« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月30日 (土)

眼に青葉 山はどんな顔をしているのだろう?近くの神社で旅の安全祈願

Img_6709

錦秋の時も素晴らしいが親父はこの時期の青葉が何とも愛おしい。厳しい冬の寒さを抜けてこれから人は連休とやらにうつつを抜かす時、一気に生命の営みを始める。「頑張ろう」とか「力を与えて上げよう」とか「日本の底力」とか何も言わなくても自然の力は人の思いを遥かに越える。

被災地の人達に多くの言葉をかける前に、自らの生き方を変えなければ成らない。そうでなければこの国の再生はない。いわんや、個人の思いなどひとたまりもない。その事を今回の天災は教えているが、どれだけの人がその事を痛感しているのだろう。

この国がこのままの形で経済の豊かさを追い求める限り、同じ事が繰り返され生かされる事は無い。連合会長の認識「自然との共生」発言はその典型かもしれない。親父が足を踏み入れていない岐阜と富山の国境の「御母衣ダム」は親父に何を語ってくれるのだろう?

経済発展は素晴らしい事ですが原子力発電がこれだけのリスクを背負っている事を、どれだけ認識していたのだろう?想定外?そうでしょう。その程度の事で安全神話を信じ込ませた国策は、これから間違いなく信用されない。その事だけは間違いない。それならどう生きるのか?それは貴方達がこれから問われる事です。楓の青葉が何も言わずに親父を優しい気持?にさせていた。

Img_6713

Img_6710

Img_6703

枝雀さんの落語に花見も良いが青葉の下を歩くのも気持ちが落ち着くと言われる。その言葉を実感する。しかし、本当の心のオアシスはこんな狭い所ではなく、何処迄も山並みが続く広い広い高原かもしれない。静岡の大井川、天竜川の上流もそうだったが吉野の山でも取っ掛かりに手を伸ばしただけに過ぎない。岐阜と富山の境では全く違う景色が見れる気がする。佐藤さん、あたたかく迎えて呉れるだろうか?
佐藤さん、誤解しないで下さいね。あなたの悲願の道を見に行きます。

Img_6690

近くのお宅の八重桜。デジタルカメラ持ち合わせてなく携帯で撮るが逆光。露出の出し方が悪い。そんな言い訳をしていると外出から戻った奥さんに笑われる。この花も満開の時を過ぎているが、美しさは充分見せつけている。荘川桜はまだつぼみです。

Img_6691

Img_6693

これも曇り空の露出が飛んでいるが八重の桜も満開の時を過ぎている。これから弁当を買って来ます。この生活が休みの日の定番です。この桜も満開の時は過ぎている。

Img_6694

銀杏の枝が大きく伸びている。この銀杏も老いて益々元気。親父はどうだ?実際の歳より若いつもりでも歳は争えない。それでもこれからの年寄りの生きる道は、元気が無ければ山にも行けない。年甲斐も無くと嫌われてもスッポンの様に食らい付けるかな?。(アチャー。でも親父にはしつこさが無い。どんなに嫌われてもえーカッコするな)それが出来ないね。親父の目の前迄、延びて来た若い枝に冷やかされている。

Img_6696

山吹の花が咲くのはも少し先なのかな?つぼみが一杯実を付けているから花が開くのは初夏の頃かな?街道横の日陰に同じ花が咲いているのだろうか?この奥行きの深さはカメラのトリックで、実際はこれほどの緑の重なりは無い。奥は離れている。

Img_6697

今年も一杯の青葉を付けて夏の日差しに準備万端?これだけの大木になるとほとんど見向きもされないが、どっこいおいらは生きている。夏の日差しの前にうっとおしい梅雨の空が待ってるけれど、ケセラセラ、成る様にしか成らない。

昨今のニュースを見る迄も無く多くの人の生き方は、今読んでいる「怒りの葡萄」と重なる部分が多い。カリフォルニアに各地から集まった人々は、決して不真面目ではなかった。それよりも職を求めて必死に生きようとしていた。その人達がどんな生き方が出来たのか?どんな暮らしが出来たのか?それでもアメリカは今でも豊かな国です。何でだろう?それだけ国が広いと言う事だろうか?それも違う。その事が少しは分かって来た。本を読み終わるのはもう少しです。

Img_6715

今日は何もしないで(本当は歩かなければお肉が付き過ぎている。)寝てばかり。

それでも夜はしっかり食べました。ぶなしめじと白ネギの炒め物。これだけではインパクトが無いと思い鯖の一口あげを加えたら、あんかけの味が鯖の旨味を邪魔をする。この組み合わせでは鯖のあんかけは駄目。白身の少し上等の魚でないと野菜に負ける。

Img_6716 久々に小岩井バターレーズン入りをパンにつける。これは美味しい。見栄えは悪いがお試しあれ。トマトは少し古くなっていたが味は負けていなかった。

夕食前にゆで麺を食っていたので、米は無い。最近立った米は余り口にしていない。今、親父が一番美味いと思う飯は伊丹の鉄ちゃん食堂の大盛りのご飯です。御心配なく。親父は減らしています。

Img_6717 このたくあんは絶品です。

薄甘の干し大根の漬け物。

これにうまい飯があれば、おかずが付けたしかもしれない?岐阜の山奥で飛騨牛が食えるかな?朴葉みそはどうだろう?

たくあんを噛みしめながら、他愛も無い事を考えている。さあ、風呂風呂。銭湯に行こう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月29日 (金)

今年の連休 待望の岐阜の旅 でも一人では寂しいな?

巷(ちまた)世間、世の中は今日からゴールデンウイークと言われても、それは休んでも給料の貰える月給の人の話。今日日どれ位の人がその恩恵に預かれるのだろう?先日の選挙で当選した市会議員の先生もお休みでも歳費はもらえる。これが本当のお手盛り(自分達で自分達の利益を決める)かと思いきや、世の中類似の事が少なく無い。

親父が前のブログで怒った連合の議長のメーデー挨拶。イギリス王室の結婚式の報道も同じかもしれない。この間抜けな報道、ダイアナの悲劇を忘れたのか?知らないとは言わせない。知らなければ知れ。それくらいの事を口を濁して何を語るのか。恥を知れ。

恥も外聞も無い輩が本当に少なく無い。そんな生き方が何時迄も出来る訳は無い。それともそんな輩がまともな生き方なのだろうか?枝雀さんが訳が分からないと頭を抱えている。枝雀さん案じる事は無い。この世はそれ程に甘くは無い。そのツケは必ず払わなければならない。

Img_6688

ハナミズキの花芯が親父のボヤキを笑っている。親父さん、世の中そんなもん。テレビも新聞も公共の利益など口先だけ。政治に金が掛かるとか言わないでしょう。政治に金が掛からなければ親父さん、アンタも政治家に成れる。彼らの言葉に一喜一憂せずに岐阜の山間で頭を冷やしてきなはれ。その方がよっぽど賢い。了解です。

Img_6689

親父さん少しピンボケ。綺麗に取ってくれるのは嬉しいけれどピンボケだけやめて下さい。アップも良いけれどアップに耐えられる人は多くは無いでしょう。(すみません)親父もまだまだ修行が足りない。多くを語る前に己の心を綺麗にしなければならない。(又、又、心にも無い事を)バレましたか?バレバレ。どもならんのう。

Img_6687

それではこれで勘弁して下さい。平凡やのう。イエイエ平凡の様に見えて平凡ではない。花々が合唱している。伊丹のRIROからの帰り道、夕日が当たって少し遠慮勝ちに小さな声で親父の散策の道を歌っている。

仲々、歓喜の歌は歌えないけれど親父がスイスのグリンデルドのホテルで歌ったエーデルワイスのハミングよりは口を開けている。今は声を潜めていても必ず肩組みながら第九の「合唱」を口にしなければいけない。(ドイツ語では無理だな。)聞くだけでも良いかも。それなら岐阜の旅で何度もそのイヤホーンで聴けるでしょう?。

Img_6684

下から見上げるハナミズキは何となく艶かしい。レデイを下から見上げると叱られるがチョコットだけなら許されるかも。(コラコラ)ベートーベンの田園交響曲を聴きながら岐阜長良川鉄道のマップを見ているが見処が今イチ、鮮明にならない。

目的地がはっきりしても岐阜の山間の道は意外に親父を寄せ付けないのかもしれない。それでも今回が最初で最後かもしれない、国鉄バスの車掌さんの想いが親父にどれだけ伝わるか分からないが「太平洋と日本海を結ぶ桜の街道」が少しでも見れたらそれで満足です。

その為には何としても白鳥からひるがの高原の道は辿らなければならない。佐藤さんの悲願は旧街道沿いに立派に生きていても、その姿を眼に出来る人は少ない。偉そうな事を言っている親父でも短い旅では、その万分の1も眼にする事は出来ないのかもしれない。それ程に壮大な悲願だったとも言えるのだろう。

親父さん、何しに行くのです。よう聞いてくれました。内緒です。帰って来たら教えます。予定は決まりました。5月の3日は郡上八幡に泊まり、4日は白川郷。この間が遠いので5日は予備日。6日に帰って来ます。お土産期待してて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然と共生出来る国造り?

何時も過激な言葉を口にする親父だけれど、連合会長のこの言葉は許せない。
何様のつもりか知らないが選挙に勝てない政権を批判出来ずに、被災地を支援する。
アンタ達、労働組合がどんだけ組織の総力を挙げて被災地を支援したのか?そしてこれからも支援出来るのか?被災者は藁でもすがると嘗めているのだろうか?多くの人は期待していない。

労働組合が被災地の為に出来る事は現政権の支援を止める事。止めたとしも政権交代後に連合組織が為した政権支援の無様さは、多くの支持者の支持さえも失っている。最悪の結果にならなければ支持をされているとでも、思えるのだろう。

「何時迄も党内対立。党内抗争を続けるな」なんて誰も思っていない。醜い対立、抗争の原因は是は是、非は非でなければ組合の意味は無い。存在理由がない。経営者と組合の不毛の対立は誰も望まないが、今更、自然と共生出来る国造りとはどういう事?原子力発電の見直しではなくて自然との共生とは具体的にどういう事?

綺麗事が何時迄も通るとでも思っているのだろう。このままでは労働組合の生き残りもない。自分達だけが美味しい思いが出来るとでも思っているのだろうか。本当に空いた口が塞がらないのではなく、組合の指導者失格だろう。それでもメーデーは労働者の祭典だから、大目に見て下さいとでも言いたいのだろうか?それは出来ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

縁は異な物味な物?合縁奇縁?アメリカにも同様な諺(ことわざ)?

人と人の心は通じ合う事を親父は度々、誤解する。そしてその間違いに気付かされた時、一気に不信感が増す。これ迄そんな思いをどれだけ繰り返した事だろう。それでも世の中には信じられない確率で運命の出会いをする人も少なく無い。

アメリカの諺に二人の結びつきは神様(marriages made in heaven)とか言われ、日本には古来から「阿吽の呼吸」とか言われても永年連れ添えば、全てが嫌いになる事も少なく無い。本当の絆とは無言の抱き合いである事を忘れて久しい。

最近、結婚のスピーチをする事も無いが、今盛んにテレビから流されるコマーシャル、「頑張ろう、東日本」「頑張ろう、日本」これほど不快な言葉は無い。誰が誰に呼び掛けているのだろう?絶望の言葉しか手にしていない人に、「がんばれ」と言う程過酷な言葉は無い。その言葉を平然と口にする感覚、何様だと思っているのだろう?

激励の言葉は要らない。仮設の最悪の日常から1日でも早く、元の生活に戻れない人達に何をどう頑張れと言えるのだろう?何とかしますからそれ迄不自由な生活をおかけします。申し訳ありません。それくらいの言葉が掛けられない無いのだろうか?

今の政治家にそんな期待を掛けるのが間違い。今迄の生き方の中で最低の政治の在り方を見せつけられても、被災地復興の為にあれもやります。これもやります。その間、あなた方は被災者の付託にどう答えるのだろう?そんな事を考えながら1930年代のアメリカの悲惨な農民のルポタージュ作品「怒りの葡萄」を読んでいる。

Img_6032

大阪梅田阪急電車乗り場に上がるエスカレータの壁に、何枚も貼られていたポスターも次のポスターに替わっている。そう、つぶやきだけでないハル。そのハルが行き夏が来る。沸き上がる入道雲の下で紺碧の空とエメラルド、グリーンの海を見ながらニンマリ出来る景色は手に出来るのだろうか?それも貴方の心掛け次第でしょう?

そうかな?そうだとしたら腹の出っ張りを気にせずに、トドの様な軽い身のこなしを身につけれるかだろう。無理だろう?無理か。無理と言う前に雄叫びをあげろ。久しく年甲斐も無い生き方をしていたけれど、そろそろ化けの皮を剥がして年相応の生き方が求められている。それも無理かも。これからの同世代に求められている事は「逞しく生きる」それしかない。頭は禿げたとしても禿鷹(はげたか)の嗅覚(きゅうかく)を忘れてはならない。

あさみちゆきさん、今日は親父の故郷九州大分佐伯でお仕事です。親父がおっかあと新婚旅行に出掛けた街はすっかり寂れてしまいましたが、久留米からの旅は九大線で大分迄、それから南に1時間。戦前の軍港。今は主たる産業が無い。それでも豊かな魚と食い物の美味い街です。豊かさとは何かを問い直されています。美味しいもの食べて下さいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月28日 (木)

眼に青葉 山ホトトギス 初カツオ

Img_6504

「眼に青葉、山ホトトギス、初カツオ」
四国高知窪川で念願のカツオのたたき口にしましたとほらを吹きたい所ですが、残念ながらこのたたきは近くのスーパーで買った物。瑞々しそうだけれど本場のカツオはもっと分厚く水気がない。逞しさの中に男の勢いを感じる。

それでもこれも立派なタタキ。稲わらで炙られていなくても水気が多くても、初ガツオでなくても、ぶっとく無くても季節感だけは感じさせて呉れる。季節の変わり目。寒い寒いと思っていた時が、暑い暑いと嘆きの声に変わる。

人間様とはまっ事、間抜けな生き物かと痛感する。賢く生きる事を求めて苦しみの思いを重ねるより、アホな生き方の中に無情の歓びを感じられるほうが、どれだけ楽しいかを少しだけでも考えなければならない。そう考えて見ると人の生き方は180℃変わるに違いない。ベートーベンの最後の交響曲となった第九を聞いて見なはれ。

歓喜、希望、絶望的日々の中でこの歌に託した彼の思いが心に迫る。又、この国の人達が世界のどの国よりもこの歌に思いを重ねたのかも、この歌を聴けば聞く程分かる気がする。音楽家、作曲家として何よりも大切な聴覚を失ってもこれだけに情熱を、五線譜に叩き付けた天才の想いにズービン、メータ氏の指揮で聞いていると言葉は無い。感動とか圧倒されたと口にしないで自分の生き方に重ねなければならない。

Img_6681

そう。今年のつつじにも活力は無い。きっと来月岐阜の山間で見るつつじはそうではないと思うがどうだろう。東日本の大災害について当事者で無い人の思いは真に冷たい。自粛ムードの行き過ぎを語る前にどうしてこれからの自分達の生き方を語れないのだろう。嬉々としてイギリスのオバカな祝賀ムードを語る。イギリス王室の醜さをどれだけ見せつけられても、その程度にしか思えないのはマスコミのお馬鹿さでもある。公共放送を語るNHKの海外ニュースのキャスター迄もがその事を口にするのだから言わずもがなかもしれない。

Img_6576

岐阜の荘川桜との出会いは始めてだけれど、吉野の山で見た景色とどう重なるのだろう?今年は永年の思いが一気に叶う気がするけれど、本当の桜の美しさはそれぞれかもしれない。岐阜大垣根尾の淡墨桜も吉野上の千本も、そしてこれからご対面の荘川の桜も違った姿を見せて呉れるのだろう。

今回の旅で一番の楽しみは長良川の源流と分水嶺を見る事。実際に見て見ると期待外れかもしれないが岐阜の美しさが見れるかもしれない。この国の何処にでも見られる美しさ。それは自然の人の思いを越えた景色であるが、その見果てぬ夢を私達は余りに知らない。

その圧倒される力は人間様の思いを大きく越えている。今、淡々と放送される事も無い「音の無い風景」。私達は余りにじゃかましい騒音に包まれて生活している事にいつの間にか飼いならされている。この国の美しさは何時からこんなに変わってしまったのだろう。その事は岐阜の山奥でないと実感出来ないのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月27日 (水)

春は行く 5月の風は爽やかだろうか? それはあなた次第?

Img_6681

大阪の今日の天気は最高気温22℃。流石に午後からは雨となり温度も下がる。
会社の帰途、買い物をして帰る時には雨も止んでいたが、今年の連休は晴れた日は少ないかもしれない。それでもいい天気とか悪い天気は無い。雨が降っても楽しめる余裕が無いと晴れた日の歓びも無い。雨が降っても顔をしかめず笑いながら眺めるそんな休みが続くと良いな。明日は最高気温が今日より大幅に下がる。そうだよな。幾ら何でもこの陽気は暑過ぎる。つつじもびっくりしている。雨上がりだけど何故か浮かぬ顔をしている。

Img_6676

つつじの花びらが全ての人を祝福している。その優しさに程遠い生き方をしていても。長い長い暗闇の中からなんとか微かな明るさを見出したのだろうか?そうではない。フラッシュをたかなくてもこれ位の首飾りが見れると思ったら、大きな間違いかもしれない。

怒りの葡萄(上)巻やっと読み終わりました。アメリカ1930年代の一つのアメリカ。ブックカバーの裏にこんな解説があるが、旧約聖書「出エジプト記」にも比べられる格調高い1大叙事詩と、紹介されているが、アメリカの過酷な歴史を知らない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月26日 (火)

葉桜の頃になる 若葉が希望に溢れている 君はどうだ?

Img_6675

昨年もそうだったが桜の時が過ぎると、何故か大きな支えを失う。この歳になって失う物は無いと言い聞かせながら何故か心に大きな穴が空いている。桜の花は見事に散ってしまっても人の心の葛藤は、そうは行かないのかもしれない。

それでも昨年はこの後、人生最大のイベントが控えていた。思いがけないスイスの旅。それでもこの時点では決まっていた事。今年は永年の願いが実現するだろうか?それ程の物ではないが今年は休みが多いし、何としても実現しなければならない。

Img_6671

若葉、青葉の間から名残りの花びらに笑われている。「親父さん、頼みますよ。」何を頼まれているのか分からないが、桜餅でも食いながらのんびりと旅のプランを考えなければ行けない。今年は5月の連休の人出も少ないと言われているが、岐阜の山奥では尚更かもしれない。それでも意外に白川郷の茅葺きの古民家は多いかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月25日 (月)

恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで。

「ある春の日のお話(お噺)でございます。」とタイトルの言葉に続く。意味は枝雀さんの「天神山」落語を聞かないと分からない。この話は前半と後半で話の主が入れ替わる。前半はヘンチキ(偏屈、変人、上方落語特有のキャラ)の源助が主人公。後半の安兵衛が助けたきつねが障子に歌を書いて立ち去ったと言われる言葉がタイトルの言葉。

この話しは浄瑠璃の「蘆屋道満大内鏡」(あしやどうまんおおうちかがみ)4段目「葛の葉の子別れ」がネタと言われている。<恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太(しのだ)の森の うらみ葛の葉> ああ、何とも言えまへん。ロマンです。

今、テレビで先週尋ねた吉野の郷土料理を大好きな堀内孝雄と宮本アナが紹介している。人の事は言えないが孝雄さん、歳を取りましたなあ。髪が染められているけれど、親父の禿げを考えると笑いが込み上げて来る。しかし、歌声は変わらない。お互いに?(レベルは違うけれど)今夜の歓びはそれだけではなかった。Img_6670

これは違う。これは今夜のレトルトのミートソース。久々のスパゲッテー。でも本当の歓びは別にあった。思いがけなくスイス、グリンデルワルドの懐かしい風景を見る。早いものであれから10ヶ月。テレビの中で見る雪の淡さが親父の熱い思いに反射していた。(ユングフラウの展望台迄上がれなかったくせに)どうもすみません。

Img_6668_2

桜の季節は行き若葉の時が来る。耳を澄ませば色んな声が聞こえて来るのだろうけれど、今は何も聞こえて来ない。ベートーベンはアンコールの止まない拍手が聞こえず演奏が終了しても観客に背を向けていたと言われているが、親父の場合はどうなのだろう?(比べるな。天才とレベルが違う。)どうもすみません。口先だけの言葉は止めて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月24日 (日)

おお友よ、このような音でなくもっと心地好い、歓びに満ちた歌を

Img_6392

4月の時も終わり1週間もすると薫風の5月となる。
今年はまとまった休みになりそうで、念願の岐阜、富山の「桜の街道」が見れるかもしれない。本当に長い間夢に見たこの国の原風景は、経済大国の嵐の中でズタズタにされている。経済発展の名の下に豊かな国に歓びの思いを重ねたのは、幻想でしかなかった事を思い知る。これからの生き方は今迄の価値観を突き崩し、新たなる歓びの創造。ズービン、メータ指揮のベートーベン第九「合唱つき」を聞いて(見て)いる。

今日は全国統一地方選挙。この街でも先日迄市議会議員候補者がお願いを繰り返していたが、このスタイルもいい加減にしてもらいたい。否、そうではない。これからは自分達の代表を地方、国の議員に送らなければならないのだろう。

何時迄も既成の政党が自分達の利権の為に行う議会や国政は、そろそろ止めにしなければならない。その兆しが名古屋、大阪では出て来ているが先日行われた東京やその他の都市ではそう言う雰囲気にはなっていない。

3月11日の東日本大震災で都市と地方の在り方が問われても、この国の指導者にはその思いがずれている。会議をして総意をくみ上げる前に、今出来る事に優先順位をつけて被災者を救済する。それくらいの事が出来ない政府に今度の選挙でも、レッドカードが突きつけられる。

昔、今日の様に好き勝手な事を言ったり行動出来なかった時、お上の無慈悲、無能、無頓着な悪政に命を賭けて立ち向かい、そして弾圧された。今はこの国の多くの人は民主主義を口にしても己の生活を犠牲には出来ない。その唯一の保証された権利。

それが投票行為である事を忘れている。「誰に投票しても同じ」「誰に投票しても何も変わらない」「誰がやっても同じ」ひどいのは「お前がやってみろ」と。やれる訳が無いだろう。「だったら口先で批判するな」と。勘違いしている。何様のつもり。大した事も出来なくて。お門違いの所で不快な思いをしている。

人の思いもその程度の事と思いきやそうでも無い。長い間信じ込まされていた価値観、常識が実は大変な間違いであった事に気付かされる。少しでも賢い生き方をしていれば分かる普遍的な当たり前の事が当たり前でなくなっている。

一番驚かされる事は人の生き方。人はこれほどに無情な生き方が出来るのだろうか?日常の平和な生活が一瞬にしてたたき壊されても、慟哭の思いとひたすらに時が流れなんとか立ち上がろうとする気力、体力は自分にしかない。

頑張ろう日本。頑張ろう東日本と言う前に1日も早い生活の立て直しを国だけでなく、自分達の力で出来る復興計画、原発事故の復旧。それが求められている事を考えて下さい。この国の指導者はレッドカードを突きつけられても、」自分達でないと何かが出来ないと思っているのだろう。このままでは間違いなくこの国でも反政府運動が起きる。親父に出来る事。それは今日の選挙に行く事ぐらいだろう。

Img_6664

投票行って来ました。ジッと観察した訳ではないが若者の投票率は今イチ。年寄りが口先の柔らかい言葉に吊られて散見される位でした。親父がどんなに喚いても何も変わらないと思いきや、見てってくれ今夜の開票で泣き笑いが出て来る。

その厳しい結果に若者達がどんなに素知らぬ顔をしても、親父以上の爺婆が介護とか生活保障と口にしても、個人同様行政にも政府にも金がない。被災地の復興の為に増税としか言えない前に国民の信を問え。信なくば立たず。それが先決だろう。

チューリップの花びらが完全に開放して美しさもない。親父の写真の撮り方も悪いがこれからの厳しい立ち直りの道を暗示している。暇に任せてテレビのチャンネルを変えているとこの国は本当に間抜けな事が良く分かる。デジタル放送に変わってもスポンサーが変わらないとテレビはオバカの暇つぶしにもならない。そのうち見向きもされなくなるだろう。親父はどうかな?もちょっと変身が求められている。

Img_6667

久し振りにデカイ夕日を見る。夕日がほほ染める前に地面を染めている。

久し振りに用事もないのに梅田に出る。いいえ、本屋に出掛けて怒りの葡萄(下)を買いました。ターミナルの本屋はレジが行列で、横の検索サイドでは何かクレームをつけているおばはんの声がデカイ。

気持ちは分かるが叫べば良いとでも思っているのかな。親父も学習しなければならないが、横顔が余りにひどい。人から見られている事等、分かっていない。反対の立場に立つ事など考えた事は無いのだろう。お店の対応もお粗末。弁解より怒りを治めろ。皮肉な事に親父も「怒りの葡萄(下)」を手にしながらぶつぶつ言っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月23日 (土)

今年の桜見物 連休の時迄続くのかな。

Img_6574

奈良吉野の満開の桜は一気に山肌を駆け上り、今日は生憎のまとまった雨にコンクリートの石畳の狭い道を歩く人影は多くは無いだろう。しかも寒い。軽い山歩きの服装では不快に違いない。蒸れない軽い着心地の良いジャンパーとパンツ、歩き易い登山靴が無ければこの整備された道も歩けない。それでもこの道は車で走れる。

この八重桜は吉野の山桜とは違って桜見物の人の眼を奪う。それでもこの桜は個人の庭から山道に迫り出している。見るだけなら良いが無粋な輩は人の敷地に足を踏み入れるのかもしれない。「ここは立ち入りお断り」の小さい看板が出ていた。

Img_6414

霞草?大阪岡崎橋交差点料理屋さんの入り口。何時も横目で見ながら暖簾をくぐった事は無い。1人で入るのも心地が悪いが本当の理由は、親父が酒飲みでないからだろう。些細な処にお店の経営者の思いがさり気なく出ている。

Img_6305

雨に打たれて散ってしまったお地蔵さん前のソメイヨシノ。垂れ下がった細い小枝が「人」を現している。親父の生き方で一番欠けた優しさ。その事を物悲しく、しかし、力強く現している。

「何の為に」「何の為に」と馬鹿な自問自答を繰り返している内に徒労の歳月を重ねた罪と罰が問われている。貴方から言われる迄もなく人らしい生き方は容易ではない。厳しさと優しさではなく無二の信頼感かもしれない。

「信じる」事は理屈ではない。信じる者は救われるとも言われるが、どうだろう?
猿でも反省が出来ると言われるがそれは間違い。猿は学習は出来ても反省は出来ない。いわんや人間に反省が出来るとは思い上がりも甚だしい。馬鹿は死なないと直らない。反省しても性根(しょうね)は誰も変えられないのかもしれない。

Img_6249

「儲かった日も代書屋さんの同じ顔」大好きだった桂 枝雀さんの落語を聞いていると何だが今年の桜を思い出す。今の芸ノウ人、落語家、しゃべくり司会者?とは大違い。これだけの人を笑わせてくれた人が心の病で命を落とす。

今年の桜の美しさを枝雀さんは何処の空で見ているのだろう? 代書屋さんと言われも分からない人もこの人の落語のおかしさは、きっと分かるに違いない。関西の芸人これだけの人は暫く出て来ないと思うと、その代償は計り知れない。

Img_6124

城跡公園の紅しだれ桜。毎年この公園の桜を見ているが気付かなかったのは何故だろう?心に余裕が無かったのだろうか?それも違う気がする。ただ何となく心に響かなかったのかもしれない。それも違い気がするのは何故だか分からない。

Img_6271

この夫婦桜も昨年迄気に留めなかった。今年見た桜の中で指は折れる。それでも一番は仕事場横の八重桜。牡丹の様に息の詰まる思いをさせてくれたのは、何とも表現の言葉が無い。これからの生き方はこれで決まりかも。それでは枯れる寸前?イヤイヤ未だ親父は健在です。今年の連休は岐阜と富山の国境でどんな桜が見れるだろう。

今日は久し振りのまとまった雨。テレビを見ながら横になっていると夕方になる。何時迄もぐずぐずしている訳にも行かず腰をあげる。朝、モーニングを食った行きつけのお店で夕食。(シーフード、ピラフ)本屋に立ち寄り桂、枝雀さんのcd付マガジンを買う。「夏の医者」「天神山」の演目に暫し時を忘れる。平成11年 心不全で亡くなった事が惜しまれる。今年、多くの桜が見れたのはその遺徳かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月22日 (金)

ハナミズキの花が親父に囁いている。桜の後は私?

Img_6648

長い間、本当にありがとう。肌寒い日が続きなかなか花びらを落とす事が無かったが流石にこれで見納めです。久し振りのまとまった雨が降る前に最後の姿を見せて呉れました。来週は葉桜になっても新緑の勢いが、親父の眼を楽しませてくれるだろう。

Img_6653

伊丹の勝っちゃん食堂で焼き肉定食を食って、hiroのお店でチーズケーキとコーヒー。マイスターに余計なことを言って叱られるが、全く気にしていない。
親父のマイペースな生き方はある意味、理屈無しかもしれない。破天荒。そんな生き方が理解出来る人は少ない。本当はシャイ(恥ずかしがりや、自己中、我が儘)です。華観月(はなみづき)の若葉が笑っている。親父の気持ちそのままです。

Img_6651

hiroの店内。コーヒーゼリー3個パック1000円。今度お土産に買ってみますか?
奥の瓶はレイコー(アイス、コーヒー)。関東でレイコーと言っても通じない。
ハワイ、マウナ、ケアの近くにもhiroはある? 今, テレビで天体ショー、そして日の出。太平洋地上4000メートルの絶景、見てしまいました。

Img_6655

これはお店の帰りに駅迄の道で撮った白い花びらハナミズキ。親父は外見は厳ついが内面はこんな部分もある事を主張している。自慢のワンショットです。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月21日 (木)

季節が変わる 人の心も変わる 親父は変わらないのか?

Img_6639

もうすぐ薫風の時。毎週定例の大阪西区の岡崎橋交差点。ここから北に曲がると靭(うつぼ)公園。公園の桜も満開の時を過ぎこれからつつじの時を迎える。故郷のミヤマキリシマをまだ見ていないが、久住高原のつつじを見る事はあるのだろうか?

Img_6638

交差点のつつじがこれだけ美しいのは、先日迄の気まぐれの雨が汚れを落としているのだろう。予想以上の開花が無ければもっと心を和(なご)ましてくれるのだろうが/。花が開いていない方が美しいのもつつじの特徴? それは違う。ミヤマキリシマの燃え上がる紅の絨毯(じゅうたん)は息を呑むに違いない。

Img_6640

岡崎橋の交差点を渡って何時もは直進するが、今日はそのまま左折。カレーうどんのお店「得正」に向かう。ケーキのお土産無し。何時ものパターンが崩れる。何で?親父の気持ちは微妙。それでも気持ちの切り替えは早い。得正は休憩中。中西は寝ていた。料理人が喉を痛めて元気を無くしていたが親父からカツを入れられる。

このお店も今月一杯で経営者が変わる。そうすると親父がこのお店を覗く(のぞく)事は無い。久し振りに近くの経営者のもつ鍋の店「暖家」に足を向ける。この建設中のマンションが真新しい。

Img_6641

もつ鍋のお店で雑談だけのつもりが3品のメニューを口にする。モロキュウ、キムチ、牛たたき。予想以上の味にニンマリ。今月一杯で得正のカレーうどんは食えなくても、このお店のもつ鍋が食えれば、又違う景色が見れるだろう。別れは出会いの始まりです。嘆き悲しむ事は無い。無情の想いが新たな歓喜の歌に変わる時、五月の空は鯉のぼりの季節に変わる。雄々しく逞しく男らしく生きましょう。

Img_6642

街は大きく変わっている。2段の高速道路が交差するこの道が出来て久しい。しかし今回の東日本大震災が関西を襲えば、ひとたまりも無いだろう。都会の交通網と仕事のやり方は今迄の延長では成り立たなく成る。こんな都市を作り上げたツケを誰が払うのだろう。その当時者は今、何処で何を考えているのだろう。近代的な街造りが今見直しを迫られている事にどれだけの人が気付いているのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花壇の先に多くの市議会議員候補者の看板が見える

Img_6636

春です春。4月も20日過ぎだと言うのに今年の陽気はどうしたものだろう?
きっとお天道様も遠慮をしながら(自粛とは違う)これ以上は待ち切れないと、見切り発車をしたのだろう。昨日迄の寒さはこれで区切りをつけてこれからは一気に暑く成る。その前にもう一度連休の冷え込みがあるかも。それでも無情に季節は巡る。

最近はテレビを付ければ旅番組しかみない。あれほどのプロ野球の思い入れもすっかり冷めている。近くの阪神競馬場で馬券も少ししか買わず(買えず)唯、ひたすらに馬を見て頭と体の運動をしていた息抜きも最近は空しい。

被災地の復興の為に多くの人が(親父もその中の1人)多くの事を語るが、岐阜や吉野で多くの年を重ねた桜を見ていると、全てが徒労の様な気がする。私達は門外漢。
(直接関係ない。関わりがない。関係ない。専門家ではない。)

関係ない所で関係ない言葉をどんなに口にしても何も関係ない。それなら一層の事、親父が阪神淡路大震災の後、何も語らず何も見ず何も聞かなかった様に無関係の生き方をすれば良いのかもしれない。そんな事さえも忘れて唯、桜の大木を見ていた。

それでもそんな生き方をしていると因果は巡る。今更親父の様な老い先短い人でも、信じるか信じないかは別にしても、自分の生き方が終わる時に仏の道にすがる事は出来ないだろう。自分に災難と不幸、哀しみと慟哭の涙が無ければ関係ないと思う生き方は、老いくたばる時に神の哀れみさえ手にする事は出来ない。

岐阜の淡墨の里は登り坂は短かったが、喘ぎながら登った吉野の桜道はその事を教えていた。多くの人が満開の桜を求めて唯、ひたすらに上に上に歩く姿は桜見物と言うより修験道の道だった。(オーバーです)。そう思うでしょう。親父が歩いた道はほんの吉野の入り口。この道を義経は追ってを逃れて更に奥の道を歩く。

これから本当の生き方を求める事は出来ないが、この国の指導者は今迄の生き方を悔い改め無ければ間違いなく、更なる厳しい試練を越える事は出来ない。その事を思い知るのは何時の事になるのだろう?暖かい春を目前にしてその歓びの時は何時?その事が今、問われている。

Img_6635

1930年代のアメリカ農民の歴史的苦難の道を「怒りのぶどう」スタインベック作を読んでいるが仲々進まない。理由は簡単。文字が多い。面白くも何ともないが故郷を追われ新天地を求めての大移動。今、その始まりだけど結論を知っているだけに先を知りたく無いのだろう。それでも(上)巻の半分迄読み進む。今日はお休み。読み終えれるだろうか?そしたら(下)が読めるな。何時も世も怒りと哀しみを乗り越える事は容易ではない。頑張ろうと言うには余りに無情です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月20日 (水)

吉野の山桜 対照的な別れの桜

Img_6573

Img_6604

吉野山 山桜 ソメイヨシノではないからだろうか渋い色。華やかさが無いから感動が無い。それでも吉野の桜は親父の心を掴んでいた。がっちりと。桜の美しさはソメイヨシノだけではない。あれは挿し木。オイドンは種から。キャリアが違う。

正面の家並が吉野口。右奥が昨日訪ねた大和上市。昔の面影を求めて何も無かった街。駅の待合室から見た薄紅色に見えた桜はこれだったのだろうか?散り行く満開の桜が山桜の白さにアクセントを着けている。

Img_6594

この道をだらだらと上がる。桜の景色を見ながらで無いととても歩けない。
下の千本でバスを降り中の千本迄の登り。下の茶店で一服したのでへたれてはいない。もう少し歩くと椎茸弁当が食えると思っていた。

Img_6605

これは昨日お見せした画像。吉野の桜のイメージはこんな感じでした。そして親父の吉野山桜見物の感覚が変わる。下の千本、中の千本、上の千本、そして奥の千本。今回は中の千本を見たけれど、歩いた距離も半端ではなかった。1キロ弱の往復。それ位と思うでしょう。処が舗装されて道とは言え、登りと下りの道は楽やおまへん。

Img_6575

朽ち果てた根っこから新たな息吹が芽吹いている。桜木とは違う感動。

Img_6623

一昨日の雨風に耐えてこれだけの花を残してくれた相棒に乾杯。ブラボーです。

Img_6628

親父さん、これで本当のお別れです。雨風に耐えた花びらが伏し目がちに別れの言葉を口にしている。親父は笑いながら真剣にピントを合わせている。これで又来年と思えば、心に期するけれど、これだけ美しさを見せて呉れたら満足です。

Img_6625

これだけ花芯が紅に染まると今年も終わりです。予想以上の美しさ。ビューティフルです。来年も頑張ってね。(親父さんもね)親父はどうかな?何処の空の下で君を見ているかな? 吉野の奥の千本見れるかな?山歩きが出来ないと駄目でしょう。

Img_6630

親父はマダマダ健在です。これで10キロ減量が出来れば間違いなく50代の体力。これからの年寄りは元気が一番。体力がなければ何にも出来ない。何が無くても体を大事にして下さい。桜の首飾りを見上げながら満身の笑みをこらえていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月19日 (火)

吉野山 侮っていました 奥が深い 今日は中の千本迄

Img_6556

Img_6559

今回の旅の目的は吉野山でも桜見物でもなかった。この駅を降りたのは20の時。仕事でこの駅前を降りて上の商店街を歩いたが、駅舎も街中もすっかり変わって往時の面影は何処にもなかった。親父の記憶は駅前と街中を走る道の高低は無かったが、そうではなかった。街中の旧道の下に自動車専用道が出来たからだろうか?

Img_6557

この川沿いの自動車道が無かった。この鉄橋は昔のまま。この橋の近くの食堂で飯を食いながら東京オリンピックの開会式を見ていた。あの時生きていた人の多くは今は居ない。家が壊され道が出来人々の生活は変わっても、原風景は何も変わらない。

Img_6563

吉野の駅は近かった。始めての吉野山。大阪に居た結婚前の時、何故かこの山の季節を目の当りにしていない。何故だろう?あの頃近くの高野山、熊野古道にも足を踏み入れていない。そんな生き方が今の生き方を証明しているのだろうか?

Img_6565

吉野の山は深い。当然桜も見所は4カ所に分かれている。下の千本、中の千本、上の千本、そして奥の千本。千本と言うのは誰も正確に桜の樹を数えた訳ではなく、それ程に多いと言う事だろう。今は下の千本が終わり中の千本も満開の時を過ぎていた。この花は吉野を代表する山桜ではない。吉野の桜は艶やかさはないが命を感じさせて呉れた。
それではお見せしましょう。黙々と坂道と階段を上がりながら喘いで(あえいで)いました。しかし、マダマダ健在。ニンマリとしていたのは余裕だったのだろうか?

Img_6576

ここはまだ下から歩き始めて500メートル位の所。それでも坂道と階段で息が上がる。腹が減る。何か食いたい。そんな所で茶店発見。お弁当を持って来ない事を後悔していた。飯は無い。葛湯と葛もち。これが美味い。
Img_6579

Img_6577

親父さん、まだ桜を見せて呉れていない。あわてるな。これからがハイライト。

Img_6586

山の天気が心配されたが日頃の行いが余程良いのだろうか、ご覧の通り。
しかし、茶店のオッカアが言われた通り吉野の桜は山桜。空の青さに負けても命の息吹は負けていない。これからその力を遺憾なく発揮するのだろう。

Img_6582

Img_6592

Img_6605

茶店のおばちゃんに紹介された中の千本見晴らしの食堂到着。名ばかりの椎茸飯。
所場代を取られたな。吹き上げて来る風は冷たく早々に席を立つ。見晴らしは良かったけれど。
Img_6607

Img_6606

Img_6604

下の街が吉野?違うかな?この頃から若いカップルと話しをしながら歩く。
Img_6608

1人で歩くのは本当にしんどい。次来るとしたら絶対に1人では来ない。それ程の道。それ程の坂。桜見物の道と侮るなかれ。これは山道です。大和上市の駅で奥の千本の道を聞いたのが恥ずかしい。西行が見た桜をマイスターは見たのだろうか?

Img_6603

山桜に華やかさは無いが失意の内にこの花を見た人達は何を感じたのだろう?
今はそんな厳しさは無いと思いきや、東日本の被災地に今年の春はそれ以上に重い。津波の恐ろしさ、原発の嘘、親父が語る事は少なくても、この国の学者が言って来た本当と嘘。その事も少しは考えてみないといけない。その事をこの桜が教えている。

Img_6609

Img_6611

吉野の桜は本当に華やかさは無いが親父に多くの事を教えてくれた。
桜の美しさを見誤ってはいけない。人の美しさもそうかも知れない。
どんなに立派な事を尤もらしく語ったとしても、見せて呉れたとしても見誤ってはいけない。その事も静かに語りかけていた。吉野の桜は1人で見る物ではないのかもしれない。

Img_6614

最後はオマケです。吉野の本当の山桜ではないけれど。(ではニセモノ?)それも違うけれど山桜ではない。どんなに賢くても嘘を語ってはいけない。それは賢者とは言えないだろう。いわんや学識が高いとも。

Img_6615

若いカップルは和歌山の新婚組。親父が多くの事を語っても素直に聞いていた。
親父にも在った同じ頃、親父には残された時は多く無いが、二人で仲良く次の世代を育てて下さいと言いながら、ここでお別れ。階段を下りると駅迄のバスが待っていた。

Img_6617

帰りはこの特急に飛び乗る。吉野の駅で発車間際、駅員から切符は車内で買ってと言われる。実際は指定席だったから勝手には座れなかったのだけれど、運良く終点迄同じ席で座れる。特急料金500円はこれだけの席に座れたら安い。但しこの新型車両は先頭車両だけ。残念。

Img_6618

近鉄の路線図。拡大してもよく見えないから関心があれば関西の私鉄の路線図を見て下さい。奈良からも吉野には行けるが大和西大寺と橿原神宮2回乗り換え。
上本町の近鉄ターミナルで駅員から天王寺(マップ左の中央)だと直行と教えられ地下鉄で移動する。目的の吉野は右下です。

Img_6619

今、このターミナルは高層ビルに改築中。地下鉄御堂筋線からの乗り換えはさすがの親父も戸惑う。しかし、そこは大阪を知り尽くしている親父、昔取ったなんとかで迷う事は無い。分からなければ聞く。それが一番。しかし、幾ら説明されても方向音痴はどうにもならない。お疲れ様でした。次は岐阜郡上八幡からひるがの高原の道です。行けるかな/わからんな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月18日 (月)

花散らしの雨 これで今年の見納め 明日は吉野に行けるかな?

Img_6506満開の時。歓びから寂しさに変わる時。
それでも今年も精一杯の歓喜の時。
花持ちも長かったけれど、夕方からの雨と風でこれで見納めです。
今年の開花は心配されたけれど、本当に精一杯の花の精が、親父の心配を吹き飛ばしてくれました。又来年です。合えるかな?お互い、そんな顔をしています。

Img_6551

Img_6526

これから春の嵐が来ると言うのにこの美しさは一体何だろう?人の美しさは姿、形で簡単に現せてもこれだけの装いをするのに、どれだけの年を重ねなければならないのだろう?いいえ、どんなに年月を重ねても無理かもしれない。それ程の美しさをありがとう。それだけでなく香しい桜の匂い迄、振りまきながら。そしてお別れです。

Img_6554

Img_6520

Img_6540

Img_6519

Img_6541

Img_6531

満開の時を過ぎた花びらはその花芯が紅の色に染まる。桜の花びらがベートーベンの第九「合唱」を歌っている。歓喜の歌。歓びの歌。そして別れの歌です。

散り行く時を見なくても「花散らし」の雨と風は冷たい。

今度合う時は青葉、若葉の先駆けの時です。5月の空を駆け抜ける薫風は親父に何をつぶやくのだろう。今年の連休は岐阜と富山の御母衣ダム湖畔、荘川桜が見れるだろうか?明日は吉野の桜、もう上の千本迄満開とか。遅いかな?でも目的は別に在るし良しとするか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月17日 (日)

嘆きの時を喜びに変えよう。 起こせ旋風。何時迄も耐える事はない。

Img_6470

久し振りに見る桜木は満開の時を過ぎ、この前来た時の紅白の交わりが無い。
あの日の感動が無いのはどうした事だろう?それでもこの樹が紛れも無く1本の幹である事を確認する。それがどうしたと言われない為にこの前の感動を次ぎに残す。

Img_6271_2

間違いない。感じが変わったのは今日は近くに接近したから?
それだけではない。花の盛りが過ぎてピンクの色が薄まったからかもしれない。
「花の命は短くて 苦しき事のみ 多かりき」(晶子)かも。
いや違う。見方、感じ方、感覚、イメージ、思い込み、その他だろう。

桜の樹の背景がその事を明示してくれている。人も花もこれくらいの関わりが丁度良いのかもしれない。偶然廻したテレビのチャンネルでN響アワー ズービン、メータ指揮のベートーベン交響曲第九「合唱つき」が放映されている。

早速録画。最近デジタル対応にして録画機能内蔵は嬉しい。ボタンを押すだけ。
今年の歓びは哀しみに増して少なくは無い。それが一番の歓びかもしれない。
「運命」と呼ぶには余りに哀しい被災地の1日も早い復興を祈念する。
ズービン、メータさん、ありがとう。歓喜の歌を歌える日が親父にも来る事を。

Img_6475

今年も綺麗な花びらをありがとう。又、来年です。
ズービン、メータさんの指揮は本当に素晴らしかったけれど、意外に若く感じたのは生き方がそうなのだろう。多くをぼやく前に自分に出来る事をやらなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 自分の存在感 自分探しの道標(みちしるべ)

Img_6434

支え合う心。人が人として生きる心。被災地の人の思いを重ねながら生きている人。その反対にそんな事には意識の薄い人。世の中は薄情と思いきやこの淡墨桜も100歳迄生きた宇野千代さんが、世間に紹介しなければ親父も知る由もなかった。

人の世の無情。人の世の思い。人の世の移ろいはその程度の事かもしれない。今年の春はそんな事を考えていると、この老木に多くの事を教わる。そしてこの桜を見ている人の顔に安らぎを感じる。何でだろう?よく見ると酒を酌み交わしながらの車座がない。馬鹿騒ぎが無い。子供達、若者の歓声が無い。みんな同じ方向を向いて静かに老木を見上げている。樹に背を向けて馬鹿話をしていたのは親父位だったのかもしれない。

今年の花見は「酒飲みの馬鹿騒ぎ」が少ないと言われている。流石にこの時期に花見を口実に馬鹿騒ぎをする輩はこの国の恥さらしだが、酒は飲むもの飲まれる物ではない。親父は酒の味は分からないし、馬鹿騒ぎに眉をひそめる方だから好ましい。

今週末(今日)から来週にかけてが花見のピークになるが、それも素人の浅はかさ、日本は広い。北海道で桜が見れるのは5月の連休の前後。親父が今年は何としても行きたい吉野の中腹から上の桜は次の日曜。岐阜と富山の国境の荘川桜は今月末だろう。

今年は多くの人が多くの言葉を語るけど、良く聞いてみると桜の言葉を語れる人は多くは無い。その程度です。その花見も出来ないで先を見通せない人の気持ちを親父は分かっていない。その事と現代進行形の復旧の遅れは何処で繋がっているのだろう?

Img_6271

この満開直前のソメイヨシノがその事を一番教えて呉れているのだろう?
始めてこの綺麗な紅白の桜を見た時、親父は唯、その美しさと2本の桜木の重なりに言葉を噛み締めていた。「人の生き方もこう在りたい。」馬鹿な酒飲みに煩い歓声と安い酒の匂いを振りまかれなくてもひっそりと生きて行く。その美しさに言葉が無かった。

その想いが今年は2本の細い幹の重なりではなく根元が同じだと知る。
今日もう一度良く見てみないと分からないが、人の生き方の本当の在り方を教えられる。多くを語る前にその万分の1で良いから行動で示せ。優しさ、思いやりを口で語るのは易しい。

今年の春の想いが爆発しないのは、それも関係しているのかもしれない。それでも春は行く。親父も今年の春を噛みしめなければ生きて行けないだろう。
何で人は自分の言葉しか語れないのだろう? (親父、それはアンタも同じです。)

それにしても間抜けな国策、電力需要、電力供給、都市と地方の共生について考えなければならない。難しい事は分かんないとか誰がやっても同じとか、元々何かをつぶやいてみても(親父レベルで)何も変わらないと考えていると、この国は大変な事になる。その反対にこの国のリーダーが涙声でこの国の危機的状況を口にしても同じだろう。この国の一番悪い所は責任者が責任を取らない。その反対に電車の運転手は運転席で携帯を操作すればあるまじき行為と言われ、即刻首。

なんかおかしく無いかではなく、間違いなくおかしい。今の悲惨的な被災地の状況にどれだけの人が責任を取ったのだろう?原発の安全性を声高に口にして、今尚、安定的な電力供給には原発が必要とどんなに口にした処で今年の夏は、電力不足を避けて通る事は出来ない。それとも自分達だけはその不自由と不利益を避けて通れるとでも思っているのだろうか?間抜けと痛感した時には遅い事を知らなければならない。

今の政府、今の行政、今の都市と地方の問題は多くの人が多くの事を語って来た。今テレビのコマーシャルで「この国の力を信じている」とか「頑張ろう日本」とか言われているがもうそんな時は既に越えている。この国の力を信じて頑張らなければいけないのは誰ですか?それが出来なくて責任を取らされないのは誰ですか? もっと急いで下さい。人の命がかかっている事を肝に銘じて下さい。親父の怒りはこだましている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月16日 (土)

地殻変動が起きている。親父も人事では無い。勿論貴方も?

Img_6454 親父さん、何ですか?この指。
「缶蹴りする人、この指とまれ。」

違うでしょう?親父の右指。
昨日行った淡墨桜の里を指し示しているのではない。
爪のネイルではない。汚い爪。

そう完全に親父の爪。瑞々しさは無くてもこんなに無様な厚さになんか不安です。体の中に何か予期せぬ物が生き付いているのだろうか?

そう体の中から何かが不気味に、これからの生き様を教えている。爪は体の状態のバロメーターです。

Img_6460_2 大分前に君から言われて興味を持った。

「変化を積極的に受け入れる」と考えて生きた人と唯々、試練と思い耐えた生き方の差は大きい事を痛感する。

今、この国は多くの試練と困難の中にある。

これ迄も何度と無く言われた言葉をこれほどに痛感する時は、これから先余り無いかもしれない。

突然の天変地異は人事では無い。その変化の兆しを感じ取れなければ、年老いて何に希望を見出すのだろう。

Img_6463_2 東日本大震災の後、読み始めた本。

正確に言えば手にしたのは最近だから、まだ仲々読み進んでいないが、それは言い訳。文字が小さくて読み難いのが本音かも。

しかし、何時の世も何処の国でも貧しい人の生き方は容易でない。貧しさの戦いは天災との戦いだけでなくある意味人災も小さくは無い。

国の舵取り、困難からの立て直しは口で言う程、容易ではない。人の生き方も他人事でないと思わなければ何時(いつ)何時(なんどき)当事者に成るやも知れない。

Img_6464 今夜のメーンディシュ?これで? 自分で買い物をして居ない時、こんなおかずを出されたら、どうだったろう。

あの時の生き方が今の生き方を反映している。そろそろ時効成立と思っているが、考えが甘い。その代償は一生掛かっても償えない。その事を思い知りながらカマスの開きを噛みしめる。味は淡白。可も不可もない。

Img_6465 親父のお気に入りのあげ。

焼き方が強くて水けが飛んで折角のお揚げが台無し。焦げているのは醤油を垂らしたから。揚げの美味さは何と言ってもきつねうどん。最近は関西人でも「けつね」とは言わない。

親父が独身の頃、京都で口にした「おあげさん」今でも健在です。

Img_6330

それでは気分を変えて先日歩いて来た大阪城前の広場です。

大阪は本当に暑くなりました。これから5月の爽やかな風に吹かれる間もなく、汗をかきながら何を手にするのでしょうか?それでも人は生きて何かを探しながら歌い、哀しみ、怒りの思いを重ねるのでしょう。人は希望と共に若く失望と共に老い朽ちる。(サミュエルソン)まさにその通り。秀吉もその事が分かっていたのだろうか?

Img_6444

最寄りの駅に続く道。多くの人は見向きもしない花壇。足を止めカメラを構えるのは親父ぐらいの者。しかし、この花壇はお金を掛けて整備されている事を、知る人も少ない。環境整備、花に囲まれた生活、花のある街は偶然の産物ではない。

今、BSフジでオーストリアのワイナリーの旅を紹介している。スイスの旅も良かったけれどオーストリアの旅も有りかもしれない。ビジネスクラスで行くオーストリアの旅。どれくらい掛かるのだろう?機内食に唖然とする。偉い違いとつぶやいている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月15日 (金)

岐阜大垣淡墨桜に合って来ました。最初で最後だろう?

Img_6419

大阪駅の大天井ホーム上の連絡通路も完成。
岐阜大垣樽見の淡墨桜の旅はここから始まる。
am8、21分発の新快速。米原乗り換え。大垣は10時30分前後に到着。
樽見鉄道乗り替え。車両は1台。当然、皆は座れない。
乗務員の感じも悪い。折角の花見気分も台無し。1時間立つ。
折角の桜も泣いていた。それでも親切な人は居た。
ひょんな事から桜を見ながらネギ焼きを食っていると、声を掛けられる。

Img_6433

山里の老木は息を吹き返していた。樹齢1500年? この幹の大きさを考えると当然かも。宇野ちよさんのお陰で有名になり公園として整備が進んでいる。問題は花見のシーズンだけでなく年間を通じて、どれだけの観光客を集められるかだろう?
その取り組みが難しい。桜の息吹は春夏秋冬。それを感じる感性をどう呼び起こすかが難しい。

Img_6421

根尾川の水はきれいだけれど、夏の水泳には初心者には水量が多い。適当な水遊びが出来る所はあるのだろうか?(余計なお世話です)蛍が飛び交うにも水の流れが速いかもしれない。秋の紅葉も車でないと電車のアクセスは良く無い。冬は尚更だろう。

Img_6424

Img_6425

遠巻きに見る桜は淡墨(うすずみ)には見えず。老いて尚元気。満開の時、散り行く時、この白い小さな花びらが淡墨色に見えると、宇野千代さんは1975年「淡墨の桜」でこの老木を紹介し、全国的に知れ渡る。それが無ければ今、この樹の元気は無いかもしれない。残念ながらまだ満開の時を過ぎていないので、淡墨の色には見えなかった。

 

Img_6422

愉快な親父さんとお母さん。親父より6つ上。人出が多くネギ焼きを手にして食っていると声を掛けられる。大阪でも最近はネギ焼き等口にしないが、腹が減っていたのだろう?箸を付ける前に「美味いか?』と言われる。食ってみないと分からないと言いながら会話が弾む。お母さん、良く笑う。

親父のぞんざいな口の利き方が余程面白かったのだろう。この親父のお陰で帰りは満員電車に乗らず、大垣迄送って貰う。笑いの絶えない夫婦、親父もこんな生き方が出来るだろうか?車は軽トラとジョークを飛ばしながらプリウスの新車だった。ありがとうございます。お幸せに。

Img_6430

Img_6439

逆光で露出が良く無いがこのアングルが一番この全景を現している。この花が散り始めるのは日曜日ぐらいかも。その時が一番この花の盛りなのかもしれない。それでも今週の日曜日大勢の人出で電車は身動き出来ないかも。行くとしたら車です。

岐阜と富山の国境に近い荘川桜も実際に見るとこんな感じかも?心の中で膨らむイメージは人も桜も同じかも。親父は一見厳つい(いかつい)が心根(こころね)は優しい。しかし、実際はそうではないと言われるのも同じかも。それもお互い様だけど。そうは思わない人が少なく無い。(アンタもそうだろう)ご免なさい。

Img_6435

しかし、ご立派です。これだけの添え木を従えながら長い長い風雪に耐え、今年もこれだけの花芽を咲かせただけで充分です。他に言葉はありません。大した事は無いと言われても貴方の生命力は、肌で感じました。本当に来て良かったと思います。

これだけの桜の大木は中々お目にかかれない。

Img_6440

曇り空に老木の生命力が生きている。まだ満開の時ではなかったが強いて淡墨の色を探す。でもこれはカメラのトリックで実際は黒みはない。白さがぼんやり輝いていた。

Img_6426

宇野千代さんは100歳迄生きる。アンタは幾つ迄?そう問われていたのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月14日 (木)

暑くなる。大阪から帰りの電車で汗、汗、汗。20℃?

Img_6405

まだ満開ではない。でも次の再会は月曜日。明日は花散らしの雨になるとこの美しさはこれで見納めか。美しさと香しさ。平凡な言葉しか出て来ないがそれで充分かもしれない。今年の春も心の底から突き動かされる感動は無いのだろうか?

Img_6397

それでもこの花びらを見ていると、その香しき香りだけで行く春を感じる。
この歳になって「春」を感じてもイカンともし難いが、それでも嬉しさと恥ずかしさが同居するのは何故だろう?理屈抜きの感動は喜びも哀しみも超越した「阿吽」の息使いかも知れない。親父にもまだそれだけの力が残っているのだろうか?

Img_6401

人の命に限りがある様に花の命も又、果敢ない。
親父さん、又、来年です。親父さんは血の気が多いけれど、私は養分を上に吸い上げる力を無くしている。今年の暑い夏、又、水をたっぷり注いで下さい。

Img_6412

痛々しい姿になりました。これが精一杯の今年の春。枝先が枯れ今年の春は新芽を椋鳥(むくどり)に突つかれたけれど、なんとかこれだけの花が咲きました。艶やかな姿とは程遠いけれど、親父さんの生き様は忘れる事は無いでしょう。お疲れ様です。

Img_6413

明日は岐阜大垣淡墨桜(うすづみさくら)を見に行きます。急に暑くなり花持ちが気に掛かるが、運が良ければ散り始めの景色の中に、淡墨の桜が見れるかもしれない。
大阪からは新幹線を使わずに在来線で大垣迄2時間。そこから樽見鉄道で1時間。
どんな出会いが待っているのだろう。又、見て下さい。「グーグルで必要な事はみんなソニーが教えてくれた」単行本 買いました。明日、電車の中で「怒りのぶどう」と共に読みます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月13日 (水)

懸命に花芽を広げる 満開の時はこれから。

Img_6387

Img_6389

Img_6391

今日の仕事場横の桜ちゃん。そう思わず愛おしさを込めて口にする。
昨年の夏の暑さ、芝の雑草除草剤の影響、幹の根元の栄養不足等の悪条件を克服。
それでもこれだけ地表近くの多くのつぼみは、樹の養分の吸い上げに力が衰えている表れです。今年はなんとか花芽を付けたが来年の約束は出来ない。

Img_6385

P1000319

この樹は別の若木。この地は肥えているが幹は細い。それでも細い幹が伸びやかに空に延びている。花芽も高い。羨ましい姿。これから幹も太くなるのだろう。それに比べると(比べるな)親父さん、大丈夫だろうか?心配すな。なる様にしかならない。

P1000320

この若木はしだれ桜。親父の相棒とは勢いが違う。若さとはこんなもんだと、さり気なく自己主張をしている。親父も相棒も唯、うなだれるだけ。どんなに逆立ちしても歳の数は誤摩化せない。そのつもりも無い。在るのは飽くなき挑戦と小児の如く求めて止まない探究心。親父達が生きた証はこれからが正念場を迎える。

P1000321

親父さん。体に気を付けて。息子や娘達に言われる迄もなく減量です。独身の頃の体重は無理(68kg)でも+20は太り過ぎ。食うのは良いが食い過ぎは駄目。過ぎたるは及ばざるが如し。食い過ぎは万病の元。太極拳だけでは駄目だよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月12日 (火)

桜が咲きました。桜の精が見守っていました。

Img_6383

何と美しい開花の時でしょう。親父の昨年来の友は親父の顔を待っててくれました。
数日前から一気に暖かくなり、休みの間に満開になったらどうしょうと気になっていたが、大丈夫だった。これでまだ5〜6分咲き。後2日楽しみです。

Img_6374

本当に頬ずりしたくなる美しさです。この花がこの枯れ樹寸前の花とは思えない。
顔を付け鼻で匂いを嗅ぐと、何とも言えない香りがする。最近幼子の香りを嗅ぐ事も少ないが嬉しさが込み上げてくる。これほどの花見を親父が独り占めで良いのだろうか?(良いのです。その為に咲きました。)有り難く見させて頂きます。

Img_6381

親父のカメラが匂いを嗅いでいる。ピントが奥に合っていると言われても気にしない。これだけ撓わ(たわわ)のつぼみが花開くと、圧巻の景色を見せてくれるのだろう。それでもこれはカメラのトリックです。実際はこの感じ程、密集していない。

Img_6379

これが実景。(親父さん、ばらさないで下さい。)大丈夫。親父しか見ていない。

Img_6376

これだけの姿を見せてくれたら、言葉はありません。このアングルで満開の時、親父には言葉が無いだろう。今週末岐阜大垣の淡墨桜との初対面に負けないかも。マダマダ健在。恐れ入りました。最後の力を振り絞ったのでは無い事を祈る。

Img_6378

なんか君の叫びが聞こえる。本当に感激です。大きな幹は枯れてもその上に太い枝が伸びている。それから伸びた細い枝からつぼみが膨らんでいる。これがホンマの生命力。親父に見せつけている。ありがとう。本当にありがとう。ビューティフルです。

Img_6377

枝先が枯れても下から桜の雪洞(ぼんぼり)が突き上げて開花している。こんな桜花見た事が無い。空は青く枯れ枝は痛々しいがそれをも越える。親父さん、生きるとはこう言う事ですと教えられている。立ち上がれジョー。立ち上がれくーちゃん。

Img_6380

地面から低い位置からこれだけのつぼみが沸き上がるのは、桜の末期が近い。
信じられない事だけど樹が養分を吸い上げる力が、弱くなっている。だからどうしたと言われているが、この密集した姿を親父は忘れない。そしてまだまだガンバレ。

Img_5930

五月山山麓の親父は今年も元気だったが、君と同様、来年は分からない。
それでも今年も元気な姿を見せてくれた。親父も大分くたびれたがまだまだです。
長い長いトンネルの先に見えた明るさは、砂漠で見る蜃気楼かもしれないがそれでも希望の思いを絶やさなければ、歓喜の春は目前かもしれない。

無理だな。それでも夢を見る事を諦めるなと教えられている。苦しくても悲しくても君が教えてくれた今年の春を親父は忘れない。東日本の大震災の慟哭の春は当事者で無ければ分からないが、それでも春は行き夏が来て秋が来る。桜を見た吊り橋を渡りながらサングラスの奥で光っていた涙は、遠い彼方に過ぎ去って長い々冬が来る。

それでも春は巡る。最近は予期せぬ事が少なく無いけれど、生きて行く事はそんな事かもしれない。それにしても無我夢中で生きていた時が走馬灯の様に巡る。良く生きたと言われる様にもうひと踏ん張りして下さい。桜の精に囁か(ささやか)れている。ありがとうございます。美しい姿と香りをもう少し楽しませて下さい。

Img_6049

Img_6051

何故か最後は身代わり大師。これは未公開の紀三井寺の大師です。
大師のお力を借りて被災地の1日も早い平安と回復を祈念しています。
親父も桜もそしてこのブログを見てくれた貴方も春が来る事を祈念します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月11日 (月)

大阪城 久し振りのご対面

Img_6329

何時も拙い親父のブログにお付き合い下さりありがとうございます。
毎回、ぼやいてばかりで不快の思いをさせて申し訳ありません。そんな皆さんに今日は久し振りの大阪城を紹介します。すっかり様子は変わりましたが大阪城は昔の侭でした。始めて行ったのは親父が就職試験を受けた17の夏。あれから半世紀が過ぎる。

Img_6368

このしだれ桜は最近植えられた物。大阪城の桜は満開の時を過ぎていたが、これはまだこれからだった。今年はこの色、この形のしだれ桜との出会いが多い。

Img_6341

これは城内の桜。満開見頃。シャッターチャンスでポーズを取るカップルが多い。
さすが親父、人影を写さずに桜の歓びを切り取っている。これは自慢出来る。

Img_6338

もうすぐ大阪城が視界に入る。この桜は満開の時を過ぎて落花が始まっていた。

Img_6337

風に花びらが舞っている。残念ながらこのデジカメではその姿を捉え切れていない。

Img_6345

このデカイ石。備前岡山から運ばれた有名な大石。今でもこれだけの大石を運ぶのは容易ではない。戦国の世が天下太平の世に変わる時、徳川への忠誠心が問われたのだろう?その徳川太平の世が300年続く。この国の歴史の汚点。武士の世が何時迄も続く訳は無い。この間にアメリカは西部開拓(侵略)史を続けて、太平洋を黒船で越え日本の太平の世を叩き破る。

Img_6346

この石がどれだけデカイかを知ったのは17の時。あの時感じなかった歴史の重みはこの無駄な労力を讃えた為政者の浅はかさを、端的に現している。大阪城は今、我々が眼にする以上にデカイ要塞だった事が実感出来る。

Img_6347

ハイ。能書きが多くなりました。ここからは大阪城内、コメント無しで行きましょう。

Img_6348

Img_6350

Img_6356

Img_6359

Img_6361

天守閣展望台からの眺望。豊臣秀吉の一代目の高さはこの高さと同じだったか分からないが、関西のこの台地にこれだけの城を建てた秀吉の力が良く分かる。最初に来た時にこれだけの高さを感じなかったのは何故だろう?

この鉄筋コンクリートの建物でも、下の人の小ささを見ると後ずさりをする。
当時は正面右の高い建物も無く、浪速の江(大阪港)が見通せただろう。西に沈む夕日を見ながら秀吉の得意満面の猿顔が見えてくる。(まさか)

Img_6344

今は空堀。それでもこれだけの深さがあれば攻め落とす事は容易ではない。
難攻不落。この城が攻め落とされるのはこの堀が埋められてから。秀吉の思いを踏み倒した家康は秀吉の死後、幼子と妾の面目をいとも容易くねじ伏せる。

Img_6328

大阪城の概略。パソコンに拡大機能があれば目一杯広げてみて下さい。
それでは最後に外堀の外から大阪城を見ながらお別れです。
次の見る機会はあるのだろうか? あるとしたら娘と一緒だな?(何処の娘ですか?)内緒です。

Img_6332

大阪城を出ると思い掛けない雨。春雨と言うには少し濡れるが、はげ頭にハンカチをのせながら地下鉄入り口迄、淡々と歩く。地下鉄の入り口は谷町4丁目。その手前で雨は上がる。大阪落城の涙雨だったのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

まだまだ満開の桜 岐阜淡墨桜はまだ早く今週末?

Img_6318

近くのしだれ桜。意外にまだ満開ではない。どれ位の開花状況だろう?桜の本当の美しさはこれくらいかもしれないが、この国のこんな美しさが被災地では見れない。今日はお休み。岐阜の西側、大垣の北、樽水鉄道終点近くの淡墨桜を見に行く予定が、急に下の右一番奥歯が知覚過敏となり、掛り付けの歯医者で治療。取りやめ。

しかし、パソコンで調べてみると上の写真位の開花状況。桜にも色んな美しさがあるが淡墨桜の美しさは満開を過ぎて散り際と言われているから、今週末の変更で正解かもしれない。散り行く桜が淡い白さから淡い墨色に変わる時、見果てぬ夢をどれだけ叶えて呉れるのだろう。

Img_6320

これも街中の桜。ほぼ満開。今年はこれほどに多くの桜が見れるのは、吉兆の兆し?それも無くは無いが親父の意識がそうさせているのだろう?
(親父さん、本当に花や樹、自然の営みに関心が深くなりましたが、何でですか?)
他に関心が無くなったからだろうか/それも違う。思い込みが強いとその反動もあり? あるでしょう。でもそれが歳を重ねると言う事です。そんな生き方が出来る?

Img_6323

後ろの建物が折角の満開の桜を邪魔しているが、人の世も同じかもしれない。
福島の原発避難地域の拡大?何たる無様だろう?不自由な避難生活の改善も出来ない政府に私達の出来る事は何だろう?今、その事が問われている。

Img_6321

今年はこれだけの桜が見れたのは本当に嬉しい。桜の生命力は親父に多くの言葉を語りかけている。まだまだこれはその始まりに過ぎないのかもしれない。今年の春は親父にとって大きな変化の時と思われていたが、何かを手にする前に大きな災害を目の当たりにして今は愕然としている。

それでも桜の精が教えて呉れた言葉を親父は忘れない。民主大敗?間抜けな幹事長に反省の言葉も無い。復興支援に全力を尽くすと言われても貴方達に突きつけられたレッドカードの重さを認識しなければ、更に重い国民の審判を受けるに違いない。

Img_6315

親父が多くを語る前にこれから花開くこのしだれ桜が全てを語っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大阪も一気に暖かくなりました。アホでんなあ。食い過ぎです。

Img_6268

夕方の散歩で小学校の桜を見る。街中の桜はまだ満開の時を残していた。親父が小学校入学の時の満開の桜が鮮明に思い出される。あれから多くの歳月が流れてこれからはその半分も生きられなくなる。長く生きる事より如何に綺麗に生きるか、その事が問われている。

Img_6269

少し近づき過ぎ。BSテレビがイタリア、ロミオとジュリエットの舞台をカーメン、キャバレロが演奏している。時が止まる事は決して無くても、そんな錯覚に陥るのは音の無い風景の所為かもしれない。サクランボの実が成る時にどんな空を見るのだろう?愛の讃歌?それは無理でしょう。それでは旅の讃歌。それはありかも。

テレビの画面がドイツ、オーストリアに変わる。エーデルワイス、サンタ、マリアの祈り。画面に見とれているとイエスタデー、スカボローフェアこのCdセット買いますか?イエスタデー、ワンス、モアー 過ぎたるは及ばざるが如し。愛とは決して後悔しない事。良い言葉ですね。虹の彼方に飛んで行く前に。エデンの東。カーメン、キャバレロの演奏はマントバーニー、オーケストラの夢見る人に変わる。

Img_6271

今日は閉園の池田文庫。白とピンクの桜に近づく事は出来なかったが、これで充分です。夫婦とはかくあるべしと教えている。2本の樹と思っていたが根元をよく見ると寄り添っている。阿吽(合うん)の呼吸は幼なじみでないと難しい?

Img_6273

日が沈み暗くなるにはまだ早い。この坂を上り切ると城跡公園です

Img_6280

Img_6283

城跡公園はまだ桜が残っていました。アベック(古い)と子供連れ、熟年カップルを無視してハクモクレンが一輪、太枝から花びらを広げていました。孤高。親父に何かを語り掛けていた。時代は変わる。そして人の生き方も変わる。それが分からなければ生きて行けない。大阪が変わる。国は変わらないのか?

Img_6284

しかし、親父にはこれは変化の始まりに過ぎないと思う。既成の政党にレッドカードが突きつけられて選挙組織の強い政党が生き延びたに過ぎない。一方圧勝の地域政党も課題をこなすには名古屋と大阪だけではイカンともし難いだろう。

Img_6307

Img_6278

桜の花が美しいのはその花に妖精が宿るからでしょう。そんな馬鹿なと思われるならこの画像を少し離れてみると良い。花の美しさは人と同様その立ち振る舞いで決まる。桜にこれだけの美しさがある事を始めて知る。

Img_6308

そして又、あらたな年を越える。

Img_6310

今夜のアジたたきどんぶり。アジは(シャレではない)上々。しかし、魚が小振り。
Img_6311

ブナしめじとピーマン、ブタロースの親父炒め。トマトもしっかり炒めてる。おかずはこの半分で上等。エバラ黄金の中辛のたれで見栄えは今イチでも絶品。完食。オイオイ。食い過ぎです。

Img_6312

ごちそうさまでした。絶対叱られる。でもこれだけ食えればもっと歩きなはれ。そうすればもっともっと遠く迄歩けるに違いない。腰が又痛い。ストレッチさぼっている。アベマリアに笑われたけれど、踵落とし出来まへんがなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月10日 (日)

お花見も済んだし家でおとなしくしている。

人の生き方は様々です。被災地の事を考えると今年の春は本当に心重いが、何でも自粛はどうかとか行き過ぎは良く無いとか、消費ムードが悪くなるとか、色々言われても今年の春がこれ迄の春とは大きく違う事は、誰にも否定は出来ない。

想定外の事が起きて大切な人を失い今尚、被災地で不自由な生活を強いられている人の事を思えば、俺から始まる苦難の道は避けては通れないのだろう。尊い人の命が失われても他人の事だと思えば人はこれほどに無情の生き方が出来るのかもしれない。

それでも間違いない事は今年の夏、これ迄経験の無い電力不足。西日本は関係ないと言われても東日本の事を考えると経済界、景気に与える影響はボクシングで言えばダウンブローの様にじんわりではなく、強烈にダメージを与える。

その対策が今、検討されているが総論賛成核論反対のこの国の風潮を考えると、難しいかもしれない。その為にも福島原発の一日も早い放射能汚染の終息が求められたが津波の桁違いの被害の前には未だに為す術が無い。それなのにあのとぼけた会見は何だろう?

原子力発電のリスクの大きさを思い知らされても尚、原子力発電は地域住民の支持を受けると思っているのだろうか?その事を思い知らされる前に福島原発放射能汚染を一日も早く終息させる責任の自覚はあるのだろうか?それが長引けば東日本の復興は難しい。そう思う。常識は非常識。未知への道は今、問われている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

公園の手品師

Img_6226

満開の桜に勢いが無い。見上げる空一杯に広げた花びらに花祭りの宴が無い。
今年の花見に心の底から沸き上がる歓びが感じられないのは親父だけでは無い。
そんな思いをこの桜の大木も感じながら、これから始まる花吹雪の時を待っているのだろう。今年も無事役目を終わりました。来年は分かりません。そう言っている。

でもよく花びらを見ると花が密集しているだけで、親父の思いが勘違いだと分かる。人の思いを推し量る事は難しいが、花の思いは手に取る様に分かる。人の命の重み同様に桜の樹にも多くの思いがこもっている事が、分かる人は少ない。(まさか)

Img_6224

フランク永井が「公園の手品師」を歌っているが、その木は銀杏。
この樹は何を歌っているのだろうか?老いて益々盛ん。親父さんも未だに血気だけは盛んだけれど。これほどの貫禄はまだまだと嗜められて(たしなめらて)いる。

嗜められる?意味分かんない。意味は注意、指導する事。親父さん窘めるでは。そう漢字は難しい。嗜むは食事をたしなむです。意味は?それ位は調べなさい。英語で言うと?これも大好きな言葉です。have a taste forとかbe fonnd of 違うかな?

Ihave a taste for specialty life こんな言い方が出来るのかな? 桜の老木が冷笑しています。(お主、何者?)ハイ、変わり者です。(お主、年はなんぼ)それは秘密です。しかし間違いなく親父さんの足元にも及びません。あやかりたい。(おすそ分け)。(精進しなさい)他愛無い会話が続く。若い樹がこれほどの年輪を刻むのはどれ位の歳月が掛かるのだろう。親父の「公園の手品師」は銀杏から桜に変わっていた。

Img_6267

お昼のお弁当。メーンは富山直送の鱒棒寿司。ネタは予想外にいけたがシャリが押さえつけられて喉に詰まる。お茶、お茶と思っても誰も入れてくれないので辛抱する。豆ご飯は予想以上に美味しい。昨日買った田舎の漬け物が半分残っているので、それを楽しみにお茶を入れる。お寿司は握りでないと鱒寿司も難しいのかな?そんな事は無い。中央自動車道恵那インターで口にしたあの味は忘れていない。値段の差かも。

後ろに少し見えるのはエースコックのワカメラーメン。これは親父のお気に入り。流石に鱒棒寿司でお腹が一杯。おやつか夜食にする。親父、食い過ぎの声が駿河?無視。明日は岐阜の大垣の北、樽水の淡墨桜(うすずみさくら)を見に行く予定が、虫歯が痛い。どうしょう?仕事場横の桜も気になるし、休みだし、どないしょう。勝手にどうぞ。失礼しました。

それでは近くの教会の桜、満開でした。写真を撮っていると娘が駆け出して来てぺこりと頭を下げる。いい子だな。賢く育てよ。桜を見上げながら嬉しくなる。何か用事をしに出て来たのだろうか?レ、ミゼラブルの世界が現在に甦る。

Img_6242

Img_6244

これは一本の幹から小枝が重なり合っている。そこから広がる今年の息吹。春爛漫の時を演出している。見上げる人は誰もいない。腰をさすりながら見ていると日差しが眩しい。これが今年の一番の賑わいです。ゆっくり、ゆっくり最高の時が過ぎて行く。

Img_6243

少し角度を変えて見る。この位置から見ると桜の活力が満ちている。この樹は今迄紹介した中で一番若い。若さとは良いもんですなあ。何故か老体にムチが入る。しかし、良く考えて見ると親父もマダマダ健在。これからの時にエールを贈られている。? そうだとしたら嬉しいなあ。楽しいなあ。太極拳頑張りなはれ。(又、それですか?)親父の自己中の生き方は変わりません。

Img_6249

今年も一段と立派に咲きました。この幹も親父世代。この樹の前の御婦人に教えて貰う。次の写真を見るとこの樹の逞しさが良く分かる。しかし、樹は意外に若い。(親父さん、それが言いたかったのでしょう。バレたか。バレバレです。)

Img_6248

下半身がカットされているのでこの樹の凄さが良く分からないが、住宅地の狭い道の片隅を占領している。そんな理由で横に伸びる枝葉は切り落とされているが、気にしていない。今週末には花びらを散らせて若葉の時を迎える。

Img_6261

根元より上の方が膨らんでいる。安定感が悪いと思いきやそうでもない。何でだろう。それだけ路上の占有を気にしているのだろうか?そうでも無い。我、事に於いて、後悔無し。宮本武蔵の生き方かもしれない。武蔵は2刀流。お主は?

Img_6264

Img_6263

Img_6265

それでは又来年。天高く伸びている枝も来年はクレーン車で切られるかも。それはそれで良しとするしかない。住宅地の桜もどっこい生きている。これからは大阪も一気に暑くなる。今年の夏は厳しくなる。その時にじたばたしない生き方が今、求められている。歯が痛い。職場横の桜が明後日迄は無理と呼んでいるのかもしれない。

Img_6256

それでは今年の近くの桜とお別れです。又、来年お会いしましょう。今年はあちこちの桜と顔を合わせるので来年はどうだろうか?先の事は分からないけれど今年は意外な所で意外な桜が見れそうな気がする。その事は何を意味するのか分からないが、美しい人、美しい景色、美しい日本の原風景に出会える事は最高の喜びに違いない。又、来年。又、君に負けない美しさに出会える春が来る事を祈念しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 9日 (土)

親父の相棒は今年もなんとか元気でした。来年は大丈夫?

Img_6205

イヤー咲きましたね。今年は一段としんどい状況。近くのブランコと木造の遊戯台で父親の声がデカイ。親父の気持ちを代弁して開花の時を見に来た親父が、ぶつぶつ言いながら眼を飛ばしている。親父達が生きる時は意外にしぶといのかもしれない。

Img_6214

親父達が生きた時代。そしてこれから生きる時代。君は多くの事を教えて呉れた。これからの親父世代の事を語る人は少なく無いが、本当は若い世代の生き方が問われている事を知る人は少ない。親父世代のアホな生き方も少なく無いが、これからの生き方は非常に厳しい事を教えて呉れている。

Img_6212

逆光でよく見えないがこれが枯れた幹の左に伸びている太い幹。そこから更に枝先が伸びこれだけの花びらを広げている。しかし心無しかその勢いが弱い。親父も気持は若くても、肉体に衰えが見えるのは必然だろう。太極拳頑張りなはれ。

Img_6216

空は夕暮れを感じさせない。横に伸びている緑の桜花は瑞々しい。樹が若いと言う事は世代交代を痛感させる。しかし若いだけではこれだけの感覚は無い。この後、桜祭りに解放されたグランドで浅ましい姿を眼にする。花見の酒は許せるが馬鹿者の歓声はこの時期、自粛と言われても当然だろう。人の慟哭の思いが分からなければ地獄に堕ちる。その道理が分からない若さに批判の声が出ても当然だろう。

Img_6217

その浅ましい姿を近くの桜はしっかりと観ていた。桜の妖精は美しさと鮮やかさの中に魔性の力を秘めている事を知らないで、「一気、一気」と叫んでいる。急性アルコール中毒はシャレにもならない。この桜の生命力を感じ取れる感性はない。

Img_6219

この樹も老木です。意外に元気に見えるのは日当りが良いからだろうか?生きる力はある意味、偶然と必然性の重なりかもしれない。生きたくても生きられなかった人、もっと生きて多くの事を為してほしかった人が、どれだけ亡くなっているか、それくらいの事を考える生き方が求められている。

Img_6222

少しピンボケ。親父のつぶやきがうっとおしいと言われている。

Img_6207

それではこれでどうだ。親父の思いが爆発している。オーバーです。このアングルは最初にお見せした親父の相棒の近くの景色です。何々?まだまだ?それではこれでどうだ。

Img_6221

この樹も老木。老いたりと言えどもマダマダ健在。しかしこれだけの花を咲かせても桜の生命力には限りが在る。人の命はもっと残酷で果敢ない事を酒飲みは知らない。この樹のデカさをご覧あれ。それでも来年開花の保証は何処にも無い。

Img_6227

この地は街中のハズレ。少し山麓から下りて来ただけでこれだけ違う。この樹は満開の時を越していた。花吹雪一歩前。親父の仕事場の前の桜は親父が今度出社の12日迄待ってて呉れるだろうか?これだけ暖かいと心配になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラデッキー行進曲を聴いています

Img_6198

雨上がりの駅迄の花壇。チューリップが密やかに廻りに気兼をしながら、つぼみを広げている。もうすぐ春と言われて久しいが今年の春は4月だと言うのに、ひんやりと冷たい。春の息吹を全身に感じながら胸一杯に春の時を感じる事は今年も無いのだろうか?

そんなブルーな気持ちをパープルなチューリップの花が笑っている。
「親父さん、若い。春は誰にも来ます。今年は大震災と津波と原発と天災、人災に襲われているがそれは被災地の人の事。親父さんは親父さんに出来る事をして下さい。」これから春の艶かしい風の中で親父の春が始まる。

Img_6199

この黄色い花はカメラのアングルからはみ出している。本当は勇気と希望をこの老体に叩き込むつもりで切り取ったのに何故かずれている。しかし、よく見ると右下にチューリップのつぼみは本当の今年の春を教えている。ガンバレ、ガンバレ。

Img_6197

先日、梅田の大手書籍販売店でやむなく手にした文庫本?今、若者達の書籍離れが指摘されているが、しかし、この本屋さんに行って見なはれ。毎日毎日おびただしい本が棚に並び、廃棄されている。書籍離れの現象は確かに進んでいるが、本から手に出来る感動は体感しないと分からないのかもしれない。

最近は知識より体験、決断力、危機管理、危機への対応が求められている。しかし、自分を良く見直して見なはれ。口先ばかりと批判は出来ても本当の自分と他人を知らない人が余りに少なく無い。人の生き方は様々でもそんな生き方は自分自身の墓穴だとは誰も教えてくれない。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥。この言葉も知る人は化石かもしれない。覚えてますか? そんな事をつぶやきながらこの物語を読み始めています。スタインベックが教えて呉れた「怒りのぶどう」は今の親父に空元気を与えてくれるラデッキー行進曲かもしれない。

Img_6201

昨夜来の雨が上がる。パンジーの葉っぱも心なし開花の歓びを押し殺している。それでも君は美しい。花の美しさ、人の美しさは様々でも本当の美しさを私達は知らない。薄汚れた人の思いを冷ややかに見ながら、雨上がりの日差しを一杯に受けている。

Img_6200

親父のひねくれた根性を睨まれている。それでも怯む事はない。テレビのコマーシャルで尤もらしい事が言われているが本当の支援とは何か、分かっているのだろうか?どんなに多くの言葉を重ねても、人の思いを越えられる事は無い事位、思い計れないのだろうか?その事はこれから問われる。言葉だけでは無く今問われている事は「一日も早い復興」です。その姿を指し示せない私達に何が語れるのだろう。

人の思いとはその程度の事です。政治家、お役人、天下り高級官僚、学者先生、この国で多くの事をしたり顔で語る人達にどれだけの支援が出来ているのだろう。今、その事が問われている事をマスコミはもっと語れ。今、この国で一番生き方が美しいのは石川遼かもしれない。それだけの稼ぎ方もしているからだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 8日 (金)

暖かい雨。遅い開花の時が目前です。

Img_6196

美味い物に理由は無いと言われるがそれは違う。
コーヒーもそうだろう。親父達が若い頃一杯一万円のコーヒーが話題を呼んだが、今は一杯500円が相場。そのコーヒーに多くの想いが重なる。

たかがゴルフされどゴルフと言われるがコーヒーも同じだろう。
コーヒーだけでは無いのかもしれない。最近、この歳になってやっとその事に気付く。それくらいの事をもう少し早く気付く手立ては無かったのだろうか?

もう少し早く気付いていたら、今の様な情けない生き方はしていないと思うが、それも家康に言われる迄もなく「過ぎたるは及ばざるが如し」だろう。余命をまだ宣告されていない内にその事に気付けば、少しは心地好い生き方が出来るかもしれない。

Img_6191

仕事場横の桜のつぼみが満開の時を窺って(うかがって)いる。
関西は今年はついこの間迄、寒気が立ち去らなかったがそれもようやく暖気に変わる。昨日は所用の帰り夜の電車で薄いジャンバーを脱ぎ、カッターの袖を捲し上げていた。額の汗を横に座った娘に覗き(のぞき)込まれながら、平然と「怒りのぶどう」を読んでいた。そんな親父をあざ笑いながら桜のつぼみは開花する。

明日と明後日は大丈夫でも明々後日は花開くだろう。親父が見れるのはその次の日。その日迄待ってて呉れるだろうか?それは無理かもしれない。満開の時を過ぎてもその美しさは変わらないが、叶う事なら休みの間開化の時は長持ちしてほしいが、どうだろう?

Img_6192

この日の為に今年も多くの難関を乗り越えながら、ここ迄来ました。
桜のつぼみ、蟹が足を広げた様にここ迄はスタンバイ、オーケーです。
このつぼみが広げる開花の色は何だと思います?白です。白。アンビリバブルです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 7日 (木)

怒りのぶどうは今、又繰り返されている。しかし、この状況はひど過ぎる

Img_6159

これは4月3日の画像。ほぼ満開。今週末は花吹雪となる。
大阪駅前の大手書籍販売店で「怒りのぶどう」のハードカバーの本を求める。
世界文学全集、親父世代が若い頃ブームだったセットは無くなっていた。

在ったとしても親父の求めているこの本だけでは、さすがの大手書籍販売店もイカンともし難い結果しか返答出来なかった。最近の活字離れはこんな処にも出ている。ハードカバーの活字の大きい本は諦めて文庫本にする。活字が少し小さいが読めない事は無い。少し近視の度を上げたお気に入りの眼鏡でもチョとしんどい。

それでもこの本は何としても完続しなければならない。1940年代のアメリカ農民の苦難。その歴史が70年も過ぎたこの国で今、繰り返されようとしている。それにしてもこの国のこの政府の意思決定の遅さとお粗末さは、怒りの限界を越える。

避難の期間が長引けば怒りの思いが爆発する。外国から畏敬の念で見られているこの国の人達も、何時迄も辛抱出来る保証は何処にも無い。その事を政府は分かっているのだろうか?お間抜けな記者会見と原子力なんとか委員会のコメントを聞きながらそう思う。

この組織には責任者は居ないのだろうか?この人達の仕事の評価は誰がしていると思っているのだろう?親父がぼやく事は何も無い。そう遠く無い時、この組織は人々の信頼を失う。原発の避難行政の単位で放射能汚染の検査をしなければならない時が目前に迫っている。

故郷を追われ生きる糧を奪われても懸命に生きようとしている人達に、国は一体何をどうしょうとしているのか/さっぱり見えてこなければ避難者の怒りの声はぶどうでは済まない。関係者は命がけで仕事をしているが役人も政治家も関係者だろう。

Img_6156

被災地の支援。多くの人の思いがまだまだ被災地に届いていない。

この老木を見て見ろ。必死の思いで満開の桜を支えている。花が咲くとはどういう事か、人の思いが華やぐとはどういう事か、春の歓喜の渦の中に入りたくても入れない人の思いを理解出来なければ、今を生きる人達に喜びは無い。その事を忘れたらアカン。そう言われている。桜の開花の時はそう言う時です。そう思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

汚染水放出説明不足 真摯に受け止める?言葉を弄ぶな(もてあそぶな)

福島原発の放射能汚染水の放出は、どれだけこの原発が深刻な状況なのか、私達に教えている。しかしその状況がどれだけ深刻なのか誰にも分からないから、疑心暗鬼を生む。茨城沖の魚が本当に食えないのか?食えないのならその補償はどうするのか?全く見えてこない。福島原発周辺住民を退避させても何時迄その状況を続けなければならないのか、説明出来なくてもその政府、責任を果たしていると言えるのだろうか?今度の日曜日地方選挙でボコボコに負けても、責任回避の言葉を重ねるのだろう?暗澹たる思いで花見気分ではない。(それでも出掛けるけれど)

政府に危機感が足りずにその処置が拙ければ怒りの鉄槌は、何時何処で誰が振り下ろすのだろう?この国家の存在が問われても被災者以外の人達の冷たさは何たる事だろう?一人一人の多くの善意も遅々として進んでいない事をどれだけ意識しているのだろう?多くの自粛の動きが批判されているが外人観光客の日本離れがその答えを示している。

この国は暫くはそんなムードではない。政府、行政に信頼が置けないとしたらそんな国の何を観光するのだろう?安全宣言を何処迄明確にして出来ない地域は何処迄なのか?それが言えないのだから安心して観光など出来る訳が無い。

政治家は被災地に住まいを移せ。被災地の人と同じ生活をしろ。同じ不自由な生活の中からコメントをしろ。東京の豊かな生活の中で間抜けな事を行っている間は、この悲惨な状況は時が解決するしか無い事を、マスコミは理解していない。

この国の底力が誤解されている。何を根拠にこの国の底力とやらを語るのだろう。今この国の被災地の混乱を見て語れ。このがれきの山、この荒廃した景色の前の何を語るのだろう?過去の話しをどんなにしても当事者には何の希望にすらならない事を、この人達はどれだけ理解しているのだろう?

この時、被災地の人がどれだけ苦しさの中で懸命の思いをしているのかを語れ。そして腹一杯の飯とみそ汁と漬け物を食わせろ。今の不自由な生活は何時迄に目処が付く、その言葉を語れなくて尤もらしい希望的観測を語るな。そのうち、その代償は計り知れない事に気付いても遅い。危機管理、自分の身は自分で守る。その事を思い知らされている。

Img_6158

今日はお休み。穏やかな時を叩き破られる事をどれだけ感じても有り余る事は無い。
そして被災地の皆さん。今は何も考えられなくてもとにかく生き延びて下さい。
その先にどんな事が待ち受けているかは誰にも分かりません。希望の花を手にして下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 6日 (水)

放射能汚染、風評被害、自粛ムード、買いだめ?

Img_6190

一気に暖かくなり関西の最高気温20℃弱。明日は20℃を越えるとか。それが過ぎると雨。その後は少し温度が下がる。今年の花見のタイミングは昨年同様難しいかも。昨年は京都御室仁和寺の遅咲きの桜が意外に早かったが、今年はどうだろう?

Img_6189

綺麗な桜もつぼみをこれだけアップすると不気味な感じがする。
放射能汚染の報道も同じだろう。これだけ毎日毎日汚染、汚染と報道されれば売れる物も売れないだろう。ホンマに福島、茨城沖の魚が食えないのなら、これから原子力発電が出来なくなる事を国も東電も報道機関も、理解しているのだろうか?

そうは思わない。ご丁寧に危険のニュース解説迄しながら何を説明するつもりだろう?そんな事より今の状態なら何も心配する事は無い。どんどん食べて下さいと何で言わないのだろう。それが言えないのなら漁業を出来なくさせた補償しか無いだろう。

何時迄も電力会社だけの責任と考えていたら、漁業、農業は人災でその損失は計り知れない。その責任を政府は取れるとでも思っているのだろうか?先の見えない原発の放射能汚染。その終息迄には何れだけの時間が掛かるか分からないと、何時迄言えるのだろう?今年の花見は被災地には無い事を忘れてはならない。

Img_6136

それでも親父は今年は必ず吉野の桜と岐阜の桜を見に行きます。どちらも永年の夢でした。その気になればいつでも行けた吉野の桜。何故か心の糧を無くすと花を愛でる気持ちも無くすのだろう。それが何故だろう?今年こそ吉野山の想いが強い。

岐阜の桜は子供達が小さい頃、山間でない里の桜を見た気がする。何処の桜か覚えていないが飛騨路と違って東海北陸自動車道の道は途中迄しか記憶に無い。その記憶も会社の慰安旅行。岐阜長良川、郡上八幡迄の道。その先は歩いていない。

それなのにこれほどに思い入れがあるのは何故だろう?名岐バス車掌佐藤さんの熱い思いを知ったからだろうか?それも最近の話しではない。今から半世紀前の話し。1人の熱き思いが家族を犠牲にし、己の健康迄その代償にして追い求めた夢は、太平洋と日本海を結ぶ桜の街道。その道は今、どうなっているのだろう?

それは分からない。しかしこの道は今、一本の道は皮肉にも、親父が大阪に来て2度目の仕事をした時、走った高速道路しかない。佐藤さんが乗務した名古屋と富山を結んでいたバスは過去の遺物となっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 5日 (火)

桜のつぼみに笑われている。

Img_6182

Img_6184

先日近くの城跡公園でしだれ桜の美しい花見が出来たが、仕事場近くの桜はまだつぼみ。おどけた顔で親父の様子を窺っているが満開の時は遠く無い。関西の春は選抜からと言われているが、選抜が終わっても一向に暖かくならない。

東日本大震災からもうすぐ1月になるが、被災地の復興は遅々として進まず福島の原発は日を追う毎に、その被害の大きさが明確になって来る。原子力発電の安全神話がこれほどに揺らいでも政府、電力会社の取り組みに為す術が無いのは何たる無様だろう。

最近は新聞は当然の事、テレビのニュースも音声を消してアナウンスを聞いていない。放射能汚染が大地と海洋を汚し多くの補償を求められても、東京電力1企業には既にその能力はない。マスコミがなんだかんだ言う前に政府がどうして補償を約束しないのだろう。

放射能汚染が大気中、大地、海洋に何れだけ含まれているかを口にするのは、ある意味、原子力発電を否定する事を全く理解していない。一方で低いコストの電力を贅沢に使い、一方でその危険を口にする。現代の文明はそこ迄お間抜けなのか?桜のつぼみに笑われている。

寒かった陽気がようやく暖かくなると桜は一気に満開の時を迎える。
被災地の復興と原発事故の終息、誰が何時迄にどのような道筋をつけるのか?
それくらいの事は枝野さん、語って下さい。
親父は明後日の休みの時、大阪に出掛けますがジュンク堂(大手ブックストアー)で「怒りのぶどう」スタインバックの昔読んだ本を買います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 4日 (月)

日が沈む 予想通り親父の相棒はまだ寝ていました。満開の時は今週末?

Img_6172

Img_6171

夕日が眩しい。

Img_6176

親父さん、フラッシュに気取らないで下さい。まだつぼみじゃあないですか?
今年はちょこっと遅い。今週末でも満開にならないかもしれない。サーちゃん見に来れるかな?最近何故か乗りが良く無い。親父の口説き方悪いのかな?まさか

Img_6179

それでは見頃は週末でも提灯が揺れている。フラッシュに負けないよ。
この枝が親父の幹から伸びている。これが本当の死んだ振りだろう。人の生き方も同じです。土手っ腹に穴をあけられても頭の上はへし折られても、そこで屁コ垂れたら(失礼、も少しお上品に)この世界はありません。今週末はお見逃し無く。

Img_6174

これはオマケ。最初の景色です。空は青く桜はこんなに綺麗なのに被災地のニュースを聞く度に、怒りの思いが突き上がる。天災はいかんともし難いが人災は許せない。福島の原発のお粗末はお詫びでは済まなくなる事が、政治家は分かっているのだろうか?

被災地は言う迄もなく風評被害の大きい各地の保証をどう考えているのだろう?原子力安全委員会、保安院、政府幹事長の記者会見、この頃は無視している。
多くを語る前に責任を明確にして下さい。これから保証が問われても充分な事が出来る訳が無い。学者、解説者の説明にそれが無い。何を考えているのだろう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

夕方歩いて来ました。桜の花もまだ満開とは行かず。

Img_6109

散策(ブラブラ歩き)のスタートは駅の近くの公園から。椿の花が残っている。

Img_6120

城跡公園近くの桜。つぼみが多い中でこの花びらは満開です。これが日本の桜です。学生服の桜の釦(ぼたん)の紋様です。

Img_6122

公園入り口のテニスコートで御婦人がラケットを振っている。この城跡公園に来る度にそのパワーに圧倒される。決して無理はしなくても動き回れるその体力。これからの生きる力はそのエネルギー。ベートーベンの熱情を聞きながら感動する。

Img_6142

城跡公園のしだれ桜。この色、このアングル、この青い空。ここでは足を止めて一杯桜を眺める事が出来ました。他では仲々見れない桜をストップモーションで行きましょう。

Img_6127

Img_6139

Img_6125

Img_6126

どうだ。息をのむ美しさとはこの事です。今年は多くの桜が見れる予感がするがその中でも一、二を競える美しさかもしれない。近くでガキの声が煩い。(オイオイ)

Img_6129

トサミズキの若葉がハクモクレンと重なりながら池の水に影を落としている。

Img_6145

公園内を一巡し手にして来たサンドイッチを立ち食いして(肌寒くてベンチに腰を降ろさず)もう一度、しだれ桜の廻りを廻る。桜の樹に下で妖精がワルツを歌っていた。被災地の春は今年は無くても必ず春は巡って来る。

Img_6151

帰り道、親父の友達との約束に気付いたけれど今日は合えず。今週末迄は待ってくれないかもしれない。木曜日仕事がオフだから忘れずに行きます。この美しい桜は帰り道の老木です。年は取ってもその若さは変わらない。その姿をお見せしましょう。

Img_6152

Img_6153

お見事です。言葉が在りません。多くの人に見られなく無くても親父が賞賛しています。
Img_6155

何たる勢い、何たる活力、何たる命の迸り(ほとばしり)だろう。親父もこう在りたい。左下に見える大きな枝葉切られてもびくともしていない。恐れ入ります。

Img_6149

この全てのつぼみが満開の時を迎えた時、花吹雪の中で親父はインデアンの踊りが出来るのだろうか?(太極拳の攻防の構えで勘弁して下さい。)許す。

Img_6159

これは街中の桜。後ろの建物がハローワーク。心無しか厳しい雇用情勢を反映している。(皮肉?そう皮肉です。それ程に今年の雇用情勢は厳しい。)

Img_6162

最後に気分を変えて。もうすぐ駅前です。

Img_6163

今日の散策は靴下が薄く足が靴の中で踊る。それでも元気に歩けた事に感謝。西行法師は駿河掛川小夜の中山の峠道を越える時、自分の生涯を振り返るが幾つになっても草鞋の様な靴を履いて、前を向いて元気に歩いて行きたい。それが何よりの幸せです。

Img_6164

これは駅前の花壇。花一杯の街作り。でもその美しさを愛でる人は少ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久し振りの卵焼き。殻が堅く黄身がしっかりしていた。カマンベールチーズが消えている

Img_6108

おはようございます。今朝は久し振りに家で朝食です。仕事がオフの時は朝は近くの喫茶店が情けない日常になっていますが、それも親父だけと思いきや、御同輩も少なく在りません。ほとんどの人が狭い店内で思い思いの格好でコーヒーを口にしますが、一番不快に思うのはタバコの煙と他愛も無い言葉。自分の事を棚に上げて多くの事を語る輩を見ると一気に気分が悪くなる。(それはお互い様)

そんな時嬉しいのは君から貰ったipod(マックの音楽プレアー)。長い間若者が耳にしているのを見ながら、横目でちょっぴり羨ましい思いを感じていたが、実際自分が耳にすると予想通りの世界が広がる。どんなに近くで不快な言葉を口にされても気にならない。

それでも敵もさるもの。そのボリュムを越えた言葉で語り合う。そんな時は親父の眉間(みけん)が一気に無くなる。昔の親父のガン飛ばしが炸裂する。最近はその威力も全く無くなり大概は無視されるが、気が付くと体が硬直して居る。(おっさん、年を考えろ。強い奴には巻かれろ。弱い奴には優しくなれ。)

今朝はそんな勢いも無くお出掛けの予定も腰が上がらない。「まあ、そんな時もある。この頃何故か多くの事を語り多くの事をまめにやり過ぎたので疲れたのかもしれない。3週間経っても遅々として進まない被災地の復興も政治家は言い訳ばかりしているが、間違いの無い事はその代償は小さく無い事を思い知らされてからでは遅い。

風評被害、後から後から問題を提示して放射能汚染の現実を説明する電力会社と監督官庁。間違いなくこのお粗末な対応は企業と国家の社会的責任が問われた時、為す術も無いだろう。

電力の節約を求められても社会の存在基盤が問われている事を、都会の人間は何れだけ理解しているのだろう。間違いなく今年の夏、この国の首都でその事が問われる。その時、都会で生計を立てている人達は何が出来るのだろう?

最近は新聞は読まないし、テレビも音声を消して見るときが多く、それでも何も困らない。自慢ではないが多くの同世代だけでは無く、若い世代と比べてみても親父の見方は深い。それは一体何なのだろう?

問題意識?サミュエルソンから青春の詩で問われた小児の如く求めてやまぬ探究心?そうではない。若い時から野次馬的関心(野次馬根性)が高かったのだろう。年老いてその事を痛感するが、若く生きるとはそんな事かもしれない。

どんなに悪し様(あしざま)な思いをしても、自分らしく生きる気持ちを忘れなければ、「上から目線」と揶揄(やゆ)されてもそれが自分らしい生き方に違いない。これからは親父世代は厄介者が多くなる。

親父世代ばかりでなく社会に貢献出来ない生活保護の世帯も増える。その人達の自立と共生。唯、単に税金のバラマキだけでは国家の存立は危うい。その事に気付いた人がこれからの時代を生きる先駆者だろう。

親父も偉そうな事を言うだけでなく「ベートーベン」の気持ちになって、これからの人生を考えなければならない。この国の音楽家、思想家、経済学者、政治家。ノーベル賞学者、経済人。多くの賢人は少なく無いがこの大作曲家のピアノソナタを聴いていると多くの思いが叩き破られる。

耳は聞こえなくなってもこれだけの作曲が出来るのではない。これは人の想いを越えている。音の無い風景。音の響きの中で一番綺麗なものは静寂の中から聞こえて来るのかもしれない。ピアノが弾けないおやじがピアノの鍵盤の音に魂が揺さぶられるのは強ち(あながち)関係のない事では無いのかもしれない。もうすぐお昼です。

お昼は近くの総菜屋さんの弁当。このお店何時もは日曜日休み。今週は花祭りで開店。しかし、今年の春は遅い。満開の時は来週になる。去年はもう少し暖かかった気がするが今年の春は、花を愛でる時も短いのだろうか?

家でテレビを見ながらパソコンを打っていると我が家のコーヒーも悪く無い。お気に入りのお店でお気に入りの雰囲気を楽しみながら口にするコーヒーも悪く無いが、誰にも邪魔されない「香味焙煎」の三温角糖3個入りも負けては居ない。(えー?)

流石にお店のコーヒーに砂糖を入れる様な失礼な事は出来ないが、家で口にするインスタントコーヒーは白糖でない三温糖か黒砂糖がお勧めです。若い頃、家で飲んでいたネスカフェに、ブランデーを垂らして火を付けた角砂糖を落としていたが、最近はそんな格好は付けていない。1人で飲むには三温角糖で充分です。

Img_6021

枯れ木の様に見える桜の樹。この幹も満開の花を付けるのは今週末だろうが、よく見て下さい。この樹は左側の枝を大きく伸ばしている。人は大事な物を失って生きる糧を失っても生きれる様に、この樹も又生きる術を無くしていない。大きな枝先に大きな花の宴が広がる時は近い。

テレビで久方ぶりにあの政治家の顔を見る。そして多くの事をしたり顔で語っている。あの震災で一番困っている時にこの人達は何処で何をしていたのだろう?地方の分権とかを声高に口にしたあの勢いはどこに行ったのだろう?そんな人は政治家とは言われない。あなた方の今回の行動の遅れは全ての災いとしてこれからも続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 2日 (土)

春はそこ迄来ているのに被災地の春は遠い。

Img_6075

紀三井寺の桜。今週末には満開となり来週には葉桜となるのだろう。
これから桜前線は一気に日本列島を駆け上る。
今年は多くの桜を見れる予感がするが、桜も愛でる余裕も無い被災地の事を考えると手放しには喜べない。それでもこれから始まる試練のときは他人事とは思えない。

桜の花は日本人には春を告げる代表的な花で、心が満たされている時に見る景色は「春爛漫」そうで無い時はこれ程哀しい物は無い。今年はどんな思いで見るのだろう。岐阜と富山を結ぶ、ひるがの高原で見る桜は、今は旧道をバスは走っているのだろうか?太平洋と日本海に流れ下る清流の分水嶺は親父に何を語ってくれるのだろう?

それよりもその先きの荘川、御母衣(みほろ)ダム湖畔、白川郷 今から半世紀前の名岐バスの車掌佐藤さんの生き方が見えて来る。奥さんや子供の想いを越えた桜への思い込み。太平洋と日本海を結ぶ桜ロードと言われても、自分達の生活を顧みない生き方を否定したとしても私達はその道筋すら辿っていない。

この道にはもう一つのドラマがある。今は水力発電のウエートが下がっているがこの国の経済発展は水力無しには語れない。関東は知らないが中部の佐久間、井川、そして御母衣、関西は黒部。今、電力発電のコストが問題にされていないが、原子力発電の見直しが必然となっている。

御母衣ダムが昭和の30年代建設されて時、湖底に沈む桜の大木を引き上げたのは多くの人の想いがあった。最終的にお金を出したのは当時の電源開発総裁の決断が大きかったと言われている。今の役人、政治家にそんな粋な計らいが出来るのだろうか?

親父達が若かった頃、アメリカの技術者がこの一つ東の谷、下呂の温泉で「日本にも大きな谷がある」と感嘆の言葉を口にしていたが、この国の広さを私達は知らない。狭い、狭い、日常から思いだけでも飛び出して見なければならない。

Img_6107

今夜のお食事はアジのみりん干し。2枚あったので一枚は明日に残す予定が、焼き方を変え一度に喰らう。食い過ぎ。でもご飯は無かったので良しとする。みりん干しも鮮度が勝負。鮮度が落ちると美味く無い。(臭みが在ると駄目)すりおろしオニオンドレッシングもサラダに合う。魚も焼いた方が美味い気がする。(画像は蒸し焼きです)これからお風呂です。一度skypeで電話しましたが又、電話します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 1日 (金)

これから始まるあらたな試練、親父も人事では無い4月1日。

Img_6100

4月1日。今年は大きな災害に直面して今尚、不自由な生活を強いられている被災地の事を思いながらしっかりと大地を踏みしめなければいけない。多くの人が多くの言葉を口にするけれど大事な事は、自分の生き方を変える事です。

誰もが願う幸せは思いやりの心が土台です。人を思いやり人を大切にする、親父に一番欠けている生き方がをこれから問われています。親父が大好きに思っていた多くの人は亡くなりましたが、これからは親父達がそれを伝えなければなりません。生きる証はその事が大きい事を、今改めて痛感しています。看板、約束通り綺麗に撮れましたよ。忙しくても笑顔を絶やさないでね。

Img_6101

昨年12月の初め。伊丹ホール「あさみちゆきコンサート」開演前に食事の後、この看板に連れられて引き込まれる。それでもこの時は出会いは無かった。コーヒーを美味いと感じただけだった。優しさに出会ったのは今年になって再び出掛けた時だった。

ケーキとコーヒーの写真を撮ろうとした時、最初は断られた。それで怯む親父ではない。そんな時出合った。今でもあの時の優しさは忘れていない。(実際は違うかもしれないが。)コラコラ。それでも良い。

Img_6096

JR伊丹駅近くの有岡城跡の紅梅。ひっそりとそれでも凛として花を広げていた。
この城跡は織田信長に攻め落とされその後、廃城となる。多くの人の思いが果敢なくも露と消えてもこの梅がその想いを今に伝えている。人の想いは様々でもこの空の色は今でも変わらない。多くの人に見向きもされなくてもその事を伝えている。

Img_6102

この城跡は東側を国鉄福知山線(現代のJR東西線)に分割され往時の面影は無い。

Img_6105

今夜のおかずの一皿。伊丹の勝っちゃん食堂で焼き肉定食を食っていたのでおかずだけ。ほうれん草のおひたし。ぶつ切りせず手抜き。網走で作ったつぶ貝はつぶやきでなく袋のまま湯煎。味付けがされていてほうれん草には醤油を垂らしただけでOKでした。

Img_6106

オーオーオー。山口萩の瀬つきアジ2枚と細切れ野菜の炒め。見栄えは悪く写真もピンボケ。でも味はアジもカット野菜も塩こしょうだけで上等。骨が邪魔になるが別にして熱湯を掛けると目玉迄美味い。魚嫌いだった親父が言うのだから間違いない。魚は臭みがなければ残す処は少ない。でも料理と言うには程遠い。ごちそうさまでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

4月1日。新しい年の始まりはエイプリル、フールではない。

Img_6095

窓の外に親父の自転車が見える。仕事がオフの時、特別の予定が無ければ朝食はここでこれです。穏やかな朝。穏やかな親父の一日の始まり。ぼんやり外を眺めていると道行く人の視線を感じる。自意識過剰?誰もそんな事は考えていない。赤い薄いジャンバーをおっさんが着て窓の外を眺めているとでも思っているのだろうか?それも無い。唯、駅への道を急いでいるだけの事です。

何時もは煩いこの狭いお店も今日は静かです。ipodの音楽を聴いているとベートーベンが想いの丈を鍵盤に叩きつけている。親父の好きな「熱情」をこんな時に聞くと無情の重いが込み上げて来る。彼は音楽家としてピアニストとして一番大事な聴覚を無くしても、これほどの作曲が出来た事に言葉が無い。絶望の時、唯、呆然として言葉を無くしても、人は立ち上がる思いがある事を教えてくれる。

Img_6089

和歌山紀三井寺参拝の帰りに目にした春の装い。春は半月遅れているが被災地の春は今年は無い。暖かさの後に来る五月の空を見上げながら、何れだけ多くの人が溜め息を漏らすのだろう。言いようの無い侘しさと無情。その厳しさの中で季節の移り変わりは一時の風景でしかない。頑張れとは言えないが私達に出来る事、その事だけは忘れてはならない。

エコポイントが来ました。家電エコポイントは3月で終わりましたが、親父がデジタル対応の薄型テレビを買ったのが2月の中旬。その分が来ました。丁度パソコン用の眼鏡(今の眼鏡では見え過ぎて疲れる)が欲しかったので買いました。

個人消費は仲々政府の見通しの様に回復しませんが、今年度の景気回復はどんなもんでしょう。震災とその後の政府、行政のお粗末な対応は今後の景気回復を重くしています。それでも今回の災害を人事と思わなければ必ず、その足取りも重くは無いでしょう。甘い/そうかも知れないがこの国は意外に打たれ強いのかもしれない。

しかし、間違いなく言える事は今迄と同じ生き方は許されない。避難所で暮らす多くの人の今を思うとその生き方は当然だが、その事を良しとしない人も少なく無い。人の不幸を自分の身に置き換えて生きる優しさは、無くてもおかしくは無い。それでは必ず天罰を喰らう。そんな思いが全く無い人も少なく無い。

行き過ぎの事をやる必要は無い。それでも途方に暮れている人が多い時、自分達が今迄と同じ生き方をする理由は何処にも無い。思いやり、優しさ、さり気ない動作、それはこの国の先人が私達に教えて呉れた知恵だろう。その生き方を変えなければいつかはその身に不幸が多い被さるに違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »