花壇の先に多くの市議会議員候補者の看板が見える
春です春。4月も20日過ぎだと言うのに今年の陽気はどうしたものだろう?
きっとお天道様も遠慮をしながら(自粛とは違う)これ以上は待ち切れないと、見切り発車をしたのだろう。昨日迄の寒さはこれで区切りをつけてこれからは一気に暑く成る。その前にもう一度連休の冷え込みがあるかも。それでも無情に季節は巡る。
最近はテレビを付ければ旅番組しかみない。あれほどのプロ野球の思い入れもすっかり冷めている。近くの阪神競馬場で馬券も少ししか買わず(買えず)唯、ひたすらに馬を見て頭と体の運動をしていた息抜きも最近は空しい。
被災地の復興の為に多くの人が(親父もその中の1人)多くの事を語るが、岐阜や吉野で多くの年を重ねた桜を見ていると、全てが徒労の様な気がする。私達は門外漢。
(直接関係ない。関わりがない。関係ない。専門家ではない。)
関係ない所で関係ない言葉をどんなに口にしても何も関係ない。それなら一層の事、親父が阪神淡路大震災の後、何も語らず何も見ず何も聞かなかった様に無関係の生き方をすれば良いのかもしれない。そんな事さえも忘れて唯、桜の大木を見ていた。
それでもそんな生き方をしていると因果は巡る。今更親父の様な老い先短い人でも、信じるか信じないかは別にしても、自分の生き方が終わる時に仏の道にすがる事は出来ないだろう。自分に災難と不幸、哀しみと慟哭の涙が無ければ関係ないと思う生き方は、老いくたばる時に神の哀れみさえ手にする事は出来ない。
岐阜の淡墨の里は登り坂は短かったが、喘ぎながら登った吉野の桜道はその事を教えていた。多くの人が満開の桜を求めて唯、ひたすらに上に上に歩く姿は桜見物と言うより修験道の道だった。(オーバーです)。そう思うでしょう。親父が歩いた道はほんの吉野の入り口。この道を義経は追ってを逃れて更に奥の道を歩く。
これから本当の生き方を求める事は出来ないが、この国の指導者は今迄の生き方を悔い改め無ければ間違いなく、更なる厳しい試練を越える事は出来ない。その事を思い知るのは何時の事になるのだろう?暖かい春を目前にしてその歓びの時は何時?その事が今、問われている。
1930年代のアメリカ農民の歴史的苦難の道を「怒りのぶどう」スタインベック作を読んでいるが仲々進まない。理由は簡単。文字が多い。面白くも何ともないが故郷を追われ新天地を求めての大移動。今、その始まりだけど結論を知っているだけに先を知りたく無いのだろう。それでも(上)巻の半分迄読み進む。今日はお休み。読み終えれるだろうか?そしたら(下)が読めるな。何時も世も怒りと哀しみを乗り越える事は容易ではない。頑張ろうと言うには余りに無情です。
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