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2011年4月 1日 (金)

これから始まるあらたな試練、親父も人事では無い4月1日。

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4月1日。今年は大きな災害に直面して今尚、不自由な生活を強いられている被災地の事を思いながらしっかりと大地を踏みしめなければいけない。多くの人が多くの言葉を口にするけれど大事な事は、自分の生き方を変える事です。

誰もが願う幸せは思いやりの心が土台です。人を思いやり人を大切にする、親父に一番欠けている生き方がをこれから問われています。親父が大好きに思っていた多くの人は亡くなりましたが、これからは親父達がそれを伝えなければなりません。生きる証はその事が大きい事を、今改めて痛感しています。看板、約束通り綺麗に撮れましたよ。忙しくても笑顔を絶やさないでね。

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昨年12月の初め。伊丹ホール「あさみちゆきコンサート」開演前に食事の後、この看板に連れられて引き込まれる。それでもこの時は出会いは無かった。コーヒーを美味いと感じただけだった。優しさに出会ったのは今年になって再び出掛けた時だった。

ケーキとコーヒーの写真を撮ろうとした時、最初は断られた。それで怯む親父ではない。そんな時出合った。今でもあの時の優しさは忘れていない。(実際は違うかもしれないが。)コラコラ。それでも良い。

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JR伊丹駅近くの有岡城跡の紅梅。ひっそりとそれでも凛として花を広げていた。
この城跡は織田信長に攻め落とされその後、廃城となる。多くの人の思いが果敢なくも露と消えてもこの梅がその想いを今に伝えている。人の想いは様々でもこの空の色は今でも変わらない。多くの人に見向きもされなくてもその事を伝えている。

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この城跡は東側を国鉄福知山線(現代のJR東西線)に分割され往時の面影は無い。

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今夜のおかずの一皿。伊丹の勝っちゃん食堂で焼き肉定食を食っていたのでおかずだけ。ほうれん草のおひたし。ぶつ切りせず手抜き。網走で作ったつぶ貝はつぶやきでなく袋のまま湯煎。味付けがされていてほうれん草には醤油を垂らしただけでOKでした。

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オーオーオー。山口萩の瀬つきアジ2枚と細切れ野菜の炒め。見栄えは悪く写真もピンボケ。でも味はアジもカット野菜も塩こしょうだけで上等。骨が邪魔になるが別にして熱湯を掛けると目玉迄美味い。魚嫌いだった親父が言うのだから間違いない。魚は臭みがなければ残す処は少ない。でも料理と言うには程遠い。ごちそうさまでした。

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