のゴルフ場を思い出させる芝生。でも残念ながらこれはカメラの悪戯。

ここは大阪池田カントリーゴルフ場?違います。池田城跡公園。

浜岡の高松コースでゴルフがやれる日はもう無い。少し寂しいけれど生き方が違って来た。ゴルフはやらない人には分からない感動がある。しかし、そんな時もありました。今となっては昔々の良き思い出です。これからは別の輝ける道が開ける?かな。

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僕の前には道はない。僕の後ろに道は出来る。高村光太郎。

眩しい夕日に歓迎されながら淡々と木の橋を渡る。昔も武士の侍も馬から下りてこの橋を渡ったのだろうか?この城を落としたのは織田信長。しかし、戦わずして明け渡された?違うかもしれない。間違いなく言える事は山城の価値が無くなったのだろう。

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ヤブツバキの実。今年の夏、これほどの実が見れるのは何かの因縁かも・

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2011年8月 6日 (土)

日中は暑いけれど、朝だけは涼しくなりました。夜は駄目。

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国破れて山河あり。この国は今、再びの困難の時を迎えています。正確に言えば多くの人が知らない(親父も知らない)戦後の混乱期、この国の将来を輝かしい物と信じていた(信じ込まされていた)多くの人がそう思っていたに違いありません。

命があればこれからの復興が出来ると信じていた多くの人が、その考えの甘さに嘆きの思いを重ねた事でしょう。そう現実はそれほどに甘くない。その便実とやらを作れ出している多くの学識経験者とやらの無能がこれから問われる。

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東日本大震災、福島原発事故 円高、世界同時不況? この国難と言える難関の時を迎えて、やめるべき人がその気配を全く明確にせず、責任も取らない。そんな国の未来は当然明るくはないが、今何をなすべきか?その事を政府、総理に丸投げしておちゃらけの番組で口を濁し、デジタル放送の意義すら明確に出来ない。

この国の公共とか助け合いとか口にしながら、今、自分達は何を成しているのかを考えた時、暗澹たる思いに打ちのめされる。それでも親父はその思いを発散する事が出来る。その思いを発散出来ずに惨めな思いをどれだけの人がしているのだろうか・意外に少ないのかもしれない。それでもその代償は小さくない。そう思う。

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デジタル放送の国策で親父もテレビを買い替えたが、高性能のテレビが伝えるニュースはあまりに酷い。テレビ、マスコミの使命と言われてもその程度と思えば、如何って事ないが、BSデジタル放送できれいだと思うのは国内外の山と街。海と川。

酷いと思うのはニュースを伝えるアナウンサー。飲み屋の会話ではあるまいし、全国ネットの放送で、嬉々として何で個人的話を出来るの?自分達は部外者のくせに何で当事者の様に感情むき出しの話をするの?こんな報道にいつから変わったのだろう?

そんなテレビは大好きな野球と競馬しか見なくなりました。その野球もお粗末な外人が多くなり、競馬は女性解説者ではシャレにもなりません。最近、チャンネルを合わせるのは紀行旅番組のみ。その番組もレポーターが面白くなければがっくり。

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これからのお楽しみは自分で探す事。涼しいクーラーの効いた部屋で横になりながらブツブツ文句を言う生活に別れを告げて、自分を見つめ直す旅は目前です。暑い、暑いと嘆きの涙を流しながら、涼しげな木陰を探して足を擦りながら歩き遍路道で、何を見つけるのか?それが今、一番の関心事です。(何時、行けるのかな?)

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朝夕は涼しくなったとは言えお昼前の空は夏の空。この暑い暑い夏の空を埋め尽くしたアメリカの爆撃機。日本国民の戦意喪失させる為とは言え、木造住宅地のじゅうたん爆撃。その戦争責任が問われなかった戦いの悲惨さを、現在の平和の社会では問い直される事が無い。そんな事が何時迄も許される筈が無い。

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夕方、大阪梅田に出る。ヨドバシでIpodのイヤーホーンを買い、駅前のデカイ本屋で佐野真一氏の「津波と原発」を買う。今日は淀川十三の大花火で梅田の人並みも半端ではなかったが、狭い十三駅の混雑を考えるとこれで雑踏事故が起きないのが不思議だろう。プロの交通誘導に敬意をどれだけの人が感じるのだろう。

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昨日、仕事の終わりに東日本被災地に慌ただしく向かうボランティアを見送る。それにしても未だにボランティア頼りの被災地の復興支援。国と地方は何をしているのだろう?地方の時代と言われてもこの程度の事しか出来ないのか?復興庁を作ってもボランティアに頼らない復興支援が出来ていないこの様を、忘れてはいけない。

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パチンコを打てなくなってもうすぐ4年。それ迄はこの近くのお店の主だった。所謂(いわゆる)常連。しかし、カモだった。普通、常連と言えば様(さま)だが何故か関西はド厚かましさがないと、常連様には成れない。増してやパチンコ屋は常連様を食い尽くさないと生き残れない。その事が分かった時にきっぱり辞めた。「アンタは偉い。それが分かっていても足を洗える人は少ない。」

イヤイヤ、このポスターの大当たり確率を見なはれ。358、1分の1?大当たりが358、1回に一回。この確率がどれほどに低いか?打ってみれば分かる。そして打ってみると意外に簡単に当たる時がある。それで勘違いをする。

そう簡単に大当たりはしない。簡単に3、4万は負ける事があっても大当たりが来てそれが続けば取り返せる。そう思う様になると完全に「ハマる」。そう熱くならないで5、6千円で止めれる人は相当の人。大概は大枚、大切な万札をむしり取られる。

この新台はなつかしい銀河鉄道999。この大当たりの感覚は何とも言えないだろう。しかし、もうすぐ打たなくなって4年。これだけの間隔が空くと流石の親父でもお金をどぶに捨てる気にはならない。パチンコは息抜き、健全な娯楽と言うにはお客に少ないお金で遊ばせなければならないが、それではお店の経営が成り立たない。

日本でカジノは違法?全国津々浦々のパチンンコ店では合法的に、賭博が行われている事に気が付いている人は、多くは無い。(そんな事は無い?)これも鬼の撹乱(かくらん)かな。そう、物事は言い方で全く様相が変わる。もっと賢く、もっと強かに(したたかに)蛇を踏みつけて眼を剥いている仁王様に肖り(あやかり)なはれ。

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涼しい夕暮れの時が迫っても日中の暑さは都会ではその早さは遅い。原発頼りの電力供給が不足すると、電力会社は節電のお願いをしているが、一番困る産業界の手当はどうなっているのだろう? (無視です。この国の役人の薄ら笑いが眼に浮かぶ)

JR、私鉄各社だけでなく節電を隠れミノにして、コストを大幅に削減してニンマリしている企業とは対照的に、マトモな生産活動が出来ない電炉、鋳物、メーカーの現実は真に厳しいに違いない。

この国では節電の出来ない企業は完全に物造りの現場から無視がされている。それでも高校野球の絶叫中継。本当にこの国のマスコミは人の難儀はどうでも良いのだろう。(口先だけの報道)今こそ、人の生き方が問われても、今日の夕方梅田の雑踏で見たお馬鹿な生き方が、当分の間、幅を利かすのだろう?花火は亡き人の供養、震災の鎮魂である事も知らなければ、必ず天罰を喰らうに違いない。

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2011年8月 5日 (金)

暑き日を海に入れたり最上川 芭蕉

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久々のにわか雨。それでも涼しくはならない。大阪は蒸し暑い天気が続いている。結構強い雨で地表に大粒の雨となったが、長くは続かなかった。米処新潟では思いがけない大雨で、最上川も芭蕉が見た風景とは違うだろう。

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雨が上がりハクモクレンの木にデカい蝉が尻をふるわせながら、懸命に一時の命を主張している。今年は何故か栗色の蝉が眼に入らない。こんな蒸気機関車の番人の様な蝉にピントを合わせる事は難しい。

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今週は仕事とこのカレーが月、水、金、セットになりました。特に今日のカレーは見た目では分からないが、絶品のビーフシチューカレーです。ゆっくり味わって食うのではなく、とっとと食ってとっとと帰る。そんな贅沢な1000円カレーです。

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2011年8月 4日 (木)

大阪はこれから高校野球。電力の節電何処に行ったのかな?

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これは昨年の6月中旬のスイス サンモリッツの景色 山に雪はあるがこれはこの前の雨が雪に変わったもの。下の湖畔の駅前から長いエスカレーターに乗って、二人で馬鹿を言いながらここ迄上がって来た。この写真は君が撮ったもの。

親父はこの時点迄前日のタクシー内でカメラを落としたショックを、すっかり忘れていた。昨日、ホテルのフロントに届けた時には馬鹿にされたが、念のために聞いてくれたタクシーの運転手がこの日の夜、届けてくれた。本当に感謝でした。

この旅行は成田をでる迄はスイスは天気が悪く、到着2日目の夜迄は天気が危ぶまれていた。本格的に天気が回復したのはこの次の日から。銀河鉄道999の旅。一番期待していたスイス横断鉄道の旅は快晴。その後のマッターホルン、ユングフラウ。帰国する迄快適な旅でした。それに加えて紛失したカメラが届けられた事は正に奇跡だったに違いありません。

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この日の朝。外は雪景色。しかし、流石に高原リゾートの雪。寒くは無かった。前日の夜、カメラをなくしてしょんぼりしていた。このロビーの親父は別人。こじんまりとしたホテル。中国の小金持?が眼につく。日本人は居なかった。

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駅迄の雪の坂道。車で送って貰う。ロビーは質素で座っている居る人は居ない。この日の朝はさほど忙しくは無かったが、何故か慌ただしく出発。それでもサンモリッツの駅では、イタリア国境の街ティラノへの電車を待ちながら、のんびりとしていた。

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小雪が舞っていたが寒さはない。この建物駅舎と思うが日本の感覚と違う。鉄道は生活の足。何処かの国の様な華々しさも過疎化もない。スイスがこの国とは全く違う生き方をしている事がこの写真で良く分かる?

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これが駅の売店。軽食コーナーもあるので賑わっていた。親父は飲み物だけ買ったが代金が分からず(日本の3倍?)小銭を手のひらに乗せて清算。恥ずかしい。この後、1人で買い物をする事はなかった。

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郵便局?局員さん居たのかな?

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サンモリッツーティラノ間 ベルニナ特急 100周年 歴史が違う。

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政府の円売り市場介入。日銀の金融介入。1円74銭安。78円91〜97戦。お間抜けな解説では引き続き、この政策を進めると言われている。しかし、日本の製造業の現実はそんな政策では解決出来ない。円高を乗り越える方策として国内企業の海外進出が取り沙汰されるが、経営者の交代が口にされないのは何故だろう?(ソニーのアメリカ人会長の年収ご存知?関係ないか?)

この国の指導者の経済施策はこの国の通貨に振り回されるのだとしたら、いかがなものだろう?経済理論のイロハは強い通貨ではないのか?どんなに適当な通貨を望んでもそれはチルチルミチルの無い物ねだりだとは思わないのだろうか?

この国の財政破綻とかこの国の物作りの危機とかどんなに口にしても、何も変わら無い。間違いなく政府の円売り市場介入は問題の先送り。これから暫く市場は円高基調は変わら無い。どんなに円高になったとしても市場に評価される物作り。その時代に対応出来ない会社と経営者と労働者は路頭に迷う。そんな時代が目前です。

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正面の山がアイガー北壁。この電車はこれからユングフラウヨッホの展望台の下(地下)に向かう。左に小高い丘がありアイガーの山を愛した浅田次郎の記念プレートがある。この素晴らしい景色に立った時、100年も前にこの鉄路が開かれた事を知らなかった。しかも電気機関車。その電気はアルプスの水で発電されていた。

今、この国は大きな岐路に立たされている。国の発展する方法。電気の供給の仕方。それでも多くの人は政府に何かを求めている。今から40年も昔、アメリカの偉大な大統領ジョンFケネディから言われた言葉「国に何かを求めるのではなく。国に何が出来るのか一人一人が考えなければならない」この若き大統領は遊説中に暗殺される。

アメリカはそんな国と思っていたら、日本も退陣を表明した総理がなんだかんだ言いながら居座りを続けている。日本と言う国はこの国の人が考えている程、大した国ではない。その事を痛感したスイスの旅でした。

これからは間違いなく貧しい人はより貧しく、それなりの人はそれなりに、豊かな人でも何時迄もその保証はない。そんな厳しい時が目前です。ファーストレディ(総理夫人)が支持率がマイナスになる事はないと言われた総理が辞める時は近い。

これから大阪南部の公園に向日葵の写真撮りに出掛けます。人の生き方は様々です。夏の暑い日差しの中を黙々と歩きながら商売をしていたお袋と親父の姿が眼に浮かびます。その事を考えるとどんなに苦しい事もどうって事はない事でしょう。

向日葵の傑作 撮れるでしょうか?お楽しみに。今日は休みです。secchiさん、元気ですか?

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向日葵の花は刈り取られて終わっていました。その替りにハスが見れました。

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これは良く撮れています。自画自賛。

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大阪の財政が危機的状況の中でこれだけの広さは何たる皮肉。他にもこんな広さは一杯ある。これでは幾ら財政再建を口にしても駄目だろう。半分で良いから有効活用を計るべき?だと思いました。広い。広い。競技場、サッカー場、植物園、博物館。

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亀のお出迎えを受けたから言うのではないが、京都府立植物園に勝てるのはこの池だけ。大阪市が管理運営しなければとっくの昔に廃業だろう。近くにある天王寺動物園と同じ。広大な土地が有効に活用されていない。

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サルビアの花に生気が無い。何でだろう。この花を盛夏に咲かせる意味が分からない。可哀想。親父が彼岸花の時と勘違いしているのかもしれないが?

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ガキが勘違いして鐘を鳴らしていた。勘違いさせる意味が分からない。

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独身の頃、そして子供達が小さい頃、行った京都府立植物園にも久しく行って居ない。行くと多くの思いが重なるので心の何処かに、避けている部分があるのだろう?まだその気持ちに変わりはないのだろうか?暑い日差しを受けながらそんな事を考えていた。

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久し振りに足の裏に疲労感を感じる。四国の遍路道ではこんなもんではないだろう。疲れたら休めば良いと言われても、親父の様に勝手な生き方をした代償は大きい。そう簡単に思いが遂げられる事は無い。罰が当たるとはそう言う事です。

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心斎橋アップルのお店の前にナイキのショールームがあった。そろそろ幾らでも歩ける魔法の靴を手にしなければならない。そんな出会いが在るのだろうか?ある訳が無い。それでも一度覗いて見るか。これも空海の暗示かもしれない。(単純です。)

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2011年8月 3日 (水)

暑さが戻って来る。それでも昨年の日差しは無い。

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今年の蝉。やっとゲットしましたが残念ながらピントが合っていない。それでも一時の夏。丸々とした体を震わせながら元気な声を上げていました。今年の夏は昨年ほどの暑さは無いが、蝉にとっては如何なのだろう?

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それでもしばらくの間、厳しい暑さが続く。季節外れのバラがその事を教えている。

今年の暑さは蒸し暑い。夏の暑さと言えばからっとした青い空。白い雲を思い出すが今年の暑さは不快です。なんとしても四国遍路道を歩けと言われている。


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2011年8月 2日 (火)

夏の日差しはイマイチ。しっかり歩いて来ました。

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最寄りの駅近くの裏通り。親父が失意の時何度か足を踏み入れたお好み焼き、焼きそばのお店が見える。あれから多くの年が流れてもお店は潰れてはいない。美味しい焼きそば、値段も手頃。なんで行かなくなったのかな?お店の感じかな?

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汗かきながら黙々と歩いて来たのに休園日。忘れていました。土日開園しているのでついうっかり。お気に入りの草履をつっかけて歩いて来た罰が当たる。来る時に保険のお店で彼女を口説いたのがイカンかったのかな?それもない。電話番号聞いてないし。(コラコラ)

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公園の入り口。のびた枝葉が電話線に掛かり、見事に切られていた。これでさっぱり。しかし、この大木、そんな事にへこたれる事は無い。我が道を行く。この国のうっとおしい政治の世界はこうはいかない。何でだろう?余程一度手にした権限は手放せないのだろう。ならば取り返せ。それが王道だろう。

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蝉の鳴いている姿を始めてアップで写す。見えるかな?幹の左上。日差しが邪魔をしている。それではこれでどうだ。
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ああこれで分かる。それでもデジタルカメラの悲しさ。一眼レフの圧倒される接近感はない。夏の日差しの中で鳴き声が今年は何故か弱い。つかの間の夏の日差しの中で思いっきり体を震わせて鳴いて下さい。

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静岡掛川の家の庭に植えていた数少なかった芙蓉の花。掛川でこんなに立派な花びらを見る事は少なかったから、品種が違うのかな。花びらは一日でしぼむと言われているから、蝉より果敢ない命なのだろうか?そんな花びらが見れたのはラッキーです。
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イヤー親父が照れる。人の美しさもこうありたい。人前で化粧したり大きな声でおしゃべりするのが恥ずかしいと言っている。大丈夫。人の生き方も様々です。どんなに傍若無人に振る舞っても、その程度の生き方しか出来ないのですから。

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イヤー最後はこれですか?親父の最大の不幸は君を失った事です。それでも一人で長い間生きているとなんとかかんとか出来るものです。叶う事ならもう一度つぼみの時からと思っても、それも果敢ない夏の夜の夢に終わりそうです。(イヤイヤ、とっくの昔から終わっています)あちゃー。どんこん(どうにもこうにも)なりません。

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池田文庫(阪急電鉄操業者小林一三氏私設文庫)の石垣と灯籠。
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今はもう誰もいない庭。こんな庭で野点(のだて)の一杯。どうでしょう?しかし、しばらくはそんな機会も無いでしょう。京都東山長楽寺入り口の茶店で今年の秋は無理だとしても、来年の一番寒い時なら叶うかもしれない。(ホンマかいな)

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汗を拭きながら帰る。お寺の屋根のてっぺんの鬼瓦が眼を剥いて親父を見ていた。
親父さん。人の世は果敢ない。その事忘れずに生きていたら後、10年は保証します。ホンマでっかいな。必ずその言葉を忘れずに歩いて来ます。

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椿の実が実る頃、夏の日差しも一服です。

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なでしこジャパン(女子サッカー日本代表)に国民栄誉賞。
その栄誉を否定はしないし素晴らしい事ですが、今この国が為すべき事は、その程度の事ではないだろう?そのひねくれた親父の考えに首を傾げる人は少なく無いが、政府の思惑が分かればこれほどに国民と東日本の被災者を馬鹿にしたニュースはない。

今、政府がやるべき事は震災後、1日も早くやるべきだった被災者の支援。親父は被災地を見ていないから良く分からないが、誰がどう何を為すべきかが、間抜けな民主党政府の所為で遅れている。この総理、この政府、何を何時迄ぐずぐずしているのだろう?やらなければならない事。その事が出来なくて出来ない理由を並び立てている間に、被災地で多くの人が無念の思いを噛みしめている。

しかし、阪神淡路の大震災でも親父は10年間、神戸の街中には足を踏み入れていない。東日本の大震災と福島原発被災地にはどうなのだろう?行けないのでは何も語る事が出来ないから、四国遍路道を歩けば必ず行かなければならないが、ジャーナリストでもない親父が何を言っても、なんの風を起こす事は出来ないだろう?

それでも人は必ずその命を引き取る時に、東日本大震災の復興を忘れる事は無いだろう。今日、幸か不幸かそんな事は何も考えていないお馬鹿な人でも、自分がその立場に立てばもがき苦しむに違いない。そんなもん。だから人は人らしい生き方が出来る。そんな思いは全くない生き方をしていると天罰は必ず下る。人は人が思う程強くは無い。その事を忘れた生き方をしてはいかん。

今、ドル安(円高ではない)が問題になっているが、当事者がどんなに困ると言っても市場(マーケット)の思惑はそんな思いを越えている。非道、非情なマネーゲーム。そう考えれば政府の単独介入をどんなに叫んだとしても、間抜けな財務大臣が言う様に「注意深く見守る」程度の事しか言えないだろう。

これがこの国のエリートの財務官僚のお言葉。彼らはどんなに失敗をしたとしても声高に責任を問われる事は無い。貧乏人程喚き散らすのかと思いきや、権力者とヤクザさんには啖呵は切れない。マスコミも情報に尤もらしいコメントが少なく無い。

最近は新聞は読まないしTVのニュースも消音。これは親父の様な単細胞の激情家には効果的です。人と議論しても深入りはしない。この歳になって人からどんなに正論を聞かされたとしても、聞く耳を持たない親父にはこれが一番です。

この間抜けなブログもその程度と思えば一時の清涼?これは違うな。(笑い)

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この桜の幹は生きています。この幹が腐れ枯れ果てないのはこの大木を支える細い樹根。樹根と同じ様に人には心臓から大小の多くの血管が伸びている。その絶え間ない活力は何処から生まれて何処に消えて行くのだろう?

その事を考えて見るとこの幹の凄さが分かる。大半が朽ち果ててもこの樹根が元気であれば、この幹を支える事が出来る。しかし、よく見たまえ。そのタイムリミットもそう遠くは無い。喜び、感動、歓喜その反対の言葉を噛みしめる時、見知らぬ人を思いやる優しい心を育んで(はぐくんで)下さい。そうでなければ余りに哀しい。

今日はお休みです。久し振りに歩いて来ます。夏の暑い日差しは今週後半からかも?

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2011年8月 1日 (月)

今日から8月。暑さはぶり返すのかな?

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昨夜は心斎橋から阿波座のお店で久々にコーさんに会う。
初めてあったのは近くの城址公園。暑かった記憶があるから今頃だったのかもしれない。中国からの留学生。中国と言っても朝鮮半島に近い朝鮮民族の出身。

学んでいる事は国際政治。面白くないと言う。面白くないだろう。日本で国際感覚を身につけるには、もっと洗練された上流社会でないと無理かもしれない。最近日本人が国際社会で活躍しているが、彼等の感覚はエリート意識そのものだろう。

先日、近くの滝道を歩いた時、野口英世の記念館が滝道の上にあった。好奇心旺盛の親父もさすがに足を伸ばす事は無かったが、この国が世界に貢献する平和活動と言われても、彼女の好奇心をくすぐる事は無いだろう。

日本に来て2年。日常会話は出来るが1年前と比べても、日本語の上達はなかった。専門知識の習得は難しくても言葉に精通しなければいけないと助言。でもなかなか難しい。この国の国際貢献の役割は低くても、この国に求められる言葉の壁はけっして低くはならないだろう。親父も日本語しか喋れないがこれからの国際社会で求められる事は母国語+ONEにちがいない。

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今日は仕事。明日は休み。仕事の帰りにカレーを食らう。JR伊丹駅西側から歩いてすぐのお店「なごみや」。今親父が一番はまっているカレー。これは上のミニサラダとコーヒーがついて850円。ボリュムたっぷり。カレー通も納得。

このトンカツのカリカリ感がカレーのルーによく合う。これはお得と思っていたら単品のトンカツカレーはトンカツが2列。単品でも850円。その違いがこの絵を見ていて納得です。なるほどトンカツの量が違う。これを食うと言葉は要らない。

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昨日は2度も心斎橋に行ったし、京都の伏見稲荷も近くはなかったけれど、多くの思いの中で生きて来た事がよく分かりました。これからもっともっとこの銀杏に負けない生き方をするには、「考えながら、さあ、行こう」です。

たあかくのびる、銀杏の様に、元気で行こう。
歳は取ってもお船を漕ぐ時は、ギッチラコ、ギッチラコと櫓がしなる。
心に秘める物が無くなった時、神の哀れみを乞うしか無くなる。

その事を忘るな。昨日、もの言わぬ伏見稲荷の大明神がそう囁いていました。

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(本日はAirで作成しました。ようやく手に入れた気がします。)


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