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2011年6月20日 (月)

大阪池田 久安寺関西花の寺 紫陽花の寺こんなに近くに

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楼門(国指定重要文化財)1145年再建 どれだけ多くの人がこの門をくぐったのだろう?今は右横の引き戸をくぐる。

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楼門前に一気に開花した紫陽花。なんのてらい(ひけらかし、みせびらかし)もない。それだけに自慢出来る美しさは無いがこの生命力は眼を見張る。最近、元気が無いがそんな親父を励ましている。あじさい寺の賑わいは無いがそれだけに嬉しい。

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さあこれから一気に行きましょう。小雨の中で生き生きとでもひっそりと咲いていました。これが近くで見れるとは。拝観料はこれだけ見て弘法大師に会釈すればタダです。でも直進すればもっと広い世界が見れる。拝観料300円は安い。

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楼門をくぐって最初に眼に飛び込んで来たのはこの紫陽花。中学時代の美しい人を思い出す。大好きでも口には出さずこっそりと告白のサインはしたけれど、返事は無かった。最後の出会いは親父が帰省していた19の冬。何か言葉を探していたが結局簡単な別れの言葉。今、この世での再開は無い気がする。あの世ではどうかな?
あの時はこの花がぴったしの頃だったのかもしれない。

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小雨の中を傘を差しながら美しい紫陽花を切り取っていると、過ぎし日の喜びと悲しみが交錯する。紫陽花の様に人の心は移り気と言われるが、それも一時の感情。移り気ではなく単純で一方的な思い込み。ベルリオーズの幻想交響曲を聴いてその事がようやく分かる。

この歳になって其れくらいの事が分からなかったのかと思えば、苦虫を噛み潰すしか無いのかもしれない。「無心」「無我」「無欲」空海が教えた0。
人の嘆きと悲しみはそれが原点かもしれない。越すに越される大井川も今は水も少ない。それでもダムが無ければ激流です。空海はこの寺で紫陽花を見たのだろうか?

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額紫陽花とは通称?正式には何と言うのだろう?でもそれもどうでも良い事かもしれない。中の小さい莟は咲き競う事は無いのだろうか?受付のおばちゃんに聞いてみると「私は花には詳しく無い」と一蹴される。がくとは花の外側を言うからこれで満開です。?

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受付のおばちゃん推奨の紫陽花。おばちゃん、まだまだ若いね。四国徳島に行けたら讃岐の満濃池を見て来てくれとお願いされる。おばちゃん、満濃池は空海が大土木工事をしているけれど、こんな艶やかな紫陽花はないかも知れない。

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本日一番の額紫陽花です。今年はこれで見納めです。

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四国徳島の道 歩けるかな。この山にも四国八十八ヶ所のお砂ふみ巡拝コースがあるけれどスケールが違う。迫力が違う。空海が室戸の岬迄道無き道を切り拓いた難行は今は無いが、メタボな親父が歩くには相当の準備と予行演習が必要です。

今、一日どれ位歩けるのかな?4〜5キロでしょう。昔、買った登山靴を買い直して歩け、歩けでしょう。昔の旅人が歩いた様に20キロ位は楽に歩ける様にならないとアカンかも。頑張ります。今年の夏、どれだけ歩けるかな。見てて下さい。



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