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2011年4月23日 (土)

今年の桜見物 連休の時迄続くのかな。

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奈良吉野の満開の桜は一気に山肌を駆け上り、今日は生憎のまとまった雨にコンクリートの石畳の狭い道を歩く人影は多くは無いだろう。しかも寒い。軽い山歩きの服装では不快に違いない。蒸れない軽い着心地の良いジャンパーとパンツ、歩き易い登山靴が無ければこの整備された道も歩けない。それでもこの道は車で走れる。

この八重桜は吉野の山桜とは違って桜見物の人の眼を奪う。それでもこの桜は個人の庭から山道に迫り出している。見るだけなら良いが無粋な輩は人の敷地に足を踏み入れるのかもしれない。「ここは立ち入りお断り」の小さい看板が出ていた。

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霞草?大阪岡崎橋交差点料理屋さんの入り口。何時も横目で見ながら暖簾をくぐった事は無い。1人で入るのも心地が悪いが本当の理由は、親父が酒飲みでないからだろう。些細な処にお店の経営者の思いがさり気なく出ている。

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雨に打たれて散ってしまったお地蔵さん前のソメイヨシノ。垂れ下がった細い小枝が「人」を現している。親父の生き方で一番欠けた優しさ。その事を物悲しく、しかし、力強く現している。

「何の為に」「何の為に」と馬鹿な自問自答を繰り返している内に徒労の歳月を重ねた罪と罰が問われている。貴方から言われる迄もなく人らしい生き方は容易ではない。厳しさと優しさではなく無二の信頼感かもしれない。

「信じる」事は理屈ではない。信じる者は救われるとも言われるが、どうだろう?
猿でも反省が出来ると言われるがそれは間違い。猿は学習は出来ても反省は出来ない。いわんや人間に反省が出来るとは思い上がりも甚だしい。馬鹿は死なないと直らない。反省しても性根(しょうね)は誰も変えられないのかもしれない。

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「儲かった日も代書屋さんの同じ顔」大好きだった桂 枝雀さんの落語を聞いていると何だが今年の桜を思い出す。今の芸ノウ人、落語家、しゃべくり司会者?とは大違い。これだけの人を笑わせてくれた人が心の病で命を落とす。

今年の桜の美しさを枝雀さんは何処の空で見ているのだろう? 代書屋さんと言われも分からない人もこの人の落語のおかしさは、きっと分かるに違いない。関西の芸人これだけの人は暫く出て来ないと思うと、その代償は計り知れない。

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城跡公園の紅しだれ桜。毎年この公園の桜を見ているが気付かなかったのは何故だろう?心に余裕が無かったのだろうか?それも違う気がする。ただ何となく心に響かなかったのかもしれない。それも違い気がするのは何故だか分からない。

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この夫婦桜も昨年迄気に留めなかった。今年見た桜の中で指は折れる。それでも一番は仕事場横の八重桜。牡丹の様に息の詰まる思いをさせてくれたのは、何とも表現の言葉が無い。これからの生き方はこれで決まりかも。それでは枯れる寸前?イヤイヤ未だ親父は健在です。今年の連休は岐阜と富山の国境でどんな桜が見れるだろう。

今日は久し振りのまとまった雨。テレビを見ながら横になっていると夕方になる。何時迄もぐずぐずしている訳にも行かず腰をあげる。朝、モーニングを食った行きつけのお店で夕食。(シーフード、ピラフ)本屋に立ち寄り桂、枝雀さんのcd付マガジンを買う。「夏の医者」「天神山」の演目に暫し時を忘れる。平成11年 心不全で亡くなった事が惜しまれる。今年、多くの桜が見れたのはその遺徳かもしれない。

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