雨模様。今週は偶数日と土日が休み。朝の内に所用を済ませる。
まだ本降りにはなっていないけれど、☂が無いと歩けない。思い出の公園。
失意の時に今は居ない大家の親父に偶然、出会い励まされた公園。
あの時は仕事を探しながら金は無く、それでも何故か淡々としていた。
それ迄もそうだったが誰かに助けて貰えると思っていたのだろうか?
そうではない。生きる事の難儀さも男としての生きる証も無く、それでも何故か、切迫感は無かった。多くの親しい人から吐き捨てられていた言葉も、何故か淡々として受け入れていた。そうするより生きる術は無かったのかもしれないが、何故か正面のベンチの腰をかけ求人面接のアポイントを待っていた。
そんな時、近くの役所に来ていた親父(大家)と偶然の鉢合わせ。
親父の生気のない顔を見ながら気の毒に思ったのだろうか?
「悪い事ばかりは無い。良い事もきっと有る。頑張りなさい。」
素直な気持ちでその言葉を聞きながら、それでも感情に起伏は無かった気がする。
(この罰当たり)しかし、人間万事塞翁が馬(中国の格言)と言われても、当事者の思いはあの程度なのかもしれない。増してやもっと辛い困難にぶち当たった人にかける言葉は無いのかもしれない。あれから9年。大家の親父は亡くなったが、今の親父の姿はどう見えているのだろう?生きていれば、元気で居れば、何とかなる。
今、突然の震災で予期せぬ不幸と格闘している人は少なく無い。それでも多くの人の善意は仲々報われない。何故だろう?答えは簡単。厳しい言葉だけれど、そして非道の言葉と思えるけれど、他人は同情はしても失意の底から引き上げてはくれない。
元気があれば自分で出来る事が有ればまず何かを始めるしか無い。待っていても何もしてはくれない。自分の尊い命を自ら絶ったとしてもそれだけの事です。多くの人は多くの言葉を掛けては呉れたとしても、それだけの事です。何も変わりはしない。
親父は今、こうしてこの公園で佇む(たたずむ)事が出来るのは君と、そして大家の親父のお陰かもしれない。時は巡り次の9年は保証出来ないと言われてもそれも自分の生き方です。これからの生き方は誰1人として容易ではない。しかし、多くの思いをバネにして安らぎの時を手にしなければならない。
それにしても政治屋さんのしぶとさ。自分の他に今日的課題の解決法は見出せないとよくもああ平然と口に出来るの?止める気がなければ引きずり降ろせ。裸の大将に引導を渡せる人がいないのは、次は俺と棚からぼた餅を待っているのだろう。本当に恥を知れ。恥が無ければ地獄に堕ちろ。そんな輩は少なく無いね。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われた事は今の人には分からない。今の人だけでは無くて過去の人でも、どっこい生きているが樹の育て方は知らない。梅の生命力はそれだけ強いのかもしれないが、桜の木も邪魔になれば切られるのは公園の桜でも例外ではない。
それくらいの世間の常識が分からないこれからの政治経済のリーダーには、鉄槌を喰らわさなければならない。この国の指導者が歴史の中でどのような責任の取り方が出来たのか?その事は歴史を見ても情けない。この国はその程度の国です。
国旗に対して規律と礼節を求める前に自ら実践せよ。そんな声がデカクならないのは如何してだろう。公園の若葉が笑いながら親父を見つめていた。「親父さん、自己責任」「人の事はどうでも良い。自分の生き方を考えなさい。」そう言われていた。
市役所前の通り。この先が公園。横断禁止の看板が在るが多くの人が左の横断歩道は通らない。何処を通るの?この真ん前。車の合間を抜ける。だからそれだけ事故の確立が高い。それだけの事。自分は大丈夫と思うだけでなく無意識の内に危険な行動に疑問を感じていない。かく言う親父も自己責任で横断しました。(アホか)
大阪堂島のレコード店で「あさみちゆき」の希望の曲「明日」を探すが売り切れ。彼女を知ったのは昨年の暮れ。大阪伊丹のコンサート。まだ知らない人が多いけれど着実にファン層を厚くしている。(と言っても親父世代が多いけれど。ガンバレ)
レコード店で小沢征爾指揮のベルリオーズ 幻想交響曲 作品14を買う。親父は今この曲にハマっている。指揮者はこれで3人目。小沢征爾はこの曲の指揮が18番。得意中の得意とは知らなかった。流石に絶妙。これで又、楽しみが増える。
仕事は明日(今日)は有り。そろそろ親父もお休みです。
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