« 阪神淡路大震災の教訓が生かされていない 政府と行政の統治能力 | トップページ | 災害時の情報管理 情報の伝え方 解説者のコメントは要らない »

2011年3月15日 (火)

今生の無情 お見舞いの言葉もない それでも生きて下さい

Img_5822

枯れ掛けていた桜の幹から新たな命が芽吹いている。完全に突然の天災に巻き込まれて逝った人の思いを推し量る事は出来ないが、今年の春は心が重い。今年の春は今週の冷え込みを抜ければ、久し振りの明るい春が目前と思っていたがそうではない。

それでも命ある限り生きたくても生きれなかった人の分迄、前を向いて生きて行くしかない。春の気怠い(けだるい)陽気の中で虚ろ(うつろ)げに、陽炎(かげろう)を追い求めていたのは遠い昔の事ではない。

今年の春は長い間の頭の重しを取り払い、無邪気に花曇りの下を年甲斐も無く小児の如く、跳ね回る予感もすっかり消え失せている。年相応の生き方、年相応の考え方が親父にはお似合いなのかも知れない。

それにしても人間の思い上がりを、これほどに思い知らせてくれた天災は、親父の長い人生でも類を見ない。阪神淡路の大震災は静岡で体験し今回の東北大津波は大阪でテレビで見るしか無かった。災害は忘れた頃にやって来るのではなく、思いも掛けぬ予想外の出来事であり、人の英知など何の役にも立たない事を痛感する。

原発の事故は事故対策が予期せぬ災害ではなく、東京電力と国の原子力保安行政に結果責任を負わなければならない。原子力発電の危険性をここ迄軽視した電力会社と国、地域自治体の責任はこれ以上の放射能漏れを無くす事である。

|

« 阪神淡路大震災の教訓が生かされていない 政府と行政の統治能力 | トップページ | 災害時の情報管理 情報の伝え方 解説者のコメントは要らない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 今生の無情 お見舞いの言葉もない それでも生きて下さい:

« 阪神淡路大震災の教訓が生かされていない 政府と行政の統治能力 | トップページ | 災害時の情報管理 情報の伝え方 解説者のコメントは要らない »