まだまだ満開の桜 岐阜淡墨桜はまだ早く今週末?
近くのしだれ桜。意外にまだ満開ではない。どれ位の開花状況だろう?桜の本当の美しさはこれくらいかもしれないが、この国のこんな美しさが被災地では見れない。今日はお休み。岐阜の西側、大垣の北、樽水鉄道終点近くの淡墨桜を見に行く予定が、急に下の右一番奥歯が知覚過敏となり、掛り付けの歯医者で治療。取りやめ。
しかし、パソコンで調べてみると上の写真位の開花状況。桜にも色んな美しさがあるが淡墨桜の美しさは満開を過ぎて散り際と言われているから、今週末の変更で正解かもしれない。散り行く桜が淡い白さから淡い墨色に変わる時、見果てぬ夢をどれだけ叶えて呉れるのだろう。
これも街中の桜。ほぼ満開。今年はこれほどに多くの桜が見れるのは、吉兆の兆し?それも無くは無いが親父の意識がそうさせているのだろう?
(親父さん、本当に花や樹、自然の営みに関心が深くなりましたが、何でですか?)
他に関心が無くなったからだろうか/それも違う。思い込みが強いとその反動もあり? あるでしょう。でもそれが歳を重ねると言う事です。そんな生き方が出来る?
後ろの建物が折角の満開の桜を邪魔しているが、人の世も同じかもしれない。
福島の原発避難地域の拡大?何たる無様だろう?不自由な避難生活の改善も出来ない政府に私達の出来る事は何だろう?今、その事が問われている。
今年はこれだけの桜が見れたのは本当に嬉しい。桜の生命力は親父に多くの言葉を語りかけている。まだまだこれはその始まりに過ぎないのかもしれない。今年の春は親父にとって大きな変化の時と思われていたが、何かを手にする前に大きな災害を目の当たりにして今は愕然としている。
それでも桜の精が教えて呉れた言葉を親父は忘れない。民主大敗?間抜けな幹事長に反省の言葉も無い。復興支援に全力を尽くすと言われても貴方達に突きつけられたレッドカードの重さを認識しなければ、更に重い国民の審判を受けるに違いない。
親父が多くを語る前にこれから花開くこのしだれ桜が全てを語っている。
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