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2011年3月 6日 (日)

今日は可もなく不可もなく嵐の前の静けさか?

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山茶花の花は何故か純白の花から開花し今は薄紅の色にバトンを渡している。
その花達ももうすぐ今年の開花の時を終え、今年の暮れの準備が始まる。
今日の日は親父にとっても特別な日。身動きが出来なくなる前に動き始めようと思っていたが、何気なく見始めたテレビの前で動けなくなっている。

仕方が無いので出掛ける事を諦め、久し振りに心静かに部屋のお片付けでもしますか?流石に15年も立つと当時の思いは薄らいでいるが、時の流れは余りに無情、人の果敢ない思いを超越して淡々と流れている。

この国の目覚しい経済発展が実態とはかけ離れた夢、幻であったと思い知らされた時、そんな経済社会の中でこの国の経済にささやかなりとも貢献して来たと自負して生きていた親父には、それから始まる苦渋の時が認識されていなかった。

それでも仕事の難儀はそれが終われば解放されていた。サラリーマンの製造技術者と自他共に自認していたのが間違いであったとしても、家に帰れば自分の価値観だけを振り回す嫌な親父でしかなかった。アンタの時代、アンタの価値観は終わりと宣言されてもそれに気付かされる迄にどれだけの時間が掛かったのだろう。

そんな自分勝手の生き方が脆く(もろく)も崩れ落ちたのが15年前の今日。
風邪をこじらして肺炎を起こして入院と思っていた大事な人が長くは生きられないと宣告される。まさに晴天の霹靂(へきれき)雷(かみなり)思いがけない言葉を人事の様に聞きながら、人事では無く自分の事だと思い知るのに時間は掛からなかった。

それから始まる苦難の時。予想も出来ない事に無我夢中で看病した半年間。しかし、苦痛の日々は自分だけでは無い事が一番苦しかった。病の訳を伝えてやる事も出来ず、思いの丈の半分もかなえてやれなかった日々を思うと人の世の無情を忘れる事は出来ない。

あれから15年。同じ様な出来事が今尚、国の内外で起きている。その悲惨な現実に言葉を飲み込みながら手を合わせる人がどれだけ居るのだろう。元気の時、まさかの事を考えずに生きている日常に気が付く人は少ない。

本当の幸せはそう言う事。どんなに困難と思われている事も、その事が分かれば考えも変わるがおやじですら、出来なかった事を普通の人に問うのは無理だろう。長い間大切に出来なかった人の代償は計り知れない。

これからもその購い(あがない)は続くに違いない。でももう良いでしょう。何時迄も何処迄も過去の絆に繋がれていては次のステージには進めない。今年の春はそんな春になりそうです。

次のステージに立つにはそれなりの思いが必要ですが、その事も今、問われています。今日、出掛けられなかった事はその総括を聞かれているのかもしれません。ナーンもありません。在るのは情けないつぶやき、ぼやきです。

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嘆きのセレナーゼを聞きながら春の喜びの時はすぐ其処です。どんなの哀しい思いをしても、どんなに口先だけの優しい言葉を語りかけたとしても、全てお見通しです。綺麗事ではなく誠意を見せてと言葉を口にしても、この世とあの世では抱き合う事も出来ないでしょう。今年の春は親父の好きなベートウベンの田園交響曲第一楽章「春」が聞けるのでしょうか? もちろんです。ipodでね。

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