この国の在り方が問われている。
夕方、川西池田から伊丹の町迄JRで移動する。腰の痛みは完全に回復。サロンパスは手放す事は出来ないが、今回の腰痛の原因は背筋が少し伸びただけだと自覚する。優しいhiroの娘にも言われたが、年を考えた行動をしなければならないが無理だろう。
何で?何でだろう。何時迄も若いとは思わないが、年老いたとも思わない。マダマダ健在。その思いが途絶えた時、どんな生き方が出来るのだろう。今回の大津波、数年前、伊丹近くの脱線転覆事故、日常的にこの国の何処かで多くの人が途方にくれている。親父も長い間、そんな生き方をしていた。生きる事は生きれない事以上に大変な事を、どれだけの間思い知った事だろう。それでも生きている。
近くの公園の紅梅が親父の命を祝福している。被災地の皆さんは今は其れどころではないけれど、必ず巡って来る春の時をその手で掴んでほしい。その時が何時になるかは誰にも分からないけれど、試練の時を乗り越えてほしい。
被災地の春は未だ程遠いが、私達に出来る事は温かい支援でしかない。テレビも段々現地の現実から眼を逸らしているが、本当の厳しさはこれからだろう。今回の災害で一番対応が遅れた国と行政の取り組みは、これからが正念場となる。その事を見守って下さい。
これから昨日の食った焼きそばを作ります。昨日は豚の細切れ肉が無かったけれど、今日はしっかり買ってきました。野菜はキャベツが無いので味の保証は無い。それでも元気で飯が食える喜びは当たり前ではない事を、改めて思い知る。
生きる糧を失いどうしょうも無くなった時、仰ぎ見た空の色は何処迄も青かったが、今はその思いも無い。淡々と生きる、そんな時何も考える事は無かった。あの頃の思いを否、その何十倍の思いを被災者の人はしている事だろう。その事を忘れてはならない。
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