大阪城 久し振りのご対面
何時も拙い親父のブログにお付き合い下さりありがとうございます。
毎回、ぼやいてばかりで不快の思いをさせて申し訳ありません。そんな皆さんに今日は久し振りの大阪城を紹介します。すっかり様子は変わりましたが大阪城は昔の侭でした。始めて行ったのは親父が就職試験を受けた17の夏。あれから半世紀が過ぎる。
このしだれ桜は最近植えられた物。大阪城の桜は満開の時を過ぎていたが、これはまだこれからだった。今年はこの色、この形のしだれ桜との出会いが多い。
これは城内の桜。満開見頃。シャッターチャンスでポーズを取るカップルが多い。
さすが親父、人影を写さずに桜の歓びを切り取っている。これは自慢出来る。
もうすぐ大阪城が視界に入る。この桜は満開の時を過ぎて落花が始まっていた。
風に花びらが舞っている。残念ながらこのデジカメではその姿を捉え切れていない。
このデカイ石。備前岡山から運ばれた有名な大石。今でもこれだけの大石を運ぶのは容易ではない。戦国の世が天下太平の世に変わる時、徳川への忠誠心が問われたのだろう?その徳川太平の世が300年続く。この国の歴史の汚点。武士の世が何時迄も続く訳は無い。この間にアメリカは西部開拓(侵略)史を続けて、太平洋を黒船で越え日本の太平の世を叩き破る。
この石がどれだけデカイかを知ったのは17の時。あの時感じなかった歴史の重みはこの無駄な労力を讃えた為政者の浅はかさを、端的に現している。大阪城は今、我々が眼にする以上にデカイ要塞だった事が実感出来る。
ハイ。能書きが多くなりました。ここからは大阪城内、コメント無しで行きましょう。
天守閣展望台からの眺望。豊臣秀吉の一代目の高さはこの高さと同じだったか分からないが、関西のこの台地にこれだけの城を建てた秀吉の力が良く分かる。最初に来た時にこれだけの高さを感じなかったのは何故だろう?
この鉄筋コンクリートの建物でも、下の人の小ささを見ると後ずさりをする。
当時は正面右の高い建物も無く、浪速の江(大阪港)が見通せただろう。西に沈む夕日を見ながら秀吉の得意満面の猿顔が見えてくる。(まさか)
今は空堀。それでもこれだけの深さがあれば攻め落とす事は容易ではない。
難攻不落。この城が攻め落とされるのはこの堀が埋められてから。秀吉の思いを踏み倒した家康は秀吉の死後、幼子と妾の面目をいとも容易くねじ伏せる。
大阪城の概略。パソコンに拡大機能があれば目一杯広げてみて下さい。
それでは最後に外堀の外から大阪城を見ながらお別れです。
次の見る機会はあるのだろうか? あるとしたら娘と一緒だな?(何処の娘ですか?)内緒です。
大阪城を出ると思い掛けない雨。春雨と言うには少し濡れるが、はげ頭にハンカチをのせながら地下鉄入り口迄、淡々と歩く。地下鉄の入り口は谷町4丁目。その手前で雨は上がる。大阪落城の涙雨だったのかもしれない。
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