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2011年5月

2011年5月31日 (火)

この国の現場の力を侮るな。誰のお陰で総理になれたの?

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凄いな。親父には真似の出来ない高所作業。電線音頭と言われても今のバカタレは知らない。「電線に雀が三羽止まってる?」違います。電線の大きなセラミック碍子交換中。親父は説明を聞いているから作業の内容が分かるが、さすがプロ。さすが職人。上から2段目の人が交換部品を吊り上げている。見ているだけで身震いがする。

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デジタル望遠で写しているので高度感が無いが、これがプロ?下から見ていると細い電線の上でやるべき事を黙々と自分の仕事をこなしている。言葉は入らない。それがプロの仕事。政治家も経営者も親父の様なおっさんでも同じだろう。

「私の代わりは居ない?」何をとぼけているのか/そうではない?国民の支持が0以上にはならないとでも思っているのか?そうではないだろう。支持無くば信を問え。それくらいの事が分からないのなら、引きずり降ろされる事位は取り巻きが教えろ。

それでもこのお馬鹿な内閣は消費税値上げを検討している。アホと違うか?いいえアホです。選挙をすれば間違いなく半分は落選する。それよりもこの内閣何時迄続くと思っているのだろう。この国の電力を支えている人達の作業を見ながら親父は間抜けです。

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今年の開花が心配されたのが嘘の様に梅雨の合間の太陽に息づいている。カメラのトリックを差し引いてもこれほどの勢いは、親父にも予想外の事。これで今年の暑さに負けなければ来年も頑張れるかも。親父は最近体力が衰えているが負けへんで。

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去年の夏の若葉の茂りが親父の刈り込みに合い、今年の芽吹きが心配されたが御覧在れ。デカイ幹が柔らかい青葉に包まれている。昨日迄の大雨が嘘の様に感じられる。これはもう夏の装い。木陰で読書?それも良いかもね。しかし今は梅雨の始まり。

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藤の弦が束縛の柵(しがらみ)から解き放たれている。風になびいているのではない。弦が踊る。弦が笑う。弦が余り伸びすぎると昨年の様に親父に刈られるド。

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一本の大木が大きく3つの幹に別れている。一つの力が3つに別れてもこの茂みは何も変わらない。それだけでなく静かな大木が垰(たお)やかに伸びやかに笑っている。(垰やか....しとやか、上品) これからの生き方は自己責任ですか?

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手が加えられ新しい花が移植されている。当然の事ながらタダで趣味で行われている訳ではない。お金が掛かっている。被災地の復興が遅々として進まないのも、全てその勢いの遅さだろう。多くの言葉が語られるけれど、被災の日からもうすぐ3ヶ月になる。そんな事が何時迄も続けられる訳が無い。いずれ天の裁きを受ける。

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2011年5月30日 (月)

ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14a シャルル、ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団

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サツキの時も終わるとこれからは紫陽花(あじさい)の時になるのだろうか?
この植え込みは何故か花びらが全くない部分がある。花びらが全くないのも又、何故か心が揺さぶられる。親父のボヤキも君が言う様に斑(まだら)模様です。

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それでもこれはこれで美しく無い。何故だろう?良く言われた何処から見ても金太郎飴(あめ)は遠くから眺めるのが丁度良いのかもしれない。これから咲き乱れる長岡天神(京都府南西部、近くに光秀と秀吉の合戦場がある)のミヤマキリシマと比べるのは酷かもしれない。

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5月の時も後1日。桜の枝は生い茂り食えないサクランボ迄が親父の思いを、舌を出して笑っている。アンタに迄笑われたく無いがベルリオーズのシャルル、ミュンシュ指揮のパリ管弦楽団演奏を聞きながら、ズービンメータ指揮、ロンドン、フィルの演奏と聞き比べています。

シャルル、ミュンシュは名前の通り?フランス人。この録音も古いが(1967年)ミンシュの「人生の全てを賭けた」と言われる満面の笑みが感じられる。この人もフランス人。レ、ミゼラブルのビクトルユゴー、ベルリオーズの幻想交響曲、そしてミンシュ。親父の知らなかったフランスの芸術と文化の香りが聞こえる。

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仕事の帰りにトンカツカレーを食ってJR東西線で大阪梅田に出る。この路線で尼崎迄出た事は在るが大阪北新地迄出たのは始めて。この路線が開通して宝塚と大阪、生駒、京阪奈(京都南部学園都市)が結ばれたが、この路線で107名の尊い人命が失われたのは記憶に新しい。過密ダイヤを当然の様に思い込んでいる人々の思いは恐ろしい。

北新地の地下深い駅のホームは始めて降りるが、ハイカラな駅。大阪地下鉄のどの駅にも無いホームに柵が在り、列車のドアに合わせて開閉する。それだけ利用者が多いのだろうか?改札口に上がるエスカレーターが又、長い。それだけホームが深いのだろう。改札口の先は親父が若い頃出来た堂島の地下街。と言う事はホームはどれだけ深いのだろう?災害が起きた時のパニック対策はどうなっているのだろう?

近くの靴屋さんに寄る。先日買い求めた靴の案配が悪い。靴の中敷きが凹んで駄目になる。その話しをしても話しが噛み合ない。「そんな物ですよ」その問答を繰り返していると諦めの思いが背中を押す。親父の拘り(こだわり)を解決する手段はまだ見つからない。「草鞋の様な靴は無いのだろうか?」親父の靴探しの道は遠い。

靴の専門医(修理屋さん)から靴のメーカーを紹介される。ペダラ?君が教えて呉れた運動靴メーカーのウオーキングシューズ。これからパソコンで調べてみよう。

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2011年5月29日 (日)

大阪は雨模様 しかし、大した事は無い。

Img_7079 季節外れの梅雨の入り。
季節外れの台風の直撃?
6年前に行った先島諸島の島々は4〜5メートルの大波が打ち寄せているのだろうか?
西表の孤島で1人暮らしをしている裸の老人は今でも元気なのだろうか?
親父も一人暮らしを始めてもカレーだけには拘りを持ちたい。

Img_7081 この紋所だけではカレー屋さんとは分からないけれど、今日は関西も雨模様。天気予報では今夕、紀伊半島の南端串本の南方に最接近とか。しかし、その頃は流石に台風の勢力は衰えているだろう。

それでも今日は一日雨模様。人の出足は鈍く西君のお店も開店休業かも?距離的には近いが電車の乗り換えがおっくうかも。

近くの勝っちゃん食堂とコーヒーのhiroのお店には行けなくなったけれど、それ以上に西君との出会いはしばらくの縁(えにし)だろう。人は多くの出会いと別れを繰り返すと言われているが、その中で手に出来る大切な物は歓びであり哀しみ、そして怒りと胸の痛みかもしれない。

それでも嘆き悲しむ事は無い。その思いを乗り越えなければ新たな出会いは無い。その程度の事ですよ。その程度の事。そして老いて行くに違いない。今の老いも若きも何が幸せで何が不幸せなのか知る由もない。

嘆き悲しむ事は無い。しかし、人を踏みつけにして生きる事は何人も許されていない。今の若者達は気の向くままに生きていると言われるが、それは年寄りでも例外ではない。

親父の廻りにもそんな人は少なくないが、神の哀れみを受ける時も遠くは無い。ああ無情。ああ人の情けを感じなくてどんな生き方が出来るのだろう。(こらこら)人の事を心配する前に自分の行く末を考えなさい。

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以前紹介した柊南天(ひいらぎなんてん)の若葉と水滴。見事なカップリング。

うっとおしい、じめじめした雨模様の空の下で自然界の営みは人の思いを遥かに越えている。何気なく切り取ったこの画像もよく見ると♥マークの上が壊れているが、心棒が大事な事を教えている。(巧い)そうその水滴が教えて呉れている事はなんだろう?

この瑞々しい若葉も触ってみると硬い。そしてトゲが在る。正に親父そのもの。外見でどんなに取り繕った処で人の本心は見え見えです。どんなに美しいバラの花もその時は一時です。その美しさをどんなに長持ちさせようと思った処で徒労に過ぎない事を思い知るのは先の事では在りません。そう考えてこの偶然の素晴らしさを御覧在れ。

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スイス横断の鉄道車窓から写しているので画像が鮮明でないが中央をロープウエイ

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親父、しっかり観光してまんなあ。あれからもうすぐ1年。隣のレディ元気にしているかな?サンモリッツからテェルマット迄の長い長い特急電車の中でも、好奇心旺盛の親父は退屈もせず、通訳の君に喋らせたり観光したり飯を食ったり、楽しい旅でした。

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峠越え。雪景色。雪山にカメラを向けている。この景色は上の画像の前。

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おい親父、いつの間にか親父が二人。同じ方向の先に見える物は何だ?草原です。

このパノラマカーのスピードは平均60キロ位。しかし、親父達が帰国後事故を起こす。脱線転覆は予期しない出来事だったのだろう。

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アンネの故郷は緑の中に在りました。しかし、テレビで見る景色とは大違い。本当の豊かさとは何だろうと考えていました。こんな緑の中で何を考えながら生きているのでしょう?これも車窓からの景色です。
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オイ、何食っているんやろう?サラダです。サラダ。コーヒーカップがデカイな。

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グレイシャーエキスプレスのメーンディシュ?見かけに寄らず味は悪く無かった。手前のシチュウ何の肉だったのだろう?マトンの固めの肉だった?レデイの相棒、良く食っていたなあ。

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もうすぐ終点。ツェルマット?何でこんな写真取ったのかな?
それではまだ雨が降っていますが、雨間を見ておにぎりと新聞買って来ます。
おにぎりと侮るな。コンビニのおにぎりではない。専門店のおにぎりです。

専門店のおにぎりは買えず。雨が降っていたからかな?お店は休み。

何でかな?他のお店でも異口同音に言われる。雨が降ったら食事をしないのかな?

そうではない。買い置きの物で済ませるのだろう?きちんとした食事は出来ているのかな?(余計なお世話です。)その程度の生き方です。親父も偉そうな事は言えません。人の体の摩訶不思議な力は原動力は沸き上がるエネルギーそのものです。

今日は雨の一日。これからしばらくははっきりしない天気が続くけれど、物を売る商売には天気予報に一喜一憂しなければならないのだろう?

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スイスの旅。5日目。この日も快晴。最終目的地グリンデルワルドに向かっている。

こんな環境で生きているとどんな生き方が出来るのだろう?

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グリンデルワルド駅前のロータリー。駅を出たその先の広場。車の量は本当に少ない。その車が歩行者に先を譲る。スイスが観光大国と言われる意味を感じる。

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ホテルの近くから見上げた景色。右端が有名なアイガー北壁です。

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ホテルのベランダからの景色。朝日が昇り今日はスイス旅立ちの時。再びこの景色を眼にする事は無いだろう。それでも一度だけでも目の当たりに出来た事に感謝しなければならない。生きていれば、生きてさえ居れば思いは叶う。その事が久し振りに見たスイスの画像が教えていました。

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2011年5月28日 (土)

ゴルフ三昧 仕事三昧?親父の三昧は何?三昧とは?

三昧(ざんまい)とは何かに熱中する事。それでも誰かに熱中するとは言わない。そんな時はうつつを抜かすとか逆上(のぼせ)せるとか言われるが、そうしてみると三昧とは明け暮れると訳した方が良いのかもしれない。いずれにせよ、お金の心配をせずに自分の好きな事に明け暮れる結構な身分は、昔から庶民とは身分が違うんかもしれない。親父の知り合いで「ゴルフ三昧」のお方が居るが、案外当人は自分が結構な身分とは自覚していないのかもしれない。

最近、ひょんな事からベルリオーズの「幻想交響曲」を聞いている。ベルリオーズと言われてその人の生き様を語れる人は、相当の音楽家、作曲家オタクかもしれない。それ程にこの人はメジャーではない。しかし、この作曲家は天才、奇才、変人である事をこの曲を聴けば聞く程痛感させられる。

彼との出会い(馴れ馴れしいな)はズービンメータ氏の指揮した演奏曲を探していた時、偶然見つける。20年前の録音。少し聞いただけでその破天荒な生き方と作曲家としての能力(偉そうに言うな)の虜(とりこ)になる。この録音性能の悪い(高音と低音の差が大きい)曲をイヤホーンで聞いていると時々聞こえなくなる。仕方なくボリュ−ムを上げると高音が爆発する。それでも今、何度も何度も聞いている。

(ここで眼科の定期検診に行ってきます。)

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眼科検診異常なし。ほぼ一月に一回。定期検診を続けているのは親父の拘り。?親父の弱点は眼と血圧。? どんな人にも体の弱点はあるがその事を常日頃から、認識出来る人は少ない。?自覚症状?そうではない。自分の体の疲れは何処に出るのか?

それくらいの事は当たり前だと言われるが、意外に自分の知らない景色はまだ見ぬ風景だけでは無い。この景色を再び目の当たりにする事は無いと思うが、これは正に飛行機からの景色でしょう。違います。ゴンドラの中から?信じられない。

腰が痛い。近くの整体医院でマッサージを受けるか?それとも大阪西区阿波座の地下鉄駅を上がった近くのお店で揉んで貰いますか?(こらこら)腰の両脇に贅肉(ぜいにく)が付いている。揉み甲斐のある親父のメタボな腰回りはよだれを垂らすかも?

これからの年寄りは介護保険や医療保険のお世話にならず、四国徳島から室戸岬位は歩かなアキマヘん。偉そうな事を言ってもこれからの何よりの財産は足腰。親父もまだまだそんな歳ではないと思っていたが、自分の歳を頭を冷やして考えて見ると、親父も遠い先の話しではない。最近、疲れているのだろう。何かをしていても居眠りをこいでいる。(失礼)寝る子は育つのではなく、寄る年並に勝てないのだろうか?(トホホ)

さあそれでは自慢の話を続けますか?

ズービンメーター氏を始めて知ったのはN響アワーで交響曲第9番「合掌つき」(ベートーベン)の東日本大震災の復興祈念チャリテーコンサートの指揮をされた時。ベートーベンの第九はいろんな処でいろんな人の指揮で聞いているが、誠実な思いのこもった指揮は素晴らしいの他に言葉がなかった。そして大ファンになる。

ズービンメータ氏はその後調べてみると1936年インド、ボンベイ生まれ。親父より8つ先輩。(イヤー歳がバレる)それでも全然若い。目付きが良い。親父の様に禿げでもない。それよりも何よりも体格。厳つい顔つき。親父も肖り(あやかり)たい

希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる。(青春とは サミュエルソン)とは正にこの事だろう。この演奏、指揮、合唱、バス、ソプラノ、メドソプラノ、テーノールの歓喜の歌声が被災地にこだまする時をどれだけの人が実感するのだろう。

東日本、福島原発の復興を高らかに宣伝する政治家のどれだけの人が、このズーベンメーター、ベートーベンの想いを理解しているのだろう?。間違いなく親父達はその時を知らないだろう。被災地の人達が高らかに歓喜の歌を歌える時が来る、その日の事を。今こそドイツ語の合掌日本語訳を管総理に突きつけなければならない。

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親父はこの十字架を見ていない。キリストの復活も信じていないがそれだけの思いがこのスイスのユングフラウが見える頂きに、建てた人が居る。ズービンメータの第九を聞いていると親父が阪神淡路大震災の後、10年神戸の長田に足をふみ入れられなかった事を思い出す。東日本はどうだろう?その事を政治家は分かっていない。

管総理はサミットが開催されたフランスで被災地復興、日本再生を高らかに語っているが何時迄自分がその為に指揮をするのか?明確でない。震災発生から2月と半月が過ぎても先行きの見通しが良く分からない。

震災発生の時、何をしていたのか分からない総務大臣は今頃になって何かを語っているが、霞ヶ関の高級官僚にはその危機感もない。その事を問われる事はないのだろうか?今は政局ではないと言われるが、今こそあなたが何を為すべきか、その事が問われている事をこの国のリーダー達は分かっているのだろうか?

ベルリオーズは1803年生まれ1869年に亡くなっている。この作曲家は音楽史上稀に見られる奇才。満足に演奏出来る楽器がなかったと言われている。「ピアノも弾けずに作曲が出来るか」と揶揄(やゆ)されても、その事を逆手に取ったと言うから余程の自信と並外れた天性の作曲家としての能力が合ったのだろう。

ピアノも弾けなくて何で作曲したのかは分からない。全く鍵盤を叩けなかった訳ではなかっただろうし、五線譜に音符を書き込む事位は出来たのだろう。加えて彼の作曲家としての能力を高めた物は指揮者としての感性だった。彼は他の作曲家には無い能力があったのだろう。

この交響曲は1から5楽章に別れているが前半と後半では曲調が全く変わる。想い焦がれる時の切ないセレナーデが、一気に嘆きとフランス革命のギロチン死刑台を思わせる激しくけたたましいメロデーに変わる。

人の生き方、人の愛と悲しみも合通じるのかもしれない。想い焦がれた女性とは結婚は出来るが、理想と現実の差は天地の差であったと言われている。それもこの天才と奇才の皮肉な巡り合わせだったのだろう。

彼の愛したシェイクスピアの人気女優も彼の想いに答える事は出来なかった。神経をすり減らして酒に溺れた生活は彼女だけの所為ではない事を、この後半の激しい旋律を聞くと良く分かる。

そんな歓びと悲しみ。フランス革命を全く知らなかった親父が奇しくもビクトル、ユゴー(ああ、無情)と親交の在ったベルリオーズにハマっている。今日は大阪は静かな雨の一日でした。明日はもう一日お休みです。人の喜怒哀楽をもう少し分かる様になれば、空海が求めた人としての生き方が少しは理解出来るのかもしれません。

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2011年5月27日 (金)

毛虫の論理 今、生き方が問われている

Img_7119_2 久々のご対面。「毛虫(けむし)」

親父が大事に見守っている桜の小枝に何たる無礼。それでも叩き落とす気持にはならない。デジタルのカメラをマクロモードにして、身動きしない姿をゲット。

桜との共存。命の競演。お前もしぶとく。

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バラも盛りの時は過ぎたがこうして見ると、マダマダ健在。人は化粧をするけれどバラはスッピンで勝負している。そう考えて見るとバラは凄いね。見た目だけでなく香水の香りも又香しい。そんな生き方は人間には並大抵ではない。そんな人は居るのだろうか?

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近くの飛行場に着陸態勢に入っている。今日は風向きが着陸に追い風の為、何時もの反対方向から着陸している。機体が大きく見える。成田のホテルで見た着陸態勢。

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君は「沈まぬ太陽」の映画を見ただろうか?国鉄民営化の時、赤字体質は親方日の丸と盛んに批判した人達は日本航空を食い物にした。そして会社は破綻。リストラの嵐は今尚厳しい。日本の経営手法は一流と言われて久しいが本当の一流は現場の力。

その現場の力も危うい。成田の反対闘争は生かせず国鉄民営化で経営者となった労働者は、安全を犠牲にして迄、利潤の追求にうつつを抜かす。その結果が今日の現実。ジャパンは世界一と言われたのはそんなに昔の話しではない。

ところが今はどうなのだろう/そんな事どうでも良いが、福島の原発事故はそうはいかんだろう?賢いと思っていた親父でも原子力発電の安全性は、これほどに脆い(もろい)物とは思っていなかった。使用済の燃料棒も永遠に水の中で冷却を続けなければならない。

原子力発電の経済性と安全神話を作り上げた国策は、実際はこれほどに危うく危険だったとどれだけの人が思っていたのだろう?それでも管総理は笑いながら来年の始めには福島の原発事故は収束すると言われる。おかしくないか?その責任は誰も取らないのか?そんな不条理が何時迄続くのか?

 

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2011年5月26日 (木)

サツキの美しさ お茶摘みの頃 虫も生きている

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何時迄も何処迄も。サツキの花が満開。この色はお気に入りの色。
「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき。与謝野晶子。
今夜の雨で花びらは叩かれる。それでも一番映える時。寄添って輝きの時。

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この植え込みの花達は満開の時を過ぎているが、マダマダ健在。
親父も年たけて又見る嫁は居るのかな?(コラコラ変な変換すな。)
親父も歳たけて又見る夢は故郷の、遥かに遠い幼き日の頃。(さつきに睨まれている)

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山茶花の若葉がお茶の新芽に重なる。田舎では茶摘みも済んで一段落の頃だが、今は自然に生育している野山の茶葉は、見向きもされないのだろう。そのお茶を摘んで大きな釜で蒸らし、藁むしろの上で揉んで居た親父とお袋。その姿が目に浮かぶ。

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その葉っぱの手入れをしていると何か柔らかい塊がある。
虫だ。虫だ。親父から摘まれても美味そうに若葉を食っている。可愛いけれど、気持ち悪い。そう言われても困る。そうだよね。仕方が無いのでハサミで枝のまま移動。

今は雨は降っていないが関西も今日から梅雨入り。今年は例年より半月は早い。
廻りの人は「雨降りは嫌い」と顔をしかめるが親父は違う。何故か嬉々としている。
幼い時、田植えの頃、雨が無いと困った農村の原風景を知っているからだろうか?

ここで休憩。BSテレビで解説の声を消して(副音声)で見ると自分が解説者。球場音声は入っている。

昨年、6月の半ばスイスに行った時、成田の搭乗口で見た現地の天気は☂☂☂だった。それを息子と見ながら頭を抱えていた。それを見た外人が「お気の毒」そんな笑いを浮かべていた。現地では入国の税関で親父の撮った写真にクレームを付けられるし散々だった。それが2日目の朝は雪。それから帰る迄☂は無かった。

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スイスの登山鉄道に脱帽。この雲が先日迄の雨雲。雲の上に突き出ているのがマッターホルン。登山鉄道内で沸き上がった歓声は忘れられない。それ程の感動。これからの人生でこれに勝る時はあるのだろうか?(それはあなたの心がけ次第です。)

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どうだこの天気。ユングフラウヨッホに向かっている。ここで山を見ながら高度に慣れる。1時間位(それ以上かな?)休んだけれど3000メートルの終点で動けず。それでも文句無し。感謝の思いで一杯でした。今、見直しても景色のスケールが違う

これだけの美しい景色はこの国に無いのかと思いきや、そうではない。確かにスケールは違うけれどこの国にはこの国の美しさがある。その多くの美しさを多くの人は知らない。自分達の生活基盤の限られた部分しか見ていないと、とんでもない過ちを繰り返すしか無いのかもしれない。

今年3月11日の東日本大震災と福島原発の安全神話の崩壊は、間違いなくこの国のこれからの在り方が問われている。しかし、その事がどれだけの人に理解されているのだろう?本当に間抜けだと思うのは親父だけでは無いだろう?一日も早く顔を洗って出直してもらいたい。サミットで手を振りながら笑っている時ではない。

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2011年5月25日 (水)

気持ちの良い天気。でも明日からしばらくは梅雨のはしり?

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久々の登場。桜木はすっかり元気になり若葉を繁らせ、昨年は元気が無かった幹も引き締まったナイスなボディ。(こらこら)否、ホンマにそんな感じ本当に嬉しい。素知らぬ顔をして幹の廻り(腰回り)を撫でていました。リアルゴールドで乾杯です。

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親父の大好きなアメリカ、マスターズのゴルフ場?まさか。
今日は日差しが強く大きな木陰が芝生の上に伸びている。
それでもこれもデジカメのトリック。ちょっと見にはゴルフのパット練習場に見えるけど、アナポコと雑草が多い。親父の絶好のウロウロコースです。

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この青空は昨日見上げた空。お気に入りのカレーを食って帰途、綺麗な空にカメラを向ける。ほんの少し前迄はこの空を見上げて別の事を考えていたのが、何ともいじましい。田舎の言葉で声を掛けてやるとしたら「むげねえのう」可哀想?空を見ていると何故か心は晴れている。「親父、おぬしも見切りが早い。」イイエ、無視かも。

それも違う。それでも時は逆転は無い。どんなに激情の思いを重ねた処で人の思いに逆流は無い。「阿吽の呼吸」とか「優しい気持」とか言ってみたのは幻。この歳になってフォスター(アメリカの作曲家)の夢見る思いは無い。

そんな事をつぶやいていると自民党の幹事長がひどい事を言っている。さすがの親父も面と向かって言われた事は無いが「アンタの時代は終わった。」と言われた事はある。「あなたの居場所はない。」ひどい言葉だけれど管総理がフランスのサミットから戻って来た時、実感するのだろうか?

人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如しとは家康の言葉だが、福島原発の現状は余りに厳しい。国際原子力委員会の査察を受けているが、明日からのサミットで総理は各国のリーダーに何を語り何を学習するのだろう。そんな事はどうでもいいと思っているなら、大きな間違いだろう。

そんな政局、権力闘争の時代ではないと言われても、これは避けては通れない現実である事に目を見開かなければならない。傍観者になるな。余りに責任の重さを自覚していない。これからは綺麗事ではない実行力が問われる。その事を思い知るに違いない。

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2011年5月24日 (火)

本当の美味さは見た目では分からない。食ってみないとネ。

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先日紹介したカツカレー。2日続けて食べてみる。親父のお気に入りのカレー屋さんになりそう。本当の合格点は一口、口にすると分かる。阪急3番街のインデアンカレーは別格だけれど、これだけのボリュ−ムでこれだけの味なら文句は無い。

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朝起きた時は降っていた雨も家を出る頃には小止みになる。
会社で仕事を始める頃には雨も水滴に変わる。サクランボに貯まった水滴が落ちようとして落ちない。親父のシャッターチャンスを窺って(うかがって)いるのだろう。

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落ちます。落ちます。もっちょと。もちょと。葉を落としても親父を楽しませてくれてありがとう。山形の佐藤錦に負けない決定的瞬間?です。このサクランボ、昨年口にした。食えなかった。しかし、おぬしも役者やのう。(親父さんには負けます。)

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さつきも昨夜来の雨に一気に開花しました。花の命は短いけれどそんな感じは微塵も感じない。花の盛りが過ぎた時、目を楽しませてくれた花びらを竹の熊手でお片づけです。そうすると緑が一気に植え込みを囲みます。

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サツキの花びらはつつじに比べると小さいが、アップに懸命に耐えている。
アップに耐えられるのは人間では赤ちゃん。花なら種類を選ばぬのだろうか?

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この植え込みはうねりを感じさせる。仕事場前の広場の向こうに悠然と構えている。
さつきとつつじの違いは難しいがさつきの花が小振り。それを花数で補って余りある。この植え込みの上で大の字になるにはウエイトオーバーです。(ガーン)

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仕事場横の大きな木の下の植え込み。薄紅の一輪が大きな声で親父を呼んでいる。
「分かってま」「分かってま」こてこての関西弁で答えている。
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気分を変えて空を見上げると薫風の空が梅雨空を押し退けている。
5月も後半だから段々蒸し暑くなるが、1年前のスイスの景色が懐かしくなる。
もう一度行きたいかと言われると、微妙だけれどあの乾いた空気は国内では味わえないかもしれない。

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どうだ。藤の若葉も一気に伸びている。この時期は青葉、若葉の時。
この生命力を放射能で汚染して、その原因究明が「失敗学」の権威。
その認識の甘さは何処から来るのだろう?失敗ではなく失格である事が分からないのか?

今尚避難の生活を余儀なくされている被災者に、失敗では無く失格者として頭を下げろ。為政者は言う迄もないが、我々も何かがおかしい。その代償の大きさがこれからのしかかる事を考えれば、間抜けとしか言いようが無い。

総理大臣がフランスのサミットで原発事故の情報を公開すると言う。
「冗談も休み休みにしてもらいたい」国民に申し開きも出来なくて外国人に何を語るのだろう?口先だけでは何も信頼される事は無い。

福島の収拾が何時になり、避難している人が何時になれば元通りの生活が出来るか?それが出来なければ充分な生活保障を何時迄にどうするのか?
何も明確にはされていない。今、求められる事は他にあるのだろうか?

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2011年5月23日 (月)

予想以上の味 期待通り?否、それ以上。西君やるな。

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親父のお気に入りのカレーは阪急梅田3番街のインデアンカレー。
このお店は半月前、見つけたお店。今日始めて入店。半月前、隣の豆腐屋さんでお土産を買った時、シェフが自慢した。四国愛媛のロースカツカレー。一口、口にしただけでニンマリ。「おぬし、やるな」そのまま、一気にスプーンを動かしたので写真に撮れず。今週末hiroには行かないのでその時必ず、画像ゲットします。

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昨日迄の暑さが嘘の様に今日は季節が一月逆戻り。桜は葉桜になりもうすぐうっとおしい梅雨。親父も気分がすぐれない。それでもど忘れした棘(とげ)鋭い葉っぱが雨カエルに変身している。(親父さん、大丈夫?)

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雨は小止みにはなっているが止んではいない。九州南部は梅雨入りとか。
関西もしばらくはぐずついた天気が続く。雨の日も又良し。さつきの雨粒もそう言っている。慰めて呉れる思いは有り難いが何故か心は重い。(アホか)

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それに比べてこの歓喜の声は何たる大きさだろう?「いい歳をして人間がコマイ」
それに比べてこの勢いは一体何だろう?     「生命の重なり。清明の時」
これから始まるうっとおしい季節は、本当は一番喜びの大きい時かもしれない。

Img_7037  親指の爪が何かを主張している。
仕事の合間に撮った傑作。
愕然とする厚い爪、段差は何を語っているのだろう?こんなにつらい生き方をしていないと思うのだけれど?

これからの日常は次の人差し指の様に、
滑らかに生きたい。嘗めたらあきまへんえ。

Img_7048_2 親父の爪で一番マトモな?指。
これからの人生、何か暗示している。
何を指し示しているかは分からない。

それが面白いのかもしれない。
人の生き方は人(他人)の成り振りを見て
学習した者が本当の勝者です。

思い出しました。トゲの鋭い葉っぱ。「柊(ひいらぎ)南天」でした。どうでも良いけれど(よく無い)。静岡掛川の家で長い間玄関で頑張ってくれました。最後はシダの繁殖力に負けたが、あれから親父の用心棒です。

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2011年5月22日 (日)

久々の出会い。久々の歓待。久々のもてなし。

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雨が上がり夕日に誘われて城跡公園迄の道を歩く。公園の入り口で夕日が歓迎して呉れる。「いらっしゃい」「お久しぶりです」「しばらくです」無言の言葉を噛み締めている。何も語らなくても優しく迎えて呉れるのは、親父の心情を理解しているからだろう。嘆きの言葉は似合わない。嘆きの思いは一時の夕暮れです。

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立てば芍薬(しゃくやく) 座れば牡丹(ぼたん) 歩く姿は百合の花。
そんな女性は少なくなりました。この芍薬も花の盛りを過ぎている。
しかしそれでも尚、存在感を主張するのは何故だろう?それは気品です。
そんな女性が少なくなったのは、時代の流れ?違います。男達の所為でしょう。

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今日の雨に打たれてそろそろ花びらを落とす。又、来年です。少し来るのが遅れたけれど、花の命は短いけれど、これだけのアップに耐えられれば充分です。お疲れ様でした。

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今週は5日間の仕事です。長い間3〜4日しか働いていないので疲れそう。
それでも働ける時に働いて次のステージに進まなければならない。
次のステージは内緒ですが親父に出来る事は、見知らぬ土地と人との出会いは新たな歴史となる事でしょう。その日の為に今為すべき事をやりましょう。

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日、出づる(いづる)処の天子、日、没する処の天子。

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お弁当を買いに出たら半袖では肌寒い。慌てて薄いジャンバーを羽織る。
このジャンバーは一緒にスイス迄行ったお気に入り。敵(かたき)の様に着られてすっかり汚れても何も開き直る事も無い。これから始まる不順な天気にも付き合って呉れるに違いない。阿吽(あうん)の呼吸とはそんなものだろう。楓(カエデ)の新緑がそんな顔をして親父を冷やかしている。暫くは謹慎?そんな必要は無い。

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謹慎と言えばアンタでしょう。ヤマボウシの立派な成木?が夕日に映えている。
人の想いや期待、思い込み、自己中心の思い込みを遥かに越えて日暮れの時を、迎えている。親父もなんだかんだとつぶやきながらその内、くたばるに違いない。

「その内」「その内」と思っている間に日暮れの時は近い。希望在る限り若くと言われても体力の衰えはイカンともし難い。それでも本当の生きる力は厚かましさかもしれない。それを支える勘違いは意外にも廻りの取り巻きかもしれない。

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桜の季節は終わり季節外れのこの桜も今はひっそりとしている。
違う事と言えばこの躍動?的な幹。何を考えているのか?何も考えては居ない。
強いて言えばこんな桜も在ると言う事でしょう。10月紅葉には少し早い時、小さな花を咲かせます。

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季節外れの暑い気温も少しは下がるかな?

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昨日迄の季節外れの熱気が消える。大阪は今朝から雨模様。まとまった雨にはなりそうも無いが間違いなく、外気は平年並みとなる?。親父の熱き思いも歳を考えると頭を冷やせと言われても、当然だろう。親父だけでなく大地もそう言われている。

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上の写真もこの写真も我が家ではない。(そんな事は百も承知です。)何処かと問われると近くの城跡公園。この写真は余りお見せしていない公園内の草花区画?。
ここに来ると季節の移ろいが分かる。

田舎の一軒家で幼い時過ごした思い出がタイム、スリップして来る。残念な事に近くを流れる杉川が山が近いのに、体育館の温水プールの排水で自然環境が失われ、蛍の乱舞はない。蛍が見たければここから少し奥の能勢から京都北部の亀岡に抜ける道を車で走らなければならない。

その道は大阪に来た当初、親父のドライブコースだった。今はその道を走る術も無い。(車で行きましょう。親父の原風景。今は新緑が歓迎してくれるに違いない。)この道は丹波篠山を抜け宮津の天橋立に繋がる。再びの時は暫くはないのだろう。

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先ほど軒下を濡らしていた雨が止む。これからお昼のお弁当を買いに行きます。
静かな日曜のお昼前。被災地の人達のご苦労と難儀を考えていると、管総理が今月末のフランスのサミットで、この国の今後のエネルギー政策を語るとか言われている。

退陣(あえて言えばクビ)間近のこの国の総理の言葉を、世界の指導者はどんな想いで聞くのだろう?世界の指導者と言ってもその程度の指導力しかないのだろう?これからはどんなに多くの言葉を口にしても、問題は先送りされるだけで当事者にはそれだけの指導力は無い。言うは易し行うは難し。それくらいの事はガキでも分かる。

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暑さが本格化?それはまだ早い。それでも久々の家(うち)ビール。

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暑い一日。それでもクーラーはかけなかった。母さんが残してくれた扇風機で充分。
家でビールを口にする事は殆ど無いが、近くの銭湯でサウナに入りさっぱりしたのでコンビニでそうめんを探す。そうめんは無かったが総菜2品とサラダでご満悦。

今年の長期予想では夏の暑さは昨年程ではないとの事だがどうだろう?
親父の予想は違う気がする。間違いなく暑い。問題はその暑さ対策だろう?
エアコンを馬鹿みたいにかけながら仕事をするか?冷房に効いた部屋で馬鹿みたいに手を叩きながら馬鹿笑いをするか?どちらもお呼びで無い。賢さが問われる。

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寄添ってどれ位になるのですか?
空が見えますが空しく思った事は無いのですか?
明日は(今日になりました。)雨模様。少し涼しくなりますか?

テレビのニュ−スで管総理がにこやかに中国と韓国の代表と被災地の農産物を食っている。この総理は何処迄間抜けなのだろう?被災地の人達はこのニュースをどんな思いで見ているのだろう?本当にやるべき事が分かっているのだろうか?

それでも地球は廻る。これはガリレオの言葉です。ガリレオ、ガリレイは自分の学説を否定され迫害を受けても怯む事は無かったと言われている。この人にはその程度の気概も無いのだろうか?幾らアンタが被災地の風評被害を否定しても、一度失われた信用は取り戻す事は出来ない。あなたの政治生命は歴代の総理で最低です。

サラダとビールの下の雑誌は今、ハマっている落語昭和の名人cdつきマガジン。三遊亭圓生(六代目)の文七元結(ぶんしちもっとい)の解説本です。今は亡き昭和の名人のこの人情話は59分45秒。

長い話を圓生は高座に湯のみを置きながら、所々で喉を湿らせながらしやべっている。落語家として名人と言われる話家は少なく無いが、このcdはお勧めです。何回聴いても感激請け合いです。

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2011年5月21日 (土)

小満芒種(しょうまん、ぼうしゅ)沖縄ではすーまん、ぼーしゅ。梅雨の事。今でもそう呼ぶのかな?

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お社が傾いているがこれは親父のカメラの構えが傾いているから。
左と右の雄雌(おすめす)の銀杏の大木と、その間に挟まれた若葉の色の違いを対比させたかったのだが、そう言われないと青葉、若葉の違いが分からない。

暦を見ると今日が偶々(たまたま)二十四節気の小満。小さな満足かと揶揄(やゆ)するとその通りとアタリの札が下がる。「なんのこっちゃ」とおもいきや今頃の農事暦にも麦秋の頃とも解説されていない。

昔(と言ってもこの国でもほんの半世紀前)、この国の田園風景には大麦、小麦の稲穂が風に揺らめいていた。それを見て農民は麦の実りに感謝していた。今は先月尋ねた山村に行かないとその姿を見る事は出来ない。運良く世の風景を見れたとしても麦の作付けは風前の灯です。狭い国土で消費の少ない麦を作る必要が無い。?

間抜けなこの国の農政は先人の汗と涙の染み込んだ地方の農地を、蔑ろ(ないがしろ)にして農地改良とか基盤整理とか税金のばらまきに専念している。食の安全保障食の大切さが見失われて、生産者の顔が見えない食い物に一喜一憂している消費者もその代償の大きさに気付いていないのだろう。それでも健康管理。太り過ぎは良く無い?それも一理あるがその粗末な食い物に見直しが無ければ、必ず天罰は下る。

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白いバラが満開の時を過ぎ、花びらを落としている。
昨夜この花(意味が違う)、大阪を代表する言葉?なんかそんな大賞があるが、大阪の売りは「あほ」と違いまんのか?アホと言われてなんぼやと自慢げに話しをしていた時も、過去の話となりました。

それでも大阪都構想。大阪府と大阪市の2重行政を無くす。これは現実味を帯びて来たけれど、この話、今イチ良く分からない。大阪市不用論ではなく活性化策をなんで論議しないのだろう。その言葉の裏返しは大阪府不用論に繋がらないのだろうか?

同じ事が国のレベルでも言える。大阪に住んでいると(東日本震災、福島原発被災地以外に住んでいると)人事の様に思える事が被災地の人達がどれだけ、絶望しているかを理解出来ない事と同じだろう。間抜けな政府。何が間抜けなのか当事者が認識しない事だろう。

避難所で避難の生活をしている人が居るのに、国会を閉じる?何たる認識だろう。そんな政治家は辞職しろ。そんな大きな怒りの声がどうして巻き起こらないのだろう/信じられない程この国の人達は他人の災難を思いやる気持ちが無いのだろう。

そんな嘆きの思いを重ねているとそうでも無い現実を知る。そう、それは親父の断片的な情報。別の所ではそんな事を全く無視されて大きな流れが蠢(うごめ)いている。何時迄も変わらないと思われている事が、一つの出来事をきっかけに堰を切った様に濁流が大きく流れ下った現実をこれから眼にするに違いない。私達はその時を昔の貧しい農民達が安堵の思いに浸った様に小満芒種の時に、実感するのだろうか?

それともこれから始まる厳しい現実の中で思い知らされるのだろうか?それは無い様な気がする。何故ならそれだけの心構えとささやかな蓄えをして来たから。昨夜は暑さに目が覚めたがクーラーの登場は意外に近いのかもしれない。その時電力不足の都会ではどんな生き方が求められるのだろう?案づる無かれ。以外にそうはならない。そして、経済見通しもお間抜けな大臣が予測する程、良くはならない。

競馬をやらない人は知らないだろうが、今、競馬の売り上げが凹んでいる。ギャンブルは景気のバロメーターと言われて久しいが、そんな貧相な生活環境とは関係ない多くの勤勉な人にも、そのしわ寄せは人事では無い。景気の見通しは多くの希望的観測も少なく無いが、官僚の経済予測程甘いものは無い事を多くの人は知らない。

この国の経済が失われた10年どころか20年になって、更にこの未曾有の大震災で後10年続くとしたら、発展途上国?と言われて来た中国、インドに間違いなく完全に追い抜かれてしまう。今でもその位置は脅かされて韓国、台湾、マレーシア等の勢いも無視は出来ない。その原因は間違いなく国の経済政策。事なかれ主義では厳しい経済競争に勝ち抜ける道理がある訳も無く、それでも彼らは舌を出して笑っている。

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スイスに続く西の空。(笑い)。さすがの空海も唐の都にしか行って居ない。だからどうなのと言われても言葉は無いが、いろんな所でいろんな人を知る事は、親父の様な好奇心の強い単純な男にはぴったりかもしれない。人は見かけに寄らない。

昨日の悪夢はさすがの親父も言葉が無い。「今に見てろ」そんな下品な言葉を何度も口にしたが、親父の賢い所はその思いをバネに屈辱を乗り越える事?でしょう。今迄何度も土足で踏みつけられた気がするが、一度たりとも負けては居ない。

自分で言うのもおかしいけれど、親父の生き方をこけにした輩は今は生きていない。ざまあ見ろ。(コラコラ)輪廻転生(りんねてんしょう)死んであの世に入った霊魂が何度もこの世に甦ると言われても、死んで見ないと分からんし、死んでしまうとどもならんと親戚の養子に言われた事が在る。

この養子も子供が出来ない時「種無し」とひどい言葉を投げつけられた事が在る。今はどう生きているのだろう? 子供には恵まれたし今は経済的には恵まれているし、言う事無しかもしれない。それでも親父世代、頭を冷やせと言われているだろうか?

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若葉の大手門入り口。大手門を出てこれから帰るだけなのに心が萎えている。

可哀想に。気にするな。その程度の事だろう。カメラが傾いている。

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2011年5月20日 (金)

頭を冷して考えてみよう。それはあなたも同じです。

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バラが泣いている。綺麗なバラも手前の茎にピントが合ってお呼びで無い。
親父もお呼びで無い。頭を冷やして考え方を変える。そうすれば違う歓びがある。
そう考えると無駄な事は何一つ無いとしても、この歳になって学習する事ではない。

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久し振りに城跡公園で見た景色。誰もいない池の淵で5月の風に吹かれている。
しかし、広い庭園の中も無人ではない。いろんな人が居る。無神経な奴も少なくないが、人それどれの生き方と思えばどうと言う事も無い。我が道を行け。ケセラセラ。

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さつき。つつじとの違いは開花の時期と花びらの大きさ。これはさつき。
樫(かし)の大木の下に広がっている。大木の茎と役目を終えた枯れ葉が落ちているけれど、この画像は親父が竹の熊手で掃除している。つつじの様に大きな花びらではないが、しっかりと5月のときを告げている。その息遣いを侮るな。

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近くのお宮の本殿の壁に古代から現在の年表が掲げられている。ブログでは右側が切れるがその分を書き出してみる。上古、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、桃山、江戸、そして現代。この年表を見ているとどれだけの人がどれだけの想いを重ねたのか?その事をこれから少しは考えなければいけない。アンタが?そうです。

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2011年5月19日 (木)

焼きそばの具が白菜を加えて八宝菜になりました。

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久々の快心の傑作。大好きな八宝菜。久々に白菜四分の一カットを一気に喰らう。
海鮮八宝菜。白菜を加えるだけだがその分量は八分の1。倍の量を入れたが問題無し。しかし、袋を見ると2、3人用とある。それを1人でぺろり。食い過ぎです。

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どうだ。でも叱られそう。えび、いか、ほたて、食塩。ソース味に塩けが効いている
それで美味いのかもしれない。ソースにも食塩が入っているが、チキンエキス、野菜エキス、ポークエキスが入っているので専門店の味がする。(ホンマですか?)

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バラの最盛期を知らなかったが、親父が大阪に来て始めて行った遊園地がひらパー。(枚方パーク。と言われても関西人でないと場所が分からない。その場所は最近菊人形展が続けられなくなっている。なんで?意外にもここのバラ園は穴場です。)親父さん、なんで菊人形展が続けられないの?それは実物を見ると分かる。手間ひまとお金が持たない。そんな時代になってしまった。バラの花はそれに勝るとも劣らない。女性も同じだと親父が言うと説得力が無い。(アチャーパア)

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2011年5月18日 (水)

5月の風が吹く バラの様に情熱的に バラの様に気高く

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5月のバラ。情熱のバラ。闘牛士の歌が聞こえる。

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これは先日お見せした今年最高の顔。バラが花の女王と言われる事が良く分かる。

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今年のイベントを済ませて食えないサクランボをオマケにしてリラックスしている。

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今日は夏日。しっかり木陰を作っている。これだけの大木に夏日は無い。
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日向(ひなた)に出した温度計。やらせではないが流石にボケている。暑い1日。
これから「暑い」「暑い」と言わなければならないが、今年の夏はこれ迄とは違う自分との戦いが始まる。これ迄と同じ感覚を神様は許すのだろうか?それはない。

イギリスの物理学者ホーキンスは、この世に天国は無いと明言したがそんな事を分かっている。宇宙誕生は大爆発(ビッグバン)だとしてもその引き金は、何だったのだろうか? その事は解析出来たのだろうか?これは兄貴の領域だな。

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五月の空にこれから開花のスタンバイ。この大きな植え込みの上に大木の若葉が風にそよいでいる。「甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空を、高く泳ぐや鯉のぼり」小学校唱歌。知らんだろう?この植え込みの花も開花の時を窺っている。

親父が熊手で落ち葉を掻いている。秋なら分かるけれど今頃なんで落ち葉なんだろう?分かるかな/分からんだろうな。若葉が古葉を落として命をつなぐ。そんな当たり前の事も知らないで、落ち葉の掃除が大変だから木を切ってくれとそんなひどい言葉を当たり前に口にする人が居る。

親父はそんな事は言わないで黙々と枯れ葉を掻き落として居る。それが普通でしょう。直径が10センチ位なら切れるとでも、思うのだろうか?もうそんな心配もしないで良い大木は、腹を突き出して舌を出して笑っている。

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山茶花の若葉が陽の光を一杯に浴びながら育っている。葉っぱが育って行く姿は人間が成長するのと同じかもしれない。もう子供を育てる時を過ぎた親父が、今、毎日、心を注いでいるのは、もの言わぬ植物になっている。今は茶摘みの時。これは摘んではいけないよ。お袋が新茶とお茶菓子を送って呉れていた京都の下宿を思い出す。

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2011年5月17日 (火)

休みの日の行動パターンが決まって来た。

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今週は久々の4日仕事。(最近は人手が余る。そのうちお役御免?)
15年前に思いがけなく大事な人の看病の為に会社を辞める。別に親父が会社を辞めた処で、どうにかなる訳も無くそれから2ヶ月足らずで永遠の分かれとなる。

あれからの人生は波瀾万丈。今こうして生かされている命が不思議でならない。命の尊さを多くの人は語るけれど、本当の命の重みは地獄に行ってみないと分からない。嘆き、悲しみ、慟哭の言葉にならない嗚咽の先に見えるものは絶望です。

その現実を知らないで多くの人は多くの言葉を語るが、当事者に成らないと分からない事を知らない。先日、ズービンメータ指揮のベルリオーズの「幻想交響曲 作品14」を偶然1000円で手にして、この曲を聞きながらその事を痛感する。

ベルリオーズは19世紀初頭から中期にかけて生きたフランスの偉大な作曲家。しかし、彼は作曲家史上希有な事にピアノ演奏が出来なかったと言う。そして当然の事ながら周囲の仲間達から馬鹿にされる。「ピアノも弾けないでどうして作曲するの?」

当然の言葉だろう。ところが彼はその言葉を逆手に取る。発想の逆転。天才と奇才たる所以だろう。「ピアノと言う楽器に左右されない自由な作曲」ある意味、ベートーベンと共通する考え方。「耳が聞こえなくても作曲は出来る」彼はベートーベンの理解者だったと言われている。

ベルリオーズの新しい作曲技法が開花したのは1830年12月に初演されたこの交響曲といわれている。作曲のきっかけは2年前に見たシェクスピア歌劇の人気女優ハリエット、スミスソンへの激しい恋心と平林直哉氏は1994年、今から20年前に解説している。今から20年前と言えば親父も働き盛りから落ち目の時。

あの頃、この曲を聞いていたらきっと馬鹿にしていただろう。二人は何故か結婚する。しかし、現実は歌劇の様には行かなかった。それどころか夫婦生活は上手く行かず彼女は酒に溺れ命を落とす。愛と呪いの想いが重なるこの幻想曲の副題は皮肉にも「失恋した若い芸術家が自殺を企ててアヘンを飲むが、薬が致死量に達せず、奇怪で幻想的な夢を見る」とある。平林氏の解説。

しかし、この曲聞いて見なはれ。そんな悲劇的な生き様は何も感じられない。それが又、この作曲家の偉大な処かもしれない。ズ−ビン、メーター氏の激情が重なっているのかもしれない。因に師は1936年インド生まれ。すっかりファンになる。親父も彼の様な生き方をしなければならない。

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物音が何もしない公園のベンチに座っていると眠くなる。空気がうまい。良く水と空気はタダとか言われるが、音の無い風景も同じだと思っているのだろう。当たり前の事が当たり前でなくなるとき、どんなに嘆きの言葉を口にしても誰も見向きはしない。今、街中に出てみろ。我が物顔に意気揚々としてみた所でこの景色に、勝てるものは無い。その事が分かれば人の生き方も変わるに違いない。

今夜の夕飯はお袋がこのシーズン、良く作ってくれた豆ご飯。青いサヤエンドウ。お袋が作ってくれた豆は丸々していたが、スーパーで買う豆は何故かシワシワ。それでも冷たいご飯が軽く塩味。値段も量も手頃。親父の頬が緩む。質素な味が贅沢?

ネバネバ冷しそば。焼津産鰹節と利尻昆布で作ったつゆ。とろろ芋、おくら、海藻、なめこ入り。うどんと思って買ったものがそば。そばは食えない(そばアレルギー)と思いながら匂いを嗅ぐ。日本そばではなく中華と思えば良いかと思いながら、つゆをかける。練りが辛子もたっぷり掛けて具材を絡める。美味い。そばが食える。

後は茄子のおひたし。これも田舎の七輪(しりりん)で茄子を焼いたものは食えない(お店で鰹節をかけて食える。)そんなお店、今でもあるんかな?それでも小鉢茄子はそれだけで出汁も悪く無い。最後は30品目の彩り野菜サラダ。

オマケはトースト一枚。(食い過ぎ?)そう食い過ぎです。少しの量を多く取る。それが親父の健康法です。今週末は先週約束したカツカレー食えるかな?折角の出会いも親父の思い込みが厚かましくて桜の終わりと共に終わりそう。それでも次は四国徳島。四国八十八ヵ所空海の心を探る発心の道場が待っています。

「かすんで、重なって、山が故郷」山頭火です。

 

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2011年5月16日 (月)

バラが咲いた。バラが咲いた。用水路のゴミをすくい出す?

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バラが咲いた。バラが咲いた。真っ赤なバラがピンボケ。何故か、オー、シャンゼリーゼ。(行った事も無いくせに)そのうち、ジャンバルジャンに会いに行きますよ。(ホンマですか?飛行機、大丈夫ですか?)それが問題です。

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少し満開の時は過ぎたけれど、それでもホワイト、ローズの気高さは失われていない? このアングルが何ともお気に入り。これが本当の自画自賛です。

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つぼみのバラはどうだ?これもボケ。でもアップで背景がボケてなんかいい感じ。
今夜のBSテレビ。富山の旅。この前の旅で行けなかった黒部アルペンルート。雪の大谷。五箇山。合掌造り。昔、若かった女性二人が旅している。流石にアップに耐えられないが、人の事は言えない。うまそうな料理も音声を消して見ると気にならない。
1日3組限定隠れ宿。親父の泊まった宿と偉い違い。でも食事をアップで撮るのは?

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北海道は今がお花見。大阪は葉桜の中に立派なサクランボが実っていますが、これ以上は大きくならない。昨年口にして吹き出したから今年は撫でるだけ。それで充分です。今年は気の所為か桜の木に精魂が感じられる。老いてくたばる前の活力か?

桜の命。侮るな。これだけの元気があれば来年も又、感動の春を見せて呉れるに違いない。親父、アンタはどうだ?なんか、負けそう。大丈夫かな?今日、用水路の貯まったゴミを掻き揚げたら、動悸がしたもんな。動悸。息切れ。心筋梗塞。まさか?

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親父お気に入りの野沢菜昆布。親父がこれだけ不摂生な生き方をしても、これで元気で生きられるのは親父の親父から母親を通じて受け継いだ体力。それに疲れた時に口にする食い物だろう。親父の体質はお陰様で頑丈。しかし、生活習慣は決して良くは無い。それを補うのはネバネバ食品です。野沢菜とこんぶ。少し辛いのは親父の高血圧にはよくないかも。その時は2ℓのペット生茶を空ける。(喝)

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このパンもお気に入り。4つ切り240円。いつものパン屋でこのパンです。これも親父の元気の原動力かもしれない。人は信念と共に若いと言われたのはサムエルソン。人は食い物で生かされていると親父は思っている。君の食い物に対する執着心は何だ?美味い物に理屈は無いと言われるが、本当の美味い物は健康です。




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2011年5月15日 (日)

爽やかな緑よ あ明るい緑よ 鳥居を包みワラ家を隠し、、、、。

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白いバラ。純白。汚れなき純情な時は短く黄色が混じると花びらを落とす。白い色が似合う人は少ないと言われるのも、この花びらを見ていると良く分かる。人の生き方も考え方も時の移ろいの中で果敢ない。ああ無情の主人公ジャンバルジャンの苦難の道が癒されている。古き良き物と変わりゆく現在。未来の姿が重なるのかな。

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市内を抜けいつもの散歩コースを反対に歩いている。この景色も始めての対面。
思いも寄らぬ所で思いも寄らぬ歓迎を受ける。この家に住んでいる人の優しさがバラの色に反映されている。バラの美しさはさり気なく親父の散策に素知らぬ顔をしていた。ありがとうございます。5月の風は爽やかです。そして今日も元気です。

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いつもは下る道。今日は登っている。左からの夕日を眺めながら足取りは重い。
それでもこの先に階段は多くは無い。メタボな親父でも手を引いてもらわなくても登れる。マダマダ健在。これくらいの歩きでは腹の出っ張りは凹みません。

ラストサムライのテレビ再放送。英語では見れなかったけれど感激しています。サムライの時代はこの映画で語られる程、立派ではないがこの国の人の誇りと人としての生き方は、も少し考え直さなければいけない。

人は何の為に生きるのか?その事を見失うと福島の悲劇の収束は無い。何時迄も権力と利権にしがみついていると明日は無い。ガンバレとか力を合わせてなんか言っていると、悲惨な未来しか無い。この間抜けなサッカーのサポーター達は何を考えているのだろう?

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鯉との対面も久し振り。「親父さん、エサエサ」とリクエストされる。

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「ハイハイハイ」任せなさい。100円の餌を2個大盤振る舞い。太っ腹。
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大好きな色。意外に情熱的かも。なんて名前だったかな?それではコメント無しに行ってみましよう。何を?公園の夕暮れです。

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ダリア?誰や?止めて下さい。下手なダジャレ。誰や?コメント無しでお願いします。

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宵闇迫れば心は果て無し。乱るる心に映るは誰(たが)影?馬粋木?知らない?

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あなたのお名前なんてんの?(何と言うのですか)馬酔木です。成る程?

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美しい。言葉もありません。それでもエビネの花を始めて見ました。

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それではお休みです。又明日。have a nice day /

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2011年5月14日 (土)

モーニングコーヒーの後、いつものお宮でゆったりとした時間

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喫茶店、何故か親父の正直なお客?の感想がマスターに無視される。「若い」
最近何処でも商売人の感覚がおかしい。かく言う、能書きを垂れる親父の個人的感覚と思いきや、同じ様な考えが一部のエコノミスト(中国籍)の人も言っている。

安全第一と言いながら取り返しのつかない原発の事故が起きれば、想定外と平然と言い訳を言う。一民間企業で賠償を賠償出来なくても、その企業体質を変えれない。そんな情けない国になってしまった責任は一体誰にあるのだろうか?

その事が問われる事も無く国の保証が求められる。国の保証?税金投入だろう。国にそんなお金が在る訳が無いのに、政治家は尤もらしい顔をして財源を先延ばしするしか無い。はっきり言えば首になるから?言わなくてもいずれ首だろう。

震災の復興にどれだけのお金が掛かるのか?その資金をどんな形で誰に負担させるかも明確だろう?それなのにがれきの処理も仮設の住宅も遅々として進まず、お間抜けな会議を重ねるだけ。こんな國の形を何時から私達は認めたのだろう?(誰も認めていない?それは違うでしょう。無関心になっただけ。直接関係ないからでしょう。)

最初のボヤキに戻る。モーニングでお気に入りのゆで卵のカラが綺麗にむけない。ゆで卵に一言在りの親父には殻のむけ方にも拘りが在る。殻と身の境の薄皮が綺麗に剥けて殻も少しまとまって割れないといらち(いらつき)が出る。

それを言って首を傾げられる。昨日はトーストのパンの生地がぱらぱら。それだけのセットとでも言いたいのかも。近くのお店で「大阪の悪口を言うなら来るな」と言われてそれっきりのお店も値段は手頃、味も悪く無い。それでも絶対行かない。

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先週来たばかりのこの公園の楓の新緑。よく見ると葉先が赤い。やっと明るい日差しで嬉々としている。電車の中の女学生や水商売の若い、けたたましいお姉さんと違い密やかに輝いている。本当の美しさとは、若さとは新緑を見るのが一番です。

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静かなお昼前の一時、一度やりたいと思っていた木陰で手にして来た本を開く。木製のベンチもそんなに汚れていないが落書きの無いのが良い。信じられないが何処にもアホが落書きをしている。その落書きを手持ちのこがねで消す元気も無い。

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目の前の楠の大木(違うかも)幹が何故か太い。親父のお気に入り。同類、相、憐れむ。イヤイヤ、この逞しさ見て下さい。不撓不屈。この元気さを見ていると折角開いた「空海の風景」のページが止まったままです。

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もう一度空を見上げて目線を本に落とす。空海が何故釈迦の教えに疑問を感じたのか?どうして生きている今世で自己抑制ではなく、自己開放、在りの儘の生き方で悟りが拓けないのか?その疑問を解く為に山に籠る。その山が越後の立山。出羽の羽黒ではなく四国徳島から高知室戸。

空海は精神の解脱ではなく肉体と生命を肯定した密教に直進したと司馬遼太郎は解説する。その事を後の世の高野の弟子達は見誤る。しかし、室戸の洞窟で明星が口の中に飛び込んで来たと言われる超事実を体験しても、インドから中国唐の都に伝えられた仏教同様、密教の真髄(真髄)を見出す為に自ら遣唐使えを志願して唐の都を目出す。当時の遣唐使にそんな鋭利で明確な目的を持って海を渡ろうとした人物はいないと司馬遼太郎氏は伝えている。私達はそんな空海の凄さを知らない。

そんな目的は当時も今も凡人には無い。(だから凡人と生きれば良いのだろう。唯、司馬遼太郎氏の語る物語はドラマです。)この空を見上げていると心の中のもやもやが消えて行く。今年の暑い夏、どんな歩きが出来るのだろう?

それ迄に東北、福島の避難、復興はどれ位進むのだろう?その前に責任を問え。福島第一発電所。燃料棒がメルトダウンしていると言われる。事故発生時にも口にしていたごまかしの責任は問われないのか?これから先、どれだけの代償を払わなければ責任を明確にするのだろう?オバカな報道(原発事故対策の議事録の公表はない。)もそのうち見向きもされなくなるだろう?

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何故か南国ムード。今年の夏は関西でも宮崎の暑さはあるのだろうか?お馬鹿な大学の先生が節電ムードでエアコンをこまめに切るのは良く無いと、コメントしているが肩書きを見るとメジャーでない大学教授。学識経験者、アホ大学の存在が世の中をおかしくしている。

熱中症の心配は炎天下、ダラダラ汗をかきながら仕事をしている人の事で、蒸し暑い室内の話しではない。そんな人の話しではない。確かにエアコンが無い都会の生活は地獄だけれど、エアコンって世に出ない時、江戸、東京人、大阪人はどんな生き方をしていたのだろう?都市の生活環境が大きく変わっている?これからも原発頼りの生活も変わる。大学の教授ならそれくらいの事をマスコミではなく学生に語れ。

そんな偉そうな事を言う親父も小金を貯めて昨年、10年ぶりの最新のエアコンを手にする。昨年はあのお陰で暑い大阪の北端でもスイスのグリンデルワルドだった。暑い暑いと嘆きの言葉を聞く度に、ニンマリとしていた。今年はどうする?

付けっ放しは止めるし、扇風機もマダマダ健在です。母さんの為に買った記念品は今でも優しく親父の体を受け止めています。それでも節電ムードには賛成です。これからは必然的に電気、水道、ガスの使い方の見直しが迫られている。それは目に見える形で現れるだろう。それがこの国の賢さだろう。被災地の困難な生活を考えればそれくらいの事は当然です。生活環境を変えろ。生き方を変えろ。その事が問われている。

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本を読みながらipodで音楽を聴きながら静かな時を過ごしていると、聞いている交響曲の題名が気になる。この指揮はズービンメータ 作曲者はベルリオーズ。親父はこの作曲家を知って行ったが、どんな偉大な足跡を残していたかは知らなかった。

この曲(幻想交響曲 作品14)を手にしたのは指揮者がメータ氏だったから。値段も1000円。1993年今から20年前のデジタル録音。ベルリオーズは1869年に亡くなっているが、意外な事に彼は満足に演奏出来る楽器が無かったと言われている。

ピアノが弾けなくて何で作曲したのだろう?しかしこの幻想曲はお勧めです。彼がベートーベンを敬愛した理由が分かる。この曲は1から5の楽章に別れているが、貫かれている旋律は恋する人の独善的な思い、そして思いが叶ってもそれは自分を満足させる人ではなく、それ故の幻覚と別れ。そして自己否定。間抜けよのう。

厳しい現実を感じさせない旋律。親父には無い天才の間抜け。時として天才は精神障害者でもある。日本の大聖人空海も天才であり奇才でもある。空海が後世に残した真言密教の教えは、現在では高野山と四国の遍路道でしか触れる事が出来ない。それも多くは世俗的と司馬遼太郎氏は言い切っている。

面白いよね。現代人が当たり前に生きて何も不自然に感じない事が、こんな処でも繋がっている。大作曲家と大聖人を比べるな?それはそうかも知れない。しかし、混迷の時を生きるこれからの人は、そうではいけないのかもしれない。

これから夕食です。今夜の献立はヘルシー豚しゃぶです。親父お気に入りの梅酢タクワンをかじりながら、キャベツと豆腐でゴマドレシングをつけたら、肉が食いたくなる。飛騨牛の朴葉焼き。この前の旅で食わなかったな。

飛騨ではなかったからシャアナイか。最近、美味い物にありついていないけど、どやねん。と言われても最近は結構、贅沢しているかも。美味しいもののテレビの番組は音声を消せば馬鹿に出来る。芸能人の食いもん讃歌は見苦しいが何でだろう?

ブタしゃぶは肉が悪くて不味い。幾ら豚が安いと言ってもスーパーごときのペラペラの肉では、親父の舌を満足させてはくれない。料理番組で見る豚しゃぶのお店も産地直結でないと駄目だと言う教訓。先日、見つけた伊丹のポークカツカレーのお店。楽しみです。

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腰を降ろさなかったベンチ。お間抜けが低俗な悪戯を油性ペンで御丁寧に書いている。折角の人の思いを台無しにするけれど、最近何故か公共の場でもオバカが多い。救いが無い事は自分がお馬鹿な事を意識していない。親父もガキ達から同様に見られているのだろう?そんなガキに負けない若い頃のあのふてぶてしさが消えている。年を重ねると言う事はそう言う事ではない。堀内孝雄に歌われる迄も無く「ちぎれた心のボタン」を拾う術は無いのかもしれない。それでも気力、体力、時の運 それだけは忘れるな。木漏れ日の中でベンチが語り掛けていた。

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2011年5月13日 (金)

カレーの美味い?(まだ食っていない)お店を見つけました。

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雨が上がり爽やかな5月の風。hiroのカフェは「金曜日のくーちゃん」になったが、コーヒーとチーズケーキを食って寂しく退散する。でも5月の風の様に心に掛かる重みは無い/もうそんな歳になったのだろう。

空海が悟りを開いた室戸も道は、今年の夏、子供達が幼かった時に車で走った同じ道を、どんな顔をして歩いているのだろう。同行二人。弘法大師の様な悟りは開けなくても歩かなければならない。

トレッキングシューズと白装束、三度笠、鈴の付いた杖をつきながらどれ位歩けるかな?このメタボな体型を変えないと1日幾らも歩けない。これからの目標です。一緒に歩きますか?(無理です)幾ら心に迷いがあったとしてもそこ迄はね。

そうでしょう。それでも親父は歩きます。先日、お友達になった大阪堂島の靴屋の親父は協力してくれるかな?最近、足の疲れが在り足踏みのマッサージに行かないとイカン。(笑い)止めて下さい。

腹這いになって足の裏を踏みつけられるマッサージなんか。(イヤイヤ、気持ちの良さにヨダレが出そう。最近、やってないなあ。)せめて銭湯の広くて深い湯船で相撲のそんきょの姿勢でキョンキョンうさぎ跳びをして下さい。(あれも足の裏、快感)

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カレーのお店は四国愛媛のポークカツが自慢。隣のお店で先日買ったお土産の豆腐ギョウザの味を自分で確認する。豆腐ギョウザは珍しい。正確には皮に豆腐味がたっぷり。肉厚ジューシー。ニンニク味が無いギョウザ。そのギョウザを待ちながら百合の花に心が動く。このお店は暫く休業でした。商売繁盛たのまっせ。

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伊丹は親父が住んでいる街から川向こう。車で行くのも最短距離は無い。南は伊丹空港近くの軍行橋。北は少し上に登らなければならない。伊丹は江戸時代酒蔵の郷として栄えた。今はその面影も少ないが大手酒造会社の酒蔵の跡はここにも残っている。

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白壁が残っている。しかし、昔の壁ではなく今は見向きもされない。それでもカメラは誤摩化せない。このコメントの上のスペースは白壁です。この酒蔵跡は今はワインレストラン。おしゃれなこの街でワインを傾けながらどれだけの人が、日常をエンジョイしているのだろうか? 酒豪でない親父にはさっぱりわからない。

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2011年5月12日 (木)

大阪駅は替わったけれどお前はどうだ?親父は大変身?嘘でしょう?

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大阪駅中央コンコース。この建物はホームの遥か上の建物です。

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横から見た景色。正面の吹き抜けは映画のスクリーンの様です。先週オープン時の熱気は無く、それでもそれなりの賑わいがありました。親父の写真に人の写り込みが少ないのは、タイミングを見ているから。(ホンマですかいな?)ホンマ。信じる者は救われる。

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映画館か劇場かと言われそうですが、これもカメラのトリックです。しかしこの場所で待ち合わせをする事は無いでしょう。待ち合わせをするとしたらこの上のピザのお店かも?どんなお店?画像は無いけれどゆったりとして価格も手頃。お勧めです。

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在りました。(撮っていないと思っていたけれど)ここがホームの最上階。正面のデパートは東京資本。関西の勢いが替わる?大阪梅田のデパートの凌ぎ合いはまだまだ続く。流石にピザ屋さん、若い女性が多い。親父さん、1人では無理でしょう?

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これがホームの一番上から見下ろした画像。通勤客が小さく見える。スイスの空港駅はこんなに綺麗では無かったけれど、外人はこの絵を見て何と言うのかな?余り観光客は居なかったのは東日本と福島原発の所為?それでもこの国は変わる。

お前はどうだ。(私も変わりますよ)タワーズレコード店で買わなかったズービンメータ指揮のベルリオーズ幻想交響曲とドボルザークの交響詩(ドンキホーテ)買ったもんね。靴屋の親父とも仲良しに成れたし。(それは関係ない)

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大阪駅の昔の貨物引き込み梅田駅跡(通称北ヤード)も工事中。ここには先端技術?研究室が入る。親父には意味分からんけれど。こんな一等地で何を研究しまんねん。それこそ家賃は誰が負担しまんねん。税金です。これが本当の無駄です。?

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右がヨドバシカメラ。親父が買った薄型テレビ 今なんぼ?でも満足してま。内容はあかんけれど。今日買った高い方のドンキホーテ、チェロの演奏の価値が分からない。親父のレベルではベルリオーズの方が耳になじむ。でもお友達が出来たし良しとするか(勝手に決めるな)話しを戻すとこの建物は北ヤードのほんの一部分です。

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遠くにツインタワーが見える。あの展望台で感嘆の声を上げたのは今は昔。あれから多くの出来事が在り、そして今が在る。今聞いているドボルザークは生まれ故郷のロシアボヘミヤへの激しいホームシックに掛かっていたと言われる。親父はどうだったかな?ドボルザークと違って何時でも帰れたし。(帰らなかったけれど)

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オイオイ。省エネ関係ない?これが大阪駅北ヤードビルの側面。ここから始まる新時代。それでも意外に賑わいの時は長いのかもしれない。何故ならここは大阪の表玄関だから。親父が始めて見た大阪駅の面影は既に無い。これからこの姿をどれだけ見せて呉れるのだろう。親父が元気に見上げる時は何れくらいだろう?

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この景色は親父が大阪に来た時のままと思いきや、一階の車寄せのスペースにコンビニが鎮座している。これも時代のエポックか。(今迄とはひと味違う)。
今年も早いものでもうすぐ折返点。モタモタするな。先人の知恵に学べ。

親父は「空海」に学ぶ。この人の偉大さは高野山に行くと分かる。弘法大師の教えを私達は余りに知らない。今、テレビを見ながら人の考えを聞きながら、一番感じる事はこの世でどう生きるかです。

空海がこの国の凡人に教えて呉れた事。その事を私達は余りに知らない。も少しその事が分かれば悲しい現実が、大きく変わるに違いない。私達は余りに先人の知恵と情熱を知らない。

四国讃岐から室戸の道は今でも険しいが、空海が辿った時は陸の孤島、誰も足を踏み入れてはいなかったと言う。その室戸の洞窟で空海は悟りを開く。「土佐ノ室生門崎二寂留ス。心二観ズルニ、明星口二入り、虚空蔵光明照シ来ツテ、菩薩ノ威ヲ顕す」司馬遼太郎『空海の風景」より。

同じ様な話しがキリスト教のモーゼの「十戒」にもある。私達は余りに無知です。多くを知れば必ず生き方が変わるに違いない。生き方が変わらなくても人の見方が変わるに違いない。人の見方が変わらなくても自分にはもっと優しくなれるに違いない。

そうして厳しい現実を見据えながら、雄々しく心をふるい立たせながら生きて行かなければならない。その為には何を為すべきか?人を踏みつけながら目を剥くのではなく、理解出来なくてぶつぶつ言いながらでも、己の道を踏みしめなければならない。

生きる事は格闘技です。今、電車の中、仕事場の中、日常の生活の中で心に迷い起きた時、自分を支える物、それは綺麗事ではない。その事はこの雑踏の中で少しの間ぼんやりと人の流れを見ていると良く分かる。人は人らしく生きる術を手にしなければ失望と共に老い朽ちるしかない。

人が人らしく生きる方 それが空海が室戸の洞窟で会得したと言われる悟り。今はその事を知る人は余程の高野山に詳しい人に違いない。それでも司馬遼太郎氏でも理解出来ないと言われた今でも、人は四国の八十八の寺を巡り、弘法大師の遺徳を偲ぶ。

それ程の信心が無くても神様、仏様と人はさり気なく手を合わせる。不幸の存底でも何処か心の奥底に秘められた思いは、無心の境地の中で手を合わせて祈りの言葉を口にしている。「南無大師遍照金剛」「南無阿弥陀仏」「ナンマイダ」その言葉を現代に伝えた先人の知恵を学ばなければならない。

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そう考えてみただけで人の考えは余りに浅はかで、後世の批判には耐えられないだろう。この国が後どのくらい栄えるのか知らないけれど、この大事業?の主を親父は知らない。借金まみれの国にも大阪府、大阪市にそんな金は無い。それでも再開発と言う旗ふりの前に唯、単に「すごい」としか言葉が無い。

正面に大きなビルが見える。これが先に述べたツゥインタワー、最上階に大きな円形の展望台が出来て久しい。どれ位経っただろう。15年以上は間違いない。左に見えるビルが外資系のホテル。昨年秋、君に泊めてもらった高級ホテル。親父の様な貧乏人は仲々泊まれない。このホテルから親父が汗と涙を流していた若い頃の工場跡地が見えて感激した。

この土地がどれ位広いか分からないだろうが、サッカー場建設を大阪市長が提案した。勿論サッカー世界大会招致に失敗して市長は恥をさらしたが、それだけでなく大阪再生の鍵は橋本大阪府知事に握られている。処がこの知事も大阪都構想とかとんちんかんの発想しか出来ない。先人が残した大切な大阪一等地はこんな有り様です。

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梅雨の走りの様な天気 まだ五月の空を噛みしめても居ないのに

4月の終わりから今月の8日迄、今年は長いお休み。それから3日働いて又4日休み。
それでもこれからもっと休みの日が多く成る。親父世代は本当に元気がよいが、其れでも年は争えない。ベートーベンから言われる迄も無いが「もっと心地好い歌」を聞きたい。そんな事を考えながら今、1942年録音の第九を聴いている。

1942年と言えば第2次世界大戦でドイツの敗色が明確に成り始めた頃。その頃、当時の東ドイツで(ベルリン、フィルハーモニー、ホール)で録音されたベートーベンの第九「運命」が聞けるのは何たる皮肉な事か。

合唱つきの歌も当然言葉も意味も分からないが、この人達の多くが数年後のベルリン大空襲とその後の悲惨な生活で今は居ない。この名演奏を聴いた聴衆、指揮者(フルトベェングラー)ベルリンフィルハーモニー楽団、ブルーノ、キッテル合唱団、そしてソプラノ、アルト、テノール、バスの歌手達。

運命と言われるとそれ迄だが人の命は真に果敢ない。其れでもこの歌は敗戦国日本でもクリスマスイブに歌い継がれている。その歴史的根拠は無くても、この歌が私達に問い掛けている作曲家ベートーベンの想いは、今でも多くの希望と心を揺り動かす何かが在るに違いない。そんな演奏の合間に聴衆のざわめきと咳払いが聞こえる。

先日、N響の演奏会でズービン、メータ氏が東日本大震災復興を祈念して、チャリテーコンサートを指揮した。感動の演奏会で、数ヶ月前に手にした薄型デジタル対応のテレビで番組録画は出来たが、行きつけのレコード店では手に出来なかった。

ズービンメータさんは知らなくても、この人の指揮したベートーベン交響曲の仕分けと言って馬鹿にされる。「当店ではそのような仕分けはしておりません」恥をかく。当然、何様のつもりと思うがそれは親父の聞き方が悪かったか、指揮者の知名度がその程度だったのかもしれない。

今日は暇だから別のお店で聞いてみるか?「あさみちゆき」のCGも見てみたいし。
これから1年前に読み終えた「空海の風景」(上)を読み直します。親父の次の旅の目標は四国徳島。空海が悟りを開いたと言われる室戸岬の道筋を学習します。Img_6799

長良川鉄道の終点。今は誰もいないホームも昔は大勢の人が居た。どれ位前にここから人の気配が消えたのだろう?それでもこの路線は未だ現役。国鉄の面影は失われてもこうして生きている。こんな風景は日本各地に見られる。

こうして国鉄再建は出来たと言われているが、日本各地に見られるこのような風景がいずれ見れなく成る。どうして?便利が悪いから?利用者が無くなったから?採算が取れないから?しかし、本当にそれで良いんですかね?

都市と地方の役割を上手に使い分けが出来ないと、この国の未来は悲惨である事に気付かなければならない。無理?そうかも。そのオバカな論理に気付くのは無いと思っていたが、そうでも無い事を今度の大震災と原発安全神話崩壊で思い知らされる。

この国は小さくて狭い。しかしそれはほんの一部の都市での話し。この国の地方と呼ばれる山間、農村、漁村の僻地には恵まれた自然と美味い食べ物、贅沢な居住空間がある。使いこなせない税金(交付税)。私達はも少し賢くても良いんでは。そう思う。ではどうすれば?そう、その事を税金で飯を食っている人達は考えて下さい。

役人天国と言われて久しい。これも昨日ビデオ録画したが行政のトップが電力会社に天下り、税金の無駄遣いと言われる独立行政法人にどれだけ天下りして居るのかも明確でない。この役人の税金無駄使いの実態を明確にしないで財政健全化は無い。

もちょっと賢い生き方をしないとこの国は間違いなく厳しい。

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2011年5月11日 (水)

浜岡原発の稼働停止 国のエネルギー政策見直し?

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きれいに咲いた黄色のバラがピンボケ。皮肉な事に後ろの葉っぱにピントが合っている。大震災の復興がままならぬ。福島原発の安全神話の崩壊に加えて国の電力行政の出鱈目(でたらめ)。その責任が問われている。原子力安全委員会、原子力保安院。この役所の責任者が為した事の責任がこれから問われる。

親父の様に小言、文句が多い親父でも流石に浜岡の原発が稼働停止に、総理の要請でできるとはおもっても見なかった。それ程に福島の原発災害は、今後の国のエネルギー対策に決定的なダメージを与えた。しかし、その事をどれだけの人が認識しているのだろう?この綺麗なバラがその事を問い掛けている。

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深紅のバラが雨に打たれている。日本列島は季節外れの暑さと大雨に翻弄されているが、これからのこの国が抱えている困難はこんな物ではない。その事を暗示しているのだろうか?それにしては指導者の国民の支持率が低過ぎるだろう。

これから、この国の未来図を描ける人は居ない。この国の事はどうでも良いから、せめて自分だけは、より良い生活をと思いながら、人に笑われながら生きている。人の事はどうでも良いが、アメリカでもヨーロッパでも中国でも、これからは自分達の国を、誰がより良く出来るのか?その事を見通せる人は殆ど居ない。

それでは健康で最低限度の生活を営むにはどうしたら良いのだろう?その事を考えながら今年の春は桜を追い続けた。桜は親父の心を慰めて呉れはしたが、何一つ、親父に指し示す事は無く満開の時を音も無く、過ぎ行くのみであった。

桜の樹から何も生気を手に出来なかった訳ではない。多くの無言の伝承を伝えて呉れた。どんなに多くの言葉を重ねてもその言葉に騙されては行けない。人の言葉程、嘘と方便に固められた物は無い。その証拠は打算。(何も出さんのけ)違う。損得。無欲の人に賢さはない?でも本当のそれで良いのだろうか?

この国にキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、を信じる人は少なくても仏教徒は少なく無いと言われる。それでもこの国の仏教には宗派が多い。何でだろう?仏教がインドで生まれ中国からこの国に伝来したのは奈良時代。その時からこの国の人達は何を学んだのだろう?経済大国日本と言われて久しいが宗教大国と言われないのは、無神論者が多いからだろうか?それでもこの国に宗教論争が無いのは何故だろう?

窓の外は雨。ひさしを打つ雨は季節外れの大雨。兵庫県北部には大雨洪水警報。どないなってまんねん。どないもこないもおまへん。これがこれから始まる季節です。5月の連休が終わると例年は新緑の時。今年はどんな色合いを見せるのだろう?

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2011年5月10日 (火)

梅雨の走り?2、3日ぐづついた天気? それもありだな。

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立派なサクランボ。朝方の雨が小止みとなる。水滴が良く切り撮られている。(自画自賛)サクランボはこぶり。一見美味そうだけれど渋い。去年体験。(嫌な体験)。山形の佐藤錦とは品種が違うのだろう?それでも親父の心に一杯の水滴を垂らして呉れています。

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藤の若い弦。明日の雨で更に勢いを増す。昨年の盛夏、切り過ぎを心配したがどっこい、今年も一気に緑の衣を纏う。(まとう)絹の羽衣ではないけど、緑のスカーフ?
藤棚一杯の緑の羽衣は、陽の光を通しながら眩い。(まばゆい)。

この間迄桜見物をしていたと思っていたら、これからは藤の若葉とランデブー(デート)です。今年の夏はどんな夏になるか分からないけれど、間違いなく親父の背中を押して呉れるに違いない。楽しみにして下さい。今年も夏バテしない体力を与えて下さい。(その為にはやる事をやって下さい。了解です。敬礼です。)

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イカめし。暖めるだけで北海道の潮騒が聞こえて来る。このいかめしは北海道森町伝統の味。正真正銘の本場もの。真空パックで暖めるだけです。イカ大好きの親父には応えられない。でも本当の美味さは駅弁の味かも。本場森町の駅で口にするのは何時の日?(それはあなた次第でしょう。)




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2011年5月 9日 (月)

11連休が終わる バラが迎えてくれる バラが燃えている 暑い

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バラが咲いた。バラが咲いた。真っ赤なバラが。オレンジのバラが。ピンクも恥じらいながら。それと同じ位の山茶花の新芽も負けていない。桜も青葉、若葉。これからは一気に季節が変わる。今日は猛暑。明日からは一転して豪雨?

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明日からのまとまった雨にも負けないで頑張れ。
桜餅が食いたく成る。最近、葉っぱが食える桜餅は食っていないが、今年はどうだろう?。ピンク色の少し塩っぱい桜餅は、京都に行かないと手には出来ないかも。

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昨年、親父から太い幹だけ残された藤の枝も、少し見ぬ間にすっかり緑の衣を身に纏っている。(まとっている。)昨年、密集した枝を刈り過ぎて樹が枯れたと心配されたが、これだけの幹が舌を出して笑っていた。今週の雨でもっと小枝が伸びる。

スタインベックんの「怒りの葡萄」読み終わる。久し振りにアメリカの1930年代の農民の貧困を知る。大恐慌の経済破綻、農民の生活破綻、そのアメリカが豊かさを取り戻したのは皮肉にも世界大戦。アメリカの豊かさは自由とか民主主義でも無い。

今、この国の電力事情が問われている。しかし、一部の人を除いてその意識は無い。国の経済発展の在り方が問われて久しいが、どうあるべきかを答えられる人が少ない。正確に言えば誰もが分からない。悲劇の源はそこにあるのだろう。

長い間、親父にも分からなかった人の生き方、人の在り方、人の優しさ。それが分からないまま、尤もらしく多くの言葉を語っても、多くの人は幸せにはならない。それでも人はより良い生活を求めて、生きて行くしか無いのだろう。

その事は哀しい事ではなく、唯、あるがままに生きる。スタインベックはその事を何も教えていないが、人はも少し賢く無ければ行けないのかもしれない。そしても少し他人を思いやる優しさを身に付けなければならないのかもしれない。

レ、ミゼラブルの主人公ジャンバルジャン。そしてこの物語の悲劇。貧しさの先に見える生きる事の本能。それを是とするか否かはそれどれの考えだが、親父の次の目標は四国徳島の「空海の風景」です。

徳島の鳴門大橋を見て室戸の民宿を車で目指したのはロング、ロング、ア、ゴウ。昔々の話しです。今度は1人で「空海」が歩いた道を尋ねます。何時の事やら。まあ、良いでしょう。目標ですから。

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2011年5月 8日 (日)

今年も枯れ木に新しい命が芽吹いています。

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連休は終わりました。それでも明日から3日仕事をしたら4日休みです。
暑ささえ感じた陽気も後、数日するとひんやりと感じるのだろう。
それから本当の5月が始まるのだろう?本当の5月?本当の5月はこの青葉の様だと思うのは親父の勝手な思い込みだろうか?そうかも知れない。そうでないかもしれない。?そうでないとしたらどう生きる?そう問われても枯れ木に花は咲かないのかもしれない。そうだとしたらどうするの?今年はメインイベントも無いし。(笑い)

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それでも今年は永年の思いが半分だったけれど叶ったし。御母衣ダム湖畔の荘川桜(樹齢500年)は今年は開花が遅くまだつぼみ。見れなかったのは何かのシグナル?今年は一気に暑くなる?今年は間違いなく親父も新たなる一歩を踏み出すのかな?パソコンで見るスイス、グリンデルワルドも冬の景色が春から初夏に一気に替わる。早いものであれからもうすぐ1年です。

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美濃太田から722キロ? 72、2でしょう。看板の悪戯?いいえ、よく見てね。



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2011年5月 7日 (土)

風薫る5月? 風は扇風機を廻している? 半袖で汗?

一気に五月晴れを通り越して先島(本州最南端)諸島の空模様。
今年の夏は電力不足が心配されているがこの暑さ、大丈夫かな?
(大丈夫)この国の人達は本当に賢い。そして間抜け。

そんなことを言うと怒られるがこの国の多くの人は本当に賢い。だから政府が間抜け?それは違うかもしれないが普通に考えるなら、今、国民に政府が問う事は自分達の信任でしょう。それが無いから多くの事がなんとか委員会でないと決められない。

そのなんとか委員会の学者先生となんとか組織の代表も又、見識が問われている。
本当にこの国は「強い」のだろうか?その根拠は何だろうか?今こそしっかりと問い直されなければならない。その試金石が東日本の復興、避難所の解消かもしれない。

どうでも良い事ですが(良く無い)被災地の復興にプロ野球、サッカー、その他の選手が多くを語るなら口先だけは止めてもらいたい。せめて支援を口にするなら勝敗を口にせずに唯唯(ただただ)戦いを盛り上げてほしい。被災地の為にと口にされる度にプロの非常識が身に沁みる。(勝負の世界はそれほど甘くは無い。)

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休みも後2日で終わる。今日は土曜日。予定が無いときはこのお店で朝食。(モーニングセット)。そしてコーヒーが来る迄Ipodで音楽を聴きながら、本を読む。本当はぼんやりと外の景色を見ていたいのだが、狭い店内でカップルとオジンオバンがじゃかましい。それでも行くのを止めないのはコーヒーとゆでたまごが美味いから。

この左のエアコン室外機。画面では良く分からないが汚い。目障り。何回か掃除をしなさいと余計なことを言ったが、お店にその感覚が無い。お客が平然とタバコは吸うし、話し声も煩いがお構い無し。時々、10人しか座れない店内に団体(5人以上)が入って来る。このオバカな感覚理解出来ない。それでもお店は繁盛?一時的。

静かな音楽が流れてコーヒーが美味いお店はなかなか難しい。それが実現したとしても繁盛店と成れるかは一概には言えない。この狭いお店では無理だろう。hiroのお店でないと無理だろう。修行中の娘のお店ではどうだろう?(余計なお世話です。)

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お店で一時を過ごした後、チャリでここ迄来るパターンが多い。天気は汗ばむ位。
来る度に(連休は良く来てくれましたなー)青葉が繁る。境内の片隅の公園で男の子がボール蹴りをしている。親父の近く迄ボールを飛ばし怒られる。(オイオイ)

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空の青さは夏の空。(まだまだ、こんなもんやおまへんえ。今年の夏?)

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暑く成り衣替えの準備をしていたら、ズボンが腹回りが危ない。こんなに太ったのと思うと冷や汗も重なる。この楓の樹も親父に体型の違いを見せつけている。親父には無理だな。娘ならどうかな?(止めて下さい。比べるのは)そう、足の長さが異常に長い。親父さんも108の腹回りはシャレにもならない。ゴルフのアベレージなら笑って許せるけれど。最近、足が無くてゴルフも足を洗ったけれどコーチ位は昔取ったなんとかとやらで出来るかな。(ベストスコアー87)自慢は出来ないか。

これから洗濯物を干してひるの弁当買って来ます。ご飯、残っているかな?

ご飯残っていました。それでも最後。ラッキー。日差しはきつい。関西の最高気温25℃を越している。そして蒸し暑い。明日天気が崩れるかと思いきや、予報は違う。

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若葉、青葉が空の青さを凌いでいる。この色が秋には紅に替わる。命くれないとか花くれないとか言われるが一番大事な事は、自分らしく生きる事だろう。誰に愛でられる事も無くこの時期の楓は、冬の寒さを感じさせない。君はこの時期の楓の生命力に負けない生き方をしているだろうか?そんな比較もしないで下さい。でも何時迄も何処迄も感じる気持ちは忘れない。それがシャケにも負けない人の生き方です。

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長良川鉄道終点北濃駅蒸気機関車転車台。旧国鉄越美南線が国鉄民営化で長良川鉄道となる。越美北線はJR西日本で福井から九頭竜湖まで運行されている。越後と美濃を結ぶ地元の悲願が叶う事は無かった。長良川添いの山間部にも春は確実に到来していた。

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何も無い無人駅。しかし、昔はそうではなかった。地元の人の賑わいがあり大切な美濃への交通手段だった。親父の田舎の駅も同じ運命を辿る。しかし、この路線はそれでも地元の足となっている。親父の田舎は特急は停まらず普通は1日数本しか無い。

足にもならない。車社会に取り残されて鉄路の生き残りも危うい。皮肉な事に親父の田舎は東九州小倉と宮崎を結ぶ大動脈の為、普通は寂れても特急が無く成る事は許されない。本当に地方の活性化は車社会。この先、高齢者の足はどうなるのだろう?

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志を果たして何時の日にか帰ろう。山紫水明。日本の田舎は何処も同じです。

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今夜のお食事です。他にゴマつけ麺、しめじ、キノコの油炒め。ご馳走です。

これからの暑さに負けない体力は、弾力性のある肉体でしょう。

親父のトドの様な体型ではとても厳しい暑さは、乗り越えられない。

その為の切り札はトマトとニラの炒め。特にニラの茎は高温の油で一気に仕上げるとシャッキとして、美味さ間違い無し。最近、うまいトマトを中々手に出来ないが、その美味さは医者要らずと言われている。(ホンマですか?ホンマです。)

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2011年5月 6日 (金)

昨日はもう帰途。美濃白鳥から岐阜バス(高速バス)で長良川を見ながら。

本当は今頃白川郷から富山方面に向かっていたかも。
それが行く前の?が予想通りの結果になる。
昨日の今頃、岐阜高速バスでJR岐阜駅を目指していた。
始発の美濃白鳥では疎らな(まだら、ぽつぽつ)の乗客も途中の停留所で、家族に見送られながら乗り込んで来る。(そうか、連休の帰省か。)

岐阜駅には予定の12、30分到着。このまま帰るには早すぎるのでカレー(又ですか?、じゃかましい)を食って岐阜城に足を伸ばす事を考える。観光案内のお姉さんに行き道を聞くとバスで10分位。ロープウエェイ乗り場迄10分。お城迄待ち時間を入れて10分と優しく教えられる。しかし、お気に入りのお店はなかった。

岐阜駅は大きなターミナル駅になってはいたが、不慣れな旅人にはカレーのお店が分からない。仕方なくお城は止めにして帰途に着く。大垣迄は新快速。しかし、大垣駅の待ち合わせが長い。米原行きの各停が何故だか1時間弱の待ち合わせ。

娘の土産を買っていないので改札の外に出て、親父の軽食(野菜サンドピザ風)を買う。娘の土産は岐阜駅で買っていた。(何じゃそれ)。途中下車のお礼を改札入り口で言ってホームで米原からの引き返し電車を待つ。程なく到着。車内で軽食を食う。
大垣駅構内の手造りのパン屋さん。良い仕事です。美味い。具材が少し落ちる。広げていた包装紙の上で勿論捨てはしないで頂く。このお店、お勧めです。

新快速は米原から。岐阜ー大垣−米原間は東海道線のアクセスは良く無い。大阪迄は米原から新快速に乗れるが、この区間も乗客は多い。大阪から大垣に来た時も帰りは乗客が多かったが、急がない旅もフランスとは大違い。(行った事も無いくせに)

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今朝、近くの御宮さんに旅の無事を報告する。旅と言っても短い1泊2日の日程。それでも色んな所が見れて色んな人とのふれあいがあり、予想以上に足腰のへたれを感じました。人に言われる迄もない過食、お腹の出っ張り。トドの様なバイタリティーがあれば文句は無いと思っていたが、その思いも歩いて見ると間違っている事が良く分かる。太っていると本当に歩けない。日々の生活以上に旅に出るとその事が良く分かる。御宮さんも笑っていた。しかし、お宮のおかみさん、落ち葉を機器で吹き飛ばしていた。境内は広くても竹のクマデで掃きなはれ。それだけの手間賃は掛けられないのだろう。

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親父の休みも後3日。高く伸びる銀杏の様に元気で行こう。次の目標は?
君に助けてもらった四国窪川の旅かな?四万十川の流れは長良川とは又、ひと味違う。先日の美濃インターの思いとは違う窪川の眺めは、今の親父なら笑って見れるかもしれない。泊まるとしたら遍路の宿かな。四国八十八ヵ所の巡礼の旅は親父の様な生き方では歩けないに違いない。弘法大師の同行二人の教えも又、誤解されている。

昨日、大阪駅に着いた時、ホームの登りエスカレーターは異常な混雑をしていた。折角の大阪駅の改装で快適な空間が出来ると思いきや、大阪人の好奇心を刺激して新装開店のデパートも大入り満員とか。アホやなあ。お陰で何時もは混雑する下りのエスカレーターは空いていた。関西人の野次馬根性は関西の消費景気を一時的に盛り上げても、長続きは難しい。そん事を経済人はどれだけ理解しているのだろう?

この国の政治は3流、経済は1流と言われて久しい。しかし、都市も地方もそして被災地も多くの誤解がある。予期せぬ出来事、想定外の出来事を余りにも考えていない。目先の事に振り回されながら気が付いてみるとこの国の実態は、脆弱(ぜいじゃく)脆くて弱い。

脆いとは外からの圧力に壊れ易い。地震国日本に安全神話を尤もらしく語り続けたのは他ならぬ、大学の最高学府の学識経験者(学者)と政府のお役人、電力会社の経営者、技術者だった。それでも彼らは恥じる事無く平然とこれからも安全神話を語るのだろう。

ええ加減にしなはれ。大阪駅の新装開店もその熱気が失われた時、どう生き延びるのだろう?案じるなかれ。大勢の群衆のコントロールは大丈夫です。(ホンマかいな)想定外の出来事は起きないと誰が保証するのだろうか?(それはあんさんです。)自分の身は自分で守る。それしかありません。

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この建物がホームの上とは信じられない。毎日多くの人が行き交うホームの上でこれだけの工事が出来たのは、この国の建築、土木技術の高さを証明している。しかし、その技術の最高を集めて完成した建物も、今回の東北大震災には堪えられたのだろうか?関西はいずれ、間違いなく南海大地震を免れない。その時、この建物はどんな抵抗を見せて呉れるのだろう?間違いなく親父達は生きては居ない。

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そんなアホな事を考えていたら今夜、総理が耳を疑う要請を中部電力に行う。

ホンマかいな?ホンマです。総理は中部電力に静岡浜岡の原発の稼働停止を要請。

どれだけの決意か知らないが、そしてどれだけの危機感と指導力を発揮するのだろう?。この国の原発安全神話を改めるとしたらそれは大きな決断と指導力の発揮に違いないが、残念ながらこの国の原発依存の電力事情は総理の決断では変えられない。

裸の大将。山下清画伯ならいざ知らず。正気の決断ではなく口先だけのパホーマンスでない事を期待したいが無理だろう。この国の電力需要は黒部の太陽以降、拡大した電力需要を賄う原発の魔力に取り込まれてしまった。

今回の震災と福島原発の事故はその間違いを問いかけているが、都会で生きる多くの人はその問いに沈黙と薄ら笑いを浮かべるしか無い。どんなにこの国の人達の思いが強くても電力を浪費しない生き方は出来ない。節約と自然エネルギーに頼る政策の転換をこの国の人は出来ない。何故なら人の犠牲を人事としか考えないからである。

寂しい事ですがこれが現実です。その現実を本当に変えれるのは総理でも財界人でも学者先生でも高級官僚、大企業の技術者でもない。現代を生きる一人一人が考えを変えれば大概の事は実現する。その決意が無ければ総理がどんなに尤もらしい事を言っても実現は無い。本当に浜岡の原発は稼働停止が出来るのだろうか?

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2011年5月 5日 (木)

荘川桜は見れず。でもおやじは満足です。

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行って来ました。ひるがの高原。分水嶺。そして佐藤さんにも会って来ました。姿、形は無くなっても夢の実現に賭けた思いは、ひしひしと感じました。時は流れ車社会と成り当時のバス路線は消えても、長良川添いの道にはしっかりとその思いが刻み込まれていました。残念に感じた事は国鉄バスがジェイ、アールになって消えた事。

岐阜駅からのアクセスは岐阜バスでしたが、途中で長良川鉄道に乗り換え。その時もアクセスが悪くウロウロ、汗をかきながら、道を聞きながら歩きました。それでも乗り替えの場所は10年以上前に偶然仕事で来た場所でした。

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岐阜駅前のローターリーはバスの乗り場がいっぱい整備されていました。ここから美濃白鳥行きのバスに乗る。バスの運転手に長良川鉄道の乗り換えを聞くと「美濃インター」で乗り換えを奨められる。この高速バス白鳥終点だが今日は高速が混んでいるから何時に着くか分からないと言われる。「そんなアホな」それで途中で乗り換え。

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間違いなくこの高速道路橋桁の下を左から来て右に曲がる。その先に降りた美濃インター。仕事でボスと来た時その先の食堂で飯を食った。あの仮設モノレールの会社はどうなっているのだろう?あれから多くの年を重ねて再びこの下を歩くとは何たる因縁。

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駅は場所を聞いた人の説明を聞いた親父の勘違いで仲々分からず。暑い日差しの中を汗を拭きながら歩いていると駅。静岡掛川の天竜浜名湖(天浜線)と同じ運命を辿っている。この路線も元は国鉄の路線。国鉄民営化の光と影。地方の足はこんな形で切り捨てられている。国鉄の民営化の影にこれから親父が光をと思ったと処で、どうなる物でもない。ここで東京の青年と一緒になる。大阪出身。ドラマですなあ。

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青年は上り。親父は下り。13、40分に乗る。しかしこれは終点(北濃)迄行かない。白鳥で1時間強の待ち合わせ。途中の郡上八幡でブラブラする事も考えたが、おっくうになり止める。この街も歴史が有る。お盆過ぎの郡上おどりは余りに有名。

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車窓からの長良川清流。終点迄の景色をお見せします。

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終点はこの先駅3つ。歩く事も考えたが歩く事は疲れていたので近くを散策。時間をつぶす。歩かなくて正解。意外に田舎の駅は遠い。親父の故郷程でもないが。親父の故郷は1駅でも遠い。どれ位だろう。高校通学の時、一回寝過ごして一駅先から自転車借りて帰った事が合ったけれど。歩いては帰れない。5キロはあるな。

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この駅のホームの片隅に佐藤さんのメッセージは残されている。

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佐藤さんの荘川桜は幹の上が枯れていたが、今年も美しい花を咲かせていた。美しさを比べるなら隣のピンクだが樹齢が違う。見比べる人も少なかったと思うけれど、命有る限り生き続けて下さい。

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由緒ある造り酒屋さん。今は家業を続けているのだろうか?

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こちらは呉服屋さん。昔は繁盛したのだろうが今はつむぎを着れる人は少なくなっている。それでもこのお店そのものが歴史的重要文化財です。その評価が出来る人は多くは無い。

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ここからひるがの高原の道はバス。この近くの民宿に泊まる。ここから先のバスも地域のコミュニテーバス。(運行は白鳥バス)親父が利用した今日は祭日だったので、通学、病院通院の利用者は居なかったが、平日は大事な足となっているとか。

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ひるがの高原迄の道は結構険しい坂道。昭和30年代のバスでは大変だった事だろう。今は冬期でも完全除雪されているが当時はどうだったのだろう?。この桜の貫禄を見ると言葉は要らない。本当にご苦労様でした。バス路線はこの先荘川の手前で引き返して来る。残念ながら今年も荘川桜との対面は無い。

今年は寒さが長引いてまだつぼみだとか。御母衣ダムから白川郷に抜ける道は車でないと足が無い。(名古屋駅前から直通の花見のバスはある。)来年のお楽しみ。ここから来たバスを30分待って引き返す。でも心残りは無かった。

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遠くに見えるスキー場の上にはまだ雪が残っていた。この方向が登って来た道。この車が向いている方向に進むと荘川桜、御母衣ダム、白川郷、富山となる。この分水嶺公園の水は見事に長良川と荘川の源流となっていた。

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公園の水は意外に豊富。湿地帯となり水芭蕉がちらほらと見受けられる。群生地と迄は行かない。それでも人の力で大事に育てられている。

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佐藤さんが残してくれた「太平洋と日本海を結ぶ桜街道」は立派に生きていました。人の生き方は本当に様々ですが、今の人が忘れている言葉。親父も始めて目にしましたが、今日の豊かな生活は決して苦労せずに手にした物では有りません。

それどころか生きている間は馬鹿にされた生き方も、後世の人がどんな評価をするかも考えなければなりません。東北、福島の悲惨な震災と原発の災害は私達にその事を、教えているに違いありません。毎日、毎日の地道な生き方が後世の人に豊かな生き方出来る道標となるのでしょう。その事が感じられた短い旅。嫌な事もありましたが天気に恵まれて良かったです。でもこれからの旅は民宿は静かと満腹の夕食でないと駄目でしょう。それも今回の教訓です。

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スイス、サンモリッツでも見た2両連結バス。(岐阜駅前、岐阜市内運行バス?)
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今回の旅を祝福してくれた宿の八重桜。「親父さん、よう来てくれました。」

ありがとう。予想以上の珍道中でした。

一番嬉しかった事は国鉄の路線バスは無くなっても、地域の足として整備された道から外れた集落をコミュニテーバスとして御母衣ダムの手前(荘川桜の里)迄、路線バスがあった事です。残念ながらダム湖畔の桜の大木は見れませんでしたが、今回の旅で感じた思いはこれからの親父の力になってくれるでしょう。

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2011年5月 3日 (火)

いよいよ明日。岐阜の桜の街道 佐藤さんに会える

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桜の老木が今年も新しい息吹を若葉の形で心を和ましてくれる。
その老木を感じさせない様に延びていた太い幹を心無い輩が傷付けている。
どんなつもりなのだろう?何の関わりもない心無い行為がこの老木をどれだけ痛めつけているかを、知る心も経済的な余裕も無いのだろう。桜の精の嘆きが聞こえる。

しかし、それ位のナイフの傷もこの老木に何の痛みもかゆみも無い。それに反比例してこの傷をつけた老木への暴力はどんなに歳を重ねても癒される事は無い。それくらいの事が分からないアホが少なく無い。何時迄も消えない木の傷跡を見てアホはどんな顔をするのだろう?親父が案ずる事は無い。桜の精が優しく微笑んでいた。

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大阪は今日は曇天。今にも空が泣き出しそうで、それでも五月の空は心地好い。まだ五月の空を吹き抜ける爽やかな風が無く、昨日から黄砂が気になるがそれが無ければ、本当の意味でゴールデンウイークかも。それでも今、欧州鉄道の旅、フランスの葡萄畑(シャンパーニュ)からランスに到着。ここもシャンパーニュの地方。

ノートルダム大聖堂、なんか歴史が違う。アルザスからロレーヌ。しかし、日本の自然も負けてはいない。知らないだけ。知らされていないだけ。何でBSの番組に韓国ドラマが多いのだろう。(見る人が多いからです。)その番組のコマーシャル。宣伝効
果はあるのだろうか?(有るんです。)それが馬鹿には成らない。?

親父の岐阜。白鳥からひるがの高原、荘川桜の旅。いよいよ明日から。乞うご期待。旅の日程もやっと少しだけ決まりました。しかし、今回の旅はこれだけで終わるかも。そうすれば残りの半分、又楽しみが残るし良いかも?(良く無い)

折角の楽しみが半減。それでもひるがの高原の先。御母衣ダムから白川郷の道は路線バスの利用者がなくなり、地元の人の足は車に成っていました。親父の故郷大分南部の山間部と全く同様です。国道が通っていても走る車は乗用車とトラック、観光バス、県外車だけ。年寄りの足は無くなりタクシーしか乗れなくなっている。

それでも1日目の宿は取れました。郡上八幡から長良川鉄道終点北濃駅近くの宿。2日目はひるがの高原から荘川出会いの森迄。ここからは御母衣ダムに向かって北上しなければ成らないが路線バスはない。

約10キロを歩く事は出来ないし、そこから目的地の白川郷迄の足が無い。ひるがの高原を走る白鳥交通のバス案内で言われた言葉は「今年は荘川桜の満開の時は連休を過ぎてから」。その言葉が駄目押しになるかも。

日本各地の路線バスの現実は真に厳しい。車社会になったとしてもこれからの過疎地で生きる高齢者は足をもぎ取られている。なんとかその人達(親父は違うだろう)に出歩ける道筋を与える事は無理なのだろうか?

皮肉な事に地図で住所を確認すると荘川村は町となり高山市となっていた。いくら何でもそれは無いだろう。親父の田舎も大分県南海部郡直川村が大分県佐伯市直川となる。全国の広域市町村合併は地域で暮らすお年寄りの交通手段を無くしている。

そうしないと過疎の村や町は地方交付金、地域振興のお金を国から貰えないのだろう。国のお金。国の地方交付金。国の地方活性化政策。昔は自治省。今は総務省。中央の役人(高級官僚、エリート達)と政治家が決めた地方の活性化政策は、これが現実である。

その代償は計り知れない事を霞ヶ関のお役人は自己の利益と組織の拡大を優先して、舌を出して笑っている。地方が疲弊すれどダムとか高速道路、補助金だけ出せば関係ないとでも思っているのだろう。私達はもう少し賢く無ければ成らない。

そんな国に輝ける未来は有るのだろうか?親父の親父、その又先の世代が汗水垂らして築いた社会はそんな形ではない。その事がこれから問われるに違いない。その時を見る事無く哀れな姿を晒さない体力と気力、そして神の加護を今度の旅で手に出来るのだろうか?それは神のみど知る事です。

そんな事を考えていたらテロとの戦いでアメリカは「これで平和になると宣言している」何事かと思いきや相手の首謀者を暗殺したからだと言う。ベトナム戦争の時も同じ様な事を言っていなかったか?今読んでいる「怒りの葡萄」と全く同じストーリー。この作戦を「ジョロニモ」とアメリカ先住民の酋長の名前を付けている。

アメリカの為政者の考えはこの程度なのだろうか?ゲリラ、テロとの戦いはそんなもんではないだろう?ベトナムのゲリラ戦に負けた教訓が生かされていない。何時迄この戦いを続けるのだろうか?無益と思いきやそうでも無いのだろうか?その事も歴史が証明するだろう?これでオバマの再選はなくなる。テロとの戦いはバイオレンスではない。その事をこれから痛感するのはアメリカの最前線の兵士だろう。

テロとの戦い。それは貧困と暴力との戦いでもある。一方で貧困を拡大させる政府を支援し、貧困との戦いで他に選択の無い生活の貧しい人達を追い込みながら、他方で圧倒的な軍事力、暴力で自分達の豊かさを守る。

そんな戦いを何時迄続ければテロとの戦いに勝てると言えるのだろう?アメリカがアフガンの敵対勢力を攻撃する拠点が既にアメリカの資金を当てにした政府だとしたら、その責任は誰が取れるのだろう?

ベトナムの教訓と言われてもその過酷な戦いの歴史を知らない世代に、その事をどう伝えるのだろう?アメリカのマスコミも日本同様、その事は学習していないのだろう。テロの首謀者を暗殺してもその犠牲者は罪なき貧しい人に変わり無い。

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今夜の食事です。ちんげん菜(何故か浜松産)と無塩せきベーコン、そして卵(赤穂の源)。久々の親父の元気の源。これをこの器2杯頂きました。飯は夕方大阪梅田の行きつけのお店(インディアンカレー)で1日おきのカレーを食ったので飯はなし。(それはそうでしょう)

では岐阜に行って来ます。毎日欠かさず書いていた拙いブログも一日か二日欠けます。明後日の予定は未だ未定です。岐阜の山間で見る佐藤さんの桜の街道は必ず多くの事を、親父に語りかけてくれるでしょう。寝過ごさない様に。忘れ物をしない様に。大丈夫。財布とカメラを忘れなければ。(常備薬もね)

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2011年5月 2日 (月)

岐阜ひるがの高原、荘川桜の旅 なかなか腰が上がらない

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大阪は快晴と言いたい所ですが薄曇り。黄砂が飛んでいます。それでも近くのつつじは今を盛りと花びらを広げています。これほどの美しさもどれだけの人が目に留めてくれるのかな?そんな事は関係ないと5月の風にそよいでいる。気持ち良さそう。

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この前紹介したお宮の参詣道。遠州一宮小国神社のうっそうとした杉木立には勝てないが、参詣の人がまばらな若葉の道も心を和ましてくれる。若葉に見とれていると左の公園に若いママと小さな女の子がわんちゃんと遊びに来る。お昼前の一時。時が止まっている。

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銀杏の大木も若葉を身にまといながら高らかに、誇らしげに五月の風にそよいでいる。音も無く葉先の柔らかい羽毛のような物を落としながら。銀杏の葉っぱの先の産毛の様な物。なんて言う名前だろう。地面にうっすらと堆積している。

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何と言う桜の生命力だろう。枯れ掛けた幹の先に太い枝葉を伸ばして、今年も青葉を咲かせている。今年の春も一杯の花を咲かせて、来年の開花を約束させている。何時、枯れ果ててもおかしく無いこの幹に、それだけの生命力が残されているのだろう?恐れ入ります。後、数日で見れる岐阜ひるがのの桜も負けないのだろうか?

旅の日程は1日ずれます。明日の宿は何処も満杯。都会のホテルは分からないが岐阜の山里では、それも有りかもしれない。無理に探すのもしんどいので一泊目は4日とする。(と言う事は明日も居るの?)いい加減に腰を上げなさい。と言われても泊まる処が無ければ。何処でも良いから?そうは行かない。親父の拘り(こだわり)かも。

5月4日に岐阜長良川鉄道終点近くの民宿に泊まり、次の日、ひるがの高原の長良川分水嶺公園でぼんやりとしてから、荘川桜を見に行く。処がバスのアクセスが無く最寄りの停留所からタクシーしかない。行けるかな。行けなければ引き返すか、高山に出るしかない。荘川桜は又の機会に成るのかな?開花も少し先に成りそう。どうしょう? まだ決めていない。明日、もう1日考えて見るか?(エー?)

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2011年5月 1日 (日)

吉野の山桜 岐阜の山桜は散ったかな?

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これは吉野の山桜。今年2番目に見た吉野山。意外に寂しい景色だったが山桜の美しさは充分に感じさせて呉れた。吉野山侮るな。そう言われていた。
昨夜は遅く迄、予約の宿を探していた。岐阜の白鳥、ひるがの高原、荘川桜。白川郷の道はマイカーでないと、今は仲々旧街道の道を辿るのは難しい。

それでもこの歳になってハンドルを握らなくなって久しい。誰か運転手お願いしますと勝手な事を言いながら今日は本屋に出掛ける。その気になれば運転位出来るだろうと思いながらも、県別マップで目的地の道を眺めながら諦める。情けない。

あんなに自分の運転テクニックを自負していた頃が懐かしく、恨めしく、そしてそれが自然の成り行きと自分に言い聞かせている。どんなに交通手段に不自由しても今更ハンドルを握れない。これからの年寄りは自分の運転技術と生活手段を考えながら、生きて行くしか無いのだろう。

その事が分からないと自分だけでなく、人に危害を加える事を忘れてはならない。車が足代わりの人はどうするのと問われても、それでは事故の対応はどう出来るのとしか言えない。都会は車が無くても何の不自由もない。

それが岐阜と富山の国境ではそうではない事を思い知る。親父の故郷でもそうだが地方のバス路線に昔の面影は無い。それを何と思ったとしても時代の流れに、逆らう事は出来ない。「太平洋と日本海にを結ぶ桜街道」に情熱を燃やした佐藤さんは、今、この現実をどう思っているのだろう。

その事も見てみたい。吉野の入り口で見た親父19の時の思いが、すっかり変わり果てていたとしても、微笑みを浮かべて踵(きびす)を返す(引き返す)しか無かった様に。何処迄?気持ちの整理が出来る迄。それでも満開の時が過ぎた荘川桜は、何も言わず何も語らず変わり者の親父を眺めているに違いない。

県別マップル21道路地図は2500円 チョと高いと思いながら手を引っ込めるが30000分の1と60000万分の1に、縮尺された道路地図に引かれて手にする。この地図を見ていると何故かまだ見ぬ道が見えて嬉しくなる。

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今夜の食事、昨日の反省で白身の魚(生タラ皮なし)を使ったぶなしめじと大分の万能ネギの炒め物。味付けは塩こしょうのみ。1人では量が多過ぎる。それでも完食。

旅の宿は未だ決まらず。それでも段々岐阜白鳥、ひるがの高原、荘川桜は近づいて来る。明日、キャンセル待ちで予約出来なければ別を探す。別が無ければある所にする。何処か探せばあるでしょう。今回の旅の目的は観光ではない。その程度の事です。大丈夫かな?大丈夫。何とかなるでしょう。

旅の2日目はひるがの高原で長良川の源流域?が見れるかも。それ程に厳しい昔の街道も今は高速道路が走り、谷と山を橋とトンネルで抜ける。鹿児島指宿から熊本、大分、関門海峡、呉、江田島、大阪と走破したあの高速道路が、この岐阜の山間部を突き抜けている。荘川桜街道、御母衣ダム、白川郷の白川街道はバス路線は今も健在なのだろうか?無理かもしれない。その時はどうします?その時は引き返すしか無い。

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