4月1日。新しい年の始まりはエイプリル、フールではない。
窓の外に親父の自転車が見える。仕事がオフの時、特別の予定が無ければ朝食はここでこれです。穏やかな朝。穏やかな親父の一日の始まり。ぼんやり外を眺めていると道行く人の視線を感じる。自意識過剰?誰もそんな事は考えていない。赤い薄いジャンバーをおっさんが着て窓の外を眺めているとでも思っているのだろうか?それも無い。唯、駅への道を急いでいるだけの事です。
何時もは煩いこの狭いお店も今日は静かです。ipodの音楽を聴いているとベートーベンが想いの丈を鍵盤に叩きつけている。親父の好きな「熱情」をこんな時に聞くと無情の重いが込み上げて来る。彼は音楽家としてピアニストとして一番大事な聴覚を無くしても、これほどの作曲が出来た事に言葉が無い。絶望の時、唯、呆然として言葉を無くしても、人は立ち上がる思いがある事を教えてくれる。
和歌山紀三井寺参拝の帰りに目にした春の装い。春は半月遅れているが被災地の春は今年は無い。暖かさの後に来る五月の空を見上げながら、何れだけ多くの人が溜め息を漏らすのだろう。言いようの無い侘しさと無情。その厳しさの中で季節の移り変わりは一時の風景でしかない。頑張れとは言えないが私達に出来る事、その事だけは忘れてはならない。
エコポイントが来ました。家電エコポイントは3月で終わりましたが、親父がデジタル対応の薄型テレビを買ったのが2月の中旬。その分が来ました。丁度パソコン用の眼鏡(今の眼鏡では見え過ぎて疲れる)が欲しかったので買いました。
個人消費は仲々政府の見通しの様に回復しませんが、今年度の景気回復はどんなもんでしょう。震災とその後の政府、行政のお粗末な対応は今後の景気回復を重くしています。それでも今回の災害を人事と思わなければ必ず、その足取りも重くは無いでしょう。甘い/そうかも知れないがこの国は意外に打たれ強いのかもしれない。
しかし、間違いなく言える事は今迄と同じ生き方は許されない。避難所で暮らす多くの人の今を思うとその生き方は当然だが、その事を良しとしない人も少なく無い。人の不幸を自分の身に置き換えて生きる優しさは、無くてもおかしくは無い。それでは必ず天罰を喰らう。そんな思いが全く無い人も少なく無い。
行き過ぎの事をやる必要は無い。それでも途方に暮れている人が多い時、自分達が今迄と同じ生き方をする理由は何処にも無い。思いやり、優しさ、さり気ない動作、それはこの国の先人が私達に教えて呉れた知恵だろう。その生き方を変えなければいつかはその身に不幸が多い被さるに違いない。
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