縁は異な物味な物?合縁奇縁?アメリカにも同様な諺(ことわざ)?
人と人の心は通じ合う事を親父は度々、誤解する。そしてその間違いに気付かされた時、一気に不信感が増す。これ迄そんな思いをどれだけ繰り返した事だろう。それでも世の中には信じられない確率で運命の出会いをする人も少なく無い。
アメリカの諺に二人の結びつきは神様(marriages made in heaven)とか言われ、日本には古来から「阿吽の呼吸」とか言われても永年連れ添えば、全てが嫌いになる事も少なく無い。本当の絆とは無言の抱き合いである事を忘れて久しい。
最近、結婚のスピーチをする事も無いが、今盛んにテレビから流されるコマーシャル、「頑張ろう、東日本」「頑張ろう、日本」これほど不快な言葉は無い。誰が誰に呼び掛けているのだろう?絶望の言葉しか手にしていない人に、「がんばれ」と言う程過酷な言葉は無い。その言葉を平然と口にする感覚、何様だと思っているのだろう?
激励の言葉は要らない。仮設の最悪の日常から1日でも早く、元の生活に戻れない人達に何をどう頑張れと言えるのだろう?何とかしますからそれ迄不自由な生活をおかけします。申し訳ありません。それくらいの言葉が掛けられない無いのだろうか?
今の政治家にそんな期待を掛けるのが間違い。今迄の生き方の中で最低の政治の在り方を見せつけられても、被災地復興の為にあれもやります。これもやります。その間、あなた方は被災者の付託にどう答えるのだろう?そんな事を考えながら1930年代のアメリカの悲惨な農民のルポタージュ作品「怒りの葡萄」を読んでいる。
大阪梅田阪急電車乗り場に上がるエスカレータの壁に、何枚も貼られていたポスターも次のポスターに替わっている。そう、つぶやきだけでないハル。そのハルが行き夏が来る。沸き上がる入道雲の下で紺碧の空とエメラルド、グリーンの海を見ながらニンマリ出来る景色は手に出来るのだろうか?それも貴方の心掛け次第でしょう?
そうかな?そうだとしたら腹の出っ張りを気にせずに、トドの様な軽い身のこなしを身につけれるかだろう。無理だろう?無理か。無理と言う前に雄叫びをあげろ。久しく年甲斐も無い生き方をしていたけれど、そろそろ化けの皮を剥がして年相応の生き方が求められている。それも無理かも。これからの同世代に求められている事は「逞しく生きる」それしかない。頭は禿げたとしても禿鷹(はげたか)の嗅覚(きゅうかく)を忘れてはならない。
あさみちゆきさん、今日は親父の故郷九州大分佐伯でお仕事です。親父がおっかあと新婚旅行に出掛けた街はすっかり寂れてしまいましたが、久留米からの旅は九大線で大分迄、それから南に1時間。戦前の軍港。今は主たる産業が無い。それでも豊かな魚と食い物の美味い街です。豊かさとは何かを問い直されています。美味しいもの食べて下さいね。
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