つぶやきだけで終わらないハルにしょう。
駅ホームのポスター。ガラス越しの写真で少し鮮明ではないが憧れの田舎暮らし。出来るかな。出来ないだろうなあ。懐かしさと鮮やかな景色と言われても、よそ者を受け付けない田舎暮らし。それでも珠に訪れる里は親父の原風景かもしれない。
対照的に増築された大阪駅前のデパート。hiroのお店は見つからなかったが近代的な建物。ショッピングフロアーの背広売り場に懐かしいブランドを見つける。「トロージャン」もう過去のブランドと思いきやそうでも無い。若い頃、心斎橋の同じデパートで袖を通したあの感覚を思い出す。再びの時はもう無いのだろう。
この建物は完成していたが、大阪駅構内の工事が最終的に終わるのは暫く掛かる。正面の2人は何を話しているのだろう?後1月余の工事が完成すると大阪駅構内はすっかり様相を変える。しかし、本当の活気が戻るのはまだまだ時間が掛かるのだろう。
しかし、間違いなく言える事は東京一極集中から都市機能の分散だろう。地方分権ではない。霞ヶ関の解体。それが求められても政治家、中央高級官僚の頭の中にはそれはない。何時迄も東京霞ヶ関の居心地の良い環境でないとこの国を取り仕切れないのだろう。だがこれから始まる激動の時にそれで対応が出来るのだろうか?
親父が18の春、始めて眼にした駅前の風景はこんなに綺麗ではなかったけれど、夢と希望に溢れていた。中央のバス停の屋根の先に大阪市電の乗り場があり、セピア色の風景があった。あれから半世紀。次の半世紀を眼にする事は無いが、この阪神デパートが高層ビルに変わっている事は間違いない。後どれ位生きる?それは親父にも分からない。
帰りの阪急電車のホームに上がるエスカレター横のポスター。手持ちのカメラで最後の一枚をやっと切り取る。愛知県伊良湖岬の海鮮売り場で口に出来なかったツボ貝が親父にエールを送っている。ありがとうございます。ぶつぶつ言うのは止して頑張ります。何を?それは内緒です。
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