吉野の山桜 対照的な別れの桜
吉野山 山桜 ソメイヨシノではないからだろうか渋い色。華やかさが無いから感動が無い。それでも吉野の桜は親父の心を掴んでいた。がっちりと。桜の美しさはソメイヨシノだけではない。あれは挿し木。オイドンは種から。キャリアが違う。
正面の家並が吉野口。右奥が昨日訪ねた大和上市。昔の面影を求めて何も無かった街。駅の待合室から見た薄紅色に見えた桜はこれだったのだろうか?散り行く満開の桜が山桜の白さにアクセントを着けている。
この道をだらだらと上がる。桜の景色を見ながらで無いととても歩けない。
下の千本でバスを降り中の千本迄の登り。下の茶店で一服したのでへたれてはいない。もう少し歩くと椎茸弁当が食えると思っていた。
これは昨日お見せした画像。吉野の桜のイメージはこんな感じでした。そして親父の吉野山桜見物の感覚が変わる。下の千本、中の千本、上の千本、そして奥の千本。今回は中の千本を見たけれど、歩いた距離も半端ではなかった。1キロ弱の往復。それ位と思うでしょう。処が舗装されて道とは言え、登りと下りの道は楽やおまへん。
朽ち果てた根っこから新たな息吹が芽吹いている。桜木とは違う感動。
一昨日の雨風に耐えてこれだけの花を残してくれた相棒に乾杯。ブラボーです。
親父さん、これで本当のお別れです。雨風に耐えた花びらが伏し目がちに別れの言葉を口にしている。親父は笑いながら真剣にピントを合わせている。これで又来年と思えば、心に期するけれど、これだけ美しさを見せて呉れたら満足です。
これだけ花芯が紅に染まると今年も終わりです。予想以上の美しさ。ビューティフルです。来年も頑張ってね。(親父さんもね)親父はどうかな?何処の空の下で君を見ているかな? 吉野の奥の千本見れるかな?山歩きが出来ないと駄目でしょう。
親父はマダマダ健在です。これで10キロ減量が出来れば間違いなく50代の体力。これからの年寄りは元気が一番。体力がなければ何にも出来ない。何が無くても体を大事にして下さい。桜の首飾りを見上げながら満身の笑みをこらえていた。
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