空海も匙を投げたり管総理?正体を見抜かれても尚、居座るの?
先日尋ねた久安寺の大師堂前。秋の紅葉の頃は紅の景色が心を癒して呉れるが、☂の時も又、風情があり人の気配が感じられない静寂の時は格別の感があります。雨に濡れた階段を足を滑らせない様にしっかりと手すりを握っていると、親父はすっかり空海の風景の中にとけ込んでいました。
無の中に有を見る。アホだとかお間抜けと言わないで、自分を心静かにその社会で生かされている事を知る。諸行無常。その言葉を既に忘れている。宇宙の真理は永遠のテーマかもしれない。それにしても空海の生き方さえも無常の響きを私達に伝えているのかもしれない。
これから近くの万博公園の紫陽花を見に行って来ます。今年はこの額紫陽花で見納めと思っていましたが、これに勝る美しさを探して来ます。大阪は今日も梅雨のなんとか。今にも泣き出しそうなうっとおしい天気です。窓掛けクーラーのフィルター掃除して27℃設定のエアコン。少しも快適になりません。もう駄目になったのかな?
万博公園は大阪方面に向かって2つ目の駅からモノレールに乗らなければならない。
最寄りの駅に向かったのは3時過ぎ。気が変わったのは電車に乗って間もなく。
理由は特にないが折角の機会。箕面(みのう)の滝を目指す。久し振り。
この道を始めて歩いたのは20(二十歳)前後。次の時は息子が21歳の時。3回目が今回。何が目的だったのだろう?その疑問はこの看板が証明している。分からない?戻って来る迄に分かるに違いない。
この新緑が紅の葉っぱに変わる時。この散策の道は大都会の遊歩道に変わる。
しかし、今日、この道をブラブラ歩いたのはそんな事とは全く関係ない。
もうすぐ滝です。梅雨の今時、水量は多い。しぶきが顔に当たると心地良い。
マイナスイオンにほほ撫でられながら、ニンマリしてもそれも今日の目的ではない。
滝も見れたしこれから引き返します。そう今回の目的はこの距離です。往復おおよそ5、5キロ。この距離が目的だったのです。四国遍路道1日の歩く距離の目標は10キロです。その目的を達成は容易ではない。その為に歩ける距離を伸ばさなければならない。
一日10キロ。笑いましたね。しかし、平坦な道は兎も角、遍路転がしの道は容易に歩ける道ではありません。人通りの少ない山道は不気味です。今日、傘を手にして来たのは正解です、昔の旅人が腕に自信が無いと何処で災難に遭うか分からない面持ちは、この先を歩いて見ると良く分かる。親父の先祖は武士だった事を実感する。
2回目に歩いた時はこの遊歩道は整備されていなかったと思うが、あれから15年、道は良くなっていたけれど、親父の勘違いかもしれない。四国徳島の遍路道はこんなもんではないだろう。
暗闇に見えるけれどこれはカメラのいたずら。(フラッシュをたいたから)
6年前に西表の島で見たマリウドの滝。スケールはこの比ではなかったがあの頃を思い出す。前を歩いていたカップルと仲良しになったが、あの時の「清原」の親父、仲良くしているだろうか?そっくりだったけれどあれから6年です。
やっと下に降りて来ました。ここ迄来れば一安心です。もう暫く左の川沿いの道を歩く。うっとおしい天気もここではマイナスイオンが一杯で関係無しです。それでも足がうっとおしい。こんな事では遍路道は歩けません。
もうすぐゴール。紫陽花の花が「お疲れ様です」と労いの声を掛けて呉れる。
「イエイエ、そうではありません。」こんなもんではとてもとても屁タレです。
歩く事は人生です。歩く事は生きる事です。歩く事は喜びです。そして反省の道です
行く川の水は絶えずして元の水にあらず。流れに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しく留まりたる試し無し。人の世も又かくのごとし。(鴨 長明)
楽しみにしていた足湯は定休日。オー、ノー。休みの日は駅湯には無いのと違う?
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