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2011年6月18日 (土)

お昼前溜まった洗濯をしていると、屁タレが挨拶もしない。

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この花なんの花。昨日のブログに乗せた親父大好きな花。でも名前は知らない。
お宮の本殿横の雑木林で親父を歓迎して呉れました。この花枇杷の様で枇杷では無し?枇杷ならこの時期花を咲かせている訳が無い。田舎で田植えの合間に食った枇杷の味は今でも忘れていない。日当りの悪い大きな枇杷の木の上で猿の真似をしながら食っていた。あの頃の貧しさは今は無い。それでも手にしている物は大差ない。

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そんな事を考えていたらこれ又、名も無い昔の彼女?が慰めて呉れる。
まだ若過ぎた時、この歳になっても昔の彼女は輝いているのだろうか?
それは無い。親父の頭のオールバックの天然ウエーブがテカテカの禿げになった様に哀れな(失礼)オバさんになっているに違いない。可愛かったMちゃんを思い出していました。(止めて下さい。気持ち悪いから。)それはお互い様です。

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それでは季節の花を一枚。この花は今年の春親父を桜の花で慰めて呉れた近くの大輪。今年はこんなに立派な紫陽花にはお目にかかって居ないが。よく見ると花びらが4つ葉。紫陽花の花びらを数えた事は無かったが意外な発見。

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これは既に公開した親父大好きなよく見る紫陽花。この花びらも改めて良く見ると花びらは4つ。ババ抜きのトランプカードの様に綺麗に重なっている。今年の梅雨は関西は紫陽花の花も強い☂に叩かれていない。失意の思いは被災地の人達だけではあるまい。それとも親父の様に喜怒哀楽を表に出していないだけだろうか?

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これは綺麗だね。ほおずきもどきの赤い花がブログにアップ出来るかな?

パチパチパチ。ギリギリセーフ。このグログの作成画面、画像挿入をすると何故だか右側が15ミリ前後カットされる。縦に撮られた画像だと問題ない。

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これも懐かしい花。そして色。白い百合は清楚でも黄色い百合は余り歓迎されない。(そんな事は無い)親父的にはそんな気がする。それ程に白い百合は印象が強いのかもしれないが、多くの場合見掛け倒れ。本当に水を掛けられた気分も少なく無い。その気にさせられなくてもこの色は気品が高く近寄り難い。しかし、暖かい。

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それではこの花も負けてはいない。これが本当のアヤメ。3枚の花びらが季節感をさり気なく現している。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はユリの花」しかし、菖蒲の3つ葉の花びらは日本人にしかない姿。最近、殆ど見かけないと言ったら引っ叩かれるに違いない。親父の感覚がおかしくなっている。

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もやに煙る大銀杏。ちがう。露出へたくそ。屁タレ。(ちなみにこの言葉。関西の侮りの言葉。落語の半人前から来ている。)親父的には最近、この言葉を知らないおっさんが居る。情けない、人前で挨拶も出来ずに屁をたれる。(失礼)それでも平然として啖呵が切れる。上等と言うには余りにお粗末です。最近、世の中、おかしい。

それでも人は生きて行ける。昨年の今頃、スイスで見た風景は余りに美しかったが、この国がこんなに汚く思えるのは親父の偏見かもしれない。そう、この国はスイスの美しさに負けない風景と人の情念がある。その事を忘れてはならない。

人が人らしく生きる。その当たり前の事が当たり前に見えない風景は、親父の生き方が間違っている事を証明している。その事が分かれば梅雨空のうっとうしさが吹き飛ぶのかもしれない。空海がこの国の人達に教えて呉れた生き方。その事をこれから学ばなければならない。

空海が教えて呉れた生き方は今日的には過去の遺物となっても真理とは誰も知らないだけの話かもしれない。その事が分かれば苦しみも悲しみも歓びも思い上がりも超越出来るに違いない。

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