桜が咲きました。桜の精が見守っていました。
何と美しい開花の時でしょう。親父の昨年来の友は親父の顔を待っててくれました。
数日前から一気に暖かくなり、休みの間に満開になったらどうしょうと気になっていたが、大丈夫だった。これでまだ5〜6分咲き。後2日楽しみです。
本当に頬ずりしたくなる美しさです。この花がこの枯れ樹寸前の花とは思えない。
顔を付け鼻で匂いを嗅ぐと、何とも言えない香りがする。最近幼子の香りを嗅ぐ事も少ないが嬉しさが込み上げてくる。これほどの花見を親父が独り占めで良いのだろうか?(良いのです。その為に咲きました。)有り難く見させて頂きます。
親父のカメラが匂いを嗅いでいる。ピントが奥に合っていると言われても気にしない。これだけ撓わ(たわわ)のつぼみが花開くと、圧巻の景色を見せてくれるのだろう。それでもこれはカメラのトリックです。実際はこの感じ程、密集していない。
これが実景。(親父さん、ばらさないで下さい。)大丈夫。親父しか見ていない。
これだけの姿を見せてくれたら、言葉はありません。このアングルで満開の時、親父には言葉が無いだろう。今週末岐阜大垣の淡墨桜との初対面に負けないかも。マダマダ健在。恐れ入りました。最後の力を振り絞ったのでは無い事を祈る。
なんか君の叫びが聞こえる。本当に感激です。大きな幹は枯れてもその上に太い枝が伸びている。それから伸びた細い枝からつぼみが膨らんでいる。これがホンマの生命力。親父に見せつけている。ありがとう。本当にありがとう。ビューティフルです。
枝先が枯れても下から桜の雪洞(ぼんぼり)が突き上げて開花している。こんな桜花見た事が無い。空は青く枯れ枝は痛々しいがそれをも越える。親父さん、生きるとはこう言う事ですと教えられている。立ち上がれジョー。立ち上がれくーちゃん。
地面から低い位置からこれだけのつぼみが沸き上がるのは、桜の末期が近い。
信じられない事だけど樹が養分を吸い上げる力が、弱くなっている。だからどうしたと言われているが、この密集した姿を親父は忘れない。そしてまだまだガンバレ。
五月山山麓の親父は今年も元気だったが、君と同様、来年は分からない。
それでも今年も元気な姿を見せてくれた。親父も大分くたびれたがまだまだです。
長い長いトンネルの先に見えた明るさは、砂漠で見る蜃気楼かもしれないがそれでも希望の思いを絶やさなければ、歓喜の春は目前かもしれない。
無理だな。それでも夢を見る事を諦めるなと教えられている。苦しくても悲しくても君が教えてくれた今年の春を親父は忘れない。東日本の大震災の慟哭の春は当事者で無ければ分からないが、それでも春は行き夏が来て秋が来る。桜を見た吊り橋を渡りながらサングラスの奥で光っていた涙は、遠い彼方に過ぎ去って長い々冬が来る。
それでも春は巡る。最近は予期せぬ事が少なく無いけれど、生きて行く事はそんな事かもしれない。それにしても無我夢中で生きていた時が走馬灯の様に巡る。良く生きたと言われる様にもうひと踏ん張りして下さい。桜の精に囁か(ささやか)れている。ありがとうございます。美しい姿と香りをもう少し楽しませて下さい。
何故か最後は身代わり大師。これは未公開の紀三井寺の大師です。
大師のお力を借りて被災地の1日も早い平安と回復を祈念しています。
親父も桜もそしてこのブログを見てくれた貴方も春が来る事を祈念します。
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