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2011年4月16日 (土)

地殻変動が起きている。親父も人事では無い。勿論貴方も?

Img_6454 親父さん、何ですか?この指。
「缶蹴りする人、この指とまれ。」

違うでしょう?親父の右指。
昨日行った淡墨桜の里を指し示しているのではない。
爪のネイルではない。汚い爪。

そう完全に親父の爪。瑞々しさは無くてもこんなに無様な厚さになんか不安です。体の中に何か予期せぬ物が生き付いているのだろうか?

そう体の中から何かが不気味に、これからの生き様を教えている。爪は体の状態のバロメーターです。

Img_6460_2 大分前に君から言われて興味を持った。

「変化を積極的に受け入れる」と考えて生きた人と唯々、試練と思い耐えた生き方の差は大きい事を痛感する。

今、この国は多くの試練と困難の中にある。

これ迄も何度と無く言われた言葉をこれほどに痛感する時は、これから先余り無いかもしれない。

突然の天変地異は人事では無い。その変化の兆しを感じ取れなければ、年老いて何に希望を見出すのだろう。

Img_6463_2 東日本大震災の後、読み始めた本。

正確に言えば手にしたのは最近だから、まだ仲々読み進んでいないが、それは言い訳。文字が小さくて読み難いのが本音かも。

しかし、何時の世も何処の国でも貧しい人の生き方は容易でない。貧しさの戦いは天災との戦いだけでなくある意味人災も小さくは無い。

国の舵取り、困難からの立て直しは口で言う程、容易ではない。人の生き方も他人事でないと思わなければ何時(いつ)何時(なんどき)当事者に成るやも知れない。

Img_6464 今夜のメーンディシュ?これで? 自分で買い物をして居ない時、こんなおかずを出されたら、どうだったろう。

あの時の生き方が今の生き方を反映している。そろそろ時効成立と思っているが、考えが甘い。その代償は一生掛かっても償えない。その事を思い知りながらカマスの開きを噛みしめる。味は淡白。可も不可もない。

Img_6465 親父のお気に入りのあげ。

焼き方が強くて水けが飛んで折角のお揚げが台無し。焦げているのは醤油を垂らしたから。揚げの美味さは何と言ってもきつねうどん。最近は関西人でも「けつね」とは言わない。

親父が独身の頃、京都で口にした「おあげさん」今でも健在です。

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それでは気分を変えて先日歩いて来た大阪城前の広場です。

大阪は本当に暑くなりました。これから5月の爽やかな風に吹かれる間もなく、汗をかきながら何を手にするのでしょうか?それでも人は生きて何かを探しながら歌い、哀しみ、怒りの思いを重ねるのでしょう。人は希望と共に若く失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)まさにその通り。秀吉もその事が分かっていたのだろうか?

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最寄りの駅に続く道。多くの人は見向きもしない花壇。足を止めカメラを構えるのは親父ぐらいの者。しかし、この花壇はお金を掛けて整備されている事を、知る人も少ない。環境整備、花に囲まれた生活、花のある街は偶然の産物ではない。

今、BSフジでオーストリアのワイナリーの旅を紹介している。スイスの旅も良かったけれどオーストリアの旅も有りかもしれない。ビジネスクラスで行くオーストリアの旅。どれくらい掛かるのだろう?機内食に唖然とする。偉い違いとつぶやいている。

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