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2011年4月 9日 (土)

親父の相棒は今年もなんとか元気でした。来年は大丈夫?

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イヤー咲きましたね。今年は一段としんどい状況。近くのブランコと木造の遊戯台で父親の声がデカイ。親父の気持ちを代弁して開花の時を見に来た親父が、ぶつぶつ言いながら眼を飛ばしている。親父達が生きる時は意外にしぶといのかもしれない。

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親父達が生きた時代。そしてこれから生きる時代。君は多くの事を教えて呉れた。これからの親父世代の事を語る人は少なく無いが、本当は若い世代の生き方が問われている事を知る人は少ない。親父世代のアホな生き方も少なく無いが、これからの生き方は非常に厳しい事を教えて呉れている。

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逆光でよく見えないがこれが枯れた幹の左に伸びている太い幹。そこから更に枝先が伸びこれだけの花びらを広げている。しかし心無しかその勢いが弱い。親父も気持は若くても、肉体に衰えが見えるのは必然だろう。太極拳頑張りなはれ。

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空は夕暮れを感じさせない。横に伸びている緑の桜花は瑞々しい。樹が若いと言う事は世代交代を痛感させる。しかし若いだけではこれだけの感覚は無い。この後、桜祭りに解放されたグランドで浅ましい姿を眼にする。花見の酒は許せるが馬鹿者の歓声はこの時期、自粛と言われても当然だろう。人の慟哭の思いが分からなければ地獄に堕ちる。その道理が分からない若さに批判の声が出ても当然だろう。

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その浅ましい姿を近くの桜はしっかりと観ていた。桜の妖精は美しさと鮮やかさの中に魔性の力を秘めている事を知らないで、「一気、一気」と叫んでいる。急性アルコール中毒はシャレにもならない。この桜の生命力を感じ取れる感性はない。

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この樹も老木です。意外に元気に見えるのは日当りが良いからだろうか?生きる力はある意味、偶然と必然性の重なりかもしれない。生きたくても生きられなかった人、もっと生きて多くの事を為してほしかった人が、どれだけ亡くなっているか、それくらいの事を考える生き方が求められている。

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少しピンボケ。親父のつぶやきがうっとおしいと言われている。

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それではこれでどうだ。親父の思いが爆発している。オーバーです。このアングルは最初にお見せした親父の相棒の近くの景色です。何々?まだまだ?それではこれでどうだ。

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この樹も老木。老いたりと言えどもマダマダ健在。しかしこれだけの花を咲かせても桜の生命力には限りが在る。人の命はもっと残酷で果敢ない事を酒飲みは知らない。この樹のデカさをご覧あれ。それでも来年開花の保証は何処にも無い。

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この地は街中のハズレ。少し山麓から下りて来ただけでこれだけ違う。この樹は満開の時を越していた。花吹雪一歩前。親父の仕事場の前の桜は親父が今度出社の12日迄待ってて呉れるだろうか?これだけ暖かいと心配になる。

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